2006年と2023年のこと ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 中学生になったポルガは部活に入り、部員によるグループLINEに入ったという。
 心配だ。あの悪名高い、中高生のグループLINEを、自分の子どもが始めてしまった。親として、いたずらに心配である。中高生のそういうのって、イジメの温床なんでしょう?
 と言うか、中学生はスマホを持っているのが前提なのか。時代が違うな、と思う。それはそうだ。自分の頃とは30年近く違うのだから。
 ちょうど読み返している2006年の手書き日記で、時代を感じさせる記述があった。

「そう言えば昨日の◎◎面接でもうひとついいことがあって、ずっと見つからず困っていたUSBメモリが鞄から発見されたのだ。これはかなり嬉しい。けっこう諦めていた。自室で書いたものをファルマンのパソコンに持っていくのに、SDを使っている状況だったのだ。」(4月18日)

 USBメモリに対してSDであることになんの不便があるのか、というのはよく分からないが、この記述で注目すべきは、USBメモリをなくしたと思い、諦めていたが、見つけて嬉しい、という点だ。今の感覚からすれば、USBメモリなんぞ紛失したら新しいのを買えばいいではないか、という話なのだが、当時はまだそこまで気軽に買える値段ではなかったのだと思う。今よりもずっと容量の小さい、256メガとか516メガとかで、1980円くらいはしたのではないかと思う。今は16ギガのものが500円くらいで手に入ったりするので、隔世の感である。
 続いてこんな記述。

「昨日は日中、池袋に出かけてきた。ファルマンがGWに実家に帰るため、そのチケットを買うのが目的。
 ついでにさくらやに寄る。実はぼくとファルマンの間で今、桃太郎電鉄が流行っており、その最新版が欲しくなっていたのである。しかも都合のよいことにぼくのさくらやポイントカードには5900ポイントが入っており、これにより最新のその「15」は300円ほどで買えることになった。ヤホーイ。」(4月23日)

 さくらや! と思う。懐かしい。安さ爆発!
 あと桃鉄。それまではプレステの「桃鉄V」をしていたのが、ここでPS2の「桃鉄15」になったらしい。そして今はswitchのやつをやっている。なんだかんだで桃鉄をよくやっているんだな。
 同日にこんな記述もしていた。

「さくらやでなんとインターネットの申し込みもしてしまう。
 この前電話でやろうとしたら、「FAXで免許証の写しを送ってください」とかしゃらくさいことを言われたため、店頭でやったほうが楽だな、と思ったのだ。」

 それまでファルマンの部屋のほうでだけネットが繋がっていた(だから僕の部屋のパソコンで作成した文章をネットにアップするために、SDをファルマンの部屋に持っていく必要があったのだ)のを、僕の部屋も繋げることにしたらしい。無職で収入の当てもないのに! と思う。そしてFAXの部分に、強烈な時代性を感じる。そう言えば当時は部屋を借りるときにも、必要書類はFAXで送って提出したりしていた。FAX懐かしい。FAXという存在は、機能的にもまさに、アナログ時代とデジタル時代の狭間という感じがする。字面の共通点もあり、MAXと通じる部分が大いにある。いまどきの言葉でいうなら、エモいですね。
 最後にこちら。

「「おもいっきりテレビ」を観ている。なんでかと言うと、実は今日この観覧に祖母が行っているのだ。席はうしろのほうだが写っていた。ゴボウ喰ってた。おもしろい。」(4月25日)

 読んで思い出した。そうだ、たしかにこんなことがあった。祖母は「おもいっきりテレビ」の観覧に行ったのだ。生みのもんたを見たのだ。その日の特集はゴボウで、紹介されたゴボウのサラダ(たしか火を通さず食べるのだ、ゴボウを!)が観覧者に配布され、それを食べているところが一瞬映し出されていた。あったな。「おもいっきりテレビ」も、みのもんたも、懐かしい。あまりにも古い。2006年は平成18年なのだが、嘘だと思う。「おもいっきりテレビ」をやってたなら、昭和だと思う。それとも平成が最近のことだという感覚が、もはや古いのだろうか。
 ポルガのグループLINEは、なんの内容もないノリだけのやりとりが繰り広げられているようで、語尾に押し並べて「w」が付されているらしい。「(笑)」が「w」に変化していったのは、まさに00年代中期くらいのことだと思う。いまどきの若者は、たぶん新しい言葉や表現を生み出さないだろう。われわれが教養を用いて生み出した出涸らしのようなものしか摂取しないので、そこからはもう何も生まれない。人生の中で本能的に抱くエモさを、うまく表現できず、ウホウホと、ただプリミティブな反応だけでやり過ごすのだろうと思う。もうね、新時代に取り残されないのは不可能だから、とことん揶揄し、否定してやろうと思うのです。