広島旅行2022浅春 ~宮島のログポース~

 唐揚げの匂いに反応したのかなんなのか、鹿たちの食いつきたるや、とんでもなかった。宮島の鹿には食べ物を与えてはならず、鹿せんべいのようなものも販売していなくて、ということはどこかできちんと餌が与えられているはずで、そっちの心配がないからこの鹿たちはこんなにも超然とした面持ちで、悠然と人ごみの中を闊歩しているのだろうと思っていたのだが、お弁当を広げる様子を見せるやいなや、顔は相変わらずの超然顔のまま、わらわらと湧き立つように無数の鹿が姿を現し、われわれ一家の座るベンチを取り囲んだのだった。本当に囲まれたので、囲まれた図というものを写真に撮ることはできなかった。公園内にいた他の人たちが、鹿が群がる様子をおもしろがってスマホを構えていたので、「宮島の鹿に取り囲まれてる一家がいたんだがwww」としてネットにアップされているかもしれない。
 もちろんお弁当はとても食べられるはずもなく、早々に避難する。登ってきたのとは別の口から、傾斜になっている公園を下ってゆくと、要所要所にベンチや東屋が設置されていたので、近くに鹿がいないのを確認して、「ここならいいだろう」と腰を下ろし、お弁当を広げた。すると、ぬ、と、本当に空気中の粒が結合して発生するかのように鹿が音もなく現れ、たまらず退散、ということをさらに2回繰り返した。鹿、がつがつした素振りは一切見せないが、飄飄と執拗だった。飄飄と執拗。これを鹿のキャッチコピーとしよう。
 仕方なく公園での食事はあきらめ、厳島神社に向かって歩いた道に再び出て、海に向かって備えられたベンチを確保し、そこで食べた。ここにも鹿はいたが、なにぶん人が多いので、こちらに殺到してくるということはなかった。自然の中だと鹿が強すぎた。
 腹ごしらえをしたあとは、おみやげを物色する。子どもたちはばあば(義母)から、広島で好きなものを買ってね、という小遣いを受け取っていた。いろいろな店を眺め、ポルガは厳島神社の鳥居の形をしたお守り、ピイガは鹿のかわいらしい置き物を買っていた。僕はなんといってももみじまんじゅうだ。もみじまんじゅう、叔父が出張で横浜の家に来るたびに手みやげで持ってきたので、小学生の頃はよく食べていた。僕があんこに関し、極度のこしあん派であるのは、たぶんもみじまんじゅうの影響だろうと思う。とにかくこしあんのもみじまんじゅうが好きだった。ところがある時期から、もみじまんじゅうの中身にバリエーションが生まれ、叔父はそのアソートセットのようなものを持ってくるようになり、それにはつぶあんだのチョコレートだの、食指が動かないものが多く入り、その分こしあんが少なくなっていたため、忸怩たる思いを抱いた。さらにそのあと、もはやもみじまんじゅうでさえない、桐葉菓というものを持ってくるようになり、いよいよ僕ともみじまんじゅうの縁は遠のいたのだった。しかしながら、とうとう宮島にやってきたのである。懐かしのもみじまんじゅうを、思う存分に自由に買えばいいのだ。というわけで、こしあんだけの時代、叔父がよく持ってきてくれた、やまだ屋で、1個ずつで売っているのを、こしあんを中心に、熟考の末に選んで買った。抹茶や、期間限定の桜もち風というのも買った。


 しかし買って、帰りのフェリーに乗ったあたりで、(あれ、もしかして、桐葉菓がやまだ屋なだけで、俺が子どもの頃にいちばん好きで食べてたメーカーって、にしき堂じゃなかったっけ……)ということが頭をよぎった。やまだ屋のそれが、記憶のそれとパッケージがぜんぜん違うのは分かっていたが、しかしそれは時代によるものだろうと解釈していた。しかし思えば思うほど、やまだ屋じゃなくてにしき堂のような気がしてくるのだった。そのあとインターネットでちゃんと調べたところ、やまだ屋でもにしき堂でもなく、藤い屋だった。なんじゃそりゃ。もっとちゃんと下調べしてから臨めばよかったな。とはいえやまだ屋のももちろんおいしかったし、別に藤い屋の味を覚えているわけでもない。というか、たぶんほとんどのもみじまんじゅう、そう味に違いはない。そもそも味にそうそう違いの出るような菓子ではない。
 まあそんな宮島探訪であった。とにかく鹿がおもしろい島だった。うさぎの大久野島、鹿の宮島と、広島の島はキャラが立ってるな。ワンピースみたいだな、と思う。
 つづく。