雪の日

 今年一番だという寒波に備え、水曜日の労働はお休みになった。さらには火曜日も、夕方になる前に終業となったので、なんだかとてもテンションが上がった。たまに吹雪に見舞われながら帰る途中、スーパーに立ち寄り、翌日に家から出ないで済むよう、うどんやパンなどを調達した。ちなみに子どもももちろん休校である。
 雪の勢いがどんどん増す、長い夜を過ごす。なぜ長いかと言えば、帰宅も早かったし、早寝をする必要もなかったからだ。出勤であったならば、道中のあれこれを想定し、どれほど早く家を出なければならなかったか。そんなことを思うにつけ、自分はこの夜をきちんと堪能しなければならないと思った。豚骨醤油ラーメンにビールという、偏愛する晩酌に、さらには冷凍の餃子まで付けた。そして満ち足りた気分で眠りに就いた。
 起きたら窓の外は銀世界だった。なんでえ拍子抜けじゃねえか、これは午後から招集が掛かったりしやしないか、などということは一切なく、きちんと、休業はいい判断だったね、と言える度合で積もっていた。子どもたちは学校から、普段学校にいる時間帯は極力外出をしないよう、というお達しを受けていて、しかし窓から眺める、10センチ以上きちんと積もった雪は、なんとも柔らかそうに光っていて、心が千々に乱れている様子だった。聞けばお達しは、自宅の庭程度なら出てもよい、という注釈付きだそうで、集合住宅なので庭はないが、敷地内の駐車場は庭の範疇と言ってもいいだろうと判断し、車に積もった雪を落とすついでに、連れて出てやる。日が出ていたので眩しかった。久々のまとまった雪に子どもたちはテンションを上げて、玉を転がして作っていた。駐車場のアスファルトに積もった雪はきれいで、土で茶色く濁ったりしない、真っ白な巨大な玉が作られた。もうだいぶ大きくなり、転がすのもひと苦労となったあたりで、「そろそろ頭のほうを作ったらどうだ」と声を掛けたら、「頭なんて作らないよ。これはただの玉だから」という、信じられない答えが返ってきた。そんなパターンがこの世にあるのか。結局直径80センチほどもある巨大な一個の雪玉が完成し、駐車場に置いていたら他の住民の迷惑になりそうなので、自分のところの棟の一角まで運んだ。本当にただの巨大な玉なのだった。
 そのあとは予定通りうどんを食べ、午後は縫製をして過した。前から試作したいと思っていたものを、いい機会だからと取り掛かり、作った。作ったものの、あまり期待していた良さを得ることはできず、これはあんまり作ってもしょうがない、ということを学べた試作、という感じだった。残念。
 それが契機となったか、あるいは結果と言うべきなのか、日暮れ当たりの時間帯から、やけに気持ちが落ち込んで参った。なんでこんなに気持ちが下がったのかと考え、今日の行動範囲が自宅から駐車場までだからではないか、と思った。狭すぎる。さらには日中、同室でファルマンが仕事をしていたため、窓にカーテンが掛けられており、外界の光をあまり浴びなかった。ファルマンにとってはそれらはふたつとも日常のことらしいが、僕にはやけに応えた。スーパーへ買い物くらい行けばよかったな、と夜になって後悔した。
 翌朝も雪は残っているため、いつもより早起きして出発時間を早めなければならない。そう思って、気分が優れなかったこともあり、早めに床に就く。そうしたらやはり眠りは浅く、嫌な夢をたくさん見た。インターフォンの音が鳴ったような気がして目が覚めて、時計を確認したら午前1時半だった。まさか実際に鳴ったわけではないだろうと思いつつ、さまざまな嫌な想像が頭をよぎった。午前中の、子どもたちが頭を作らなかった雪玉のことにも思いを馳せ、おそろしい気持ちになったりした。
 翌日の今日は、大きい道に出るまでは、凍結した道がおそろしかったが、無事に職場に就き、フラットな気分で働けた。日中は日が出て、気温も昨日よりはだいぶ高まったようで、退勤の夕方には、雪はもうだいぶなくなっていた。

ポルガ12歳と20年間

 過去の日記を読み返そうと思い、さかのぼっていったら、本当に最初のウェブ上の日記というものは、どうにもこうにも残っていないようだった。これからまだ精細に日記を読み返していくつもりなので、その中で不意に新事実が明らかになってくる可能性もあるが、どうも最初は「everydiary」というサービスで、「purope★papiroの日記」というタイトルで書いていたようだ。20歳の頃である。20歳。20歳って、そこまで遠くない、大人の、今の自分と地続きのもののように思っていたが、実はぜんぜんそんなことない。だって20歳当時から、もうぼちぼち20年が経つのだ。安室奈美恵のように、20歳で子どもを産んでいれば、その子どもがもう20歳なのだ。そのくらい、20歳と40歳は離れている。クレヨンしんちゃんの「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」において、大人たちがみんな洗脳されて子ども返りしてしまうシーンで、不良の高校生グループである埼玉紅さそり隊の少女たちまでがそちら側に入っていて、でもそれは5歳児から見れば自然なことなのだろうと思ったりしたが、年齢って斯様に相対的なものだと思う。40歳からすれば、高校生はもちろん、20歳だってぜんぜん子どもだ。子どもだと思いつつ、ではいったい自分は20歳の頃からどこが成長し、どこが大人になったのだろう、とも思う。この人は急になにを言い出したのか、と思われるかもしれない。ポルガが本日、12歳になったのである。ひと回りで、春から中学生で、自分たちは今年40歳になる、などの種々の要素が、なんとなく節目めいた思いを誘発させるのかもしれない。当日がちょうど日曜日という恵まれた暦だったので、スムーズにお祝いすることができた。
 午前中に買い物に出て、昨日までの買い物で準備しきれなかったものを買い揃えた。その際、コンビニにも寄って、ポルガのリクエストの誕生日プレゼント、マリオカートのコース追加パスを買った。元からたくさんのコースがあるのに、さらに新しいコースを追加するのである。現代っ子の情報への貪欲さはとどまるところを知らない。思えば自分がいちばん、あのスーパーファミコンのマリオカートをやっていた時期が、ちょうどいまのポルガくらいの頃だった。
 昼にラーメンを食べ、子どもたちが追加パスで追加されたコースを嬉々としてプレイするのを尻目に、ひとりプールへと繰り出した。平日の退勤後に行かないこともないのだが、正月以来、陽の光を感じながら泳ぐ気持ちよさに目覚めてしまい、休みの日中に行きたがる傾向がある。今日も実によかった。
 帰宅後は本腰を入れて、誕生日祝いの準備をする。すなわち、ケーキ作りとたこ焼きの下ごしらえである。ケーキは、どんなものがいいか事前に本人に訊ねたところ、「こんなの」と図で示され、色とりどりの星が散りばめられたケーキをリクエストされたため、受けて立とうじゃないかと、食用色素とゼラチンを用意し、カラフルなゼリーを作製した。薄いパットに広げて固めたそれを、クッキーの星型で抜き(だいぶ難しかった)、それをケーキの上に載せ、残った部分はフォークでぐじゃぐじゃに剥がし、ケーキの周りに散りばめた。かくしてだいぶ再現度の高い、目下「銀河鉄道の夜」にハマっているポルガの希望に沿うケーキが出来上がった。
 夕方、大相撲1月場所の千秋楽がまだやっているような時間からたこ焼きを焼きはじめ、時間をかけてゆっくりと食べる。おいしかった。時間をかけて食べたら、殊のほか食べ過ぎて、一同お腹がいっぱいになってしまい、すぐケーキに取り掛かるのは無理だということになって、腹ごなしついでに、今度は4人でマリオカートをやった。20歳の僕と今の僕は、19も年が離れているけれど、ポルガとは8しか違わない。当時の自分は、こんなようなものだったのか、と思うと、信じられない思いがする。20歳からの日々には、さまざまなことがあった。プラスも、マイナスも、いろいろ待ち受けていた。日記に書いたこともあれば、書かなかったこともたくさんあるが、本人なので、読んでいく中で自然と思い出される部分も多くあるだろう。それをこれから時間をかけて本格的に読み返していくつもりだが、しかしあの20歳の、青年という言葉もまだ似合わないような自分の約20年後が、長女の12歳のお祝いの日に、家族4人でマリオカートができているのだから、この20年分の文章を読み返す作業には、安心感がある。
 しばしのゲームののち、ケーキを食べた。スポンジは、7号のものが欲しかったのだけど、あれはクリスマスの頃にしかなかなか店には並ばないもののようで(なのでピイガのときには手に入った)、さらには6号もなく、仕方なく5号と4号を買って、スリムな2段のケーキにした。スリムと言いつつ、2段なのでどうしたってかなりのボリュームである。それぞれ8分の1を切り分け、僕はなんとか食べたが、ファルマンは残していた(子どもたちはペロリ)。
 かくしてポルガが12歳。もともと変な子だったのが、近ごろは思春期も相俟って、いよいよ混沌として来ている。自己肯定感が、弱いとか強いとか、もはやそういう次元ではなく、超然としたレベルに達していて、他人としてこの子どもを眺めたら、一体どう育てたらこういう考え方の子になるんだろう、と疑問を抱くだろうと思う。どう育てるもなにもない。自己肯定感が超然レベルの子どもは、親の育て方の方針などには左右されないのだ。左右されるような性分なら、ここまで超然とはしない。古代生物と古代文明が好きで、「らんま1/2」が好きで、藤子・F・不二雄が好きで、好きな言葉は「パラレルワールド」。春からは中学生。周りに合わせてうまくやるタイプではないので、他力本願にならざるを得ないが、いい気性の子が周囲にいてくれればいいな、と思う。

焼肉の夜

 義父母が、1月に揃って誕生日を迎える孫ら、すなわちポルガとピイガを祝う名目で、焼肉に連れて行ってくれる。なぜ急に外食かと言えば、島根県の飲食店で使えるクーポン券の使用期限が1月末日までという事情があったようだ。どちらにせよありがたい話である。
 はじめファルマンから、「誕生日のお祝いで焼肉に連れてってくれるって」と伝えられた際、僕は本当にナチュラルに、「よかったじゃん。たくさんご馳走してもらいなね」と反応をしたのだけど、「違うよ、あんたも一緒にだよ」と言われ、「えっ……」となった。焼肉屋に、行くの? 俺が? と、すんなりとは受け入れられなかった。焼肉屋という空間に身を置くことに、どうも抵抗感があるのだった。そもそも肉肉とした肉がそこまで好きではない(脂の多い肉を食べるとお腹を壊しがち)というのと、あとなにより、「肉ー!」とか、「焼肉ー!」みたいな感じでテンションを上げる輩が嫌いなので、そういう人々が集う場所にあまり身を置きたくないのだった。
 そんなわけでファルマンに、できれば俺は除外してくれればいいと思うし、あるいは焼き肉屋以外のお店という選択肢はないだろうか、みたいなことを提案する。したところ、ものすごく面倒くさそうな顔をされた。それはそうだと思う。親と夫に挟まれ、面倒な立場だ。本当に申し訳ないと思う。それでファルマンが親と少しやり取りした結果、前者の要望は却下されたが、お店に関してはなんならそっちで選んでくれても構わない、みたいなことを言われる。それでクーポン券が使用できる店一覧のページを眺めたのだが、どうもしっくり来ない。結局のところ、僕は外食があまり好きではないのだと思った。奢ってもらえるなら、スシローか、かつやの、テイクアウトがいい。いや、かつやなんてもう何年も食べてない。もう重くて食べられないかもしれない。ほら、こんな奴を会食に招待するなよ。しようとするから話が面倒になる。僕は辞退しようとしたのだ。その日はひとり家でラ王のとんこつ醤油ラーメンとビールでいい。それがなによりいい。それが許されなかったからこんなことになった。
 それで結局、焼き肉屋になった。とてもとても久しぶりの焼き肉屋だった。練馬でファルマンとふたりで牛角に行って以来じゃないか、すなわち前の卯年以来くらいなんじゃないかと思ったが、よく考えたら第一次島根移住の際、やはり義両親に連れられて、1歳か2歳かというポルガと5人で、焼き肉屋に行ったことがあった(日記を探したが記録していないようだった)。ぜんぜん覚えていない。なにしろそれだって10年だ。それにしても義両親はよく焼肉屋に行くことだ。昨秋、三女の誕生日祝いでも行っていた。あの世代の陽キャって本当によく焼き肉屋に行く。次女の夫の親もよく行くそうだ。モーレツだとしみじみと思う。
 それで久々の焼き肉屋はどうだったかと言うと、やっぱりまあ、良さがよく分からないものだな、という感想を抱いた。皿にちまちまと乗ってやってくる肉片を、ちまちまと焼き、その焼き加減も、いいのだか悪いのだかさっぱり分からず、火は熱く、うるさく、焼いた肉を味の濃いたれにつけて口に入れ、白米を食べるのは、それはもちろん美味しいのだけど、でもその美味しさは、わざわざこんなことをしなくても容易に手に入るものだろう、という気がした。どうにもこうにも、向いていないのだと思った。
 祝われる対象である子どもたちは、ポルガが幼少期のそれ以来、ピイガに至っては初めての焼き肉屋で、終始きょとんとしていた。肉を焼き、白米を食べ、そして味のまぶされたキャベツを食んでいた。キャベツをやけに食んでいたのがおもしろかった。なんかよく分からない外食体験となったことだろう。
 義両親は相変わらずだった。義父は「最初はタン塩」という、ルールなのかマナーなのかさっぱり分からないそれを遵守しようとし、義理の息子はそういう儀式めいたことを頑なに受け入れず、義母はそんな義理の息子にあきれた様子を見せながら、タン塩を思いきりたれにつけて義父に窘められていた。いつも通りだった。
 そんな焼き肉の夜だった。

2023年が始まる

 新年を迎える。2023。あけましておめでとう。
 大みそかから今日までは、振り返れば特になにを成したということもなく、なかなかに正月らしく、だらだらと過した。
 元日は午前中に、近所の神社へ初詣に繰り出した。そこまで大仰ではないが、おみくじなんかも普通にある、いい規模の神社。ここで引いた去年のおみくじは大吉で、かなりいい内容だった。今年はそれが中吉で、内容もあまりピンと来なかった。でもなんというか、個人的に、去年に較べて今年は、神頼み的な気持ちが薄いように思うので、この印象の違いは、要するにこちらの受け止め方だろうとも思った。調子のいい話と言えば調子のいい話だが、とは言え神的なものって、そもそも機能的に、すがりたいときにだけすがればいいんだと思う。今年はそれがそこまで必要ない心持ちだというのなら、それに越したことはない。
 午後は、実家で親戚の集い(と言っても両親と三姉妹とその家族である)が催され、鮨などのはなやかな食事を愉しんだ。年末年始はオートメーション作業だと以前書いたが、この手の集いにまさにその思いを強くする。長女の夫としての立ち回りが、長年の勤続によってどんどん熟達してきたように思う。
 2日は、午後から妻子らはまた実家に行くというので、僕はひとり、家で好きにした。この午後からおろち湯ったり館は開いていて、少しの逡巡はあったものの、やはり行かなかった。でも時間の過し方としてあまり有意義にできなかったので、結果的には行けばよかった。晩ごはんは、まだ昨晩の海産系の豪華食事が体に残っている感じがあり、簡素なものがいいと思い、豚汁とおにぎりとだし巻き卵にした。これがとてもよかった。
 3日は、会員であるプールが今年の営業を始めたので、午前中から泳ぎに行ってしまう。先週の火曜日に行っているので、実は1週間ぶりでしかない。でもすごく久しぶりのような気がした。いつもは退勤後なので、もうここ数ヶ月、泳ぐとき窓の外はすっかり暗くなっていたのだけど、新年ということもあろうが、明るい陽の光の中の水泳は気分が良かった。今年もたくさん泳ごうと思う。
 夕方から夜にかけては、今年最初の記事、「nw」にアップした「クラショー」を作製していた。これがものすごく愉しかった。ショーツを作るのも愉しかったし、記事を書くのも愉しかった。僕の両輪である裁縫とブログが、高純度でマッチしたな、と思った。新年一発目にして、これが到達点かもしれない。そのくらい愉しかった。
 明けて今日は、連休最終日にしてピイガの誕生日である。今日から仕事の職場と、今日まで休みの職場が、世の中では大きく二派となっていて、それは誰しも4日まで休みのほうがいいだろうが、僕の場合はただ休みが多いほうがいいというだけでなく、実利的な理由から、3日までと4日までではぜんぜん対応が変わってくる。しかしそれであっても、1月4日生まれというのはやはりバタバタするのだった。
 今日の午前中は、出雲大社に参拝した。やっぱり地元民として1年の早い段階に出雲大社には参っておきたい。かと言って大渋滞だろう3が日に行くのは避けたい。というわけでの、観光客はもうあらかた帰ったであろう4日である。期待した通り、そこまでの混雑ではなかった。正月で特別に開く本殿も含め、ひと巡りする。初詣は先によそで済ませたが、とは言え出雲大社はやはり特別な気もして、すっきりした気持ちになった。
 午後はピイガの誕生日祝いの準備。ごはんのリクエストは、「餃子の皮のたらこのピザ」とのことで、実に安上がりだが、それではメインにならない。それ以外はお任せということだったので、ちらしずしを作った。お祝いらしい、いい献立になったと思う。食事のあとはケーキ。クリスマスがお店のブッシュドノエルだったので、誕生日はいつもの、出来合いのスポンジを買ってきてデコレーションしたショートケーキである。7号の、大サイズで作る。オーソドックスなショートケーキは、やはり問答無用においしかった。なにしろ久しぶりだ。クリスマスに食べていたら、こうは愉しめなかったろう。かつては実際にそれをしていた。クリスマスは豪勢に、2段にしたこともある。そして1月にはすっかり食傷気味になっている。数年それを繰り返して、このたびようやく学習した。誕生日プレゼントは、年が明けてからネットで注文をしたので、当然まだ届かない。届いて、届いたものを実際に使ったら、また記そうと思う。
 かくしてピイガが9歳となる。8歳が9歳になったというのは、正直言って感慨を抱きづらい数字なのだが、この数日、従妹の0歳児と触れ合ったので、そこからの成長ということを思うと、ずいぶん育ったものだな、と感じる。ポルガ(ちなみに年女)が絶賛反抗期中で、もとから接しづらいキャラだったのが、もはやコミュニケーション面において壊滅状態になっている中、人懐っこく明るいピイガの存在は、わが家の貴重な救いとなっている。相変わらず騒音めいたやかましさはあるものの、しかし無上に愛しい。これからも健やかに育ってほしい。
 そうして年末年始の連休も終わろうとしている。後半(年始)ややダレたが、それでもほどほどに堪能できたのではないかと思う。74点くらいの出来。明日からは労働。年末年始の休みが待つ12月に対し、1月2月の、明確な心浮き立つ予定のない山陰の冬は、過酷である。せいぜい気丈に生きようと思う。

2022年総括

 おろち湯ったり館へは行かなかった。去年の当該の日記を読み返したら、僕はプールで泳いだことに主に感動していて、サウナはけっこう混んでいて微妙だったということを書いていて、そうか去年の俺は冬期間のプールというものに飢えていて、だから刺さったのだなと判ったため、行くのは止すことにしたのだった。というわけでこうして最後の記事を書いている。
 そんなわけで、今年のプールの最後は今週の火曜日、27日ということになった。寒くてさすがに行く気が起きないと嘆いていたプールだったが、集計してみれば今月も7回行っていて、実は他の月とあまり遜色がない。ちなみに6月からの7ヶ月間の合計は59回で、なかなかに通ったことだと思う。これはもう堂々と、運動習慣や趣味として挙げていいレベルだろう。
 寒くなってからはさっぱりだ、という思いを抱いていた事柄はもうひとつあって、それはプールに行った日と同じく記録している射精の回数なのだが、しかしこちらもまた、集計してみれば実はそんなこともなく、驚いている。夏は内外で半裸のような格好で生活を送り、ちんこがすごく身近な存在に思え、言葉がなくても、あえて伝えようとしなくても、深い部分で感応し合っているという、僕とちんこはまるで三苫と田中のような関係性にあったが、それが寒さのせいで厚着をするようになったことで、少し離れてしまったように感じていた。ところが記録によると、11月12月の射精回数はと言えば合計……回にもなるのに対し、ちんことの蜜月のように感じていた8月9月の合計の射精回数はわずか……回で、まったく意外な結果なのだった。どうやら、ちんことの親密度と射精回数というのは、比例関係にあるわけではないようだ。これは貴重な経験則である。そんなわけで、この記録の習慣は始めてよかった(始めるのが遅くて悔しいくらいだ)。来年ももちろん引き続き行なっていく所存である。
 あとプールにもちんこにも通じる話なのだが、今年と言えばなんといってもショーツ作りに勤しんだ年だった。2022年はショーツ元年と言ってもいい。どれくらい作ったろうかと、普段はそこまで整然と管理できていないショーツ群を、整理してみた。溢れるたびにセリアで買い足すケースに、1列5枚、2列の10枚が入る。それがこうなる。


 洗濯中のものや、たったいま自分が穿いている分や、どこか別の引き出しに迷い込んでしまっているものもあるが、ケース13個、すなわち130枚は、少なくともある。なんかびっくりする。折り鶴や、ヒット君人形や、布マスクのときもそうだったけど、僕はどうも、いちどハマって作り始めたら、やけに数を作ることだ。これはもう習性だな。
 10月から、ジョニファー・ロビンに穿かせた画像とともに作ったものを1枚ずつ紹介していくインスタグラムを始め、これからの今年の残り約90日間で毎日更新することも可能、弾は十分にある、ということを書いた。弾は斯様に十分にあり、なおも増え続けているのだが、インスタグラムの更新のほうが滞り気味になってしまっている。大晦日にして、現状まだ53枚目までしか紹介していない。これは来年以降また励んでいこうと思う。
 あと画像の右下にあるのは水着である。ショーツ作りが趣味で、水泳が趣味なので、当然の帰結として、じゃあ水着も作ろうかという思考になる。ちなみに水着はさすがにボックス型である。こちらは現時点で17枚。そんなにあってどうするんだよ。
 ブログ投稿のほうは少しだけ湿りがちで、毎月2桁投稿という目標は、3月以外はクリアしたのだが、それにしたってブログが十分に書けない、書く時間がないよ、と思っていたのだが、こうして1年間の自分の行ないを振り返ってみれば、プールに60回行って、ショーツを130枚、水着を17枚作っていたら、それはまあブログを書く時間は削られるよな、と納得した。なんか仕事とか家事とかで時間を奪われすぎているような気がしていた。誤解だ。
 そんなこんなで今年が終わる。まあここまで述べてきたように、なかなか精力的な1年だったのではないかと思う。個人的に、そこまで哀しい出来事はなかった。なによりである。嬉しい出来事はなにがあっただろうと振り返ったとき、やはりいちばんに思い出されるのは、プールの男子更衣室で小学生ふたり組に、ちんこの大きさを驚嘆されたことだ。あれは本当に嬉しかった。日々のふとした瞬間に思い出すたびに、濃厚な幸福感が全身を包み込むというくらい嬉しい思い出で、結果的に、今年いちばん嬉しかった出来事となった。あの出来事があったから、2022年はいい年だったと自信を持って言える。来年もいい年になるといい。いい年になるかどうかは、本人の日々の心掛けとちんこ次第だろう。
 よいお年を。

2022年の瀬の瀬の瀬

 昨日から休みに入っている。1月4日までなので、ちょうど1週間ということになる。1週間か、まあそんなもんか、と平然と受け止めている自分がいて、その一方で、社会人になって何度かあった、サービス業だったためにGWにもお盆にも年末年始にもろくな連休がなかった怨みではらわたが煮えくり返っている自分もまた、まだ自分の中にはちゃんといる(なるほど怨みというものは人間の感情の中で最も風化しづらいものなのかもしれない)ので、1週間という休みをそう受け止めた自分に対し、強い怒りを覚える部分もある。精神が分裂し、当時の僕が実体化したら、その僕は今の僕の頬を力の限りにぶっ叩くと思う。叩かれた頬の痛みも、叩いた手の痛みも、どちらも僕の痛みだ。1週間の休みは当たり前のものではぜんぜんない。そのことをゆめゆめ忘れず、これからも生きていこうと思う。これが人生経験を積んだことによる含蓄というものか。
 連休初日の昨日は、午前中はひとりで買い出しに出た。残り3日間の献立をシミュレーションし、必要なものを買い込んだ。去年はこの買い出しの際、もう少し食費の財布に余裕があって、「買おうかどうか迷ったものは買う」のスタンスで、カート山盛りに食材を購った覚えがあるが、今年はそこまでの気兼ねのない買い出しはできなかった。物価は1年前に較べて本当に高まった。それでもなんとか算段をつけ、正月の餅も含め、買い揃えた。物価高は本当に嫌になるが、それでも一応は暮しは成り立っているのだから、よしとするべきだろう。
 午後は、同じく今日から旦那が休みに入った兵庫の次女一家が、朝に向こうを出発し、昼過ぎにこちらに到着したというので、子どもを連れて顔を出した。夏以来の再会。4月末日生まれの姪2は、生後8ヶ月となり、夏は寝そべっているだけのものだったのが、たどたどしく、すぐにバランスを崩しがちだったが、座ることができるようになっていた。よいなあ。8ヶ月の赤ん坊、細い目でずっと見ていられる。あとピイガより8ヶ月ほどあとに生まれ、学年がひとつ違う姪1は、コミュニケーション能力が低いのは相変わらずだったが、ピイガより少しだけ背が高くなっていた。抜かされたかー。これはもう、たぶん生涯そうだろうな。向こうの父親の身長は、訊ねたことはないが、まあ170は余裕でありそうだ。
 晩ごはんはベーコンときのことほうれん草のパスタと、グリルチキン。ミートソースとかカルボナーラではない、油で炒めた感じのパスタが食べたい気分だった。ビールが進んだ。食費のやりくりのつましさを語った舌の根も乾かぬうちに言うのも何だが、クリスマスからこっち、買い物のたびにアルコール類をせっせと仕入れ、年末年始の連休にアルコールが足りなくて困るということがないよう対策しているのだった。なにぶん年末年始のアルコールというのはね、1年でいちばん許されるアルコールですからね。後悔のないよう存分に摂取するべきだと思いますよ。ええ。夜もテレビを眺めながら、こちらは今日ようやく年内の仕事が納まったファルマンと、のんびりたっぷり飲んだ。12月は健康診断に備えて酒を控えたため、こうした晩酌もほとんど催さなかったのだが、そうするとやっぱりどうも日々が味気ないように思え、下戸の人はそれはそれで100%の有意義な人生であろうが、なにぶんほら、酒飲みというのはアルコールで脳が委縮しているがゆえに、もうアルコールなしでは十全に味わえないようになってしまっているので、満たされないものを感じていた。その意趣返しと、年末年始の発散が相俟って、もうどうしたって酒は必要不可欠なのだった。
 明けて今日は、かねてより年末年始の連休にでも行ければいいね、と話していた、アイススケートに繰り出す。ゴビウスやグリーンパークのすぐそば、すなわち宍道湖のほとりにある、湖遊館というスケートリンクの施設である。去年から行こうという話は出ていたのだが、なんだかんだで機を逃し、このたびもだいぶ、行きたいとは思ってたけどいざ実際に行くとなったら途端に億劫だぜ状態に陥ったのだが、それでもなんとか気力を奮い立たせて行った。アイススケートは、2015年年末の帰省(岡山在住時代のこの年は、なんと年末に横浜、年始に島根というダブル帰省を行なった年である)の際のこどもの国以来、7年ぶり。7年ぶりなので、子どもたちにとっては実質初体験のようなものだ。ままならない未体験の行為に対するアプローチが、それぞれキャラクターが立っていておもしろかった。靴を履いて誰よりも先にリンクに足を踏み入れたのはピイガで、その場で見事に転倒した。世の中、テレビで観るアイススケートは、フィギュアにせよスピード競技にせよ、とてもうまく滑れる人ばかりが映し出されるので、滑るのが難しいというイメージがピイガの中にまるでなかったらしかった。そして最初の派手な転倒によって自らの誤解を悟る、ということもなく、ピイガはいつまでも自信満々に進み続け、そして転び続けた。自信がすごすぎて、現実でぜんぜんうまく滑れていないことなど、ピイガの中では些末事のようだった。すごい現象だな。一方でポルガは慎重派で、壁の手すりに掴まりながら、そろりそろりと足を進めていた。やがてだんだんとコツが分かってきたのか、壁から手を離す場面も増えたのだが、しかしそのコツというのはあくまでポルガの中のコツであって、その滑り方は、右足は固定したまま左足だけを動かすという異様なもので、前傾することなくすらりと伸ばされた上半身は終始不動で、トレーニング器具のスカイウォークのようだった。自分以外の人間のやっている様を完全に見ずに、独力で独自の方法を編み出し飄飄としている感じが、実にポルガらしいと思った。斯様にタイプは違うが、しかしふたりに共通しているのは、絶対に自分が正しいと確信していることだ。こいつらの自己肯定感の鋼っぷりは、一体どうしたことなのかと、今日のアイススケートに取り組むさまを見て、改めて不思議に思った。ファルマンと僕は、7年前と同じく、そこそこ滑れた。アイススケートは、いちど滑れるようになると、ずっと滑れるのだな。しかし明日はふたりとも筋肉痛だろう。ヒラメ筋のあたりが特にやばい気がする。
 晩ごはんは唐揚げをメインに、フライド長芋、マカロニサラダ、白菜のクリーム煮という献立。マカロニサラダは明日の大みそかにもダラダラ食べられるよう、たっぷりと作った。スポーツレジャーをした日の、揚げ物とビールが、陶酔するほどおいしかった。それにしてもクリスマスあたりから脂質がとんでもないことになっている気がする。そこへさらに、正月になれば餅が加わってくる。いやはや年末年始はかくもおそろしい。
 今年の日記はこれが最後だろうか。明日も書けたら書くが、最後になる可能性も十分ある。日中、妻子はまた実家に行くというので、ひとりで作業をしたり筋トレをしたり日記を書いたりしたい気もする一方、1年前と同じくおろち湯ったり館に繰り出しちゃう? という誘惑もあったりする。まあいいようにしよう。せいぜい愉しく有意義に過しますよ。明日も、来年以降も。

クリスマス 2022

 今年のクリスマスは、24日が土曜、25日が日曜日ということで、動きやすかった。いろんな業態の人がいるので一概には言えないが、それでも人類全体の幸福の総量は、そうじゃない年に較べ、高いのではないかと思う。もっとも金曜日あたりから襲い掛かってきたクリスマス寒波によって、北陸や東北ほどではないにせよ、山陰の交通網もかなりの影響を受け、岡山に行こうとしていた義両親も、広島に行こうとしていた義妹も、それぞれあえなく計画を取り止めていた。山陰の冬は本当に、空は荒れるし、中国山地越えは過酷だしで、とてもカジュアルに閉ざされることだと改めて痛感した。
 われわれ一家は、もちろんはじめからそんな大掛かりな予定などは組んでおらず、実家が予定では無人になるはずだったので、犬の世話を依頼されていたのだが、それも上記の理由により免除となったため、割合と平穏に過すことができた。唯一ポルガが、24日は例の科学クラブみたいな教室に午前も午後も行くということで、その送り迎えをし、午前と午後の間には家族で回転すし屋に行ったり、そのついでにもろもろの買い出しをしたりした。
 夕餉のメニューは、ミートソースグラタン、フライドチキン、スモークサーモン、テリーヌ、コーンスープ。そしてビール。なかなかに脂質たっぷりのメニューで、さらにこのあと、今年は珍しくケーキ屋で予約し購った、ブッシュドノエルを食べた。返す返すも、健康診断がクリスマスの前でよかったと思う。気兼ねなくおいしく食べ、飲み、しあわせな聖夜だった。
 ここで娘たちの描いたクリスマスポスターを載せておく。
 まずピイガ。
 

 平和である。「クリスマスになった! やったー!」というコピーの、素直さがいい。結局うれしいときは「やったー!」に勝るものはないな、と心が洗われるようだ。
 続いてポルガ。
  

 ここでアップしている画像としては、2枚をほぼ同サイズにしているが、実際はピイガのそれがA4であるのに対し、ポルガはA4を4枚貼り合わせているので、A2判ということになる。単純にでかいし、そして見ての通りの描き込み量なので、なかなかに圧倒される。しかも少年少女たちは吹き出しでなにを言っているのかと言えば、「ドッペルゲンガー」であったり、「パラレルワールド」であったり、「月夜でないよ、銀河だから光るんだよ」であったり、「りんぴょうとうしゃかいちんれつざいぜん」であったりと、めいめいにわけの分からないことを言っているので、眺めているとだんだん頭がぐわんぐわんしてくる。要するにこれは、ポルガの頭の中そのものなのだな、と思った。
 それから夜が更け、自分たちが寝る直前、子どもたちが完全に寝ているのを確かめ、フォッフォッフォする。このブログの読者で、もしかしたらまだ真実を知らない人がいるかもしれないので濁すが、忍び足で部屋に入り、つつがなく例の行為をした。
 翌朝、ピイガが満面の笑みでわれわれの寝室にやってきて、「トランポリンがあった!」と報告してくる。今年のピイガのサンタさんからのクリスマスプレゼントは、トランポリンなのだった。見に行くと、ベッドの脇、部屋の中央に、ドドンと円形のトランポリンが鎮座していた。「わあ、すごいすごい!」とリアクションをしたが、実はそれを置いたのは6時間前の僕なんですよね。実はサンタって本当はいなくて、親がやってますからね。それからポルガも部屋から出てきて、「全集じゃなかった……」と少し口を尖らせながら言った。ポルガは「藤子・F・不二雄大全集」を所望していたが、届いたのはてんとう虫コミックス版の「ドラえもん」全45巻(+0巻)だったので、少し肩透かしを喰らったらしい。阿呆か、と思う。大全集は119巻あり、総額は22万円くらいになる。値段も置き場所も現実的じゃないし、なにより声を大にして言いたいが、全部がおもしろいわけじゃない。それよりてんとう虫コミックス版のドラえもん全巻のほうが、読みやすいし、いいと思う。あと金額的なことを言わせてもらえば、これだってだいぶするんだからな。期待していたものと違って最初は不満げだったポルガだったが、しばらくすると気を取り直し、怒涛の勢いで読み始めていた。そしてピイガはひたすらトランポリンで跳ねていた。そんなクリスマスの朝だった。
 日中は、トランポリンの衝撃を吸収するためのマットや、ドラえもんを収納するための本棚を買いに出た。サンタは、品物を届けるだけ届けて、そういったアフターケアに関しては無頓着なのだった。おかげで親は思わぬ出費を強いられた。さらに言えば、繰り返しになるがサンタって実はいなく、トランポリンもドラえもん全巻もわれわれが購っているので、なんかもうただひたすらの出費である。子どもはずるいな。
 それにしてもポルガあたり、そろそろサンタの正体について真相にたどり着いてもぜんぜんいい頃だと思うのに、一向にその気配がない。ピイガと一緒に、「トランポリンなんて大きいもの、どうやってソリに載せてたんだろう?」などと語り合っている。本当だろうか。初潮が来たり、国の歴史や公民について学んだりする一方で、サンタの存在を無垢に信じるなどということが、果たしてあるものだろうか。しかしポルガの性格上、サンタが本当はいない(親がやってる)と確信したら、ピイガへの配慮など一切なく、そのことを普通に口に出すに違いないと思うので、じゃあやっぱり信じてるのかなあ、とも思う。まあ大人だって、それぞれのバイアスで世界を見ているわけだから、子どもだけが歪ということでもないわけだけども。
 かくしてクリスマスも終わり、子どもたちは今週末で2学期が修了していて、僕もあと数日で仕事納めとなる。あとはもうオートメーションのように、「年末年始」がやってくる。ちなみに今年のようにクリスマスが土日だと、大みそかと元日もまた土日になる、ということを知った。なぜかこれまであまり意識したことがなかった。クリスマスイブと大みそかは、いつだってちょうど1週間離れているのだ。だからどうした、と言われると困るけれど。

師走の昨日と今日

 1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、などという言い回しがあるけれど、そんなことを言うなら12月ってすごくないか。それら3つの月が、それでも一時は自分と一緒にあるのに対し、12月って、もはや横目に通り過ぎるのを見る、くらいの感じだと思う。邂逅してない。流れる怒涛の中、少しだけ垣間見えるくらい。そんな関係性だ。
 昨日18日は、世の中で「M-1グランプリ」と「鎌倉殿の13人」の最終回が被ってしまってどうしよう、ということが論議されている夜だった。しかしテレビ朝日系列が映らない島根に住む俺には関係のない話だと、秋口からの「M-1」の情報を目にするたび、ケッ、といじけていた。ところが直前に、今年の「M-1」はTVerでライブ中継するということを知り、無事にリアルタイム視聴することができた。よかった。
 子どもたちがいては漫才など聞けないので、部屋でひとり、晩ごはんまで持ち込んで、去年の恨みもあり、本腰を入れて観た。結果、大会そのものの盛り上がりはそこまででもないように感じたけれど、優勝したウエストランドはたしかによかった。現実ではなかなかそういうわけにはいかないからこそ、テレビはじゃんじゃん悪口系の笑いをやっていけばいいと思う。無理だろうけど。
 そのあと、録画していた「鎌倉殿」の最終回をファルマンとともに観る。テレビばかり観ていた夜だった。最終回なので、なんだか最初から最後までずっと寂しかった。大河ドラマの最終回は、そのまま主人公の死期なので、いつも寂しい。また義時の死に方の寂しさったらなかった。でもこのドラマがあったおかげで、1年間とてもおもしろかった。
 「M-1」が終わり、大河ドラマが終わり、なんかもう、ちょっとすれ違っただけの12月は、その姿さえ視界から消え、ぼんやりとした輪郭しか残っていないかのようだ。ちなみにこの晩、深夜1時ごろからは、ワールドカップの決勝戦も行なわれていた。アルゼンチン対フランスは、アルゼンチンが勝利し、大会最優秀ゴールキーパーの賞を受賞したアルゼンチンのエミリアーノ・マルティネスは、受け取ったゴールデングローブのトロフィー(実物大の黄金の手の形)をその場で股間に当て、勃起チンポ的なジョークをかましたそうだ。よかった。そういうの、本当にいいことだと思う。国とか、スポーツマン精神とか、リスペクトとか、そういうのを超越した、真の歓びが伝わってくる。中東で行なわれたノンアルコールの大会で、最後の最後にそれがあったということに、勇気をもらった気がした。あとどうしてもこれが言いたい。これがほんとのアルゼンチンってね!
 翌日の今日は、相変わらずの寒波で、窓の外は雪景色だった。それでも労働中は暑くなり、先週は水曜日にワクチンを接種した影響でろくにプールに行けなかったので、今日こそは行くぞと思いながら仕事をしたのだけど、退勤して会社から一歩出た瞬間に、本当にろうそくの火が消えるかのように、フッと意欲をかき消された。会社の玄関から駐車場の車までの50歩くらいで途端に手がかじかむような、容赦のない寒風。プール……、だと? と、先ほどまでの自分の正気を疑いたくなった。行ったら行ったで、プール内も水も冷たくないし、泳いだあとは熱いシャワーを浴びるしで、決して自殺行為というわけではないのだけど、とにかくこの寒さの中、プールに足を運ぶということのモチベーションがもたない。さすがに無理だった。週の半ばは少し寒波が収まるようなので、そこで行ければいいかな、と思う。
 脈絡のない、雑然とした日記になったが、だいたいそんな師走の昨日と今日を過した。

頼家気分

 今日は松江で行なわれる催しに子どもを連れていかねばならなくて、でも都合の悪いことに僕はこの土曜日が会社カレンダー的に出勤だったので、事情を話したところ義父母がレジャーがてら連れてってくれることになった。
 なったのだったが、わりと直前になって、やっぱり仕事はお休みということになった(土曜日はなんだかんだでこうなることがある)。そうなると、にわかに僕も松江行きの目が出てきた。しかしながら、子どもを催しに連れていくのが当初の目的であったものが、ファルマンによると義父母はもうだいぶ孫との松江行きを張り切っているらしかったので、いまさら「やっぱりいいです」と言えようはずもなく、だったら僕も飛び込みで参加というのはどうだろうと思ったが、残念ながら義父の車は5人乗りなのである。僕が乗る余地はない。僕のフリードならば6人乗りだが、なんかどうも、「俺の車で妻と娘と孫娘を乗せて松江行きだぜ」と意気込んでいるだろう義父に、僕も参加するんで、6人になるんで、僕が運転しますから、僕の車で行きましょう、ということを伝えたら、義父は拒絶するわけにもいかず、「……うん」と哀しそうに返事をして、そして助手席でずっとちょっと愁いを帯びた表情を浮かべ続けるのではないかという気がして、そんなことに思いを巡らせた結果、これはあれだな、俺は源頼家だな、あのまま死んでいれば丸く収まったものを、にわかに息を吹き返したりしたからややこしくなってしまったということだな、という結論に至り、結局どうしたかと言えば、ファルマンとの協議の末、今日の僕の仕事が休みになったことは、義父母には秘匿することにした。ちなみになんで僕は松江に行きたがっているのかと言えば、本当にただ一点、松江イオンのパンドラハウスでニット生地を買いたいから、というだけの理由であり、それに対して義父は、せっかく孫と松江に行くのだからと、いろいろ立ち寄るスポットを挙げているそうなので、本当に頼家と一緒、にわかに息を吹き返したりしないほうが全員しあわせなのだった。
 というわけで午前の、義父母が車でわが家に迎えに来る予定時刻の少し前に、アリバイ作り的な感じで、僕はフリードに乗り込み、街に出た。おろち湯ったり館という考えも、当然ちらりと脳裏をかすめたのだけれど、昨晩にプールに行ったのと、前回から間が詰まりすぎているのと、なにより12月から2階が閉鎖されているのとで、どうも意欲が湧かず、本当に義父母によるファルマンたちのピックアップの間をやり過ごすためだけの、日常的な買い出しに終始した。帰宅後は、ひとり買って帰ったブロック肉で煮豚を作り、昼ごはんはうどんを作り、食べ、そのあとはショーツを作ったり、HIITをしたり、なんかまあ、そんな感じで過した。なんとなく地に足がつかない、時間を潰すために過しているような、そんな過し方になってしまった。たぶんそれは、義父母に対し、僕がこの日中に家にいるのが秘匿事項だからで、まったく善良な人柄だなと我ながら思うが、そのうっすらとした後ろめたさによる作用だろうと思った。ファルマンたちは夕方に帰ってきた。愉しかったそうで、なによりだと思った。僕が闖入していれば、そうはならなかったに違いないと思った。

この1週間ほど

 「cozy ripple名言・流行語大賞」と「パピロウヌーボ」を無事に投稿することができた。去年は心身の調子が整わず中止にしてしまったので、今年はそれができた、ということがなにより嬉しい。実際、なかなかの労力である。趣味でブログをやっておいて労力もなにもないだろという話だが、この10日間くらいはそれにかかりきりだったのだ。そこから解放された歓びもまた、全身を優しく包み込んでいる。なによりどちらもとてもおもしろいものに仕上がったという達成感もある。
 この1週間ほどのことをざっと記録しておく。
 先週の日曜日は午後から義両親が子どもを連れ出してくれるというので、ここぞとばかりに、ファルマンと僕は夫婦水入らずでしっぽり、なんてことを本当に実行していたらこんなふうにエピソードを開陳することはしない。現実は、ファルマンは(言うまでもなく)家で過し、僕は意気揚々と、おろち湯ったり館へと繰り出したのだった。この10日ほどは上記のふたつの企画にかかりきりで大変だった、とホザいた舌の根も乾かぬうちに、こんな白状をするというパターン。しかし雲南市にあるおろち湯ったり館は、12月に入ると2階の露天が閉鎖されてしまうので、この11月の最終日曜日は、それを享受する最後のチャンスだったのだ。しかもこの日は月にいちどの薬草湯(今月はどくだみ)ということで、いよいよ久しぶりに行くっきゃなかった。いつぶりの来訪かと言えば、なんと今年初で、去年の大みそか以来である。島根への再移住を決めた際、あのおろち湯ったり館に、車で30分弱で行ける場所で暮すんだな、足繫く通おう、と心に誓ったのに、現実はこの体たらくである。なんだかおろち湯ったり館にも、当時の自分にも、不義理な気がする。それで11ヶ月ぶりの湯ったり館はどうだったかと言えば、これが、本っっ当によかった。やっぱりおろち湯ったり館は夢のような場所だな、という思いを新たにした。プールがあり、サウナがあり、開放的な露天があるのだ。行くたびに高確率で、これ以上に僕の欲求を充足させる施設は他にないな、ということを思う。もう露天は閉鎖されてしまったし、なにより本格的な冬になれば、雲南市のほうへは、道のコンディション的になるべくなら車を走らせたくないので、またしばらく間が空くが、来春以降は今年よりも努めてアグレッシブに訪れようと思った。
 この日の晩は、19時からというゴールデンタイムに、ワールドカップ予選リーグ第2戦のコスタリカ戦が行なわれるということで、当然それを観ながらの晩ごはんということになり、ならばダラダラ食べられるメニューにしようと、たこ焼きにした。これはとてもいい趣向で、日曜日の19時というとても恵まれたタイミングでの試合の、勝てば十中八九決勝トーナメントに出場できるという状況で、しかもドイツに勝ったんだからコスタリカには勝てるんだろうと国民の大多数が信じてやまない、この幸福な夕餉において、たこ焼きは最適なメニューだったと思う。たこ焼きは美味しかった。試合は阿鼻叫喚だった(主にファルマンが)。対戦相手的にも、日程的にも、いちばんいいお膳立てがなされた、この試合がこんなことになるかよ、という感じだった。そのあと寝る前に見た「鎌倉殿」では実朝と公暁も死んで、いろいろ暗く、なんだかとてもダウナーな晩となった。
 第3戦、スペイン戦は、平日の朝4時から開始で、しかも相手はスペインということで、あまり身が入らなかったが、それでもなぜか自然と5時半前あたりに目が覚め、スマホで速報を見たら2対1で日本がリードしていたので、慌ててリビングに行ってテレビを点けた。そして試合終了を見届けた。開催前、コスタリカにはなんとしてでも勝って勝ち点3をゲットし、残りの2試合のどちらかを引き分けにできたらもしかしたら、なんて予想がなされていたのが、結果的には正反対のような結果となり、奇想天外だと思った。アラームが鳴るまで15分ほどあったので布団に戻ると、ファルマンがうごめいていたので「日本がスペインに勝ったよ」と教えたら、しばらくの沈黙ののち、「うぇーっ!」と叫んだ。ちなみにこのとき起き抜けにおかしな動きをしたらしいファルマンは、腰を悪くして、今も背中に湿布を貼っている。サッカーにそこまで興味がないくせに、挙動だけは熱狂的なサポーターなのだよな。
 あとこの期間の日々で特筆すべきこととしては、ちょうど12月に入ったあたりから気温がガクンと下がり、わが家も石油ストーブが稼働しはじめ、いよいよ本格的な冬に入った感がある。そしてまだ体や体制が整っていないせいもあるのだろうが、寒さがとても身に沁みている。筋トレは、厚着でするものではないので、なかなか取り掛かる気力が湧かない。筋トレ自体は、やっていてそう体が温まるものでもないし。冬はどうしても委縮することだ。せいぜい挫けずに明るい気持ちを持って日々を過そうと思う。