11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。

東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。

夜リフト体験

 土曜日、わが家にしてはとても珍しく、夜に出掛ける。三瓶山リフトにおいて、オリオン座流星群を観測するため、夜間の特別操業があるとのことで、それはいい思い出になりそうだということで、出向くことにしたのだった。
 家を出たのが18時過ぎ。もうこの時点でだいぶ薄暗かったし、走り始めてすぐに猛スピードで日は完全に沈んだ。さらには、家から三瓶山方面に向かうとなると、その道程はほぼほぼ山中と言ってもよく、なんだかとてつもない暗さだった。他の車もほとんどなく、人類はわが家だけを残して滅亡したのではないかと思った瞬間が多々あった。
 出発前にホームページで中止にはなっていないことを確認していたが、雲が多く、時おり小雨が降るという、天体観測にはとても悪条件だったせいか、本当にリフト乗り場の直前まで催し物がなされている気配が一切なかったため、なんだかハラハラした。夜の山に、リフトのレーンに取り付けられているのだろう点々とした灯りを目にし、そして駐車場にそれなりにわが家以外の人類の車が停まっているのを見て、ようやく安心した。
 おそらく流星群の観測は無理だろうと既に諦めていたが、もとより僕自身としては、そちらよりも夜のリフトという体験のほうに比重を置いていたので、あまり支障なかった。チケットを購い、乗車する。もちろん待ち時間とかそういう次元の世界線ではない。
 リフトはふたり乗りで、話し合いののち、僕とポルガ、ファルマンとピイガという組み合わせで乗ることにした。リフトに乗ったのは、僕は鳥取砂丘以来だ。ファルマンと子どもたちは、実はちょうど1年くらい前、まさにこのリフトに、義両親とともに乗ったらしい。「けっこう怖いよ。あなた無理なんじゃない?」と、ファルマンから高所恐怖症の性質を揶揄され、貶められたのだけど、乗ってみたら別にぜんぜん大丈夫そうだった。リフトは、たしかに高度をどんどん上げていくけれど、なにぶん山の傾斜に寄り添っているので、地面は常に2メートルほど下にあり、これなら落下したところで死ぬわけではないからへっちゃらだな、と思った。それを隣に座るポルガに伝えたら、「じゃあ後ろを見てみなよ」と言うので背後に目をやったら、駐車場の灯りは思っていたよりも低い場所にあり、少しだけゾワッとしたけれど、それでも取り乱すほどではなかった。しかしながらリフトの終盤、最高地点付近になると急に傾斜が激しくなって、このときだけは地面との間隔がだいぶ空いたため、許容範囲を超えた。この傾斜の激しさはリフトのワイヤーの限度を超えているので、ある瞬間にぶちっと切れてしまうに違いない、と思った。そのため頂点まで到達し、降りたときには、左に避けてすぐ、しばらくうずくまった。なんだかんだでやっぱ怖えよ、と思った。うずくまる僕の姿を見て、ひとつ後ろのリフトでやってきたファルマンは驚いていた。
 それから、地面を踏みしめる喜びを感じながら、リフトの乗降場からさらに山頂を目指す。山頂にある展望台みたいなエリアまでは階段が整備され、足元にも道しるべとなる灯りが灯されているのだった。展望台エリアに辿り着くと、なにしろ暗いので全貌は掴めなかったけれど、たぶん20人くらいの人がいて、流星群を観るために待機しているようだった。しかし雲はだいぶ厚く、流星群に限らず、ロケーション的には満天の星空が見えて然るべきだというのに、それさえほとんど見えない。なにより月さえ隠れてしまっていては、流星群など夢のまた夢のように思われた。これはもう登る前から覚悟していたので、そのさまを目の当たりにするやいなや、寒さもあり、早々に下山することにした。
 ふたたびリフト乗降場へと戻り、今度は下りのリフトに乗る。これが、これがもう、思い出しただけでも体が強張るほどにおそろしかった。地面が常に寄り添った登りに対し、下りのそれは地面から遠く離れ、視界は絶望的な中空であり、体感的には完全に浮遊であった。あとからファルマンに訊ねたところ、これでも暗くてよく見えない分、日中よりは怖くないのだそうで、じゃあ僕は冗談じゃなく、日中にこれに乗っていたら気絶していたかもしれないと思った。数メートルの間隔があるファルマンたちのリフトまで、僕の奇声は届いたらしい。体に変な力が入り、腰が痛くなった。どうしても、どうしても巨根過ぎるせいで、こうなってしまう。こんなことなら巨根でなければよかったとは決して思わないが、それでもこのときばかりは神の意図が恨めしくもなる。先週の日御碕は経験則から回避したため、高所の恐怖を味わったのは久々で、ちょっと喉元を過ぎかけていた感があったけれど、やっぱり飛行機なんて絶対にあり得ないな、と再認識した。そんなリフト体験だった。
 リフトの恐怖はひどかったが、夜の人類滅亡ドライブも含めて、家族の懐かしい思い出のひとつになったんじゃないかと思う。行けてよかった。ちなみに晩ごはんは、帰ったらすぐに食べられるよう、事前におでんを拵えていて、これがとてもよかった。寒くて暗くて高くて怖かったリフトも、帰ったらおでんを温めて食べ、まずビールを飲んで、そして次に熱燗を飲むのだと思い、なんとか耐えられた。無事に帰宅し、実現したそれは、果たして至福であった。愉しい夜だった。

日御碕へ

 すっかりいい季節になり、各地でいろいろなイベントが行なわれていた。かなり目移りしたが、結果として、なぜか特になんの催しもやっていない日御碕へと足を運ぶことにした。
 途中の出雲大社では、駐車場に入る車による渋滞に巻き込まれ、道の選択を失敗したと思った。出雲大社の駐車場に入るための渋滞に、出雲大社に行かないのに巻き込まれるバカらしさ。なんとかそこを通り抜け、稲佐の浜を右に曲がると、右手になにやら行列が見える。なんだろうと思っていたらファルマンが、「あれは去年ピイガがカニを当てたやつだ!」と気付く。僕は参加しなかったので場所が分かっていなかったのだが、なぜか引き寄せられるように日御碕に行くことにした今日、ちょうど開催中のその横を通り過ぎたのだった。なんか運命的なものを感じずにいられない。こうなると今年もくじを引いたら当たったのではないかという気もするが、行列はその時点でだいぶすごいことになっていたので、並ぶ気にはならなかった。
 日御碕に行くのは、検索したところ日記には書いていなかったが、2020年の8月以来である(2021年の日記に、「去年の夏に日御碕灯台に行った」という記述があることから判明した。なぜ当時に書いていなかったかと言えば、コロナ禍で、県外に出たことはあまり大っぴらに言えない社会情勢であったことに加え、6月から無職になって、世間の夏休みが終わったら本格的に就職活動を始めなければならないという、なんとも嫌な精神状態での出雲帰省だったという、二重の理由があると思われる)。つまり3年ぶり。そう滅多に行く場所ではないので、行くたびに、たどり着くまでの道のりの大変さに驚く。それでも倉敷時代も含めて地方暮しももうわりと長いのでだいぶ耐性がついているが、僕はここに、大学生の頃にも来ている。もちろんそれが初めての日御碕であったが、ファルマンの帰省について数日実家に泊まることにした際、「日御碕に行くといいよ」と両親が車を貸してくれ、ファルマンとふたりで行ったのだ。横浜在住の、普段そこまで運転しない大学生に、両親はなぜあんなに気軽に車を貸し、そしてこの道のりのスポットを薦めたのだろうか。今となっては謎だ。僕が親の立場だったら、絶対にそんなことはさせない気がする。
 久しぶりの日御碕は、別になにも変わっていなかったが(星野リゾートのホテルは去年開業したらしいが)、3年前の来訪が、精神状態があれだったし、真夏でたぶん怠かったしで、あまり印象に残っていないこともあり、新鮮で愉しめた。灯台には登ることができるのだが、3年前、料金を支払って登りながらも、外の展望テラスには恐怖心から出られないという出来事があったので、今回は挑戦さえしなかった。ファルマンと子どもたちだけで登り、僕は地上からその写真を撮った。
 

 撮りながら、この天高くまっすぐ聳え立つ感じは、男性器のメタファーとして、LINEのアカウント画像にすると縁起がいいのではないか、セクハラではなく、セクハラと感じたのだとしたらそれはそう感じたあなたの頭が腐っているからじゃないですかと言える絶妙のラインではないか、展望テラスによる膨らみがちょうどカリ首っぽくてありがたいなあ、などと思ったので、家族関係なく何枚か撮った。とんびも写り込んだ。
 そのあとは崖のようになっている海岸線をぐるりと歩き、駐車場へと戻った。日本海らしい、打ちつける波のさまが絶景だった。日御碕、3年にいちどくらい来るとなかなか愉しめる。その程度の思い入れしかないが、アカウント画像にするやもしれない。誰が日御碕灯台やねん。スカイツリーやっちゅうねん。

10月の3連休

 3連休であった。中日以外はまあまあ天候に恵まれ、なにより気候がとてもいいので、普通に考えれば公園などに繰り出していたに違いなかったが、上の子は中学生になっていて、そして試験前期間なのだった。切ない。ごく普通に、「遊ぼうぜ」と家に誘いに行ったら、「ごめん、塾なんだ」と断られた少年のごとく切ない。そっか、もう俺たち、これまでとはちょっと変わっちゃったんだな……。もっとも当のポルガが、塾に行っているわけではないし、「勉強しなきゃいけないから」とこちらの誘いを拒否するわけでは決してない、というのが、父親として、どう捉えていいのか微妙なところだ。「ポケモン観るー」とか「ぷよぷよするー」などと無邪気にのたまう様子に、安心するような、不安なような。
 それでもどこにも行かなかったかと言えば実はそんなことはなくて、初日の土曜日は松江に繰り出し、この日と翌日の2日間、くにびきメッセで行なわれた「みらいキッズラボ」というイベントに参加した。子ども向けの企業博みたいなもので、2年前に出雲ドームで行なわれた同じようなイベントにも行ったが、それをふた回りくらい大きくしたような感じだった。ふた回りくらい大きいという印象がどのあたりに起因するのかと言えば、10時開始のところ9時50分くらいに会場に到着したら、オープニングセレモニーが執り行なわれていて、そこには松江市長と島根県知事がいたという、そのあたりだ。支持者でもなんでもないが、県知事って、見るとちょっと「おっ」となると思う。セレモニーが終わるとゲートが開放され、並んでいた人たちが順番に、ブースが立ち並ぶエリアへと進んだ。この際、セレモニーの立ち位置のまま、テープカットに参加していた知事や地元劇団の子どもたちに拍手されながら入場することとなり、知事の目の前を通過しながら、どんな顔をしていいのかさっぱり分からなかった。こんな事態は想定していなかった。10時開始で、駐車場が満杯だったり、ブースがどこも行列だったりしたら嫌だし、午後から松江ではスサノオマジックのシーズン開幕戦があるというので、どこまで影響があるのか分からないが、巻き込まれたら嫌だから早めに切り上げたいね、というくらいの気持ちで、9時50分に到着したのに、絶対的な人数の少なさゆえか、「オープン前から意気込んで並んだ猛者」のようになってしまった。しかしそのおかげもあって、3つ4つ、待ち時間なく体験ブースを回ることができた。時間が経つにつれてさすがに人も増えてきて、ブースに行っても「30分待ちです」なんて返事が来るようになってきたので、まあこのあたりが潮時だろうと、上客のように(1円も使っていないが)スッと会場を出た。まあまあ愉しめた。
 そのあとはスーパーに寄って、昼ごはんの買い出しをし、帰りがけの公園でそれを食べるつもりだった。しかしその目的で立ち寄った公園、「古墳の丘 古曽志公園」に近寄ると、なんだか様子がおかしくて、「フェス会場 こちら」などという看板が立っている。慌てて検索すると、ちょうどこの3連休で、この公園を会場に音楽フェスが行なわれているらしかった。古墳が再現されていて、そして宍道湖が見下ろせるという公園に魅力を感じ、ぜひそこでお昼ごはんを食べようと目論んでいた一家を襲った悲劇。たまたま行こうとしていた公園でフェスて。仕方なく別の場所を探すことにした。ちなみにタイムテーブルを見ると、初日の正午あたりのこの時刻、出演者の中でたぶん一番の目玉であろう、PUFFYがやっているところだったよう。PUFFY! へえ!
 それで次にどこへ行こうと思ったかと言えば、先ほど目にした知事にも関係する場所だが、宍道湖のほとりにある道の駅、秋鹿なぎさ公園で、これも同じく2年前、カヌーをしに行った場所であり、ここと知事がどういう関わりかと言えば、ここはあの、ちょっと全国ニュースにもなった、段ボール授乳室が設置され、批判が湧いたが、それに対して知事がちょっと格好いいことを言って株を上げた、あの道の駅であり、別に来るつもりはなかったのだが、来たからにはせっかくなのでひとつ実物を見てみようじゃないかとも思った。しかしあのニュースが話題になったからなのか関係ないのか分からないが、駐車場が満杯で、先ほどの公園に続き、こちらにもフラれてしまった。仕方なく昼ごはんは車の中で食べた。
 次の日は僕自身はとてもインドアだった。ファルマンと子どもたちは、いつもの科学教室や、ポルガが図書館で勉強をするというのでその送迎をしたりして、わりと家にいなかった。それで僕はどうしていたかと言えば、借りてきた大河ドラマのDVDを観ながら、裁縫をしていた。つまりいい休日の過し方をした。作っていたのは、珍しく下着でも水着でもなく、久しぶりのキャスケットで、自分用のものがほぼ完成する。なかなかいい出来だが、作りながらひしひしと感じていたこととして、なんだかとても派手になってしまった。あまりに特徴的なので、これはさすがにちょっと「nw」にアップしづらい。まるでタイムボカンの主人公のコスプレのようだな、ということを思い、画像検索したところ、しかし歴代シリーズであまりそれっぽいものを被っているキャラクターはいなかった。それでもタイムボカン味が拭えないので、言うなればこれはタイムボカンの主人公の概念のコスプレだな、などと思った。
 夜はラグビーワールドカップの、予選リーグ最終戦、アルゼンチン戦を観るぞ、と思い、実際に観始めるが、野球にしろサッカーにしろバスケにしろ、結局のところ僕はスポーツに関する素養が欠けているのだろう、観戦中ってなにをすればいいの? という状態になり、十数分で観るのをやめてしまった。なにをすればいいもなにも、ただ観戦をすればいいのだろうが、それができないのだった。結果は敗北で、そうか、と思った。
 明けて今日、3連休最終日は、なんてったって出雲駅伝が開催されたのだった。ファルマンの両親は沿道での応援に繰り出したそうで、テレビ中継にも入り込んだらしい。わが家はもちろんそれはせず、交通規制のエリアや時間帯を避けるように、買い物などをこなした。3時のおやつには、わざわざケーキ屋で購ったロールケーキを食べた。この3連休、家に長くいたので、なんだかやけにコーヒーを飲んだのだけど、コーヒーの受け菓子としてハイカカオチョコレートをせっせと食べながら、じわじわとフラストレーションが溜まっていたようで、「きちんと甘いものが食べてえ……」という思いが募り、最終日の今日にとうとう大物を買って食べることにしたのだった。ストイックになり切れないな。
 夕方になり、ちょっと泳ぎに行こうかと悩むが、迷った挙句、ひとりランニングなんぞしてみた。駅伝に影響されたわけではない。このところ水泳をしながら、いまいち満たされないというか、効果を感じられない部分があり、逆に走ったほうがいいんじゃね? と考えたのだった。やった結果どうだったかと言えば、慣れないためにペース配分を間違ったということもあるが、思うようにいかず、やっぱり泳ぐほうがいいかなあ、と思った。
 とまあそんな感じの、充実していたような、茫洋としていたような、あまりよく分からない3連休だった。もっと活用したかったという思いもあるが、まあこんなもんだろうとも思う。穏やかではあったと思う。

40歳

 かくして正式に40歳になった。40歳のパピロウですって。ウケんね。
 お祝いは当日の水曜日になされた。お祝いのメニューはなにがいいかとファルマンに事前に訊ねられたので、「スーパーのでいいから鮨」と答えたところ、それはなんの逡巡もなく「よしきた!」と受け入れられた。しかし当日の夕方になってファルマンがスーパーに向かったところ、平日というのはスーパー側もあまり気合を入れて鮨を作らないようで、ほぼ助六のようなものしかなくて、僕に電話でそれを伝えてきたのだけど、じゃあ俺が調達しようと労働終わりに立ち寄った別のスーパーも、ほとんど同じような状況で、仕方なくそんな感じのものを買って帰ったが、ちょっとどうも、とても誕生日祝いのメニューらしくない感じで、残念だった。40代、これから世界に訪れるであろう食糧危機の未来を示唆しているのかもしれないと思った。そんな未来のために僕ができることはなんだろう。コオロギをむさぼり食うことかな。
 そんな食事を終えたあとは、ケーキ。ケーキは定番のガトーショコラである。定番と言いつつ、去年はなぜか白玉クリームぜんざいだったのだよな。今年は戻った。ピイガが小学校から帰ったあと、ファルマンとふたりで作ってくれたそう。愛しい。ガトーショコラは甘くておいしかった。近ごろ甘いチョコレートというものを久しく食べていなかったので、そう言えばチョコレートってこういうお菓子だったな、と思い出した。
 誕生日を祝うポスターは、今年は平日のため準備がままならず(腐るものではないのだから3連休でいくらでも仕立てられたのではないか、という含みはありつつも)、壁の装飾にとどまった。
 その装飾りがこちら。


 描いて、塗って、カットして、貼っているのだと思えばそれなりの手間のようにも感じられるが、それにしたってシンプル。シンプルもなにも、ちょっと悪意がないだろうか。時間がない中でなにかどうしても伝えたいのだとすれば、それは「おめでとう」であるべきではないのか。大台に乗った年齢のことを、どう考えてもちょっといじっていると思う。せっかくなのでかねてより変えたいと思っていたこともあり、LINEの画像をこれにしてはどうかとも一瞬思うが、かまってちゃんな感じかな、と思ってやめた。
 ちなみに直前まで決めあぐねていた誕生日プレゼントは、さんざん煮詰まった挙句、結局のところ自分がいまいちばん欲しいものはなんなのかという自己との対話の結果、生地になった。生地なんかい! 水着用のストレッチ生地を複数枚ネットで選び、それを買ってもらった。吟味しただけあって、とてもいい柄たち。嬉しい。
 そしてそんな9月20日を終えて、次の日からは曇りがち、雨がちな天候が続いていて、今日は土曜日に喰われた秋分の日で、ポルガが部活に行き、ファルマンが仕事をしていた午前には、ピイガとふたりで散歩に出た。日中に散歩に出たのなんて、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり今年も僕の誕生日から世界は明確に秋になった。私は秋をもたらす者。I am autumn bringer.スーパーには新米が並び始めたが、たぶんそれは、僕が立ち寄ったスーパーに限るのだろうと思う。僕が足を運ばないスーパーは、いまだに冷やし中華が大売出しだ。
 節目ということで、1年の抱負とともに10年の抱負も考えるべきなのかもしれない。しかし偶然にもどちらも一緒だ。心地よく生きたい。ただひたすらに心地よい日々を目指したい。そのためには少々の苦難も覚悟している。それほどにだ。

偏狭3連休

 金曜日の労働が早めに終わったので、おろち湯ったりチャーンス! とひとり盛り上がり、赴くことにする。ちなみに職場からおろち湯ったり館へは、ほぼ家の前の道を通るような道のりしかない。職場をA、自宅をB、湯ったり館をCとしたとき、AからCへ斜めに向かうようなことは一切できない。でもはるばる行った。3連休のどこかで虎視眈々と好機を窺い、結局行けないまま終わったり、無理して行ったせいで全体が乱れたな、などと後悔するよりも、3連休前夜(と言っても翌日が休みという「自由な夜」は、この晩からの3日なのである。3連休は前夜から始まり、最終日の夜には実質的には終了している)に済ませてしまうのが得策だと思った。なんだろう、おろち湯ったり館は与えられた課題かなんかだろうか。
 7月以来の湯ったり館は、今回も裏切られることなく、よかった。プールも2階の外気浴も貸し切りで、快適に過ごした。ただし2階に上がると、誘蛾灯がジジジジと猛烈に作動している音が響いていて、なるほど見上げれば、とてつもない数の羽虫が飛んでいた。なんかもう、本当にすごかった。人生でこれほどの密度で羽虫が飛んでいる情景を見たことはなかった。まるで、問題ない量の精子が存在する精液のようだった。本能を刺激する強い光と、そこに群がる虫たちが放つフェロモンで、フライデーナイトフィーバーが繰り広げられているらしかった。ベンチに横たわると、照らされた羽虫は、夜空に浮かぶ星のようにも思え、それが目まぐるしいスピードでグルングルンと飛び回るものだから、いわゆる「ととのう」の、あの少し気を失いかけるような、心地よいめまいみたいな状態の視界の表現が、自動で展開されているような不思議な感覚があり、愉快だった。
 しっかり堪能し、帰る。帰って、餃子を焼いて、ビールを流し込んだら、先週もそうだったが、もうとても起きていられなくなり、早々に寝ることにした。人が夜に眠い状態になることを嫌うファルマンに、「そんな状態になるのなら湯ったり館に行くな」と責められたが、金曜日の夜にサウナに行って酒を飲んで眠くなるという一連の流れのいったいどこに、責められるべき不健全な部分があるだろうと思った。
 翌日、3連休の初日は、午前中に家族で少し外出する。先日も行ったクレーンゲーム専門店に行ったり、レンタルビデオ店でDVDを借りたりした。クレーンゲームでは、前回ほどの大物ではないが、ハイチュウの景品用っぽい箱タイプのものをゲットした。それ以外に挑戦した分も含め、700円を使ったが、たぶん中身はスーパーで買ったら250円から300円くらいだろうな、というものだった。そういうもんだ。遊興費だ。
 夜は地元の天文イベントに、子どもたちの引率として僕が参加する。定期的に行なわれるこれには、基本的にファルマンが連れて行っているのだが、今回はタイミングが合ったので代わることにした。しかし行った結果、まあまあのダメージを受ける。まず物理的に、部屋の温度が寒かった。空調の設定が強すぎて、体がどんどん冷えていった。周囲を見ると、女性も含めてみんな半袖だったが、僕以外は誰も寒そうなそぶりをしておらず、設定の変更を申し出られる雰囲気ではなかったため、首にタオルを巻いたり、最終的な自衛策として「部屋から勝手に出て廊下にただ佇む」などの手段を取った。あと話のテーマのひとつが、宇宙がどれほど大きいものか、というもので、プラネタリウム的な施設を用いながらその説明がなされたのだが、宇宙空間に飛び出す全天映像にはヒヤリとするような浮遊感があったし、そもそも宇宙のスケールの話は、あまり得意ではないのだった。星が何千億も何兆もあって銀河となり、宇宙にはその銀河が何千億も何兆もあるのだ、みたいな話って、聴くたびに、絶望感とか虚無感とか、そこまで強い言葉ではないにせよ、うすら寒い気持ちになるので、なるべく避けたいと思って生きている。そんなわけで、なかなかつらい時間を過した。帰宅してファルマンに報告をした際、「途中で食べたお弁当がおいしくてしあわせだった」と、自分が出発前に拵えた煮豚と焼き野菜の弁当のことを唯一の希望のように語ったら、「結局あなたは本当に自分のやることしか好きじゃないんだね」と呆れられた。なんか、どうも、そうかもしれない。偏狭だと我ながら思った。
 翌日はかなりのんびりと過した。部屋でひとり、借りてきたDVDを流しながら、筋トレをしたり、裁縫をしたりして、とても満ち足りた時間を送った。借りてきたDVDは大河ドラマで、もう僕は昔の大河ドラマを観ながら、裁縫をして、たまにおろち湯ったり館に行けたらそれだけでしあわせなのかもしれない、昨晩のことを思い出し、偏狭と言えばあまりにも偏狭なのではないかとも思うが、真性がそうなんだから仕方ないよな、などと思った。
 あとファルマンに髪を梳いてもらったのち、ブリーチを施してもらった。髪が、先の5分3くらい茶色、根元の5分の2くらいが黒という、なんとも半端な状態になっていて、40歳を迎えるにあたって(写真を撮られることも考えられる)整った状態にしておきたいと思ったのだった。使ったのは容赦のない感じのハイブリーチ剤で、全体がきちんと金髪らしい金髪になった。今回はたぶん、ここに色は入れないと思う。ただ脱色した金髪。なんかそんな気分。
 夜に放送された「VIVANT」の最終回は、タイミングが合わず、リアルタイム視聴はしなかった。そして翌日の午前中に、Tverで観た。とてもおもしろかったが、実を言えば世の中が盛り上がりすぎていて、何週間か前から、少し自分の心が冷めているのを感じていた。人気のないマニアックなものにしか価値を見出さないわけではないけれど、同じものに対し自分よりもテンションが上がっている人を見ると、どうしても引いてしまう。これも偏狭な性質の一種か。
 午後、祖母から電話が来る。今日届くように注文した敬老の日のプレゼントの礼だった。贈ったのは去年と同じく入浴剤。もう本当に毎年そうすることにしたのだった。電話口で祖母は、先ごろ死んだ親戚が自分と同い年だったという話や、どうせもうすぐ死ぬくせに補聴器を買ってしまったという話を披露してきた。祖母の「もう私は長くない」話は、たゆまぬ努力で日々バリエーションを増やし、数年前よりさらに芸に磨きが掛かっていると思った。
 そのあと、夕方にひとりでプールに赴く。暑さはまだ残り、祝日のプールはほどほどに混んでいた。気持ちが良かったが、少し体が重たい気がした。ちょっとこの3日間、摂取した脂質やアルコールに対し、運動量が少なかったのではないかと思う。これからの日々は、ちょっと摂生を心がけようかな、と思った。
 というわけで3連休が終わる。今年のシルバーウィークは散漫だ。誕生日も間の抜けた水曜日にある。そして僕はいよいよ40歳になるのか。それもまたいいだろう。ちなみに悩んでいた誕生日プレゼントも無事に決まった。宇宙の広さになど思いを馳せず、自分の本当に身の周りだけを、小さく満たして生きてゆきたい。

のんびり週末

 金曜日の夜は猛烈な眠気に襲われた。偉いと思う。1週間を勤め上げ、最後の最後に力が尽きたということだろう。本当に偉い。もっと家人に褒められてもいいと思う。22時くらいに起きていられなくなり、寝室にはまだ布団を敷いていなかったし、ファルマンが仕事をしていたので、リビングで座布団を枕にして横になった。とても珍しいことだ。そこで1時間ほど、たぶんとても深く寝て、眠りの粗熱は取れた感じがした。それでもまだ頭はぼんやりしていて、これは起きていてもなにもできないやつだな、と判断し、晩酌もせず、仕事を終えたファルマンとともに歯を磨き、休みの前夜にしてはだいぶ早めに寝た。休みの前夜というものに、毎週懲りずにテンションが跳ね上がるが、現実はこんなものだったりする。
 翌日は午前中に子どもたちが科学クラブだったので、送迎をする。ファルマンは仕事があったので、送と迎の間に洗濯を干したり、買い物に行ったりと、優れた働きをした。もっと家人に褒められてもいいと思う。子どもたちを回収したのち、昼ごはんに皿うどんを作って食べたあと、みんなで図書館に繰り出す。夏休みのスタンプラリー企画の際に借りた本が読み尽くされてしまい、新しく仕入れる必要があった。僕自身も、かなりの冊数を借りた。とても鋭い着眼点のあるあるだが、うだるような夏が終わり、朝晩が涼しくなって秋の気配を感じ始めると、わりと読書欲が増すと思う。言われてみればそんな気がしてくるから不思議だろう。秋って読書のシーズンだ、と断言してしまってもいい。我ながら斬新な意見だ。
 夕方、なんとなく気が向いたので、ピイガと近所の散歩に出る。だいぶ久しぶり。そういうことができる気候にようやくなった。ちなみにポルガには断られた。ピイガは縄跳びを、僕はバトンを持ち、車が通らない場所まで行ってから、それぞれやった。バトンは、夏を言い訳にできない期間に渡ってのご無沙汰であった。長らくできずにいたのは、労働で指を酷使する状況が続いていたからで、最近はちょっとそこから解放されたので、夏の終わりのタイミングも合致して、本当に久しぶりに回すことができた。そうしたら、ものすごく愉しかった。やっぱりバトンはいいなあ、もっと自由自在に回せるようになりたいなあ、と向上心が湧いた。手首を柔らかくするストレッチを心掛けたりしよう。きっとそれは水泳にもいい効果があると思うし。
 晩ごはんは、横浜から久々に届いたピザに、ポテトサラダと、味を付けて焼いた手羽元というメニュー。おいしかったし酒も進んだが、食べ終わったあと、まあまあの胃もたれ感があった。ポルガは下していた。ポルガはチーズがやはり少し弱点なのではないかという疑いがある。
 夜はポテトサラダの残りなどで、ファルマンと晩酌した。やっぱり週末の夜はこうでなくっちゃ。まあ晩酌自体は平日もしているわけだが、心の余裕が違う。
 翌日の今日は、ポルガが日曜日なのに午前中は部活ということで出ていったが、欠席者が多くて練習が成立しないということで中止になり、すぐに帰ってきた。夏を経ての疲弊もありつつ、新型コロナが相変わらず流行っているようで、おそろしい。わが家は、一応、いままだ、7月のあれがやはり新型コロナだったとすれば、免疫が、ある……よね? という感じなのだが。
 それ以降は、僕が食料品の買い物に出た以外は、外出せずに過した。なんならまた夕方になって涼しくなったら散歩に出てもいいね、などと話していたが、残念ながら夕方からは大雨だった。おやつのあとに4人で大貧民をやった以外は、ファルマンとピイガは一緒になにかしていたが、僕とポルガはそれぞれの部屋で、がっつりとしたいことをして過した。というわけで、のんびりとしたわりといい週末だったんじゃないかと思う。
 来週末は、今のところ3連休が予定されている。3連休ならば、いちどくらいは湯ったり館に行ければいいなあと思っている。つましい願いだな。