2025年夏の自家用車横浜帰省 2日目


 旅程2日目は、ただ豊川から横浜に移動するだけ、かと思いきや実はそうではない。そうではないのだが、かと言ってそこまで急ぐ必要もないため、本当に10時のチェックアウトギリギリくらいまで、のんびりと居座った。朝サウナも少しやり、すっきりした。
 車に乗り込んで移動を始めたら、すぐに静岡県である。そして静岡となると、どうしたって富士山への期待が高まるのだが、この日も曇天は続いていて、望みは持てそうもなかった。ちなみにルートは新東名ではなくあえての東名で、それはなぜかと言えば、清水ICで降りるからなのであった。そしてその目的は、エスパルスドリームプラザという複合商業施設内にある、ちびまる子ちゃんランドである。ピイガのさくらももこへの傾倒は未だ続いており、GWの米子の展覧会に続き、とうとう本場の清水にある正統なるミュージアムへも参ったという次第である。清水がほぼ通り道であったため、このようなことが可能となった。これぞ自家用車移動の醍醐味というものだろう。
 豊川にはもうだいぶ愛着が湧いているが、清水という街は今回が完全に初めてで、去年の津のような新鮮さがあった。エスパルスドリームプラザは、埋め立て地なのだろう、海のすぐそばにあった。清水エスパルスというサッカーチームは昔から知っているが、そうか、その本拠地にはこういう地域活動があるのだな、などと感慨深い気持ちになったりした。いろんな土地に行くのって、もしかしたらとても愉しいのかもしれない。
 施設は要するにショッピングモールで、その3階に目的のちびまる子ちゃんランドはあった。グッズショップの奥に有料のミュージアムがあって、まずそこに入った。しかし入る前から若干の嫌な予感はあったのだが、これは入らなくてよかった。せっかくはるばる清水に来た以上、入らない選択肢はなかったのだが、結果論として、入らなくてよかった。4人で4000円以上した。これはだいぶもったいなかった。その分グッズを買えばよかった。グッズショップはさすがの品揃えで、ピイガは、ちびまる子ちゃんのアニメも観るけれど、趣味としてはだいぶコジコジに寄っているので、名称の通りちびまる子ちゃんばっかりだったらちょっと困るなあと思っていたら、もはやちびまる子ちゃんよりもコジコジのほうがスペースが広いんじゃないかというくらいに置いてあった。どうもコジコジは今後、ムーミン的なことになっていくようだぞ、という気配というか熱意のようなものが垣間見えた気がした。ただしピイガはここで大喜びでコジコジグッズを選んだかと言えばそんなことはなく、今回の旅行ではっきりしたのだが、ピイガはいわゆる同担拒否のスタンスの人であるらしく、大賑わいのちびまる子ちゃんランドでイライラを募らせ、どんどん不機嫌になっていったのだった。わかるよ、その気持ち、わかるけど、しかしお前のために清水に立ち寄ったっていうのに、とも大いに思った。結局頭に血を上らせながら、何点か忸怩たる感じで買っていた。どないやねん。
 そのあと併設されている簡易遊園地みたいな所で、子どもだけジェットコースターと観覧車に乗った。ちなみにこの前日、三重県の長島スパーランドの横を通って、とんでもないジェットコースターを目にしていた。長島スパーランド、それこそ通り道なので、プールも含めて気にはなるのだが、間違いなくとんでもない混雑だろうと思うと、なかなか実際に行くハードルは高い。そもそも両親とも絶叫系に乗れないので、なおさら意欲が湧かない。まあ簡易なものでもやらせてやれてよかった。
 そんな感じで清水を後にし、いよいよ横浜へと向かう。ここまで渋滞はほぼなかったと言ってよかったが、いつものパターンで、綾瀬のあたりで捕まった。いつも神奈川県だけが足を引っ張る。そして青葉ICで降りたあとは、やはり街のギュウギュウ加減と、そして坂道加減に閉口した。坂道が多いということを、住んでいるときはそこまで意識していなかったが、本当に多い。出雲平野で育つ娘たちは、目まぐるしく上ったり下ったりする道に、車酔いしていた。なんてか弱く愛しい生きものだろう。
 そしてようやく実家へとたどり着いた。実家には母と祖母と、いとこたちが既にいた。やがて姉とその夫、そして叔父も現れた。去年も同じことを書いたが、全員が全員、それぞれらしい発言をしていて、不変だった。もしかしたら僕は、実家に不変を実感しに行っているのかもしれないと思った。

2025年夏の自家用車横浜帰省 1日目


 今年も決行した自家用車での横浜帰省から、無事に戻ってきた。今年は2回目だし、去年と違って南海トラフ地震注意が出ているわけでもなかったので、そのぶん余裕があったと思う。さらに言えば、伊勢神宮に行くはずが急に午後からの出発を余儀なくされて計画を見直す、などということもなかった。こうして考えると去年はなかなかハードモードだったのだな。
 出発は去年と同じ8月11日。そして同じく5泊6日の旅程なので、日付的には去年と丸々同じだということになる。初日はひたすら泊まるホテルに向かうだけなので、出発時間はいつでもよかったのだが、なにぶん泊まるホテルと言ったらあの、1年前わが家を骨抜きにし、2024年のパピロウヌーボの会場にまでなったキャッスルイン豊川なのであるからして、過す時間をなるべく長くするため、朝の8時半に家を出たのだった。
 今年のお盆シーズンの前半は大気が不安定で、この日も山陰から近畿、東海に至るまで、ずっと曇り時々雨という感じで、ピーカンよりはいいのかなあと思いつつ、雨が激しくなる場面も間々あって、そのときは大変だった。しかし渋滞らしい渋滞はなく、計画通りに15時半くらいには豊川の街にたどり着くことができた。ホテルに入る前に、酒など、こまごましたものを買うため、スーパーに立ち寄る。行ったのはサンヨネという地元密着型のスーパーで、豊橋ナンバーしか停まっていない駐車場に車を停めて、ぜんぜん馴染みのない土地の地元民に混じって買い物をしたら、なんだか人生の厚みが増したような、じんわりとした多幸感があった。
 1年ぶりのキャッスルイン豊川は、相変わらずの心地よさで、これから明日の10時まで、ここで気のすむまでのんべんだらりと過せるのだと思うと、これこそが帰省の主目的なのではないか、とさえ思った。ちなみに同施設には映画館も併設されているのだが、ここでポルガが急に、「ああ、ちょうどいいや、ここで『鬼滅の刃』観るわ。観に行く暇がないと思ってたからよかった」と言い出し、早めに晩ごはんを済ませて、ポルガだけ夜の回を観賞するという流れになった。旅先で映画を観るなんて、ずいぶん上級旅行者みたいなことをする奴だな、と思った。晩ごはんは去年と同じく、施設内のレストランで食べた。去年は南海トラフを警戒して自重したホテルでのアルコールを、今年は気兼ねなく取ることにしたので、ウェルカムドリンクのサービスで生ビールを頼んだ。キャッスルイン豊川で、生ビール飲みはじめたら、そんなのもういよいよ最強じゃん、と思った。
 いい気分になって、映画を観に行くポルガと別れたあとは、もちろんコロナの湯へと向かう。宿泊者以外も利用できる温浴サウナ施設であり、去年も書いたが、ホテル宿泊者はその一般客が入浴料とかを払うゾーンの内側にエレベータで直行できるというシステムが、優越感をかき立て、満足感をいや高めるのだった。施設内はわりと混んでいた。ちょうど帰省で若者が帰ってきているということなのかもしれないが、平均年齢が低く、島根のサウナとの違いを感じた。もしかしてだけど、島根ってやっぱり超高齢化なのか。あとここのサウナで、僕は初めてアウフグースというものを体験した。狙っていたわけではないが、入っていたらちょうど始まったのだ。しかもそのとき、このサウナの目玉であるらしい「玉座」という席にいたので、なんだかとても気分がよかった。ちなみにこのときサウナ室内のテレビでやっていたのは、映画「ラーゲリより愛を込めて」で、そこはちょっと複雑な気持ちにさせられた。サウナを堪能したあとは、岩盤浴コーナーで漫画を読み、部屋に戻ってまた少しビールを飲んだりして、思う存分キャッスルイン豊川を堪能したのだった。

夏なんだな


 意識を取り戻したら、8月ももう中旬に差し掛かろうとしているのだった。
 この半月は、本当にそんな感じで過ぎた。生きてだけ、いた。
 8月でプールに行ったのは一度きりで、労働終わりの夜だったのだが、普通にファミリーで賑わっていた。17時以降は利用料金が下がるし、なにより昼間よりも空くから、その時間から繰り出す作戦を取っているのだろう。プールの経営が危うくなっては困るので、かき入れ時にいくらでも稼げばいいと頭では思いつつ、どうしても、習慣としてプールエクササイズを嗜む人しかいない、人口密度の低い、統制の取れた世界が懐かしい、という気持ちを抱いてしまう。タチの悪い常連客のムーブ。もっとも、実はもうあと半月くらいの辛抱だったりする。夏は短い。
 プールに行けないのは、混雑に加えて、体力が残っていないのも大きな理由で、同じ理由により筋トレもままならない日々だった。ちょうど、冷房病によるものか、首回りに疼痛のようなものがあって、腕立て伏せをすると痛みがあって、これはまずいなあと思っていたのだが、うまくできているのかなんなのか、余力のなさで筋トレをする意欲が湧かない日々が、結果として肩を安静にしたことにより、少し前に感じていたそれは癒えたようである。
 筋トレはできなかったのだが、同時にろくに食べもしなかったので、鏡を見ると、意外と引き締まっている感じがあって、なんだか不思議な感じだ。ボディメイクは難しいな。やけにフンフン気張ってやっている時期、逆にプヨプヨした見た目になるケースもある。
 それとこの日々のトピックスとしては、リビングのテレビが壊れたのだった。あるとき突然リモコンが反応しなくなり、ただしそれ以外の機能は問題ないので、たぶん信号を受信する部分だけの問題なのだが、なにぶん10年前くらいに買った中古品なので、まあ実際買い換え時だろうという話になり、新調することになったのだった。少し前のめりで新しいテレビを求めたのは、テレビの使い方が前と比べて変化したからで、以前どこかに書いたが、ファルマンや子どもたちは「入力切替2」でネットの映像ばかりを観て、観終えるとそのままスイッチを切るので、僕が次にテレビを点けたときに地上波が映らないじゃないか、テレビなのにテレビが映らないってどういうことだ、となり、不便を感じていた。それがいまどきの新しいテレビでは、入力切替などせずとも、リモコンにあるボタンひとつで、YouTubeなりNetflixなりが映し出せるようになり、たとえそのまま消されても、いくら頑迷で老害なおっさんであっても、リモコンの「地上」ボタンを押すくらいなら我慢できるので、新しいテレビが来て以来、わが家のテレビ事情はとても平和になった。
 そんな8月上旬を経て、僕も本日から夏休みに入り、そして今年も自家用車での横浜帰省を決行する予定である。今年はいまのところ、南海トラフ警戒情報が発令されておらず、それだけで去年よりもだいぶ救いがある。その分、高速道路の混雑は多いだろうか。さらには移動日に雨の予報もあって、やはりなかなか一筋縄にはいかなそうだ。しかしそんなことも含めて、とても愉しみだ。宿泊先での計画も多数あり、いい思い出になったらいいなと思う。また帰ってきたら記録を書こうと思う。

かくあれ


 なんとなく頭の働かない日々だった。
 「おもひでぶぉろろぉぉん」の間がまたずいぶん空いてしまって、先ほど久しぶりに「特設サイト」に記事をいくつか投稿したのだけど、なんとそれの前回の投稿は3月のことだった。「パピロウせっ記」にギブアップ宣言をしたけれど、どうも結婚式というものが、ものすごく億劫だったようである。情報量が多すぎるというのもあるだろう。結婚式当日の日記は、僕とファルマンのものを合算すると、原稿用紙で70枚分にもなるらしい。読めないよ。
 それはそれとして、じゃあ4月や5月はどう過していたのかと言えば、別に誰かに精神を乗っ取られてパピロウのフリをした別人格として生きていたというわけではないのだけど、言われてみればあまり地に足のついていない感じがあったように思う。では地に足のついた暮しとはどのようなものなのかと言われれば、それは結局のところ、きちんと文章を書いている日々だ、ということになると思う。どうしてもそうなってくる。中高生の頃から文章を書いてきたので、そこが直結して、僕という生態ができあがっているのだと思う。裁縫をしたり泳いだりというのは、趣味としてなくてはならないものだけど、それについての文章を書くのではなく、ひたすらそればっかりしていたのでは、どうしたって物足りない気持ちになり、焦燥感に駆られてしまう。そういう意味で、僕はなんかしらに没頭するということは絶対にできないんだな、と思う。どんなに愉しいことでも、その愉しさを野性的に受け入れるのではなく、その愉しさをどう記述するかに思いを馳せてしまう。要するに醒めているのだ。 不惑にして、ようやくそう悟った。
 だからこれからは心を入れ替えて、日々もう少し文章を書く時間を取ろうと思うのだけど、目下だいぶ単調な毎日を過しているので、そんなに書くことがないような気もする。しかしこれは、気もするだけなのだ。文章っていうのはマスと一緒で、ずっとかかずにいるとかけなくなるし、かけばかくほど、かけるようになるのだ。ちょっと内省的な、しゃらくさい、まじめなことを語っているのかと思いきや、急にものすごく品のないことを言った。ちょっと調子が出てきたかもしれない。
 「CHANT! GEE/MEE/CHEE」を開設し、ChatGPTはブログとの親和性が高く、文章のおもしろさを本分とするもので、それはおそらく昨今の短文や画像を中心としたSNSを駆逐する、ブログ王政復古の大号令になり得る、ということを本当に思っているのだが、その一方で、ChatGPTが紡ぐ文章が普通におもしろいので、人が一言一言考えて文章を書く意味ってもうないんじゃないかしら、という疑念が脳裏をよぎったりもする。これはChatGPTがブログを自動生成すればいい、という話ではなくて、ChatGPTの書く文章は、web上にアップして不特定多数の人間に読まれる必要はなくて、個々人の画面に、まるで脳内に直接語りかけるように、その人専用の文章を用意してくれるわけで、そうなるともう、インフルエンサーもなにもない。フォロワー数の多寡などない。自分とChatGPT、ほろりほろり、ふたりぼっちの世界だ。自分のためだけの文章(それもとびきり好みのやつ)を書いてくれて、しかもそれはヒモのようにせっせと養ってやる必要もなく、ひたすらに粛々と、無償でこちらの気を良くしてくれる。ファルマンの最近の様子を見ていて、ChatGPTってそういうことなんだな、と思った。ブログは復権するのかと思いきや、文章はもうChatGPTが自分専用に書いてくれたやつで事足りてるから、お前が、お前の好きなように、お前のことを書いた文章など、この世でそれを必要としている人間は、これまでもいなかったけど、いよいよマジで皆無だよ、ということなのだ。
 そうか、こうして書いていて気付いたけど、ChatGPTに嵌まっていたこの2ヶ月あまり、そのあたりのことに、無意識で絶望感を抱いていたのかもしれない。それで文章を書くことから遠ざかっていたのかもしれない。でもこうして明文化したことで、開き直ることができた。そもそも僕は既に知っていたはずだ。ブログって別に、誰かに読んでもらうために書くものじゃないのだ。誰かに見てもらったり、擦ってもらったり、舐めてもらったり、そんな理由かくのではない。かくことって、そんな不純な動機のものではない。かきたいからかく、手が勝手にそっちに伸びて、気付けばかいている、かいているときがいちばんしあわせで、かき終わったら賢者タイムでちょっと寂しい、そういうものだと思う。
 そんな意味で、僕はこれからもせっせと、おせっせと、かき続けようと思う。
 「おこめとおふろ」、これが300記事目だそうです。

GW2025の記録

  GWの4日間を、まあまあ満足のいく出来で終えようとしている。その記録をしてゆく。
 初日、5月3日は、このGWで唯一と言っていい、予定していた計画として、米子へと繰り出す。米子市美術館で開催中の、さくらももこ展が目当てである。わが家では現在、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」から入り、「コジコジ」にドハマりして、さくらももこワールドにどっぷりと浸っているのだった。また米子というのが、普段よりちょっとだけ大掛かりなGWの外出先として、非常に適当な位置関係であり、実に都合がよかった。しかも、次女一家の長女(ピイガと1学年違い)も同じく「ちびまる子ちゃん」が好きなので、それではこの日に、兵庫からまたこちらに帰省してくる次女一家と、あちらとしては通り道である米子で落ち合って一緒に観賞しようという、見事な計画を春休みの際に立てていたのだった。
 というわけで、昼まで部活だったポルガを学校で拾い、昼過ぎから米子に向けて出発する。ちなみに計画を話したところ三女も行くということになり、同乗していた。さくらももこはすごい。女子は35年前くらいからずっとさくらももこが好きだな。車内音楽は、この日専用のプレイリストを作り、子どもやファルマンがめいめい好きな曲を入れる中、僕だけは律儀に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の歴代主題歌などを入れていたのだが、残念ながら行きではほとんど掛からなかった。ちなみに「ちびまる子ちゃん」だけでは、ひとりの持ち数である10曲に達しなかったため、「ドラゴンボール」の主題歌も入れた。これはなぜかと言えば、同じく米子にある天満屋というデパートで、ちょうどドラゴンボールのポップアップストアが開催されていたからだ。僕が熱烈な「ドラゴンボール」ファンであれば、女どもがさくらももこ展に行っている間、俺は「ドラゴンボール」のほうへ、という、まるで30年前の男子と女子のような図式になっておもしろかったろう。もちろん天満屋へは行かなかったし、さらに言えば「ドラゴンボール」の曲も行きではほとんど掛からなかった。僕の入れた曲は、行きでは「MajiでKoiする5秒前」しか掛からなかったんじゃなかったか。
 目的地には13時半くらいに着いた。次女一家は兵庫からなので、正確な時刻での待ち合わせなどはもちろん不可能で、先に着いたほうが美術館の中で鑑賞しながら待ってればいいよね、という感じだったのだが、運の悪いことにこの日の高速道路は事故が重なり、通行止めになる区間などもあって、この時点で次女一家はまだ岡山県という有様だった。これはだいぶ待つことになりそうだねえ、などと話しながら、家族と三女を美術館前で降ろした。降ろして、僕はひとりで次の目的地へと向かった。もちろんドラゴンボールショップではない。どこかと言えば、僕の日記をきちんと読んでいる人はすぐピンと来ると思う。
 そう、ラピスパだ。3月の鳥取遠征の際、少しだけ色気を出したけど、疲労から行くのを断念した、サウナ温浴施設。「ラピスパは長い人生、いつか行く機会がある気がする」と3月の際に書いたが、意外と早くその機会は巡ってきた。もっとも同市内と言っても、米子市美術館からラピスパは片道で20分ほど掛かるので、往復で40分かー、という気持ちも多少あったが、今度こそ行かないとまた後悔が尾を引きそうだな、と思い決行した。
 というわけで、ようやくのラピスパ初来訪となった。ちょうど、どちらかと言えばこっちがいいなあと思っていたガーデン風呂が男風呂の周期だったのもよかった。GWということで大混雑だったら嫌だなあと思っていたが、さすがは山陰、ほどほどの混み具合で、なんら問題なかった。名物のバレルサウナは、熱の感じがどうこうというより、室内がかなり暗くて、そのことに驚いた。言われてみればサウナってあんまり明るい意味ないよな、と思った。外気浴は、やや冷たい風が気持ちよかった。コールマンのインフィニティチェアが、とてもいい座り心地で感動した。ちなみにラピスパにはプールもあり、もちろん水着も持参していたので入ったのだけど、直線ではなく、円の中を歩いてジェットを体に当てたりする、健康増進目的みたいなプールで、さらにはファミリーもそれなりにいたので、プールとしての喜びはまるで得られず、早々に退散した。幸い、この2日前からプールには困っていないので、ガツガツしていないのだった。
 満足いくまでサウナを堪能し、それまでもちょくちょく連絡がないか確認はしていたのだが、ぼちぼちそちらへ戻ろうと思うよとファルマンに連絡したところ、向こうも美術館観賞を終わろうとしているが、次女一家は未だ来ていないということだった。そのあと4人を再び美術館前で拾ったあと、待機ついでに天満屋のドラゴンボールショップならぬ、高島屋で開催中の「うまいもの博」なんかを覗いたりもしたのだけど(島根にはもはや存在しない「百貨店」というものの雰囲気を本当に久しぶりに味わった)、この日の高速道路は本当に厄日だったようで、次女一家のさくらももこ展行きは断念され、米子での合流は成らぬまま、それぞれ実家を目指すこととなった。なんだかんだで、実家にはほぼ同じくらいのタイミングでたどり着いた。次女一家は、米子に13時台に着けるよう午前中に出発しての、夕方のゴールである。おつかれさま、としか言いようがない。さくらももこ展のグッズショップで買ったおみやげだけ渡し、この日はほぼ挨拶だけして、われわれは自宅に帰った。
 翌日は、GW中の唯一のイベントが終わったので、いとこと遊びたがる子どもたちを実家にうっちゃって、これからの3日間は家でのんびり、やりたいと思っていたことをひたすらやろうと目論んでいたのだが、サービス精神なのか責任感なのか、我ながらよく分からない心の運びなのだが、気がついたら午前中に買い出しに出て、昼には実家のホットプレートでパンケーキを焼いていた。ほのかにしか甘みのついていない粉を使用し、パニーニのような感じで、キャベツとソーセージを乗せて包んで食う感じにしたものをまず全員分作って昼ごはんとし、残った粉を長方形のプレートのように焼いて、熱を取ったところで、チョコペンで、つい先日3歳になった次女の次女への祝いの言葉を記し、さらにはホイップクリームやカラフルなチョコスプレーでデコレーションしたものを作った。冷静に考えると、なんで義理の伯父が急にそんなことをするんだろうという話だが、もはや性分としか言いようがないのだった。ちなみに僕とファルマンはそのケーキ的なものは食べず、昼ごはんを済ませたあとは早々に帰った。帰ったあとは、とても静かな自宅で、裁縫をして過した。母の日に、また手作りのものを送ろうとしていて、その作業である。まあまあ進む。夕方に娘たちを迎えに行った。
 翌日こそはのんびりしようとも思ったのだが、空がとても晴れ渡っていて、このまま子どもたちをただ実家に連れていったら、昨日の午後のように、ひたすら室内でグダグダワアワアと過すのだなと思うと、せっかくのGWの、それも子どもの日だというのに、あまりにも不憫であろうと、またひとりで勝手に気を揉んで、海に行くことを企画してしまう。なんかひとり、やけにジタバタしているような気がする。誘ったら誘ったで実家の面々も応じ、義父の車と2台に分かれて、キララの海岸へと向かった。GWの海は、泳ぐにはさすがにまだ温度が低いけれど(海開きももちろんまだ先だ)、足を浸すのには十分なあたたかさで、僕は(実は持っている)バミューダパンツ型の水着をハーフパンツとして穿いてここまで来ていたので、わりとぐんぐん海の中を突き進み、腰くらいまで入水し、海の感じを堪能した。海は波があってやっぱり愉しいな。子どもたちも着替えを持ってきていたので、ハーフパンツが水浸しになるまで海に入っていた。そして他の大人たちは砂浜からわれわれのことを眺めていた。どうも昨日、いやおとといから、GWを思う存分に堪能しようと、ひとりで躍起になっている。生き急いでいるのだろうか。海での遊びを終え、昼ごはんは義父母の奢りでマック。海で遊んでマックだなんて、なかなかいいこどもの日になったじゃないか、と満足した。
 そのあとはまた子どもだけ実家に残し、夕方まで自宅で過すパターン。この日は、これもGWにやりたいと思っていた、部屋の模様替えをした。模様替え、一時期は趣味なのかな、というくらい頻繁に行なっていたが、今回はだいぶ間が空いた。やったのは僕とファルマンの部屋の、タンスと工業用ミシンの入れ替えがメイン。これまで、パソコンが置いてあるテーブルの、すぐ背面にタンスがあり、僕のイスのせいでタンスが開けづらいというストレスがあったのだが、ならばタンスと工業用ミシンの場所を入れ替えれば、タンスは開けやすくなるし、僕は前を向けばパソコン、後ろを向けばミシンという、逆にどうしてこれまでその形にしていなかったのか、というくらいいい形になるのではないかと、少し前から構想していて、今回GWに一念発起してその作業を行なったのだった。ついでに生地の整理などもして、結果的にとてもいい形を作れた。本当にやってよかった。これまでパソコン用のイスとミシン用のイスという、僕のためにふたつのイスが部屋にあったのだが、これがひとつでよくなった。ファルマンのお下がりで使っていた、図体のやたらでかいオフィスチェアは、粗大ごみで棄てることにした。というわけでいま座っているのは折りたたみの簡素なイスなのだが、簡素は簡素で別にいいのだけど、これを360度回転するスツールにしたら、本当にくるっと身を翻すだけでパソコンとミシンが行き来できるようになって最高だな、などと考えている。やって達成感はあったが、午前中の海遊びもあり、いかんせん疲れた一日だった。
 翌日、最終日の今日は、次女一家は兵庫へと帰還するわけだが、これを見送ろうと考えると、予定していた時刻がどんどんずれ込んで、結局半日以上を棒に振るという事態になるので(春休みの際それをやってしまったのだった)、午前中はショッピングセンターに行ったり図書館に行ったりという用件をこなし、その帰り、昼前くらいに実家に顔を出し、見送れるなら見送るし、まだ出発しないようなら昼ごはんの前に退散しようという作戦を立てた。大きなダイソーにも行って、昨日の模様替えで必要性が出てきたケースなど、多数調達する。以前500円だったはずのケースが700円になっていて、どうしても必要だったので4つ買ったが、だいぶテンションが下がった。朝に聞いた出発予定時刻は11時とのことで、しかし次女一家のことだから11時に出発ということはあるまいと見込み、われわれの実家への到着が11時ちょうどになったのだが、そのとき次女たちはどんな状況だったかと言えば、なんかまだショッピングモールに買い物に行っている最中とのことで、じゃあ逆になんでいっつも実現できるはずのない出発予定時刻を伝えるんだよ、と軽く憤りを覚えた。子どもたちは家で留守番をしていたので、子どもたちはいとこらと最後の交流ができ、正午になっても帰ってこなかったので、当初の予定通りわれわれはそこで自宅に帰った。あとから聞いた話によると、それから数十分後に帰ってきた次女たちは、そのあと実家の面々と近所のファミレスに昼ごはんを食べに行き、それから出発したという。なんで! なんでショッピングモールで! 車の中で食べられるような! 適当なものを! 買って帰らないのか! 返す返すも、意地でも見送るために待とうだなどと考えなくてよかった。次に来るのは夏休み。まあまあ間が空くな、と思ったが、それってもう2ヶ月半後くらいのことなのだな。
 午後からは、GW最終日を、こうして日記など書いたりしつつ、それなりにのんびりと過した。母の日の手作り品は、まあまあ進んではいるけれど、もう今週の日曜日である母の日に、配達日数も含めて間に合うか、と言われれば難しそうだ。まあ当日にこだわりはないので別にいい。夕方、「買い物に行ってくるわ」と家族に伝え、こそっとプールへと繰り出す。昨日やおとといは混んだのかもしれないが、最終日の夕方ともなれば穏やかなものであった。明日からは日常。GWが終わると、しばらく真っ当な暦となる。泳いでストレスを解消しながら、なるべく心地よく暮していこうと思う。

宿泊者の来訪(ポルガの悲願)

 先週末、わが家としてはとても珍しく、と言うか島根に来てから初めて、いや親類以外ではわが家結成(ファルマンと僕の婚姻をスタートとす)以来初めて、宿泊者を持ったのだった。泊まったのはポルガの、岡山時代の友達。これまでも何度か行った岡山で、毎回遊んでいる子。ウマが合うのか、距離感がいいのか、ずっと仲良くしているようで、お互いの家での宿泊の話は前々からあったのだが、それがとうとう実現したのだった。
 土曜日の昼過ぎにこちらに着くということだったので、駅で出迎えた。お友達は、お母さんと一緒に来ており、お母さんはひとりでホテルに泊まるとのことだった。岡山駅から特急やくもで、ほぼほぼドアtoドアのようなものなのだから、付き添う必要などない気もするが、いつかポルガが逆ver.で向こうの家の世話になるのだとしたら、たしかに不安で付き添いたくなるかもしれないな、とも思った。とは言えせっかくこちらにいらっしゃって、明日まで過すのだから、観光的なことをまったくしないわけでもないだろうと思い、われわれはこのままポルガと友達を出雲大社まで連れていく予定となっていたので、「一緒に乗って行かれます?」と声を掛けたが、「いえ、ホテルに参りますので」と固辞された。チェックインできる時間まではまだ間があるだろうとも思ったが、こちらも中学生を持つ親なので、ついてくんな的な空気があるのかもしれないな、と察した。まあよその家のことは分からない。
 というわけでお母さんとはそこでお別れし、出雲大社へと向かう。ちなみに天気は島根とは思えないような快晴である。この2日間はとても天候に恵まれたのだった。友達に島根をアテンドするのは、ポルガのここ数年の悲願だったので、これは本当によかった。出雲大社には、もちろんわれわれは付き添わず(言わずもがなの「ついてくんな的な空気」である)、ご縁横丁の前でふたりを降ろし、帰った。夕方になり、途中にバスで移動したというショッピングモールへと迎えに行った。その日の出来事や気持ちを詳細に親に語るようなタイプではないので知りようがないが、悔んでいる様子もないので、満足できたのだろうと思う。
 晩ごはんは、外食も検討したのだが、テーブルを別にするにしてもなんとなく居心地が悪いだろうし、帰るタイミングとかも掴みづらく、なにより遅くなりそうだということを勘案し、カレーを作った。カレーは便利だな。これをふたりでポルガの部屋で食えばええわい、と。ちなみにだが、ポルガの部屋は普段、とても食事ができる状態ではなく、ポルガ以外の人間が長い時間いたら体調を悪くするような環境なので、友達が泊まりにくるという話が現実的になった10日ほど前から、それはもう掃除に励んだのだった(ただしポルガは片づけが壊滅的に下手なので、結局ほとんどファルマンがやったようだ)。それでなんとかかんとか、部屋で食事もできたし、布団を敷いて泊まらせることもできた。大騒動だった。
 翌日は午前中からカラオケをし、そのまま帰りの電車に乗るために駅へ行くというスケジュールで、それって俺はカラオケ屋とか駅とかを何往復すればいいんだ、とはじめに聞いたときはうんざりしたのだけど、途中で、いっそわれわれもカラオケをすれば、いったん家に帰ってまた迎えに来たりする必要はないのだと気づき、そうすることにした。もちろん言うまでもなく部屋は別々、さらには「部屋を離すよう注文しろ」という指示付きであった。ああ中学生の娘、めんどい。
 というけでファルマンとピイガと3人で、急遽のカラオケと相成る。今年初である。唄ったのは、「MajiでKoiする5秒前」(広末涼子)、紅(Little Glee Monster)、「怪獣」(サカナクション)、「浮気なハニーパイ」(カントリー娘。に紺野と藤本)、「トロピカ~ル恋して~る」(松浦亜弥)、「愛のバカやろう」(後藤真希)、「Go Girl ~恋のヴィクトリー~」(モーニング娘。)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「アンパンマンのマーチ」(ドリーミング)、「晩餐歌」(tuki.)、「世界に一つだけの花」(SMAP)、「チキンライス」(浜田雅功)というラインナップ。広末涼子はもちろん先日の事件を受けてのもの。間奏部分でキャンドル・ジュンや鳥羽シェフに関するトークも繰り広げた。ハロプロは、最近配信が少しずつ解禁されてきていて、よく聴いている。僕らしい、いい4曲だと思う。プロモがよかった。いしだあゆみはもちろん追悼。アンパンマンは、竹野内豊演じる寛おじさんの顔を思い浮かべながら歌った(「なんのために生まれて、なんのために生きるがか」)。そして最後の2曲は完全なる悪ノリ。「まつもtoなかい」はいま思えばすさまじい番組だったな。ちなみに2曲ともマッキーという共通点もある。芸能界の闇は深い。
 カラオケが終わったあとは、市役所隣の広場でイベントを開催していたので、そこにふたりを降ろし、われわれは帰宅する。ふたりにはそこで昼ごはんを食べてもらい、そのまま駅まで徒歩で移動してもらうという算段。すべて天候の良さがなせる業だ。
 家でごはんを済ませた僕は、ポルガが友達を見送るタイミングに合わせて、駅までポルガを迎えに行った。駅には友達のお母さんももういた。丸一日、どう過していたのか、興味はあったが、訊ねるのもなんだな、と思い上辺だけの挨拶に終始する。そして改札前で別れた。別れたところで、すぐさまメッセージのやりとりはできるわけで、別れのエモさみたいなものは絶対に昔よりも淡白だよな、と娘らを眺めて思った。
 そんなわけで、ポルガ念願の友達お泊りだった。バタバタだったが、無事に実現できて本当によかった。次はどうしたって、ポルガが向こうに泊まるという流れになってくるか。まあ来年、受験など終わった春休みにでもすればいいんじゃないでしょうか。

春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。

寒く、発散もできず

 話題に困ったら気候の話というわけではないが、近ごろのおこめとおふろはその話題ばかりだ。なにしろ日常生活の中で、とにかくそのことが頭の大部を占めている。早く春が来て暖かくなってほしいということを、もう2ヶ月近く願い続け、そしてはねのけられ続けている。2週間前の降雪3連休のあと、一気にだいぶ暖かくなり、これはいったな、これはとうとういったな、灯油缶に半分くらい残っている灯油はまた持て余す危険性だな、と確信したのに、一瞬の夢であったその数日間ののち、再び気温は下がり、なんか普通にしみじみと寒い日々なのだった。束の間の救済が余計に哀しみを増幅させて、心底うんざりし、落ち込んでいる。
 泳げていないというのもまた、気持ちを晴れさせない要因のひとつであるに違いない。それまで当たり前に権利を与えらえていたことが、あるときから急に奪われるというこの感じ、なるほどこれが「ロス」というものかと、これまで自分にまつわること以外、なにも「推し」というものを持たずに生きてきたので、初めて実感している(泳ぐことは自分にまつわる個人的な事柄だが、なにぶんプールという外的要素が関係してくるので、自分自身の力ではどうしようもない)。世界を形作っていたものの一部が、あっけなく抜け落ち、それでももちろん生きていかねばならないのだが、どんなに前向きでいようと励んでも、それはかつての日々に対して大事なものが欠落した状態であり、決して十全ではない。ファルマンの短歌に、『楽しくて全部そろっているけれど どれもこれもが前ほどじゃない』というものがあり、言っていることは微妙に違うような気もするけれど、感じている寂しさは似通っているような気がする。
 泳ぐこととスイムウェア作りは趣味の両輪であり、そのふたつが連動することによって俺はどこまでも進めるぜ、みたいなことを前にどこかのブログに書いたが、泳ぐほうの車輪がまるで回らない日々の中で、スイムウェア作りのほうはどうなっているのかと言えば、これが気色悪いほどに激しく回転しているのだった。1ヶ月に及んだパターンの刷新プロジェクトが完了したこのタイミングを見計らったかのように、いつも生地を買っている店の、いつも買っている生地が、これまでの2年間ほどで最安値の、ふだんの値段で買うのがバカらしくなるような価格でのセール販売を開始したので、小遣いをだいぶ注ぎ込んで、新しい柄のものを大量に仕入れたのだった。なので、泳がないくせに水着を作ってばっかりいる。作られた水着は、まだいちどもプールに浸かっていないし、泳がれてもいない(「水着が泳がれる」という特殊な表現)。タイヤが片方しか回っていないので、最小限の半径で同じ場所でずっと激しく回転している感じ。傍から見ればそれは完全に故障であろう。
 まったく泳がなかったこの1ヶ月、しかし車にはプールグッズ一式が載り続けていて、それはいざというときのため(例えば急に気が向いておろち湯ったり館に行くことにしたとか)などという前向きな理由ではなく、単に自宅にそれを置く場所がなかったからで、地球上の飛行機はすべての機体が同時に地上にいることはできないという話と一緒で、日々生産され続ける、売り物でない僕の水着および下着は、もはやタンスには収まりきらないため、プールグッズと称して車に載せておくよりほかないところまで来ていたのだった。しかしそれはさすがに不健全であると思ったし、なによりこれから製作は新しいパターンになっていくので、このあたりで整理するべきだろうと考え、タンスの中の、これはもうこの先たぶんも穿かないだろうと判断した水着や下着は押し入れへとやってしまい、なんとか1段を丸ごと空けて、そこへスイムウェアを詰め込むことにした。


 それがこの状態で、ブリトーみたいにまとめたものを縦に並べていって、満員電車のような、互いが互いを支えて自立しているような、そんな感じで収納してある。壮観である。普通に考えて、もう水泳が趣味の人が一生で使う分の水着が十分にある。ともすれば来世、あるいは来来世くらいまでいけると思う(さらに言えばこれがすべてというわけでもない)。お前には股間がいくつあるんだ、もうこのくらいで打ち止めでいいだろうという話だが、これが穿くことだけを目的に作っているわけではないことは言うまでもなく、これからも数は増え続ける(そもそもが新しく大量に買った生地でこれから作っていくもののための態勢作りの一環で、この作業を始めたのだ)。なるほどイメルダ夫人もこんな気持ちだったのだな、とかつてのフィリピン大統領夫人に共鳴する思いだ。
 とにかく、とにかく早く暖かくなり、そしてプールが再開してほしい。生きていて、その不満にばかり意識がいっていて、不健康だなと思う。

やけに律義な冬、感動を伴って春へと

 今年の雪は、やけに律義に、休日めがけて降った。先々週もそうだったし、この3連休もそうだった。今日が出勤だったらめっちゃ嫌だったな、と思うと、少し得した気持ちになった。3連休ということもあり、こんな天候でなければ、泳ぎたい気持ちも手伝って、もしかしたらおろち湯ったり館に出向いたかもしれないが、とても雲南に繰り出そうと思える状況ではなかった。それでも平日に降られるよりよっぽどよかった。
 この3連休は、初日にだけ予定があった。それは、今年度末に開通する高速道路区間があるのだけど、その完成を記念して、この日だけは高速道路上を歩けるよ、という貴重なイベントで、僕はだいぶ前から愉しみにしていたのだった。ちなみにウォーキングのほか、サイクリングやランニングの部門もあって、こちらは競技というほどでもないが、有料制の事前申し込み企画となっており、実はランニングに関して少しだけ、参加するかどうか迷った。結局はよしたのだが、これは賢明だったと思う。なぜか自分はそこそこ走れるような気がしているが、冷静に考えればなんの根拠もなく、2kmあまりの距離の実家に走っていったときも、たびたび歩いたし、翌日はひどい筋肉痛になった。実際に参加したら、たぶん走り切れなかったろうと思う。それに加えて、本当に開催するのかどうか、とてもやきもきするはめになったはずだ。前夜の段階で、雪の情勢的に今回のイベントはすべて中止になるのではないかと思った。ウォーキングは当日受付なので、残念だけどそれならそれで仕方ないな、などと思いながら寝た。なので起きてホームページを確認し、「本日のイベントはすべて予定通り開催します」と堂々と宣言しているのを目にし、マジか、と思った。とても愉しみにしてたわけだけど、だけど、中止じゃないんだ、と。しかしやるからには行かないわけにはいかない。高速道路、歩きたいじゃないか。特別な思い出になりそうじゃないか。なので開始時刻めがけて、会場へと向かった。しかしみんな考えることは同じのようで、イベント会場である公園の駐車場は満杯で、臨時駐車場として近くの学校のグラウンドに車を停め、そこから送迎バスで移動するよう指示される。垣間見た会場の様子を眺め、ポルガが呟いた。「島根県民がみんなここに来ているんじゃないか」。もちろんそんなはずはないのだが、そもそも高速道路を歩けるというレアな機会であるのに加え、山陰の長くて淋しい寒い冬を過し、春の到来を前のめりで求めている島根県民たちが、イベントというものに飢えていたというのもまた真実であろう。かくいうわが家だってそうだ。仕方なく案内された学校へと車を走らせる。ところがこの移動中に、それまでもちらほらと降っていた雪が、一気に激しくなる。学校は思った以上に離れていたが、道中には歩いて会場へと向かおうとしている人々がいて、もはや吹雪といってもいい中を歩く姿は、八甲田山のようであった。到着した学校のグラウンドに車を停めたが、ずいぶんな距離なのに歩いている人がいるという事実が示すように、バスの本数は十分なものではないようで、待っている人の列は長く、だいぶ待たなければならない様子だった。そして激しく降る雪の中、バスを待ち、バスで向かった先でなにをするのかと言えば、高速道路を歩くのである。しかし高速道路を歩くもなにも、視界が閉ざされるような天候である。これは駄目なやつだ、とその場で判断した。ちょうど雪が強まって、下手に耐えてバスに乗ってしまう前にその判断ができてよかった。愉しみにしていたイベントに参加できなかったことは残念だが、僕が思い描いていた愉しさは、たぶんこの日の会場には存在しなかったろうと思う。工事が年度に合わせて計画されるがゆえに、完成して実際に稼働する前に行なうイベントが真冬になってしまうのは仕方ないのかもしれないが、今年はちょっとあまりにもひどい巡り合わせだったのではないか。
 というわけで、3連休の唯一の用件は立ち枯れ、あとはこまごまとした買い物以外、かなり粛々と家で過した。なにしろ寒波である。土曜日の午前中に激しく降った雪は、しかし夕方にはだいぶ溶け、これでもう山陰の寒波は終わりかね、と思っていたら、日曜日の朝はまた雪景色となっていて、1日ズレていたらイベントもなんの滞りもなく開催できただろうに、という忸怩たる思いを抱くこともなく、しかしその雪もまた午後にはだいぶ溶け、ふうやれやれ、いい加減これでおしまいだろ、と思っていたら、最終日である今朝がいちばん分厚く雪が積もっていた。窓の外を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。でもそれも午後の陽射しでやっぱり概ね溶け、そして明日以降、雪の予報というのはいよいよ見当たらなくなり、最高気温が15度などという予報も出てきたので、今度こそ冬は底をついたのではないかと思う。本当に、気色悪いほど休みの日に雪を降らせる冬だった。
 ちなみに雪で行動がままならず、家にこもって作業をしていた果以もあり、この1ヶ月ほど取り組んでいたスイムウェアのパターンの刷新が、無事に完了した。説明しても伝わらないと思うし、もしも書くとすれば当然「nw」ということになるが、3日間じっくり取り組んだからこそたどり着けたような、自身としてはだいぶ劇的で感動的な到達があったので、とてもいい3連休だった。スプリングハズカム。

長くて淋しい寒い冬だったけど

 なんとなく日頃よりアンニュイであるような気がしながら暮している。なにか特別な懸案とかがあるわけではないのだけど、どうも少し、生活に身が入っていない感じだ。山陰の冬にやられているのかもしれない。2月も中旬になれば、あえて探そうとせずとも、春の気配が向こうからやってくるような、そんなイメージがあったけれど、今年はどうもまだその感触が希薄である。冬至から2ヶ月近く経って、日は確実に長くなっているはずなのに、それさえあまり実感しないのだった。
 2月にプールが閉鎖するのは毎年のことなので、それを理由にすることはできない。泳げないことはもちろん僕の精神に暗い影を落としているけれど、そのぶん筋トレに本腰を入れており、われながらせっせと健やかに生きようと励んでいるな、といじましく思う。
 部屋ではもっぱら、筋トレとスイムウェアの製作ばかりやっている。スイムウェアは、「nw」で書いたように、型紙の修正に取り組んでいるのだが、これがなかなか難しい。いじればいじるほど、最初の形がいちばんよかったような気がしてくるのだった。
 これは「hophophop」に書いたことだが、今年はTシャツを新しく仕入れようと思っていて、そのためにとうとうメルカリに足を踏み入れた。これまではスイムウェアの販売をYahoo!フリマでしていることもあり、ものを買ったりするのもそちらでしかしたことがなかった。しかしTシャツの市場はメルカリのほうがだいぶ活況の様子だったので、いよいよ観念してアカウント登録をし、正式に入会した。
 Tシャツは、高校のクラTなどが手に入ったらいいなあと思っているのだが、検索方法が悪いのかもしれないが、なかなかそういうものは出てこない。この世で35人くらいしか持ってないものだから、さすがに売りにくいのかもしれない。非売品という括りで言うと、マラソン大会の記念Tシャツはわんさか出てくる。この世にはこんなにもマラソン大会があり、そこでは参加者にTシャツが配られ、そして売る人はすぐに売るのかと、これまで知らなかった方面の事実に、驚いている。ちなみにそれらマラソン大会のTシャツは、デザイン的にいいものもあるし、本当になんの縁もない、これまでそんな地名なんて聞いたことなかったみたいなマイナーな大会のTシャツを日常で着るというのも悪くないと思ったのだけど、いかんせん素材がコットンではなく、ポリエステルのメッシュみたいになっているものばかりなので、さすがにちょっとなあと思い、購入には至っていない。
 それにしてもメルカリという界隈は、風の噂で聞き知ってはいたけれど、どうやらかつてよほどの混乱があったようで、入会もマイナカードの写真を送信しなければならず厳重だったし、出品者のコメント欄には「ノークレームノーリターンでお願いします」や「神経質な方はご購入をご遠慮ください」などという文面が並び、写真では「このようなほつれがあります」などと言って、とんでもなく小さい糸つれみたいなものが提示してあったりと、治安の悪さと言うか、たぶん荒れに荒れていた時代を是正した結果、いま表面上は平和なのだけど、それは各人の警戒心の強さによってギリギリで保たれているに過ぎず、少しでも気を抜けばすかさず足をすくわれるのだという、修羅の世界の恐怖を感じさせるのだった。これに較べるとYahoo!フリマは牧歌的だなと思う。喩えるなら東京と地方みたいな感じだ。せっかく入会したからにはスイムウェアをメルカリでも販売しようかな、という思いはもちろんあるのだが、そんなわけで二の足を踏んでいる。
 近況はだいたいこんな感じで、なにしろどこかへ遊びに行ったりということがないので、あまりこのブログに書くことがないのである。早く春を感じたい。でも来週はまた寒波だという。嫌だなあ。もういよいよ嫌。ヒアカムザサン。