連続運動会

 先週に引き続き、今週はピイガの幼稚園の運動会が執り行なわれたのだった。2週連続で運動会に接したのなんて、人生で間違いなく初めてだと思う。
 とてつもない規模でシステマティックに進行する小学校に対し、幼稚園のそれはだいぶアットホームなので、わざわざ観に来る甲斐があるということなのか、あるいはたまたま都合がよかったのか、義父母も島根からやってきた。梅雨入り宣言こそまだだが、週の半ばに微妙なグズつきなんかもあり、多少の不安があったが、蓋を開けてみれば必要以上の快晴で、陽射しでじりじりと肌が焼けた。
 僕は入園式以来となる幼稚園だったので、ピイガが集団の中で活動している姿というものを、これまで見たことがなかった。それを今回、初めて見た。ピイガは最初の入場行進の際、ひとりだけひときわ小さく、そしてなぜかひとりだけポケットに手を入れて現れた。その登場はなかなか様になっていて嬉しくなった。そのあとかけっこやダンスなど、プログラムが進行する。ダンスはとてもかわいらしかった。座るべきタイミングでピイガだけが悪びれる様子もなく立ち続ける、という場面があり、立て続けにシャッターを押した。なんかピイガは、いつだってやけに堂々としているのだった。
 ポルガは小学生参加競技がないことにご立腹だったが(ポルガが幼稚園のときはあったのだ)、同じ立場の、幼稚園に通う弟妹の応援に連れ出された小学校の同級生というのがけっこういたようで、気を取り直してその子たちと遊んでいた。子ども同士で遊んでくれるなら相手しなくてよくてよかったわ、と安心したが、どうしても目に入ってしまう、ポルガとよその子たちとの遊びは、ポルガだけがあまりにもあからさまに浮いていて、ちょっとショックを受けた。なんとなく浮いているんだろうなあという予測はあったのだが、実際に目の当たりにしたら衝撃的なレベルだった。集団が、みんなでひとつのことに夢中になっているときに、ひとりだけぜんぜん別のことをするのだ。ひとしきり遊んだ後、帰ってきたポルガはひとりの少年を指してこう言ったという。「あの子は嫌い。だって「みんなで遊ぼう」って言ってくるから」。すばらしいじゃないか、と思った。
 また小学校のそれと違い、こちらには父母参加競技というものがある。ファルマンが何度目とも知れぬぎっくり首を、よりにもよってこのタイミングでやらかしたので、僕が出場した。まずは玉入れ。玉入れなんて何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。落ちている玉を拾って、高い場所にある篭めがけて投げる。よく考えてみたら、なんとどうでもよい競技だろう。よくこんな行為が2018年まで生き残ったものだ。それでもたぶん2つくらい入れることができたと思う。僕のそんな活躍もあり、所属しているチームが勝ちを収めた。買ったチームはバンザイをしてください、と言われたので、他の人々が3回バンザイを繰り返す間、ずっと手を大きく上げ続けた。バンザイって、写真のことを考えたら、手を上げ下げせず、ずっと大きく上げている状態を保持するのが正しい。とにかく出場したからにはいい具合に写真に納めてほしくって、入場から退場まで妻や義父母のカメラに向かい、カメラ目線とピースを出し続けていたのだった。その一方でサングラスは掛け続けていたのだけど。そのあと、子どもと一緒に行なう競技というのにも参加し、ここでもカメラをすごく意識した。せっかく大人が一緒にやるのだから、子どもはあまり意識してくれないシャッターチャンスを、ここぞとばかりに提供しなければいけないと思い、ピイガともども、すごくカメラのほうを向いてやる。「もういいから。競技、競技!」とファルマンがジェスチャーで訴えるほど撮らせてやった。競技そのものは、まあのんびりと、これもあんまり急ぐとピントが合わなくなるので、悠々と歩いた。幼稚園の運動会は勝ち負けとかあまり関係ないからいい。性に合う。
 そんな感じの運動会だった。全体的に牧歌的で、愉しかったが、とにかく太陽光がすさまじく、えげつないほどに疲弊した。そのあと2時間くらい、気を失うように寝た。しかし子どもたちは帰宅後、風呂場で水浴びをして遊んだという。意味が分からない。ふたりとも、集団でなんとなく浮くところには共感を覚えるが、無尽蔵の体力に関しては辟易する。後者はファルマンに似て、前者は僕とファルマンに似たんだと思う。