俺の今年の夏休みはまあまあいい具合にまとまった

 夏休みが終わる。6日間、たっぷりと堪能した。
 開始時に「予定がない」ということを書いて、結局どんなふうに過したかと言えば、行き当たりばったりに、それなりに愉しく過した。時間を持て余すということもなかったし、まだまだ休みたくて明日からが憂鬱でしょうがない、ということもない。ちょうどよかった。そういう意味で、いい具合にまとまった夏休みだったと思う。
 図書館でスタンプラリー企画をやっていて、市内にある図書館のうち、5館を回ると粗品をプレゼントということで、参加した。スタンプラリーと言えば鉄道のイメージがあるけれど、それはたぶん都会の話で、地方では電車の数が少ないし、駅と駅の間隔が広いので、不向きなのだろうと思う。図書館のスタンプラリーは、子どもが自転車で回るには範囲が広すぎるので、どこまでも車を運転できる大人の存在を前提にした企画であるに違いなかった。そして市内の方々にある図書館に、1日1館ないし2館赴くのは、予定がまるでない盆休みに、とても適当な用件であった。ついでに、普段は行かないスーパーなどにも行けて嬉しかった。プレゼントは定数に達し次第終了ということで、用意された数と、参加状況のことは知らないが(5館はなかなかにハードではある)、わが家は無事にゲットした。図書館の本の運搬に便利な、スサノオのイラストがプリントされたオリジナルのトートバッグであった。
 今回の図書館巡りで、これまでも気にはなっていた「王家の紋章」(細川智栄子あんど芙~みん)に、とうとう手を出してしまう。なにぶん娘が古代エジプトにどっぷり傾倒しているので、いつか読むことになるだろうとは思っていた。夏休みで時間があり、そして図書館巡りをしているのだから、開始条件は揃っていた。まとめて数十巻分も借りて、僕、ファルマン、ポルガで、ガンガン読む。読んでいる。感想はまた別に書こうと思うが、期待通りにとてもおもしろい。
 古い漫画繋がりになるが、ダイソーでブラックジャックグッズが出たということで、買いに行き、そのラインナップ中にトランプがあったことから、この数日はかなりトランプでも遊んだ。はじめは七並べやババ抜きなど、これまでもしていた遊びをしていたのだが、ピイガも4年生なのでそろそろできるだろうということで、子どもたちにルールを覚えさせ、大貧民をやるようになった。大貧民は、やるとやっぱり滅法おもしろい。4人なので平民なしの、富める者と貧しき者の二極形式。たぶん合計で20回以上行なったが、僕はいちどくらいしか貧民側には落ちなかった。踏んでいる場数が違う。
 プールは、1年で最大の書き入れ時であり、迂闊には近づけなかった。それでも夕方や夜などに、ひとりスッと駐車場の空きに滑り込み、ストイックに泳ぐだけのコース(どれほど盛況しててもここは空いている)で存分に泳いだ。4度ほど行って、毎回作り立ての、新しい水着を穿いた。レジャーの客と、いろんな意味で違うフェーズにいるな、と我ながら思う。
 最終日の今日は、休みのうちにいちどくらいはサウナに行こうと思っていて、本当は昨日おろち湯ったり館に行く予定だったのだが、鳥取に甚大な被害をもたらした台風7号の襲来につき、さすがにわざわざ山のほうに行くのはやめにして、そのリベンジとして平田のゆらりに行った。湯ったり館に行こうと思っていた意欲からすると、プールのないただの温泉サウナ施設は物足りなさを覚えてしまうのだけど、それでもまあ、サウナのテレビで甲子園を観るっていうのも、夏の思い出として価値があるかもな、などと自分を納得させた(湯ったり館のサウナにはテレビがない)。
 台風7号は、予期していたとおり、全国の夏の移動にとてつもない障害を与えたようで、自分たちが横浜に行ってたら(1ヶ月前からそのチケットを取っていたら)と思うと、とてもゾッとした。ごくごく普通に、帰ってこられなかったんじゃないだろうか。
 食事方面は、6日間しっかり役目を果たした。4日目あたりに手巻きずしをやった以外は、特にこれという力の入ったものを作ったということはないが、毎日おいしく、酒が飲めるものを作った。6日間、酒はしっかり飲んだ。酒が乏しくて切ない思いをするのが嫌だったので、しっかり買い込み、そしてしっかり飲んだ。ビールがべらぼうに美味しかった。
 とまあそんな6日間の夏休みだった。悪くなかった。子どもたちの休みはまだ続くが、とは言え実はもうあと10日くらいのものである。8月ももう下旬なのだ。7月と8月は早いな。早いというか、暑さで朦朧として、こちらの知覚が鈍くなり、処理できないまま通り過ぎているということなのだろうな。早く暑さがやわらいでほしいが、そちらはもうあと1ヶ月ほどは続くのかもしれない。俺たちの朦朧はまだまだ続く。

俺の今年の夏休みは輝かしい最高のものになる

 今日から夏休みに入る。めでたい。
 しかし不安なことがひとつだけあって、先日三女とも話したが、予定がないのだ。わりと本当になにもない。去年はどうだったんだっけ、と1年前の日記を振り返ったら、やはりジタバタしつつも、大したことはしていないようだった。夏休みって、得てしてそういうものかもしれない。なんてったって暑いだろう。冷房を効かせた車移動でも、結局陽射しで疲弊する。そもそも車に乗ってどこへ行くというのか。屋外レジャーのすべては選択肢から除外されるので、そうなるともう田舎暮しは手足をもがれたようなものだ。
 ならばいっそ夏休みというのは、帰省という、億劫だが定期的にやらなければならない行事をこなす期間として捉え、命を削るくらい疲れるのを覚悟して、それをするのが正解なんじゃないか、という気がしなくもないのだが、今年に関してはそれを予定していなかったことがとても幸いだった。なんだあの、台風7号の進路というものは。お盆期間の東海道新幹線は、そして空路は、いったいどういうことになるのか。本当に帰省を計画していなくてよかった。
 1年前の日記の話に戻るが、大したことはしていないと言いつつ、インスタグラムを始めていたのはこの時期だった。すなわち、ジョニファーロビンを召喚し、スマホを購い、作り溜めたショーツを穿かせて撮影し、インスタグラムに投稿するという、たしかにそれはきちんとした分量の休みじゃないとやり始める気にならないかもな、ということをやっていた。ちょっとうらやましい。なんかそういうのないかな。
 一応、新しい水着を作りたいと思い、この夏休みに間に合うよう生地を注文するということをしていた。しかし何枚か買ったうちの1枚だが、火曜日に届いたそれを、火曜日の夜に裁断し、水曜日の夜に仕上げてしまっていて、水着ももうなんだかんだで20枚くらい作っているので当然と言えば当然だが、手際が良くなりすぎていて、もはや僕にとってそれは、まとまった休みだからできることでは全然なくなってしまっているのだった。誰かもっと俺を愉しませてくれる手応えのある奴はおらんのかと、強くなり過ぎた哀しい戦士のような気持ちだが、じゃあ普段作っていないような複雑なものを作ればいいじゃないかと言われると、やはりどうしたって股間周り以外のものを作る気にはならないのだった。どうしてちんこ関連の裁縫はこんなにも愉しいんだろうな。ちんこだからだろうな。
 そんな具合の、グダグダになりそうな気配が濃厚な夏休みなのだが、そのわりに期待感や焦燥感は強いようで(ここに哀しみが生まれる)、初日にして早く目が覚めてしまい(まだ体が平日のリズムというのもある)、ひとりリビングにノートパソコンを持ち出し、薄暗い中でこうして開始宣言を書いた。しかし15分ほど前からピイガが起きてきて、Eテレを流し始めたので、もう書けない。なるべく愉しく過そうと思います。

Mr.サマータイム

 言ってもぜんぜんしょうがないのだけど、暑い。ありとあらゆることのやる気を亡失させる暑さ。いや、この表現では、意志の問題のように捉えられてしまうかもしれない。そうではない。もはや物理的である。物理的に、人がなにもできなくなる暑さだ。
 それでも人にはこなさなければならない用件というものがある。仕事以外にも。
 というわけで土曜日には、松江に行って、サーカスを観てきた。いま松江公演を行なっている、ポップサーカスである。ちなみに話は微妙にややこしいのだが、前日である金曜日の夜まで、僕はこのサーカスを観る予定にはなっていなかった。今回のサーカス行きは義母が企画し、ファルマンとうちの子ふたり、そして夏休みで実家に帰ってきている次女とその娘ふたり(もっとも1歳の次女はチケットの数に入らない)というメンバーで観るはずだった。それを、サーカスを観賞しない僕と義父が車で送迎し、公演中は僕は松江イオンで買い物、買い物の習慣がない義父は松江城に行く(熱中症になるよ!)、という算段になっていた。しかし木曜日あたりから、次女の持病の腰痛が悪化し、1歳児を連れて松江まで行ってサーカスを観賞するという予定がどうにもこうにも困難だということになり、そうなると大人分のチケットが1枚余ることになるので、仕方なく義父が観るか、それとも三女が代わりに参加するか……、などと、ファルマン家名物の、紛糾するだけで一切結論が出ない議論が繰り広げられたのだが、僕が閃いて金曜日の夜に提案した、「俺のフリード(6人乗り)1台で、わが家4人と、義母と、次女の長女という6人で行って、その6人でサーカスも観ればいい」という意見が急転直下で(飛びつくように)受け入れられ、そういう運びとなったのだった。かくして僕は、急にサーカスを観ることになった。
 午前の部だったので、朝実家にふたりを迎えに行くと、そもそも今回のことを非常に億劫に思っていたらしい義父が、とても軽やかな顔で笑っていた。「まあホームページで見たら駐車場は用意されてるらしいから大丈夫だと思うぞ」などと声をかけてきたので、うるせえ、と思った。次女の長女は、母親と別行動をあまりしない子なので、そこが心配だったが、8ヶ月差の1学年差であるピイガにはそれなりに心を開いていることもあり、なんとかなった。道はもちろん高速道路を使い、つつがなく、いい時刻に松江に到着した。ちなみに車中では、前の晩に、今回のために新たに作成したプレイリストで音楽をかけた。義母も乗るので、ポルガのボーカロイドの曲は数を制限し、僕の選んだ昭和歌謡多めのラインナップにした。ランダム再生にしたのだが、行きでサーカスの「Mr.サマータイム」が掛かったので、僕は(よかった)と思ったのだが、義母もファルマンも大したリアクションはなかった。真夏にサーカスを観に行く際にそれを流すのって、すごく気が利いてるだろうと思ったのだけどな。
 案内に従って車を進めると、いかにもサーカスらしい、派手な色の巨大テントが現れ、テンションが上がった。当初は送迎だけをするつもりで、別に観たいとは思っていなかったサーカスだったのに、俺の車1台で行って俺も観る、という提案をした時点から、やはり生来の気丈さや健気さ、なにより気質の良さと言うほかない人間的な好もしさによって、わりときちんと気持ちは盛り上がっていたのだった。サーカスの観賞は、あまり記憶が定かではないのだけど、たぶん子どもの頃に、ボリショイサーカスを観たのではないかなー、という気がする。それ以来だ。ちなみに倉敷在住時代、本拠である岡山に、木下大サーカスが来た年があったが、その頃はまだ子どもたちが小さすぎて行く気にならなかった。そのため今回、子どもたちにとってちょうどいいくらいの年齢でサーカスがやってきたことは僥倖だった。
 テントの中は薄暗く、頭上には空中ブランコの足場のようなものがあったりして、非日常の空間に入ったのだという実感が湧いた。開演15分前になると、時折ピエロが舞台袖から現れ、客いじりなどをして会場を温めていた。わりと至近距離にいたお父さんのひとりがピエロに捕まり、ステージに上げられて芸に参加させられたりしていたので、内心戦々恐々とした。そのお父さんは、はしゃぎ過ぎず、ノリが悪すぎもしない、ちょうどいい塩梅の人で、たぶんピエロは長年の経験によりそういう人の選別能力が養われているのだろうと思った(だから間違っても僕なんかは選ばないのだ)。
 ショーは、非常に見応えがあり、おもしろかった。思えばライブのエンターテインメントショーというものを、ずいぶん目の当たりにしていなかったけれど、それはこんなにもドキドキワクワクするものだったか、と蒙が啓かれた気がした。そして、なんだよ、人間ってこんなにすごいことができるんじゃん、ということも思った。もう人間のやってきたほとんどのことが、AIによってその役割を奪われるのだと、そんなふうに思っている部分があった。実はそんなことぜんぜんないのだ。メディアの情報ばかりを摂取していたせいで、そんな当たり前のことを忘れていたということに気付かされた。そんな感動を与えられた、39歳でのサーカス観賞体験だった。観るつもりがなかったくせに、もしかすると誰よりも愉しんだかもしれない。もちろん子どもも愉しんでいたようだった。
 ショーは正午に終わり、このまま帰ってもよかったのだが、そうなると昼ごはんがだいぶ遅くなってしまうし、せっかくだから食べて帰ろうよ、そんでそれじゃあ松江イオンに行くっていうのがいいんじゃないかな、と話を誘導し、サーカス観賞かつ松江イオンの手芸屋にも行くという、目的の両獲りを成功させる。我ながらすばらしい手腕ではなかろうか。他者に負担をかけていない、という点がなにしろ素晴らしいと思う。というわけで松江イオン内のファミリーレストランで昼ごはんを食べ、そのあとスタタタッと単独行動で手芸屋に行き、何点かニット生地を買った(やはり倉敷に較べると寂しい品揃えではあった)。そして帰った。
 義母と次女の長女を降ろしに実家に寄ると、さすがにその頃にはぐったりした。なにしろ陽射しがすごいので、冷房をどんなに効かせてもだいぶ体に来る。なにより松江と言えばまあまあの遠出だ。そんな我々を見て、冷房の効いた部屋で野球を観ていたらしい義父が、「おいおい、サーカスから帰ったあとは、もっと明るい顔をしとらんと」と言ってきたので、うるせえ、と思った。義父は短時間の絡みで、すっと差し出すように、うるせえ、と思わせることを言ってくる。あれは一種の才能かもしれない。
 帰宅したあとはのんびりと過し、体を休めた。本を読んだり、松江で買ってきた生地で早速ショーツを1枚作ったりした。ちなみに松江はこの土日、水郷祭という大規模な夏祭りが開催されるのだそうで、我々はその狂騒に巻き込まれないように退散したのだが、世の中には午後の部のサーカスを観賞し、そのまま水郷祭へとなだれ込むという人々もいるだろう。すごいと思う。活動的な人のバイタリティというのは、本当にすごい。
 晩ごはんは、茹でた豚肉と、とろろや納豆や温泉卵を和えた、見た目が本当に嘔吐物のようになったものを、冷たいそばに掛けたものを食べた。おいしかった。もう、食べたいものと言うより、食べられるものが、そういうものに限られている。とろろにすがって夏を乗り切りたい。とろろほど物理的にすがれないものもそうそうない。
 明けて今日は、2日連続で実家の人たちとの絡みになるのだけど、昼ごはんに、みんなで近所の中華料理屋に食べに行った。みんなで、というのは、昨日のメンバーに加えて、義父も、次女と三女、そしてもちろん1歳になる次女の次女も、ということだ。今回、次女の夫はお盆に夏休みらしい夏休みがないそうで、来週末くらいに回収に来て、兵庫に戻ってしまうということで、じゃあその前にみんなで会食でも、ということになったらしい。中華料理は、まあ普通だった。特別ものすごく、クックドゥとか冷食とかより格段においしい、ということもないくらいの味わいだった。それにしても実家の面々は、駐車場から店までが暑いとか、店内でも空調の冷気の届き方が悪いとか、本当に逐一口に出す。ファルマンと過していると、この人はものすごく不満を隠さない人だな、ということをたびたび感じるのだけれど、そんなファルマンが霞むほどのレベルだ。一緒にいると、あれ? もしかして僕はすごく社会性のある、善良な人間なのでは? と思えてくる。
 食べ終えたあとは、実家に子どもたちを置いて、僕とファルマンだけで買い出しに出る。日用品と、百均と、食料品と、3軒回る必要があったので、子どもたちなしで買い回ることができてよかった。最後のスーパーで、アイスを買って帰り、実家の面々とおやつにした。こういう状況でアイスを買って帰る人間は尊い。
 帰宅後はやはりぐったりした。もう、本当に、必要最低限の用事をするだけで、そのあとはしばらく家で回復する時間が必要になるほどの熱射である。この暑さは一体いつまで続くのか。三女にお盆の予定を訊ねたら、「なにもない。まずいと思うが、なにも浮かばない」という答えが返ってきて、みんな一緒なのだなと思った。
 晩ごはんは、サーモンの刺身や、炒飯、フライドポテトに枝豆という、気の抜けた、ただもうビールのための夏の夕餉、という感じのメニュー。昼ごはんに中華でいろいろ食べたので、まあ今日はこんなもんでいいだろ、ということで。
 そんな週末だった。サーカスは本当に良かった。それ以外は、とにかく暑かった。以上。という感じ。

真夏のシンデレラ

 暑さがすごい。今年の暑さと来たら、すごいじゃないか。1週間のうちの日中の大部を過している職場は、日当たりこそ必要以上にいいものの、ありがたいことに冷房は適温で効いているため、暑さによる体力的なダメージは、わりと免れていると思う。それでも夕方には、これまでの時期とは較べ物にならないような疲労感がある。
 思えば7月というのは実は毎年そうで、体調が崩れないようタイトロープをそろそろと渡るような危なっかしさがあり、今年のように思いっきり足を踏み外し、落下するパターンもある。6月末に切れたプールの会員を、7月上旬に更新したのは本当に失敗だった。7月は、混んでいるし、日々の体力が持たないしで、実はろくにプールに行く気にならないのだ。去年、そのことはしっかり学習していたはずなのに、7月もまだ上旬というのは、逆にいちばん、「これから暑くなってプールが気持ちいい夏がやってくるぜ」というテンションになっているせいで、なんの思慮もなく間髪入れずに申し込んでしまった。
 プールに行く気が起らないくらいだから、日々の筋トレの意欲ももちろん減退している。蓋を開けてみれば、プールに足が向かないくらい、むしろ普段の月よりも披露する機会がないのだが、なんとなく筋トレというのは、露出が増える夏に向けて、それ以外の期間せっせと雪の下で筋力を蓄える、という図式ではないかと思う。それだのにこの半月ほどのサボりのせいで、6月下旬あたりだいぶ仕上がっていた僕の体は、ここへ来て少し迫力がなくなったように思う。夏というのは本当に過酷だな。
 あと先日の、一家を襲った体調不良なのだが、あれってもしかするとコロナだったんじゃないかという疑惑が、にわかに高まっている。あのプールと餃子の日のあとから、各人が体調を崩しはじめたわけだが、実は3女も同じタイミングで発熱し、あの週は仕事をだいぶ休んだという。しかしコロナの検査をしたところ陰性だったそうで、僕はそれを聞いて、ああよかったと安心したのだった。というのも、倦怠感や、ごはんの味が少しおかしく感じられるなどの症状があったため、当然(もしや……?)という恐怖を抱いていたのである。しかしタイミング的に同じウイルスにやられたのだろう3女が陰性だったということは、これはコロナではなく、たちの悪い夏風邪なのだな、と解釈することができた。ところがである。この数日後、すなわち次の週末あたりに、今度は実家の義両親がふたり揃ってダウンし、こちらはなんと陽性だったのである(今はもう回復した模様である)。これで話が分からなくなった。感染したにしては少し発症のタイミングがズレ過ぎている気もするのだが、ただの風邪にしては、我々の症状はだいぶヘビーだったような気がしないでもない。今となっては確かめようがないが、しかし僕もファルマンも、40代ってこんなに風邪がしんどいのか……、と今回ことさらに加齢を哀しく思ったのだけど、それがコロナであったとするならば、あのしんどさは加齢が原因ではないということになってくるので、そっちを採用しようと思っている。
 ちなみにコロナで心配される後遺症についてだが、幸いなことにちんこが小さくなった様子は見受けられない。もっとも少々小さくなったところでびくともしないとも言えるし、そもそもスケール感が規格外すぎて大小などという概念を超越しているとも言える。まあとりあえず言えることとしては、安心してください、ということだ。

うつりました

 体調を崩していた。伏線はあからさますぎるほどに張っていた。前回の記事は、「ピイガの風邪がうつりませんように。」で終わっている。願いは叶わず、まんまとうつった。
 ただでさえ3連休明けの哀しみを抱えて始めなければならない今週に、その上体調が悪いだなんて、あんまりではないか。体調を崩すこと自体が久々だったため、僕の中の体調不良耐性はだいぶ弱くなっていて(喜ばしい話だが)、そのためかなりの絶望感があった。
 火曜日の夜は、9時間寝た。月曜日に発症し、菌をまき散らしたピイガは、これが若さか、この日にはもうすっかり回復していて、僕はそんな小学生よりも早く、8時台に眠りに就いたのだった。いくら体がつらいからって、さらには眠くなる鼻炎薬を服んだからって、8時台なんかに眠れるだろうかと一瞬だけ危ぶんだが、一瞬だけだった。寝られるもんですね。
 9時間寝たんだから大回復しただろうと期待したが、これが四十路か、そこまで劇的な効果は得られず、水曜日もまだ気怠かった。熱とかそういうんじゃなく、気怠さがメインの症状という、少し珍しい、そして精神面にダメージの来る、陰鬱なタイプの風邪なのであった。水曜日の夜も8時間寝た。9時間と8時間。我ながらよく寝たものだ。
 その果以もあり、今日になってようやく体調はだいぶ改善した。風邪のあとの、粘り気のある鼻水や、しつこい咳はあるものの、こうして日記が書ける程度には回復した。やれやれである。
 ちなみにポルガも僕と同じく火曜日に発症し、しかしこれは次の日にはなんともなくなっていた。若さ。僕を隔離するためにピイガの相手をしていたファルマンも、化け物ながら、さすがに無傷というわけにはいかず、やはりいま咳をしている。おとといと昨日は僕があんな感じだったので、ファルマンはピイガの部屋で寝ており、今晩あたりからは別にこちらに戻ってきてもいいのだが、ファルマン曰く、「私の咳はでかくて、自分で自分の咳の声にびっくりして起きたりするくらいだから、横にいないほうがいいと思う。ピイガは起きないけど」とのことである。たしかにファルマンは咳もくしゃみも大きい。そういう様子を見るにつけ、「頭のいい人はつい効率的な動きをしてしまうから筋トレに向かず、馬鹿はがむしゃらに必要以上の筋肉を使うから筋肉がよく育つ」という、前々から提唱している理論が補強されると思う。「咳のし過ぎで腹筋が痛い」とも言っていて、なぜそんな作用が起るのか、僕にはさっぱり分からない。
 この3日ほど、そのような感じで、なかなかダウナーな気分だったのだけど、そんな中でキラリと光る喜ばしい出来事として、前にも書いたが、やはり鼻炎薬を服むと、陰嚢が寛ぐのだった。陰嚢が寛ぐとはどういう状態か、このブログの読者のメイン層である女子高校生や女子大生の諸君にはイメージがしにくいだろうから説明すると、要するにリラックスし、だらける感じだ。普段は、悠々としているようで、それでも抑えるべきところは抑えている陰嚢だが、薬を服むと、なんかもう、完全になにもかもがどうでもよくなってしまうようで、べほーっとなる。だからすごく揺れる。いつもより大きなスケールで揺れる。愉しい。普段もちんこによって救われる場面は多々あるが、こんな体調不良で気持ちが落ち込みがちのときにさえ、ちんこは僕を喜ばせる。本当に、本当になんていいやつなんだろう。困ったときに助けてくれるのが本当の友達。尊い。
 鼻炎薬を服んで陰嚢がそうなるのは、おそらく血流がよくなるからだろう。だとすれば、死んだあとの陰嚢って、きっとすごく小さくなる。前に読んだ本に、韓国では死んだあとで陰嚢に食塩水だかなんだかの注射を打ち、陰嚢を肥大化させる(死に装束に着替えさせるときなどに親類に体を見られても恥ずかしくないようにするのが目的)専門の業者がいる、ということが書いてあったが、気持ちは大いに分かる。僕もできればやってほしいし、あるいは僕がその業者になるという道もあるかもしれない。
 話が横道に逸れた。とにかく回復してよかった。もう当分は子どもをプールに連れて行きたくねえ、と思うが、子どもたちは夏休みに突入し、ピイガは早くプールに誘えとせっついてくる。お前に、お前にプールのあとうつされた風邪で、こんなに参って、まだ本調子じゃなく、先週プールの会員を更新したばかりだというのに、それからまだろくに行けていなくて、こんなことなら会員申し込みをもっと先延ばしにすればよかったと後悔している父に向って、よくそんなことが言える。若さって怖い。

もう梅雨が明けたと言っていいのではないか3連休

 3連休であった。
 きちんと堪能しなければ、という思いが先走り、強迫観念となり、焦燥するという、いつものパターンを踏襲しつつ、しかし実際そこまで「やらなければならないこと」を抱えているわけでもなかったので、基本的にのんびりと過した。そんな感じの3日間だった。
 びっくりするくらい対外的な予定のない両親に対し、子どもたちは地域のクラブ活動や部活など、わりといろいろあった。そのため大掛かりなお出掛けをする機運が高まらなかったというのもある。なによりひどく暑かったため、レジャーの予定なんてないくらいでちょうどよかった。生きているだけで精一杯だった。
 それでも初日、土曜日の午後に、4人で海へと繰り出した。多伎のきららビーチである。人がとんでもないことになっているかな、と思いきや、それなりに人はいたが、そこまでではなかった。きちんと泳ぐつもりはなかったが、レジャーシートやタオル、体を流すための水を詰めたペットボトルなどは念のため持って行っていて、格好も僕は、ズボンの下に、下着ではなく、筋トレをする際に穿く、トランクスよりもともすれば丈が短いような短パンを穿いて、足元を波に浸して遊ぶ、よりは少し本格的に、膝より上くらいまで海の中に入る感じでしばし子ども(言うまでもなくファルマンは靴を脱ぎさえしない)とともに戯れたのだけど、こんな半端なことをするくらいなら、下は水着にしてきて、自分だけでも急に泳ぎ出すということをすればよかったな、と少し後悔した。レジャー的に、海がプールに勝っている部分なんてあまりないよな、と思っていたけれど、いざ夏になり、脚で波を感じてみてれば、やっぱり海には海の良さがあるな、と思った。今度行ったときは本当に泳ごうと思う。
 

 ちなみに消しゴムマジックは使っていない。島根県的に、「それなりに人はいた」。
 晩ごはんは、手羽先のフライドチキンと、マカロニサラダ。そしてもちろんビール。海で陽を浴びたあとのそれは、格別だった。泳いでいたらもっとよかっただろう。
 翌日は、午前中に買い物。買い物から帰り、買ってきたものを冷蔵庫に詰め、昨日の晩ごはんの残りやおにぎりなどで昼ごはんにしたあと、アイスコーヒーでも飲もうと思い冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の照明が切れていた。なんか照明が切れているな、と思い、ファルマンにそのことを伝えたら、電源は入っているのかと訊ねてきたので、前面のタッチパネルを確認したところ、うんともすんとも言わないのだった。たった数十分前、買ってきたものを詰めていた際は異常を感じなかったので、この間に、静かに冷蔵庫は斃れたらしかった。当然ながら、困る。冬ならばまだしも、目下、気温35度の世界である。大慌てで業者に電話をしたり、実家に冷蔵品を避難させてもらいにいく連絡を入れた。
 この午後からは、ポルガと付き添いのファルマンは催し物に参加する予定があり、その間僕とピイガでプールに行く予定があった。そのためとりあえず冷蔵庫の、牛乳など、すぐに避難させなければならないものを抱え、実家へ行き、それを冷蔵庫に入れたあと、僕とピイガはプールへと向かった。ところがプールは超満員で、駐車場から車が溢れ、待つことさえ許されないという。島根県でもこんなことはあるのだ。仕方なく、涙をこぼして喚くピイガを、夕方にまた行くからと約束して宥め、しかし家でふたりで過すのもなかなか厳しいので、また実家に行くことにした。その際、さらに追加の冷蔵庫の物品と、本日の晩ごはんとして作るつもりだった餃子の材料も一緒に持ってゆく。プールが夕方にずれ込んだこともあり、このタイミングで実家で餃子を作ろうと算段したのである。すばらしい判断力。
 というわけで実家で餃子を作った。なんだか自分の実家のような言い分だ。のびのび利用させてもらっている。包む段になって、ファルマンとポルガが催し物を終えて、こちらにやってきた。そんなわけで包む作業には、ファルマンと義母も参加してきた。ファルマンは普段ならば参加しないのだが(僕が僕以外の人間の包んだ餃子を好まないため)、キッチンを使わせてもらった手前、もちろん実家の面々の分もありまっせ的なことを僕が伝えたことで(追加の材料を途中で買っていた)、義母が「包むのくらいは手伝わなければ」というモードになったので、ファルマンも流れでやらざるを得なくなったのだった。別に本当にひとりでやってもよかったのだけど。
 かくして90個の餃子を包み終え、いちど家に帰ることに。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、プールのあとにまた取りに来ることにした。そうして戻ったら、なんか冷蔵庫が稼働していた。なんじゃそら、と思ったが、どうも稼働はしつつも、一方で不調を知らせるマークは点灯しているので、やはり予断は許さなそうで、予定通り業者には見てもらわなければならないし、実家に持っていったものはまだ引き上げられない。
 そのあとすぐにプールへ。当初の予定が変更となったため、ポルガも参加することに。夕方になり、さすがに車が停められないということはなかった。しかしそれでも混んでいた。混み慣れしていない子どもたちはすっかりテンションを下げ、あまり愉しめなかった。まあ3連休のプールになんか行くもんじゃないな。今後、子どもたちは夏休みに入るわけで、平日の夜、気が向いたら子どもたちを誘ってやろうと思った。
 そのあと実家に寄り、餃子を回収する。実家の面々は既に焼いて食べていた。「すごくおいしい」と言うので、「僕の作る餃子は世界一おいしいんですよ」と伝えておいた。
 帰宅後、我々も餃子を焼いて晩ごはん。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、持って帰って焼けばいいだけの話だが、問題はビールだ、と悩ましく思っていたが、なんとか息を吹き返した冷蔵庫がきちんと冷やしておいてくれて、熱々の、世界一おいしい餃子と、よく冷えたビールという至福を味わう。冷蔵庫のせいで慌ただしい1日だったが、最後にいい感じにまとまった。
 3日目、最終日の今日は、ポルガは部活、さらにピイガに若干の風邪の症状が出たので、もとより家でのんびり過すつもりだったが、リビングで過すファルマンとピイガとは極力接触しないよう、ほぼ1日、部屋でひとりで過した。これほど優雅な休日があろうか。昨晩に放映された日曜劇場「VIVANT」の初回をTverで観ながら、裁縫や筋トレをする。「VIVANT」はなんかすごかった。やあすごかったなあ、と思いながらエンドロールを眺めていたら、撮影協力の所に島根県松江市とあったので少し驚いた。
 裁縫はもちろんショーツである。ショーツ、よくもそんなに作るものがあるものだという話だが、やっていると、こんな作り方はどうかとか、細くしたらどうか、逆に太くしたらどうかとか、わりと次から次へと試行する事柄が出てきて、いつまでもどこまでも愉しい。これが趣味というものなのだな、と思う。
 今日は本当にそんなことだけをした1日だった。なによりだ。
 というわけで3連休は、暑さにやられつつも、それなりに愉しく、おいしく暮せた。もうすぐ子どもたちは、3連休など霞むような壮大なスケールの休みに突入する。うらやましい気もするし、無職の古傷を刺激したばかりの身には、ぜんぜんうらやましくなかったりもする。せいぜい健やかに生きようと思う。ピイガの風邪がうつりませんように。

交際20周年線状降水帯

 7月8日はファルマンとの交際開始の記念日で、それも今年はその20周年なのだった。20年。19歳の頃から、20年。すごい年月だな、とももちろん思うが、最近はおもひでぶぉろろぉぉんで、17年前くらいの出来事を頻繁に振り返っているので、そういう意味では慣れている。僕の「歳月の経過感じ孔」は、たくさん使用されているため、ぎちぎちとした締めつけは望むべくもないが、その代わりにちょうどよくこなれているとも言える。どちらにもどちらもの良さがある。
 そんな日にちょうど労働は休みで、ファルマンも仕事を抱えておらず、さらにはポルガの部活をはじめとして、子どもたちにも予定がないという、絶好のお出掛け条件が揃い、さてどうしたものかと数日前から思案し、なにかイベントはないものかと探したのだが、夏本番には少し早いタイミングで、絶妙になんの催しも見つからない。かと言って公園など屋外レジャーをするにはもう暑すぎるということで、本当にあぐねていた。結局これだというものが見出せず、とりあえずドライブ感覚で松江に行って、それでイオンとかに行こうかねえ、などと、冷静に考えれば決行しても絶対にいい結果にはならなそうな地点に着地しそうになっていたが、そもそも大義がない、そんなふわっとした計画は、ヤフーの見出しに「島根に……」と名指しで注意を呼びかけられた線状降水帯の発生によって、風の前の塵のごとく吹き飛んだ。明け方など、途轍もない豪雨と雷鳴で、お出掛けなどとんでもない、今日家族の誰にも予定がなかったことがなんたる幸いか、としみじみと思った。
 というわけで、雨が小康状態だった午前中に、近場の店で買い物をし、その帰りにケーキ屋でロールケーキを買い、帰った。本日の外出はこれのみ。まあこれでよかったと思う。天候関係なく、本当に松江に行っててもな。
 午後、せっかくだからということで、久しぶりに4人でマリオカートをする。そしておやつにロールケーキを食べた。まあ結婚でもない、交際開始という、大事と言えば大事だけど、かと言ってなあ、みたいな記念日は、このくらいの扱いでちょうどいいかもしれない。大学2年生のあの日から、20年経って、さまざまな事柄が巡り巡って、こうなったか。感慨深いなあ、とも思うが、しかしやはり僕の「歳月の経過感じ孔」は、ちょっと刺激過多なので、反応が鈍くなっているとも思う。
 午後のそれ以外の時間は、近ごろインスタグラムへの投稿を再開したので、まだまだ画像のストックは十分あるが、それでもインスタ活動が停滞していた日々でずいぶん溜まっていた、作製したけど撮影していないショーツの、撮影を行なった。久しぶりにジョニファーにいろいろ穿き替えさせた。ジョニファーは、腰回りが僕よりもひと回り大きいほど、普通に成人男性の大きさなので、何十枚もショーツを穿き替えさせるのは、意外と重労働である。外では再び雨が激しくなっていた。交際開始20周年の日に、線状降水帯が直撃し、そして成人男性のマネキンに何十枚も手作りショーツを穿き替えさせているという、この未来。人生は予測不可能だ。
 ちなみに1年前の交際開始記念日はどんな感じだったっけ、と振り返ったら、元総理が狙撃されていて、「あっ……」となった。それと、期せずしてジョニファー・ロビンは、去年の7月7日に初お目見えしていて、登場1周年なのだった。まだそんなか。もっと長く一緒に生きてきた気がしていた。
 晩ごはんは、煮豚や、フライドポテトや、とうもろこしや、冷奴、納豆オムレツなど、居酒屋のような感じに仕立てる。先週の土曜も同じような感じだった。とうもろこしがおいしい季節だ。先週は塩を振ってレンジに掛けただけのものだったが、今週はバリエーションとして、しょうゆで味を付けて焼いた。こちらもよかった。
 この嵐が過ぎれば、そろそろ梅雨も明ける気配だ。日本の夏は蒸し暑いというけれど、その蒸し暑さも、梅雨の湿気の比ではないだろう。とにかくこのジトっとした感じが、軽くなってほしいと思う。

父の日週末

 先週がレジャーだったので、今週末はのんびりと過した。
 ちなみに先週のプール施設に、ピイガが水泳帽とゴーグルを忘れ、しかもその水泳帽は学校指定の、授業で用いるものだったので微妙に困った、という後日談が実はある。学校指定のそれは、微妙に手に入りづらく、かつ水泳帽にしては微妙に高価なものなのだけど、じゃあ取りに行くかと言われると、やはりあの施設は微妙に遠く、まつわる要素のすべてが微妙なこの事態は、僕の心を千々に乱した、というほどの破壊力は微妙になくて、やはり微妙に面倒なのだった。結局、プール授業は今週から始まったので、なんとかファルマンが売っているのを見つけたネットショップで注文し、間に合わせた。いつか機会があれば取りに行くかもしれないし、あるいは行かないかもしれない。微妙な情勢である。
 土曜日はファルマンが実家に、1日早い父の日のプレゼントを贈呈しに行っていた。贈ったのは、少し前から努力義務化された、自転車用ヘルメット。義父はたまに自転車を利用するらしいが、今日までヘルメットは所持していなかったとのことで、毎年どうしたって悩ましいプレゼントの品目に、時勢的にもピッタリなのだった。僕は現場にいなかったので、どういうリアクションだったのかは知らない。
 そのとき僕はひとり家でなにをしていたかと言えば、裁縫をしていた。今日に限った話ではない。今月ここまでブログの投稿件数がやけに少ないのは、かなり裁縫にかまけていたからだ。製作していたのは母の日の品目で、詳しくは完成品報告を後日「nw」にすることになるが、なんだかんだでだいぶ時間を取られた。でもまあ久しぶりにショーツ以外の衣類をきちんと作ったので、なかなか愉しかった。この週末でめでたく完成し、ようやく解放されたので、いまとても清々しい気持ちである。
 土曜日の晩ごはんは、お好み焼きにした。たいへん美味しかった。お好み焼きと言えば、ファルマンの下の妹は今週末、友達とUSJなどに行っているそうだ。島根からだと、特急やくもののち、新幹線である。ようやるな、と感心する。とてもいいことだと思う。ポルガも、ハリーポッターやマリオのこともあり、USJには色気があるらしい(ディズニーランドのことはそこまで言わない。時代だろうか)。しかし親が連れていく目は正直言ってあまりないと思う。ある程度大きくなってから、友達と行けばいいと思う。岡山くらいまでなら送ってやってもいい。
 日曜日は、午前中に図書館や買い物を済ませ、午後はやはりのんびりと過した。おやつの前に件のワンピースの目途がついたため、それ以降はステカのことをした。夏の到来に合わせ、今年も素材Tシャツを調達し、オリジナルTシャツ作りに半月ほど前から取り掛かっていたのだが、使うたびに数ヶ月の眠りから覚ます必要のあるステカは、はじめやはり不調で、なかなかうまい具合にいかず、何枚もシートを無駄にしていた。それが今日、腰を据えて作業にあたり、調整のコツのページなどを参考にして、なんとか復調させることに成功したのだった。というわけでTシャツを何枚か作る。自分の分も作った。こちらも近々「nw」に投稿しようと思う。
 というわけで、ワンピースとTシャツが仕上がったので、なかなか達成感のある週末だった。そんな健気な僕に夕方、ファルマンが主導したに違いなかったが、娘たち(というよりピイガ)から、ビールとビールグラスのプレゼントがあった。嬉しい。ちょうど晩ごはんは、自分で父たる自分を労わろうと、数日前から画策していた手巻きずしだったので、新しいビールグラスで美味しくビールを飲んだ。父の日だからという免罪符で、かなり豪華にネタを買い揃えた手巻きずしは、多幸感があった。たとえ、結局たらこマヨと玉子焼きとアボカドとかで巻いたやつがいっちゃん美味しい……、と感じたとしても、そうは言ってもやはり、豪華な刺身があるとテンションが上がるというものだ。
 結局、家族でそっちのほうばかり食べるので、刺身がかなり余った。多めに用意した酢飯も残ったので、これはもう晩酌は海鮮丼一択ですな。39歳の父の日を、幸せに過した。さあこの1ヶ月ほどの懸案事項だったワンピース作りが終わったので、明日からは「おもひでぶぉろろぉぉん」に本格的に戻ろう。目下、2006年、無職時代だ。人生って濃厚だな。

自覚を持ってレジャー

 土曜日はポルガの部活がなかったので、レジャーに繰り出した。部活という要素を除いても、そろそろ、休日に一家でお出掛けというのが、それを当たり前のようにする時代というものが、終焉に近づいてきているのを感じ(子どもが嫌がり始めているわけではないのだけど)、チャンスがある限りはなるべくやっておこうと思うのだった。
 今回の目的地は大田市方面。大田市ってこれまであまり攻略してこなかった。前にも書いたかもしれないが、大田市って、岡山県で言えば総社市みたいな存在だな、と思う(ちなみに松江市が岡山市で、出雲市が倉敷市、雲南市が玉野市にそれぞれ対応する。これは僕の中でだいぶうまいこと言ってる感があるのだけど、いかんせん共感できる人間の数が限られるのが残念なところだ)。総社市、たしかに6年間でほとんど行かなかったもんな。
 大田市と言えば世界遺産である石見銀山なのだけど、石見銀山は家族連れが行ってもあまり愉しくないらしいので、それよりはもうちょっとエンターテインメント性がありそうな、仁摩サンドミュージアムに行った。少女漫画「砂時計」でおなじみの、砂の博物館である。漫画はあんまりちゃんと読んだことはないが、連載が2003年から06年ということで、大学時代、書店でバイトをしていた時期であり、当時わりと売れていたので、印象に残っている(この時期、「僕等がいた」もあって、ベツコミは盛り上がっていた)。1年にいちど引っ繰り返すという1年計の砂時計が世界最大のものとして有名で、ギネスの証明書も展示されていた。ちなみに3人は初めての来訪だったが、ファルマンは子どもの頃に来たことがあるという。そして職場でもここの話になったことがあるのだが、ファルマンも含め、行った人間は押し並べて、「そこまでつまらなくもないけど、まあ1回行けばいいかな」という感想を口にする。実際に行った結果、僕もまったく同じ感想を持った。万人に均一の感想を抱かせるって、ある意味すごいことのような気がする。
 入場券を購入すると、イラストに合わせて剥離紙が細かくカットされたシール用紙が渡され、それを持って所定のコーナーに行くと、さまざまな色の付けられた砂が用意されており、剥離紙を適宜剥がし、そこへ砂を振りかけて接着し、彩色していく、という企画があり、われわれ一家もそれぞれ作成した。
 

 左上から時計回りに、ファルマン、ピイガ、僕、ポルガである。わりと個性というかセンスが出る。ファルマンの素朴さ、ピイガの健気さ、僕の洗練、そしてポルガの混沌。これも含め、まあ予期していたよりはいくらか愉しめた。
 ちなみに博物館のすぐそば、同じ敷地内と言ってもいいような場所には公園があり、例のごとくわが家以外だれもいなかったのだが、ここにあるローラー滑り台は全長121mあり、地味に島根県で最も長いらしい。ポルガは3回、ピイガは2回、僕は1回、ファルマンは0回滑った。長いだけあり、登るのが大変だった。
 レジャーはこれでおしまいかと思いきや、そうではない。実はサンドミュージアムは今回のレジャーのメインではない。ついでなのである。車は大田市をさらに進み、突き抜け、美郷町へと突入する。目的地は、「ゴールデンユートピアおおち」という施設。ここは、昔ながらの保養地的なものなのか、宿泊施設に、テニスコートやレストラン、そしてプールにサウナに大浴場(温泉ではない)が備わっているという場所で、宿泊客でなくてもプールや浴場を利用できるというので、前々からなんとも気になっていたのだった。しかし存在はしているようだが、評判などの情報はあまり得られず、果たしてわざわざかなり長い運転をして行く価値があるのか、不安でなかなか行く決意ができずにいた。今回行くことにしたのは、まあ一家のお出かけの骨子というのは、要するに車での移動なんだよな、ということを思ったからで、目的地がいまひとつでも、一家でのドライブと思えばそれでいいじゃないかと、そう考えるようになり、ようやく決心がついたのだった。それで行った。
 行った結果、これが大成功だった。プールもサウナもほぼ貸し切りで、ウォータースライダーもあるのだが、子どもは完全にうちの子しかいなかったため、これも待ち時間0でやりたい放題と来ては、もはや上質なリゾート空間であった。普通はこの空間を得ようと思ったら、相当に高い金額を払わなければならないだろう。つまり島根県の山奥まで行くということは、相当に高い金額を払うことと同等の負荷である、と言えるかもしれない。僕と子どもたちは、それぞれ思う存分にプールを堪能した。去年の夏、とうとういちどもプールに行かず、1年以上ぶりのプールとなったファルマンは、ひたすら水の中に立ち、ピイガの世話をしていた。途中でさすがに申し訳ないような気がして、「ピイガの世話を代わろうか」と提案したら、「代わったところで私にはプールですることがない」との返事だった。でも1日の終わりに「愉しかった」とは言っていたので、嫌でしょうがなかったわけではないだろうと思う。
 そんなわけでとてもいいレジャーとなった1日だった。ゴールデンユートピアおおち、すごく良かったが、なにぶん遠いので、再び行く日があるかどうかは分からない。田舎の山の中の、ちょっと施設全体に異空間味のある、貸し切りのリゾートのようなプール体験、まだ行った翌日だというのに、早くも遠い日の思い出めいていて、まるで幼少期の記憶のようだ。なんだか不思議な体験だったな。これだからレジャーはいいな。

2006年と2023年のこと ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 中学生になったポルガは部活に入り、部員によるグループLINEに入ったという。
 心配だ。あの悪名高い、中高生のグループLINEを、自分の子どもが始めてしまった。親として、いたずらに心配である。中高生のそういうのって、イジメの温床なんでしょう?
 と言うか、中学生はスマホを持っているのが前提なのか。時代が違うな、と思う。それはそうだ。自分の頃とは30年近く違うのだから。
 ちょうど読み返している2006年の手書き日記で、時代を感じさせる記述があった。

「そう言えば昨日の◎◎面接でもうひとついいことがあって、ずっと見つからず困っていたUSBメモリが鞄から発見されたのだ。これはかなり嬉しい。けっこう諦めていた。自室で書いたものをファルマンのパソコンに持っていくのに、SDを使っている状況だったのだ。」(4月18日)

 USBメモリに対してSDであることになんの不便があるのか、というのはよく分からないが、この記述で注目すべきは、USBメモリをなくしたと思い、諦めていたが、見つけて嬉しい、という点だ。今の感覚からすれば、USBメモリなんぞ紛失したら新しいのを買えばいいではないか、という話なのだが、当時はまだそこまで気軽に買える値段ではなかったのだと思う。今よりもずっと容量の小さい、256メガとか516メガとかで、1980円くらいはしたのではないかと思う。今は16ギガのものが500円くらいで手に入ったりするので、隔世の感である。
 続いてこんな記述。

「昨日は日中、池袋に出かけてきた。ファルマンがGWに実家に帰るため、そのチケットを買うのが目的。
 ついでにさくらやに寄る。実はぼくとファルマンの間で今、桃太郎電鉄が流行っており、その最新版が欲しくなっていたのである。しかも都合のよいことにぼくのさくらやポイントカードには5900ポイントが入っており、これにより最新のその「15」は300円ほどで買えることになった。ヤホーイ。」(4月23日)

 さくらや! と思う。懐かしい。安さ爆発!
 あと桃鉄。それまではプレステの「桃鉄V」をしていたのが、ここでPS2の「桃鉄15」になったらしい。そして今はswitchのやつをやっている。なんだかんだで桃鉄をよくやっているんだな。
 同日にこんな記述もしていた。

「さくらやでなんとインターネットの申し込みもしてしまう。
 この前電話でやろうとしたら、「FAXで免許証の写しを送ってください」とかしゃらくさいことを言われたため、店頭でやったほうが楽だな、と思ったのだ。」

 それまでファルマンの部屋のほうでだけネットが繋がっていた(だから僕の部屋のパソコンで作成した文章をネットにアップするために、SDをファルマンの部屋に持っていく必要があったのだ)のを、僕の部屋も繋げることにしたらしい。無職で収入の当てもないのに! と思う。そしてFAXの部分に、強烈な時代性を感じる。そう言えば当時は部屋を借りるときにも、必要書類はFAXで送って提出したりしていた。FAX懐かしい。FAXという存在は、機能的にもまさに、アナログ時代とデジタル時代の狭間という感じがする。字面の共通点もあり、MAXと通じる部分が大いにある。いまどきの言葉でいうなら、エモいですね。
 最後にこちら。

「「おもいっきりテレビ」を観ている。なんでかと言うと、実は今日この観覧に祖母が行っているのだ。席はうしろのほうだが写っていた。ゴボウ喰ってた。おもしろい。」(4月25日)

 読んで思い出した。そうだ、たしかにこんなことがあった。祖母は「おもいっきりテレビ」の観覧に行ったのだ。生みのもんたを見たのだ。その日の特集はゴボウで、紹介されたゴボウのサラダ(たしか火を通さず食べるのだ、ゴボウを!)が観覧者に配布され、それを食べているところが一瞬映し出されていた。あったな。「おもいっきりテレビ」も、みのもんたも、懐かしい。あまりにも古い。2006年は平成18年なのだが、嘘だと思う。「おもいっきりテレビ」をやってたなら、昭和だと思う。それとも平成が最近のことだという感覚が、もはや古いのだろうか。
 ポルガのグループLINEは、なんの内容もないノリだけのやりとりが繰り広げられているようで、語尾に押し並べて「w」が付されているらしい。「(笑)」が「w」に変化していったのは、まさに00年代中期くらいのことだと思う。いまどきの若者は、たぶん新しい言葉や表現を生み出さないだろう。われわれが教養を用いて生み出した出涸らしのようなものしか摂取しないので、そこからはもう何も生まれない。人生の中で本能的に抱くエモさを、うまく表現できず、ウホウホと、ただプリミティブな反応だけでやり過ごすのだろうと思う。もうね、新時代に取り残されないのは不可能だから、とことん揶揄し、否定してやろうと思うのです。