雨の日曜日。レジャーを計画していたとかは別にないので、なんの問題もなかった。
午前中に車で出掛け、まずは手芸屋へ。ちょっと久しぶりに手芸屋に行った。暮しの中で作ろうと思うものが浮かぶと、家にも布はある(ファルマンに言わせれば「腐るほどある」)のだが、やっぱり「それ」をイメージした「それ」用の布を買わねば、となる。そして買った布をそのつどすべて使い切るわけではないので、手芸をする以上、家にはどうしたって布が増えてゆくのだった。今回は作ろうとしているもののイメージがはっきりと定まっていなかったため、布のセレクトに往生したが、とりあえずひとつを選んで購入した。
そのあとは100円ショップに行き、図書館に行き、昼ごはんにうどん屋でうどんを食べ、最後に食料品の買い物をして帰った。なんとも実直で平凡な休日だな。それぞれの場所で求めていたものが手に入ったので、外出の出来としてはなかなかよかった。
昼ごはんを食べて帰宅したので楽だった。晩ごはんは久しぶりにミネストローネを作ることにしたため、面倒にならないうちにやってしまう。野菜をわんさか刻んだ。野菜はこのところまあまあ安いのが続いている。ここまでの2ヶ月ほどはだいぶ雨が少なかったが、それは農業にとってはぜんぜん困らない仕組みになっているのだろうか。逆に雨が続くと途端に値段が上がったりする。現代の野菜作りに降雨はまったく必要ないのかもしれない。
それから、やるかどうするか大いに悩んだが、せっかくの休日なのだからということで発起し、先ほど買ってきた布で目的のものを作ることにした。
目的のもの、それはヘアバンドである。自分用の。違う。そういうことじゃない。とうとうヘアバンドとかスカートとか、そっちのハードルを乗り越えてしまったというわけではない。もしそうだったら、それは最近の筋トレの流れに反していて、いよいよわけが分からなくなるだろう。そうではなくて、これもあくまで筋トレに付随するアイテムで、汗止めのためのヘアバンドというわけである。ランニングマシーンで走ったりすると、汗がとめどなく流れて目に入るので、汗止めが欲しい、必要だ、ということになっていた。あのサッカー選手とかが着けてる細いタイプのやつ。それで最初はアマゾンとかで買おうと思っていたのだけど、大きさがフリーサイズしかなくて、僕は帽子だとフリーサイズという謳い文句のものが入らなかったりするのでネットで買うのが怖く、どうしたもんかと悶々とした末に、そうだ自分で作ればいいんじゃんか、それなら布の色柄だって自分の好きなものでできるんだし、と思い至り、ハンドメイドすることにしたのだった。
その作り方は、ネットで検索しても適当なものが出てこなかったため、とりあえず細く長く切った布を縫い合わせて紐のようなものを作り、その両端にゴムを縫い付ければいいんじゃないかなー、と見切り発車で作りはじめた。かくして出来上がった、買ってきた布の幅そのままの110×1.5センチほどの紐を、試しに額に当ててみて、まずは首の後ろでちょうちょ結びでいいか、と装着してみたら、なんか思った以上にそれでしっかりと固定され、さらにはバックショットがリボンみたいでかわいくなったので(ただしくれぐれもハードルを乗り越えたわけではない)、あれ? ゴム要らないんじゃね? これで完成なんじゃね? となって、両端の開口部を中に折り込んで全体にコバステッチを施し、それで完成とした。つまりは、紐である。あるいはリボン。あまりにもただそれだけのものなので、写真に撮って「nw」にアップするほどのものでなさすぎるため、こうしてこの生活日記ブログのほうで扱った。でも手作りなのでやっぱりなかなか愛着がわく。買った布は赤に白の細かいドット柄。それを作ったあと、興に乗って、洗い替えも必要なのではないかと、家にあった青に白の小花柄の布でも同じものを作った。これからはこれを着けてトレーニングをしようと思う。嬉しい。愉しい。
それから夕飯。ミネストローネの他に、鯖の水煮缶とじゃがいものグラタン、カツオのたたきというメニュー。とても分かりやすいたんぱく質強化メニュー。
まあそんな感じの1日だった。6月が終わる。5月は長かったが6月は短かった。5月の終わりに改元のあたりの日々を思い返した感触と、いまそれを思い返した感触が、ぜんぜん変わらない。つまり6月なんてものは存在しなかったのかもしれない。
のんびり土日
土曜日の午前、とても久しぶりにイオン岡山へと繰り出す。1年にいちど行くか行かないかくらいのペースでしか行かない。行くとそのたびに、駐車場の料金設定が甘くなっている気がする。とうとう休日でも無条件で最初の1時間無料になった。切迫してるのか。
今回わざわざここへやってきたのは、ピイガのランドセルを物色するためだ。ひとり目のときより熱が低いと言っておきながら、なんだかんだで毎週末こうしてラン活してしまっている。とっとと済ませてしまいたい。先日ネットで「これなんていいんじゃないか」となったものがあって、しかしこれまで行った店には当該の商品が置いていなかったので、イオン岡山なら売り場がたしか大きかったし、あるんじゃないかと期待をしていた。ところが結果として置いていなかったし、ランドセル売り場が大きいというのも勘違いで、拍子抜けの収穫に終わる。ピイガは色とりどりの商品が並ぶ売り場に行くと、必ずラメラメのピンクや水色やラベンダー色に目を奪われて、こちらが試着を求める茶色や小豆色を忌避するようになるので、なんかもう売り場に連れてこないほうがいいんじゃないかという気がしてきた。このままだとさんざんかわいらしいものを見せられた挙句、ピイガの希望にそぐわないものが強制的に与えられる、ということになりそうだ。だってラメラメのラベンダーはダメだろう。小豆色がいいよ。6年間のトータルで考えて、本当にそれがいいと思う。そして幼稚園年長の幼女にそれを理解してもらうのは不可能である。ここがラン活の難しさだ。なんださっきからラン活って。阿呆か。それにしてもランドセルの値段は、イオン岡山の駐車料金設定が年々下がるのに対して、こちらは年々上がっているのではないか。どうも売り場全体の値段設定が、わずか3年前のポルガの時より、じわじわと上がっている気がする。気がするというか、確実だ。でも仕方ないことか。子どもの数がじわじわ減っているんだもんな。売れる全体数が毎年減る以上、売上高をキープするにはひとつひとつの値段を毎年上げるしかないんだろう。切ない。人口減少社会の、じわじわとした切なさを垣間見た。
ランドセル選びが不発に終わったあとは、それ以外の細々とした用件もことごとく不発で、さらにはモール内移動の疲労感も出てきたため、長居せずに帰ることにした。イオン岡山ってなんかいつもこんな感じで、そしてまた1年くらい行かないのだった。
昼過ぎに帰宅。ざるうどんで昼ごはん。そのあとは各自めいめいに過す感じだったので、僕は夕飯の下拵えを済ませ、フィットネスジムに行った。アクティブ。
晩ごはんはそぼろ丼。そぼろ丼、簡単だし、あらかじめ作っておけるし、子どもは喜ぶし、鶏のひき肉(むね)は安いしで、最強の献立なんじゃないかという気がしてきた。メニューに悩んだときはとりあえずそぼろ丼ということにしようかな。
明けて今日は、特に用件も予定もなかったので、のんびりと寝坊したあと、午前中に僕ひとりでプールに出掛けた。本当に、やけにアクティブな人間になったな。行ったのは以前に行って感動した50メートルプールのあるプールである。やはり長く、広く、深かった。30分ほど泳ぎ、もちろんそれなりに気持ちよかったが、最近どうも4月らへんの泳ぎはじめた頃より、泳ぐのが下手になってきている感があるのだった。この原因については、もしかすると体が絞られた結果、浮力が落ちたのではないかと睨んでいる。本当かよ、思い込んでるだけだろ、そこまで絞られてねえだろ、とも一方で思うのだが、なんかこのところ「悠々と」泳げないでいるのは事実だ。どうしたものか。別にどうもせんのんだけど。
帰宅後、焼きそばを作って食べる。休日の昼ごはんと言えば焼きそばだ。おいしい。
午後は家でのんびりと、ハリーポッターを読んだりして過した。それで第1巻をとうとう読み終えた。10日くらいかかった。ハリーの、自分はなんにも知らされてなかったけど実はすげえ奴で、ある場所に行ったら俺フィーバーだったぜ、という設定には心が躍った。たぶん俺もそうだと思う。もう35歳で、ちょっと声が掛かるのが遅い気もするが(ハグリット早く来い)、そのうちホグワーツに連れていってもらえるんだと思う。でもホグワーツは4つのクラスが敵対していて、同校の卒業生である教師たちが、あまり隠そうともせずに自分の出身クラスを贔屓し、ライバルクラスのポイントを減らしたりするので、中学の内申点制度みたいのが本当に嫌で反発ばかりしていた僕には厳しいものがありそうだとも思った。続けて明日から第2巻を読みはじめようと思う。
晩ごはんは手羽先とニラの中華スープと、昨日のそぼろの残りをきのこや玉ねぎとともに卵でとじた親子煮(の亜種)など。おいしかった。
そんな感じで、2日間それなりに単独行動もでき、かつ基本的にのんびりと過せ、いい週末だった。
今回わざわざここへやってきたのは、ピイガのランドセルを物色するためだ。ひとり目のときより熱が低いと言っておきながら、なんだかんだで毎週末こうしてラン活してしまっている。とっとと済ませてしまいたい。先日ネットで「これなんていいんじゃないか」となったものがあって、しかしこれまで行った店には当該の商品が置いていなかったので、イオン岡山なら売り場がたしか大きかったし、あるんじゃないかと期待をしていた。ところが結果として置いていなかったし、ランドセル売り場が大きいというのも勘違いで、拍子抜けの収穫に終わる。ピイガは色とりどりの商品が並ぶ売り場に行くと、必ずラメラメのピンクや水色やラベンダー色に目を奪われて、こちらが試着を求める茶色や小豆色を忌避するようになるので、なんかもう売り場に連れてこないほうがいいんじゃないかという気がしてきた。このままだとさんざんかわいらしいものを見せられた挙句、ピイガの希望にそぐわないものが強制的に与えられる、ということになりそうだ。だってラメラメのラベンダーはダメだろう。小豆色がいいよ。6年間のトータルで考えて、本当にそれがいいと思う。そして幼稚園年長の幼女にそれを理解してもらうのは不可能である。ここがラン活の難しさだ。なんださっきからラン活って。阿呆か。それにしてもランドセルの値段は、イオン岡山の駐車料金設定が年々下がるのに対して、こちらは年々上がっているのではないか。どうも売り場全体の値段設定が、わずか3年前のポルガの時より、じわじわと上がっている気がする。気がするというか、確実だ。でも仕方ないことか。子どもの数がじわじわ減っているんだもんな。売れる全体数が毎年減る以上、売上高をキープするにはひとつひとつの値段を毎年上げるしかないんだろう。切ない。人口減少社会の、じわじわとした切なさを垣間見た。
ランドセル選びが不発に終わったあとは、それ以外の細々とした用件もことごとく不発で、さらにはモール内移動の疲労感も出てきたため、長居せずに帰ることにした。イオン岡山ってなんかいつもこんな感じで、そしてまた1年くらい行かないのだった。
昼過ぎに帰宅。ざるうどんで昼ごはん。そのあとは各自めいめいに過す感じだったので、僕は夕飯の下拵えを済ませ、フィットネスジムに行った。アクティブ。
晩ごはんはそぼろ丼。そぼろ丼、簡単だし、あらかじめ作っておけるし、子どもは喜ぶし、鶏のひき肉(むね)は安いしで、最強の献立なんじゃないかという気がしてきた。メニューに悩んだときはとりあえずそぼろ丼ということにしようかな。
明けて今日は、特に用件も予定もなかったので、のんびりと寝坊したあと、午前中に僕ひとりでプールに出掛けた。本当に、やけにアクティブな人間になったな。行ったのは以前に行って感動した50メートルプールのあるプールである。やはり長く、広く、深かった。30分ほど泳ぎ、もちろんそれなりに気持ちよかったが、最近どうも4月らへんの泳ぎはじめた頃より、泳ぐのが下手になってきている感があるのだった。この原因については、もしかすると体が絞られた結果、浮力が落ちたのではないかと睨んでいる。本当かよ、思い込んでるだけだろ、そこまで絞られてねえだろ、とも一方で思うのだが、なんかこのところ「悠々と」泳げないでいるのは事実だ。どうしたものか。別にどうもせんのんだけど。
帰宅後、焼きそばを作って食べる。休日の昼ごはんと言えば焼きそばだ。おいしい。
午後は家でのんびりと、ハリーポッターを読んだりして過した。それで第1巻をとうとう読み終えた。10日くらいかかった。ハリーの、自分はなんにも知らされてなかったけど実はすげえ奴で、ある場所に行ったら俺フィーバーだったぜ、という設定には心が躍った。たぶん俺もそうだと思う。もう35歳で、ちょっと声が掛かるのが遅い気もするが(ハグリット早く来い)、そのうちホグワーツに連れていってもらえるんだと思う。でもホグワーツは4つのクラスが敵対していて、同校の卒業生である教師たちが、あまり隠そうともせずに自分の出身クラスを贔屓し、ライバルクラスのポイントを減らしたりするので、中学の内申点制度みたいのが本当に嫌で反発ばかりしていた僕には厳しいものがありそうだとも思った。続けて明日から第2巻を読みはじめようと思う。
晩ごはんは手羽先とニラの中華スープと、昨日のそぼろの残りをきのこや玉ねぎとともに卵でとじた親子煮(の亜種)など。おいしかった。
そんな感じで、2日間それなりに単独行動もでき、かつ基本的にのんびりと過せ、いい週末だった。
ランドセルと父の日
6月の第3日曜ということで、父の日だった。なにを隠そう僕は2児の父親である。とは言え別に期待とかはない。誕生日に関しては祝われたい欲が強いほうだが、それゆえか父の日というふわっとした記念日にまで熱は及ばないのだった。
午前中に買い物に出た。ニトリで子どもの夏用まくらを買い、そのついでにピイガのランドセルを物色した。典型的なパターンのやつで、ひとり目のときに較べてランドセル選びへのパッションは著しく低くなっているのだが(ランドセルなんて機能的に結局どれも大差ない)、ぼちぼち購入を意識しはじめ、ランドセル売り場があるお店などではちょっと背負わせてみたりしている。たぶんニトリでは買わないだろうとは思うのだが、色がいろいろとあったので試させてもらった。その結果、やっぱりピンクか、あるいはキャメルあたりがいいのかなあと思った(たぶん本人がキャメルは許容しないだろう)。このときポルガも無意味にいくつも試していたが、そのうちのひとつ、濃紺のものを背負ったときに、僕もファルマンも「あっ……」となった。しっくり来過ぎていたのだ。ポルガはオーソドックスな赤いランドセルを使っていて、別にそれに違和感があるわけではなかったが、濃紺の嵌まり具合と言ったらなかった。いま3年生のポルガが異様に少年っぽいというのもあるかもしれない。3年前の夏に濃紺を選ぶ勇気はなかった。
そのあとショッピングセンターへ移動する。ここでもランドセルを売っていたので物色した。ここにはニトリにはなかった白いランドセルがあり、ほほー、と思った。白いランドセルなんてこれまで考えたこともなかったけど、けっこう清新でいいものだった。しかしファルマンに「汚れるよ」と一蹴された。そうか。それはそうだろうな。ちょっと憧れるけど、6年だもんな。しかし実子の学用品選びの話のときに言うのもなんだが、白ランドセルって白スク水に似た幻想性がある。スク水がテーマの美少女ものでは、女の子の中のひとりは必ず白スク水なのだよな(そしてもちろんすぐ透ける)。
帰宅後、午後は家でだらだらと過した。子どもがうるさかった。子どもってどうしてこんなにうるさいんだろう。うるさい音がもともと苦手というものあるが、子どもたちのうるささに晒されると、もうそこから先はなんにもできなくなる。どうすればいいんだろう。おやつに、昨日3人でプリンを作ったそうで、それをいただく。おいしい。子どもたちから手紙ももらう。手紙と言いつつ中編小説のような内容の冊子だった。すごい文章量だった。
晩ごはんは鮭の炊き込みご飯、油揚げと玉子の煮物、長芋とたらこのサラダ。おいしかった。
午前中に買い物に出た。ニトリで子どもの夏用まくらを買い、そのついでにピイガのランドセルを物色した。典型的なパターンのやつで、ひとり目のときに較べてランドセル選びへのパッションは著しく低くなっているのだが(ランドセルなんて機能的に結局どれも大差ない)、ぼちぼち購入を意識しはじめ、ランドセル売り場があるお店などではちょっと背負わせてみたりしている。たぶんニトリでは買わないだろうとは思うのだが、色がいろいろとあったので試させてもらった。その結果、やっぱりピンクか、あるいはキャメルあたりがいいのかなあと思った(たぶん本人がキャメルは許容しないだろう)。このときポルガも無意味にいくつも試していたが、そのうちのひとつ、濃紺のものを背負ったときに、僕もファルマンも「あっ……」となった。しっくり来過ぎていたのだ。ポルガはオーソドックスな赤いランドセルを使っていて、別にそれに違和感があるわけではなかったが、濃紺の嵌まり具合と言ったらなかった。いま3年生のポルガが異様に少年っぽいというのもあるかもしれない。3年前の夏に濃紺を選ぶ勇気はなかった。
そのあとショッピングセンターへ移動する。ここでもランドセルを売っていたので物色した。ここにはニトリにはなかった白いランドセルがあり、ほほー、と思った。白いランドセルなんてこれまで考えたこともなかったけど、けっこう清新でいいものだった。しかしファルマンに「汚れるよ」と一蹴された。そうか。それはそうだろうな。ちょっと憧れるけど、6年だもんな。しかし実子の学用品選びの話のときに言うのもなんだが、白ランドセルって白スク水に似た幻想性がある。スク水がテーマの美少女ものでは、女の子の中のひとりは必ず白スク水なのだよな(そしてもちろんすぐ透ける)。
帰宅後、午後は家でだらだらと過した。子どもがうるさかった。子どもってどうしてこんなにうるさいんだろう。うるさい音がもともと苦手というものあるが、子どもたちのうるささに晒されると、もうそこから先はなんにもできなくなる。どうすればいいんだろう。おやつに、昨日3人でプリンを作ったそうで、それをいただく。おいしい。子どもたちから手紙ももらう。手紙と言いつつ中編小説のような内容の冊子だった。すごい文章量だった。
晩ごはんは鮭の炊き込みご飯、油揚げと玉子の煮物、長芋とたらこのサラダ。おいしかった。
運動をして肉を食べる一家の健全週末
週末をのんびりと堪能したような、別にそうでもないような。
土曜日の午前は子どもたちを自転車外出に連れ出してやる。まあまあ暑かったけど、暑くてしょうがないというほどではなかった。ポルガの運動会があったあの週末以来、暑いは暑いが、最高気温32度みたいな阿呆なことにはならない日々が続いていて悔しい。自転車を走らせる並木道は、車はもちろん来ないが、人や自転車の往来はあるので、「道の左側を走りなさい」ということを指導するのだけど、娘たちはふたりともすぐにそのことを忘れるのだった。片道20分往復40分ほどの間に、合計12回くらい言ったと思う。俺は左おじさんか。さらには道の真ん中らへんに来てしまっているので「左に寄りなさい」と言ったら右に寄るというパターンもあり、そんなところはファルマンにそっくりだと思った。
昼ごはんはそうめん。冷やし中華に遅れること1ヶ月あまり、今年初そうめんである。こちらはこちらでおいしい。特にひと口目がおいしい。無上においしく思う。5口目くらいからはもうおそんなにおいしくない。この落差はすごい。ならばコース料理でひと口サイズのそうめんが供されればいいのかと言えば、そんなことも決してないだろうと思う。そんなにおいしくないたっぷりのそうめんがまだ皿にあるから、ひと口目が異様においしいのだ。蟻の2割は常にサボっている、という話を思い出す。8割のそんなにおいしくないそうめんがあるから、2割のそうめんが輝く。
午後は晩ごはんの準備を済ませたあと、近所にある公共のフィットネスジムへとひとり出掛けた。プールの延長線で、とうとうそっちへも進出してしまう。俺の今年の肉体改造への情熱、とどまることを知らない。そのうちさらっとフットサルなんかやり出すんじゃないか。ジムでは走ったり筋トレをしたりした。トレッドミル(ランニングマシーン)というものを、生まれて初めて体験する。愉しかった。20代の頃は、必要性を感じなかったというのもあるが、それ以上に肥大化した自我によって、こんな施設には足を踏み入れなかった。それが今は丸くなり、正直に「初めてなんです」と伝えて、マシンの使い方も臆せず教えてもらえるようになった。なんだか生きやすくなったな。年を取るのも悪くない。
いい汗をかいて帰宅。晩ごはんはビーフシチュー。午前中の散歩ついでの買い物で、ガーリックフランスが安く、そこから起草してメニューを決めた。もちろん市販のルーを溶かすだけの、ぜんぜん本格的じゃないやつ。滅多に作って食べるものではないが、やってみたら想像通りの味で、それなりに満足した。カレー:クリームシチュー:ハヤシライス:ビーフシチューの発生確率は、75:18:5:2くらいの比率かなと思う。次のビーフシチューの発生まで、カレーが38回なされる計算。
翌日の今日は家族で外出。プールへ行く。僕が会員になっているプールと、前に行った50メートルプールがあるプールと、今日はまた別のプールだ。せっかくだからいろんなプールに行ってみようぜという思いと、あとプールのあとの用事の繋がりなんかを考慮して、そういうことをする。わりと盛況していて自分の泳ぎはほとんどできなかったが、ここでがつがつする必要がないほど平日に泳いでいるので別にいい。ポルガの泳ぎは、成長しているような、していないような。ちなみに小学校の授業でも週明けからプールが始まるらしい。しかし小学校のプールの授業って、どういうことをするんだっけ。スイミングってできる子とできない子の差が激しいだろうに、どう授業を進行するのか想像がつかない。
プールのあとは少し買い物をして、それから吉野家の牛丼を買って帰る。ぜんぜん想定していなかったが、泳いで一家全員お腹はペコペコだったし、タイムリーにテイクアウトが割引中だったので、もう牛丼以外に考えられなくなった。帰宅して食べたら夢のようにおいしかった。どんぶり飯をがつがつがつ、とかっくらった。午前中に泳いで昼食に牛丼って、健全か。気持ちのいい青年か。
午後は僕だけ近所のスーパーに買い物に行ったり、今日買って帰ったファルマンのパンツの裾上げをしたりした。晩ごはんはビーフシチューの残りと、ガーリックフランスの残りと、あとパンがそこまで残っていなかったので、きのことバターでごはんを炒めたものを出した。ビーフシチューに合ってなかなかおいしかった。
まあそんなようなところの週末。ちなみに今日は6月9日。なんとなく焦燥に駆られるというか、こうしちゃいられない気持ちにさせられる日付。
土曜日の午前は子どもたちを自転車外出に連れ出してやる。まあまあ暑かったけど、暑くてしょうがないというほどではなかった。ポルガの運動会があったあの週末以来、暑いは暑いが、最高気温32度みたいな阿呆なことにはならない日々が続いていて悔しい。自転車を走らせる並木道は、車はもちろん来ないが、人や自転車の往来はあるので、「道の左側を走りなさい」ということを指導するのだけど、娘たちはふたりともすぐにそのことを忘れるのだった。片道20分往復40分ほどの間に、合計12回くらい言ったと思う。俺は左おじさんか。さらには道の真ん中らへんに来てしまっているので「左に寄りなさい」と言ったら右に寄るというパターンもあり、そんなところはファルマンにそっくりだと思った。
昼ごはんはそうめん。冷やし中華に遅れること1ヶ月あまり、今年初そうめんである。こちらはこちらでおいしい。特にひと口目がおいしい。無上においしく思う。5口目くらいからはもうおそんなにおいしくない。この落差はすごい。ならばコース料理でひと口サイズのそうめんが供されればいいのかと言えば、そんなことも決してないだろうと思う。そんなにおいしくないたっぷりのそうめんがまだ皿にあるから、ひと口目が異様においしいのだ。蟻の2割は常にサボっている、という話を思い出す。8割のそんなにおいしくないそうめんがあるから、2割のそうめんが輝く。
午後は晩ごはんの準備を済ませたあと、近所にある公共のフィットネスジムへとひとり出掛けた。プールの延長線で、とうとうそっちへも進出してしまう。俺の今年の肉体改造への情熱、とどまることを知らない。そのうちさらっとフットサルなんかやり出すんじゃないか。ジムでは走ったり筋トレをしたりした。トレッドミル(ランニングマシーン)というものを、生まれて初めて体験する。愉しかった。20代の頃は、必要性を感じなかったというのもあるが、それ以上に肥大化した自我によって、こんな施設には足を踏み入れなかった。それが今は丸くなり、正直に「初めてなんです」と伝えて、マシンの使い方も臆せず教えてもらえるようになった。なんだか生きやすくなったな。年を取るのも悪くない。
いい汗をかいて帰宅。晩ごはんはビーフシチュー。午前中の散歩ついでの買い物で、ガーリックフランスが安く、そこから起草してメニューを決めた。もちろん市販のルーを溶かすだけの、ぜんぜん本格的じゃないやつ。滅多に作って食べるものではないが、やってみたら想像通りの味で、それなりに満足した。カレー:クリームシチュー:ハヤシライス:ビーフシチューの発生確率は、75:18:5:2くらいの比率かなと思う。次のビーフシチューの発生まで、カレーが38回なされる計算。
翌日の今日は家族で外出。プールへ行く。僕が会員になっているプールと、前に行った50メートルプールがあるプールと、今日はまた別のプールだ。せっかくだからいろんなプールに行ってみようぜという思いと、あとプールのあとの用事の繋がりなんかを考慮して、そういうことをする。わりと盛況していて自分の泳ぎはほとんどできなかったが、ここでがつがつする必要がないほど平日に泳いでいるので別にいい。ポルガの泳ぎは、成長しているような、していないような。ちなみに小学校の授業でも週明けからプールが始まるらしい。しかし小学校のプールの授業って、どういうことをするんだっけ。スイミングってできる子とできない子の差が激しいだろうに、どう授業を進行するのか想像がつかない。
プールのあとは少し買い物をして、それから吉野家の牛丼を買って帰る。ぜんぜん想定していなかったが、泳いで一家全員お腹はペコペコだったし、タイムリーにテイクアウトが割引中だったので、もう牛丼以外に考えられなくなった。帰宅して食べたら夢のようにおいしかった。どんぶり飯をがつがつがつ、とかっくらった。午前中に泳いで昼食に牛丼って、健全か。気持ちのいい青年か。
午後は僕だけ近所のスーパーに買い物に行ったり、今日買って帰ったファルマンのパンツの裾上げをしたりした。晩ごはんはビーフシチューの残りと、ガーリックフランスの残りと、あとパンがそこまで残っていなかったので、きのことバターでごはんを炒めたものを出した。ビーフシチューに合ってなかなかおいしかった。
まあそんなようなところの週末。ちなみに今日は6月9日。なんとなく焦燥に駆られるというか、こうしちゃいられない気持ちにさせられる日付。
図書館本の未返却の顛末
先日、図書館の返却ポストに入れた本のうち、1冊だけ返却済みにならないものがあって、貸出データを見て返さなければならない本を家中から集めて返しているので、返したはずなんだけどなあと思いつつ、家のどこを探してもないし、車を隅々まで探しても見つからない。でもやっぱり絶対に返してるはずだ、たぶんあっちのミスで、返却処理をしないまま棚に並んでるのだ、と考えて開館日に行って棚を見たのだがやはりない。こうなるともう考えられるのは、車から本を持ち出すときに道に落としたくらいのパターンしかなく、夜だったし、しかも装丁が黒い本だったので、そんなこともあるかもしれない、しかし図書館の前に車で乗りつけて返却を行なったわけで、そのあたりに図書館の本が落ちていたらば親切な人間が拾ってポストに入れてくれたっていいじゃないか、などと思った。とは言え紛失は紛失だ。いよいよ弁償か、と思った。いよいよ、というのは、これまで家族の分も含めると、たぶん何千冊も図書館の本を借りてきたが、延滞こそすれ、紛失したことはいちどもなかったからだ。折りしもDeNAベイスターズのロペス内野手が、プロ野球記録である一塁手連続守備機会無失策を1632でストップさせたタイミングであり、僕の無紛失記録もここで途絶えるのだなと思った。それでカウンターへ行って、「家をすごく探したけどこの本がどうにも見つからない」ということを訴えた。すると職員は、「まあもうちょっと探してみてください。1ヶ月くらいは皆さんに探してもらってるので」とのことで、猶予が与えらえた。とは言え猶予を与えられたところで探す所はもう探しちゃったしなあ、と思っていた矢先、ウェブで利用確認ページを開いたら、当該の本の貸出しが消えていた。来たよ、と思った。なんとなく怪しいと思っていたのだ。だってたしかにデータを確認して本を取り揃えて返却ポストに入れたんだもの。そしてその夜の返却ポスト内は、その日が休館日だったこともあり、けっこう本がムチムチに詰まっていたのだ。だからその本は返却ポストの中の、本を受け止めるカゴからはみ出て、返却ポスト部屋のどこか見えにくい場所へと紛れてしまっていたのだと思う。それが数日の時を経て、ようやくシフトが回ってきた視野の広い職員によってピックアップされたのだ。絶対にそういうことだ。それ見たことか、と思う。なにが「もうちょっと探せ」だ。ブーメランだ。探さなければならないのはあなたたちだったではないか。ああ悔しい。ファルマンとふたりで重たいベッドのマットを持ち上げたりもしたので、もう既に家になかった本を探すために、こちらはすごい労力を費やしたのだ。まるっきり無駄の。悔しい。そして図書館側は、開館前の朝、返却ポスト部屋にて見つけたその本を、決してそんなふうには認識せず、ただ前夜のうちに返されたのだなとしか思っていないに違いないところが悔しい。
カラオケ公園餃子
久しぶりのカラオケ。前回を見たら3月だった。じゃあ令和初だな。令和初と言えば、僕のLINEには令和になってから、妻、母、姉以外の人からまだ1回もメッセージが来ていない。僕のLINEの対外関係は未だ平成から抜け出せていない。いったい誰が令和初の栄誉を手にするのか、そしてこの記録はどこまで伸びるのか、とても気になるところだ。
唄ったのは以下の通りである。
1:「お嫁サンバ」(郷ひろみ)。本日のこけら落としはひろみ郷。この曲っていかにもひろみ郷らしい頭からっぽな感じでとてもいい。
2:「青春時計」(NGT48)。もうだいぶ遅いと言えば遅いのだが、時事歌唱。そもそもこのデビュー曲しか知らないのでこれを選んだ。冒頭のラップ部分で、いちどもこれを聴いたことがなかったファルマンが目を見開いたのがおもしろかった。
3:「パンダ・ダ・パヤッ」(井上広美)。職場にパンを売りに来るトラックが、この曲をかけて現れるので、いつ訪れるとも知れない職場仲間でのカラオケの際にこの曲を唄ったら大爆笑なのではないか、と目論んで唄った。いつ訪れるとも知れないのに、そういう下準備だけは意気込む。
4:「Butterfly」(木村カエラ)。これも、差し当たって誰かが結婚するわけではないのだけど、いざというときの素養として唄えるようにしておこうと思って唄った。結婚のお祝いの席で「バタフライを唄います」と言って、これじゃなくて倖田來未のほうを唄うというギャグもアリかな、と思う。
5:「どうにもとまらない」(山本リンダ)。これも時事歌唱。三木谷社長の車と接触したのに停まることなく走り去ったということで、これは今週の出来事なので早い反応をすることができた。歌そのものももちろんいい。阿久悠だし。
6:「付き合ってるのに片思い」(Berrys工房)。カラオケで盛り上がるアイドルソングと考えたとき、モーニング娘。やAKBだとベタすぎてしらけるおそれがあり、しかし一般人が誰も知らない地下アイドルの歌を唄っても仕方ない。そんなときBerrys工房ってすごくちょうどいいなあと思った。
7:「古い日記」(和田アキ子)。先週の「のど自慢」で唄っている人がいて、俺も唄おうと思った。気持ちがよかった。「ハッ!」をちゃんとまじめにやるのがコツだと思う。「ハッ!」はギャグではないから(間違えがちだけど)。
8:「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)。有線で流れたのを聴いて、そう言えばこれ唄いてえな、と思って唄った。当時のフミヤって、モテてモテて、モテてモテて、しょうがなかったんじゃないかと思った。
9:「青春時代」(森田公一とトップギャラン)。好きな曲なのにこれまで唄ったことがなかった。いい歌。「パンダ・ダ・パヤッ」の作曲も森田公一。
10:「水色の街」(三輪車)。リモコンで曲を送信すると、画面の上に予約された曲名が表示されるのだが、それを見て大抵の30代はスピッツを思い浮かべるだろうと思う。あるいはスピッツのそれを選んだつもりが間違えて違う「水色の街」を入力してしまった、という悲劇も世の中にはあり得ると思う。僕は大丈夫。確信を持って三輪車のほう。そしてこの歌が本当に内容がスカスカで愉しいのだった。
11:「恋」(松山千春)。星野源じゃないほうの「恋」。そっちに関してはドラマも観なかったし恋ダンスも一切知らない。「恋」と言えば断然こっちだ。
12:「とびら開けて」(神田沙也加・津田英佑)。最後にこれをファルマンとデュエットした。仲良し夫婦か。ちなみに僕がアナでファルマンがハンスである。
以上である。今回は男性の曲もまあまあ唄った。珍しくアニメソングを唄わなかった。いいカラオケだった。
このあとは図書館、そして公園へ。公園はオオキンケイギクが毎年よく咲く所で、それ目的で行ったのだが、少しもう盛りが過ぎて、あの醜く萎れた状態のものがまあまああった。残念。先週がピークだったかな。それでもオオキンケイギクの咲く中でバトンを回している写真をファルマンに何枚か撮ってもらう。いいのがあればLINEの背景画像にしようと思う。
晩ごはんは餃子。カラオケと公園と餃子だなんて目いっぱいの休日だな。ちなみに餃子であってもビールを必要としない僕。ファルマンは「私は欲しいわ」とボヤいていた。じゃあ買って飲めばいいじゃないか。あと今回はタレで、最近たまに目にする味噌ダレというものを作ってみた。なかなかおいしかった。
唄ったのは以下の通りである。
1:「お嫁サンバ」(郷ひろみ)。本日のこけら落としはひろみ郷。この曲っていかにもひろみ郷らしい頭からっぽな感じでとてもいい。
2:「青春時計」(NGT48)。もうだいぶ遅いと言えば遅いのだが、時事歌唱。そもそもこのデビュー曲しか知らないのでこれを選んだ。冒頭のラップ部分で、いちどもこれを聴いたことがなかったファルマンが目を見開いたのがおもしろかった。
3:「パンダ・ダ・パヤッ」(井上広美)。職場にパンを売りに来るトラックが、この曲をかけて現れるので、いつ訪れるとも知れない職場仲間でのカラオケの際にこの曲を唄ったら大爆笑なのではないか、と目論んで唄った。いつ訪れるとも知れないのに、そういう下準備だけは意気込む。
4:「Butterfly」(木村カエラ)。これも、差し当たって誰かが結婚するわけではないのだけど、いざというときの素養として唄えるようにしておこうと思って唄った。結婚のお祝いの席で「バタフライを唄います」と言って、これじゃなくて倖田來未のほうを唄うというギャグもアリかな、と思う。
5:「どうにもとまらない」(山本リンダ)。これも時事歌唱。三木谷社長の車と接触したのに停まることなく走り去ったということで、これは今週の出来事なので早い反応をすることができた。歌そのものももちろんいい。阿久悠だし。
6:「付き合ってるのに片思い」(Berrys工房)。カラオケで盛り上がるアイドルソングと考えたとき、モーニング娘。やAKBだとベタすぎてしらけるおそれがあり、しかし一般人が誰も知らない地下アイドルの歌を唄っても仕方ない。そんなときBerrys工房ってすごくちょうどいいなあと思った。
7:「古い日記」(和田アキ子)。先週の「のど自慢」で唄っている人がいて、俺も唄おうと思った。気持ちがよかった。「ハッ!」をちゃんとまじめにやるのがコツだと思う。「ハッ!」はギャグではないから(間違えがちだけど)。
8:「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)。有線で流れたのを聴いて、そう言えばこれ唄いてえな、と思って唄った。当時のフミヤって、モテてモテて、モテてモテて、しょうがなかったんじゃないかと思った。
9:「青春時代」(森田公一とトップギャラン)。好きな曲なのにこれまで唄ったことがなかった。いい歌。「パンダ・ダ・パヤッ」の作曲も森田公一。
10:「水色の街」(三輪車)。リモコンで曲を送信すると、画面の上に予約された曲名が表示されるのだが、それを見て大抵の30代はスピッツを思い浮かべるだろうと思う。あるいはスピッツのそれを選んだつもりが間違えて違う「水色の街」を入力してしまった、という悲劇も世の中にはあり得ると思う。僕は大丈夫。確信を持って三輪車のほう。そしてこの歌が本当に内容がスカスカで愉しいのだった。
11:「恋」(松山千春)。星野源じゃないほうの「恋」。そっちに関してはドラマも観なかったし恋ダンスも一切知らない。「恋」と言えば断然こっちだ。
12:「とびら開けて」(神田沙也加・津田英佑)。最後にこれをファルマンとデュエットした。仲良し夫婦か。ちなみに僕がアナでファルマンがハンスである。
以上である。今回は男性の曲もまあまあ唄った。珍しくアニメソングを唄わなかった。いいカラオケだった。
このあとは図書館、そして公園へ。公園はオオキンケイギクが毎年よく咲く所で、それ目的で行ったのだが、少しもう盛りが過ぎて、あの醜く萎れた状態のものがまあまああった。残念。先週がピークだったかな。それでもオオキンケイギクの咲く中でバトンを回している写真をファルマンに何枚か撮ってもらう。いいのがあればLINEの背景画像にしようと思う。
晩ごはんは餃子。カラオケと公園と餃子だなんて目いっぱいの休日だな。ちなみに餃子であってもビールを必要としない僕。ファルマンは「私は欲しいわ」とボヤいていた。じゃあ買って飲めばいいじゃないか。あと今回はタレで、最近たまに目にする味噌ダレというものを作ってみた。なかなかおいしかった。
暑すぎる5月の運動会とトランプ
5月なのに30度超えの暑さである。5月というのは本来はそこまで暑くならないもので、「気持ちのいい陽気」という触れ込みのもと、あちこちで野外イベントが企画される。そしてポルガの小学校の運動会も、この週末の開催なのだった。平日から週末の予報を見るたびに、「マジかよ」と夫婦で嘆き、職場でもさんざん「俺は週明け現れないかもしれない」と愚痴り、さらには神に祈ったりもしたが、高温過ぎて中止なんていう選択肢は現場にはないようで(まあ大変なのだろうという事情も解る)、あえなく開催される。ただし前日にプリントで、「すごく高温そうなのでうちわとか持ってくるといいよ」というお達しが来た。その、いまさら予定の変更はできないけど、なんにも対策を講じなかったわけじゃありませんよ、なんかあってもこっちに責任はありませんよ感はすごいな、と思った。しかし令和元年のプリントで、うちわ。予想していた未来はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
思い描いていた「気持ちのいい陽気」ならば、場所取りはしないまでも、開会式から参加して、3年生になった今年からは午後の部もあるので、現地でお弁当を食べて午後に備える、くらいの気概はあったが、とてもそんなことができる気候ではなかったので、開会式はパスし、ポルガの出場する競技に合わせて学校へ向かった。それを見届けたあとは、いちおうお弁当を持ってきてはいたのだけど、午後のポルガの出場演目までは2時間あまりあったので、やっぱりいちど帰ることにした。昼ごはんはどうせ生徒と家族は別々に食べるシステムになっているため、実は我々が学校で食べる意味はないのだ。それで冷房を利かせた自宅で食べ、しばし休息した。往復の移動と学校での滞在を合わせて1時間あまりの外出だったが、この時点でだいぶ身体に来ていた。2往復目となる午後の部は、たまらず自転車を使うことにした。最初からそうしていればよかった。そしてポルガのダンスを見届けた。見届けたら閉会式ももちろん待たず、すぐに帰ることにした。本当に、ぜんぜん外に居続けたらいけない条件だったのだ。帰ったら心底ぐったりした。僕なんか数ヶ月前の自分と較べてだいぶ身体が軽くなり、活動したら必ず昼寝をしなければならない人ではなくなったというのに、それでもやっぱり茹だるような暑さを前にしては歯が立たなかった。そうか、夏というのはこういうものだったな、と思い出した。筋トレなんかだと、疲れてもそのぶん身体が強くなるという救いがあるけれど、暑さに参るというのは、本当にただ身体がしんどいだけで、どこもなんにも成長しないのである。単なる疲労。これから数ヶ月続く夏のことを思い、暗澹たる気持ちになった。
そのあとポルガも無事に帰宅し、なんとか誰も熱中症にならずに済んだな、と安心していたら、夕食後にピイガが吐いた。やっぱり免れられなかったか。幸い症状はそこまで重くなく、そのまま寝た。僕は小学校に何台も救急車が連なることになるのではないかと予期していて、実際にはそんなことにはならなかったけど、でもやっぱり夜とかになってこんな風になった人というのはいっぱいいたことだろうな、と思った。
翌日の今日は、ピイガはまあまあの回復具合で、しかし全員でどこかへ出掛けられるほどでもなかったので、僕だけで外出した。ファルマンに「こんな機会にこそこないだの50メートルプールに行ってくればいいじゃない」と勧められ、色めき立つが、ホームページを確認したら大会開催のため利用不可だった。残念。そんなわけで何軒か店を回り、こまごまとした日用品の買い物だけして帰った。今日ももちろん暑い。今日がくんと気温が下がったら忸怩たる思いだろうからそれは別に構わない。午後は家でだらだらと過した。ピイガはだいぶ元気になった。夕飯のそぼろ丼もほどほどに食べた。そぼろ丼を食べながら、トランプ大統領が観にきた大相撲の千秋楽を眺めた。土俵に上がるための特製の階段と、あと賞状を片手で渡したのがおもしろかった。賞状を片手で授与する情景というのを、そう言えば生まれて初めて見たかもしれないと思った。
思い描いていた「気持ちのいい陽気」ならば、場所取りはしないまでも、開会式から参加して、3年生になった今年からは午後の部もあるので、現地でお弁当を食べて午後に備える、くらいの気概はあったが、とてもそんなことができる気候ではなかったので、開会式はパスし、ポルガの出場する競技に合わせて学校へ向かった。それを見届けたあとは、いちおうお弁当を持ってきてはいたのだけど、午後のポルガの出場演目までは2時間あまりあったので、やっぱりいちど帰ることにした。昼ごはんはどうせ生徒と家族は別々に食べるシステムになっているため、実は我々が学校で食べる意味はないのだ。それで冷房を利かせた自宅で食べ、しばし休息した。往復の移動と学校での滞在を合わせて1時間あまりの外出だったが、この時点でだいぶ身体に来ていた。2往復目となる午後の部は、たまらず自転車を使うことにした。最初からそうしていればよかった。そしてポルガのダンスを見届けた。見届けたら閉会式ももちろん待たず、すぐに帰ることにした。本当に、ぜんぜん外に居続けたらいけない条件だったのだ。帰ったら心底ぐったりした。僕なんか数ヶ月前の自分と較べてだいぶ身体が軽くなり、活動したら必ず昼寝をしなければならない人ではなくなったというのに、それでもやっぱり茹だるような暑さを前にしては歯が立たなかった。そうか、夏というのはこういうものだったな、と思い出した。筋トレなんかだと、疲れてもそのぶん身体が強くなるという救いがあるけれど、暑さに参るというのは、本当にただ身体がしんどいだけで、どこもなんにも成長しないのである。単なる疲労。これから数ヶ月続く夏のことを思い、暗澹たる気持ちになった。
そのあとポルガも無事に帰宅し、なんとか誰も熱中症にならずに済んだな、と安心していたら、夕食後にピイガが吐いた。やっぱり免れられなかったか。幸い症状はそこまで重くなく、そのまま寝た。僕は小学校に何台も救急車が連なることになるのではないかと予期していて、実際にはそんなことにはならなかったけど、でもやっぱり夜とかになってこんな風になった人というのはいっぱいいたことだろうな、と思った。
翌日の今日は、ピイガはまあまあの回復具合で、しかし全員でどこかへ出掛けられるほどでもなかったので、僕だけで外出した。ファルマンに「こんな機会にこそこないだの50メートルプールに行ってくればいいじゃない」と勧められ、色めき立つが、ホームページを確認したら大会開催のため利用不可だった。残念。そんなわけで何軒か店を回り、こまごまとした日用品の買い物だけして帰った。今日ももちろん暑い。今日がくんと気温が下がったら忸怩たる思いだろうからそれは別に構わない。午後は家でだらだらと過した。ピイガはだいぶ元気になった。夕飯のそぼろ丼もほどほどに食べた。そぼろ丼を食べながら、トランプ大統領が観にきた大相撲の千秋楽を眺めた。土俵に上がるための特製の階段と、あと賞状を片手で渡したのがおもしろかった。賞状を片手で授与する情景というのを、そう言えば生まれて初めて見たかもしれないと思った。
ファミレスから公園まで
義父母の誘いを受け、1月に亡くなった義祖母の墓参りと、ホームで暮す義祖父への顔見せに出向いた。県内なので、当地へは車で30分ほどで着く。昼前に家を出て、ファミレスで落ち合った。本来この行事は3月に行なわれる予定で、と言うか実際に行なわれたのだけど、我が家はポルガの体調崩壊により参加できず、僕は奢られファミレスをみすみす逃したことについて忸怩たる気持ちを抱いていたのだった。だから満を持しての奢られファミレスで、頼みたいメニューを頼んで堪能した。肉が美味しかった。
美味しい肉を食べさせてもらったあとは、粛々と用件をこなす。それは粛々とだ。義母にとっては親だろう。義父にとっては40年余りの義理の親子関係があるだろう。ファルマンにとっては祖父母だろう。娘らにとっては曽祖父母だろう。だからこのメンバーの中で、どうしたって僕の繋がりだけが極めて薄い。実際、義祖父への顔見せはこれまでも義母がこちらにやってきたとき何度かしているが、そのとき僕はあくまで運転手で、ホームの駐車場に車を停めて、面会中はその中で待っていた。しかし今回は義父がいて、義父というのは全員行動を徹底したがるタイプの人なので、「俺は車で待ってます」と言ったら「いや、来たらいい」みたいなくだりが繰り広げられることは目に見えていたので(経験値を積んできたので分かる)、自主的に車を降りて、初めてホームの中へも足を踏み入れた。踏み入れて面会した結果、孫であるファルマンや、ファルマンの産んだ小さな娘たちというのはすんなり受け止めていたが、やっぱり僕の存在は義祖父の頭を少し混乱させた感じがあり、なんだったんだろうな、という気がした。まあいいんだけど。そのあとは義祖母の墓参り。高台にあり、空気の清廉な場所だった。義母の実家はカトリックで、葬式のときから仏教とキリスト教の混在が甚だしかったが、お墓も、寺の中にあり、直方体のよくあるタイプの墓ながら、苗字の上には十字架が記されているという、馴れ合っているのか我を張り合っているのかよく判らないマーブル模様だった。「が、合掌でいいんですか?」と義母に確認してから手を合わせた。
そのあとは近くの大型公園へも立ち寄る。ここはファルマンたちが子どもの頃、祖父母の家に遊びに来た際によく行っていた公園だという。メインの遊具は明らかに刷新された風のものだったが、ところどころに昔から変らないものも残っていたらしい。子どもたちはもちろん飛び跳ねて遊んだ。3時頃まで過し、義父母とはここで解散。次に会うのは夏の帰省、ということはこの人たちの場合たぶんないだろうな。なんかかんか来るから(特に義母)。
そのあとは大きい100円ショップや図書館に寄って帰った。午前中に家を出て、帰ってきたのは夕方。わりと1日がかりの外出だった。風が強かったが、陽射しがなくてよかった。オオキンケイギクがあちこちで咲きまくっていて嬉しい。
美味しい肉を食べさせてもらったあとは、粛々と用件をこなす。それは粛々とだ。義母にとっては親だろう。義父にとっては40年余りの義理の親子関係があるだろう。ファルマンにとっては祖父母だろう。娘らにとっては曽祖父母だろう。だからこのメンバーの中で、どうしたって僕の繋がりだけが極めて薄い。実際、義祖父への顔見せはこれまでも義母がこちらにやってきたとき何度かしているが、そのとき僕はあくまで運転手で、ホームの駐車場に車を停めて、面会中はその中で待っていた。しかし今回は義父がいて、義父というのは全員行動を徹底したがるタイプの人なので、「俺は車で待ってます」と言ったら「いや、来たらいい」みたいなくだりが繰り広げられることは目に見えていたので(経験値を積んできたので分かる)、自主的に車を降りて、初めてホームの中へも足を踏み入れた。踏み入れて面会した結果、孫であるファルマンや、ファルマンの産んだ小さな娘たちというのはすんなり受け止めていたが、やっぱり僕の存在は義祖父の頭を少し混乱させた感じがあり、なんだったんだろうな、という気がした。まあいいんだけど。そのあとは義祖母の墓参り。高台にあり、空気の清廉な場所だった。義母の実家はカトリックで、葬式のときから仏教とキリスト教の混在が甚だしかったが、お墓も、寺の中にあり、直方体のよくあるタイプの墓ながら、苗字の上には十字架が記されているという、馴れ合っているのか我を張り合っているのかよく判らないマーブル模様だった。「が、合掌でいいんですか?」と義母に確認してから手を合わせた。
そのあとは近くの大型公園へも立ち寄る。ここはファルマンたちが子どもの頃、祖父母の家に遊びに来た際によく行っていた公園だという。メインの遊具は明らかに刷新された風のものだったが、ところどころに昔から変らないものも残っていたらしい。子どもたちはもちろん飛び跳ねて遊んだ。3時頃まで過し、義父母とはここで解散。次に会うのは夏の帰省、ということはこの人たちの場合たぶんないだろうな。なんかかんか来るから(特に義母)。
そのあとは大きい100円ショップや図書館に寄って帰った。午前中に家を出て、帰ってきたのは夕方。わりと1日がかりの外出だった。風が強かったが、陽射しがなくてよかった。オオキンケイギクがあちこちで咲きまくっていて嬉しい。
気候のいい週末
連休明けのウィークデイを経ての週末。
連休は最後のほうにはもう心底うんざり気味で、平日の、朝の決まった時間に起きて仕事をして帰りにプールに寄る生活がひどく恋しかったため、五月病などという言葉はまるで頭に浮かばなかった。平日は尊い。そして平日をこなしてからの休日も尊い。必要以上に長い休みでそのことを再認識した。
そんな気持ちで迎えた週末は、GW期間中のことが本当に悪い夢であったような好天で、最高気温が25℃と30℃の間という、5月のとてもいいそれを堪能した。
土曜日は海へ行った。もちろん瀬戸内海である。海開きはまだ先だが、波打ち際で足を浸すには適当な暖かさで、当然まだ人もそれほどいるわけでもなく、居心地がよかった。時期もあるのかもしれないが、海は小川のように透明でとてもきれいだった。マクドナルドを買っていったので、砂浜にシートを敷いて簡易テーブルを設置して食べた。美味しかった。キャンプはもうこりごりだが、あちこちの場所で簡易テーブルを設置して昼ごはんを食べるという行為は、これからも続けていきたい。実際、途轍もない労力を要するキャンプを、丹念に精製したら残るのはこの部分だと思う。だから我々一家は、この部分だけでいい。ほかの雑味はノーサンキューだ。今回は足を浸すだけだったが、夏には島根でまた海水浴をしたいと思っている。その意欲が掻き立てられた。
今日はプールとショッピングをした。
プールは僕が月間会員になっているいつもの所ではなく、初めて行く別の市営プールに行ってみた。なぜわざわざ別の所へ行ったかと言えば、そのあと行くショッピングモールへの繋がりがよかったのと、あとここには50メートルプールがあるからだ。普段の所は25メートルなので、50メートルプールとはどんな感じなのか、興味があった。50メートルプールは、横浜国際プールがオープンした頃、中学校の友達と行ったことがあるので、未経験ではないはずなのだが、そのときは水泳という感じで行ったわけではなかったため、大した感慨は持たなかったのだろうと思う。それから20年あまり(!)の時を経て、ありがたみを噛み締めながら赴いた。プールでは、ファルマンと子どもたちには子ども用のものへ行ってもらい、僕だけしばし50メートルのほうで泳がせてもらう。入水して感動した。50メートルプールのスケール、すごい。深さも25メートルのそれより深いので、体積が段違いなのだ。その中に入って泳いでいると、25メートルプールではついぞ感じない、俺はいま圧倒的で静謐な水の中にひとり浮かんで進んでいるのだ感が湧き立ち、ぞわぞわするほどの快感があった。いつもなら10往復を要する500メートルを5往復で済ませ、大満足した。明日からのいつものプールが色褪せそうで不安だ。またたまにこっちのプールにも泳ぎに来ようと思う。
そのあとでショッピングモールへ。プール後のショッピングモールってなんかすごいな。とても活動的な一家のようだな。買ったものは、僕のズボン、ファルマンのパーカー、ポルガの学校用の靴、ピイガの靴。そういう制度でもあるのか、というくらいにひとり1点の品物をきちんと買った。それとピイガのランドセルを物色するのも目的のひとつだったので、展開されているコーナーでいくつか背負ってみたりした。その結果、ポルガはとにかく原色のイメージだったのに対し、ピイガは淡い色がよさそうだと判った。ピンクとか、えんじとか、そのあたりかな。薄むらさきも似合ったが、どうも薄むらさきはなあ、という思いが僕にもファルマンにもある。どちらにせよいまだ身長が100センチに満たないピイガには、どのランドセルも冗談のように大きかった。
帰宅して、午後はほんの少しミシンをする。子どもの紅白帽の紐を新しくしたり、僕のパジャマのゴムを替えたり。こういうのってするまではすごく億劫なのだが、いざし始めると、なにをあんなに億劫がっていたのか、というくらいにすぐに作業が終わる。パジャマのズボンのゴムは完全に伸びきって、歩けばすぐにずり落ちるという、まいっちんぐマチコ先生みたいにセクシーな有様だったので、直ってよかった。
晩ごはんは、母の日ということでファルマンにリクエストを訊ねたら、いつもの「カレー」というバカな子の答えだったので、カレーにした。珍しい具材のカレーにしようかとも少し考えたが、結局はとてもオーソドックスなビーフカレーになった。美味しかった。
GW帰省の後半
IMAに舞い戻った僕がまずはじめに向かったのはGU(住んでいた頃はなかった)で、そこでTシャツを買った。そして試着室で着替えた。昼ごはんを食べたあたりからの急な気温の上昇で、それまで着ていた長袖の肌着に長袖のシャツがとても耐えられなくなっていたのだ。Tシャツ1枚になったら爽快でテンションが上がった。快適な恰好になったあとは、公園とは反対側の住宅街へと歩みを進めた。かつて住んでいたコーポがあるほうである。ああこんな道だったな、と懐かしかった。とは言えコーポと駅とは徒歩で15分あまりの距離があるため、さすがに途中で引き返した。
そのあとは駅でファルマンたちと合流し、次の目的地へ向けて出発することに。次の目的地は中村橋である。計画ではバスで移動する予定だったが(練馬から中村橋、光が丘を経由して成増へと至るバスがあるのだ)、バス停の位置が意外と遠いようだったので、早々に諦めて電車を使った。大江戸線で練馬駅へ出て、そこから西武線でひと駅。中村橋に降り立つ。ここは僕とファルマンが大学卒業後、はじめに住んだ町だ。
駅前の様子は、そこまで変わっていなかった。西友はもちろんそのままだし、西日本には影も形もない「福しん」も変わらずあった。福しんの向かいにあった回転ずし屋はなくなっていた。「おかしのまちおか」は、我々が住んでいた頃はなかったが、引っ越したあとでなにかの折に訪れたときに、できたことは知っていた(住んでいた頃にあればよかったのに、と悔しく思ったのを覚えている)。そんな様を眺めていたら、先ほどまで一緒にいた友達一家の母と娘が自転車でやってくる。彼女らは光が丘も中村橋も自転車圏内なのだ。そういう位置関係なのだ。
それからみんなで練馬区立美術館のほうへ向かう。練馬区立美術館は昔からあったものなのだけど、何年か前にその建物の前のスペースがリニューアルされて、子どもが乗ったりして遊べるカラフルな動物のオブジェなどが設置され、愉しい空間になっているのだった。このことは数年前に放送され、そのテーマまじかよ、と驚愕した「アド街ック天国」の中村橋特集で知った。それで、そこへ連れていくのと同時に中村橋回顧ができればちょうどいいなあと前から目論んでいたのだ。住んでいたコーポも同じ方面にあり、だからこの美術館や図書館の前を、かつては毎日のように歩いていたのである。しかしこうなる前の美術館前のスペースがどんなものだったのか、今となってはまるで思い出せない。目の当たりにしたその空間は、とてもしゃれた感じだった。子どもたちも喜んで遊びはじめ、一家の母親が見ていてくれるというので、僕とファルマンのふたりで、そこから5分ほどの位置にあるコーポを見にいった。コーポそのものは何の変哲もないものなので、実際に見ても大した感慨はなかったが、そこまでの道のりがよかった。光が丘のプールと一緒で、当時は目に入っていなかったものが見えるようになっていた。当時、特に移り住んですぐは無職だったので時間はべらぼうにあったはずなのに、なんかぜんぜん東京も、練馬区も、中村橋も、いろいろ見て回るということをしなかったな、としみじみと思った。してろよ、と今なら思うけど、当時は当時で、そんなことをする暇がないくらい、自分の中の何かのことで大忙しだったのかもしれないな、とも思った。
充実の思いで散歩を終え、美術館のほうに戻る。美術館は図書館と併設していて、この図書館へはもちろんたくさん通った。しかしさらにはちょっとしたスポーツセンターみたいなものもあり、トレーニングルームなんかもあるということは知らなかった。本当に当時の世界は狭かったのだな。当時の僕がトレーニングジムの存在を知ったところで通ったとは思えないけれど、こんな近距離にそんな施設があることをまるで知らずにいたとは。思わず職員に話しかけてトレーニングルームを見学させてもらった。「トレーニングシューズだけは用意してもらわなくちゃいけないけど、興味を持ったらぜひ来てください」と言われた。通おうかなと思った。
そんなこんなで充実の思い出巡りだった。時刻も夕方になり、さてそろそろ帰ろうかというところで、事件が起る。隣を歩いていたファルマンが、いきなり持っていたビニール袋に顔を突っ込み、嘔吐しはじめたのだ。前兆もない突然の出来事に、えっ? えっ? と戸惑った。ひとまず木陰に避難して休む。まだ母と娘と別れる前だったので助かった。状況や症状から、どうも熱中症ではないかという話になる。母親に子どもたちを見てもらい、僕は水分や塩分のものを買いにいった。しかし水分を与えてもファルマンの調子はなかなか回復せず、立ち上がってもまたすぐに吐き気に襲われていた。これはまずいことになった、と思った。なんてったって練馬である。ここから実家まではどうしたって1時間半ほど掛かる。旅先でのこういう事態の不安さ、心許なさ、というものを痛感する。それでも帰らないわけにはいかないので、しばし休んだところで、母親たちに心配されながら別れ、電車に乗り込む。有楽町線直通の便に乗って渋谷まで出て、そこから田園都市線。どちらも座ることができたのは救いだった。ファルマンは車内でも何度かえずいていたが、なんとかたまプラーザまで持った。それから母の車で家までたどり着いた。たどり着けてよかった。本当にどうなることかと思った。
それからファルマンはひたすら横になった。帰宅した実家には、姪と甥がやってきていた。キャンプから帰ってきたのだ。義兄は別の集いがあるとのことで現れず、姉は風邪を引いたとのことで子どもたちを置いてすぐに帰ったという。昨日のキャンプは、タープに溜まった雨水が滝のようにこぼれるような有様だったそうで、風邪を引くのも当然の帰結だと言えるだろう。僕はそれから改めてドラッグストアに行って、補水液や吐き気止め、ゼリー飲料などを買った。店員に症状を話して相談したら、「今日みたいに雨上がりに急に気温が上がったような日は熱中症になりやすいのだ」と言われた。ここまでの本当に冴えない天候の日々により、熱中症なんて言葉は完全に頭の埒外だった。妻も姉もやられた。どうも今年のGWの気候というのは、あんまりにも性格が悪かったのではないだろうか。あんまりにも。
晩ごはんはピザだった。昨日が春巻で今日がピザ。実家の食事は脂質が多いな。またしてもビールが進んでしまう。ファルマンはゼリーだけ啜り、そのまま寝た。
翌日もファルマンはもちろんヘロヘロだったが、この日は初めからなんの予定もなかったので問題なかった。たっぷり休んだことで徐々に回復はしてきていて、おかゆを少しずつ食べていた。風邪の姉もまたひたすら寝ていたいようで、子どもたちを託しに来てすぐに自分だけ帰った。そのため僕ひとりで4人の子どもの相手をする構図となった。こんなのこれまでの僕だったらウェーとなる場面だったが、2ヶ月前から健康志向になっているので、やってやろうじゃないかと近所の公園に繰り出し、サッカーなんかしたりする。本当に、たまたま僕が健康に目覚めていたからよかったようなものを、だ。これまでの肝臓弱ってるおじさんだったらとても無理で、公園で遊んだ以上の時間を回復のための昼寝に要していたに違いなかった。それに対して現在の溌溂さ! 昼ごはんを挟んで午後にも別の公園に出掛け、さらには地区センターで卓球までして帰った。
晩ごはんは、帰省中に必ずどこかでなされる、定番の手巻き寿司。ここには子どもたちの迎えのために義兄が現れ、一緒に食べた。ちなみに義兄は僕とかなり同じようなタイミングで、「酒をやめてみたら案外そのまま平気になってしまって健康に目覚めた」そうで、運転があるので当然だが、この日もまったく酒を飲んでいなかった(僕は飲んだ)。なぜ時を同じくしてなのかは謎で、世界一どうでもいいシンクロニシティだと思った。「俺よりも4年早く健康に目覚めたのが羨ましい」と言われ、39歳の肝臓弱ってるおじさんが35歳の肝臓弱ってるおじさんを羨むのって、地獄のような図式だなと思った。
食事を終えて、姉一家(の姉以外)を見送る。今回はこんな状況なのでもちろんポルガの姉家への宿泊は実行されない。なかなかにバタバタとした邂逅となった(と言っても僕は1日たっぷり相手をしたけれども)。次に会うのは年末か。
翌日は帰宅の日。ファルマンは昨日の日中をずっと寝たことで、夜にはまあまあ回復し、夕餉の席にも顔を出せるまでになっていた。本当によかった。2日前の夕方の中村橋の絶望感たるやなかった。まったくすごいGW帰省だった。出発と帰宅は早いに限る、ということで新幹線は9時台の便。祖母に別れを告げ、母にあざみ野まで送ってもらった。
岡山まで戻って在来線に乗ったら、だだっぴろい風景にほっとした。光が丘公園とはやっぱりぜんぜん違う、野(でさえないもの)がそこにはあって、そして人がぜんぜん少なくて、ああこっちに安心するようにもう頭がなっているのだなあと思った。
そのあとは駅でファルマンたちと合流し、次の目的地へ向けて出発することに。次の目的地は中村橋である。計画ではバスで移動する予定だったが(練馬から中村橋、光が丘を経由して成増へと至るバスがあるのだ)、バス停の位置が意外と遠いようだったので、早々に諦めて電車を使った。大江戸線で練馬駅へ出て、そこから西武線でひと駅。中村橋に降り立つ。ここは僕とファルマンが大学卒業後、はじめに住んだ町だ。
駅前の様子は、そこまで変わっていなかった。西友はもちろんそのままだし、西日本には影も形もない「福しん」も変わらずあった。福しんの向かいにあった回転ずし屋はなくなっていた。「おかしのまちおか」は、我々が住んでいた頃はなかったが、引っ越したあとでなにかの折に訪れたときに、できたことは知っていた(住んでいた頃にあればよかったのに、と悔しく思ったのを覚えている)。そんな様を眺めていたら、先ほどまで一緒にいた友達一家の母と娘が自転車でやってくる。彼女らは光が丘も中村橋も自転車圏内なのだ。そういう位置関係なのだ。
それからみんなで練馬区立美術館のほうへ向かう。練馬区立美術館は昔からあったものなのだけど、何年か前にその建物の前のスペースがリニューアルされて、子どもが乗ったりして遊べるカラフルな動物のオブジェなどが設置され、愉しい空間になっているのだった。このことは数年前に放送され、そのテーマまじかよ、と驚愕した「アド街ック天国」の中村橋特集で知った。それで、そこへ連れていくのと同時に中村橋回顧ができればちょうどいいなあと前から目論んでいたのだ。住んでいたコーポも同じ方面にあり、だからこの美術館や図書館の前を、かつては毎日のように歩いていたのである。しかしこうなる前の美術館前のスペースがどんなものだったのか、今となってはまるで思い出せない。目の当たりにしたその空間は、とてもしゃれた感じだった。子どもたちも喜んで遊びはじめ、一家の母親が見ていてくれるというので、僕とファルマンのふたりで、そこから5分ほどの位置にあるコーポを見にいった。コーポそのものは何の変哲もないものなので、実際に見ても大した感慨はなかったが、そこまでの道のりがよかった。光が丘のプールと一緒で、当時は目に入っていなかったものが見えるようになっていた。当時、特に移り住んですぐは無職だったので時間はべらぼうにあったはずなのに、なんかぜんぜん東京も、練馬区も、中村橋も、いろいろ見て回るということをしなかったな、としみじみと思った。してろよ、と今なら思うけど、当時は当時で、そんなことをする暇がないくらい、自分の中の何かのことで大忙しだったのかもしれないな、とも思った。
充実の思いで散歩を終え、美術館のほうに戻る。美術館は図書館と併設していて、この図書館へはもちろんたくさん通った。しかしさらにはちょっとしたスポーツセンターみたいなものもあり、トレーニングルームなんかもあるということは知らなかった。本当に当時の世界は狭かったのだな。当時の僕がトレーニングジムの存在を知ったところで通ったとは思えないけれど、こんな近距離にそんな施設があることをまるで知らずにいたとは。思わず職員に話しかけてトレーニングルームを見学させてもらった。「トレーニングシューズだけは用意してもらわなくちゃいけないけど、興味を持ったらぜひ来てください」と言われた。通おうかなと思った。
そんなこんなで充実の思い出巡りだった。時刻も夕方になり、さてそろそろ帰ろうかというところで、事件が起る。隣を歩いていたファルマンが、いきなり持っていたビニール袋に顔を突っ込み、嘔吐しはじめたのだ。前兆もない突然の出来事に、えっ? えっ? と戸惑った。ひとまず木陰に避難して休む。まだ母と娘と別れる前だったので助かった。状況や症状から、どうも熱中症ではないかという話になる。母親に子どもたちを見てもらい、僕は水分や塩分のものを買いにいった。しかし水分を与えてもファルマンの調子はなかなか回復せず、立ち上がってもまたすぐに吐き気に襲われていた。これはまずいことになった、と思った。なんてったって練馬である。ここから実家まではどうしたって1時間半ほど掛かる。旅先でのこういう事態の不安さ、心許なさ、というものを痛感する。それでも帰らないわけにはいかないので、しばし休んだところで、母親たちに心配されながら別れ、電車に乗り込む。有楽町線直通の便に乗って渋谷まで出て、そこから田園都市線。どちらも座ることができたのは救いだった。ファルマンは車内でも何度かえずいていたが、なんとかたまプラーザまで持った。それから母の車で家までたどり着いた。たどり着けてよかった。本当にどうなることかと思った。
それからファルマンはひたすら横になった。帰宅した実家には、姪と甥がやってきていた。キャンプから帰ってきたのだ。義兄は別の集いがあるとのことで現れず、姉は風邪を引いたとのことで子どもたちを置いてすぐに帰ったという。昨日のキャンプは、タープに溜まった雨水が滝のようにこぼれるような有様だったそうで、風邪を引くのも当然の帰結だと言えるだろう。僕はそれから改めてドラッグストアに行って、補水液や吐き気止め、ゼリー飲料などを買った。店員に症状を話して相談したら、「今日みたいに雨上がりに急に気温が上がったような日は熱中症になりやすいのだ」と言われた。ここまでの本当に冴えない天候の日々により、熱中症なんて言葉は完全に頭の埒外だった。妻も姉もやられた。どうも今年のGWの気候というのは、あんまりにも性格が悪かったのではないだろうか。あんまりにも。
晩ごはんはピザだった。昨日が春巻で今日がピザ。実家の食事は脂質が多いな。またしてもビールが進んでしまう。ファルマンはゼリーだけ啜り、そのまま寝た。
翌日もファルマンはもちろんヘロヘロだったが、この日は初めからなんの予定もなかったので問題なかった。たっぷり休んだことで徐々に回復はしてきていて、おかゆを少しずつ食べていた。風邪の姉もまたひたすら寝ていたいようで、子どもたちを託しに来てすぐに自分だけ帰った。そのため僕ひとりで4人の子どもの相手をする構図となった。こんなのこれまでの僕だったらウェーとなる場面だったが、2ヶ月前から健康志向になっているので、やってやろうじゃないかと近所の公園に繰り出し、サッカーなんかしたりする。本当に、たまたま僕が健康に目覚めていたからよかったようなものを、だ。これまでの肝臓弱ってるおじさんだったらとても無理で、公園で遊んだ以上の時間を回復のための昼寝に要していたに違いなかった。それに対して現在の溌溂さ! 昼ごはんを挟んで午後にも別の公園に出掛け、さらには地区センターで卓球までして帰った。
晩ごはんは、帰省中に必ずどこかでなされる、定番の手巻き寿司。ここには子どもたちの迎えのために義兄が現れ、一緒に食べた。ちなみに義兄は僕とかなり同じようなタイミングで、「酒をやめてみたら案外そのまま平気になってしまって健康に目覚めた」そうで、運転があるので当然だが、この日もまったく酒を飲んでいなかった(僕は飲んだ)。なぜ時を同じくしてなのかは謎で、世界一どうでもいいシンクロニシティだと思った。「俺よりも4年早く健康に目覚めたのが羨ましい」と言われ、39歳の肝臓弱ってるおじさんが35歳の肝臓弱ってるおじさんを羨むのって、地獄のような図式だなと思った。
食事を終えて、姉一家(の姉以外)を見送る。今回はこんな状況なのでもちろんポルガの姉家への宿泊は実行されない。なかなかにバタバタとした邂逅となった(と言っても僕は1日たっぷり相手をしたけれども)。次に会うのは年末か。
翌日は帰宅の日。ファルマンは昨日の日中をずっと寝たことで、夜にはまあまあ回復し、夕餉の席にも顔を出せるまでになっていた。本当によかった。2日前の夕方の中村橋の絶望感たるやなかった。まったくすごいGW帰省だった。出発と帰宅は早いに限る、ということで新幹線は9時台の便。祖母に別れを告げ、母にあざみ野まで送ってもらった。
岡山まで戻って在来線に乗ったら、だだっぴろい風景にほっとした。光が丘公園とはやっぱりぜんぜん違う、野(でさえないもの)がそこにはあって、そして人がぜんぜん少なくて、ああこっちに安心するようにもう頭がなっているのだなあと思った。
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