王ロバ

 王様の耳はロバの耳的なことを、これからいいたい。
 非公開モードや、裏アカウント、鍵アカウントでつぶやくことだってできるだろう。でもそれだと僕の心が充足しない。世の中に向けて、叫びたいのだ。叫ばずにはおれないのだ。しかしその内容は不穏である。本当はあまり口にしないほうがいい。そんなことは判っている。ただでさえ糾弾されやすい世の中である。心の内にしまっておけるものは、なるべくしまっておいたほうがいいに決まっている。でもそれが無理だから、こうして書こうとしている。
 裏アカウントだの鍵アカウントだのといったが、僕の場合、堂々と「papapokke」名義でやっているツイッターが、そんな設定ではないというのに、ごく限られた人の目にしか届かないという意味で、立派にその要件を満たしているともいえる。ビクビクするのは自意識過剰というもので、有名人ならばいえないようなことも、有名税ゼロの気楽さから、いくらでもいえばいいのだという気もする。しかし炎上などという派手な現象にならないにせよ、たったひとりの誰かの気に障り、その人に責められないとも限らない。つながることが主目的のツイッターでは、どうしたってその恐怖が拭いきれない。
 その点、ブログならば安心だ。だってブログだ。ブログ! 誰が読むねん! いま、ブログ、本当に誰も読まない。読むはずがない。だってブログだ。ブログて! ブログにしたって画像とかがあればまだしも、文字だけのブログなんて、本当に誰も読まない。僕も読まない。誰も読まないのに、書き手だけがむやみに存在している。そういう意味でいえば、ブログとはもはや純文学と同等の存在になりつつあるのかもしれない。
 だから、ここならば叫べる。誰も読まないにせよ、一応はワールドワイドウェブに開かれている。そのため王様の耳はロバの耳、ということを叫ぶのに、これが最も適したツールであると思う。
 前置きが長くなった。
 papapokkeのツイッターは、minneと繋げているため、別にそちらに仲間がいるわけでもないのだが、そういう意味でもいえないこと。とてもセンシティブで、光浦靖子とか、ヒルナンデスとか、実際に最近ちょっと取り沙汰されたりもするようなこと。
 すなわち――レジンを使った、中に絵具とかキラキラしたものとかを混ぜて固めた、ピアスだのヘアピンだのの小物雑貨って、あんなもんめっちゃ簡単にそれっぽく作れるだろ、ということだ。
 これは本当に大きな声でいったらダメなことで、あの人たちはこれをいわれるとすごく怒る。「型に流し込むだけじゃないんです!」「ハンドメイドをしたことがない人には分からない!」「哀しい!」などとすごく怒る。
 しかしどう好意的に見ても、やはりああいった創作物というのは、布雑貨よりも絶対に簡単に作れるのだと思う。布雑貨では絶対に出品できないような数を、あの陣営は繰り出す。それはつまり、けっこう作るのが簡単だってことだろう。思うに、設備さえ整えれば、ひとつひとつの作業時間は短いというか、けっこうざっくばらんな感じで、まとまった数を一気に作業することができるんだと思う。
 それで、別にその業界が盛り上がってなければ僕だってこんなことをわざわざいったりしないのだが、どうもminneを眺めたり、世の中のハンドメイドマーケット的なものを俯瞰するだに、レジン固めた系の小物雑貨というのは、ハンドメイド市場においてかなり活況なようで、それが悔しいがために、こうして恨み節を記している。
 なにぶん、女はキラキラしたものが好きだ。キラキラしていれば食いつく。レジン創作に対する理解のなさに加え、いま最もやったらいけない類の、「女って生きものは~」論調まで繰り出してしまったが、レジンのハンドメイド作品の、作る人と買う人の様を見、そしてまるで売れない自分のオリジナルキャラクター柄トートバッグの様を見るにつけ、どんどん気持ちは依怙地になる。
 その依怙地の発露として、このような記事を吐き出すこととなったわけだが、ここに僕の本音はひとつもなく、とっても悪い組織に命令されて仕方なくキーボードをブラインドタッチしたのだ、ということも、悪い組織の人たちが顔のすぐ近くで構えるピストルの恐怖に怯えながらも、せめてもの矜持として記しておく。
 いつかレジンを使った作品に挑戦してみようかと思います。

東京オリンピックがあった夏

 梅雨明け以来、ずっと晴れが続き、あまりにも暑い夏を過していた。 帰宅後のビールが異様に美味く、毎晩ぽーっとなるほどだった。強い渇望で飲む、異様に美味しいビールって、もう液体の範疇を越えていて、液体には溶け切らない量のなんかしらの成分が横溢しているために、もう若干固体のようだと思った。あるいはビールの味の評価として、喉越しということがよく言われるが、考えてみたら単なる液体であれば、喉越しがどうこうなるはずがなく、喉越しを作り出すのは、飲み手側の喉なのかもしれないとも思った。
 約1ヶ月間、日記を書かずにいた。あれよあれよという間に、1ヶ月が経っていた。
 このあれよあれよ中に、東京オリンピックがあった。相変わらずの新型コロナで、開催については直前、もとい開催中もずっと、果たしてどうなのかという意見が噴出していて、結果的にオリンピックを理由にした7月の4連休のせいで感染が爆発したりしているので、どうもこうもなく、感染状況的にはやらないほうが絶対的によかったんだろうが、でももうこれはしょうがなかったんだろうな、とも思う。別に政治家のことを擁護するわけでもないが、もうこれ以上オリンピックのことでぐじゃぐじゃしてても仕方ないので、そこからすべての日本人が解放されるためには、延期はもちろんのこと、中止でもしばらく火はくすぶり続けるので、「やってしまう」のが最適解だったんじゃないかと思う。むりやり潰さないほうがいいことは判っているが、それでも潰さないわけにはいかないニキビのように、オリンピックは早々に済ませてしまうしかなかった。感動もなにもない。単なる処理だ。
 感染は爆発したが、オリンピックが済んだ今(まだパラリンピックは残っているが、パラリンピックはオリンピックよりはるかに規模が小さいのだから、オリンピックをやった以上、開催の賛否などと意地悪なことに言及せず、粛々と行なえばいいと思う)、我々が憂うべき問題は感染の爆発だけになった、ともいえる。これまで我々は、他の国々と異なり、新型コロナウイルスとオリンピックの開催という、ふたつの悩みに同時に苛まれていた。思えばなんとつらい境遇であったか。それがオリンピックを済ませたことで片方の悩みがなくなり、ようやく人並みの状況に身を置けた。これからは、新型コロナウイルスのことでだけ悩めばいいのだ。オリンピックという重たい道着を脱いだことで、ようやくピッコロとまともに闘える。
 我々、だの、闘える、だのと書いたが、もちろんそんな全体主義的な志向があるわけではない。むしろその逆で、この日記を書かなかった1ヶ月は、それでも一応毎日、Twitterに漫画イラストを投稿していたのだが、思った以上に内省的な、自己について見つめ直す機会となったこの試みによって、僕は本当に誰とも仲良くなれなそうな人間だな、ということをしみじみと痛感することとなった。愉しそうであったり、盛り上がっていたり、好きなことに熱中したりしている人が、どうも僕は好きではないようで、そんなのあまりにも最低な人格だろうと冷静に考えたら思うのだけど、逆に、どういう思考回路をもってすれば、たとえば直近の例でいうならオリンピック選手とかになるのだけど、そういう人たちを応援することで自分たちも喜べる、みたいなことになれるのだろう。僕ももう37歳なので、大勢と異なることを誇る気持ちなんてとっくに摩耗している。そんなことを誇っても、現実世界でいいことなんてひとつもないと、既に知っている。それでも考え方は変えようがない。
 感情をなるべく消したい。他人のそれも見たくないし、自分も出したくない。たまたま同時代に居合わせた、同じ科の生きもの程度の、弱い結びつきだろう。そんなものをさらけ出せるほど、深い関係ではない。
 1ヶ月も日記を書かないでいると、調子が戻らない。今後はもう少し間を空けずに書く。

嵐とサウナとイカ

 夜中に嵐の音で目が覚めた。山陰を中心に線状降水帯的なものが発生したのだった。起きてニュースを見たら県内どころか市内においてかなりの被害状況で、わあとなったが、家の周りはとりあえず大丈夫だったし、子どもたちの小学校も休校などの連絡はまるで寄越さないので、なんとなくそんなものかと思った。そもそも山陰の人々は、「夜半の大嵐」というものに、慣れきってしまっているところがある。他の土地の人間ならば、「この世の終わりか?」と思ってしまうような轟音も家の揺れも、冬であれば日常茶飯事だ。だからこれは正常性バイアスのように見えて、山陽のそれとはまた別の、いわば諦観性バイアスみたいな作用なのかもしれないな、と思った。
 今日は労働が休みだった。休みになった、というわけではなく、もともとの休みだったわけで、僥倖、と思った。まだまだ不穏な気候情況とか、あるいは嵐の後片付けとか、そういうことを思えば、本日が休みであったことの、なんとラッキーなことか。やっぱりこういうときに、普段の行ないの良さというか、自分のことは二の次三の次にして、他人がどうすれば幸せになれるのかということばかり考えているから、こういうときに厄介事から回避できるのだよな、神様は見てごじゃるのだよな、としみじみと思った。
 しみじみと思ったので、さらなる幸福を堪能するべく、サウナへと繰り出した。不穏な気候情況などといいつつサウナ。なるほどこれが、災害が起こっているのにゴルフを続行する政治家の気持ちか、と思う。もっとも僕は政治家ではないので、なんの誹りを受ける謂れもない。ここ最近の日々で疲労が蓄積していたため、今日はサウナに行くのだということはあらかじめ心に固く決めていたのだ。
 行き先について、四季荘、ゆらり、湯ったり館と悩んだが(もっとも湯ったり館は水曜日が定休であるのに加え、雲南市にも避難指示が出ていたため、さすがに行くわけにはいかなかった)、「しっとりつるつる北山温泉」というのが、奇数日は男性がサウナの日だという情報を得て、じゃあ初めてのそこに行ってみるか、となった。そしてサウナが主目的なのはもちろんだが、肉体の内外両面のダメージのことを思えば、温泉の効用にも期待をしたかった。そのため「しっとりつるつる」を謳う、まるで化粧水のようなぬるぬるの泉質だというそれに魅力を感じたのだった。
 行った結果の感想としては、全体的にこじんまりとしていて、露天風呂も小さく、外気浴向けのスペースも意識されている様子はなく、微妙といえば微妙だった。ただし今日は前回の松江に較べ、なんてったって条件がよかった。雨交じりの風が吹けばほのかに涼しいというくらいの気候で過ごしやすかったし、僕自身も「癒されるんじゃい!」という強い意欲があったため、快楽の享受に前のめりだった。そのため、まあまあ心地好い時間を過すことができた。ぬるぬるという点については、泉質がアルカリ性ということで、前に化学工場に勤めたときに体験したけれど、アルカリ性のものってたんぱく質を溶かすので、指で触ると指の表面が溶けて、それでぬるぬるするわけで、つまりアルカリ性の泉質でつるつるって、皮膚が溶けてるだけのことなんじゃねえの、ということを、お湯に浸かってから思ったけど、まあ深くは考えまい、ぬるぬるの化粧水のようなお湯でお肌つるつるですよ、そうですよ、プラシーボですよ、こんなこと考えてる時点でぜんぜんプラシーボ効果ないですよ、などと心の中でひとりごちた。
 帰りにスーパーに寄り、最近スーパーでは近海で獲れたイカが多く並んでいて、「刺身用」などというシールが貼られていて、こんなん刺身で食べたらめっちゃうまいんだろうなあ、でもイカって捌いたことないんだよなあ、でも今度の休みの日に一念発起してやってみようかな、イカの刺身めっちゃ食べたいな、と切望していたイカを、買う気満々だったのだが、本当に近海で夜に獲ったものが数時間後に地元のスーパーに並んでいたんだな、ということを実感させる出来事として、昨晩の大嵐で船が出ているはずもなく、イカの姿は売り場に一切なくて、涙を飲んだ。そして夕飯はお好み焼きになった。

父の日とフリードとトートバッグの再出品

 父の日だが労働だった。出勤前、今日が父の日であるということは意識していなかった。前日に意識していたら、夕飯の席などで、娘たちに「明日は何の日だったっけなー」みたいな発破を、かけずにはおれない性格なので、かけていただろう。しかし出勤してからそのことを意識し始めたため、もしかしたら今日が父の日であるということは、わが家において完全にスルーされるのではないか、という危惧を抱いた。おそるおそる帰宅したら、リビングの壁にこんなものが貼り付けられていた。


 ピイガの手によるものだという。嬉しい。嬉しいが、似顔絵、と思う。最初これが僕の似顔絵だとはどうしても思えず、もしやこの家には、僕の不在時に現れる別のパパが存在するのではないかとさえ思った。だって、僕はこれまでの人生で、顔を四角く表現されたことはいちどもないのだ。どこまでも丸顔なのだ。輪郭はもちろんのこと、これでは髪だって角刈りじゃないか。どちらかといえばマッシュ的な髪型を、僕は人生の大半でしている。それだのになぜだ。なぜこんなに現実を歪曲して、上も下も四角く表したのか。本当に不可解だ。あまりにも衝撃的だったので、わざわざこうして写真に撮ってブログに残すことにした。
 この壁の装飾のほか、手作りのみかんゼリーが用意されていた。みかんジュースと、果肉と、ゼラチンで構成された、みかんゼリーであった。そんな父の日。
 日中に、オリジナル生地作成の会社から、再び発注したヒットくん柄の生地が届いていたので、夜はそれの裁断作業をした。最初に作った3点があっという間になくなってしまったので、再販するのである。反応がいいと作りがいがあるなあと思った。
 翌日の今日は、休日で、そしてフリードの納車日なのだった。受け取りは昼前だったのだが、ファルマンとふたりで車を引き取りに行くにあたり、その帰りは、僕がフリードに乗って帰るわけで、ファルマンはひとりでMRワゴンを運転しなければならず、なにぶん保険の開始日を本日からにしていたため、これまでファルマンはMRワゴンを一度も運転したことがなく、それはあまりにも危ないだろうということで、引き取りの時間まで運転の練習目的のドライブをすることにした。僕は、誰かの運転するMRワゴンの助手席に乗ったのが初めてだったので、なんだか新鮮な気持ちだった。ファルマンの運転は、保険の運転者登録が無制限の義母の車で既に体験はしていたのだが、相変わらず実に初々しい、こわばった、肩の凝りそうな運転で、緊張感がみなぎっていた。その運転でガソリンスタンドや手芸屋に行き、なんとかある程度慣らす。
 そのままディーラーに赴き、納車はつつがなく終了した。最後に、そのとき店にいた社員の方々と向き合い、自己紹介のような、今後ともよろしく的な、セレモニーなのかなんなのか分からない、素人の内気な日本人しかいないのにこういう場を持とうとするとこういうことになる、みたいな不思議な時間もあったが、無事に済んでよかった。無事といえば、こうして当日にブログを書いていることからも察せられるように、ディーラーから自宅まで、ファルマンの初めてのひとり運転も、問題なく完遂されたのだった。よかったよかった。
 帰宅後は新車の世話をいそいそと、ということはなく、トートバッグ作りに邁進する。やがて子どもたちが帰ってきたので、家族で新車でお出掛けということをする。出雲大社という案もあったが、必要なものがあったのでショッピングセンターに行くことにした。途中でガソリンスタンドにも寄り、ガソリンを入れる。これまで3000円ほどだったのが、満タンにするのに5000円ほども掛かった。これが普通車か。道中でファルマンにブルートゥースの設定などをしてもらい、スマホの中の音楽が車で掛かるようになった。ハイテクだな。ただし掛かった曲は相変わらず「木綿のハンカチーフ」とかなのだけど。ショッピングセンターでは、子どもたちの買い物のほか、車用のゴミ箱なんかを買った。
 その帰りに、実家にも立ち寄る。ファルマンの免許の取得や、新車の購入に関して、かなりの世話になったので、新車であいさつをしにいかないわけにはいかない。なにぶん6人乗りの3列シートなので、義両親も乗せて、6人で近所をひと回りする。3列シートで、中はだいぶ悠々としているのに、外観はそこまで大掛かりじゃなく、やっぱり「ちょうどいい」なあと思う。どうしてもこのフレーズが口からついて出る。義父からは洗車についていろいろ言われた。まあMRワゴンよりは、新車ということもあるし、僕としても大事に扱いたい気持ちがやぶさかではないのだが、とは言え義父の求めている熱情とはだいぶ温度差がありそうだな、と思う。それなりの頻度での洗車機利用で、なんとか煙に巻きたいと思う。手洗いもなあ、やったら気持ちいい気もするのだけど、どうしてもイメージがなあ。「休みの日に洗車をする」という、その行為がなあ、と思う。
 帰宅後は夕飯をちゃちゃっと食べて、そしてトートバッグを完成させる。4つ作り、そのうちのひとつは自宅用。販売ページの写真にあまり満足いっていないのと、やはりインスタグラムへの色気があり、外出の際ファルマンにバッグを持ってもらって、映えるポイントで写真を撮ろうという魂胆があり、そのためひとつは売らないことにした。というわけで再出品の数は、わずか3点となっている。少ない! 需要に対して、あまりにも供給が少ない! なめてんのか! こんなの、またあっという間に売り切れるに決まってるじゃないか! 買いたい人は、本当に急ぐしかないじゃないか! もう、しょうがないなあ! 急いでください!

ファルマンの免許取得と、その送迎のために過した松江の半日

 ファルマンの自動車教習所は、先日無事に修了したのだった。通い始めたのが4月の下旬なので、1ヶ月半ほどで卒業したこととなる。その事実だけ取れば「順調」という言葉を使いたくもなるが、果たしてそうだろうか。期間が短かったのは、平日に3時間も4時間も、怒涛の勢いで講習を受けたからだし、実地でいちども再講習がなかったのは、どうも本人からの報告を伝え聞くに、「他の地域で免許が取れなかった人は島根に行け」という、まことしやかな逸話が指し示す、島根(スサノオ)マジックがあったのではないかと思う。実際、卒業試験でウインカーを逆に出すという、先生この人とうとう右と左の区別が身につきませんでしたよ、こんな人を外の世界に放り出してしまっていいんですか、と問い詰めたくなる事例があったようだが、それでも合格だったのだ。もっとも交通ルールなんてものは、右に曲がるときに左のウインカーを出すというのは論外だとしても、流動的な部分が多くあり、そういうのは現実世界の道路で学んでいくしかないので、まあそんなもんか、とも思う。
 それで、僕の仕事が休みだった今日、ファルマンを県の免許センターまで送るということをした。第1次島根移住の際には免許の更新がなかったので、島根県のその施設に行くのは初めてで、神奈川でも岡山でもそうであったように、やはりそれは辺鄙な場所にあった。日本で唯一県庁所在地に原発のある島根県なのだから、免許センターくらいもっと便利な場所にあってもいいのではないかとも思ったが、よく考えてみたら、宍道湖の北側のほとりの真ん中らへんというのは、松江市の人にとっても出雲市の人にとっても、同じくらい不便で便利な、とても配慮された場所なのかもしれなかった。
 学科試験から、それに合格したら受ける講習、そして免許証の交付まで、朝から15時ごろまでの一日コースということで、子どもたちが学校に向けて出発するのを見送ったあと、すぐにわれわれも出掛ける。朝ごはんは途中のコンビニで買い、車内で食べた。夫婦でのこんなお出掛けなんて、すさまじく久しぶりか、あるいは初めてのような気がする。免許センターに自分の車で行けないのは、極度のペーパードライバーというパターンはあるにせよ、理屈的には免許取得のときだけだし、なによりこれよりファルマンは免許を持つのだから、こんなふうな送迎なんて今後はしなくなるのだな、ということを思った。
 8時半から9時半までに着けばいい免許センターへ、9時にファルマンを降ろしたあとは、迎えの15時まで自由時間で、この間をどう過すか、ここ数日は思いを巡らせていた。いちど家に帰るという選択肢もないことはなかったが、家から免許センターまでは小一時間かかるので、2往復するのには抵抗感があったし、なにより住所的にはここはもう松江市で、市街地までも20分弱という位置なので、それじゃあまあ松江で過すだろう、という結論に至っていた。
 はじめに浮かんだのはやはりサウナで、免許センターからの近さで検索したところ、「鹿島 多久の湯」というのが見つかり、それはまさに原子力発電所のほう、免許センターから北、すなわち日本海側に車で15分ほど進んだところにあって、なかなか評判もよさそうだし、なにより妻の免許取得のために6時間ほど待機時間があるような状況でなければ、なかなか行くことはないだろう位置のため、これは千載一遇のチャンスだと思った。それで、いやあいいスポットがあったもんだと安心していたのだが、おとといの晩になり、しかし9時にファルマンを降ろしたあと、15分後にそこへ行ってもまだ開いていないんじゃないか、10時とか、10時半からなんじゃないか、と不安になって改めてホームページを確認したら、開館時間どころの話ではなく木曜日は休館という表記を見つけ、行く前に気づいたのはなによりだったが、一気に6時間の過し方計画が暗礁に乗り上げてしまった。仕方ないので、平田のほうに戻って「ゆらり」(宍道湖の左上らへん)か、あるいは斐川のほうへ回って「四季荘」(宍道湖の左下らへん)か、とも思ったが、どうも来た道を戻るのもなあ、と気が進まないでいたところへ、今回の送迎をどこか申し訳なく思っているらしいファルマンから、玉造温泉はどうかという提案を受ける。見ると「ゆ~ゆ」という気の抜けた名称の施設に、サウナがあるようだ。位置は宍道湖の右下らへん。玉造温泉という名前はよく耳にするし、じゃあまあせっかくの機会だからそこへ行っときますか、という結論に至った。免許センターからは車で20分あまり。
 とはいえ、「ゆ~ゆ」の開館は10時からだし、サウナで5時間過せるはずもないので、まずは9時から開いている施設として、松江の中心部を少し通り過ぎて、松江イオンショッピングセンターへと立ち寄る。近くて遠い松江の街は、たぶんピイガの七五三の、写真撮影の時以来だ。いつかと確認したら、2017年11月のこと。時の流れってちょっと早すぎないか。イオン松江にはなんの用件があったかといえば、手芸の資材を買いたかった。噂では「手芸の丸十」が、かつてあったショッピングセンターからこちらに移ったとのことだったのだけど、店内の地図を見ても見つからなかったし、そもそも専門店は10時にならないと開かないだろうと思いあきらめ、イオンの運営するパンドラハウスで購入した。本当にパンドラハウスもあるのに「手芸の丸十」が移転したのだろうか。ちなみに前回、かつて松江にあったショッピングセンター内の「手芸の丸十」に行ったのは、確認したところ2013年8月のことだった。読むと、胎の中のピイガのためにダブルガーゼなどを買っている。そしてこのときのダブルガーゼの余り布が、2020年に布マスクとして活用される……。松江は斯様に滅多に来ないので、わざわざ来た日のことが、定点のように刻まれるものだな。そう考えると、ファルマンの免許のために僕が5時間あまり松江でひとりで過した今日のことも、いつか「松江のあの日」として思い出されるのかもしれない。そんな感慨もあり、まだ途中だが、僕は今日のことをこうして精細に書き記そうとしているのかもしれない。
 買い物を終えて、そこから「ゆ~ゆ」に向かえば、開館の10時にはちょうどいいくらいの時間にはなったが、とはいえ10時からサウナに入り、どんなにがんばったって正午までいられるとも思えず、そのあとの時間をどうするという問題は解決していない。そこで、うすうす目論んでいたことだが、ひとりカラオケをすることにした。先日すでにひとりカラオケバージンは喪失していたため、なじみのない街でも気軽にそんなことができるようになった。それでスマートフォンで近くの店を検索したところ、さすがは県庁所在地の市街地、本当にすぐ近くにあった。受付を済ませて案内された部屋は、これもまたさすがは県庁所在地の市街地というべきなのか、かなり狭かった。ひとりなのでなんの問題もなかったが、久しぶりにこういう狭い部屋を見た。あと片側の壁が思いっきり道路に面した窓になっていて、これがすりガラスでもなんでもないので、入室してすぐに「わあっ」と慌ててロールカーテンを降ろしたのだけど、そのあと、それも自意識過剰だな、と思い直し、再び上げて、外光を浴びながら唄うことにした。2階だったので、外の道路を行き交う車や人は、現実的な大きさで目に入ったが、あっちはこちらのことなんか見ていないし、当人の僕は少し意識せずにはいられないけど、それを抱えながら唄うのもまた愉しいかもしれないと思った。これが、どこかのなにかのように、マジックミラーだったらもっとおもしろいのになー、などとも思った。唄ったのは前のひとりカラオケと同じ1時間半。夏が近づいているからか、桜田淳子や伊藤咲子など、阿久悠のアイドルソングなどを多く唄った。意図したわけではなかったが、そこらへんの歌のカラオケビデオには、やけに水着の女の子が登場し、幸福な気持ちになった。それを眺めていて、「あれ? たしかカラオケビデオに、グラビアとかが表示されるエロ機能ってあったんじゃなかったっけ?」ということを思い出し、家族と来ていたら絶対に使えないその機能は、ひとりカラオケの今こそ使うべきじゃないかと考え、リモコンの項目をあちこち探してみたが、そのような表示を見つけることはできず、あきらめた。いま調べてみたところ、そのような機能があるのはJOY SOUNDで、今日僕が使ったDAMにはないようである。今度のひとりカラオケはぜひJOY SOUNDにしようと思った。最後にカーペンターズの「Top of the world」で締めた。
 カラオケを終えて、時刻は11時半過ぎ。いよいよいい時間になってきたので、宍道湖の右横のところをぐるりと回り、玉造温泉を目指す。しかしサウナに入る前に昼ごはんを済ませておくべきだよなー、どうしようかなー、と思いを馳せていたところへ、ちょうど「はま寿司」の表示を見かけたので、渡りに船とばかりに入店する。そしてパッパッパと5皿ほど食べ、すぐに退店した。湯に浸かりに行く前に軽くつまむ。なんと江戸っ子な寿司屋の使い方だろうか。粋か。それにしたってひとりというものの身軽なこと。
 そして満を持しての玉造温泉。先日の「四季荘」と一緒で、「ゆ~ゆ」はそのうちの施設のひとつで、一帯が温泉街になっていて、ホテルや旅館がいくつも立ち並んでいた。予想外だったのは、「ゆ~ゆ」の浴場がビルの5階にあったことだ。世の中、実際に行ってみないと分からないこと、知れないことが多いな、としみじみ思う。実体験は軽々と想像を超える。あるいは、想像は現実よりもあまりに脆弱なのかもしれない。それで入浴の感想はどうだったかといえば、そもそも今日ここへ来たのは「鹿島 多久の湯」の代替だし、水風呂がないという情報も前もって知っていたが、それにしたって少し残念だった。もっとも施設そのものの魅力の乏しさもさることながら、今日はあまりにも暑すぎたのだ。水風呂がないのは、僕は水風呂よりも外気浴に価値を置くタイプなので別に構わないのだが、ビルの5階というのも悪いほうに作用したか、あまりの熱射にとてもリラックスどころではなく、サウナを出て、冷たくしたシャワーを浴びて、外に出るのだが、外もまたサウナのごとく、じりじりと汗が噴き出るようなありさまで、浴場内にいる間、ただひたすらに暑さにうだっていた。陽射しも暑く、湯も熱く、座ったり寝そべったりできる地面も熱い。考えてみたら、入っていたのがちょうど0時台だったこともあり、日陰もぜんぜんなかった。だからもう、ただ暑かった。普段の労働で、外での作業や、熱の近くの作業のとき、つらいなあ、体力が奪われるなあ、などと感じるのに、なぜ俺はいま休日に金を払ってそれをしているのか、というサウナに対する根源的な疑問まで生じた。要するに、もうサウナはオフシーズンに入ったのだと思う。外気浴で、少しひんやりした風が、陰嚢とかを撫ぜるのがサウナの醍醐味だろう。日が落ちたあとならば話は違うのかもしれないが、近ごろの僕はもっぱら平日の昼間サウナ―なので、暑い間は行くべきじゃないようだ。そのことを思い知った「ゆ~ゆ」だった。
 サウナを終えたあとは免許センターへ、かと思いきや、実はあともう1ヶ所、目的地があった。この目的地があるからこそ、「四季荘」とかに行くわけにはいかなかったのだともいえる。それは宍道湖の右のあたりにある、ディオというスーパーである。大黒天物産という会社が運営するディオは、岡山発のディスカウントスーパーで、ディオ、ラ・ムー、チャチャ、名称はなんでもいいのだが、とにかく倉敷時代にはたびたび利用していた。中には安すぎておそろしい商品もあるのだが、ディオにしかない魅力的な商品というのもわりとあり、ところが近所には系列店がないため、倉敷から持ってきたそういうものが、この半年ほどで枯渇しはじめ、もの哀しく感じていた。そんなディオが、松江にはあるのだ。松江までは進出しているのだ。じゃあこっちにも来いよ、と願わずにはおれないが、とりあえず今はまだないので、今回こうして松江に来る機会を得て、必ず立ち寄ろうと決めていた。ともすれば今回の松江の主目的でさえあったかもしれない。というわけで存分に買い物をした。目的のものは、あるものもあったし、なかったものもあった。まあまあの収獲といえた。店内のPOPみたいなものは全店共通のようで、倉敷時代に目にしていたものそのままで、そういう意味で感慨深かった。
 ファルマンからは途中で試験合格の連絡が入っていた。不合格ならば午前で帰宅なので、この時間に迎えに行くということはもちろんそういうことだ。落ちたらふたたび休みの日に送迎しなければならないので、一発で受かってもらわなければならなかった。もっとも日々のファルマンの学習風景を見ていたら、まさか落ちるはずもないだろうと思っていた。この人は結局まじめで敬虔なのだよな、ということを改めて思った。従順というとニュアンスが異なる。宗教ではないけれど、目の前のことにきちんとまじめに取り組む人のことを、僕は敬虔といいたくなる。そして僕にはそれが欠けている。
 2時45分に迎えにいくという段取りになっていて、僕がセンターに着いたのは2時43分だった。双方待つことなく、玄関で出てきたファルマンを拾うことができた。すばらしい時間配分。思えば手芸用品を買い、ひとりカラオケをして、寿司を喰って、サウナへ行って、お気に入りのスーパーで買い物をして、とても見事に立ち回った半日だった。「見て見て」といって見せてきたファルマンの免許証は、証明写真が、「電波少年」の収録かよ、というくらいに、背景の青色と、着ていた青いブラウスの色が同化していて、顔だけ浮かんでいるようでおもしろかった。

半月ぶり

 友達があまりにもいなさすぎる。レベチであたおかな度合で友達がいない。本来ならば友達がいないという話は、「僕らは瞳を輝かせ、沢山の話をした」に書くべきなのだけど、もう僕の世界には友達がいないということが通底してしまっているため、これはもはや「友達がいない」というテーマの話ではないのだ。日常の話なのだ。
 通底と書いたが、通底だと、うっすらと全体的にそれがはびこっているかのようなニュアンスに感じられる。2センチくらい、ジャバジャバと水が浸っているな、というくらい。しかし僕の友達がいなさは、もはやぜんぜんそんなレベルではないのだ。天井に顔を向けなければ口が水面から出ないような、そういうレベルで、「友達がいない水」はこの客室に充満している。もはや船自体の転覆も時間の問題だし、さらにいえば僕は室内の配管に手錠で括り付けられて身動きが取れない状態だ。遠くから僕の名を呼ぶローズの声が聞こえてこないかと耳を澄ますが、澄ませば澄ますほど、蛙の鳴き声しか聞こえない。蛙は本当にずっと鳴いている。先日娘らと近所の散歩をしていたら、田んぼには無数のおたまじゃくしが泳いでいた。田んぼに水が張られ、地中から目覚め、鳴き、出逢い、交尾し、産卵し、受精し、無事に生まれたか。営んでいるな、と思う。なんとまっとうに営んでいるのか、蛙。
 やけに日記を書かずにいた。なんと半月くらい書かずにいた。あー、書かずにおれてしまうな、と思った。日記を書かなくなったらいよいよおしまいだろうという気持ちと、日記なんか書いたってしょうがないだろうという気持ちが、僕という競技場の中で単行本67巻にしてようやく因縁の対決を迎え、見事なまでの相打ちを遂げた結果としてフィールド上にはなにも残らず、そこには無だけが在った。そして半月の沈黙が生まれた。
 それで半月の間はなにをしていたのかといえば、やけに友達と遊んでいた。友達からの誘いというのは、やけに時期が集中するもので、それぞれの友達たちはぜんぜん違う集団なので、共謀しているはずはないのに、そうとしか思えないほど重なるのだった。もっともこれは人間行動学的には説明がつくのだろう。気候とか、情勢とかで、友達と遊びたくなる衝動に駆られるタイミングというのは、集団が違おうがなんだろうが、共通するのだと思う。いわばそれは精神的な意味で、田んぼに水が張られるようなもので、それをきっかけに我々は目を覚まし、活動したくなる。しかし僕は配管に手錠で括り付けられているため、水が張られても地上に這い出ることができず、水底に沈んで溺れ死ぬしかない。だから友達とは遊べない。遊んでいたといったのは嘘だ。嘘をついて本当に申し訳ないと思っている。なにしろそもそも僕には友達がいないのだ。レベチで、あたおかな度合で、友達がいない。

ヒトカラ裁縫公園

 平日の休みを堪能する。またこのブログが休日日記の様相を呈している。「暮し」をテーマにしたブログは、どうしたってそうなる傾向がある。
 平日なので子どもたちは当然学校で、これまでだとファルマンはいて、仕事だったり仕事がなかったりして、ない場合はふたりで買い物に行ったりしていたわけだけど、ファルマンは目下教習所通いで、毎日3時間から、多い日では昼を挟んで5時間も教習を受けており、この日も5時間コースとのことで、つまり午後3時くらいまで完全にひとりでフリーという状態になった。それでいつもならサウナということになるのだが、今日は裁縫でしたいことがあったので止すことにして、10時の開店に合わせて手芸屋に行った。そして必要なものを買い込んだ。
 その帰りに、なんとなく気が向いて、ひとりでカラオケに行くことにした。実は珍しく連休で、翌日も休みだったため、心に余裕があった。そして翌日はファルマンの教習所が午前のみということで、ならばこんなにひとり自由なのは今日だけだ、これはヒトカラをする千載一遇のチャンスだ、と思ったのだった。というわけで生まれて初めてのヒトカラ体験をした。ヒトカラは、ファルマンから話で聞いていたけれど、休んだり選曲に悩んだりする時間がなくて、慌ただしかった。急な思いつきで来たため、今度カラオケに行ったら唄おうと思っていた数曲以外はその場で考えなければならず、結果としてその点に多少の忸怩たる思いを抱いた。今度またやることがあったら、ソロライブでもやるんか、というくらい本当に計画的に曲をセレクトしていこうと思った。唄ったのは、ちあきなおみの「喝采」に始まり、武田鉄矢の「少年期」や「雲がゆくのは」、フォーリーブス「ブルドッグ」、山口百恵「乙女座宮」、平井堅「君の好きなとこ」、Kiroro「未来へ」、チェッカーズ「ギザギザハートの子守歌」、桜田淳子「20才になれば」、中島みゆき「命の別名」など。またどうしても唄いたかった3曲として、最近はまっているカーペンターズの「Top of the world」、「Yesterday once more」、そして古田喜昭「パーマンはそこにいる」も唄った。前者のふたつは、やっぱり英語を流暢に唄うのは難しく、これはヒトカラで引き続き練習していかんとなあと、いつ家族以外の他人に披露する機会があるのか分からないが思った。後者のそれは、少し前に借りたFのアニメソングCDに収録されていたものを聴いて、サビの部分は知っていたけど、この歌ってこんなにいい歌だったのかと感動し、ぜひ唄おうと思っていたのだった。これは本当にいい歌。聴くたびにほれぼれする。唄ってももちろん気持ちよかった。ただし画面に表示される歌詞によって、自分が1ヶ所勘違いしていたことを知ってしまった。CDで聴くだけだから分からなかった。「実は欠陥スーパーマン」というのが正しい歌詞なのだが、僕はこれを「実は結果スーパーマン」だとずっと思っていた。スーがスーッと消えて、結果としてパーマンだから、「結果」だと思っていた。まさか「欠陥」とは。もっともこの表現はなかなか昭和的なんじゃないか、とも思う。現代はあまり、人格のあるものに対して欠陥という言い回しは使わないんじゃないかと思った。そんな初めてのヒトカラだった。1時間半で、500円程度。なるほどいいもんだな。
 そのあとは帰宅して、ファルマンの教習が終わるまでの時間で、裁縫。母の知り合いに依頼された合唱用マスクを作る。母に10枚ほど作って送ったものを、母が周囲に配ったおかげで、追加の注文が来たのだった。しかし布マスクも、合唱団も、ワクチンも、緊急事態宣言も、東京オリンピックも、なんだかもういろいろ混沌としているな、としみじみ思う。
 終わりの時間めがけて教習所まで迎えに行き、帰宅後はまた次の裁縫作業。やがて子どもたちも帰ってきた。裁縫をしつつ、晩ごはんの支度をする。晩ごはんは、前日に子どもたちにリクエストを訊ね、するとピイガはいつも「うどん!」と答えるので、「晩ごはんにうどんはちょっと……」となるのだけど、雨で少し肌寒かったので、今日は本当に肉たっぷりのうどんを作り、あと炊き込みごはんや、出来合いのごぼうサラダなどで献立とした。おいしかった。
 翌日の今日は、ファルマンが昼に帰ってくるので、遊びに出たりせず、粛々と裁縫に没頭した。おかげでまあまあ進む。これは近日中に「nw」にアップできるだろうと思う。
 夕方に子どもたちが帰ってきたところで、みんなで公園に行った。最近は土日に子どもたちと遊べず、微妙に後ろめたさがあるので、こうして子どもたちが疲れても問題ない金曜日の夕方に積極的に連れ出すようにしている。週末は(あくまで島根レベルで)賑わう大きな公園なのだが、平日の夕方は貸し切り状態で、遊びやすかった。このご時世における公園の貸し切りのなにがいいって、マスクが外せることだ。僕も気合を入れてトレーニングウエアに着替えて行ったので、子らとともにアスレチックを愉しんだ。ジャングルジムに登ったり、縄でネットになっている斜面を移動したりして、まだまだ体は快活に動くな、と確認した。
 帰宅して、晩ごはんは手羽中の唐揚げ。昨日から調味料に漬け込んでおいたため、味はしっかり浸みているし、調理も簡単で、実に計画的なのだった。片栗粉をたくさんまぶし、好みのゴリゴリとした具合に仕上げる。やっぱりひと晩漬け込むと格別においしい。家族から大好評を得たので気分がよかった。

休日つらつら

 山陰で暮していて、しみじみと、やっぱりこちらは山陽よりも寒い土地なのだなと思う。もうネーミングが全てを表していて、いうまでもない自明の理なのだけど、実感として思った。三寒四温という言葉は、3日寒いと4日暖かくて、そんなことを繰り返しながら冬はだんだん春へと移行していく、という意味だけど、山陽のそれは二寒五温くらいのものだったけど、山陰は五・五(5,5)寒一・五(1,5)温くらいの感じだと思う。そもそも5月にもなって三寒四温という言葉に思いを馳せることが、山陽時代にはなかった。山陰ビギナー(ご無沙汰過ぎて山陰処女膜が復活した)のわが家は、その一・五温の日に、これからは暖かくなっていく一方だと早とちりして、毛布を仕舞ったり衣替えをしたりしてしまい、夜半になって慌てて押し入れから取り出したりした。もっともこれでも近代的な賃貸住宅に住むわが家はマシなほうらしく、実家に顔を出して帰ってきたファルマンは、「実家はまた一段と寒い」という。実際、本当につい先日までコタツが出ていたらしい。なんとなく、石川県や新潟県より左の地域は、あまり寒さを声高に叫べない雰囲気、いわば寒さマウントのようなものがこの国にはあって、たしかに北陸よりも右の地域に較べれば、山陰の寒さというのはいくらか緩いのだろうが、だけどなんていうか、この喩えがいいのかどうか分からないが、生活保護を申請できるほどではないけど、でもかなり深刻な貧困だ、というような、リアルなひもじい寒さがこの地域にはある。
 それでも季節は巡る。GWを境に、あちこちの田んぼに水が張られた。以前にも書いたが、水を張った、苗を植える前の、長くても1週間もないこの状態が、とても好きだ。昨年の稲刈り後、何ヶ月もただの荒地のようになっていた場所が、ある日突然大きくて四角い池になる。大袈裟にいうと、陸だった場所が、急に海になるのだといってもいい。米作りという、どこまでも日本人の生活に根差した現実的な行為でありながら、やけにファンタジックだと思う。
 そして田んぼに水が張られると、どこから湧くのか、というくらい間髪入れずに、蛙の合唱が始まる。これが本当にすさまじい。水が張られて以降、この街には絶えず蛙のゲコゲコゲコゲコゲコゲコが響き続けている。主張をしたいのは分かるが、そんなあまりに一斉に鳴いたら、互いに相殺されて意味がないだろう、もうちょっと駆け引きというものをしたらどうなんだ、と思う。そして、そんな猛アピールをした結果、めでたく受精と相成った場合、やがてオタマジャクシが誕生するわけで、なんか蛙って、性そのものだ。都会の夜の繁華街の性の乱れなんて目じゃない。この性の横溢はどうだろうか。
 そんなことを思いながら、昨晩は休みの前夜だったので、ひとり夜更かしをした。チーズカレーヌードルを啜りながらロングのストロング缶を飲むという、ただただジャンクな晩酌をした。アルコールについての印象は、タイミングによってさまざまに変化し、なんとなくこの夜は、酒は酩酊するために飲むもんだよ、夕飯時にビールを1缶なんてのはまったくの無意味で、飲むんだったら強いのをちゃんとした量飲んで、きちんと酔っぱらわなきゃしょうがないよ、という気分だった。ひとりで短時間でストロング缶を干すと、それなりに酔いが回り、ちゃんといい気持ちになった。寝床に行くと、相変わらず寝つきの悪いファルマンはまだ起きていた。いい気持ちになっている僕は、「明日ふたりでカラオケ行こうよ!」といってすぐに寝た。
 翌日の、すなわち今日はゆっくり起きて、ゆったりと午前中を過した。ファルマンは午前中に仕事があった。昼前にそれが終わり、早めの昼ごはんを食べてから、子どもたちが帰ってくる夕方まで、さてどうしようか、ということになった。本当にカラオケに行こうかとも思ったが、やはり酔っていたときほどの乗り気はなくて、また今度ということになった。代わりに、近所のディーラーに車を見に行った。ファルマンが免許を取るので、いま僕が乗っているMRワゴンを主にファルマン用とし、僕用に普通車を買うという計画があるのだ。それはここでの暮しにおいてどうしたって必要なことで、そもそもそのためにファルマンは教習所に通っているわけなのだけど、普通車という大きな出費に思いを馳せるにつけ、また軽自動車のようなかわいげがない普通車の選択肢にテンションが上がらないにつけ、これまでなんとなく気乗りせず、ファルマンを怒らせたりしていたのだけど、先日ようやく候補のひとつを見に行ったら、大きくて新しい車は存外いいもんだと改心し、やっと気持ちが入ったのだった。それで今日は別の候補を見に行った。しかし今日見たのはあまりよくなかった。実物を見る前は、自分の中で今日見に行ったもののほうが有力だったのだけど、実際に中に入って体感したら、先日のもののほうがよかった。見る順番を逆にしなくてよかった。先にこちらを見に来ていたら、車選びそのものにやはりテンションが下がっていたことだろう。まあ高い買い物なので、これで決定というわけにはいかない。気長に選ぼう、といいたいところだが、ファルマンという人間は気長ではないからなあ。
 子どもたちが帰ってくる前に帰宅。夕飯に茄子の揚げ浸しを作ったら、そのおいしさに感動した。油を吸った茄子のうまさときたらどうだ。思わずビールを1缶飲んだ。

休日

 平日の休日。GWの鬱憤を晴らすために全力を注いだ。
 朝はまず寝坊をした。登校の子どもたちが既にいないのはもちろん、ファルマンも教習所の迎えのバスの待ち合わせ場所にいまから出発するというところで、「もう行くから洗濯物を干しといてね」という感じで起こされた。昨晩は昨晩で夜更かしを堪能したが、それでもたっぷりの睡眠時間だった。なんか、豪華客船に乗った夢を見たな。
 ファルマンを送ったあと、朝ごはんを食べて、洗濯物を干す。ついでにずっと気になっていた食器棚の扉の緩みであるとか、居間に置いてある戸棚の整理など、「実際にやったらすぐにできるのだけど、労働の続いている日々ではどうもする気が起きず、やってみたら意外とコスパよく爽快感がある作業」なんかもしてしまう。気持ちいい。休日は尊い。
 洗い物まで済ませたところで、僕も家を出る。どこへ行ったか。もちろんサウナである。今回の目的地は、「湯ったり館」でも「ゆらり」でもなく、「四季荘」。これまでまったく認識していなかった場所で、なんてったって普通の旅館なのだが、このたびここへ、やけに本格的なサウナゾーンができたという情報を得て、その評判を見るにつけ、行かずにおられるか、となって行くことにした。情報を見ると、オープンしたのはGWに間に合わせたのだろう4月26日とのことで、本当にできてすぐである。なにしろまだ1セット分しか施設ができていないとのことで、男女が日替わりで利用する形なのだ。幸い、2分の1の確率で、今日は男性が利用できる日であり、ますます行かずにはおられなかった。
 旅館は、ずいぶんな山の中にあった。温泉を謳う看板は道中にもたくさんあり、いわゆる日本三大美人の湯のひとつとして知られる湯の川温泉のエリアなのだった。そういう、温泉で名高いところが、サウナにも本気を出すというのが、いい。ありがたい話である。フロントの券売機でサウナ付き入浴券を買って入場。ちなみにお値段は900円。なかなかいい値段を取るな、と入る前は思う。入ったあとは思わない。入ってまずある浴場と露天風呂は、普通だ。普通といったって、湯の川温泉の旅館である。ちょっと僕は驕っているのではないか。露天風呂から見える景色は、ひたすら森と空である。普通じゃないだろう。しかし今日の主目的はあくまでサウナである。体を洗ったあとは、バンドを付けた人しか入れないサウナゾーンにすぐ入った。入るとそこにはゆとりのあるスペースに、外気浴のための椅子が5つ並んでいた。椅子というと、あんな椅子を思い浮かべるかもしれない。あんな椅子ではない。なんか、いい感じの、リラックスチェアーのやつだ。そして噂の、水深160センチという水風呂も奥に見える。見える景色はもちろん森と空。そんな空間だった。そんな空間が、無人でそこにあった。無人! 平日の、開館時間直後とはいえ、ここが無人! これって大富豪とかがプライベートで実現するやつなんじゃねえの、と打ち震えながら、まずはとにかくサウナ室に入ることにした。サウナ室は、やはりできたばかりのため清潔で、なにより今般のサウナブームの流れで作られた、今般のサウナだな、という印象を抱いた。座る場所には仕切りがあり、周囲にいる人が気にならず、サウナに集中できる。さらには会話防止の狙いもあるのかもしれない。もっとも今日の僕の場合、なにぶん貸し切りだったので、あまり意味はなかった。それにしたって、これまでどのサウナに行っても、地元の老人同士の会話というのはあって、サウナというのはそういうものだと諦観していたが、それがない世界を目の当たりにして、感動した。これはオープン直後でまだそこまで認知されていないからだろうか。あるいは900円という値段も、老人の溜まり場になるのを阻止しているのかもしれない。あとサウナ内にテレビは必要あるのかどうか問題で、先日「ゆらり」で久しぶりにサウナテレビに遭遇し、そのときは大谷の登板試合が中継されていたので存外よかった、ということを書いたが、こちらにもテレビはあり、あるのだが、そこには延々と、焚火の映像が流れていて、さすがにこれは今般のサウナブームの流れ過ぎるだろうと、若干の馬鹿らしさも感じたが、しかしテレビって、テレビショッピングだったり、サスペンスの再放送だったり、本当にどうしようもないものが流れているときもあるので、これはこれでひとつの正解ということにするべきなんだろうな、と思った。そうして焚火の映像を眺め、パチパチと薪の爆ぜる音なんかを聴きながら、最初の10分あまりを過した。過したあとは待望の水風呂だ。身長ほどの深さのある水風呂などというのは初めてで、どういう感じなのだろうとわくわくした。入ってみたら、新しい世界が開けた、というほど劇的なことはなかったけれど、やはり中腰で浸かるのと全身を埋めるのとでは、その面積の分だけ気持ちがよかった。そもそも僕は、水風呂よりも外気浴に重きを置くタイプなのだ。というわけでいそいそとリラックスチェアーのゾーンへ。椅子は2種類あり、ふたつは脚が曲線になっていて、前後に揺れるタイプのやつ。みっつは体を乗せる部分が帆布のような丈夫な布で、ハンモックのような感じで座れるやつ。まず前後に揺れるほうを選択した。腰を下ろし、空と森を眺める。格別である。無人、無音。なんだこの状態、いいのかこの状態、と思う。罰が当たらないか、と。そのくらい心地よい時間を過したが、椅子に関してはミスったと思った。前後に揺れる機構は、その揺らし方の強弱について、どの程度がいちばんいいのか探求する気持ちが湧いてしまい、どうも落ち着かなかった。こんなことに思い煩わなくていい、と思った。なので2回目の外気浴では、ハンモックのほうを選んだ。こっちのほうが数段よかった。それに座りながら、ウトウトできたら最高に気持ちいいだろうな、ということを思ったが、たっぷり寝ていたため、眠気がまるでなく、それは実現しなかった。ちっとも睡眠不足じゃないのが残念だという、あまりにも贅沢すぎる悩み。結局その、サウナ水風呂外気浴という、いわゆるセットというものを、4回繰り返した。途中ではオートロウリュがあり、それもとてもよかった。この間、とうとう他の客には遭遇せず、あまりにも贅沢な空間と時間を、独り占めすることができた。有り余る幸福感だった。あまりにもよかったので、ちょっと他のサウナ施設がかすんでしまうほどだが、今日は特別だろうとも思った。そのうちテレビとか口コミで評判になれば、人も増えるに違いない。いつかそれに関連して、裏切られたような気持になるショックなことも起きるかもしれないが、それまではちょくちょく行こうかな、と思った。とにかく今日のことは、現実とは思えないようないい体験だった。
 帰宅後は、帰りに買ったかつ丼で昼ごはん。ファルマンももう帰っていたが、寝不足のようで昼寝に入ったため、ひとりで夕飯の下ごしらえや、筋トレをして過した。
 やがて子どもたちが帰ってくる時間となり、ピイガよりも1時間遅いポルガが帰ってきたところで、3人でプールに繰り出す。今日はもとからそういう約束になっていた。そのため、午前中サウナで夕方プールという、あまりまともに服を着ない一日となった。ファルマンがいない3人でのプールは、子どもたちだけでの脱衣所での不安もさることながら、ポルガはともかくピイガは付きっきりでずっと見ていなければならず、行く前から分かっていたことだが、自分のスイミング的な欲求はほとんど満たすことができなかった。でもまあ、子どもたちとプールで遊べたから別にぜんぜんいい。
 帰ったあとはすぐに晩ごはん。マカロニサラダは既に作ってあり、手羽元に味もつけてあり、あとは冷凍のポテトとそれを揚げるだけなのだった。我ながらナイスな段取りである。午前中サウナ、午後プールのあとの、フライドポテト&チキン&ビールはいうまでもなく格別で、休日をとてもきちんと味わうことができたな、と満足いった。去年、休日という意味では、100日以上ひたすら続く休日があったが、その1日1日は、それぞれこんな濃度ではなかった。休みって、限定されると、貴重で、愉しまなければならない意欲がわいて、愉しいのだよな。しあわせってなんだろうな。

上手休日

 散髪に行く。行ったのだ。ファルマンが教習所通いで忙しそうなので、カットを頼みづらく、しょうがないので店に行ってやってもらうことにした。プロによる散髪は、いつ以来か。去年の就活中も、なんだかんだでずっとファルマンに切ってもらっていたので、前がいつだったか思い出せない。とにかくとても久しぶりだ。
 行ったら行ったで、僕の人見知りや人嫌いというのは、ファルマンのようなガチ勢を見ているとしみじみと思うこととして、あくまで自称であって、その証拠に、美容師ともとても気さくにしゃべった。ぜんぜんどもったりしなかった。思えば島根に来てから、職場以外の人間と一定以上の会話をしたことが初めてだったので、なんだか新鮮だった。美容師の娘5歳は偏食がひどく、白米をあまり食べてくれないが、貝類だけはやけに食べるそうだ。貝類かー。
 施術中はもちろんずっとマスクをしていて、耳の周りの産毛をバリカンで刈るときも、「外したほうがいいですか」と訊ねても、「そのままで大丈夫です」とのことで、向こうもすっかり慣れているのだった。マスクはそのとき、minneに出品している、不織布マスクみたいな布マスクを着けていたので、その耳周りの作業のときになって、「え、このマスク、布なんですね」と、こちらが期待している反応をしてくれて、別に意図していたわけではなかったが、嬉しかった。ただし「奥さんが作ったんですか?」という問いかけに対して、謙遜なのか、面倒から回避しようと思ったのか、「そうです」と答えてしまい、我ながら少し複雑な気持ちになった。もう終わりかけだったし、「自分で作ったんです」と答えると、向こうとしても話を展開しなければならなくなって億劫だろう、とも思った。「プリーツの感じとか、すごくお上手ですね」と褒められ、「まあなんか、去年からたくさん作ってましたからねえ」と白々しく応じた。ファルマンはファルマンで、岡山時代、マスクや手提げ袋を褒められたとき、「夫が作ったんです」と即答していたという。僕の言葉は嘘で、ファルマンの言葉は真実だが、そこには共通の、「深く触れてくれるな」という牽制がある夫婦である。
 散髪が終わったあとは、今日もサウナに行った。今日は「おろち湯ったり館」ではなく、平田にある「ゆらり」という施設。ファルマンからは「よう行くわ」と少し呆れられた。たしかに我ながら、柄にもなくアクティブなことだな、と思う。
 湯ったり館と違い、こちらにはプールはないが、露天風呂が広く、悪くなかった。天気がとてもよく、まだそこまで激しくない陽射しが降り注ぐ中、外気浴として、湯に浸かるとも浸からないともなく、岩辺に腰掛けたり横たわったりしていると、仙人にでもなったような優雅な気持ちになり、心地よかった。なんとなく思い描く天国の情景にも、ちょうどいい陽射しと、ちょうどいいぬるさのお湯はあるので、そういう意味でここは天国にだいぶ近いな、ということを思った。
 サウナ室にはテレビが設置されていて、これは島根の施設では初めて目にした。僕はテレビに関して一家言あるようなサウナ―ではなくて、っていうかそのとき映ってる番組によるよね、というスタンスなのだが、今日はBSのNHKで、大谷翔平が先発で投げている試合が流れていたので、それもとてもよかった。野球の1イニングとサウナの滞在時間はとても親和性が高いのだと知った。おっさんたちは大谷の投球を眺めながら、やけに球種の話をしていた。おっさんが球を見て球種を口にするのは、あれは一種のマウントなのかな、と思った。俺は分かるぞ、という。僕にはまるで分からない。
 サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、を大谷が投げた回数と同じ4回繰り返し、僕のサウナも終わった。失点はなかったものの4回までで降板となったため大谷に勝利はつかなかったが、僕の今日のサウナは大勝利だった。
 サウナを出たあとは、今年初のTシャツ姿となって、車の窓を全開にして帰った。
 帰宅後は、晩ごはんの春巻きの下ごしらえをして過し、子どもが帰ってきたところで一緒に買い物に出た。ポルガの服が少ないということで、買わなければならないと話していて、僕が休みの日にこうして出掛けることにしたのだった。しかしながらポルガの、140センチあたりの服というのは、いま本当につまらないことになっていて、どの店に行っても、うすむらさきとかライトグリーンとかの、すなわちニジューみたいなものばかりで、ぜんぜんポルガ向きのものがなく、大いに困った。というより、店に行っても買える服がないので服が少なくなり、困っていたのだった。結局、男の子向けの棚から、これならまあいいだろうと思うシンプルなシャツなどを選び、数点買った。女子向けの服、本当にひどい。こうなってくると、もう自分の手で作るしかないのではないかと思えてくる。
 帰宅後はすぐに夕飯。春巻きはもう揚げるだけの状態だったので、楽だった。この食卓で、このたびコンビニ以外のスーパーでも販売されるようになった、アサヒスーパードライの、開けると泡が出る例のやつを初めて試してみた。みんな大騒ぎしているけど、結局あれって缶のまま飲んでいた人が感動しているだけであって、常にコップに注いで泡立たせている人には関係ない話でしょ、と斜に構えていたのだが、やって飲んでみて、思わず感動した。もう久しく味わっていない、居酒屋のジョッキのビールの感覚がそこにあって、純粋においしいということに加えて、その体験に歓喜した。ファルマンにも飲ませたら、ファルマンもまた目を瞠って打ち震えていた。僕だって、コロナに関係なく居酒屋飲みなんて久しいけれど、ファルマンに至ってはポルガの妊娠以来、そういう酒の席にはいちども行けていないので、これを飲んでファルマンは、「練馬の居酒屋を思い出した」という。古い。遠い。そんな太古の記憶さえをも掘り起すなんて、なんとすさまじい商品だろうか。それは大売れするはずだ、と思った。
 そんな感じで、一日を通してなかなか心地よいことの多い、いい休日だった。