夏と家族

 8月に入ったところで、兵庫住まいのファルマンの上の妹たちが実家に帰省してきた。妹たち、というのは、妹と、その長女(7歳)と、その次女(0歳)の3人である。同じくこちらの出身である夫とともに一家でやってきて、夫はその週末だけをこちらで過し、今はまたひとり兵庫にいる。またお盆あたりに、本人の帰省と家族の回収を兼ねてやってくるという算段だ。
 実家に行けばいとこがいるということで、わが家の妻と娘たちもまた、このところは実家によく行っているようだ。なにぶん時間を持て余しがちな夏休みなので、子ども同士、いとこ同士で時間を潰してくれるのなら万々歳だろう。実際どの程度うまくいっているのかはあずかり知らないけれど。
 3年ぶりの行動制限のない夏といいつつ、スカッとした気持ちで出掛けるには、新型コロナの話題はいまだ生々しいし、なによりも暑さで十分に行動は制限されていると思う。熱中症警戒アラートなどといって、不要な外出は避けるよう呼びかけられている。我々は3年前から、なるべく出掛けないよう呼びかけられ続けている気がする。
 そもそも乳児がいては、レジャー施設になどなかなか繰り出せるものではないし、なにより乳幼児用のチャイルドシートを車から降ろし忘れるというミスをしたのだそうで、道交法的に出掛けることができないという状況らしい。ちなみに少し前まで実家の物置に投げられていた、わが家でお役御免となったチャイルドシートは、昨今たびたび発起され実行される断捨離活動によって、あえなく処分されたそうだ。そのくらい、次女のところはひとりっ子で打ち止めだと、誰もが思っていた。
 先週末、4月末に生まれたばかりのその姪に、僕も初対面を果たした。生後3ヶ月の赤ん坊は、ああこんなんだったか、ピイガなんていまだに乳幼児みたいな感覚があったけれど、やはりリアル乳児の小ささというのは半端ないな、ということを思った。まだ人見知りも出ないような月齢ではあるが、わりと愛想のいい子なんじゃないかという評があり、僕が抱っこしたときも平然としていて、あやすように揺らしてやると微笑みさえしたので、感動した。「俺の抱っこによって、生まれて初めて笑った?」と妹に訊ねたら、「ううん、そんなことない」と即答された。
 まだ分かったものではないが、人当たりがよさそうな次女に対し、長女の人見知りは相変わらずで、僕はもちろん、ファルマンも、さらには祖母である義母にさえ、7歳の長女はあまり心を開かないらしい。次女を抱っこし、用が済んだので帰ろうというとき、(赤ん坊である妹にばかりかまけて上の子を無視する形になってはいけないな)と考え、あえて「〇〇ちゃん、じゃあね、またね」と声を掛けたら、一瞬びくりと反応したあと、義理の伯父に声を掛けられたことなどなかったこととしてやり過ごそうと判断したのか、完全に無視された。こうでなければ、子どもら3人でどこかへ連れ出してやるなんて案も出てくるのだが、長女は母親と離れようとしないし、母親には乳児がいて、そしてチャイルドシートがないので、やはり外出は詰んでいる。まあ重ねて言うが、暑さ的にも詰んでいるのだけど。
 こんな暑い盛りにしたっけか、と毎年けっこう驚くのだが、8月8日は結婚記念日だった。080808の並びを意識したため、この日付になったのだ。そういう、便乗というか、そういうの、ダサいよ、などと感じていた時期もあったような気がするが、こうして年月を重ねてみると、記憶のしやすさというただ一点において、とても素晴らしい日付であるとしみじみと思う。今年で14年。ファルマンのスマホのgoogleの機能で、データ内にあるその日付の歴代の写真がアーカイブとして表示される、というのがあり、5年前だとか、2年前だとか、子どもたちが幼児だったころの写真などが出てきて、よく愉しく眺めるのだが、この日のいちばん古い画像は、14年前、2008年8月8日の、婚姻届を提出したあと練馬区役所の前で撮影したツーショット写真であった。練馬区役所前で、ポルガ前で、震災前で、ピイガ前で、新型コロナ前だ。遠い。なんという遠さだろう。クラクラする。当日はケーキを買って帰り、みんなで食べた。直接関係ない子どもたちが、切り分けたケーキの大きいカットを求めてせめぎあいする様が、愛しいと思ったので、なにはともあれいい14年だったのだろうと思った。
 明日から僕も夏休みに入る。けっこう長い。丸1週間ある。さすがにどこかへ出掛けたい、高速道路とか使うような、そういうお出掛けをしたい、と思うが、公園が選択肢に入れられないので、いまだなにも当てが見つかっていない。さてどうしよう。