宿泊者の来訪(ポルガの悲願)

 先週末、わが家としてはとても珍しく、と言うか島根に来てから初めて、いや親類以外ではわが家結成(ファルマンと僕の婚姻をスタートとす)以来初めて、宿泊者を持ったのだった。泊まったのはポルガの、岡山時代の友達。これまでも何度か行った岡山で、毎回遊んでいる子。ウマが合うのか、距離感がいいのか、ずっと仲良くしているようで、お互いの家での宿泊の話は前々からあったのだが、それがとうとう実現したのだった。
 土曜日の昼過ぎにこちらに着くということだったので、駅で出迎えた。お友達は、お母さんと一緒に来ており、お母さんはひとりでホテルに泊まるとのことだった。岡山駅から特急やくもで、ほぼほぼドアtoドアのようなものなのだから、付き添う必要などない気もするが、いつかポルガが逆ver.で向こうの家の世話になるのだとしたら、たしかに不安で付き添いたくなるかもしれないな、とも思った。とは言えせっかくこちらにいらっしゃって、明日まで過すのだから、観光的なことをまったくしないわけでもないだろうと思い、われわれはこのままポルガと友達を出雲大社まで連れていく予定となっていたので、「一緒に乗って行かれます?」と声を掛けたが、「いえ、ホテルに参りますので」と固辞された。チェックインできる時間まではまだ間があるだろうとも思ったが、こちらも中学生を持つ親なので、ついてくんな的な空気があるのかもしれないな、と察した。まあよその家のことは分からない。
 というわけでお母さんとはそこでお別れし、出雲大社へと向かう。ちなみに天気は島根とは思えないような快晴である。この2日間はとても天候に恵まれたのだった。友達に島根をアテンドするのは、ポルガのここ数年の悲願だったので、これは本当によかった。出雲大社には、もちろんわれわれは付き添わず(言わずもがなの「ついてくんな的な空気」である)、ご縁横丁の前でふたりを降ろし、帰った。夕方になり、途中にバスで移動したというショッピングモールへと迎えに行った。その日の出来事や気持ちを詳細に親に語るようなタイプではないので知りようがないが、悔んでいる様子もないので、満足できたのだろうと思う。
 晩ごはんは、外食も検討したのだが、テーブルを別にするにしてもなんとなく居心地が悪いだろうし、帰るタイミングとかも掴みづらく、なにより遅くなりそうだということを勘案し、カレーを作った。カレーは便利だな。これをふたりでポルガの部屋で食えばええわい、と。ちなみにだが、ポルガの部屋は普段、とても食事ができる状態ではなく、ポルガ以外の人間が長い時間いたら体調を悪くするような環境なので、友達が泊まりにくるという話が現実的になった10日ほど前から、それはもう掃除に励んだのだった(ただしポルガは片づけが壊滅的に下手なので、結局ほとんどファルマンがやったようだ)。それでなんとかかんとか、部屋で食事もできたし、布団を敷いて泊まらせることもできた。大騒動だった。
 翌日は午前中からカラオケをし、そのまま帰りの電車に乗るために駅へ行くというスケジュールで、それって俺はカラオケ屋とか駅とかを何往復すればいいんだ、とはじめに聞いたときはうんざりしたのだけど、途中で、いっそわれわれもカラオケをすれば、いったん家に帰ってまた迎えに来たりする必要はないのだと気づき、そうすることにした。もちろん言うまでもなく部屋は別々、さらには「部屋を離すよう注文しろ」という指示付きであった。ああ中学生の娘、めんどい。
 というけでファルマンとピイガと3人で、急遽のカラオケと相成る。今年初である。唄ったのは、「MajiでKoiする5秒前」(広末涼子)、紅(Little Glee Monster)、「怪獣」(サカナクション)、「浮気なハニーパイ」(カントリー娘。に紺野と藤本)、「トロピカ~ル恋して~る」(松浦亜弥)、「愛のバカやろう」(後藤真希)、「Go Girl ~恋のヴィクトリー~」(モーニング娘。)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「アンパンマンのマーチ」(ドリーミング)、「晩餐歌」(tuki.)、「世界に一つだけの花」(SMAP)、「チキンライス」(浜田雅功)というラインナップ。広末涼子はもちろん先日の事件を受けてのもの。間奏部分でキャンドル・ジュンや鳥羽シェフに関するトークも繰り広げた。ハロプロは、最近配信が少しずつ解禁されてきていて、よく聴いている。僕らしい、いい4曲だと思う。プロモがよかった。いしだあゆみはもちろん追悼。アンパンマンは、竹野内豊演じる寛おじさんの顔を思い浮かべながら歌った(「なんのために生まれて、なんのために生きるがか」)。そして最後の2曲は完全なる悪ノリ。「まつもtoなかい」はいま思えばすさまじい番組だったな。ちなみに2曲ともマッキーという共通点もある。芸能界の闇は深い。
 カラオケが終わったあとは、市役所隣の広場でイベントを開催していたので、そこにふたりを降ろし、われわれは帰宅する。ふたりにはそこで昼ごはんを食べてもらい、そのまま駅まで徒歩で移動してもらうという算段。すべて天候の良さがなせる業だ。
 家でごはんを済ませた僕は、ポルガが友達を見送るタイミングに合わせて、駅までポルガを迎えに行った。駅には友達のお母さんももういた。丸一日、どう過していたのか、興味はあったが、訊ねるのもなんだな、と思い上辺だけの挨拶に終始する。そして改札前で別れた。別れたところで、すぐさまメッセージのやりとりはできるわけで、別れのエモさみたいなものは絶対に昔よりも淡白だよな、と娘らを眺めて思った。
 そんなわけで、ポルガ念願の友達お泊りだった。バタバタだったが、無事に実現できて本当によかった。次はどうしたって、ポルガが向こうに泊まるという流れになってくるか。まあ来年、受験など終わった春休みにでもすればいいんじゃないでしょうか。

春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。