広島旅行2022浅春 ~トラウマと思い出と深層心理~ 

 去年11月の鳥取旅行の成功に味を占め、また旅行をしてきた。今回の目的地は広島である。
 鳥取の次は広島だな、ということは前回の旅行が終わってすぐの頃から考えていて、しかし春から6年生となるポルガが、5月だか6月だかに修学旅行で広島に行くらしいので、それとあまり時期的に近すぎるのもちょっとなあ、などと逡巡していたところへ、このたびの第6波によって、修学旅行の行先はあえなく県内に変更されたため、なんの障害もなく広島への家族旅行が決行された。日取りは最初、4月の後半あたりで考えていたが、各人の予定であったり、GWとの兼ね合いであったりの理由からだいぶ早まり、4月2日3日となった。ホテルの予約を取る作業をしたのが3月中旬のことだったので、決めてから本番までが本当に早かった。
 でも結果として、これはとてもいい日取りだった。子どもたちが春休み中なので疲労に関して気兼ねをしなくていいし、なにより2日目がファルマンの誕生日である。誕生日に旅行をしているなんて、なかなかやろうと思ってできることではない。
 天候は、1週間前の週間予報では、広島に雨マークがあって戦々恐々としたが、2日前くらいになると掻き消え、心配なくなった。逆のパターンも往々にしてあるが、1週間前の週間予報って本当に意味がないな。目安にさえならない。
 土曜日は朝早くに出発する。張り切るあまり、僕もポルガも早く起きすぎて、ファルマンを怒らせた。愉しみなことがあると、どうしても早く目が覚めてしまう。その点ファルマンはすごい。どんなイベントが待ち受けていようと、「自分は朝が弱いのだ、朝はなるべくなら起きたくないのだ」というスタンスを崩さない。貫いているな、とも思うが、もしかするとこの人はこの世のなんにもそれほど愉しみじゃないのかもしれない、そういう人なのかもしれない、とも思う。
 道のりは、三次までは、岡山との行き来と同じやまなみ街道で、そこからざっくり言うと、右下(南東)に行けば尾道福山岡山方面で、左下(南西)に行けば広島方面である。これまではひたすら右下方面、すなわち尾道線にばかり進んでいたわけだが(それももうだいぶ久しいが)、しかし左下方面が未知の領域かと言うと実は違って、2019年の夏に僕は、義父母と義弟と4人でカープの試合観戦という行為をしており、義父の運転であったが広島へ行くこの道は使ったことがあった。今回運転をしていて、サービスエリアなどを目にし、そのときの記憶がよみがえってきて、トラウマを刺激された。あの日は本当につらかったな。僕の今生の野球観戦が終了した日。あの日の思い出を上書きするために、広島でたくさんいい思い出を作ろうと思った。
 最初の目的地は宮島である。ちなみに僕はこれまで、たぶん4回広島(市街)に来たことがあって、最初は子どもの頃、母と姉と3人で、叔父を訪ねついでに家族旅行、次は中学の修学旅行、そしてその次があの野球観戦で、宮島に関しては、修学旅行では来なかったし、子どもの頃の家族旅行に関しては、来たという記憶だけはあるが、自分が何歳くらいの頃でどんな場所を巡ったのかはさっぱり覚えていないため、行ったことがあるかどうか定かでない。なんなら母に訊ねればいいではないかという話なのだが、この旅行の数日前、向こうから簡素なLINEが来た折に、「こんど広島に行くけれども、そちらの面々は、見てきてほしい場所や買ってきてほしいものなどあるか」と、問いかけたところ、あまりにも見事に既読スルーされたので、もういいやとなった。ちなみにわが家は、僕が生まれる前、まだ姉しかいなかった時代、父の赴任先が広島だったので2年くらい居住していたり、叔父はなんといっても大学時代からおととしくらいまで、40年くらい広島で生活をしていたし、祖母も一時期まで叔父の面倒を見に(なのかなんなのかよく分からないが)1年のうちの何ヶ月かは広島で暮らす、みたいな感じだったので、広島とは実はだいぶ縁深いのだ。そのことを思い、親切心から問いかけてやったのに、本当に見事な既読スルーであった。
 というわけで、初めてなのか2度目なのかは不明だが、宮島である。事前の下調べ通り、宮島口駅近くの駐車場に車を停めて、フェリー乗り場まで歩いた。世界遺産である厳島神社を擁する宮島だが、宮島口駅近くには立派なボートレース場が鎮座していて、わりと殺伐としていた。そこまで長くないこの道中で、歩きたばこのおっさんと、ふたりも擦れ違った。ただでさえ喫煙に厳しいご時世の上にコロナ禍で、近ごろはいよいよ歩きたばこになんて遭遇せずに暮しているので、とてもびっくりした。
 フェリーはふたつの会社が、少し時間をずらして、頻繁に行き来しているようで、待ち時間も混雑もなく、スムーズだった。フェリーは、やはり瀬戸内海の、直島に行ったときと、大久野島に行ったときにも乗って、それ以来で、果たしてそれらはどっちが先でどっちが後だったっけ、と迷ったが、直島が2014年8月大久野島が2017年3月と、迷うのがおかしいくらい時期が離れていた。前者なんて、ピイガがまだ生後7ヶ月ということではないか。なぜ迷ったのか。やはり深層心理で、ピイガのことをずっと1歳児くらいで扱っているからかもしれない。


 まさか柵から体がはみ出されるはずもないのだが、船がかき混ぜる水面がおもしろいのか、真下を覗き込もうとするピイガの様子に、少しヒヤヒヤした。そういえば。いまこうして書いていて思い出した。子どもの頃の記憶で、乗っている船の進行によって泡立つ水面を眺め、母親に「洗剤を使っているの?」と訊ね、「洗剤なんて使うわけないでしょう」と笑われたことがあった。あれってもしかして、もしかしてもしかして、宮島行のフェリーか? じゃあ訊ねろよ、という話なのだが、まあ訊ねない。でもそんな気がしてきた。他に僕が船に乗る機会があったかな、と思うし。
 ちなみに船上は寒かった。地熱がない上に、実際この日はかなり冷え込んだのだ。われわれ3人もわりと肌寒く感じたほどだったので、ファルマンは凍えていた。別にこの旅行の要旨がファルマンのバースデイ接待というわけではないが、起床の不愉快に加えて寒さまで加わり、うっすらと暗雲が立ち込めながら、船は一路宮島へと向かうのだった。
 つづく。