8年越しレジャー!

 恨みを晴らすかのようなレジャー猛攻、今週は、広島県は庄原市にある、国営備北丘陵公園へと遊びに行った。広島県ということは、俗にいうところの「県をまたぐ移動」である。「県をまたぐ移動」という言葉の、人聞きの悪さったらない。しかしまあ、去年は帰省なども含め、それは行なっても決してブログにこうして書き記すことはできなかったけれど、今は一応こうして、この程度のことは書いても大丈夫な空気感になったな、と思う。いやあまったく、空気感ですよ。新型コロナウイルスというのは、いろんな意味で本当にどこまでも空気次第なものだな、としみじみと思う。
 先週に引き続いて並々ならぬ情熱により、僕は昨晩から調味料に浸け込んでおいた鶏肉を起きてすぐ揚げ、おにぎりを作り、卵をゆでて、お弁当をこしらえた。そして洗濯物を干し終わるなり、庄原に向けて出発した。
 道のりはほとんど高速道路なので、楽々である。6月に買ったフリードには、買う前はぜんぜん考慮していなかった機能として、ACCとLKASというのがあって、前者は設定したスピードの範囲内で前の車との車間距離なんかも維持しつつ車が勝手にスピードを加減してくれる機能、後者は車線を車が認識してそこからはみ出さないように車が勝手にハンドルを操作してくれる機能で、「自動運転」という言葉は、いろいろな制約があって堂々とはいえないらしいが、まあ要するに自動運転にほかならず、これがもう、本当にすごく楽なのだ。もちろんそれなりに注意を払いつつハンドルは握っておかなければならないのだけど、それでもちゃんと運転するのとは大違いの楽さ。なんだ、この機能がついている車の奴らは、こんなに楽して高速道路を走っていたのかよ、とそっち側になって逆にムカついたほどである。別にディスりたいわけでもないが、「ワゴン車ってほどでもないけど念のため3列シートのファミリーカー」というジャンルで、フリードと双璧をなして誰もが選択を迫られる某メーカーの某クルマには、同様の機能が付いていないらしいので、純粋に乗り心地だけで決めたけど、本当にフリードにしてよかったと最近になって改めて思った。もう今後の買い替えで、この類の機能がついていない車は絶対に選ばない。もっともこれからは軽とかにもどんどんこの機能が搭載されていくんだろう。「ちゃんと自分で運転しなければならない車」は、今後オートマ車に対してのマニュアル車みたいな存在になっていくのだと思う。珍しく車の話なんかしてしまった。ACCとLKASがあまりにも快適なので、自慢というより、喧伝したい気持ちなのだ。燃費とか馬力とかじゃない、車を選ぶ基準はとにもかくにも、自動運転機能がついてるかどうかだよ、自動運転機能しか勝たんよ、という思いである。
 公園には11時半ごろに到着した。実はこの公園に遊びに来るのは2度目で、1度目はピイガが生まれる前、ファルマンの両親とともに5人で行っていた。いつだろうかと検索をかけたところ、2013年の本当にちょうど同じくらいの時期、10月5日のことだった。そうか、8年も前になるのか。当時の日記では、なぜか公園の名前を濁していて、そのせいで「備北丘陵公園」と検索しても記事が現れず、面倒を被った。なぜ濁したのか、居住地を探られたくないというネットリテラシー的なことだろうかと思ったが、前後の記事を見ると島根県内の公園の名前はバンバン出しているのでそんな意図はなさそうだ。情勢的には、冒頭にも書いた通り、「県をまたぐ移動」となる(当時は予想もしていなかった情況である)8年後の今のほうが、緊急事態宣言は解除されたとはいえ、どちらかといえばよほど他県の公園に行ったことを濁すべきで、なんともちぐはぐな感じである。でもしばらく考えて、きっとこういうことだな、と思った。すなわち、両親主導らしいこの日の公園行きを、僕はあまり好意的に受け止めていなかったんだろう。だから投げやりで、公園名さえも本当にあまりきちんと把握しようとしなかったんだろう。なんとも狭量で厄介な奴だな、8年前の僕という奴は。8年前の。まあたしかにこの日はずいぶんな雨で、寒く、公園行きは普通に考えて中止すべきで、でも決行して、決行した結果、にっちもさっちもいかない感じに終わって、さんざんだったけども。
 それに対して今日は降水確率0%の晴天で、陽射しが出ると暑くて参るほどで、しかし木陰に入ると風は涼しく、素晴らしいレジャー日和だった。8年前の雪辱を果たしたな、と思った。もっとも8年前、たとえ晴れていたとしても、2歳のポルガにこの公園は早すぎたのではないかと、8年後の今日、10歳のポルガと7歳のピイガを連れてきて、遊具やアスレチックで躍動する姿を見て、思った。もっとも8年前であれば、親ももう少し一緒に挑戦したりしてやれたであろうアスレチックは、エリア内を一緒に歩いてやって見守るくらいが精一杯で、そんなことを言えばそもそも、実は今回の備北丘陵公園行きにおいて、8年前のことが頭にあったのと、車が6人乗りになったこともあり、やんわり両親にも誘いをかけたのだが、8年前レンタカーを借りてまで公園行きを主導した両親は、「暑くてへばりそうだから」という理由で誘いを断ってきたので、8年経って子どもはちゃんと成長し、両親や祖父母はちゃんと老いたものだな、ということも感じた。時代は回る。長年ブログを書いていると、視点がだんだん長大になってくるものだ。
 ひととおりの遊具をこなし、弁当を食べ、どんぐりを大量に拾い、コスモスを眺め、広大な公園をたっぷりと堪能した。レジャー欲が大いに満たされた1日だった。
 公園を出たあとは、綿密な下調べにより存在を知っていた、公園近くにある「ラ・ムー」と「ザ・ビッグ」に寄る。どちらも、岡山にはあって島根(ファルマンの免許取得の際に行ったが「ラ・ムー」は松江にはある)にはない、ディスカウントスーパーである。僕にとっては公園と同じくらい、これらの店での買い物は、今日の遠出のメイン目的といってもよかった。目一杯買うつもりで買い物かごやエコバッグを車に乗せていたが、いざ行ってみたら、まあこんなもんかな、という程度にしか買わなかった。安いものもあったし、そうでもないものもあった。岡山時代の買い物の記憶で、「向こうの店はあんなに安かった」「向こうならあの値段なのに」ということを現在の島根で思ってしまいがちなのだが、実はこの1、2年で物価そのものが上がっているので、あの当時の値段のスーパーなんて、もうこの世には存在しないのだ。それなのに、岡山のスーパーは安かった、島根はやっぱり物流が中国山地で滞る分だけ物の値段が高いのだ、などと憎々しく思ってしまって、そんなの精神的に不健全だな、と反省した。買いたいものはある程度買えたので、それなりに満足いった。
 帰宅後のビールがおいしかった。やっぱり日中に陽を浴びたあとのビールは格別だな。アスレチックや遊具をしたわけではないが、アスレチックや遊具をする子どもに寄り添い、園内を巡ったのだ。これほどの運動があるかよ。

年季明けレジャー!

 全国の緊急事態宣言が9月末日をもって解除された、10月最初の週末、気候も全国的によかったようで、各地で人々が外へと繰り出したという。それはそうだと思う。わが家も繰り出した。わが家に関しては、緊急事態宣言の解除は、島根県民ということもあってそこまで直接的には関係なくて、いわば僕の個人的な緊急事態宣言が9月末日をもって解除されたがゆえの、待望の外出と相成った。このあたりの詳細については、とても不定期に更新している「百年前日記」で、いつか書くことになる。最新記事の時間軸はまだ2020年の8月なので、だいぶん先のことになるに違いないけれど。
 それは別にいい。本日のレジャーの話を書く。ところでポルガはなぜか最近、「るるぶ」や「まっぷる」などのガイドブックに大ハマりしていて、図書館でそんな本ばかり大量に借りて、よく眺めている。「山陰」や「中国四国」など、リアリティーのある土地以外にも、「エジプト」や「ニューヨーク」なども借りているので、単純に知的好奇心なのかな、と思う。それでその「山陰」の中で紹介されていた道の駅で、秋鹿なぎさ公園という場所があり、宍道湖のほとりに立地し、そこではカヌーやボートやヨットなどが体験できるのだという。ボートは既にしたことがあるし、ヨットはさすがに難しいだろう。狙いはカヌーだ。体験したい。させたい。しかも体験時期は4月から10月の、それも晴れた日のみだというので、うかうかしていられない、もう行くっきゃないとなり、前夜に急遽決定した。
 その道の駅そのものは、存在を知っていた。夏にファルマンを免許センターに連れて行った際、その前を通った。ただの道の駅だと思っていたが、あそこで実はそんなことができるのか、とガイドブックで初めて知った次第である。
 しかし冒頭にも書いた通り、緊急事態宣言が解除されて最初の週末、そして好天である。誰もが考えることは同じ、おそらくひどく混み合っていることだろう。すごく順番を待つことになるだろうか。いや、とはいえ島根県であれば、そこまでひどいことにはならないのではないか。運転中、そんな懸念が頭の中を駆け巡っていた。到着して、「ボート乗り場」という表示にしたがって建物の裏手、宍道湖側へと進むと、そこには受付があり、係の人がいて、他に人影はなく、係の人に「カヌーに乗りたいんですけど」と申し入れたら、記名と検温を指示され、それからすぐにオールの繰り方の講習へと進んだ。待ち時間0。さすがの一言である。島根県のこと、見くびっていた。ここはあえて「買いかぶる」ではなく、見くびるといおう。島根の人口密度の低さを見くびっていた。都会で、週末で、カヌー体験大人200円子ども100円という阿呆みたいな価格設定をしてみろ、とんでもないことになる。
 数分の講習ののち、そのまま浅瀬に泊められたカヌーへと案内され、乗り込み、後ろから係の人が押してくれて湖面へと進み出て、ジェットコースターのようなスピードで、気づけば湖上の人となっていた。この一連の流れが、あまりにも早かった。とんでもなく贅沢な望みだが、20分くらい待ちたかったよ! と少し思った。「宍道湖でカヌーを漕いでいる人」になるまでが、こんなスピード感でなされることってあるかよ。
 カヌーは、ひとり乗りから3人乗りまであり、当初ファルマンは乗らずに陸から写真を撮るつもりだったのだが、3人乗りは真ん中に乗る人は漕がずに乗るだけになる、といったらピイガがそれは嫌だと拒み、じゃあパパとピイガでふたり乗りに乗るからポルガはひとりで漕ぎな、といったらポルガがそれは嫌だと拒んだので、仕方なくファルマンもポルガとペアで乗ることになった。そんな編制の2艘で、プロぺ家は初めてのカヌー体験を行なった。
 はじめは心の準備が整っていなかったこともあり、わあわあとやみくもにオールを掻いてやみくもに進んだが、次第に「自分はいま宍道湖でカヌーを漕いでいる」という状況に対して心が追いついてきて、自覚を持って舟を進ませることができるようになった。また相方がよかった。ピイガは、普段ははちゃめちゃな破壊神だが、きちんと指導をされると、わりと忠実にいわれたことを守ろうとするところがあるので、「右に進むために左だけ掻こう」と僕が呼びかけると、そのとおりに、先ほど係員に指導されたとおりにオールを繰って、スムーズにカヌーは動いた。それに較べてファルマンたちの舟は悲惨だった。人の話を徹底的に聞かないことで知られるポルガは、やはり先ほどの指導をつゆほども聞いていなかったようで、オールの持ち方から漕ぎ方まで、どこまでも自由にやって、ファルマンの呼びかけにも応じず、ぜんぜん息も合わさず、なのでカヌーは文字どおり迷走していた。聞かない聞かないとは思っていたが、すごいな、こいつってここまで本当に人の話を聞かないんだな、と感心する思いだった。
 そんなカヌー体験だった。川ではないので、ブイで仕切られた範囲内を、時間内ウロウロするだけである。それでもオールの重たさもあり、かなり体力を使った。これで激流であってみろ、と思った。なるほど羽根田卓也の上半身の筋肉に納得がいった。
 そのあとは来た道を戻って、次の目的地、愛宕山公園へと移動した。ここも初来訪のスポット。それなりに広い公園で弁当を喰うというのが目的で、通り道にある公園を検索したところここがヒットしたのだが、望外の要素として、ちょっとした動物ふれあいコーナーがあり、持ち込みの餌を与えてもいいということだったので、家からスティック状にしたニンジンやサツマイモを持ってきていた。我ながら、コースを練り、朝から弁当を作り、動物の餌まで準備するあたり、熱量が高いな、と思う(なぜ僕がこの週末の外出にここまでの熱情を持っていたのかは、いつの日か書かれる「百年前日記」に詳しい)。
 だだっぴろく、さらには頼みの「園内マップ」みたいな看板がすっかり色褪せて消えてしまっている園内を、カートゥーンアニメみたいな木の看板だけを手掛かりに進む。田舎の大きい公園あるあるとして、なんてったって愛宕「山」公園と名前にもあるとおり、道は基本的に坂道である。だいぶ土で埋まっているけれどこれはいちおう階段になっているので、道として制定されているものだよ、な?みたいな道(なき道)を進んだ先に、なるほど動物の小屋の群が現れた。飼育されている動物は、ウサギ、ニワトリ、ハクチョウ、そしてヤギ、ロバ、カンガルー、シカというラインナップ。クセがすごい。ヤギ以下の動物には餌を与えていいようだったので、金網越しに持ってきた餌をやった。やり始めたら、予想していた以上に動物たちは餌に貪欲で、こういう場所の動物たちってわりと飽食で、ああまた人間が餌持ってきたよ、そこ置いといてよ、みたいな淡白な反応しかしてくれないことがままあるが、ここの動物たちはそんなことなかったので、あげがいがあった。とはいえ絶対的な客の少なさも窺え、果してこれはいいことなのか悪いことなのかと戸惑った。ヤギやシカでこういう体験ができる場所は多いが、カンガルーは珍しいな、と思った。もっともシカとロバとカンガルーとシカ、どれもまあ、大きめの哺乳類ということで、そこまで差があるものでもないな、と金網越しに餌を与えるという行為をとおして感じたりもした。おおらかな、大雑把な感想があったもんだ。
 動物たちに餌をやったあとは、手を丹念に洗って、場所を移動し、それなりにいい場所を見つけ、自分たちの食事をした。おにぎりと、ゆで卵と、公園の前のローソンで買ったLチキ。おいしい。陽射しが強く、アップダウンがつらく、なかなかハードモードだったが、日陰で受ける風はやはり10月の涼しさで、気持ちがよかった。
 そんな週末レジャーだった。これから冬が深まるまで、なるべく多く遊びに出掛けられたらいいな、と思っている。もはや情念のような気持ちで、そう考えている。

松江に行った日はやけに丁寧に日記を書く癖がある

 東京時代に作ったみずほ銀行の口座がずっとあって、でも地方住まいにとってはみずほ銀行の口座を持っているメリットなんてまるでなくて、それでも別に口座を持っているというだけのことなら、わずかな額面の預金に利子がつかないのは当然のこととしても、特に支障もないので放置していてよかったのだが、大学生時代に口座を作った際(江古田支店!)に、悪い大人に騙されたようで、クレジットがらみの「国際ナントカカントカ」みたいなサービスに加入させられていて、これは海外でクレジットカードを使う際になんかしらのメリットがあるとか、なにぶん使ったことがないので(国内でさえクレジットカードなんてほぼ使わない)名称を含めなんにもよく知らないのだが、そのサービス使用料が年間2000円だか3000円だか、毎年無意味に預金から引き落とされていて、それが長年すごく嫌だった。なんとかしたいと思うのだが、電話ではやけに埒が明かず、実店舗に行くしかないと思うものの、地方なのでみずほ銀行が身近になくて、にっちもさっちもいかず、そしてやはり1年にいちど、まったく無意味に、本当に上納金のように預金からお金を持っていかれる、というのがここ何年も続いていた。
 それをこのたび、松江にみずほ銀行の支店があるということを知って、折よく平日の休みがあったので、赴いて口座を閉じることにした。問題なのはあのサービスだけであり、本当はそれだけ解除すればいいのだが、口座を閉じるという強硬姿勢に出たのにはわけがあった。実は以前、岡山時代に、同じ懸念を抱えて、倉敷支店に赴いたことがあった。その際は、まだいろいろみずほ銀行から引き落とされるようにしていた契約などもあったため、口座を閉じるという発想はなく、とにかくそのサービスの解除だけを目的としていた。それで受付に行って、かくかくしかじかでこのサービスをやめたいのだと相談したところ、そんなことがあっていいのかと思うが、行員はぜんぜんピンと来ない様子で、おたくがなにを言っているのかさっぱり分からない、クレジット関係のサービスならば銀行ではなくクレジット会社のほうの話ではないだろうか、いきなり得体の知れないことを言われて困惑している、なんなら警備員を呼ぶぞ、くらいの、後半はもちろん僕が勝手に銀行という空間に対してビビッたために抱いた引け目なのだが、それで仕方なくほうほうの体で逃げ帰るという、とにかくそんな出来事が過去にあったため、もはや今回はサービスの解除は諦め、このために口座引き落としの変更手続きは全てファルマンにしてもらっていたので(実際、地方にいる限りみずほ銀行じゃないほうが圧倒的に便利なのだ)、満を持してみずほ銀行とはすっぱり縁を切ることにしたのだ。
 というわけで、真夏のファルマンの免許試験に続き、珍しくあまり間を空けずの松江来訪となった。そして今回は、本当に稀有なことだが、なんと電車で行くことにした。もっとも松江は微妙に遠く、そして微妙に都会のため、ひとりならば電車という選択肢も、まあまあなきにしもあらずらしい。三女もいつぞや電車で行っていた。そのときは「なんで電車で」と思ったが、自分の立場になって分かった。松江に車で行くの、わりと億劫だ。というわけでの電車。島根に来てから10ヶ月ほどになるが、このたび初めて電車に乗った。岡山時代も、それこそ江古田支店で口座を作ったような時代からは考えられないほどに電車に乗る機会は少なかったが、それでもマリンライナーの存在感はそれなりにあった。島根はその比ではない。それはファルマンも必要に迫られて免許を取るわけだ。
 電車はのんびり走り、のんびり停車し、のんびり松江までたどり着いた。もちろん半端な時間だということもあったろうが、2両編成の車内はスカスカで、4人席をひとりで使い、本を読んだり、田んぼを見たり、うつらうつらしたりしながら過した。
 降り立った松江駅は、やはり微妙に都会なのだった。前に書いたかどうか忘れたが、松江の駅周辺は、岡山ほどではないが、倉敷とどっこいどっこいくらいの規模かな、と思う。岡山と倉敷の関係性は、そのまま松江と出雲のそれに対応すると前から思っているのだが、岡山県の劣勢のほうが、島根県の優勢のほうと同じというのが、まあどうしたって岡山県と島根県のパワーの差だろうと思う。
 みずほ銀行は、事前になんとなく場所は見ておいたのだが、現地に着いたら意外と分からず、グーグルマップもふだん車の設定になっているためかうまく作動せず、困ったなあと思いつつ、だいたいの方角に進んでいたら、幸い交番を見つけたので行き方を聞くことができた。聞きながら、いまどき交番で道を聞くかー、と我ながら思った。
 道のりは15分ほどで、初めて歩く街なので新鮮だし、そこまでの距離ではないのだが、いかんせん暑かった。時刻は昼前で、この日の最高気温は28℃くらいまで上がっていた。汗だくになってしまった。そして言われたとおりに進んで、目的地が近づいたとき、急に見覚えのある風景になったので驚いた。ここはもしかして、と思って見てみたら、ピイガの七五三(2017年11月)の際に、ファルマンが着付けをしてもらった、義母の御用達の呉服屋が銀行の向かいにあった。まったく見知らぬはずだった松江の街でこんな現象が起ったことに、とても驚いた。
 銀行での用事はつつがなく完了した。倉敷のそれのように特殊な申し出ではなく、「口座を閉じたい」なのだから向こうの対応も明瞭だ。ただし「届出印を」といわれ、「実は候補が3つあるんです」と、家から持ってきた3本のハンコを差し出し、「それじゃあ重ならないよう3つともここに捺してください。どれが正しいか確認します」となって、しばらく待っていたら、戻ってきた行員が「3つとも違いました」と伝えてきたので、ぎゃふんとなった。学生時代の俺、適当に口座を作りすぎ! そのツケがぜんぶ未来の俺に! と思った。それで、じゃあなんだ口座は閉じれないのか、今日の松江は無駄足なのか、っていうかもう家に候補となるようなハンコはないぞ、もしかして詰んだのか、と暗澹たる気持ちになったが、行員が続けて「なのでこの場で届出印の変更をして、それから閉じる手続きをします」と案内をしてくれ、事なきを得た。ああよかった。というわけで無事に、みずほ銀行と縁を切ることができた。重ねて言うが、別にみずほ銀行そのものに恨みがあったわけではない。すべてはあの毎年じわじわ引き落とされる謎のサービスのせいだ。口座を作ったのが学生時代ということは、ともすれば20年ほど、無意味に引かれ続けたということとなる。2000円×20年と考えれば4万円。ああもったいない。ああくだらない。
 そうして主目的を済ませたあとは、イオン松江に行って手芸屋を覗いたりしようかなあ、などと考えていたが、暑さでわりと体力が奪われたこともあり、イオン松江はみずほ銀行からだと駅を挟んでまた駅から十数分歩くような位置にあるようで、それって池袋駅からサンシャインシティまで普通に歩く都会の人間には普通のことだろうが、田舎住みにとってはなかなかつらいものがあり、手芸屋でどうしても欲しいものがあるわけじゃなし、もういいやとなって、そのまま駅で電車に乗って帰ることにした。つまりわざわざ松江に来ておいて、本当にストイックに銀行の用事だけして帰ったのだった。まあ、そんなもんだよね、と思う。
 それとこの体験を通して、このたび初めて、妻に駅までの送迎をしてもらう、という経験をした。この事実はなかなか感慨深いものがあったので、ここに記しておく。さらに感慨深いといえば、約20年前に江古田で開かれた口座が、紆余曲折あって松江で閉じられるというのもまた、数奇で感慨深い。人生って不思議。

38歳

 誕生日である。38歳である。
 37歳から38歳なので、感想は何もない。37歳から38歳への移行について、なんかしらでも感傷を抱く者がこの世にいるだろうか。親が37歳で死んだ人くらいのものではないか。思えば僕と母とピイガは、それぞれ30歳差で、両親が離婚したのが、僕が今のピイガと同じ小2の頃だったから、母は38歳の頃に離婚したということになるのかもしれない。無理やりにでもそんなことを思うと、少し感傷的な気持ちになる。なっても得は一切ない。
 誕生日が敬老の日とあまりにも近くて、今はまだ別に困らないけれど、遠い将来、誕生日がクリスマスの人とまったく同じ困惑を周囲に与えるのだろうなあということを思っていたが、今年はとうとうまさに今日が敬老の日となったことで、若干の弊害があった。今日に届くように横浜の祖母にちょっとしたものを贈り、無事に届いて、「ありがとうね」という連絡が来て少し話したのだが、感謝の気持ちの表現と、自分がどれだけ年寄りかというアピールに余念がない93歳との会話において、「今日という日は敬老の日であると同時に、実は孫の誕生日なのだよ」「なんなら贈り物はこちらからの一方的なものではなく、そちらからもなんかしらの物品があってもなんら差し支えはないのだよ」という主張はどう考えても情報量オーバーで、すっぱりあきらめた。もっとも93歳の祖母が、孫の38歳の誕生日を祝うというのは、あまり健全な図式ではないような気もするので、すっかり忘れ去られているくらいでちょうどいいのかもしれない。
 家族からはもちろん祝ってもらった。晩ごはんは鶏の唐揚げで、ケーキはこの時期の、僕の誕生日特有のチョコレートの、カステラのような、シフォンケーキのような、決してガトーショコラではない、チョコレートと小麦粉と砂糖が混ざった感じの、素朴なケーキで、とても素朴な味わいだった。子どもたちもそれぞれプレゼントをくれ、ポルガは卵と一緒にお湯に入れるとゆで卵の黄身の仕上がりが窺えるようになるあの道具(わざわざ買うほどではないがわりと欲しいと思っていたので普通に嬉しい)、ピイガはプラスチックの水筒(こんなんいくつあってもいいですからね)だった。ファルマンからは、サプライズ的な趣向で僕に物を与えてもいいことはひとつもないことをよく知っているので、ファルマンの口座から下りるように楽天で僕が注文したズボン(パンツといいたいところだが、楽天で「パンツ」で検索すると下着とズボンが本当に半々くらいで出てきて、ややこしいので、仕方なくズボンという)をもらった(ただしまだ届いていない)。
 37から38という数字に感慨はないが、それでも年齢をひとつ重ね、それを平穏に家族で祝えたことはもちろん喜ばしい。今がコロナ禍でなければ、かつてのように大勢でパーティーを催すところだけど、そんなこといってもしょうがないし、こうして不自由な時代になったからこそ、本当に大事なものがなんなのかに気づけたような気もする。
 あとこれは誕生日とは別に関係のないことなのだが、たぶん38歳の僕は37歳の僕よりも、ブログが多く書けるようになるのではないかな、と思っている。右手に希望、左手に余裕を持って生きてゆきたい。


 ピイガ作ポスター。
 6月の父の日、輪郭や髪形を四角く描かれて驚愕したが、今回はあごひげで再び驚かされた。ピイガってあんまり僕の顔を見ていないんじゃないかな。あるいは、やっぱり僕がいない時間帯、この家には別のパパが訪れているのではないかと思った。


 ポルガ作ポスター。書いていることのひとりよがりさが、ポルガの話そのもので、こいつは本当に相手にどう思われたいとかなくて、いつ何時も自分のしたいようにするのだな、ということをしみじみと思った。僕の似顔絵は悪くないが、ファルマンのそれには若干の悪意があるし、ピイガに至っては緑色のゴリラとして描かれている。おそろしい。

王ロバ

 王様の耳はロバの耳的なことを、これからいいたい。
 非公開モードや、裏アカウント、鍵アカウントでつぶやくことだってできるだろう。でもそれだと僕の心が充足しない。世の中に向けて、叫びたいのだ。叫ばずにはおれないのだ。しかしその内容は不穏である。本当はあまり口にしないほうがいい。そんなことは判っている。ただでさえ糾弾されやすい世の中である。心の内にしまっておけるものは、なるべくしまっておいたほうがいいに決まっている。でもそれが無理だから、こうして書こうとしている。
 裏アカウントだの鍵アカウントだのといったが、僕の場合、堂々と「papapokke」名義でやっているツイッターが、そんな設定ではないというのに、ごく限られた人の目にしか届かないという意味で、立派にその要件を満たしているともいえる。ビクビクするのは自意識過剰というもので、有名人ならばいえないようなことも、有名税ゼロの気楽さから、いくらでもいえばいいのだという気もする。しかし炎上などという派手な現象にならないにせよ、たったひとりの誰かの気に障り、その人に責められないとも限らない。つながることが主目的のツイッターでは、どうしたってその恐怖が拭いきれない。
 その点、ブログならば安心だ。だってブログだ。ブログ! 誰が読むねん! いま、ブログ、本当に誰も読まない。読むはずがない。だってブログだ。ブログて! ブログにしたって画像とかがあればまだしも、文字だけのブログなんて、本当に誰も読まない。僕も読まない。誰も読まないのに、書き手だけがむやみに存在している。そういう意味でいえば、ブログとはもはや純文学と同等の存在になりつつあるのかもしれない。
 だから、ここならば叫べる。誰も読まないにせよ、一応はワールドワイドウェブに開かれている。そのため王様の耳はロバの耳、ということを叫ぶのに、これが最も適したツールであると思う。
 前置きが長くなった。
 papapokkeのツイッターは、minneと繋げているため、別にそちらに仲間がいるわけでもないのだが、そういう意味でもいえないこと。とてもセンシティブで、光浦靖子とか、ヒルナンデスとか、実際に最近ちょっと取り沙汰されたりもするようなこと。
 すなわち――レジンを使った、中に絵具とかキラキラしたものとかを混ぜて固めた、ピアスだのヘアピンだのの小物雑貨って、あんなもんめっちゃ簡単にそれっぽく作れるだろ、ということだ。
 これは本当に大きな声でいったらダメなことで、あの人たちはこれをいわれるとすごく怒る。「型に流し込むだけじゃないんです!」「ハンドメイドをしたことがない人には分からない!」「哀しい!」などとすごく怒る。
 しかしどう好意的に見ても、やはりああいった創作物というのは、布雑貨よりも絶対に簡単に作れるのだと思う。布雑貨では絶対に出品できないような数を、あの陣営は繰り出す。それはつまり、けっこう作るのが簡単だってことだろう。思うに、設備さえ整えれば、ひとつひとつの作業時間は短いというか、けっこうざっくばらんな感じで、まとまった数を一気に作業することができるんだと思う。
 それで、別にその業界が盛り上がってなければ僕だってこんなことをわざわざいったりしないのだが、どうもminneを眺めたり、世の中のハンドメイドマーケット的なものを俯瞰するだに、レジン固めた系の小物雑貨というのは、ハンドメイド市場においてかなり活況なようで、それが悔しいがために、こうして恨み節を記している。
 なにぶん、女はキラキラしたものが好きだ。キラキラしていれば食いつく。レジン創作に対する理解のなさに加え、いま最もやったらいけない類の、「女って生きものは~」論調まで繰り出してしまったが、レジンのハンドメイド作品の、作る人と買う人の様を見、そしてまるで売れない自分のオリジナルキャラクター柄トートバッグの様を見るにつけ、どんどん気持ちは依怙地になる。
 その依怙地の発露として、このような記事を吐き出すこととなったわけだが、ここに僕の本音はひとつもなく、とっても悪い組織に命令されて仕方なくキーボードをブラインドタッチしたのだ、ということも、悪い組織の人たちが顔のすぐ近くで構えるピストルの恐怖に怯えながらも、せめてもの矜持として記しておく。
 いつかレジンを使った作品に挑戦してみようかと思います。

東京オリンピックがあった夏

 梅雨明け以来、ずっと晴れが続き、あまりにも暑い夏を過していた。 帰宅後のビールが異様に美味く、毎晩ぽーっとなるほどだった。強い渇望で飲む、異様に美味しいビールって、もう液体の範疇を越えていて、液体には溶け切らない量のなんかしらの成分が横溢しているために、もう若干固体のようだと思った。あるいはビールの味の評価として、喉越しということがよく言われるが、考えてみたら単なる液体であれば、喉越しがどうこうなるはずがなく、喉越しを作り出すのは、飲み手側の喉なのかもしれないとも思った。
 約1ヶ月間、日記を書かずにいた。あれよあれよという間に、1ヶ月が経っていた。
 このあれよあれよ中に、東京オリンピックがあった。相変わらずの新型コロナで、開催については直前、もとい開催中もずっと、果たしてどうなのかという意見が噴出していて、結果的にオリンピックを理由にした7月の4連休のせいで感染が爆発したりしているので、どうもこうもなく、感染状況的にはやらないほうが絶対的によかったんだろうが、でももうこれはしょうがなかったんだろうな、とも思う。別に政治家のことを擁護するわけでもないが、もうこれ以上オリンピックのことでぐじゃぐじゃしてても仕方ないので、そこからすべての日本人が解放されるためには、延期はもちろんのこと、中止でもしばらく火はくすぶり続けるので、「やってしまう」のが最適解だったんじゃないかと思う。むりやり潰さないほうがいいことは判っているが、それでも潰さないわけにはいかないニキビのように、オリンピックは早々に済ませてしまうしかなかった。感動もなにもない。単なる処理だ。
 感染は爆発したが、オリンピックが済んだ今(まだパラリンピックは残っているが、パラリンピックはオリンピックよりはるかに規模が小さいのだから、オリンピックをやった以上、開催の賛否などと意地悪なことに言及せず、粛々と行なえばいいと思う)、我々が憂うべき問題は感染の爆発だけになった、ともいえる。これまで我々は、他の国々と異なり、新型コロナウイルスとオリンピックの開催という、ふたつの悩みに同時に苛まれていた。思えばなんとつらい境遇であったか。それがオリンピックを済ませたことで片方の悩みがなくなり、ようやく人並みの状況に身を置けた。これからは、新型コロナウイルスのことでだけ悩めばいいのだ。オリンピックという重たい道着を脱いだことで、ようやくピッコロとまともに闘える。
 我々、だの、闘える、だのと書いたが、もちろんそんな全体主義的な志向があるわけではない。むしろその逆で、この日記を書かなかった1ヶ月は、それでも一応毎日、Twitterに漫画イラストを投稿していたのだが、思った以上に内省的な、自己について見つめ直す機会となったこの試みによって、僕は本当に誰とも仲良くなれなそうな人間だな、ということをしみじみと痛感することとなった。愉しそうであったり、盛り上がっていたり、好きなことに熱中したりしている人が、どうも僕は好きではないようで、そんなのあまりにも最低な人格だろうと冷静に考えたら思うのだけど、逆に、どういう思考回路をもってすれば、たとえば直近の例でいうならオリンピック選手とかになるのだけど、そういう人たちを応援することで自分たちも喜べる、みたいなことになれるのだろう。僕ももう37歳なので、大勢と異なることを誇る気持ちなんてとっくに摩耗している。そんなことを誇っても、現実世界でいいことなんてひとつもないと、既に知っている。それでも考え方は変えようがない。
 感情をなるべく消したい。他人のそれも見たくないし、自分も出したくない。たまたま同時代に居合わせた、同じ科の生きもの程度の、弱い結びつきだろう。そんなものをさらけ出せるほど、深い関係ではない。
 1ヶ月も日記を書かないでいると、調子が戻らない。今後はもう少し間を空けずに書く。

嵐とサウナとイカ

 夜中に嵐の音で目が覚めた。山陰を中心に線状降水帯的なものが発生したのだった。起きてニュースを見たら県内どころか市内においてかなりの被害状況で、わあとなったが、家の周りはとりあえず大丈夫だったし、子どもたちの小学校も休校などの連絡はまるで寄越さないので、なんとなくそんなものかと思った。そもそも山陰の人々は、「夜半の大嵐」というものに、慣れきってしまっているところがある。他の土地の人間ならば、「この世の終わりか?」と思ってしまうような轟音も家の揺れも、冬であれば日常茶飯事だ。だからこれは正常性バイアスのように見えて、山陽のそれとはまた別の、いわば諦観性バイアスみたいな作用なのかもしれないな、と思った。
 今日は労働が休みだった。休みになった、というわけではなく、もともとの休みだったわけで、僥倖、と思った。まだまだ不穏な気候情況とか、あるいは嵐の後片付けとか、そういうことを思えば、本日が休みであったことの、なんとラッキーなことか。やっぱりこういうときに、普段の行ないの良さというか、自分のことは二の次三の次にして、他人がどうすれば幸せになれるのかということばかり考えているから、こういうときに厄介事から回避できるのだよな、神様は見てごじゃるのだよな、としみじみと思った。
 しみじみと思ったので、さらなる幸福を堪能するべく、サウナへと繰り出した。不穏な気候情況などといいつつサウナ。なるほどこれが、災害が起こっているのにゴルフを続行する政治家の気持ちか、と思う。もっとも僕は政治家ではないので、なんの誹りを受ける謂れもない。ここ最近の日々で疲労が蓄積していたため、今日はサウナに行くのだということはあらかじめ心に固く決めていたのだ。
 行き先について、四季荘、ゆらり、湯ったり館と悩んだが(もっとも湯ったり館は水曜日が定休であるのに加え、雲南市にも避難指示が出ていたため、さすがに行くわけにはいかなかった)、「しっとりつるつる北山温泉」というのが、奇数日は男性がサウナの日だという情報を得て、じゃあ初めてのそこに行ってみるか、となった。そしてサウナが主目的なのはもちろんだが、肉体の内外両面のダメージのことを思えば、温泉の効用にも期待をしたかった。そのため「しっとりつるつる」を謳う、まるで化粧水のようなぬるぬるの泉質だというそれに魅力を感じたのだった。
 行った結果の感想としては、全体的にこじんまりとしていて、露天風呂も小さく、外気浴向けのスペースも意識されている様子はなく、微妙といえば微妙だった。ただし今日は前回の松江に較べ、なんてったって条件がよかった。雨交じりの風が吹けばほのかに涼しいというくらいの気候で過ごしやすかったし、僕自身も「癒されるんじゃい!」という強い意欲があったため、快楽の享受に前のめりだった。そのため、まあまあ心地好い時間を過すことができた。ぬるぬるという点については、泉質がアルカリ性ということで、前に化学工場に勤めたときに体験したけれど、アルカリ性のものってたんぱく質を溶かすので、指で触ると指の表面が溶けて、それでぬるぬるするわけで、つまりアルカリ性の泉質でつるつるって、皮膚が溶けてるだけのことなんじゃねえの、ということを、お湯に浸かってから思ったけど、まあ深くは考えまい、ぬるぬるの化粧水のようなお湯でお肌つるつるですよ、そうですよ、プラシーボですよ、こんなこと考えてる時点でぜんぜんプラシーボ効果ないですよ、などと心の中でひとりごちた。
 帰りにスーパーに寄り、最近スーパーでは近海で獲れたイカが多く並んでいて、「刺身用」などというシールが貼られていて、こんなん刺身で食べたらめっちゃうまいんだろうなあ、でもイカって捌いたことないんだよなあ、でも今度の休みの日に一念発起してやってみようかな、イカの刺身めっちゃ食べたいな、と切望していたイカを、買う気満々だったのだが、本当に近海で夜に獲ったものが数時間後に地元のスーパーに並んでいたんだな、ということを実感させる出来事として、昨晩の大嵐で船が出ているはずもなく、イカの姿は売り場に一切なくて、涙を飲んだ。そして夕飯はお好み焼きになった。

父の日とフリードとトートバッグの再出品

 父の日だが労働だった。出勤前、今日が父の日であるということは意識していなかった。前日に意識していたら、夕飯の席などで、娘たちに「明日は何の日だったっけなー」みたいな発破を、かけずにはおれない性格なので、かけていただろう。しかし出勤してからそのことを意識し始めたため、もしかしたら今日が父の日であるということは、わが家において完全にスルーされるのではないか、という危惧を抱いた。おそるおそる帰宅したら、リビングの壁にこんなものが貼り付けられていた。


 ピイガの手によるものだという。嬉しい。嬉しいが、似顔絵、と思う。最初これが僕の似顔絵だとはどうしても思えず、もしやこの家には、僕の不在時に現れる別のパパが存在するのではないかとさえ思った。だって、僕はこれまでの人生で、顔を四角く表現されたことはいちどもないのだ。どこまでも丸顔なのだ。輪郭はもちろんのこと、これでは髪だって角刈りじゃないか。どちらかといえばマッシュ的な髪型を、僕は人生の大半でしている。それだのになぜだ。なぜこんなに現実を歪曲して、上も下も四角く表したのか。本当に不可解だ。あまりにも衝撃的だったので、わざわざこうして写真に撮ってブログに残すことにした。
 この壁の装飾のほか、手作りのみかんゼリーが用意されていた。みかんジュースと、果肉と、ゼラチンで構成された、みかんゼリーであった。そんな父の日。
 日中に、オリジナル生地作成の会社から、再び発注したヒットくん柄の生地が届いていたので、夜はそれの裁断作業をした。最初に作った3点があっという間になくなってしまったので、再販するのである。反応がいいと作りがいがあるなあと思った。
 翌日の今日は、休日で、そしてフリードの納車日なのだった。受け取りは昼前だったのだが、ファルマンとふたりで車を引き取りに行くにあたり、その帰りは、僕がフリードに乗って帰るわけで、ファルマンはひとりでMRワゴンを運転しなければならず、なにぶん保険の開始日を本日からにしていたため、これまでファルマンはMRワゴンを一度も運転したことがなく、それはあまりにも危ないだろうということで、引き取りの時間まで運転の練習目的のドライブをすることにした。僕は、誰かの運転するMRワゴンの助手席に乗ったのが初めてだったので、なんだか新鮮な気持ちだった。ファルマンの運転は、保険の運転者登録が無制限の義母の車で既に体験はしていたのだが、相変わらず実に初々しい、こわばった、肩の凝りそうな運転で、緊張感がみなぎっていた。その運転でガソリンスタンドや手芸屋に行き、なんとかある程度慣らす。
 そのままディーラーに赴き、納車はつつがなく終了した。最後に、そのとき店にいた社員の方々と向き合い、自己紹介のような、今後ともよろしく的な、セレモニーなのかなんなのか分からない、素人の内気な日本人しかいないのにこういう場を持とうとするとこういうことになる、みたいな不思議な時間もあったが、無事に済んでよかった。無事といえば、こうして当日にブログを書いていることからも察せられるように、ディーラーから自宅まで、ファルマンの初めてのひとり運転も、問題なく完遂されたのだった。よかったよかった。
 帰宅後は新車の世話をいそいそと、ということはなく、トートバッグ作りに邁進する。やがて子どもたちが帰ってきたので、家族で新車でお出掛けということをする。出雲大社という案もあったが、必要なものがあったのでショッピングセンターに行くことにした。途中でガソリンスタンドにも寄り、ガソリンを入れる。これまで3000円ほどだったのが、満タンにするのに5000円ほども掛かった。これが普通車か。道中でファルマンにブルートゥースの設定などをしてもらい、スマホの中の音楽が車で掛かるようになった。ハイテクだな。ただし掛かった曲は相変わらず「木綿のハンカチーフ」とかなのだけど。ショッピングセンターでは、子どもたちの買い物のほか、車用のゴミ箱なんかを買った。
 その帰りに、実家にも立ち寄る。ファルマンの免許の取得や、新車の購入に関して、かなりの世話になったので、新車であいさつをしにいかないわけにはいかない。なにぶん6人乗りの3列シートなので、義両親も乗せて、6人で近所をひと回りする。3列シートで、中はだいぶ悠々としているのに、外観はそこまで大掛かりじゃなく、やっぱり「ちょうどいい」なあと思う。どうしてもこのフレーズが口からついて出る。義父からは洗車についていろいろ言われた。まあMRワゴンよりは、新車ということもあるし、僕としても大事に扱いたい気持ちがやぶさかではないのだが、とは言え義父の求めている熱情とはだいぶ温度差がありそうだな、と思う。それなりの頻度での洗車機利用で、なんとか煙に巻きたいと思う。手洗いもなあ、やったら気持ちいい気もするのだけど、どうしてもイメージがなあ。「休みの日に洗車をする」という、その行為がなあ、と思う。
 帰宅後は夕飯をちゃちゃっと食べて、そしてトートバッグを完成させる。4つ作り、そのうちのひとつは自宅用。販売ページの写真にあまり満足いっていないのと、やはりインスタグラムへの色気があり、外出の際ファルマンにバッグを持ってもらって、映えるポイントで写真を撮ろうという魂胆があり、そのためひとつは売らないことにした。というわけで再出品の数は、わずか3点となっている。少ない! 需要に対して、あまりにも供給が少ない! なめてんのか! こんなの、またあっという間に売り切れるに決まってるじゃないか! 買いたい人は、本当に急ぐしかないじゃないか! もう、しょうがないなあ! 急いでください!

ファルマンの免許取得と、その送迎のために過した松江の半日

 ファルマンの自動車教習所は、先日無事に修了したのだった。通い始めたのが4月の下旬なので、1ヶ月半ほどで卒業したこととなる。その事実だけ取れば「順調」という言葉を使いたくもなるが、果たしてそうだろうか。期間が短かったのは、平日に3時間も4時間も、怒涛の勢いで講習を受けたからだし、実地でいちども再講習がなかったのは、どうも本人からの報告を伝え聞くに、「他の地域で免許が取れなかった人は島根に行け」という、まことしやかな逸話が指し示す、島根(スサノオ)マジックがあったのではないかと思う。実際、卒業試験でウインカーを逆に出すという、先生この人とうとう右と左の区別が身につきませんでしたよ、こんな人を外の世界に放り出してしまっていいんですか、と問い詰めたくなる事例があったようだが、それでも合格だったのだ。もっとも交通ルールなんてものは、右に曲がるときに左のウインカーを出すというのは論外だとしても、流動的な部分が多くあり、そういうのは現実世界の道路で学んでいくしかないので、まあそんなもんか、とも思う。
 それで、僕の仕事が休みだった今日、ファルマンを県の免許センターまで送るということをした。第1次島根移住の際には免許の更新がなかったので、島根県のその施設に行くのは初めてで、神奈川でも岡山でもそうであったように、やはりそれは辺鄙な場所にあった。日本で唯一県庁所在地に原発のある島根県なのだから、免許センターくらいもっと便利な場所にあってもいいのではないかとも思ったが、よく考えてみたら、宍道湖の北側のほとりの真ん中らへんというのは、松江市の人にとっても出雲市の人にとっても、同じくらい不便で便利な、とても配慮された場所なのかもしれなかった。
 学科試験から、それに合格したら受ける講習、そして免許証の交付まで、朝から15時ごろまでの一日コースということで、子どもたちが学校に向けて出発するのを見送ったあと、すぐにわれわれも出掛ける。朝ごはんは途中のコンビニで買い、車内で食べた。夫婦でのこんなお出掛けなんて、すさまじく久しぶりか、あるいは初めてのような気がする。免許センターに自分の車で行けないのは、極度のペーパードライバーというパターンはあるにせよ、理屈的には免許取得のときだけだし、なによりこれよりファルマンは免許を持つのだから、こんなふうな送迎なんて今後はしなくなるのだな、ということを思った。
 8時半から9時半までに着けばいい免許センターへ、9時にファルマンを降ろしたあとは、迎えの15時まで自由時間で、この間をどう過すか、ここ数日は思いを巡らせていた。いちど家に帰るという選択肢もないことはなかったが、家から免許センターまでは小一時間かかるので、2往復するのには抵抗感があったし、なにより住所的にはここはもう松江市で、市街地までも20分弱という位置なので、それじゃあまあ松江で過すだろう、という結論に至っていた。
 はじめに浮かんだのはやはりサウナで、免許センターからの近さで検索したところ、「鹿島 多久の湯」というのが見つかり、それはまさに原子力発電所のほう、免許センターから北、すなわち日本海側に車で15分ほど進んだところにあって、なかなか評判もよさそうだし、なにより妻の免許取得のために6時間ほど待機時間があるような状況でなければ、なかなか行くことはないだろう位置のため、これは千載一遇のチャンスだと思った。それで、いやあいいスポットがあったもんだと安心していたのだが、おとといの晩になり、しかし9時にファルマンを降ろしたあと、15分後にそこへ行ってもまだ開いていないんじゃないか、10時とか、10時半からなんじゃないか、と不安になって改めてホームページを確認したら、開館時間どころの話ではなく木曜日は休館という表記を見つけ、行く前に気づいたのはなによりだったが、一気に6時間の過し方計画が暗礁に乗り上げてしまった。仕方ないので、平田のほうに戻って「ゆらり」(宍道湖の左上らへん)か、あるいは斐川のほうへ回って「四季荘」(宍道湖の左下らへん)か、とも思ったが、どうも来た道を戻るのもなあ、と気が進まないでいたところへ、今回の送迎をどこか申し訳なく思っているらしいファルマンから、玉造温泉はどうかという提案を受ける。見ると「ゆ~ゆ」という気の抜けた名称の施設に、サウナがあるようだ。位置は宍道湖の右下らへん。玉造温泉という名前はよく耳にするし、じゃあまあせっかくの機会だからそこへ行っときますか、という結論に至った。免許センターからは車で20分あまり。
 とはいえ、「ゆ~ゆ」の開館は10時からだし、サウナで5時間過せるはずもないので、まずは9時から開いている施設として、松江の中心部を少し通り過ぎて、松江イオンショッピングセンターへと立ち寄る。近くて遠い松江の街は、たぶんピイガの七五三の、写真撮影の時以来だ。いつかと確認したら、2017年11月のこと。時の流れってちょっと早すぎないか。イオン松江にはなんの用件があったかといえば、手芸の資材を買いたかった。噂では「手芸の丸十」が、かつてあったショッピングセンターからこちらに移ったとのことだったのだけど、店内の地図を見ても見つからなかったし、そもそも専門店は10時にならないと開かないだろうと思いあきらめ、イオンの運営するパンドラハウスで購入した。本当にパンドラハウスもあるのに「手芸の丸十」が移転したのだろうか。ちなみに前回、かつて松江にあったショッピングセンター内の「手芸の丸十」に行ったのは、確認したところ2013年8月のことだった。読むと、胎の中のピイガのためにダブルガーゼなどを買っている。そしてこのときのダブルガーゼの余り布が、2020年に布マスクとして活用される……。松江は斯様に滅多に来ないので、わざわざ来た日のことが、定点のように刻まれるものだな。そう考えると、ファルマンの免許のために僕が5時間あまり松江でひとりで過した今日のことも、いつか「松江のあの日」として思い出されるのかもしれない。そんな感慨もあり、まだ途中だが、僕は今日のことをこうして精細に書き記そうとしているのかもしれない。
 買い物を終えて、そこから「ゆ~ゆ」に向かえば、開館の10時にはちょうどいいくらいの時間にはなったが、とはいえ10時からサウナに入り、どんなにがんばったって正午までいられるとも思えず、そのあとの時間をどうするという問題は解決していない。そこで、うすうす目論んでいたことだが、ひとりカラオケをすることにした。先日すでにひとりカラオケバージンは喪失していたため、なじみのない街でも気軽にそんなことができるようになった。それでスマートフォンで近くの店を検索したところ、さすがは県庁所在地の市街地、本当にすぐ近くにあった。受付を済ませて案内された部屋は、これもまたさすがは県庁所在地の市街地というべきなのか、かなり狭かった。ひとりなのでなんの問題もなかったが、久しぶりにこういう狭い部屋を見た。あと片側の壁が思いっきり道路に面した窓になっていて、これがすりガラスでもなんでもないので、入室してすぐに「わあっ」と慌ててロールカーテンを降ろしたのだけど、そのあと、それも自意識過剰だな、と思い直し、再び上げて、外光を浴びながら唄うことにした。2階だったので、外の道路を行き交う車や人は、現実的な大きさで目に入ったが、あっちはこちらのことなんか見ていないし、当人の僕は少し意識せずにはいられないけど、それを抱えながら唄うのもまた愉しいかもしれないと思った。これが、どこかのなにかのように、マジックミラーだったらもっとおもしろいのになー、などとも思った。唄ったのは前のひとりカラオケと同じ1時間半。夏が近づいているからか、桜田淳子や伊藤咲子など、阿久悠のアイドルソングなどを多く唄った。意図したわけではなかったが、そこらへんの歌のカラオケビデオには、やけに水着の女の子が登場し、幸福な気持ちになった。それを眺めていて、「あれ? たしかカラオケビデオに、グラビアとかが表示されるエロ機能ってあったんじゃなかったっけ?」ということを思い出し、家族と来ていたら絶対に使えないその機能は、ひとりカラオケの今こそ使うべきじゃないかと考え、リモコンの項目をあちこち探してみたが、そのような表示を見つけることはできず、あきらめた。いま調べてみたところ、そのような機能があるのはJOY SOUNDで、今日僕が使ったDAMにはないようである。今度のひとりカラオケはぜひJOY SOUNDにしようと思った。最後にカーペンターズの「Top of the world」で締めた。
 カラオケを終えて、時刻は11時半過ぎ。いよいよいい時間になってきたので、宍道湖の右横のところをぐるりと回り、玉造温泉を目指す。しかしサウナに入る前に昼ごはんを済ませておくべきだよなー、どうしようかなー、と思いを馳せていたところへ、ちょうど「はま寿司」の表示を見かけたので、渡りに船とばかりに入店する。そしてパッパッパと5皿ほど食べ、すぐに退店した。湯に浸かりに行く前に軽くつまむ。なんと江戸っ子な寿司屋の使い方だろうか。粋か。それにしたってひとりというものの身軽なこと。
 そして満を持しての玉造温泉。先日の「四季荘」と一緒で、「ゆ~ゆ」はそのうちの施設のひとつで、一帯が温泉街になっていて、ホテルや旅館がいくつも立ち並んでいた。予想外だったのは、「ゆ~ゆ」の浴場がビルの5階にあったことだ。世の中、実際に行ってみないと分からないこと、知れないことが多いな、としみじみ思う。実体験は軽々と想像を超える。あるいは、想像は現実よりもあまりに脆弱なのかもしれない。それで入浴の感想はどうだったかといえば、そもそも今日ここへ来たのは「鹿島 多久の湯」の代替だし、水風呂がないという情報も前もって知っていたが、それにしたって少し残念だった。もっとも施設そのものの魅力の乏しさもさることながら、今日はあまりにも暑すぎたのだ。水風呂がないのは、僕は水風呂よりも外気浴に価値を置くタイプなので別に構わないのだが、ビルの5階というのも悪いほうに作用したか、あまりの熱射にとてもリラックスどころではなく、サウナを出て、冷たくしたシャワーを浴びて、外に出るのだが、外もまたサウナのごとく、じりじりと汗が噴き出るようなありさまで、浴場内にいる間、ただひたすらに暑さにうだっていた。陽射しも暑く、湯も熱く、座ったり寝そべったりできる地面も熱い。考えてみたら、入っていたのがちょうど0時台だったこともあり、日陰もぜんぜんなかった。だからもう、ただ暑かった。普段の労働で、外での作業や、熱の近くの作業のとき、つらいなあ、体力が奪われるなあ、などと感じるのに、なぜ俺はいま休日に金を払ってそれをしているのか、というサウナに対する根源的な疑問まで生じた。要するに、もうサウナはオフシーズンに入ったのだと思う。外気浴で、少しひんやりした風が、陰嚢とかを撫ぜるのがサウナの醍醐味だろう。日が落ちたあとならば話は違うのかもしれないが、近ごろの僕はもっぱら平日の昼間サウナ―なので、暑い間は行くべきじゃないようだ。そのことを思い知った「ゆ~ゆ」だった。
 サウナを終えたあとは免許センターへ、かと思いきや、実はあともう1ヶ所、目的地があった。この目的地があるからこそ、「四季荘」とかに行くわけにはいかなかったのだともいえる。それは宍道湖の右のあたりにある、ディオというスーパーである。大黒天物産という会社が運営するディオは、岡山発のディスカウントスーパーで、ディオ、ラ・ムー、チャチャ、名称はなんでもいいのだが、とにかく倉敷時代にはたびたび利用していた。中には安すぎておそろしい商品もあるのだが、ディオにしかない魅力的な商品というのもわりとあり、ところが近所には系列店がないため、倉敷から持ってきたそういうものが、この半年ほどで枯渇しはじめ、もの哀しく感じていた。そんなディオが、松江にはあるのだ。松江までは進出しているのだ。じゃあこっちにも来いよ、と願わずにはおれないが、とりあえず今はまだないので、今回こうして松江に来る機会を得て、必ず立ち寄ろうと決めていた。ともすれば今回の松江の主目的でさえあったかもしれない。というわけで存分に買い物をした。目的のものは、あるものもあったし、なかったものもあった。まあまあの収獲といえた。店内のPOPみたいなものは全店共通のようで、倉敷時代に目にしていたものそのままで、そういう意味で感慨深かった。
 ファルマンからは途中で試験合格の連絡が入っていた。不合格ならば午前で帰宅なので、この時間に迎えに行くということはもちろんそういうことだ。落ちたらふたたび休みの日に送迎しなければならないので、一発で受かってもらわなければならなかった。もっとも日々のファルマンの学習風景を見ていたら、まさか落ちるはずもないだろうと思っていた。この人は結局まじめで敬虔なのだよな、ということを改めて思った。従順というとニュアンスが異なる。宗教ではないけれど、目の前のことにきちんとまじめに取り組む人のことを、僕は敬虔といいたくなる。そして僕にはそれが欠けている。
 2時45分に迎えにいくという段取りになっていて、僕がセンターに着いたのは2時43分だった。双方待つことなく、玄関で出てきたファルマンを拾うことができた。すばらしい時間配分。思えば手芸用品を買い、ひとりカラオケをして、寿司を喰って、サウナへ行って、お気に入りのスーパーで買い物をして、とても見事に立ち回った半日だった。「見て見て」といって見せてきたファルマンの免許証は、証明写真が、「電波少年」の収録かよ、というくらいに、背景の青色と、着ていた青いブラウスの色が同化していて、顔だけ浮かんでいるようでおもしろかった。

半月ぶり

 友達があまりにもいなさすぎる。レベチであたおかな度合で友達がいない。本来ならば友達がいないという話は、「僕らは瞳を輝かせ、沢山の話をした」に書くべきなのだけど、もう僕の世界には友達がいないということが通底してしまっているため、これはもはや「友達がいない」というテーマの話ではないのだ。日常の話なのだ。
 通底と書いたが、通底だと、うっすらと全体的にそれがはびこっているかのようなニュアンスに感じられる。2センチくらい、ジャバジャバと水が浸っているな、というくらい。しかし僕の友達がいなさは、もはやぜんぜんそんなレベルではないのだ。天井に顔を向けなければ口が水面から出ないような、そういうレベルで、「友達がいない水」はこの客室に充満している。もはや船自体の転覆も時間の問題だし、さらにいえば僕は室内の配管に手錠で括り付けられて身動きが取れない状態だ。遠くから僕の名を呼ぶローズの声が聞こえてこないかと耳を澄ますが、澄ませば澄ますほど、蛙の鳴き声しか聞こえない。蛙は本当にずっと鳴いている。先日娘らと近所の散歩をしていたら、田んぼには無数のおたまじゃくしが泳いでいた。田んぼに水が張られ、地中から目覚め、鳴き、出逢い、交尾し、産卵し、受精し、無事に生まれたか。営んでいるな、と思う。なんとまっとうに営んでいるのか、蛙。
 やけに日記を書かずにいた。なんと半月くらい書かずにいた。あー、書かずにおれてしまうな、と思った。日記を書かなくなったらいよいよおしまいだろうという気持ちと、日記なんか書いたってしょうがないだろうという気持ちが、僕という競技場の中で単行本67巻にしてようやく因縁の対決を迎え、見事なまでの相打ちを遂げた結果としてフィールド上にはなにも残らず、そこには無だけが在った。そして半月の沈黙が生まれた。
 それで半月の間はなにをしていたのかといえば、やけに友達と遊んでいた。友達からの誘いというのは、やけに時期が集中するもので、それぞれの友達たちはぜんぜん違う集団なので、共謀しているはずはないのに、そうとしか思えないほど重なるのだった。もっともこれは人間行動学的には説明がつくのだろう。気候とか、情勢とかで、友達と遊びたくなる衝動に駆られるタイミングというのは、集団が違おうがなんだろうが、共通するのだと思う。いわばそれは精神的な意味で、田んぼに水が張られるようなもので、それをきっかけに我々は目を覚まし、活動したくなる。しかし僕は配管に手錠で括り付けられているため、水が張られても地上に這い出ることができず、水底に沈んで溺れ死ぬしかない。だから友達とは遊べない。遊んでいたといったのは嘘だ。嘘をついて本当に申し訳ないと思っている。なにしろそもそも僕には友達がいないのだ。レベチで、あたおかな度合で、友達がいない。