捉えづらい正月

 2024年の三が日が終わろうとしている。
 大みそかから書くなら、夜はひたすらに紅白を映しながら、食べたり飲んだりしていた。普段21時半に寝るピイガは途中からぐずり始めたが、それでもがんばって目を開け続け、無事に最後から3番目の出番であったYOASOBIを見届けていた。YOASOBIのパフォーマンスは、そうまでして観た果以のある、とてもいいものだった。たぶんジャニーズ系のアイドルグループが出演しない紅白は、この1年限りだろうと思う。その年にこれをやったというのが、巡り合せでおもしろいな、と思った。
 のんびりと目覚めた元日は、去年と同じく、おせちにおける骨と皮のような、最低限の要素だけの品を皿に並べた。紅白かまぼこ、茹で海老、れんこんの炒め煮、煮豚、黒豆という面々。ちなみに後半のふたつは母から送られてきたものである。それと我々3人は雑煮を食べ、餅を食べない主義のポルガは、餅の入っていない汁と、前日の残りのクリームパンなどを食べていた。元日からポルガはもちろん和を乱すのだった。
 そのあと、とりあえず初詣へ。いつもの、出雲大社ではもちろんない、近場の、正月なのでそれなりに賑わっている、ちょうどいい規模の神社である。神様への挨拶ののち、全員でおみくじを引いた。子どもたちふたりは大吉で、僕とファルマンは吉。と言うか、僕とファルマンが引いたのは、同じ番数の、同じ文面のおみくじだった。その内容はと言えば、『心正しく行いをすなおにしないと家の内に不和が起こって災が生れます 特に男女の間をつつしめ』、さらには「願望」の欄には、『とゝのう しかし色情につき妨起る』とあって、夫婦揃ってこんなに下半身関係のことを諫められるおみくじを引くだなんて、2024年はいったいどんな年になるのだろう、だいぶ桃色の年になるのだろうか、と思った。
 そのあとは実家に向かい、昼過ぎから新年の集いをする。
 年末には僕はこちらに顔を出さなかったので、次女一家とは夏以来の再会であった。1歳半ほどになる第2子は、それなりに歩くようになっていて、喃語も少し出てきていて、そしてたぶんいちばん人見知りをする時期に入っていた。夏はできた抱っこも、今回はできなかった。ファルマンのように年末から足場固めをしていたら心を開いてもらえたのかもしれないが、なにぶん今回はほとんど絡まなかったのだった。まあ眺めているだけで癒されたので別にいい。
 鮨とおせちの食事を済ませたあと、みんなで外に出て、散歩がてら凧揚げなどする。僕はバトンを持ってきていたので、それを回した。その最中に、ファルマンのスマホに警報が届き、ほぼ同時に、川の近くのスピーカーからなにかアナウンスのようなものが流れた。しかしなにが起ったのかはあまりよく分からず、そのままもう少し外で過したのち、家に戻った。家に戻ってテレビを付けたら、だいぶとんでもないことが起っていて、大いに驚く。「令和6年能登半島地震」と名付けられた、最大震度7の大地震なのであった。まさかの元日の出来事に、現実味がまるで湧かない。海や川からすぐに離れるよう促すアナウンサーの、鬼気迫る声がひたすらおそろしかった。
 晩ごはんの前に実家を出て、スーパーに寄って帰る。昼餉が豪華だったので、晩ごはんは簡単に、レトルトのミートソーススパゲッティと、茹でた肉や野菜などで済ました。
 そして2日である。この朝に覚えていた夢が、初夢と言われる。僕は、ピイガとトランプをしていたら、ピイガが持っている札を8つ折りにしたので叱った、という、なんとも所帯じみた、そして僕はピイガの手癖の悪さをよほど憂えているのだな、という夢だった。ファルマンにどんな夢だったか訊ねたところ、ファルマンは「ん-……」と口ごもったあと、「淫夢だった……」とポツリと答えた。そのあと内容について詳細を語らないので追求しようとしたら、「いや、ちょっと、倫理的に、よしとく」と拒まれた。それでも「俺は? 相手は俺?」と問いただしたところ、「うん、あなたも、出てきたよ」とのことで、「も」かー、と思った。どうも非常に社会通念的によろしくない夢だったようである。前日に引いたおみくじのことが思い出された。色情につき妨起る。
 そしてこの日は、僕ひとりが買い物に行った以外は、なんだかんだで一家で家にこもって過した。3人はまた実家に顔を出す気満々だったのだが、第2子の昼寝のタイミングであったり、第1子は向こう(次女の夫)の家の面々と出雲大社に初詣に行ってしまって、聞いた瞬間に、よく行ったもんだな、と思ったけれど、やっぱり行きも帰りもとんでもない混み具合だったそうで、半日仕事になってしまい、この夜は次女一家はもとから向こうの家に宿泊する予定となっていたため、まるで遊べる時間がなくなってしまったりで、ままならなかったのだった。
 晩ごはんは唐突に食べたくなり、餃子を作った。そしてホットプレートで焼き上がった餃子を囲んで、それを摘んで食みながら、「桃太郎電鉄ワールド」をした。もちろん普段はごはんを食べながらゲームなんてしないのだが、こういうときなので特別である。ちなみにこれまでの数日でゲーム内では10年ほどが経過し、意外や意外、もう何年もファルマンがトップで在り続けている。今作は前作までよりも、盤石の体制が作りづらい気がする。このまま右肩上がりかな、と思いきや、あれよあれよと借金になったりする。それゆえにおもしろい。やっぱり休みのはじめに買ってよかった。
 夜になり、風呂に入っていたら、羽田空港でとんでもないことが起っていた。前日の地震に関連した出来事とは言え、正月からあんまりじゃないかと思う。折しも、「hophophop」に書いたように、いたずらに怖がっている飛行機についてきちんと知識を深めようと、年末の図書館に行って関連本をたくさん借り、読んでいた最中である。そんなタイミングで目にしたセンセーショナル過ぎる映像に、頭がくらくらした。もうああなってしまったら、飛行機が飛べる仕組みとか関係ない。揚力について学んでも意味がない。なんてこったよ。
 それにしても、夏の台風もひどかったが、今回も帰省が悲劇ではないか。帰省することにしていた場合、冬なので飛行機を使う目は基本的になかったけれど、飛行機があんなことになった影響で、新幹線に人が流れたそうで、そして新幹線と言えば、今回の帰省を思いとどまるひとつの要素であったが、全席指定席(指定席を持たない人は通路に立って乗る)仕様なわけで、そこへ想定外の人の流入が起ったのだとすれば、その車内はさぞひどいことになったのではないかと思う。ああ帰省おそろしい。
 3日の今日は、次女一家は今日が移動日ということで、午前中にまた3人は実家へと向かい、僕はホームプールが今年の初営業ということで、初泳ぎをしに行った。午前中ということで、いつもとはぜんぜん違う感じかなと思いきや、泳いでいる人間はわりと見たことのある顔ばかりで(誰とも喋ったことはないが)、要するに会員の、ふだん足繫く通っている人間は、数日間のブランクを経ての待ちに待った営業再開日、夕方までなんか待てず、午前中のうちに来てしまったのだろうと思った。かくいう僕もだけど。今年最初の今日も、去年最後の日と同じく、1km泳いだ。
 午後は、またずっと家にいるのも何だしということで、年末と同じく具体的な目的があったわけではないが、ゆめタウンへと赴いた。初売りセールでにぎやかだった。まあそういう雰囲気を味わいに行ったということで。ちなみにここへは昨日、お笑いコンビのアイデンティティが営業でやってきていて、三女は観に行ったそうだ。もちろん野沢雅子だったらしい。いいなあ。
 晩ごはんは、鶏肉ですき焼きにした。2日連続のホットプレート(IHクッキングヒーター)メニューで、今日もまた行儀悪く、食べながら桃鉄をした。いけませんな。
 まあそんな感じで、三が日は終わろうとしている。わが家は地味に過し、世の中ではとんでもないことが起き、なにをどう思えばいいのか、とことん捉えづらい正月だ。とは言え確かなのは、家族で家で過せているのは、とても尊いということである。初詣でもそれを願った。しかし石川県の人々も、あの日の午前にそれを願っていたに違いなかった。やるせないな。
 休みはいちおう明日まである。しかしもう三が日は終わったし、翌日からは労働が始まるし、なにより明日という日はピイガの誕生日を祝うための日なので、もう実質的に年末年始の休みは今日でおしまいだ。のんびり自由に過した日々だった。開始時にやりたいと思っていたことは、まあまあの率で潰せた。よかったと思う。

2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。

クリスマス2023

 なんだかんだでクリスマス寒波というものは、毎年几帳面にやってくる気がする。
 木曜日あたりからどぎついのがやってきて、金曜日の出勤はなかなかハードだった。などと言いつつ、その日の退勤後、プールに寄って帰った。ファルマンに電話で、泳いでくることを告げると、驚嘆された。電話だから分からないが、たぶんのけぞられたのだろうと思う。雪が降ってるような日に、逆にプールに行くというのもオツなもんさ、と思ったのだが、あまりそう考える人はいなかったようで、なんと25mプールのすべてのレーンを含めて、貸し切りだった。また僕の島根の貸し切り伝説に新しい1ページが刻まれた、と思った。ちなみに監視員はいつも通りふたりいたので、泳者よりも監視員のほうが多いのだった。視線を感じながらひとしきり泳ぎ、満足した。
 土曜日は午前中、食料品の買い物に邁進した。土曜日の午前はスーパーが安売りをするので、とてもテンションが上がる。土曜日に出勤がある週は、複合的な要因でテンションが下がるけれど、この土曜午前のスーパー巡りがままならないというのが、かなり大部を占めている気がする。今週もクリスマスと年末年始に向けて、まあまあいい買い物をすることができた。
 午後は家族でゆめタウンに繰り出した。どうしてもこれ、という用件があったわけではないのだけど、子どもたちがどこかに行きたいというので、なんとなくのショッピングモールである。年末らしい活気があった。ちなみに子どもたちは金曜日が終業式で、もう冬休みに入ったのだった。ああいよいよ1年が終わるのだな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。ちゃんと寒い日に、満を持して鍋ラーメンができて嬉しい。鍋ラーメンだけだと寂しいかなと思っておにぎりも出したら、おにぎりで腹が膨れたのか鍋ラーメンのほうがだいぶ余ってしまった。夜になってファルマンと、日本酒とともに後半戦を行なったけれど、それでも余った。おかしいな。子どもたちが小さくて、まだ今ほど食べなかった頃に、鍋ラーメンだけでは物足りず、残った汁にごはんと卵を入れて雑炊をしていた記憶があるのに、今ではこんなありさまだ。子どもたちの食べる量ばかりを気にして、これまであまり意識してこなかった部分だけど、もしかすると自分たち夫婦の食べる量が、10年ほど前よりもだいぶ少なくなっているのかもしれない。
 翌日すなわち本日クリスマスイブの日曜日は、午前中に買い物ついでに、予約していたクリスマスケーキを受け取りに行く。ここから我が家はひと月で3回という、ケーキラッシュ期間に入る。そのこけら落としとなるクリスマスケーキは、普通に店で買うことにしたのだった。去年はブッシュドノエルだったが、今年は普通のホールケーキ、それも8個がそれぞれ別(オーソドックスなショートケーキなどは2つだったりする)のケーキになっているタイプのやつにした。こんなのって、手作りではもちろん、街のケーキ屋さんでもあり得ない(並んでいるケーキを8つ買えばいいのかもしれないが、わざわざしようとは思わない)ので、これぞ、こういう工場生産の大手メーカーによるケーキの醍醐味かもしれないな、と思って初めて選んだ。
 昼ごはんはあっさりとしたうどん。備蓄してある鶏のささみと、細かく切ったちくわ、そして卵をかき玉にして、優しく仕上げる。昨晩がにんにくやらしょうがやらを入れた豚バラ肉の鍋ラーメンで、今晩がクリスマスディナーなので、穏和なものを心掛けた。
 午後はファルマンと子どもたちはクリスマスの飾りつけをしたり、ポスターを描いたりを、金曜日の夜にやっていた「ホームアローン」を観ながら行なっていた。日記にこう書くと、まるでとても心地のよい平和なクリスマスイブのようだが、実際はみんなわがままで、ポルガは反抗期だし、ピイガは張り切りすぎて暴走していたしで、リビングからはわりと終始キーキーした声がしていた。僕はその間、4年ぶりとなった「仲間内10大ニュース」の記事の作成に勤しんでいて、無事に投稿することができた。とても嬉しい。
 晩ごはんのクリスマスディナーは、ローストレッグと、えびとブロッコリーとゆで卵のサラダ、買ってきたテリーヌと、パスタ3種というメニュー。今年は手羽元でフライドチキンなどに逃げず、きちんと前日から味を浸して、オーブンでじっくりと焼いてローストレッグを仕立てた。味はほとんど思うがままに冷蔵庫の調味料をジップロックの中に投入したのだが、食べたら絶品で、家族からも好評だったので気分がよかった。酒は、最初の1杯だけビールで、そのあとは珍しく白ワインを飲んだ。赤ワインは絶対に無理なのだけど、白ワインは昔ちょっと飲んでいた時期があった。せっかくクリスマスなので、チューハイではなく白ワインにでもしようかと思い、買っておいたのだった。とても久しぶりの白ワインは、悪くなかった。もしかするとこれからけっこう僕の飲酒ラインナップに躍り出てくるかもしれない。
 ちなみにテレビ朝日系が映らないでおなじみの「M-1グランプリ」だが、去年はTverでのライブ配信をひとり自室で眺めたけれど、今年はさすがにクリスマスディナーなのでそれは自粛し、まあ結果が出てから(結果も普通にヤフーとかで気にせず見るつもり)、合間合間でゆっくり観ればいいかな、と思っている。
 そんでもって、クリスマスのイベントであと残すところは、子どもたちが寝たあとの例の行為だけだ。しかしポルガはもう我々よりも遅く寝たりするので、寝静まった夜半に部屋に忍び込むのはすっぱりと諦め、明朝にそっと置く予定である。というかもうサンタの存在は、ふたりともさすがに信じていないような雰囲気があるのだが、特にピイガに関しては、藪蛇になる可能性があるので改めて確認をするわけにもいかないしで、まだこの形式は続けざるを得ない。続けざるを得ないというか、「もうそういうのいいから」などと言われたら哀しいので、やっぱりなるべくなら続けたいかな、とも思う。複雑な親心である。
 それでは皆様、メリークリスマス。

師走半ば

 師走の半ばの週末である。来週末はクリスマスで、来々週末は大みそかであるという、なんかそういう週末だ。慌ただしいような、特段するべきこともないような。帰省をしないことにしたのでその準備もなく、むしろ半月後にはまとまった休暇があるのだと思うと、わりと心に余裕があるとも言える。
 先週、子どもたちの体調不良によってままならなかった年賀状用の写真撮影というミッションがあって、今週は子どもたちのコンディションに関しては問題なかったのだけれど、今度は天候があまりにも悪く、急にやってきた寒波によって激しい風雪となり(金曜日は20℃越えだったのに!)、とても外に行って、年賀状にふさわしいような明るい写真が撮れるような条件ではなかった。やはり大いなる意思の介在を感じずにはおれない。とは言えさすがに今週末がタイムリミットだろうということで、仕方なく室内で撮影を行ない、背景を透過処理して嵌め込みでなんとかすることにした。まあこんな年もある。
 斯様にとても寒くなったというのに、ポルガがきちんと暖かい恰好をしないので、両親でやきもきしている。中学生らしく、ノートにいろいろ書いたり描いたりしているようで、そしてそれは家族には見られたくないようで、だからリビングのこたつではなく、寒々しい自室のデスクでやるわけだが、そうなるともっと厚着をしろとか、電気ひざ掛けを持っていけとか、こちらとしてはどうしたっていろいろ言わざるを得ないのに、なんにも言うことを聞かない。「寒くない」と言う。ティーンというのは血流が漲っているので、たしかに中年よりは寒くないのかもしれないが、それにしたってやっぱり寒いものは寒いだろうと思い、せめて靴下くらい履けと言ったところ、「靴下は血が止まるからむしろ寒くなる」などと言って拒まれた。締め付けで血流が悪くなるって、お前それ、俺の裸で寝る健康法のことは白い目で見るくせに、言ってることとやってることが違うじゃねえか、と思った。思春期めんどくさ!
 白い目で見られると言えば父がひたすら自分のために作るオリジナルショーツだが、その整理を、大掃除というわけではないが、行なった。これまで、作ったものは基本的に、洗濯に出していない限りはいつでも穿けるような状態にしていたが、さすがに枚数が増え、飽和し、部屋にショーツが散乱するようになっていたので(なにぶん女子用としか思えないようなショーツなので、その情景はそれはそれでよかったのだが)、ちょっとシビアな話になってしまうけれど、レギュラーから外れてもらうものを選び、それらは大ぶりのエコバッグに詰め込んで、クローゼットの奥に押し込んだのだった。ショーツをひとつひとつ手に取り、これまで通りのショーツボックスか、はたまたエコバッグ行きかという、その選定の基準は、なるほど「ときめくかときめかないか」だったので、こんまりの言うことはたしかにそうなのだな、とショーツの選別において初めて実感をした。おかげで部屋はだいぶすっきりしたし、明日からセレクトするショーツはときめくものばかりになったので、万々歳だ。
 土曜日の晩ごはんは鍋にした。鍋用の骨付きのぶつ切り鶏肉というものが売っていたので、おいしそうだと思って買った。もちろん美味しかった。実はちゃんと鍋をしたのはこれが今年初めてだったのではないか。夜には雑炊を仕立て、ファルマンとともに深酒をした。なかなかに高いクオリティの幸福感があった。

12月人生

 12月に入っている。
 こないだの週末は、子どもたちを連れ出して年賀状のための写真を撮る予定としていたが、木曜日にピイガがインフルエンザを発症し、それどころでなくなった。一時期は熱が39度を超え、嘔吐などもあったそうだが、特効薬によって回復は早かったようだ。そして幸いなことに、ファルマンの献身的な看病(隔離)によって、他の者への感染は起らなかった。ピイガは土曜日にはもうケロッとして、どこかへ出掛けたいなどとのたまうほどだったが、大人だったらこうはいかないだろう。名もなき後遺症、重たく、つらく、しんどい、あの感じが、長く続くに違いないので、本当に無事に通り過ぎてくれてよかった。
 さらには日曜日には、ポルガが部屋から出てくるなり「目が腫れた」と言って、見ればたしかに右目の瞼が大きく腫れているのだった。ポルガはちょいちょい、ものもらいになる。そのため前回時に眼科でもらった薬が、まだ期限内で家にあったので、それで様子を見ることにした。中学生である本人は、眼帯を着けてご満悦のようだった。
 それにしたって、年賀状の写真を撮るつもりだったタイミングで、大いなる意思によって妨害でもされているんじゃないかというくらい、子どもふたりとものコンディションが整わなかったのだった。仕方ないので予定は翌週に後ろ倒しになった。どうせ出す枚数はきわめて少ないので、それからでも十分に間に合う。
 年末らしい行事と言えば、少し前に、職場の集まりで忘年会を行なった。世の中にありがちな「4年ぶりの開催」ということで、僕はこの職場になって初めてのこういった集いだった。いまの職場は平均年齢が本当に高いので、会はとても落ち着いたもので、はっきり言ってしまえばまったく盛り上がらず、ぜんぜん愉しくなかった。乾杯をして、ひとしきり食べて、飲んで、そろそろ終盤かな、と思って時計を見たら、40分しか経っていなかったので心底驚いた。そういう会だった。
 しかしこれがもしも同年代だらけの職場での飲み会であったら、果たしてきちんと盛り上がっただろうか、ということを思った。世代の違いという言い訳をなくして、それでも愉しくならなかったら、それはもう自分の精神の問題ということになってくるのではないか。
 数日前、こんな夢を見た。僕は東北や北陸などの、寒い地域の中学生で、バスを乗り継いで通学している。その地方のバス停は、寒さ対策として、待合所が小屋みたいになっていて、そこには炬燵まで用意されている。僕がそこに入ってバスを待っていると、クラスメイトの女子ふたりもやってきて、僕に声を掛け、炬燵に入ってきた。ひとりは小学校も同じだったからわりと話す子で、もうひとりはあまり馴染みのない子である。僕は彼女たちに特別の恋情を持っているわけではなかったが、一緒に炬燵に入っているという特別感からか、なんかやけに好もしい気持ちを抱き、昂揚するのだった。そんな夢だった。
 起きてから、いい夢だったと思うと同時に、もう僕は中学生ではないし、もしも同じ状況で、40歳の僕の入るバス停の炬燵に、女子中学生ふたりが入ってきたら、僕は戸惑ってただ俯くほかなくなるに違いない、つまり今生の僕には、中学生が抱くあの昂揚感はもう二度と訪れないのだと思い、とても寂しくなった。
 飲みの席というのも一緒で、もう若い頃のように身軽ではないので、深酒もそのあとのことを考えてあまりする気にならないし、はめを外したあとにやってくる後悔の億劫さを思えばそれも避けたいしで、もう心ゆくまで盛り上がる飲み会というものは、永遠にやってこないのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 でも飲み会は別にいい。中学生の昂揚感に関しては、悲痛な思いを抱いている。

11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。

冬の家族週末

 なんとなく慌ただしい週末だった。
 土曜日は午前中にピイガの小学校の学習発表会があり、当初はファルマンだけが観覧する予定だったのだが、とてつもない冬型の気候が襲来していて、ひと晩中風雨の音はすさまじく、もはや発表会は中止ではないかとさえ思ったのだが、そうはならず、しかし本来の計画であったファルマンの徒歩での移動はままらなくなったので(ファルマンは保護者の車で混み合うイベント事の日、学校への運転と駐車をしない賢明なスタンスを取っている)、送迎の必要が出て、そもそも朝に、まだ風が強かったのでピイガも学校へ送り届け、そのあとファルマンとともにピイガの演目を観るために学校へ行き、そしてピイガの出る演目というのは、数時間の間隔を挟んでふたつあったので、いちど家に帰り、後半のそれに合わせてまた赴いたので、午前中だけで僕は3回も家から小学校までを往復したのだった。というわけであっという間の午前だった。
 発表会のピイガの様子はどうだったかと言えば、運動会と同じで、小さい、という印象を抱いた。本人の成長や能力については、家で十分に目にしているので、学校で見る子どもの感想は、どうしたって他の子との比較となり、そうなると「ちっさ!」という反応になる。そしてファルマンはすぐに「成長曲線が……」などと不安を嘆くことになる。これに関しては僕はとても旧時代的な考えで、女の子だからという、このご時世あまり堂々と言ってはいけない理由から、小さくてもいいじゃない、むしろかわいいじゃない、などとホザくのだけど、それに対して「あまり小さいと将来の出産が大変なのだ」とファルマンは言い、それを言われるともうこの問題について僕がコメントできることはなくなるのだった。
 昼過ぎにピイガは帰宅し、昼ごはんはピイガの好物であるうどんにした。本当に、雪が舞うほど寒い日だったので、うどんのあたたかさが身に沁みた。
 午後はポルガが期末試験の勉強のために図書館に行くというので、送ってやる。本当に妻子の送迎をやけにした日なのだった。それから帰ったあとは、部屋のクローゼットの整理を行なった。衣替えはもちろん既にファルマンによってなされていたが、布団が、奥にあった羽毛布団を、急に寒くなった夜に無理やり取り出し、整然と積み上げていたものがぐちゃぐちゃ、みたいな状態になっていたので、それを整えたり、あと扇風機を仕舞って、代わりにストーブを取り出し、さらにはついでにクリスマスツリー関連のグッズも取り出した。すなわちすっかり冬の仕様に切り替えたのだった。
 おやつには3人でぜんざいを食べた。ポルガは餅を食べないので、ポルガがいないタイミングに食べるにふさわしいおやつなのであった。
 夕方になり、ファルマンがポルガを迎えに行って、その間に僕は夕飯の調理をしていた。夕飯は餃子。先週が焼売で、今週は餃子。焼売もたまに食べたくなって作るけれど、作って食べたら食べたで、餃子が食べたいな、という思いを抱きがちなのだった。というわけでの餃子である。今回もいい出来だった。
 そのあと、夜になってこたつの設営をする。この3、4年、わが家にこたつは登場していなかったのだけど、なんとなく今年は出したくなって、出すことにした。3、4年というのは、コロナとはもちろん関係なくて、ファルマンおよびポルガのあたりが、こたつがあると人として終了する傾向があるので、それでやめていたのだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、言うてもそこまでやないやろ、と思ったのだった。しかし出して丸一日が経つが、やっぱりダメかもしれない気配が漂いつつあり、ハラハラしている。
 夜は異様に眠くなり、目が開けられなくなって、ファルマンにさんざんなじられながら、日が変わらないくらいの時間に寝ついた。やっぱり昨晩が強風で眠りが浅かったのだろう。土曜の晩に残念なことだったが、そうは言ってもしょうがない。
 起きたら8時半で、まあたっぷり寝たことになる。本当はまだまどろんでいたいくらいだったが、今日は今日でポルガが参加している科学教室の遠足ということで、やはり送る必要があるのだった。それを送って帰ると、今度はすぐに実家へ向けて出発となる。実家の人の車とともに、業者の人に来てもらってわが家の2台も冬用タイヤへの交換をしてもらうのである。10日ほど前にこの日程が決まった時は、ちょっと早いなあと思っていたが、ぜんぜんそんなことなかった。とてもちょうどよかった。ちなみに義父母は昨日、岡山のおじいさんの所へ顔を出しに行ったそうで、義父の車だけはおとといくらいに既にタイヤを交換してもらったそうだ。そして庄原や高野のあたりは実際に雪景色だったらしい。今年もまた、山陰が中国山地によって表日本から断絶される時期になったのだな。
 昼ごはんは実家御用達のお好み焼き屋のテイクアウトを馳走になる。広島風で、義父母はやけにこの店のものを愛好しており、よく出てくる。広島風のお好み焼きって、食べるたびに不思議な食べ物だなあと思う。
 帰宅後は、ポルガの制服のスカートの丈詰めをした。時代も違うしキャラも違うしで、脚をもっと出したいとか、そういう要望があったわけではないのだが、しかしそれにしたって、春先にお店で採寸して仕立ててもらったスカートの丈は、クラスメイトらと較べてポルガのものだけがやけに長いのだそうで、穿いている姿を見ると、まあたしかに長い。スケバンというほどではないが、やけに長いなあという印象を受ける。というわけでまあ少しくらい詰めるか、ということになった。ポルガは7センチと言い、ファルマンは5センチと言ったので、中道派の僕は両方の顔を立て、6センチにすることにした。制服のプリーツスカートの丈詰めは、お直しの店に勤めていた頃にもやっていて、女子高生のスカートに鋏を入れてお金をもらえる人生なのだなあ、と感激したことがあったが、そんな僕がとうとう娘のそれの作業をするようになったか、という感慨があった。距離が長いのでまつるのに時間が掛かったが、作業自体は簡単である。明日は夏服のそれで行ってもらおうかと思っていたが、仕上げることができた。
 そのあとポルガを迎えに行きついてに、買い出しもする。この際、丈詰めの作業代として、愛飲している第3のビールの6缶パックをふたつ、ファルマンに買ってもらう。破格ではあるけれど、いい報酬だとも思う。
 晩ごはんはそぼろ丼。これは昨日のうちに作っていて、ポルガの弁当にはこれを持たせていた。その代わり、ポルガは晩ごはんにお好み焼きを食べた。
 そんな感じで、なんか家族の世話や、家のことを多くした週末だった。慌ただしかったが、悪くはなかった。それにしてもおろち湯ったり館に行かない。もうそろそろ2階は閉鎖だろう。その前に行きたいものだ。ずっとおろち湯ったり館のこと言ってるな。

11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。

東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。

夜リフト体験

 土曜日、わが家にしてはとても珍しく、夜に出掛ける。三瓶山リフトにおいて、オリオン座流星群を観測するため、夜間の特別操業があるとのことで、それはいい思い出になりそうだということで、出向くことにしたのだった。
 家を出たのが18時過ぎ。もうこの時点でだいぶ薄暗かったし、走り始めてすぐに猛スピードで日は完全に沈んだ。さらには、家から三瓶山方面に向かうとなると、その道程はほぼほぼ山中と言ってもよく、なんだかとてつもない暗さだった。他の車もほとんどなく、人類はわが家だけを残して滅亡したのではないかと思った瞬間が多々あった。
 出発前にホームページで中止にはなっていないことを確認していたが、雲が多く、時おり小雨が降るという、天体観測にはとても悪条件だったせいか、本当にリフト乗り場の直前まで催し物がなされている気配が一切なかったため、なんだかハラハラした。夜の山に、リフトのレーンに取り付けられているのだろう点々とした灯りを目にし、そして駐車場にそれなりにわが家以外の人類の車が停まっているのを見て、ようやく安心した。
 おそらく流星群の観測は無理だろうと既に諦めていたが、もとより僕自身としては、そちらよりも夜のリフトという体験のほうに比重を置いていたので、あまり支障なかった。チケットを購い、乗車する。もちろん待ち時間とかそういう次元の世界線ではない。
 リフトはふたり乗りで、話し合いののち、僕とポルガ、ファルマンとピイガという組み合わせで乗ることにした。リフトに乗ったのは、僕は鳥取砂丘以来だ。ファルマンと子どもたちは、実はちょうど1年くらい前、まさにこのリフトに、義両親とともに乗ったらしい。「けっこう怖いよ。あなた無理なんじゃない?」と、ファルマンから高所恐怖症の性質を揶揄され、貶められたのだけど、乗ってみたら別にぜんぜん大丈夫そうだった。リフトは、たしかに高度をどんどん上げていくけれど、なにぶん山の傾斜に寄り添っているので、地面は常に2メートルほど下にあり、これなら落下したところで死ぬわけではないからへっちゃらだな、と思った。それを隣に座るポルガに伝えたら、「じゃあ後ろを見てみなよ」と言うので背後に目をやったら、駐車場の灯りは思っていたよりも低い場所にあり、少しだけゾワッとしたけれど、それでも取り乱すほどではなかった。しかしながらリフトの終盤、最高地点付近になると急に傾斜が激しくなって、このときだけは地面との間隔がだいぶ空いたため、許容範囲を超えた。この傾斜の激しさはリフトのワイヤーの限度を超えているので、ある瞬間にぶちっと切れてしまうに違いない、と思った。そのため頂点まで到達し、降りたときには、左に避けてすぐ、しばらくうずくまった。なんだかんだでやっぱ怖えよ、と思った。うずくまる僕の姿を見て、ひとつ後ろのリフトでやってきたファルマンは驚いていた。
 それから、地面を踏みしめる喜びを感じながら、リフトの乗降場からさらに山頂を目指す。山頂にある展望台みたいなエリアまでは階段が整備され、足元にも道しるべとなる灯りが灯されているのだった。展望台エリアに辿り着くと、なにしろ暗いので全貌は掴めなかったけれど、たぶん20人くらいの人がいて、流星群を観るために待機しているようだった。しかし雲はだいぶ厚く、流星群に限らず、ロケーション的には満天の星空が見えて然るべきだというのに、それさえほとんど見えない。なにより月さえ隠れてしまっていては、流星群など夢のまた夢のように思われた。これはもう登る前から覚悟していたので、そのさまを目の当たりにするやいなや、寒さもあり、早々に下山することにした。
 ふたたびリフト乗降場へと戻り、今度は下りのリフトに乗る。これが、これがもう、思い出しただけでも体が強張るほどにおそろしかった。地面が常に寄り添った登りに対し、下りのそれは地面から遠く離れ、視界は絶望的な中空であり、体感的には完全に浮遊であった。あとからファルマンに訊ねたところ、これでも暗くてよく見えない分、日中よりは怖くないのだそうで、じゃあ僕は冗談じゃなく、日中にこれに乗っていたら気絶していたかもしれないと思った。数メートルの間隔があるファルマンたちのリフトまで、僕の奇声は届いたらしい。体に変な力が入り、腰が痛くなった。どうしても、どうしても巨根過ぎるせいで、こうなってしまう。こんなことなら巨根でなければよかったとは決して思わないが、それでもこのときばかりは神の意図が恨めしくもなる。先週の日御碕は経験則から回避したため、高所の恐怖を味わったのは久々で、ちょっと喉元を過ぎかけていた感があったけれど、やっぱり飛行機なんて絶対にあり得ないな、と再認識した。そんなリフト体験だった。
 リフトの恐怖はひどかったが、夜の人類滅亡ドライブも含めて、家族の懐かしい思い出のひとつになったんじゃないかと思う。行けてよかった。ちなみに晩ごはんは、帰ったらすぐに食べられるよう、事前におでんを拵えていて、これがとてもよかった。寒くて暗くて高くて怖かったリフトも、帰ったらおでんを温めて食べ、まずビールを飲んで、そして次に熱燗を飲むのだと思い、なんとか耐えられた。無事に帰宅し、実現したそれは、果たして至福であった。愉しい夜だった。