白昼夢

 子どもが夏休みに入り、僕もなんかずっと家にいる、不思議な夏が始まった。子どもたちに夏休み用のドリルが必要だというので、大きい本屋の入っているイオンに行こう、となったのだが、月のはじめは土日だったので、「じゃあ空いてる月曜日に行こうぜ」なんてことが簡単にできてしまい、特殊な感覚だなあと思った。
 もっとも悠々自適がどこまでも快適かといえばそんなこともなく、けっこう時間を持て余す感じもある。ましてや子どもがいるので、ファルマンとふたりだった7月のように、ひとりでフラッと出掛けるようなことはなんとなく憚られ、かといって一家でどこかへ行くにしても、イオンへはもう行ってしまったし、公園で遊べるような気温じゃないしで、わりとあぐねるのだった。
 そんなわけで今日なんかは、海へと遊びに行った。といってももちろん泳いだりしたわけではない。そもそも今年は、他の地域もそうであるように、我々のところの海水浴場も開設していないのだ。そのため海水浴シーズンじゃないときと同じように、波打ち際でパシャパシャだけをしに行った。行ったら、平日とはいえそれなりに人がいて、海水浴場の営業がないとはいえ自己責任で遊泳している人もいた。普段の夏場には寄り付かないので、これが例年に比べてどの程度の賑わいなのかは定かではない。あと、「それなりに人がいて」という言葉は、ふだん湘南の海とかで遊ぶ人と、地方の人とで、思い浮かべるイメージがぜんぜん違ってくるだろうとも思う。具体的に言うと、端から端までぜんぜん駆け抜けられないくらいの広い海岸に、ざっと20グループくらい。そういう人出。波打ち際で脚を浸して遊ぶ娘たちの写真を撮るにあたり、第三者が入り込んでくる心配はぜんぜんない、当世流行りのソーシャルディスタンスな密度であった。波は穏やかで、砂浜は暑く、水はひんやりとしていて気持ちがよかった。夏の海だった。目的通り、裾をまくって、しばらく脚だけ浸し、波を感じたりして過ごした。猛暑日になろうかという昼過ぎの陽射しは強く、20分ほどで頭はぼんやりしはじめ、少し慌てて車へと戻った。あとから思い返して、この不思議な夏の、白昼夢のように感じるひとときだったかもしれない。
 余談だが、この海岸と、6月まで働いていた職場はまあまあ近いので、海岸に向かう前に、急遽ちょっと様子を見に立ち寄った。様子を見に、というのは現在そこが取り壊しの真っ最中だからで、職場の近くに住んでいた同僚に、「たまに解体状況の写真でも送ってよ」と、数少ないLINE友だちなので在勤時に頼み、すると7月下旬にいちど実際に送ってきてくれて、その画像ではもうけっこう建物は壁だけしか残っていないような状態になっていて、ほほー、と思ったりしたのだが、せっかくここまで来たのだから自分の目でも見ようじゃないか、と思ったのだった。というわけで見に行ったら、建物そのものはまだ残っていたが、壁は一部なくなってきていて、剥離させた壁や鉄骨を、ショベルカーみたいな重機が、かつての駐車場に積み上げていた。そのさまを見て、やっぱり、ほほー、と思った。在籍年数6年あまりというのが、長いのか短いのかよく判らないが、案外ぜんぜん感慨深かったりしないものなんだな、と思った。土地や建物への愛着や愛執というものが、やっぱり広島に半世紀近くいた叔父も(話したわけではないが確信をもっていえることとして)そうであったように、血筋によるものなのかなんなのか、どうもない。軌跡といえば軌跡だが、軌跡が現存しているかどうかって大事なことか? という気がする。一方で、そういう個人的な要素に特別な感情を抱くことこそが人間的ってことだろう、という気もする。爬虫類じゃねんだから、と。かつて勤めた会社の建物が解体されていること自体には感情は揺さぶられなかったが、そのことに対して自分はどう感じるべきか、ということについて思いを巡らせることとなった、かつての職場見学だった。8月中に解体は終わるらしいので、あの建物を肉眼で見るのは今日が最後だったろうな。
 いやはや、なんだか不思議な夏。