実は今年の夏、僕とファルマンが使っている部屋のエアコンが、音を上げていた。
それは故障した、ではなく、あくまで音を上げた、という感じで、基本的には動くのである。そして動くときは、涼しい空気を出してくれるのである。しかし西向きに窓があり、室外機もまた西向きに設置されているわれわれの部屋のエアコンは、たぶん一日でいちばん温度が高まった状態になるのだろう、14時半から17時半くらいの時間帯、異常を知らせる赤色点滅を表示し、稼働を止めるのだった。それはまさに「もう無理!」とギブアップしている感じで、見方によってはなかなか親しみを感じる人間性であると言えた。
とは言え室内で過す人間には堪ったものではない。僕がその時間帯に部屋にいるのは週末だけなのでそこまで問題ではないが、なにしろファルマンである。家からはもちろん、部屋からも極限まで出ないことで知られるファルマンだ。すぐに「これはまずい」ということになり、最低限の仕事道具一式を持ち出して、ピイガの部屋へと避難した。もちろん修理の依頼は試みたのだが、時期が時期だけに、だいぶ先になるという返事だったそうである。
そんなわけでこの夏、ファルマンはずっとピイガの部屋で仕事をしていた。ピイガというのは甘えん坊なので、もちろんそれを拒むはずもなく、むしろ喜んでいた。なんなら寝るのもこの部屋ですればいいのになどと、末っ子らしい、いじましいことまで言うのだった。
そんなふうにして夏が過ぎ、9月に入って、暑さもまだまだ継続しつつ、しかしさすがにピークは過ぎたようで、そのことをどこでいちばん強く感じるかと言えば、われわれの部屋のエアコンが例の時間帯にも音を上げなくなった、という点によってであり、とりあえずなんとか今年の夏は乗り切ったのだった。エアコンの修理は、先日いまさら「行けますよ」という連絡が来たのだが、真夏のあの時間帯以外は普通に動くのだし、まあ様子を見るか、ということでお断りした。
それで、じゃあぼちぼちファルマンもこっちの部屋に戻ってくるのかな、と思いきや、ピイガは「戻らないでほしい」と望むし、ファルマン的にもリビングに近いピイガの部屋のほうが仕事をするにあたって都合がいいなどという事情があるようで、エアコンの気絶がきっかけの期間限定の避難のはずだったが、いっそピイガの部屋の一角を正式な仕事場ということにする、ということになり、この1ヶ月あまりで物置と化していたデスクなど、本格的にごっそりと移動することになった。そしてそうなると、その分のスペースが当然ながら空くので、こちらの部屋でも模様替えが発生することとなり、今週末はこの作業に勤しんだ。
結果としては、これまでファルマンと共有だった部屋が、僕だけのものになった形で、とても寂しい。ああ寂しい。本当に寂しい。でも寂しさにばかり目を向けていてもしょうがないので、ミシンやパソコンなどをのびのび、すげえ機能的な感じに配置し、なるべく部屋が快適になるようにした。これまで週末、ファルマンに仕事があるとき、せっかくの休日なのにミシンができない、などという事態がままあったが、今後はそんな問題からも解放される。なんだか寂しい。心にぽっかりと穴が開いたようだ。
ちなみに、冗談めかして述べているが、ファルマンが自分の身の回りのものをどんどん部屋から持ち出していくさまは、ある日ごっそりと父のものが家からなくなっていたという経験を持つ母子家庭出身者からすると、微妙にトラウマが刺激される部分があった、ということはここに明記しておく。それだのに気丈に、寂しさのことをわざとおちゃらけて表現するところに、僕の尊さがあるとしみじみ思う。
もちろん夫婦の寝室としての機能は継続している。仕事はあっち、寝るのはこっちと、ファルマンの部屋はふたつに跨ったのである。これもある種のノマドワーカーか。「ピイガが思春期になって部屋から追い出されたら戻ってくるけん」とファルマンは言う。果たしてそんな日は来るだろうか。ピイガに限ってそんなことにはならないような気がする。いや、寂しいからいつでもこっちはウェルカムだけどもね。