40歳

 かくして正式に40歳になった。40歳のパピロウですって。ウケんね。
 お祝いは当日の水曜日になされた。お祝いのメニューはなにがいいかとファルマンに事前に訊ねられたので、「スーパーのでいいから鮨」と答えたところ、それはなんの逡巡もなく「よしきた!」と受け入れられた。しかし当日の夕方になってファルマンがスーパーに向かったところ、平日というのはスーパー側もあまり気合を入れて鮨を作らないようで、ほぼ助六のようなものしかなくて、僕に電話でそれを伝えてきたのだけど、じゃあ俺が調達しようと労働終わりに立ち寄った別のスーパーも、ほとんど同じような状況で、仕方なくそんな感じのものを買って帰ったが、ちょっとどうも、とても誕生日祝いのメニューらしくない感じで、残念だった。40代、これから世界に訪れるであろう食糧危機の未来を示唆しているのかもしれないと思った。そんな未来のために僕ができることはなんだろう。コオロギをむさぼり食うことかな。
 そんな食事を終えたあとは、ケーキ。ケーキは定番のガトーショコラである。定番と言いつつ、去年はなぜか白玉クリームぜんざいだったのだよな。今年は戻った。ピイガが小学校から帰ったあと、ファルマンとふたりで作ってくれたそう。愛しい。ガトーショコラは甘くておいしかった。近ごろ甘いチョコレートというものを久しく食べていなかったので、そう言えばチョコレートってこういうお菓子だったな、と思い出した。
 誕生日を祝うポスターは、今年は平日のため準備がままならず(腐るものではないのだから3連休でいくらでも仕立てられたのではないか、という含みはありつつも)、壁の装飾にとどまった。
 その装飾りがこちら。


 描いて、塗って、カットして、貼っているのだと思えばそれなりの手間のようにも感じられるが、それにしたってシンプル。シンプルもなにも、ちょっと悪意がないだろうか。時間がない中でなにかどうしても伝えたいのだとすれば、それは「おめでとう」であるべきではないのか。大台に乗った年齢のことを、どう考えてもちょっといじっていると思う。せっかくなのでかねてより変えたいと思っていたこともあり、LINEの画像をこれにしてはどうかとも一瞬思うが、かまってちゃんな感じかな、と思ってやめた。
 ちなみに直前まで決めあぐねていた誕生日プレゼントは、さんざん煮詰まった挙句、結局のところ自分がいまいちばん欲しいものはなんなのかという自己との対話の結果、生地になった。生地なんかい! 水着用のストレッチ生地を複数枚ネットで選び、それを買ってもらった。吟味しただけあって、とてもいい柄たち。嬉しい。
 そしてそんな9月20日を終えて、次の日からは曇りがち、雨がちな天候が続いていて、今日は土曜日に喰われた秋分の日で、ポルガが部活に行き、ファルマンが仕事をしていた午前には、ピイガとふたりで散歩に出た。日中に散歩に出たのなんて、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり今年も僕の誕生日から世界は明確に秋になった。私は秋をもたらす者。I am autumn bringer.スーパーには新米が並び始めたが、たぶんそれは、僕が立ち寄ったスーパーに限るのだろうと思う。僕が足を運ばないスーパーは、いまだに冷やし中華が大売出しだ。
 節目ということで、1年の抱負とともに10年の抱負も考えるべきなのかもしれない。しかし偶然にもどちらも一緒だ。心地よく生きたい。ただひたすらに心地よい日々を目指したい。そのためには少々の苦難も覚悟している。それほどにだ。

偏狭3連休

 金曜日の労働が早めに終わったので、おろち湯ったりチャーンス! とひとり盛り上がり、赴くことにする。ちなみに職場からおろち湯ったり館へは、ほぼ家の前の道を通るような道のりしかない。職場をA、自宅をB、湯ったり館をCとしたとき、AからCへ斜めに向かうようなことは一切できない。でもはるばる行った。3連休のどこかで虎視眈々と好機を窺い、結局行けないまま終わったり、無理して行ったせいで全体が乱れたな、などと後悔するよりも、3連休前夜(と言っても翌日が休みという「自由な夜」は、この晩からの3日なのである。3連休は前夜から始まり、最終日の夜には実質的には終了している)に済ませてしまうのが得策だと思った。なんだろう、おろち湯ったり館は与えられた課題かなんかだろうか。
 7月以来の湯ったり館は、今回も裏切られることなく、よかった。プールも2階の外気浴も貸し切りで、快適に過ごした。ただし2階に上がると、誘蛾灯がジジジジと猛烈に作動している音が響いていて、なるほど見上げれば、とてつもない数の羽虫が飛んでいた。なんかもう、本当にすごかった。人生でこれほどの密度で羽虫が飛んでいる情景を見たことはなかった。まるで、問題ない量の精子が存在する精液のようだった。本能を刺激する強い光と、そこに群がる虫たちが放つフェロモンで、フライデーナイトフィーバーが繰り広げられているらしかった。ベンチに横たわると、照らされた羽虫は、夜空に浮かぶ星のようにも思え、それが目まぐるしいスピードでグルングルンと飛び回るものだから、いわゆる「ととのう」の、あの少し気を失いかけるような、心地よいめまいみたいな状態の視界の表現が、自動で展開されているような不思議な感覚があり、愉快だった。
 しっかり堪能し、帰る。帰って、餃子を焼いて、ビールを流し込んだら、先週もそうだったが、もうとても起きていられなくなり、早々に寝ることにした。人が夜に眠い状態になることを嫌うファルマンに、「そんな状態になるのなら湯ったり館に行くな」と責められたが、金曜日の夜にサウナに行って酒を飲んで眠くなるという一連の流れのいったいどこに、責められるべき不健全な部分があるだろうと思った。
 翌日、3連休の初日は、午前中に家族で少し外出する。先日も行ったクレーンゲーム専門店に行ったり、レンタルビデオ店でDVDを借りたりした。クレーンゲームでは、前回ほどの大物ではないが、ハイチュウの景品用っぽい箱タイプのものをゲットした。それ以外に挑戦した分も含め、700円を使ったが、たぶん中身はスーパーで買ったら250円から300円くらいだろうな、というものだった。そういうもんだ。遊興費だ。
 夜は地元の天文イベントに、子どもたちの引率として僕が参加する。定期的に行なわれるこれには、基本的にファルマンが連れて行っているのだが、今回はタイミングが合ったので代わることにした。しかし行った結果、まあまあのダメージを受ける。まず物理的に、部屋の温度が寒かった。空調の設定が強すぎて、体がどんどん冷えていった。周囲を見ると、女性も含めてみんな半袖だったが、僕以外は誰も寒そうなそぶりをしておらず、設定の変更を申し出られる雰囲気ではなかったため、首にタオルを巻いたり、最終的な自衛策として「部屋から勝手に出て廊下にただ佇む」などの手段を取った。あと話のテーマのひとつが、宇宙がどれほど大きいものか、というもので、プラネタリウム的な施設を用いながらその説明がなされたのだが、宇宙空間に飛び出す全天映像にはヒヤリとするような浮遊感があったし、そもそも宇宙のスケールの話は、あまり得意ではないのだった。星が何千億も何兆もあって銀河となり、宇宙にはその銀河が何千億も何兆もあるのだ、みたいな話って、聴くたびに、絶望感とか虚無感とか、そこまで強い言葉ではないにせよ、うすら寒い気持ちになるので、なるべく避けたいと思って生きている。そんなわけで、なかなかつらい時間を過した。帰宅してファルマンに報告をした際、「途中で食べたお弁当がおいしくてしあわせだった」と、自分が出発前に拵えた煮豚と焼き野菜の弁当のことを唯一の希望のように語ったら、「結局あなたは本当に自分のやることしか好きじゃないんだね」と呆れられた。なんか、どうも、そうかもしれない。偏狭だと我ながら思った。
 翌日はかなりのんびりと過した。部屋でひとり、借りてきたDVDを流しながら、筋トレをしたり、裁縫をしたりして、とても満ち足りた時間を送った。借りてきたDVDは大河ドラマで、もう僕は昔の大河ドラマを観ながら、裁縫をして、たまにおろち湯ったり館に行けたらそれだけでしあわせなのかもしれない、昨晩のことを思い出し、偏狭と言えばあまりにも偏狭なのではないかとも思うが、真性がそうなんだから仕方ないよな、などと思った。
 あとファルマンに髪を梳いてもらったのち、ブリーチを施してもらった。髪が、先の5分3くらい茶色、根元の5分の2くらいが黒という、なんとも半端な状態になっていて、40歳を迎えるにあたって(写真を撮られることも考えられる)整った状態にしておきたいと思ったのだった。使ったのは容赦のない感じのハイブリーチ剤で、全体がきちんと金髪らしい金髪になった。今回はたぶん、ここに色は入れないと思う。ただ脱色した金髪。なんかそんな気分。
 夜に放送された「VIVANT」の最終回は、タイミングが合わず、リアルタイム視聴はしなかった。そして翌日の午前中に、Tverで観た。とてもおもしろかったが、実を言えば世の中が盛り上がりすぎていて、何週間か前から、少し自分の心が冷めているのを感じていた。人気のないマニアックなものにしか価値を見出さないわけではないけれど、同じものに対し自分よりもテンションが上がっている人を見ると、どうしても引いてしまう。これも偏狭な性質の一種か。
 午後、祖母から電話が来る。今日届くように注文した敬老の日のプレゼントの礼だった。贈ったのは去年と同じく入浴剤。もう本当に毎年そうすることにしたのだった。電話口で祖母は、先ごろ死んだ親戚が自分と同い年だったという話や、どうせもうすぐ死ぬくせに補聴器を買ってしまったという話を披露してきた。祖母の「もう私は長くない」話は、たゆまぬ努力で日々バリエーションを増やし、数年前よりさらに芸に磨きが掛かっていると思った。
 そのあと、夕方にひとりでプールに赴く。暑さはまだ残り、祝日のプールはほどほどに混んでいた。気持ちが良かったが、少し体が重たい気がした。ちょっとこの3日間、摂取した脂質やアルコールに対し、運動量が少なかったのではないかと思う。これからの日々は、ちょっと摂生を心がけようかな、と思った。
 というわけで3連休が終わる。今年のシルバーウィークは散漫だ。誕生日も間の抜けた水曜日にある。そして僕はいよいよ40歳になるのか。それもまたいいだろう。ちなみに悩んでいた誕生日プレゼントも無事に決まった。宇宙の広さになど思いを馳せず、自分の本当に身の周りだけを、小さく満たして生きてゆきたい。

のんびり週末

 金曜日の夜は猛烈な眠気に襲われた。偉いと思う。1週間を勤め上げ、最後の最後に力が尽きたということだろう。本当に偉い。もっと家人に褒められてもいいと思う。22時くらいに起きていられなくなり、寝室にはまだ布団を敷いていなかったし、ファルマンが仕事をしていたので、リビングで座布団を枕にして横になった。とても珍しいことだ。そこで1時間ほど、たぶんとても深く寝て、眠りの粗熱は取れた感じがした。それでもまだ頭はぼんやりしていて、これは起きていてもなにもできないやつだな、と判断し、晩酌もせず、仕事を終えたファルマンとともに歯を磨き、休みの前夜にしてはだいぶ早めに寝た。休みの前夜というものに、毎週懲りずにテンションが跳ね上がるが、現実はこんなものだったりする。
 翌日は午前中に子どもたちが科学クラブだったので、送迎をする。ファルマンは仕事があったので、送と迎の間に洗濯を干したり、買い物に行ったりと、優れた働きをした。もっと家人に褒められてもいいと思う。子どもたちを回収したのち、昼ごはんに皿うどんを作って食べたあと、みんなで図書館に繰り出す。夏休みのスタンプラリー企画の際に借りた本が読み尽くされてしまい、新しく仕入れる必要があった。僕自身も、かなりの冊数を借りた。とても鋭い着眼点のあるあるだが、うだるような夏が終わり、朝晩が涼しくなって秋の気配を感じ始めると、わりと読書欲が増すと思う。言われてみればそんな気がしてくるから不思議だろう。秋って読書のシーズンだ、と断言してしまってもいい。我ながら斬新な意見だ。
 夕方、なんとなく気が向いたので、ピイガと近所の散歩に出る。だいぶ久しぶり。そういうことができる気候にようやくなった。ちなみにポルガには断られた。ピイガは縄跳びを、僕はバトンを持ち、車が通らない場所まで行ってから、それぞれやった。バトンは、夏を言い訳にできない期間に渡ってのご無沙汰であった。長らくできずにいたのは、労働で指を酷使する状況が続いていたからで、最近はちょっとそこから解放されたので、夏の終わりのタイミングも合致して、本当に久しぶりに回すことができた。そうしたら、ものすごく愉しかった。やっぱりバトンはいいなあ、もっと自由自在に回せるようになりたいなあ、と向上心が湧いた。手首を柔らかくするストレッチを心掛けたりしよう。きっとそれは水泳にもいい効果があると思うし。
 晩ごはんは、横浜から久々に届いたピザに、ポテトサラダと、味を付けて焼いた手羽元というメニュー。おいしかったし酒も進んだが、食べ終わったあと、まあまあの胃もたれ感があった。ポルガは下していた。ポルガはチーズがやはり少し弱点なのではないかという疑いがある。
 夜はポテトサラダの残りなどで、ファルマンと晩酌した。やっぱり週末の夜はこうでなくっちゃ。まあ晩酌自体は平日もしているわけだが、心の余裕が違う。
 翌日の今日は、ポルガが日曜日なのに午前中は部活ということで出ていったが、欠席者が多くて練習が成立しないということで中止になり、すぐに帰ってきた。夏を経ての疲弊もありつつ、新型コロナが相変わらず流行っているようで、おそろしい。わが家は、一応、いままだ、7月のあれがやはり新型コロナだったとすれば、免疫が、ある……よね? という感じなのだが。
 それ以降は、僕が食料品の買い物に出た以外は、外出せずに過した。なんならまた夕方になって涼しくなったら散歩に出てもいいね、などと話していたが、残念ながら夕方からは大雨だった。おやつのあとに4人で大貧民をやった以外は、ファルマンとピイガは一緒になにかしていたが、僕とポルガはそれぞれの部屋で、がっつりとしたいことをして過した。というわけで、のんびりとしたわりといい週末だったんじゃないかと思う。
 来週末は、今のところ3連休が予定されている。3連休ならば、いちどくらいは湯ったり館に行ければいいなあと思っている。つましい願いだな。

ギャンブルめいた日

 土曜日は部活だったり科学クラブだったりした子どもたちが、日曜日はふたりとも家にいて、どこかへ連れていけと朝からうるさかった。しかしまだまだ異常な暑さは続いているので、もちろん公園などの屋外施設になんか行けない。それで思案した挙句、ちょっと離れた場所にある大型書店と、その周辺の遊び場へと繰り出した。
 書店は、近ごろショッピングモールの中にあるような所にしか行っていなかったが、久しぶりにちゃんとした大型書店に行ったら、わりと愉しかった。書店というものを、もうほとんど過去の就業時代のことを忘れて、純粋に愉しめるようになったのだな、と思った。大型書店には文房具屋も併設されていて、いまどきの新しいグッズもありつつ、その一方でGペンだったりスクリーントーンだったり、大昔から置きっ放しなのだろうコーナーなんかもあって、おもしろかった。スクリーントーンというものを目にしたのは何年ぶりだろうか。この文房具屋で、消しゴムはんこの、透明ver.というものを初めて目にし、思わず購ってしまう。見た瞬間にテンションがぶち上がり、家に帰るなり彫り始めた、ということは別にないのだが、とりあえず買っておこうと思った。色を重ねて押すのに便利だろうと思う。使うべき時が来たら使おう。
 本屋のあとは、すぐそばにクレーンゲームの専門店があり、そちらにも立ち寄った。ゲームセンターと違い、本当にクレーンゲームだけが並ぶ、おもしろい空間だった。多様な景品の種類があり、どれも1プレイ100円だというので、とりあえず子どもたちに200円ずつ渡してやる。物色しながら店内を巡ると、あえなく失敗している人もいれば、袋に一杯の景品をぶら下げている人もいて、なかなかテクニックがものを言うようだな、と思った。ピイガはゴリラの人形があったのでそれに挑戦したが、落とすことはできなかった。そもそもあまりピイガは入れ込んでいない様子で、どうもギャンブル的な、お金を使っても失敗したらなにも返ってこない、という仕組みが、この子は好きではないらしかった。ポルガはさんざん悩んだ結果、ドラえもんがプリントされたどら焼き型の巨大クッションに挑戦し、2回失敗したが、なんかやけにいけそうな感じがあったので、思わず100円を追加してやったら、なんと3回目にアームががっちりとクッションを掴み、そのまま取り出し口へと運んでくれたのだった。せっかくだからなんか持って帰りたいけど、たぶん無理だろうね、などと話していたが、かくしてわりと豪華な景品をゲットしたのだった。ビギナーズラックというか、あとでファルマンがネットで検索したところ、この手のクレーンゲームは、一定のタイミングでアームが本気を出す仕様になっているようで、その前の、他人も含めた数々の失敗によって、そのゲージが一杯になり、このときにちょうど発動したのではないかということだった。胡散臭いというか、なんとも射幸心を煽る仕組みだな。とは言え戦利品が手に入ったのはよかった。いい思い出になった。
 そのあとショッピングモールにも寄り、こちらのガシャポンコーナーで、ピイガに1回だけ回させてやる。ピイガはクレーンゲームより、お金を入れれば必ずなにがしかの景品が手に入るこちらのほうが趣味に合っているらしい。堅実で悪くないと思う。
 それとここのダイソーに、他のダイソーでは見つからなかった、ブラックジャックグッズに合わせて発売された、手塚漫画のキャラクターの、缶バッジや、アクリルスタンドや、キーチェーンも販売されていて、それぞれどの絵柄が出るかは開けてのお愉しみなのだが、それぞれを3つずつほど買った。家に帰ってから開封したところ、「鉄腕アトム」と「三つ目がとおる」がやけに出て、しかしブラックジャックもそれぞれ1個ずつは出て、まあ、まあまあかな、という出目だった。「火の鳥」か「ブッダ」が出てくれたら嬉しかったのだけど、なんとなくそこらへんは絶対数が少なそうな気がする。たぶんアトムが多そうだと思う。
 行き場所をあぐね、苦し紛れに向かったわりには、かなり有意義に愉しめた外出となった。そして、やけにギャンブルめいたお金の使い方をした1日だった。

俺の今年の夏休みはまあまあいい具合にまとまった

 夏休みが終わる。6日間、たっぷりと堪能した。
 開始時に「予定がない」ということを書いて、結局どんなふうに過したかと言えば、行き当たりばったりに、それなりに愉しく過した。時間を持て余すということもなかったし、まだまだ休みたくて明日からが憂鬱でしょうがない、ということもない。ちょうどよかった。そういう意味で、いい具合にまとまった夏休みだったと思う。
 図書館でスタンプラリー企画をやっていて、市内にある図書館のうち、5館を回ると粗品をプレゼントということで、参加した。スタンプラリーと言えば鉄道のイメージがあるけれど、それはたぶん都会の話で、地方では電車の数が少ないし、駅と駅の間隔が広いので、不向きなのだろうと思う。図書館のスタンプラリーは、子どもが自転車で回るには範囲が広すぎるので、どこまでも車を運転できる大人の存在を前提にした企画であるに違いなかった。そして市内の方々にある図書館に、1日1館ないし2館赴くのは、予定がまるでない盆休みに、とても適当な用件であった。ついでに、普段は行かないスーパーなどにも行けて嬉しかった。プレゼントは定数に達し次第終了ということで、用意された数と、参加状況のことは知らないが(5館はなかなかにハードではある)、わが家は無事にゲットした。図書館の本の運搬に便利な、スサノオのイラストがプリントされたオリジナルのトートバッグであった。
 今回の図書館巡りで、これまでも気にはなっていた「王家の紋章」(細川智栄子あんど芙~みん)に、とうとう手を出してしまう。なにぶん娘が古代エジプトにどっぷり傾倒しているので、いつか読むことになるだろうとは思っていた。夏休みで時間があり、そして図書館巡りをしているのだから、開始条件は揃っていた。まとめて数十巻分も借りて、僕、ファルマン、ポルガで、ガンガン読む。読んでいる。感想はまた別に書こうと思うが、期待通りにとてもおもしろい。
 古い漫画繋がりになるが、ダイソーでブラックジャックグッズが出たということで、買いに行き、そのラインナップ中にトランプがあったことから、この数日はかなりトランプでも遊んだ。はじめは七並べやババ抜きなど、これまでもしていた遊びをしていたのだが、ピイガも4年生なのでそろそろできるだろうということで、子どもたちにルールを覚えさせ、大貧民をやるようになった。大貧民は、やるとやっぱり滅法おもしろい。4人なので平民なしの、富める者と貧しき者の二極形式。たぶん合計で20回以上行なったが、僕はいちどくらいしか貧民側には落ちなかった。踏んでいる場数が違う。
 プールは、1年で最大の書き入れ時であり、迂闊には近づけなかった。それでも夕方や夜などに、ひとりスッと駐車場の空きに滑り込み、ストイックに泳ぐだけのコース(どれほど盛況しててもここは空いている)で存分に泳いだ。4度ほど行って、毎回作り立ての、新しい水着を穿いた。レジャーの客と、いろんな意味で違うフェーズにいるな、と我ながら思う。
 最終日の今日は、休みのうちにいちどくらいはサウナに行こうと思っていて、本当は昨日おろち湯ったり館に行く予定だったのだが、鳥取に甚大な被害をもたらした台風7号の襲来につき、さすがにわざわざ山のほうに行くのはやめにして、そのリベンジとして平田のゆらりに行った。湯ったり館に行こうと思っていた意欲からすると、プールのないただの温泉サウナ施設は物足りなさを覚えてしまうのだけど、それでもまあ、サウナのテレビで甲子園を観るっていうのも、夏の思い出として価値があるかもな、などと自分を納得させた(湯ったり館のサウナにはテレビがない)。
 台風7号は、予期していたとおり、全国の夏の移動にとてつもない障害を与えたようで、自分たちが横浜に行ってたら(1ヶ月前からそのチケットを取っていたら)と思うと、とてもゾッとした。ごくごく普通に、帰ってこられなかったんじゃないだろうか。
 食事方面は、6日間しっかり役目を果たした。4日目あたりに手巻きずしをやった以外は、特にこれという力の入ったものを作ったということはないが、毎日おいしく、酒が飲めるものを作った。6日間、酒はしっかり飲んだ。酒が乏しくて切ない思いをするのが嫌だったので、しっかり買い込み、そしてしっかり飲んだ。ビールがべらぼうに美味しかった。
 とまあそんな6日間の夏休みだった。悪くなかった。子どもたちの休みはまだ続くが、とは言え実はもうあと10日くらいのものである。8月ももう下旬なのだ。7月と8月は早いな。早いというか、暑さで朦朧として、こちらの知覚が鈍くなり、処理できないまま通り過ぎているということなのだろうな。早く暑さがやわらいでほしいが、そちらはもうあと1ヶ月ほどは続くのかもしれない。俺たちの朦朧はまだまだ続く。

俺の今年の夏休みは輝かしい最高のものになる

 今日から夏休みに入る。めでたい。
 しかし不安なことがひとつだけあって、先日三女とも話したが、予定がないのだ。わりと本当になにもない。去年はどうだったんだっけ、と1年前の日記を振り返ったら、やはりジタバタしつつも、大したことはしていないようだった。夏休みって、得てしてそういうものかもしれない。なんてったって暑いだろう。冷房を効かせた車移動でも、結局陽射しで疲弊する。そもそも車に乗ってどこへ行くというのか。屋外レジャーのすべては選択肢から除外されるので、そうなるともう田舎暮しは手足をもがれたようなものだ。
 ならばいっそ夏休みというのは、帰省という、億劫だが定期的にやらなければならない行事をこなす期間として捉え、命を削るくらい疲れるのを覚悟して、それをするのが正解なんじゃないか、という気がしなくもないのだが、今年に関してはそれを予定していなかったことがとても幸いだった。なんだあの、台風7号の進路というものは。お盆期間の東海道新幹線は、そして空路は、いったいどういうことになるのか。本当に帰省を計画していなくてよかった。
 1年前の日記の話に戻るが、大したことはしていないと言いつつ、インスタグラムを始めていたのはこの時期だった。すなわち、ジョニファーロビンを召喚し、スマホを購い、作り溜めたショーツを穿かせて撮影し、インスタグラムに投稿するという、たしかにそれはきちんとした分量の休みじゃないとやり始める気にならないかもな、ということをやっていた。ちょっとうらやましい。なんかそういうのないかな。
 一応、新しい水着を作りたいと思い、この夏休みに間に合うよう生地を注文するということをしていた。しかし何枚か買ったうちの1枚だが、火曜日に届いたそれを、火曜日の夜に裁断し、水曜日の夜に仕上げてしまっていて、水着ももうなんだかんだで20枚くらい作っているので当然と言えば当然だが、手際が良くなりすぎていて、もはや僕にとってそれは、まとまった休みだからできることでは全然なくなってしまっているのだった。誰かもっと俺を愉しませてくれる手応えのある奴はおらんのかと、強くなり過ぎた哀しい戦士のような気持ちだが、じゃあ普段作っていないような複雑なものを作ればいいじゃないかと言われると、やはりどうしたって股間周り以外のものを作る気にはならないのだった。どうしてちんこ関連の裁縫はこんなにも愉しいんだろうな。ちんこだからだろうな。
 そんな具合の、グダグダになりそうな気配が濃厚な夏休みなのだが、そのわりに期待感や焦燥感は強いようで(ここに哀しみが生まれる)、初日にして早く目が覚めてしまい(まだ体が平日のリズムというのもある)、ひとりリビングにノートパソコンを持ち出し、薄暗い中でこうして開始宣言を書いた。しかし15分ほど前からピイガが起きてきて、Eテレを流し始めたので、もう書けない。なるべく愉しく過そうと思います。

Mr.サマータイム

 言ってもぜんぜんしょうがないのだけど、暑い。ありとあらゆることのやる気を亡失させる暑さ。いや、この表現では、意志の問題のように捉えられてしまうかもしれない。そうではない。もはや物理的である。物理的に、人がなにもできなくなる暑さだ。
 それでも人にはこなさなければならない用件というものがある。仕事以外にも。
 というわけで土曜日には、松江に行って、サーカスを観てきた。いま松江公演を行なっている、ポップサーカスである。ちなみに話は微妙にややこしいのだが、前日である金曜日の夜まで、僕はこのサーカスを観る予定にはなっていなかった。今回のサーカス行きは義母が企画し、ファルマンとうちの子ふたり、そして夏休みで実家に帰ってきている次女とその娘ふたり(もっとも1歳の次女はチケットの数に入らない)というメンバーで観るはずだった。それを、サーカスを観賞しない僕と義父が車で送迎し、公演中は僕は松江イオンで買い物、買い物の習慣がない義父は松江城に行く(熱中症になるよ!)、という算段になっていた。しかし木曜日あたりから、次女の持病の腰痛が悪化し、1歳児を連れて松江まで行ってサーカスを観賞するという予定がどうにもこうにも困難だということになり、そうなると大人分のチケットが1枚余ることになるので、仕方なく義父が観るか、それとも三女が代わりに参加するか……、などと、ファルマン家名物の、紛糾するだけで一切結論が出ない議論が繰り広げられたのだが、僕が閃いて金曜日の夜に提案した、「俺のフリード(6人乗り)1台で、わが家4人と、義母と、次女の長女という6人で行って、その6人でサーカスも観ればいい」という意見が急転直下で(飛びつくように)受け入れられ、そういう運びとなったのだった。かくして僕は、急にサーカスを観ることになった。
 午前の部だったので、朝実家にふたりを迎えに行くと、そもそも今回のことを非常に億劫に思っていたらしい義父が、とても軽やかな顔で笑っていた。「まあホームページで見たら駐車場は用意されてるらしいから大丈夫だと思うぞ」などと声をかけてきたので、うるせえ、と思った。次女の長女は、母親と別行動をあまりしない子なので、そこが心配だったが、8ヶ月差の1学年差であるピイガにはそれなりに心を開いていることもあり、なんとかなった。道はもちろん高速道路を使い、つつがなく、いい時刻に松江に到着した。ちなみに車中では、前の晩に、今回のために新たに作成したプレイリストで音楽をかけた。義母も乗るので、ポルガのボーカロイドの曲は数を制限し、僕の選んだ昭和歌謡多めのラインナップにした。ランダム再生にしたのだが、行きでサーカスの「Mr.サマータイム」が掛かったので、僕は(よかった)と思ったのだが、義母もファルマンも大したリアクションはなかった。真夏にサーカスを観に行く際にそれを流すのって、すごく気が利いてるだろうと思ったのだけどな。
 案内に従って車を進めると、いかにもサーカスらしい、派手な色の巨大テントが現れ、テンションが上がった。当初は送迎だけをするつもりで、別に観たいとは思っていなかったサーカスだったのに、俺の車1台で行って俺も観る、という提案をした時点から、やはり生来の気丈さや健気さ、なにより気質の良さと言うほかない人間的な好もしさによって、わりときちんと気持ちは盛り上がっていたのだった。サーカスの観賞は、あまり記憶が定かではないのだけど、たぶん子どもの頃に、ボリショイサーカスを観たのではないかなー、という気がする。それ以来だ。ちなみに倉敷在住時代、本拠である岡山に、木下大サーカスが来た年があったが、その頃はまだ子どもたちが小さすぎて行く気にならなかった。そのため今回、子どもたちにとってちょうどいいくらいの年齢でサーカスがやってきたことは僥倖だった。
 テントの中は薄暗く、頭上には空中ブランコの足場のようなものがあったりして、非日常の空間に入ったのだという実感が湧いた。開演15分前になると、時折ピエロが舞台袖から現れ、客いじりなどをして会場を温めていた。わりと至近距離にいたお父さんのひとりがピエロに捕まり、ステージに上げられて芸に参加させられたりしていたので、内心戦々恐々とした。そのお父さんは、はしゃぎ過ぎず、ノリが悪すぎもしない、ちょうどいい塩梅の人で、たぶんピエロは長年の経験によりそういう人の選別能力が養われているのだろうと思った(だから間違っても僕なんかは選ばないのだ)。
 ショーは、非常に見応えがあり、おもしろかった。思えばライブのエンターテインメントショーというものを、ずいぶん目の当たりにしていなかったけれど、それはこんなにもドキドキワクワクするものだったか、と蒙が啓かれた気がした。そして、なんだよ、人間ってこんなにすごいことができるんじゃん、ということも思った。もう人間のやってきたほとんどのことが、AIによってその役割を奪われるのだと、そんなふうに思っている部分があった。実はそんなことぜんぜんないのだ。メディアの情報ばかりを摂取していたせいで、そんな当たり前のことを忘れていたということに気付かされた。そんな感動を与えられた、39歳でのサーカス観賞体験だった。観るつもりがなかったくせに、もしかすると誰よりも愉しんだかもしれない。もちろん子どもも愉しんでいたようだった。
 ショーは正午に終わり、このまま帰ってもよかったのだが、そうなると昼ごはんがだいぶ遅くなってしまうし、せっかくだから食べて帰ろうよ、そんでそれじゃあ松江イオンに行くっていうのがいいんじゃないかな、と話を誘導し、サーカス観賞かつ松江イオンの手芸屋にも行くという、目的の両獲りを成功させる。我ながらすばらしい手腕ではなかろうか。他者に負担をかけていない、という点がなにしろ素晴らしいと思う。というわけで松江イオン内のファミリーレストランで昼ごはんを食べ、そのあとスタタタッと単独行動で手芸屋に行き、何点かニット生地を買った(やはり倉敷に較べると寂しい品揃えではあった)。そして帰った。
 義母と次女の長女を降ろしに実家に寄ると、さすがにその頃にはぐったりした。なにしろ陽射しがすごいので、冷房をどんなに効かせてもだいぶ体に来る。なにより松江と言えばまあまあの遠出だ。そんな我々を見て、冷房の効いた部屋で野球を観ていたらしい義父が、「おいおい、サーカスから帰ったあとは、もっと明るい顔をしとらんと」と言ってきたので、うるせえ、と思った。義父は短時間の絡みで、すっと差し出すように、うるせえ、と思わせることを言ってくる。あれは一種の才能かもしれない。
 帰宅したあとはのんびりと過し、体を休めた。本を読んだり、松江で買ってきた生地で早速ショーツを1枚作ったりした。ちなみに松江はこの土日、水郷祭という大規模な夏祭りが開催されるのだそうで、我々はその狂騒に巻き込まれないように退散したのだが、世の中には午後の部のサーカスを観賞し、そのまま水郷祭へとなだれ込むという人々もいるだろう。すごいと思う。活動的な人のバイタリティというのは、本当にすごい。
 晩ごはんは、茹でた豚肉と、とろろや納豆や温泉卵を和えた、見た目が本当に嘔吐物のようになったものを、冷たいそばに掛けたものを食べた。おいしかった。もう、食べたいものと言うより、食べられるものが、そういうものに限られている。とろろにすがって夏を乗り切りたい。とろろほど物理的にすがれないものもそうそうない。
 明けて今日は、2日連続で実家の人たちとの絡みになるのだけど、昼ごはんに、みんなで近所の中華料理屋に食べに行った。みんなで、というのは、昨日のメンバーに加えて、義父も、次女と三女、そしてもちろん1歳になる次女の次女も、ということだ。今回、次女の夫はお盆に夏休みらしい夏休みがないそうで、来週末くらいに回収に来て、兵庫に戻ってしまうということで、じゃあその前にみんなで会食でも、ということになったらしい。中華料理は、まあ普通だった。特別ものすごく、クックドゥとか冷食とかより格段においしい、ということもないくらいの味わいだった。それにしても実家の面々は、駐車場から店までが暑いとか、店内でも空調の冷気の届き方が悪いとか、本当に逐一口に出す。ファルマンと過していると、この人はものすごく不満を隠さない人だな、ということをたびたび感じるのだけれど、そんなファルマンが霞むほどのレベルだ。一緒にいると、あれ? もしかして僕はすごく社会性のある、善良な人間なのでは? と思えてくる。
 食べ終えたあとは、実家に子どもたちを置いて、僕とファルマンだけで買い出しに出る。日用品と、百均と、食料品と、3軒回る必要があったので、子どもたちなしで買い回ることができてよかった。最後のスーパーで、アイスを買って帰り、実家の面々とおやつにした。こういう状況でアイスを買って帰る人間は尊い。
 帰宅後はやはりぐったりした。もう、本当に、必要最低限の用事をするだけで、そのあとはしばらく家で回復する時間が必要になるほどの熱射である。この暑さは一体いつまで続くのか。三女にお盆の予定を訊ねたら、「なにもない。まずいと思うが、なにも浮かばない」という答えが返ってきて、みんな一緒なのだなと思った。
 晩ごはんは、サーモンの刺身や、炒飯、フライドポテトに枝豆という、気の抜けた、ただもうビールのための夏の夕餉、という感じのメニュー。昼ごはんに中華でいろいろ食べたので、まあ今日はこんなもんでいいだろ、ということで。
 そんな週末だった。サーカスは本当に良かった。それ以外は、とにかく暑かった。以上。という感じ。

真夏のシンデレラ

 暑さがすごい。今年の暑さと来たら、すごいじゃないか。1週間のうちの日中の大部を過している職場は、日当たりこそ必要以上にいいものの、ありがたいことに冷房は適温で効いているため、暑さによる体力的なダメージは、わりと免れていると思う。それでも夕方には、これまでの時期とは較べ物にならないような疲労感がある。
 思えば7月というのは実は毎年そうで、体調が崩れないようタイトロープをそろそろと渡るような危なっかしさがあり、今年のように思いっきり足を踏み外し、落下するパターンもある。6月末に切れたプールの会員を、7月上旬に更新したのは本当に失敗だった。7月は、混んでいるし、日々の体力が持たないしで、実はろくにプールに行く気にならないのだ。去年、そのことはしっかり学習していたはずなのに、7月もまだ上旬というのは、逆にいちばん、「これから暑くなってプールが気持ちいい夏がやってくるぜ」というテンションになっているせいで、なんの思慮もなく間髪入れずに申し込んでしまった。
 プールに行く気が起らないくらいだから、日々の筋トレの意欲ももちろん減退している。蓋を開けてみれば、プールに足が向かないくらい、むしろ普段の月よりも披露する機会がないのだが、なんとなく筋トレというのは、露出が増える夏に向けて、それ以外の期間せっせと雪の下で筋力を蓄える、という図式ではないかと思う。それだのにこの半月ほどのサボりのせいで、6月下旬あたりだいぶ仕上がっていた僕の体は、ここへ来て少し迫力がなくなったように思う。夏というのは本当に過酷だな。
 あと先日の、一家を襲った体調不良なのだが、あれってもしかするとコロナだったんじゃないかという疑惑が、にわかに高まっている。あのプールと餃子の日のあとから、各人が体調を崩しはじめたわけだが、実は3女も同じタイミングで発熱し、あの週は仕事をだいぶ休んだという。しかしコロナの検査をしたところ陰性だったそうで、僕はそれを聞いて、ああよかったと安心したのだった。というのも、倦怠感や、ごはんの味が少しおかしく感じられるなどの症状があったため、当然(もしや……?)という恐怖を抱いていたのである。しかしタイミング的に同じウイルスにやられたのだろう3女が陰性だったということは、これはコロナではなく、たちの悪い夏風邪なのだな、と解釈することができた。ところがである。この数日後、すなわち次の週末あたりに、今度は実家の義両親がふたり揃ってダウンし、こちらはなんと陽性だったのである(今はもう回復した模様である)。これで話が分からなくなった。感染したにしては少し発症のタイミングがズレ過ぎている気もするのだが、ただの風邪にしては、我々の症状はだいぶヘビーだったような気がしないでもない。今となっては確かめようがないが、しかし僕もファルマンも、40代ってこんなに風邪がしんどいのか……、と今回ことさらに加齢を哀しく思ったのだけど、それがコロナであったとするならば、あのしんどさは加齢が原因ではないということになってくるので、そっちを採用しようと思っている。
 ちなみにコロナで心配される後遺症についてだが、幸いなことにちんこが小さくなった様子は見受けられない。もっとも少々小さくなったところでびくともしないとも言えるし、そもそもスケール感が規格外すぎて大小などという概念を超越しているとも言える。まあとりあえず言えることとしては、安心してください、ということだ。

うつりました

 体調を崩していた。伏線はあからさますぎるほどに張っていた。前回の記事は、「ピイガの風邪がうつりませんように。」で終わっている。願いは叶わず、まんまとうつった。
 ただでさえ3連休明けの哀しみを抱えて始めなければならない今週に、その上体調が悪いだなんて、あんまりではないか。体調を崩すこと自体が久々だったため、僕の中の体調不良耐性はだいぶ弱くなっていて(喜ばしい話だが)、そのためかなりの絶望感があった。
 火曜日の夜は、9時間寝た。月曜日に発症し、菌をまき散らしたピイガは、これが若さか、この日にはもうすっかり回復していて、僕はそんな小学生よりも早く、8時台に眠りに就いたのだった。いくら体がつらいからって、さらには眠くなる鼻炎薬を服んだからって、8時台なんかに眠れるだろうかと一瞬だけ危ぶんだが、一瞬だけだった。寝られるもんですね。
 9時間寝たんだから大回復しただろうと期待したが、これが四十路か、そこまで劇的な効果は得られず、水曜日もまだ気怠かった。熱とかそういうんじゃなく、気怠さがメインの症状という、少し珍しい、そして精神面にダメージの来る、陰鬱なタイプの風邪なのであった。水曜日の夜も8時間寝た。9時間と8時間。我ながらよく寝たものだ。
 その果以もあり、今日になってようやく体調はだいぶ改善した。風邪のあとの、粘り気のある鼻水や、しつこい咳はあるものの、こうして日記が書ける程度には回復した。やれやれである。
 ちなみにポルガも僕と同じく火曜日に発症し、しかしこれは次の日にはなんともなくなっていた。若さ。僕を隔離するためにピイガの相手をしていたファルマンも、化け物ながら、さすがに無傷というわけにはいかず、やはりいま咳をしている。おとといと昨日は僕があんな感じだったので、ファルマンはピイガの部屋で寝ており、今晩あたりからは別にこちらに戻ってきてもいいのだが、ファルマン曰く、「私の咳はでかくて、自分で自分の咳の声にびっくりして起きたりするくらいだから、横にいないほうがいいと思う。ピイガは起きないけど」とのことである。たしかにファルマンは咳もくしゃみも大きい。そういう様子を見るにつけ、「頭のいい人はつい効率的な動きをしてしまうから筋トレに向かず、馬鹿はがむしゃらに必要以上の筋肉を使うから筋肉がよく育つ」という、前々から提唱している理論が補強されると思う。「咳のし過ぎで腹筋が痛い」とも言っていて、なぜそんな作用が起るのか、僕にはさっぱり分からない。
 この3日ほど、そのような感じで、なかなかダウナーな気分だったのだけど、そんな中でキラリと光る喜ばしい出来事として、前にも書いたが、やはり鼻炎薬を服むと、陰嚢が寛ぐのだった。陰嚢が寛ぐとはどういう状態か、このブログの読者のメイン層である女子高校生や女子大生の諸君にはイメージがしにくいだろうから説明すると、要するにリラックスし、だらける感じだ。普段は、悠々としているようで、それでも抑えるべきところは抑えている陰嚢だが、薬を服むと、なんかもう、完全になにもかもがどうでもよくなってしまうようで、べほーっとなる。だからすごく揺れる。いつもより大きなスケールで揺れる。愉しい。普段もちんこによって救われる場面は多々あるが、こんな体調不良で気持ちが落ち込みがちのときにさえ、ちんこは僕を喜ばせる。本当に、本当になんていいやつなんだろう。困ったときに助けてくれるのが本当の友達。尊い。
 鼻炎薬を服んで陰嚢がそうなるのは、おそらく血流がよくなるからだろう。だとすれば、死んだあとの陰嚢って、きっとすごく小さくなる。前に読んだ本に、韓国では死んだあとで陰嚢に食塩水だかなんだかの注射を打ち、陰嚢を肥大化させる(死に装束に着替えさせるときなどに親類に体を見られても恥ずかしくないようにするのが目的)専門の業者がいる、ということが書いてあったが、気持ちは大いに分かる。僕もできればやってほしいし、あるいは僕がその業者になるという道もあるかもしれない。
 話が横道に逸れた。とにかく回復してよかった。もう当分は子どもをプールに連れて行きたくねえ、と思うが、子どもたちは夏休みに突入し、ピイガは早くプールに誘えとせっついてくる。お前に、お前にプールのあとうつされた風邪で、こんなに参って、まだ本調子じゃなく、先週プールの会員を更新したばかりだというのに、それからまだろくに行けていなくて、こんなことなら会員申し込みをもっと先延ばしにすればよかったと後悔している父に向って、よくそんなことが言える。若さって怖い。

もう梅雨が明けたと言っていいのではないか3連休

 3連休であった。
 きちんと堪能しなければ、という思いが先走り、強迫観念となり、焦燥するという、いつものパターンを踏襲しつつ、しかし実際そこまで「やらなければならないこと」を抱えているわけでもなかったので、基本的にのんびりと過した。そんな感じの3日間だった。
 びっくりするくらい対外的な予定のない両親に対し、子どもたちは地域のクラブ活動や部活など、わりといろいろあった。そのため大掛かりなお出掛けをする機運が高まらなかったというのもある。なによりひどく暑かったため、レジャーの予定なんてないくらいでちょうどよかった。生きているだけで精一杯だった。
 それでも初日、土曜日の午後に、4人で海へと繰り出した。多伎のきららビーチである。人がとんでもないことになっているかな、と思いきや、それなりに人はいたが、そこまでではなかった。きちんと泳ぐつもりはなかったが、レジャーシートやタオル、体を流すための水を詰めたペットボトルなどは念のため持って行っていて、格好も僕は、ズボンの下に、下着ではなく、筋トレをする際に穿く、トランクスよりもともすれば丈が短いような短パンを穿いて、足元を波に浸して遊ぶ、よりは少し本格的に、膝より上くらいまで海の中に入る感じでしばし子ども(言うまでもなくファルマンは靴を脱ぎさえしない)とともに戯れたのだけど、こんな半端なことをするくらいなら、下は水着にしてきて、自分だけでも急に泳ぎ出すということをすればよかったな、と少し後悔した。レジャー的に、海がプールに勝っている部分なんてあまりないよな、と思っていたけれど、いざ夏になり、脚で波を感じてみてれば、やっぱり海には海の良さがあるな、と思った。今度行ったときは本当に泳ごうと思う。
 

 ちなみに消しゴムマジックは使っていない。島根県的に、「それなりに人はいた」。
 晩ごはんは、手羽先のフライドチキンと、マカロニサラダ。そしてもちろんビール。海で陽を浴びたあとのそれは、格別だった。泳いでいたらもっとよかっただろう。
 翌日は、午前中に買い物。買い物から帰り、買ってきたものを冷蔵庫に詰め、昨日の晩ごはんの残りやおにぎりなどで昼ごはんにしたあと、アイスコーヒーでも飲もうと思い冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の照明が切れていた。なんか照明が切れているな、と思い、ファルマンにそのことを伝えたら、電源は入っているのかと訊ねてきたので、前面のタッチパネルを確認したところ、うんともすんとも言わないのだった。たった数十分前、買ってきたものを詰めていた際は異常を感じなかったので、この間に、静かに冷蔵庫は斃れたらしかった。当然ながら、困る。冬ならばまだしも、目下、気温35度の世界である。大慌てで業者に電話をしたり、実家に冷蔵品を避難させてもらいにいく連絡を入れた。
 この午後からは、ポルガと付き添いのファルマンは催し物に参加する予定があり、その間僕とピイガでプールに行く予定があった。そのためとりあえず冷蔵庫の、牛乳など、すぐに避難させなければならないものを抱え、実家へ行き、それを冷蔵庫に入れたあと、僕とピイガはプールへと向かった。ところがプールは超満員で、駐車場から車が溢れ、待つことさえ許されないという。島根県でもこんなことはあるのだ。仕方なく、涙をこぼして喚くピイガを、夕方にまた行くからと約束して宥め、しかし家でふたりで過すのもなかなか厳しいので、また実家に行くことにした。その際、さらに追加の冷蔵庫の物品と、本日の晩ごはんとして作るつもりだった餃子の材料も一緒に持ってゆく。プールが夕方にずれ込んだこともあり、このタイミングで実家で餃子を作ろうと算段したのである。すばらしい判断力。
 というわけで実家で餃子を作った。なんだか自分の実家のような言い分だ。のびのび利用させてもらっている。包む段になって、ファルマンとポルガが催し物を終えて、こちらにやってきた。そんなわけで包む作業には、ファルマンと義母も参加してきた。ファルマンは普段ならば参加しないのだが(僕が僕以外の人間の包んだ餃子を好まないため)、キッチンを使わせてもらった手前、もちろん実家の面々の分もありまっせ的なことを僕が伝えたことで(追加の材料を途中で買っていた)、義母が「包むのくらいは手伝わなければ」というモードになったので、ファルマンも流れでやらざるを得なくなったのだった。別に本当にひとりでやってもよかったのだけど。
 かくして90個の餃子を包み終え、いちど家に帰ることに。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、プールのあとにまた取りに来ることにした。そうして戻ったら、なんか冷蔵庫が稼働していた。なんじゃそら、と思ったが、どうも稼働はしつつも、一方で不調を知らせるマークは点灯しているので、やはり予断は許さなそうで、予定通り業者には見てもらわなければならないし、実家に持っていったものはまだ引き上げられない。
 そのあとすぐにプールへ。当初の予定が変更となったため、ポルガも参加することに。夕方になり、さすがに車が停められないということはなかった。しかしそれでも混んでいた。混み慣れしていない子どもたちはすっかりテンションを下げ、あまり愉しめなかった。まあ3連休のプールになんか行くもんじゃないな。今後、子どもたちは夏休みに入るわけで、平日の夜、気が向いたら子どもたちを誘ってやろうと思った。
 そのあと実家に寄り、餃子を回収する。実家の面々は既に焼いて食べていた。「すごくおいしい」と言うので、「僕の作る餃子は世界一おいしいんですよ」と伝えておいた。
 帰宅後、我々も餃子を焼いて晩ごはん。餃子は実家の冷蔵庫に入れておいて、持って帰って焼けばいいだけの話だが、問題はビールだ、と悩ましく思っていたが、なんとか息を吹き返した冷蔵庫がきちんと冷やしておいてくれて、熱々の、世界一おいしい餃子と、よく冷えたビールという至福を味わう。冷蔵庫のせいで慌ただしい1日だったが、最後にいい感じにまとまった。
 3日目、最終日の今日は、ポルガは部活、さらにピイガに若干の風邪の症状が出たので、もとより家でのんびり過すつもりだったが、リビングで過すファルマンとピイガとは極力接触しないよう、ほぼ1日、部屋でひとりで過した。これほど優雅な休日があろうか。昨晩に放映された日曜劇場「VIVANT」の初回をTverで観ながら、裁縫や筋トレをする。「VIVANT」はなんかすごかった。やあすごかったなあ、と思いながらエンドロールを眺めていたら、撮影協力の所に島根県松江市とあったので少し驚いた。
 裁縫はもちろんショーツである。ショーツ、よくもそんなに作るものがあるものだという話だが、やっていると、こんな作り方はどうかとか、細くしたらどうか、逆に太くしたらどうかとか、わりと次から次へと試行する事柄が出てきて、いつまでもどこまでも愉しい。これが趣味というものなのだな、と思う。
 今日は本当にそんなことだけをした1日だった。なによりだ。
 というわけで3連休は、暑さにやられつつも、それなりに愉しく、おいしく暮せた。もうすぐ子どもたちは、3連休など霞むような壮大なスケールの休みに突入する。うらやましい気もするし、無職の古傷を刺激したばかりの身には、ぜんぜんうらやましくなかったりもする。せいぜい健やかに生きようと思う。ピイガの風邪がうつりませんように。