うつりました

 体調を崩していた。伏線はあからさますぎるほどに張っていた。前回の記事は、「ピイガの風邪がうつりませんように。」で終わっている。願いは叶わず、まんまとうつった。
 ただでさえ3連休明けの哀しみを抱えて始めなければならない今週に、その上体調が悪いだなんて、あんまりではないか。体調を崩すこと自体が久々だったため、僕の中の体調不良耐性はだいぶ弱くなっていて(喜ばしい話だが)、そのためかなりの絶望感があった。
 火曜日の夜は、9時間寝た。月曜日に発症し、菌をまき散らしたピイガは、これが若さか、この日にはもうすっかり回復していて、僕はそんな小学生よりも早く、8時台に眠りに就いたのだった。いくら体がつらいからって、さらには眠くなる鼻炎薬を服んだからって、8時台なんかに眠れるだろうかと一瞬だけ危ぶんだが、一瞬だけだった。寝られるもんですね。
 9時間寝たんだから大回復しただろうと期待したが、これが四十路か、そこまで劇的な効果は得られず、水曜日もまだ気怠かった。熱とかそういうんじゃなく、気怠さがメインの症状という、少し珍しい、そして精神面にダメージの来る、陰鬱なタイプの風邪なのであった。水曜日の夜も8時間寝た。9時間と8時間。我ながらよく寝たものだ。
 その果以もあり、今日になってようやく体調はだいぶ改善した。風邪のあとの、粘り気のある鼻水や、しつこい咳はあるものの、こうして日記が書ける程度には回復した。やれやれである。
 ちなみにポルガも僕と同じく火曜日に発症し、しかしこれは次の日にはなんともなくなっていた。若さ。僕を隔離するためにピイガの相手をしていたファルマンも、化け物ながら、さすがに無傷というわけにはいかず、やはりいま咳をしている。おとといと昨日は僕があんな感じだったので、ファルマンはピイガの部屋で寝ており、今晩あたりからは別にこちらに戻ってきてもいいのだが、ファルマン曰く、「私の咳はでかくて、自分で自分の咳の声にびっくりして起きたりするくらいだから、横にいないほうがいいと思う。ピイガは起きないけど」とのことである。たしかにファルマンは咳もくしゃみも大きい。そういう様子を見るにつけ、「頭のいい人はつい効率的な動きをしてしまうから筋トレに向かず、馬鹿はがむしゃらに必要以上の筋肉を使うから筋肉がよく育つ」という、前々から提唱している理論が補強されると思う。「咳のし過ぎで腹筋が痛い」とも言っていて、なぜそんな作用が起るのか、僕にはさっぱり分からない。
 この3日ほど、そのような感じで、なかなかダウナーな気分だったのだけど、そんな中でキラリと光る喜ばしい出来事として、前にも書いたが、やはり鼻炎薬を服むと、陰嚢が寛ぐのだった。陰嚢が寛ぐとはどういう状態か、このブログの読者のメイン層である女子高校生や女子大生の諸君にはイメージがしにくいだろうから説明すると、要するにリラックスし、だらける感じだ。普段は、悠々としているようで、それでも抑えるべきところは抑えている陰嚢だが、薬を服むと、なんかもう、完全になにもかもがどうでもよくなってしまうようで、べほーっとなる。だからすごく揺れる。いつもより大きなスケールで揺れる。愉しい。普段もちんこによって救われる場面は多々あるが、こんな体調不良で気持ちが落ち込みがちのときにさえ、ちんこは僕を喜ばせる。本当に、本当になんていいやつなんだろう。困ったときに助けてくれるのが本当の友達。尊い。
 鼻炎薬を服んで陰嚢がそうなるのは、おそらく血流がよくなるからだろう。だとすれば、死んだあとの陰嚢って、きっとすごく小さくなる。前に読んだ本に、韓国では死んだあとで陰嚢に食塩水だかなんだかの注射を打ち、陰嚢を肥大化させる(死に装束に着替えさせるときなどに親類に体を見られても恥ずかしくないようにするのが目的)専門の業者がいる、ということが書いてあったが、気持ちは大いに分かる。僕もできればやってほしいし、あるいは僕がその業者になるという道もあるかもしれない。
 話が横道に逸れた。とにかく回復してよかった。もう当分は子どもをプールに連れて行きたくねえ、と思うが、子どもたちは夏休みに突入し、ピイガは早くプールに誘えとせっついてくる。お前に、お前にプールのあとうつされた風邪で、こんなに参って、まだ本調子じゃなく、先週プールの会員を更新したばかりだというのに、それからまだろくに行けていなくて、こんなことなら会員申し込みをもっと先延ばしにすればよかったと後悔している父に向って、よくそんなことが言える。若さって怖い。