暮しの動き

 我が家でまた大規模な模様替えが断行されようとしている。子どもがいると、その息もつかせぬ成長に合わせて、ずいぶんこまめに模様替えの必要が出るものだとしみじみ思う。
 台所と居間という共有スペース以外のふたつの部屋を、これまで「ベッド部屋」「机部屋」と分けて暮していたのだけど、これをこのたび「親部屋」「子ども部屋」とすることになった。それにあたり子ども部屋に2段ベッドを設置することとなり、そうなるとこれまでベッド部屋にあった3台のベッドは、これまでファルマンとピイガで使っていて、今後は当初の状態に立ち戻り、ファルマンと僕で使うこととなるダブルベッドひとつしか必要なくなる。というより、他のふたつのベッドを処分しなければ、いま机部屋にある僕とファルマンの机が持ってこられない。というわけでまず、僕のベッドが撤去されることになった。しかしベッドともなると粗大ゴミで出すのも大変だし、なによりまだ使えるしなあ、と逡巡していたところへ、次女一家から「じゃあもらうよ」という申し出があり、配送料をあちらが持つ形で譲ることができた。よかった。
 かくして現在、もうベッド部屋に僕の寝床はない。プロペ家の一家川の字寝の時期は、ここで終了したのだった。そのことに少しだけ感慨がある。
 それで、では僕はいまどういう形で寝ているのかと言えば、居間に布団を敷いて寝ている。居間は畳なので、寝心地にはなんの問題もない。それどころか、子どもが横に寝ていないせいか、これまでよりも眠りの質がよかったりする。僕はファルマンほど、スペースを子どもらに侵攻される睡眠妨害を受けているわけではないが、それでもやっぱり子どもというのは、寝ながら動き回るせいか、空間を静めない作用があるのだと思う。模様替えが成ったら、夫婦ふたりで、じっと動かず、石のように深く眠りたい。
 ちなみに「hophophop」に書いたが、実はいま、僕はパソコンもノックダウンし、そしてまだ次のものが手に入っていないため、この記事も、居間の座卓でタブレットで作成しているのである。つまりベッド部屋のベッド、机部屋のパソコンが、まったくの偶然なのだが同時に手元からなくなってしまい、なんだかまるで身辺整理をしているかのように、ふたつの部屋から僕という存在そのものが消え失せている。そしてひたすら居間にいる。居間で、ごはんを食べ、テレビを観て、インターネットして、そして寝ている。居間だけで暮しのすべてが完結しているのだった。やってみるとこれが悪くない。1Rの快適さみたいなものを、プチ体験している。
 模様替えの実行は2段ベッドの到着を待ってなので11月の中旬くらいになりそうで、それまではこの状態が続く。パソコンのほうはもうちょっと早めにケリをつけようと思っている。タブレットでまあまあのことができてしまい、「パソコンって要るかな?」みたいなことを書いたが、でもまあやっぱりぜんぜん不便だ。なるべく早急に改善しようと思う。