上手休日

 散髪に行く。行ったのだ。ファルマンが教習所通いで忙しそうなので、カットを頼みづらく、しょうがないので店に行ってやってもらうことにした。プロによる散髪は、いつ以来か。去年の就活中も、なんだかんだでずっとファルマンに切ってもらっていたので、前がいつだったか思い出せない。とにかくとても久しぶりだ。
 行ったら行ったで、僕の人見知りや人嫌いというのは、ファルマンのようなガチ勢を見ているとしみじみと思うこととして、あくまで自称であって、その証拠に、美容師ともとても気さくにしゃべった。ぜんぜんどもったりしなかった。思えば島根に来てから、職場以外の人間と一定以上の会話をしたことが初めてだったので、なんだか新鮮だった。美容師の娘5歳は偏食がひどく、白米をあまり食べてくれないが、貝類だけはやけに食べるそうだ。貝類かー。
 施術中はもちろんずっとマスクをしていて、耳の周りの産毛をバリカンで刈るときも、「外したほうがいいですか」と訊ねても、「そのままで大丈夫です」とのことで、向こうもすっかり慣れているのだった。マスクはそのとき、minneに出品している、不織布マスクみたいな布マスクを着けていたので、その耳周りの作業のときになって、「え、このマスク、布なんですね」と、こちらが期待している反応をしてくれて、別に意図していたわけではなかったが、嬉しかった。ただし「奥さんが作ったんですか?」という問いかけに対して、謙遜なのか、面倒から回避しようと思ったのか、「そうです」と答えてしまい、我ながら少し複雑な気持ちになった。もう終わりかけだったし、「自分で作ったんです」と答えると、向こうとしても話を展開しなければならなくなって億劫だろう、とも思った。「プリーツの感じとか、すごくお上手ですね」と褒められ、「まあなんか、去年からたくさん作ってましたからねえ」と白々しく応じた。ファルマンはファルマンで、岡山時代、マスクや手提げ袋を褒められたとき、「夫が作ったんです」と即答していたという。僕の言葉は嘘で、ファルマンの言葉は真実だが、そこには共通の、「深く触れてくれるな」という牽制がある夫婦である。
 散髪が終わったあとは、今日もサウナに行った。今日は「おろち湯ったり館」ではなく、平田にある「ゆらり」という施設。ファルマンからは「よう行くわ」と少し呆れられた。たしかに我ながら、柄にもなくアクティブなことだな、と思う。
 湯ったり館と違い、こちらにはプールはないが、露天風呂が広く、悪くなかった。天気がとてもよく、まだそこまで激しくない陽射しが降り注ぐ中、外気浴として、湯に浸かるとも浸からないともなく、岩辺に腰掛けたり横たわったりしていると、仙人にでもなったような優雅な気持ちになり、心地よかった。なんとなく思い描く天国の情景にも、ちょうどいい陽射しと、ちょうどいいぬるさのお湯はあるので、そういう意味でここは天国にだいぶ近いな、ということを思った。
 サウナ室にはテレビが設置されていて、これは島根の施設では初めて目にした。僕はテレビに関して一家言あるようなサウナ―ではなくて、っていうかそのとき映ってる番組によるよね、というスタンスなのだが、今日はBSのNHKで、大谷翔平が先発で投げている試合が流れていたので、それもとてもよかった。野球の1イニングとサウナの滞在時間はとても親和性が高いのだと知った。おっさんたちは大谷の投球を眺めながら、やけに球種の話をしていた。おっさんが球を見て球種を口にするのは、あれは一種のマウントなのかな、と思った。俺は分かるぞ、という。僕にはまるで分からない。
 サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、を大谷が投げた回数と同じ4回繰り返し、僕のサウナも終わった。失点はなかったものの4回までで降板となったため大谷に勝利はつかなかったが、僕の今日のサウナは大勝利だった。
 サウナを出たあとは、今年初のTシャツ姿となって、車の窓を全開にして帰った。
 帰宅後は、晩ごはんの春巻きの下ごしらえをして過し、子どもが帰ってきたところで一緒に買い物に出た。ポルガの服が少ないということで、買わなければならないと話していて、僕が休みの日にこうして出掛けることにしたのだった。しかしながらポルガの、140センチあたりの服というのは、いま本当につまらないことになっていて、どの店に行っても、うすむらさきとかライトグリーンとかの、すなわちニジューみたいなものばかりで、ぜんぜんポルガ向きのものがなく、大いに困った。というより、店に行っても買える服がないので服が少なくなり、困っていたのだった。結局、男の子向けの棚から、これならまあいいだろうと思うシンプルなシャツなどを選び、数点買った。女子向けの服、本当にひどい。こうなってくると、もう自分の手で作るしかないのではないかと思えてくる。
 帰宅後はすぐに夕飯。春巻きはもう揚げるだけの状態だったので、楽だった。この食卓で、このたびコンビニ以外のスーパーでも販売されるようになった、アサヒスーパードライの、開けると泡が出る例のやつを初めて試してみた。みんな大騒ぎしているけど、結局あれって缶のまま飲んでいた人が感動しているだけであって、常にコップに注いで泡立たせている人には関係ない話でしょ、と斜に構えていたのだが、やって飲んでみて、思わず感動した。もう久しく味わっていない、居酒屋のジョッキのビールの感覚がそこにあって、純粋においしいということに加えて、その体験に歓喜した。ファルマンにも飲ませたら、ファルマンもまた目を瞠って打ち震えていた。僕だって、コロナに関係なく居酒屋飲みなんて久しいけれど、ファルマンに至ってはポルガの妊娠以来、そういう酒の席にはいちども行けていないので、これを飲んでファルマンは、「練馬の居酒屋を思い出した」という。古い。遠い。そんな太古の記憶さえをも掘り起すなんて、なんとすさまじい商品だろうか。それは大売れするはずだ、と思った。
 そんな感じで、一日を通してなかなか心地よいことの多い、いい休日だった。

サウナとタケノコ

 休みの日、またもやおろち湯ったり館へと馳せ参じる。プールに行こうか、それともサウナに行こうか、ということで迷うと、いろいろと思いを巡らせた末に、結局おろち湯ったり館ということになる。少し距離はあっても、わざわざ行く価値がある。それに少し距離があるといったって、かつての倉敷から恋焦がれていた頃に較べれば、ぜんぜん近いのだ。先日、倉敷時代の日記を読んでいたら、「おろち湯ったり館が近所にあれば、ものすごく頻繁に通うだろうなあ」と書いてあって、僕はこの頃の僕の思いに報いなければいけない、ということも思った。実際に島根に暮しはじめたら案外そこまで行かないよ、では寂しいではないか。
 というわけで、桜並木もすっかり葉桜となった木次駅前を通ってたどり着いた、平日日中のおろち湯ったり館は、やはり心地よい人口密度で、のびのびと思う存分に堪能した。泳ぐことと、サウナと、外気浴という、僕が外の世界でしたいことなんて、たぶんこの3つを含めた7つか8つくらいしか項目がないので、それだからいつもこうして純度の高い満足感が得られるのだと思う。前回は陽射しが眩しいほどだったが、今回は雲があって、4月の暑くも寒くもない気温も相俟って、外気浴が一段とよかった。最後の外気浴が終わったあと、脱衣所では、髪はさすがに水が残っていたのでドライヤーをかけたが、体はさらさらに乾いていて、タオルをまったく必要としなかった。裸で自然乾燥されるということは、僕はそのとき、木や岩と同じ無生物状態で、すなわち自然の一部になっていた。風化とはよくいったもので、死んだあとの体は朽ちて、なるほど風になるのだな、ということを思った。サウナは人を若干スピリチュアルにさせて、それがサウナを嗜まない人にとっては気持ち悪いのだと思う。
 その日の晩ごはんは、タケノコご飯にした。実家の近くに住んでるあるあるで、春なのでタケノコが回ってきた。お中元とかお歳暮とかビール券とか、そういうもののやりとりをする一定年齢以上の輩は、春にはタケノコ、夏にはトマト、秋にはイモ、冬にはミカンを送り合う習性を持っている。そのおこぼれが、実家の近くに住んでいるとやってくる。ありがたい。タケノコは、タケノコご飯がいちばん好き。この世のすべてのタケノコ料理を食べたわけではないけど、タケノコご飯がいちばんいい食べ方だと思う。ニンジンも油揚げもいらない。純然たるタケノコご飯。お腹いっぱい食べてしあわせだった。
 本日の記事は、ブログタイトル通りのおこめとおふろの話となった。

やけに花だった春

 桜、花の郷に続いて、今度はチューリップを見に行く。春だからといって、躍起になって花を見ている感がある。よほど鬱屈な冬でも過したのだろうか。
 子どもたちの春休みと、僕の休みが重なったので、どこへ行こうかと思案した結果、そういえば斐川のほうにチューリップ畑があったよな、ということを思い出した。かつての第一次島根移住の際、まだ乳児くらいのポルガと3人で行ったことがあった。ということは2013年の4月か、と推察して「USP」を確認したら、4月22日のことだった。乳児のポルガを連れていたのなんて、ちょっと前のことのような気もするのに、それがもう8年も前のことなのか。しみじみとした気持ちになりながら、8年ぶりに来訪した。
 相変わらずネット上に情報は皆無だったが、行ったらちゃんと咲いていた。しかし8年も経っているので記憶が曖昧なのだが、かつては畑がもっと大規模だったような気もした。あるいは8年で僕が成長したということだろうか。身長も30センチくらい伸びたもんな。
 チューリップは、先日の花の郷で喝破した僕の好みの花のタイプとは違うが、それでもやっぱりメジャーなだけあって、見応えのある花だなと思った。形も色も、本当に子どもがクレヨンで描いたような姿をしている。それでいて、花びらが隠すようにしている内部を覗くと、一転アダルトな雰囲気が漂う。アダルトな雰囲気というか、性器そのものだ。あまりにもおしべとめしべ。たまに動物園で、発情期なのかなんなのか、男性器が勃起している動物がいて、少し気まずい思いをしたりすることがあるが、チューリップって常時その状態というくらい、性器が目立っている。しかし子どもの手前、あまりそのことには触れないほうがいいんだろうなあと思っていたら、ファルマンが「おしべとめしべがすごい」と普通に口にしたので、ああそれはいいのか、と思った。エロの箍が基本的に外れていて、頭の中では常にエロいことを考えている(春ということもあり)のに、第三者とぜんぜん打ち解けた会話をしないでいると、一般的な場面でしゃべってもいいエロと、しゃべってはいけないエロの区別がつかなくなる。もう何年もその症例に悩まされ続けている。そのあと、さまざまな色のチューリップを眺めていて、白いチューリップの中には、本当に真っ白なものと、少し黄みがかったものもがある、ということをポルガがつぶやいたので、(それってまるで精液のようだな)と思ったが、さすがにそれはアウトのほうだろうと察して、声には出さなかった。会話ってけっこう頭を使う。
 チューリップをしばし堪能し、さて買い物でもして帰ろうかと車を少し走らせたら、今度は望外の菜の花畑に遭遇し、そこでも車から降りて少し写真を撮った。菜の花はもう終わったと思っていたので、一面に咲くそれが見られてよかった。菜の花は香りがいいな。
 帰宅後、夕方になったところで、子どもたちを連れて散歩に出る。近所の土手や野原を歩くのは久しぶりで、冬の寂しい感じからどんな変化があったろうかと興味があった。行ってみたら、土手には相変わらずの薄茶色のススキみたいなものが群生していて、あの薄茶色のやつって、枯れてるとかじゃなくて、ああいうもので、1年中ああして枯れてるような姿であの場にのさばるのかよ、と思った。春なのだから、劇的な変化が欲しかった。それでも地面からは、青々とした葉っぱが伸びてきていて、やはり冬とは違った。その中で、「これがすごくたくさん生えてる」と僕が指したものを、ポルガが「それはスギナ。つくしがそれになるんだよ」と教えてくれて、なんだこいつ植物博士かよ、と驚いた。8年前、チューリップを見て、小さな手でチューリップの形を作り、体を揺らしてチューリップの歌を唄っていた2歳児は、年頃になってあまり素直に写真を撮らせてくれなくなったが、その代わりにそんな知識を身につけ、親に教えてくれるようになったか、と感慨深い気持ちになった。
 子どもたちの春休みもとうとう終わろうとしていて、ようやく来た春は、早くも終わりの雰囲気をまとい始めた。桜が散って、GWの気配が近づいてくると、季節はすぐに春というより初夏のようになる。そうなれば、次に見頃になる花は、いよいよオオキンケイギクということになるか。忌み嫌われる特定外来生物のオオキンケイギク、島根県でも咲き乱れるさまを見ることができるだろうか。愉しみ。

プールと感傷

 一家でプールに行った。1月にこちらへ越してきて、初めてのことである。もっとも泳ぐことがまあまあ好きな性分の人間が家族内にいない限り、一般的には1月から4月の間に人はなかなかプールには行かないものだと思う。わが家ではファルマンが唯一、一般的なその観念を持っていて、そのためこのプール行きもさんざん阻まれた。生活が落ち着いたからやっとプールに行けた、ということではなく、本当はもっと早い段階で行こうと思えば行けたのだが、ファルマンの繰り出すさまざまな「行けない要因」によってたどり着けずにいたのだった。「風邪気味だから」「生理だから」というのはもちろん仕方ないが、今日こそはなんの問題もなく行けるだろうと提案したあるときなど、とうとう「今日は風が強いから」という理由で拒まれた。車で行く屋内プールに、風がいったいなんの関係があるというのか。そんな長きに渡る格闘の末に、ようやく大ボスも陥落し、到達したプールなのであった。
 日記にも書いたが、先日おろち湯ったり館にて、僕はいちおうの久しぶり水泳を済ませていた。とはいえあれは温泉施設に併設された15メートルプールである。きちんとしたプールらしいプールは秋以来のことで、やっぱり15メートルと25メートルではぜんぜん違うな、と思った。やっぱりプールはいいな。いちど壁が壊れたら、あとはもう気軽に行ける。僕ひとりなら、これまでもいつでも行けたのだが、結局のところ僕も、初見の所(正確には過去にも行ったことがあるので初見ではないのだが、とてもご無沙汰だった)へひとりで行くのは心細くて、最初は家族と一緒に来たかったのだ。それでこんなに時間がかかった。これからはドバドバ行きたい。
 プールといえば、出雲には50メートルのプールはないようで、それは少し残念だ。思えば倉敷にはやけに50メートルプールがあった。けっこう盛んな土地柄なのだろうか。松江には夏季限定で屋外のものがあるようだが、こちらもそこまでして50メートルプールで泳ぎたいわけではないのだ。実際そこまでの泳力があるわけでもない。50メートルプールってでかくてテンション上がるよね、というくらいの話なのだ。児島の夜の屋外プールは愉しかったな。今後、倉敷になんかしらの用件で行くことはあっても、かの地の市民プールに行くなんてことはまずないだろう。三井アウトレットとか、美観地区とか、県外の人間も行くような場所には、当地にいた頃とぜんぜん変わらない感覚が今もあるけれど、市民プールであるとか、図書館であるとか、火曜日は安売りをするのでよく行っていたスーパーであるとか、そういう生活に根差した施設は、かつてあった繋がりがもう途切れてしまった場所として、思い返すと若干の寂寥感が湧く。もっとも現在のわれわれは、現在のわれわれに見合った、生活に根差した施設を獲得しているのだから、無理にその寂寥感に浸る意味はないのだけど。ただ、引っ越しをするとは、移住をするとは、つまりそういうことなのだ、ということを、こういう寂寥感のような感情が伴うときに、しばしば感じてしまう。人生も、体も、ひとつしかないのだから、これをいい出したらきりがないくせに。

ファルマン38

 ファルマンの誕生日祝いをする。
 プレゼントはもう事前にあげていた。アマゾンで売ってる、アマゾンプライムなどのウェブ上の映像ソフトを、テレビで観られるようにするやつ。それとminneに出品していた、グラニーバッグ風トートバッグも、欲しいというのであげた。うちの妻は誕生日に、ブランド物のバッグではなく、僕のハンドメイドのバッグを欲しがるのか。
 晩ごはんに希望のメニューはあるかと訊ね、いつもなら「カレー」ということになるのだが、カレーはほんの数日前に食べてしまったのと、あと明確に口に出していうわけではないが、ファルマンはきっと、前ほどはカレーが好きではなくなっていて、それはカレーというより、油物全般ということになるが、そのためまったく答えが浮かばなかったようで、絞り出した末に、「次の日にお弁当のおかずになるもの」という、俺はいま誕生日祝いの晩ごはんのメニューを訊いたのだけども? という答えが返ってきたので、仕方なく僕の独断で、その前日に豚のひき肉が安く手に入っていたこともあり、シュウマイにした。「だってほら、誕生日ってなるとシュウマイ食べたくなる人だもんね?」と確認したら、「うん、そうそう」と、食べたいものを考えるという難事業から解放された喜びで、ファルマンは激しくうなずいた。もともと食べものに執着のない人だったが、加齢によって食べたいと思うものの範囲が狭まってきて、いよいよファルマンは食の愉しみから解脱しかかっていると思う。
 ケーキは、いつもの感じで作るつもりだったが、なぜかここにきっぱりと希望を表明してきて、「アイスケーキが食べたい」ということだったので、今回は初めてそういうものを作った。いま思えばこれもまた、ホイップクリームが重たいからという理由だったのかもしれない。ファルマンの家ではたまに供されたらしいが、僕はアイスケーキというものにまるで縁を持たずに生きてきたため、ぼんやりとしたイメージしかなかったが、まあ溶かし気味にしたアイスを型に流して、間にイチゴを挟んだり、皿に出したとき底になる部分にスポンジを敷いたりして凍らせればそれっぽくなるだろう、と思って作り、見事にそれっぽい感じになった。アイスとスポンジの組み合わせは、普通においしかった。ただし間に入れたイチゴは、凍ったら味がせず、ただ氷のようになったので、無駄だった。次回もしも作ることがあれば、イチゴ抜きで作ろう。しかしだとすれば、アイスケーキなんて毎年フルーツで困る僕の誕生日にやればよかった。イチゴのシーズン真っ盛りのこの時期に、イチゴのかいのない食べ方をした。
 子どもたちからのプレゼントは、ポルガは夏用のスリッパを、ピイガはファルマンが仕事中につまむためのおやつを入れるポッドだった。これらは3人で買いに行ったのだが、ポッドを選ぶ際、「お母さんはお仕事になると食べ物を食べないから……」とか、「お母さんは蓋があると外すのが面倒でおやつを食べないから……」とか、娘たちもさんざん、ファルマンの食べ物への関心の低さ、そして面倒臭がりさについて糾弾していた。もちろん僕による扇動があった面も否めない。
 誕生日祝いの際などにはいつもいうが、今年もこうやって家族4人、無事にお祝いができてよかった。なによりである。それでもってファルマンは、これで何歳になったのかといえば、いわゆるひとつの、38歳である。38歳! すごい! 7と8では大違いだ。37歳の僕からすると、38歳という数字ははるか高みにあり、もはや霞がかっている。これから約半年間は、配偶者のことを仰ぎ見て暮そうと思う。

37歳

  誕生日である。シルバーウィークの真っ只中である。去年がそうであったように、シルバーウィークといえども、肝心の20日が狭間の平日だったり土曜だったりして休みじゃない、なんてことはよくある。その点、今年はきっぱり日曜日なので、ちゃんと当日にお祝いをしてもらうことができた。もっともそんな年に限って、毎日が日曜日の身分である。
 今日でめでたく37歳になったわけだが、予想していた通り36歳と37歳の境にはなにも心を動かすものが存在しなかった。20代と30代の間には国境があり、34歳と35歳の間には県境くらいのものがあったように思うが、36歳と37歳の間は市境よりももっと弱く、町区の境くらいの感覚だ。徒歩というわけにはいかないが、自転車でもあれば簡単に行き来できる気がする。もっとも行き来する意味はない。なぜならこっちの町もあっちの町も、ほぼ同じ一帯だからだ。36歳から37歳になる感慨とは、だいたいそんなものだった。
 零時になった瞬間にお祝いメッセージが殺到したせいで誕生日当日は寝不足気味、といういつものギャグは、もう唱える気にもならなかった。この3ヶ月弱、だいぶ混じりっけなしに家族以外と絡んでいない人間が、1年前の時点でそういうやりとりをする存在がひとりもいなかったのに、なぜ今年そんなことになるというのか。なるはずがない。理屈がない。あまりにも理屈が合わないギャグはつまらない。つまらないというか、もはや悲壮感がある。
 そんなわけでちゃんと7時間ほど快眠し、37歳の誕生日の朝を迎える。気候がよくなったので公園に遊びに行きたいとか、文房具屋に子どもの必要なものを買いに行かなければ、といった用件はあったのだけど、さすがは4連休の余裕で、そういったものは明日以降にすればいいということになり、今日は純粋に僕の誕生日を祝う日として、近所のスーパーへの買出し以外はひたすら家にいて、子どもたちは飾り付けの作製、ファルマンはケーキ作りに勤しんだ。誕生日のお祝いをする日に、誕生日のお祝いの準備だけして過ごすなんて、優雅きわまりないな。僕もまた、ヒットくんのフェルト人形を作ったり、ごはんを作ったりして、37歳の誕生日をゆったりと過ごした。平穏なことだ。
 晩ごはんはエビフライ。いちばん好きな食べものは相変わらず餃子だが、今日はエビフライの気分だった。エビフライは好きな食べものランキングの、4位くらいか。食べてちょっと恍惚とするくらいには好き。たっぷりの時間で下拵えも丁寧にしたので仕上がりは上々で、ちゃんと恍惚とすることができた。
 食事のあとはケーキ。僕の誕生日ケーキは、毎年恒例のチョコケーキ。これがしみじみとおいしい。誕生日ケーキに関して、いちごコンプレックスが数年前まであったが、夏が終わってチョコレートに感激できるタイミングなのだと喝破してから、心が安らかになった。これからは板チョコを持ち歩くのもやぶさかじゃない季節だ。
 ケーキのあとはプレゼントをもらう。ファルマンからは既にひと月ほど前に、財布をもらっていた。子どもたちは、ポルガが縄跳び、ピイガがエコバッグをくれた。どちらもなかなか実用的で、成長したものだと思う。あと恒例の手紙や冊子いろいろ。この3ヶ月弱は特に絡む時間が長く(僕が家にいるからだが)、悩まされる機会も多かったが、しかしまあ素直に誕生日をお祝いしてくれる姿を見ると、問答無用で愛しい。やっぱり家族の誕生日のお祝いは、末永く、なるべく力を注いでやるべきだな、と思いを新たにした。
 そんな37歳の誕生日だった。
 


人生いろいろ

 8月31日という日。
 とはいえ子どもたちの夏休みは、今年は1週間ほど前に終わっていて、すでに日常が戻っているのだった。しかし何度もいうけど、新型コロナで焦点がずれてしまっているが、今年の暑さは異常で、実はちょうど今日をもって、高梁市は今月9日からずっと続いていた連続猛暑日が23日となり、これは1990年と94年に大分県日田市が記録した22日を超えて、歴代最長記録の樹立であるらしい。めでたい! のかめでたくないのかいまいち判らない。こんなに暑くてつらい思いをしているのだから客観的な記録として後世に残るくらいの称揚がなければやってられない、という気もするし、記録なんてどうでもいいから涼しくなれよ、という気もする。あるいは、時おり雨など降って地面が冷えたりして、そこまで連続猛暑日が続いていない地域が見て、「高梁イキってんね笑」と揶揄の対象になっているのだとすれば、一抹の気恥ずかしさもある。とにかくどう捉えていいのかさっぱり判らない。ちなみに、どうしてこの記録に関してこんなに思いを馳せているのかというと、なにぶん今回の高梁市の記録に関しては、同県民というだけで便乗して盛り上がっているわけではないからだ。ひとつ前の記事、「井倉洞へ」で書いたが、まさに連続猛暑日真っ最中の、正確な日付としては8月21日のことになるが、そこでわれわれ一家は猛暑の高梁市の市街を目の当たりにしたのだ。なるほどこの暑さか、というものを体験、体感したのだ。そう考えるともはや、われわれ一家もこの記録には一枚噛んでいるといって差し支えない。日本の気象史に刻まれたこの記録に、パピロウ一家は深い関わり合いを持つ。
 そしてちょうどそれとおんなじくらいのゆるーいつながりの、「としまえん」が、今日をもって営業を終了するのだった。なにしろかつては練馬区民だったので、としまえんには数えきれないほどの思い出がある、……ということはない。そもそも遊園地に行くようなタイプではないのに加えて、としまえんというのはファミリー向けに特化したタイプの遊園地であるわけで、22歳から練馬区民となり、27歳に子どもが生まれて東日本大震災が起こり(ほぼほぼ同時)、28歳で島根県へと移住した僕は、としまえんに行く機会が実際ほとんどなかった。それでも1回、いや2回だったかな、入園したことはあったと思う。なにをしたという思い出もないけど。今回の閉園のニュースを見ながらファルマンと、「あのまま練馬で暮してたらやっぱり子どもと遊びに行ったりしてたのかねえ」なんて話したりした。島根移住を決断した際、ポルガはもちろん既にこの世に存在していたが、ピイガは島根で生まれたので、練馬暮しを続けていた場合ピイガはこの世にいなかったかもしれない。パラレルワールド。
 パラレルワールドといえば、やっぱり今年の夏は「新型コロナのせいで東京オリンピックが行なわれなかったほうの2020年」という感じがあって、そんな夏の終わりに安倍晋三が辞任表明をしたので、いよいよ「ひっちゃかめっちゃかなほうの未来」という感じが強まった。一方の未来の安倍晋三は、無事に開催された東京オリンピックにおいて安倍マリオとして再登場し大喝采を受けていたかもしれないのに、こちらでは心労がたたって持病再発である。未来も、人生も、確定的なことなんてひとつもないんだな、ということをしみじみと思う。安倍晋三は7年8ヶ月も総理大臣だったそうで、就任は2012年の12月26日。僕はこのときの、自民党が民主党から政権を奪還した選挙結果のニュースを、病院のロビーのテレビで見た記憶があったので、あああれはピイガの誕生間近(1月4日)の産婦人科での出来事か、としまえんも安倍晋三もピイガもつながってるんだな、と思ったのだが、よく考えてみたらピイガはいま6歳であり、その誕生は2014年のことなので、別に関係なかった。あの病院は酒蔵で足を挫いたときに行ったやつだ。安倍晋三は僕が酒蔵で働いていたときからずっと総理大臣だったのか。長かったな。

井倉洞へ

 数日前の出来事になるが、そろそろ子どもたちの夏休みも終わるということで、短いし遠出もできなかった今年の夏の、せめてもの思い出作りとして、新見市にあるという井倉洞という洞窟へと遊びに行った。この何日か前、夕方の地方ニュースで紹介されていてその存在を知ったのだった。テレビで紹介されたばかりだから人が殺到しているだろうかという危惧もあったが、なにぶん夏休みとはいえ世間的には平日なので、まあ大丈夫だろうと判断して向かった。
 新見市は、山陰地方への鉄路、特急やくも擁する伯備線が市を縦断するように走っていて、そのひとつ手前の高梁市ともども、地名駅名になんとなく馴染みはありながらも、実際に降り立ったことはないため、知り合いなのか知り合いじゃないのか微妙な距離感の相手、という印象の街。道程は、高梁川と、伯備線と、そして我々の使った180号線が、三つ編みのように入り組み、なかなかフォトジェニックな景色が随所に見られた。高梁市の市街というのも、街の中には入らなかったが道から様子を垣間見て、城下町だからか、なんだか独特の雰囲気がありそうだな、と思った。総社市のように気楽に岡山倉敷に出てこられる距離感ではなさそうだが、それゆえの矜持なんかもあるような気がする。よその土地を覗き、その暮しに思いを馳せて、だとすればこれは小旅行といっていいかもしれない。ちなみに新見市街は、我々の目的地である井倉洞よりもさらに先へ進んだほうにあるため見ていない。東京などだと、細かい間隔で駅があって、その駅ごとにわりとちゃんと駅前の街並みが形成されているため、街と街の間に隙間というものがないけれど、「高梁」から「新見」なんていうのは、昔なんかだと特に、高梁を出て川伝いにずっと進むと、ようやく山の中に新見が現れる、みたいな感じだったんだろう。
 そんなこんなで井倉洞に到着する。駐車場は空いていた。やはり平日だからだろうか。それとも外出は控えたほうがいいレベルの暑さだからだろうか。駐車場から洞窟の入り口までは、そこまで離れているわけではなかったが、それでもだいぶやられた。そもそも高梁市のあたりというのは、県内の天気予報でもいつもやけに高温を記録しているエリアなのである。いわれてみれば陽射しが強い気がする。空気がきれいだからだろうか。岡山倉敷もそんな空気が汚くなるほどの都市だとは思えないけどな。
 入洞料を払って、歩道橋を渡る。高梁川の向こう側にある岩山に、井倉洞はあるのだった。橋を渡りきり、入り口に近づいたところで、空気が明確に変わる。洞窟の中は涼しい、というのは行く前の下調べでもちろん知っていたが、こうも違うものかと思った。ちなみに、そもそも僕は洞窟というものが、おそらく初体験なのである。もちろん子どもたちもそう。ファルマンだけは違う。ファルマンは「子どものころ近所の洞窟で友達と……」みたいなエピソードトークをしていた。近所の洞窟ってなんだろう。
 井倉洞は全長1200メートルあり、アップダウンも激しい鍾乳洞である。他の洞窟のことは知らないが、初体験の洞窟としてはなかなかにアグレッシブだった。子どもが小さ過ぎたら行けないし、年を取り過ぎたら親が行きたくない。そう考えると今回はいいタイミングで行ったのではないかと思う。洞窟内は全体が水気に満ち満ちていて、あちこちから水滴が垂れていた。これも事前調査で、「だから大事なカメラは持ってこないほうがいい」という情報を得ていたので、今回のレジャーにはデジタル一眼レフは携えなかった。そのためタブレットで適当に写真や動画を撮りつつ、洞内を進んだ。洞内は、つらら石や石筍があちこちにあり、というかそれらが壁を形成しているような有様だったが、通路は通路として整備されているので、どこからどこまでが自然物でどこからどこまでが人工物なのか、いまいち判然としなかった。そのため36歳になって初めての鍾乳洞体験をした感想は、「テーマパークみたいだな」という、わざわざ連れてきた果以のないもので、それでもテーマパークにしろ天然の鍾乳洞にしろ、異空間であることには違いはなく、そういう場所に家族で来ると、とにかく思い出的で充足感がある。なので満足だ。それと中を歩きながら、もちろんその場では口には出さなかったものの、やはりずっと(いま大地震が来たら……)という不安が頭の中にあった。いま大地震が来て生き埋めになったら、我々一家が井倉洞に来ていたという事実を誰が知るだろう? 駐車場に車があるからそこから判明するだろうか、などと終始思っていた。幸いなんともなく無事に外界に出ることができた。無用な心配で済んでよかった。
 洞内は涼しかったが、アップダウンが激しいので運動になり、体が冷えるわけではない。そして外に出たらもちろんひどい暑さで、駐車場までの道のりはつらく、結局トータルで、洞窟の優しい涼しさなど掻き消えるほどに暑かった。車内だってエアコンは効かすものの、窓から陽射しは受け続けるのだ。
 帰宅した頃にはヘトヘトで、ポルガは例のごとく「頭が痛い」と言い出し、両親は仮眠を取らずにはおれなくなり、ピイガはひとり元気でうるさく、夕方以降はグダグダだった。でもテレビで見たときから「行ってみたいね」といっていたそこへ、この変な夏の思い出作りとして行かなかったら、たぶんずっと後悔した気がするので、行ってよかった。

夏に打ち勝つ模様替え

 それ以外にほとんどいうことがないのだが、暑すぎる。人生は、なにかをするには短すぎるし、なにもしないには長すぎる、という、誰にとっても絶望的などうしようもない言葉があるけれど、それでいうならこの夏は、なにかをするには暑すぎるし、なにもしないにも暑すぎる。とにもかくにも暑い。
 しかしこのままではあまりにも無駄に日々が過ぎ去ってしまう、どうにかここで一念発起し、夏に対して一矢報いてやろうではないかと夫婦で話し合った結果、模様替えを決行した。もはやプロペ家名物といってもいい、模様替え。聖家族とはよくいったもので、完成しないという完成された芸術としての、我々はプロペダ・ファミリアなのかもしれない。
 今回の模様替えの大きなトピックスとしては、僕とファルマンのパソコン机が、別々の部屋になったことだ。一緒に暮しはじめてからこれまで、このふたつは、背中合わせ、向き合い、横並びと、いろいろな配置を変遷しながらも、常に同じ部屋に在った。それが今回、とうとう別れたのである。別れた、という表現をあえて使い、不穏な空気をにおわせてみたが、もちろん夫婦関係がどうにかなったわけではない。もし本当にそうだとしたらこんなことをわざわざ書くわけがない。じゃあどういう事情か、といえば、これまでパソコン机をふたつ置いていた夫婦の寝室が実は狭くて不便だったとか、エアコンの冷風とベッドの配置がよろしくないとか、寝室のスペースに余裕ができたらクローゼットの中に置いているプリンタ複合機を外の世界に引っ張り出すことができて使いやすくなるとかの、ワールドワイドウェブに記しても仕方ない、生活の中の細々とした事情である。とはいえそれらの理由は、別に最近になって発生したものではない。この形になってからずっとあった問題だった。しかしそれはこれまでずっと黙殺され続け、そしてこのたび突如として改善された。なぜか。それは約1ヶ月半前にわが家にやってきた、工業用ミシンが関係している。あのタイミングで手に入れるしかなかった工業用ミシンは、居間に半ば強引に設置し、それ以来居間の一角は僕のハンドメイドスペースの様相を呈していたわけだが、ならばもういっそのことパソコンもこっちに持ってきて、完全に僕のエリアにしてしまえばいいのではないか。平時にただパソコン机を居間に持ってくる選択肢はなかったが、強制的な工業用ミシンの来襲によって、にわかに機運が高まった。そんなわけで、「工業用ミシンがやってきた」という「nw」に投稿した記事内の写真では、オーバーロックミシンを置いているスペース、ここにパソコンを置くことにした。オーバーロックミシンは、直線ミシンの横にあったらすごく便利だ、ということを記したが、あの当時は無職になってすぐで張り切っていて、子どものブラウスなどを盛んに作っていたのでたしかに便利だったが、最近は衣類はひと段落してヒットくん人形とか小物を中心に作っているため、オーバーロックミシンは実は使っていなかった。実際、服作りをコンスタントに行なうわけではない限り、オーバーロックミシンがすぐに使える状態にあるメリットはそこまでない。というわけでそれは棚に仕舞い、代わりにパソコンを置いた。工業用ミシンのでかいテーブルはなんと便利なのだろう。ミシンのすぐ横にパソコンがあり、マウスを少し大きく動かせば、マウスがミシンの押さえにぶつかってしまうような環境。こじんまりとしているが、足りている。むしろこのコンパクトさが愛しい。そしてファルマンはファルマンで、部屋から僕のパソコン机一式がなくなったのだから、もちろん部屋に余裕ができ、これまでは椅子を満足に引くことさえできないような状態だったのだが(椅子がでかすぎるのだ、という説もある)、それも改善された。だからお互いにとってよかったに違いない。
 あとちなみに、今回のパソコン別離移動が実行に移されたのは、なんだかんだでパソコンの比重が下がっているのも要因だと思う。ふたりとも、毎晩1時間半くらいかけて、とりあえずブログの記事をアップする、というような暮しをしていた頃だったら、その別離はあまりにも別離すぎて、やらなかったと思う。現在はブログの更新頻度がそこまでじゃなくなったし、それぞれタブレットでインターネットもだいぶするようになったので、パソコン=居場所じゃなくなった。そういう時代の趨勢も影響していると思う。
 しかしとにかく気分転換になった。パソコンの配置が変わるとリフレッシュして愉しい。ベッドの向きも変わったので、それも今晩から新鮮だろうと思う。勝ちたい。夏に勝ちたい。勝たないまでも、ちょっとでも軍勢を押し返してやりたいじゃないか。

白昼夢

 子どもが夏休みに入り、僕もなんかずっと家にいる、不思議な夏が始まった。子どもたちに夏休み用のドリルが必要だというので、大きい本屋の入っているイオンに行こう、となったのだが、月のはじめは土日だったので、「じゃあ空いてる月曜日に行こうぜ」なんてことが簡単にできてしまい、特殊な感覚だなあと思った。
 もっとも悠々自適がどこまでも快適かといえばそんなこともなく、けっこう時間を持て余す感じもある。ましてや子どもがいるので、ファルマンとふたりだった7月のように、ひとりでフラッと出掛けるようなことはなんとなく憚られ、かといって一家でどこかへ行くにしても、イオンへはもう行ってしまったし、公園で遊べるような気温じゃないしで、わりとあぐねるのだった。
 そんなわけで今日なんかは、海へと遊びに行った。といってももちろん泳いだりしたわけではない。そもそも今年は、他の地域もそうであるように、我々のところの海水浴場も開設していないのだ。そのため海水浴シーズンじゃないときと同じように、波打ち際でパシャパシャだけをしに行った。行ったら、平日とはいえそれなりに人がいて、海水浴場の営業がないとはいえ自己責任で遊泳している人もいた。普段の夏場には寄り付かないので、これが例年に比べてどの程度の賑わいなのかは定かではない。あと、「それなりに人がいて」という言葉は、ふだん湘南の海とかで遊ぶ人と、地方の人とで、思い浮かべるイメージがぜんぜん違ってくるだろうとも思う。具体的に言うと、端から端までぜんぜん駆け抜けられないくらいの広い海岸に、ざっと20グループくらい。そういう人出。波打ち際で脚を浸して遊ぶ娘たちの写真を撮るにあたり、第三者が入り込んでくる心配はぜんぜんない、当世流行りのソーシャルディスタンスな密度であった。波は穏やかで、砂浜は暑く、水はひんやりとしていて気持ちがよかった。夏の海だった。目的通り、裾をまくって、しばらく脚だけ浸し、波を感じたりして過ごした。猛暑日になろうかという昼過ぎの陽射しは強く、20分ほどで頭はぼんやりしはじめ、少し慌てて車へと戻った。あとから思い返して、この不思議な夏の、白昼夢のように感じるひとときだったかもしれない。
 余談だが、この海岸と、6月まで働いていた職場はまあまあ近いので、海岸に向かう前に、急遽ちょっと様子を見に立ち寄った。様子を見に、というのは現在そこが取り壊しの真っ最中だからで、職場の近くに住んでいた同僚に、「たまに解体状況の写真でも送ってよ」と、数少ないLINE友だちなので在勤時に頼み、すると7月下旬にいちど実際に送ってきてくれて、その画像ではもうけっこう建物は壁だけしか残っていないような状態になっていて、ほほー、と思ったりしたのだが、せっかくここまで来たのだから自分の目でも見ようじゃないか、と思ったのだった。というわけで見に行ったら、建物そのものはまだ残っていたが、壁は一部なくなってきていて、剥離させた壁や鉄骨を、ショベルカーみたいな重機が、かつての駐車場に積み上げていた。そのさまを見て、やっぱり、ほほー、と思った。在籍年数6年あまりというのが、長いのか短いのかよく判らないが、案外ぜんぜん感慨深かったりしないものなんだな、と思った。土地や建物への愛着や愛執というものが、やっぱり広島に半世紀近くいた叔父も(話したわけではないが確信をもっていえることとして)そうであったように、血筋によるものなのかなんなのか、どうもない。軌跡といえば軌跡だが、軌跡が現存しているかどうかって大事なことか? という気がする。一方で、そういう個人的な要素に特別な感情を抱くことこそが人間的ってことだろう、という気もする。爬虫類じゃねんだから、と。かつて勤めた会社の建物が解体されていること自体には感情は揺さぶられなかったが、そのことに対して自分はどう感じるべきか、ということについて思いを巡らせることとなった、かつての職場見学だった。8月中に解体は終わるらしいので、あの建物を肉眼で見るのは今日が最後だったろうな。
 いやはや、なんだか不思議な夏。