2024年夏の自家用車横浜帰省 3日目

 実家の布団は硬い。重くて硬い。寝るのが和室なので、昔ながらの考えではマットの類は必要ないということになるが、いまどきの高機能マットレス(決して高価というわけではなく)に慣れた身からすると、地べたに薄布1枚敷いたくらいの状態で寝ているような気持ちだ。移動の疲れが取れないどころか、朝には寝返りも困難なほど体がバキバキになるので、なんとかしたいという思いはずっとあるのだが、1年半ぶりに3日だけ泊まる立場で、マットレスを買えとも買うとも言えない。母も物が増えるのは嫌がるだろう。というわけで耐えるほかないのだった。
 日程3日目の予定は、午後からの藤子・F・不二雄ミュージアム行きとなっていて、午前中はのんびりと過す。今日も姉の子どもたちがやってきて、4人でわちゃわちゃとやっていた。わが子が、どちらの実家においても、いとこと愉しそうに触れ合うさまを見るたびに、不思議な気持ちになる。友達とも、きょうだいとも違う、いとこというのはとても独特の距離感の存在なのだな、と思う。自身のいとこ経験値が皆無なので、娘らを見て学習している。ちなみにだが、この前の晩に眺めたアルバムで、僕が幼稚園児くらいの頃の写真で、知らない家族とディズニーランドに行っているものがあり、誰かと母に訊ねたら、それがいとこ一家であった。父の、姉だか弟だかの一家ということだ。一家には同年代の男児もいた。だから、実はいちおう経験はあったのだ。完全に忘れているけれど。
 昼ごはんに、たこ焼きを焼いた。最近またレベルが上がったたこ焼きを、実家の面々に振る舞ってやろうと思ったのである。こちらでいつも買っている粉が、横浜のスーパーでは手に入らなかったけど、まあまあおいしくできた。
 そのあと、Fミュージアムへと向かう。母が送迎してくれるというので甘えた。公共交通機関で行こうとするとかなりの回り道なのだが、実は実家から車で30分かからない。この距離感を思うたびに、ああ僕は、ドラえもんがたまらなく好きだった小学校低学年あたりの頃、藤子・F・不二雄とこんな近い位置関係で暮していたのか、と思うのだった。Fミュージアムに来たのはこれで3回目。前回は、2020年の年明けだった。今回もだったが、当時から中国人の客が多くて、そのあとすぐに新型コロナが流行したので、少しどぎまぎしたものだった。今年は藤子・F・不二雄生誕90周年ということでさまざまなキャンペーンが組まれ、プライムビデオでもいろんなアニメが公開され、わが家のFの機運もまた高まっており、横浜に行く以上はそりゃあ行くだろう、とこれも半ばオートメーションのように定めた目的地であった。しかし意欲的に赴いたはずが、やはり3度目ともなると常設の展示にはもう感動できないし、なによりポルガのコンディションがあまりよくなかった。長距離移動後すぐのいとことの激しい絡みに加え、今朝は母に合わせて早朝に起き、長い散歩などしたものだから、あっという間にキャパオーバーとなり、せっかくのFミュージアムで青い顔をしていた。当然機嫌も悪くなり、その機嫌の悪さに対して我々も不愉快になってくるので(もう少し自分の余力をわきまえろよ、という文句もある)、実に険悪な雰囲気の一家になった。そんな状況で入店したカフェでは、注文した品がいつまでも出てこない、あとから来た客のフードメニューが次々に運ばれてくるのに、ココアとかしか頼んでいないわれわれの注文品がいつまでも来ない、という悲劇に見舞われる。注文から30分が経過したところで、さすがにこれはもう退店しようと思い、店員にキャンセルを申し出たら、「今できたのでお持ちします」と言われ、運ばれてきたココアとカフェラテは、すっかりぬるくなっていた。これはどうやらわが家の今生のFミュージアムは終わったようだな、と思った。また最後に位置するミュージアムショップで売られている商品の高いこと。どうやらこのミュージアムはもう、中国の富裕層しか相手にしないことにしたらしい。そっちがその気なら、こっちももう行かないまでだと思った。
 帰宅後は、母と祖母と、わりと普通の晩ごはんを食べた。一時よりは復調したものの、ポルガがあの調子だったので、カフェで待っている間に姉に連絡し、今晩は子どもをこっちへ寄越してくれるなと頼んだのだ。というわけでこの晩は早めに寝仕舞いし、回復に努めることにした。