散髪顛末

 髪の量が増え、乾かすのに時間が掛かると感じるようになった。そんなこと言ったらお前は2月まで結わうほどの長髪だったじゃないかという話なのだが、今はもうモードが違うのだ。髪を伸ばそうという気がないので、少し伸びて乾かすのに時間が掛かるようになっただけ厄介なのである。
 というわけで散髪することにしたのだが、ファルマンはしてくれない。ファルマンはこれまでも、後片づけなどの面倒さもあって、子どもはまだしも、僕の髪を切るのは億劫がっていたのである。そんな折、3月にポルガが、小学校の卒業式を前に、さすがにこのときばかりは、ということで、生まれて初めて美容師にカットをしてもらったのだが、その状態で横浜に行ったところ、母が「さすがはプロね」とやけに髪の仕上がりを褒めたため、ファルマンは家族の髪を切る意欲をだいぶ削がれてしまったのだった。
 そのため今回はお店に行って切ってもらうほかなかった。それで今朝、お店のページを確認したら、もう間もなく開店という時間だったため、じゃあ一番に切ってもらおう、簡潔でいいや、と慌てて家を出た。もちろん予約をするような上等な店ではない。しかし行ってみたらもう既に何人か順番を待っている人がいた。みな考えることは同じなのだ。仕方なく申し込みだけして、スーパーに買い物に出たりなどして時間を合わせた。結局散髪を終えたのは昼前になってしまった。行って切ってもらうだけだから店はそこが楽だな、なんて思っていたら、思わぬ時間を喰ってしまった。
 そして仕上がりはと言うと、これもよろしくなかった。丸みを保持しつつ、なるべく短く、軽く、というこちらの要望は、たしかに聞き入れられていて、だから文句は言えないのだが、でもなんというか、こういうことではない、という感じがあった。論法が違うとでも言おうか。なるほどいまどきっぽくはあった。だからこそ、論法が違った。
 それですっかりテンションが下がってしまい、このままだと本格的に落ち込んでしまうと思ったので、髪の色を変えることにした。それで午後の買い物でブリーチ剤を買い、ファルマンにやってもらった。まあまあの度合のものを選んだのだが、黒髪からなので金色までは至らない。しかしまあ、なんとか精神は救われた。来週以降、ここへなんかしらの色を入れようと思う。それまでには、髪型も自分の中で折り合いがつくだろうと思う。
 いつぶりか知れないお店カットで、だいぶ懲りた。また次からはファルマンに頼んで切ってもらおうと思う。技術的なことなど知らない。姑のデリカシーのない言葉がなんだ。ファルマンは、こちらの望む論法でやってくれるので、それは何にも代えがたいのだと悟った。