伏線と予兆の夏

 「パピロウせっ記」に、24歳の自分が結婚についての伏線をまったく張ろうとしなかった話を書いた。それに対して40歳の僕のにおわせと来たらどうだ、という話を今からする。
 まず5月の車検である。この際、フリードにドライブレコーダーを取り付けてもらった。「最近になって、別にヒヤリハットがあったというわけではないが、やっぱりあったほうが安心か、ということになって設置することにした」などと白々しく書いたが、このときには既に計画は頭の中にあり、これはそれに対しての行動に他ならない。
 続いて6月には、ファルマンの運転でゴールデンユートピアおおちまで行く、ということをした。「今後、ファルマンがフリードを運転する必要に迫られる場面もあるやもしれないので、どこかで練習をしておきたいね、ということを前から少し話していた」という、この記述もまた実に白々しい。
 そもそも去年の12月、年末年始に帰省をしないことについて書いた際、ポルガが大人料金になったこともあり新幹線代があんまりにも高いじゃないかよ、ということを記していた。さらには、年末年始にせっかく関東に行ってもどこも閉まっていて果以がない、とも言っている。これらなんかはもはやにおわせですらなく、動機そのままと言ってよい。
 これらの伏線を照らし合わせると、どのような結論が導き出されるか。答えはこうである。
 夏、車で帰省する。
 なぜにおわせなのか、往路も復路も旅行を兼ねた2日がかりで、それぞれの宿泊先を半年以上も前に予約したりしていたのだから、大っぴらに書いていればよかったじゃないかという話なのだが、スケジュールとか体調とか、なにがあるか直前まで分からないので、明記はせず、ひそかに計画を進めていたのだ。実際、つい数日前にポルガの部活動の影響により、ひとつわりと大きなスケジュール変更を余儀なくされる、という出来事が起った。
 それでもまあ、とりあえず行くことは叶いそうだ、という見通しが立った矢先の、宮崎県を震源地とする木曜日の大きな地震であった。島根県でもほどほどに揺れ、どこかで大きな地震があったのかとすぐにテレビで確認したところ、宮崎県だったので、そのときは「そうか」とわりと冷静に受け止めた。しかし帰宅後にテレビを観たら、いつもの地震情報と毛色が違う。これは南海トラフ地震の前触れかもしれない、などと言っている。そして画面に表示される、南海トラフ地震が起った場合に被害が大きいと予測されるエリアと、今回のわれわれの帰省のルート(往路復路の宿泊場所を含む)の、重なり具合たるやどうだ! それはそうだ、まず関西に出て、それから東海道を行くのである。太平洋側をひた走るのである。こんなことあるか、こんなことあるかよ、と思った。元日の能登半島地震というのもだいぶ性悪だと思ったが、盆休みにこれをぶつけてくるというのもだいぶひどい。どうした、今年は。というか令和って本当に災厄が多すぎやしないか。いざというとき思いどおりにいかないことが多すぎやしないか。
 しかしまあ、そこまで過敏になってもしょうがないので、計画を取り止めるということはしない。車に防災グッズを載せ、ガソリンのこまめな補給を心掛け、ホテルに宿泊する夜は酒を飲まないことにした。行くと決めた以上、そのくらいの対策しか打つ手がない。
 まあ大丈夫さ、大丈夫と思って行くしかないさ、と思っていたら、今度は金曜日の夜に神奈川県西部で震度5弱が起ったので、「もう! バカ!」となった。
 予兆とはすなわち伏線であり、伏線はないよりあったほうがいいが、これはそういう話ではないだろう。いや、無防備で行って窮地に立たされるより、ある程度の心の準備ができた状態で行くわけだから、やっぱりいいことなのだろうか。判らない。無事に帰ってくるまで判らない。どうか愉しい日々になりますように、と心の底から強く祈っている。