ヒトカラ裁縫公園

 平日の休みを堪能する。またこのブログが休日日記の様相を呈している。「暮し」をテーマにしたブログは、どうしたってそうなる傾向がある。
 平日なので子どもたちは当然学校で、これまでだとファルマンはいて、仕事だったり仕事がなかったりして、ない場合はふたりで買い物に行ったりしていたわけだけど、ファルマンは目下教習所通いで、毎日3時間から、多い日では昼を挟んで5時間も教習を受けており、この日も5時間コースとのことで、つまり午後3時くらいまで完全にひとりでフリーという状態になった。それでいつもならサウナということになるのだが、今日は裁縫でしたいことがあったので止すことにして、10時の開店に合わせて手芸屋に行った。そして必要なものを買い込んだ。
 その帰りに、なんとなく気が向いて、ひとりでカラオケに行くことにした。実は珍しく連休で、翌日も休みだったため、心に余裕があった。そして翌日はファルマンの教習所が午前のみということで、ならばこんなにひとり自由なのは今日だけだ、これはヒトカラをする千載一遇のチャンスだ、と思ったのだった。というわけで生まれて初めてのヒトカラ体験をした。ヒトカラは、ファルマンから話で聞いていたけれど、休んだり選曲に悩んだりする時間がなくて、慌ただしかった。急な思いつきで来たため、今度カラオケに行ったら唄おうと思っていた数曲以外はその場で考えなければならず、結果としてその点に多少の忸怩たる思いを抱いた。今度またやることがあったら、ソロライブでもやるんか、というくらい本当に計画的に曲をセレクトしていこうと思った。唄ったのは、ちあきなおみの「喝采」に始まり、武田鉄矢の「少年期」や「雲がゆくのは」、フォーリーブス「ブルドッグ」、山口百恵「乙女座宮」、平井堅「君の好きなとこ」、Kiroro「未来へ」、チェッカーズ「ギザギザハートの子守歌」、桜田淳子「20才になれば」、中島みゆき「命の別名」など。またどうしても唄いたかった3曲として、最近はまっているカーペンターズの「Top of the world」、「Yesterday once more」、そして古田喜昭「パーマンはそこにいる」も唄った。前者のふたつは、やっぱり英語を流暢に唄うのは難しく、これはヒトカラで引き続き練習していかんとなあと、いつ家族以外の他人に披露する機会があるのか分からないが思った。後者のそれは、少し前に借りたFのアニメソングCDに収録されていたものを聴いて、サビの部分は知っていたけど、この歌ってこんなにいい歌だったのかと感動し、ぜひ唄おうと思っていたのだった。これは本当にいい歌。聴くたびにほれぼれする。唄ってももちろん気持ちよかった。ただし画面に表示される歌詞によって、自分が1ヶ所勘違いしていたことを知ってしまった。CDで聴くだけだから分からなかった。「実は欠陥スーパーマン」というのが正しい歌詞なのだが、僕はこれを「実は結果スーパーマン」だとずっと思っていた。スーがスーッと消えて、結果としてパーマンだから、「結果」だと思っていた。まさか「欠陥」とは。もっともこの表現はなかなか昭和的なんじゃないか、とも思う。現代はあまり、人格のあるものに対して欠陥という言い回しは使わないんじゃないかと思った。そんな初めてのヒトカラだった。1時間半で、500円程度。なるほどいいもんだな。
 そのあとは帰宅して、ファルマンの教習が終わるまでの時間で、裁縫。母の知り合いに依頼された合唱用マスクを作る。母に10枚ほど作って送ったものを、母が周囲に配ったおかげで、追加の注文が来たのだった。しかし布マスクも、合唱団も、ワクチンも、緊急事態宣言も、東京オリンピックも、なんだかもういろいろ混沌としているな、としみじみ思う。
 終わりの時間めがけて教習所まで迎えに行き、帰宅後はまた次の裁縫作業。やがて子どもたちも帰ってきた。裁縫をしつつ、晩ごはんの支度をする。晩ごはんは、前日に子どもたちにリクエストを訊ね、するとピイガはいつも「うどん!」と答えるので、「晩ごはんにうどんはちょっと……」となるのだけど、雨で少し肌寒かったので、今日は本当に肉たっぷりのうどんを作り、あと炊き込みごはんや、出来合いのごぼうサラダなどで献立とした。おいしかった。
 翌日の今日は、ファルマンが昼に帰ってくるので、遊びに出たりせず、粛々と裁縫に没頭した。おかげでまあまあ進む。これは近日中に「nw」にアップできるだろうと思う。
 夕方に子どもたちが帰ってきたところで、みんなで公園に行った。最近は土日に子どもたちと遊べず、微妙に後ろめたさがあるので、こうして子どもたちが疲れても問題ない金曜日の夕方に積極的に連れ出すようにしている。週末は(あくまで島根レベルで)賑わう大きな公園なのだが、平日の夕方は貸し切り状態で、遊びやすかった。このご時世における公園の貸し切りのなにがいいって、マスクが外せることだ。僕も気合を入れてトレーニングウエアに着替えて行ったので、子らとともにアスレチックを愉しんだ。ジャングルジムに登ったり、縄でネットになっている斜面を移動したりして、まだまだ体は快活に動くな、と確認した。
 帰宅して、晩ごはんは手羽中の唐揚げ。昨日から調味料に漬け込んでおいたため、味はしっかり浸みているし、調理も簡単で、実に計画的なのだった。片栗粉をたくさんまぶし、好みのゴリゴリとした具合に仕上げる。やっぱりひと晩漬け込むと格別においしい。家族から大好評を得たので気分がよかった。

休日つらつら

 山陰で暮していて、しみじみと、やっぱりこちらは山陽よりも寒い土地なのだなと思う。もうネーミングが全てを表していて、いうまでもない自明の理なのだけど、実感として思った。三寒四温という言葉は、3日寒いと4日暖かくて、そんなことを繰り返しながら冬はだんだん春へと移行していく、という意味だけど、山陽のそれは二寒五温くらいのものだったけど、山陰は五・五(5,5)寒一・五(1,5)温くらいの感じだと思う。そもそも5月にもなって三寒四温という言葉に思いを馳せることが、山陽時代にはなかった。山陰ビギナー(ご無沙汰過ぎて山陰処女膜が復活した)のわが家は、その一・五温の日に、これからは暖かくなっていく一方だと早とちりして、毛布を仕舞ったり衣替えをしたりしてしまい、夜半になって慌てて押し入れから取り出したりした。もっともこれでも近代的な賃貸住宅に住むわが家はマシなほうらしく、実家に顔を出して帰ってきたファルマンは、「実家はまた一段と寒い」という。実際、本当につい先日までコタツが出ていたらしい。なんとなく、石川県や新潟県より左の地域は、あまり寒さを声高に叫べない雰囲気、いわば寒さマウントのようなものがこの国にはあって、たしかに北陸よりも右の地域に較べれば、山陰の寒さというのはいくらか緩いのだろうが、だけどなんていうか、この喩えがいいのかどうか分からないが、生活保護を申請できるほどではないけど、でもかなり深刻な貧困だ、というような、リアルなひもじい寒さがこの地域にはある。
 それでも季節は巡る。GWを境に、あちこちの田んぼに水が張られた。以前にも書いたが、水を張った、苗を植える前の、長くても1週間もないこの状態が、とても好きだ。昨年の稲刈り後、何ヶ月もただの荒地のようになっていた場所が、ある日突然大きくて四角い池になる。大袈裟にいうと、陸だった場所が、急に海になるのだといってもいい。米作りという、どこまでも日本人の生活に根差した現実的な行為でありながら、やけにファンタジックだと思う。
 そして田んぼに水が張られると、どこから湧くのか、というくらい間髪入れずに、蛙の合唱が始まる。これが本当にすさまじい。水が張られて以降、この街には絶えず蛙のゲコゲコゲコゲコゲコゲコが響き続けている。主張をしたいのは分かるが、そんなあまりに一斉に鳴いたら、互いに相殺されて意味がないだろう、もうちょっと駆け引きというものをしたらどうなんだ、と思う。そして、そんな猛アピールをした結果、めでたく受精と相成った場合、やがてオタマジャクシが誕生するわけで、なんか蛙って、性そのものだ。都会の夜の繁華街の性の乱れなんて目じゃない。この性の横溢はどうだろうか。
 そんなことを思いながら、昨晩は休みの前夜だったので、ひとり夜更かしをした。チーズカレーヌードルを啜りながらロングのストロング缶を飲むという、ただただジャンクな晩酌をした。アルコールについての印象は、タイミングによってさまざまに変化し、なんとなくこの夜は、酒は酩酊するために飲むもんだよ、夕飯時にビールを1缶なんてのはまったくの無意味で、飲むんだったら強いのをちゃんとした量飲んで、きちんと酔っぱらわなきゃしょうがないよ、という気分だった。ひとりで短時間でストロング缶を干すと、それなりに酔いが回り、ちゃんといい気持ちになった。寝床に行くと、相変わらず寝つきの悪いファルマンはまだ起きていた。いい気持ちになっている僕は、「明日ふたりでカラオケ行こうよ!」といってすぐに寝た。
 翌日の、すなわち今日はゆっくり起きて、ゆったりと午前中を過した。ファルマンは午前中に仕事があった。昼前にそれが終わり、早めの昼ごはんを食べてから、子どもたちが帰ってくる夕方まで、さてどうしようか、ということになった。本当にカラオケに行こうかとも思ったが、やはり酔っていたときほどの乗り気はなくて、また今度ということになった。代わりに、近所のディーラーに車を見に行った。ファルマンが免許を取るので、いま僕が乗っているMRワゴンを主にファルマン用とし、僕用に普通車を買うという計画があるのだ。それはここでの暮しにおいてどうしたって必要なことで、そもそもそのためにファルマンは教習所に通っているわけなのだけど、普通車という大きな出費に思いを馳せるにつけ、また軽自動車のようなかわいげがない普通車の選択肢にテンションが上がらないにつけ、これまでなんとなく気乗りせず、ファルマンを怒らせたりしていたのだけど、先日ようやく候補のひとつを見に行ったら、大きくて新しい車は存外いいもんだと改心し、やっと気持ちが入ったのだった。それで今日は別の候補を見に行った。しかし今日見たのはあまりよくなかった。実物を見る前は、自分の中で今日見に行ったもののほうが有力だったのだけど、実際に中に入って体感したら、先日のもののほうがよかった。見る順番を逆にしなくてよかった。先にこちらを見に来ていたら、車選びそのものにやはりテンションが下がっていたことだろう。まあ高い買い物なので、これで決定というわけにはいかない。気長に選ぼう、といいたいところだが、ファルマンという人間は気長ではないからなあ。
 子どもたちが帰ってくる前に帰宅。夕飯に茄子の揚げ浸しを作ったら、そのおいしさに感動した。油を吸った茄子のうまさときたらどうだ。思わずビールを1缶飲んだ。

休日

 平日の休日。GWの鬱憤を晴らすために全力を注いだ。
 朝はまず寝坊をした。登校の子どもたちが既にいないのはもちろん、ファルマンも教習所の迎えのバスの待ち合わせ場所にいまから出発するというところで、「もう行くから洗濯物を干しといてね」という感じで起こされた。昨晩は昨晩で夜更かしを堪能したが、それでもたっぷりの睡眠時間だった。なんか、豪華客船に乗った夢を見たな。
 ファルマンを送ったあと、朝ごはんを食べて、洗濯物を干す。ついでにずっと気になっていた食器棚の扉の緩みであるとか、居間に置いてある戸棚の整理など、「実際にやったらすぐにできるのだけど、労働の続いている日々ではどうもする気が起きず、やってみたら意外とコスパよく爽快感がある作業」なんかもしてしまう。気持ちいい。休日は尊い。
 洗い物まで済ませたところで、僕も家を出る。どこへ行ったか。もちろんサウナである。今回の目的地は、「湯ったり館」でも「ゆらり」でもなく、「四季荘」。これまでまったく認識していなかった場所で、なんてったって普通の旅館なのだが、このたびここへ、やけに本格的なサウナゾーンができたという情報を得て、その評判を見るにつけ、行かずにおられるか、となって行くことにした。情報を見ると、オープンしたのはGWに間に合わせたのだろう4月26日とのことで、本当にできてすぐである。なにしろまだ1セット分しか施設ができていないとのことで、男女が日替わりで利用する形なのだ。幸い、2分の1の確率で、今日は男性が利用できる日であり、ますます行かずにはおられなかった。
 旅館は、ずいぶんな山の中にあった。温泉を謳う看板は道中にもたくさんあり、いわゆる日本三大美人の湯のひとつとして知られる湯の川温泉のエリアなのだった。そういう、温泉で名高いところが、サウナにも本気を出すというのが、いい。ありがたい話である。フロントの券売機でサウナ付き入浴券を買って入場。ちなみにお値段は900円。なかなかいい値段を取るな、と入る前は思う。入ったあとは思わない。入ってまずある浴場と露天風呂は、普通だ。普通といったって、湯の川温泉の旅館である。ちょっと僕は驕っているのではないか。露天風呂から見える景色は、ひたすら森と空である。普通じゃないだろう。しかし今日の主目的はあくまでサウナである。体を洗ったあとは、バンドを付けた人しか入れないサウナゾーンにすぐ入った。入るとそこにはゆとりのあるスペースに、外気浴のための椅子が5つ並んでいた。椅子というと、あんな椅子を思い浮かべるかもしれない。あんな椅子ではない。なんか、いい感じの、リラックスチェアーのやつだ。そして噂の、水深160センチという水風呂も奥に見える。見える景色はもちろん森と空。そんな空間だった。そんな空間が、無人でそこにあった。無人! 平日の、開館時間直後とはいえ、ここが無人! これって大富豪とかがプライベートで実現するやつなんじゃねえの、と打ち震えながら、まずはとにかくサウナ室に入ることにした。サウナ室は、やはりできたばかりのため清潔で、なにより今般のサウナブームの流れで作られた、今般のサウナだな、という印象を抱いた。座る場所には仕切りがあり、周囲にいる人が気にならず、サウナに集中できる。さらには会話防止の狙いもあるのかもしれない。もっとも今日の僕の場合、なにぶん貸し切りだったので、あまり意味はなかった。それにしたって、これまでどのサウナに行っても、地元の老人同士の会話というのはあって、サウナというのはそういうものだと諦観していたが、それがない世界を目の当たりにして、感動した。これはオープン直後でまだそこまで認知されていないからだろうか。あるいは900円という値段も、老人の溜まり場になるのを阻止しているのかもしれない。あとサウナ内にテレビは必要あるのかどうか問題で、先日「ゆらり」で久しぶりにサウナテレビに遭遇し、そのときは大谷の登板試合が中継されていたので存外よかった、ということを書いたが、こちらにもテレビはあり、あるのだが、そこには延々と、焚火の映像が流れていて、さすがにこれは今般のサウナブームの流れ過ぎるだろうと、若干の馬鹿らしさも感じたが、しかしテレビって、テレビショッピングだったり、サスペンスの再放送だったり、本当にどうしようもないものが流れているときもあるので、これはこれでひとつの正解ということにするべきなんだろうな、と思った。そうして焚火の映像を眺め、パチパチと薪の爆ぜる音なんかを聴きながら、最初の10分あまりを過した。過したあとは待望の水風呂だ。身長ほどの深さのある水風呂などというのは初めてで、どういう感じなのだろうとわくわくした。入ってみたら、新しい世界が開けた、というほど劇的なことはなかったけれど、やはり中腰で浸かるのと全身を埋めるのとでは、その面積の分だけ気持ちがよかった。そもそも僕は、水風呂よりも外気浴に重きを置くタイプなのだ。というわけでいそいそとリラックスチェアーのゾーンへ。椅子は2種類あり、ふたつは脚が曲線になっていて、前後に揺れるタイプのやつ。みっつは体を乗せる部分が帆布のような丈夫な布で、ハンモックのような感じで座れるやつ。まず前後に揺れるほうを選択した。腰を下ろし、空と森を眺める。格別である。無人、無音。なんだこの状態、いいのかこの状態、と思う。罰が当たらないか、と。そのくらい心地よい時間を過したが、椅子に関してはミスったと思った。前後に揺れる機構は、その揺らし方の強弱について、どの程度がいちばんいいのか探求する気持ちが湧いてしまい、どうも落ち着かなかった。こんなことに思い煩わなくていい、と思った。なので2回目の外気浴では、ハンモックのほうを選んだ。こっちのほうが数段よかった。それに座りながら、ウトウトできたら最高に気持ちいいだろうな、ということを思ったが、たっぷり寝ていたため、眠気がまるでなく、それは実現しなかった。ちっとも睡眠不足じゃないのが残念だという、あまりにも贅沢すぎる悩み。結局その、サウナ水風呂外気浴という、いわゆるセットというものを、4回繰り返した。途中ではオートロウリュがあり、それもとてもよかった。この間、とうとう他の客には遭遇せず、あまりにも贅沢な空間と時間を、独り占めすることができた。有り余る幸福感だった。あまりにもよかったので、ちょっと他のサウナ施設がかすんでしまうほどだが、今日は特別だろうとも思った。そのうちテレビとか口コミで評判になれば、人も増えるに違いない。いつかそれに関連して、裏切られたような気持になるショックなことも起きるかもしれないが、それまではちょくちょく行こうかな、と思った。とにかく今日のことは、現実とは思えないようないい体験だった。
 帰宅後は、帰りに買ったかつ丼で昼ごはん。ファルマンももう帰っていたが、寝不足のようで昼寝に入ったため、ひとりで夕飯の下ごしらえや、筋トレをして過した。
 やがて子どもたちが帰ってくる時間となり、ピイガよりも1時間遅いポルガが帰ってきたところで、3人でプールに繰り出す。今日はもとからそういう約束になっていた。そのため、午前中サウナで夕方プールという、あまりまともに服を着ない一日となった。ファルマンがいない3人でのプールは、子どもたちだけでの脱衣所での不安もさることながら、ポルガはともかくピイガは付きっきりでずっと見ていなければならず、行く前から分かっていたことだが、自分のスイミング的な欲求はほとんど満たすことができなかった。でもまあ、子どもたちとプールで遊べたから別にぜんぜんいい。
 帰ったあとはすぐに晩ごはん。マカロニサラダは既に作ってあり、手羽元に味もつけてあり、あとは冷凍のポテトとそれを揚げるだけなのだった。我ながらナイスな段取りである。午前中サウナ、午後プールのあとの、フライドポテト&チキン&ビールはいうまでもなく格別で、休日をとてもきちんと味わうことができたな、と満足いった。去年、休日という意味では、100日以上ひたすら続く休日があったが、その1日1日は、それぞれこんな濃度ではなかった。休みって、限定されると、貴重で、愉しまなければならない意欲がわいて、愉しいのだよな。しあわせってなんだろうな。

上手休日

 散髪に行く。行ったのだ。ファルマンが教習所通いで忙しそうなので、カットを頼みづらく、しょうがないので店に行ってやってもらうことにした。プロによる散髪は、いつ以来か。去年の就活中も、なんだかんだでずっとファルマンに切ってもらっていたので、前がいつだったか思い出せない。とにかくとても久しぶりだ。
 行ったら行ったで、僕の人見知りや人嫌いというのは、ファルマンのようなガチ勢を見ているとしみじみと思うこととして、あくまで自称であって、その証拠に、美容師ともとても気さくにしゃべった。ぜんぜんどもったりしなかった。思えば島根に来てから、職場以外の人間と一定以上の会話をしたことが初めてだったので、なんだか新鮮だった。美容師の娘5歳は偏食がひどく、白米をあまり食べてくれないが、貝類だけはやけに食べるそうだ。貝類かー。
 施術中はもちろんずっとマスクをしていて、耳の周りの産毛をバリカンで刈るときも、「外したほうがいいですか」と訊ねても、「そのままで大丈夫です」とのことで、向こうもすっかり慣れているのだった。マスクはそのとき、minneに出品している、不織布マスクみたいな布マスクを着けていたので、その耳周りの作業のときになって、「え、このマスク、布なんですね」と、こちらが期待している反応をしてくれて、別に意図していたわけではなかったが、嬉しかった。ただし「奥さんが作ったんですか?」という問いかけに対して、謙遜なのか、面倒から回避しようと思ったのか、「そうです」と答えてしまい、我ながら少し複雑な気持ちになった。もう終わりかけだったし、「自分で作ったんです」と答えると、向こうとしても話を展開しなければならなくなって億劫だろう、とも思った。「プリーツの感じとか、すごくお上手ですね」と褒められ、「まあなんか、去年からたくさん作ってましたからねえ」と白々しく応じた。ファルマンはファルマンで、岡山時代、マスクや手提げ袋を褒められたとき、「夫が作ったんです」と即答していたという。僕の言葉は嘘で、ファルマンの言葉は真実だが、そこには共通の、「深く触れてくれるな」という牽制がある夫婦である。
 散髪が終わったあとは、今日もサウナに行った。今日は「おろち湯ったり館」ではなく、平田にある「ゆらり」という施設。ファルマンからは「よう行くわ」と少し呆れられた。たしかに我ながら、柄にもなくアクティブなことだな、と思う。
 湯ったり館と違い、こちらにはプールはないが、露天風呂が広く、悪くなかった。天気がとてもよく、まだそこまで激しくない陽射しが降り注ぐ中、外気浴として、湯に浸かるとも浸からないともなく、岩辺に腰掛けたり横たわったりしていると、仙人にでもなったような優雅な気持ちになり、心地よかった。なんとなく思い描く天国の情景にも、ちょうどいい陽射しと、ちょうどいいぬるさのお湯はあるので、そういう意味でここは天国にだいぶ近いな、ということを思った。
 サウナ室にはテレビが設置されていて、これは島根の施設では初めて目にした。僕はテレビに関して一家言あるようなサウナ―ではなくて、っていうかそのとき映ってる番組によるよね、というスタンスなのだが、今日はBSのNHKで、大谷翔平が先発で投げている試合が流れていたので、それもとてもよかった。野球の1イニングとサウナの滞在時間はとても親和性が高いのだと知った。おっさんたちは大谷の投球を眺めながら、やけに球種の話をしていた。おっさんが球を見て球種を口にするのは、あれは一種のマウントなのかな、と思った。俺は分かるぞ、という。僕にはまるで分からない。
 サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、サウナ室で大谷の投球を見て、水風呂に浸かって、露天風呂のほとりで外気浴して、を大谷が投げた回数と同じ4回繰り返し、僕のサウナも終わった。失点はなかったものの4回までで降板となったため大谷に勝利はつかなかったが、僕の今日のサウナは大勝利だった。
 サウナを出たあとは、今年初のTシャツ姿となって、車の窓を全開にして帰った。
 帰宅後は、晩ごはんの春巻きの下ごしらえをして過し、子どもが帰ってきたところで一緒に買い物に出た。ポルガの服が少ないということで、買わなければならないと話していて、僕が休みの日にこうして出掛けることにしたのだった。しかしながらポルガの、140センチあたりの服というのは、いま本当につまらないことになっていて、どの店に行っても、うすむらさきとかライトグリーンとかの、すなわちニジューみたいなものばかりで、ぜんぜんポルガ向きのものがなく、大いに困った。というより、店に行っても買える服がないので服が少なくなり、困っていたのだった。結局、男の子向けの棚から、これならまあいいだろうと思うシンプルなシャツなどを選び、数点買った。女子向けの服、本当にひどい。こうなってくると、もう自分の手で作るしかないのではないかと思えてくる。
 帰宅後はすぐに夕飯。春巻きはもう揚げるだけの状態だったので、楽だった。この食卓で、このたびコンビニ以外のスーパーでも販売されるようになった、アサヒスーパードライの、開けると泡が出る例のやつを初めて試してみた。みんな大騒ぎしているけど、結局あれって缶のまま飲んでいた人が感動しているだけであって、常にコップに注いで泡立たせている人には関係ない話でしょ、と斜に構えていたのだが、やって飲んでみて、思わず感動した。もう久しく味わっていない、居酒屋のジョッキのビールの感覚がそこにあって、純粋においしいということに加えて、その体験に歓喜した。ファルマンにも飲ませたら、ファルマンもまた目を瞠って打ち震えていた。僕だって、コロナに関係なく居酒屋飲みなんて久しいけれど、ファルマンに至ってはポルガの妊娠以来、そういう酒の席にはいちども行けていないので、これを飲んでファルマンは、「練馬の居酒屋を思い出した」という。古い。遠い。そんな太古の記憶さえをも掘り起すなんて、なんとすさまじい商品だろうか。それは大売れするはずだ、と思った。
 そんな感じで、一日を通してなかなか心地よいことの多い、いい休日だった。

サウナとタケノコ

 休みの日、またもやおろち湯ったり館へと馳せ参じる。プールに行こうか、それともサウナに行こうか、ということで迷うと、いろいろと思いを巡らせた末に、結局おろち湯ったり館ということになる。少し距離はあっても、わざわざ行く価値がある。それに少し距離があるといったって、かつての倉敷から恋焦がれていた頃に較べれば、ぜんぜん近いのだ。先日、倉敷時代の日記を読んでいたら、「おろち湯ったり館が近所にあれば、ものすごく頻繁に通うだろうなあ」と書いてあって、僕はこの頃の僕の思いに報いなければいけない、ということも思った。実際に島根に暮しはじめたら案外そこまで行かないよ、では寂しいではないか。
 というわけで、桜並木もすっかり葉桜となった木次駅前を通ってたどり着いた、平日日中のおろち湯ったり館は、やはり心地よい人口密度で、のびのびと思う存分に堪能した。泳ぐことと、サウナと、外気浴という、僕が外の世界でしたいことなんて、たぶんこの3つを含めた7つか8つくらいしか項目がないので、それだからいつもこうして純度の高い満足感が得られるのだと思う。前回は陽射しが眩しいほどだったが、今回は雲があって、4月の暑くも寒くもない気温も相俟って、外気浴が一段とよかった。最後の外気浴が終わったあと、脱衣所では、髪はさすがに水が残っていたのでドライヤーをかけたが、体はさらさらに乾いていて、タオルをまったく必要としなかった。裸で自然乾燥されるということは、僕はそのとき、木や岩と同じ無生物状態で、すなわち自然の一部になっていた。風化とはよくいったもので、死んだあとの体は朽ちて、なるほど風になるのだな、ということを思った。サウナは人を若干スピリチュアルにさせて、それがサウナを嗜まない人にとっては気持ち悪いのだと思う。
 その日の晩ごはんは、タケノコご飯にした。実家の近くに住んでるあるあるで、春なのでタケノコが回ってきた。お中元とかお歳暮とかビール券とか、そういうもののやりとりをする一定年齢以上の輩は、春にはタケノコ、夏にはトマト、秋にはイモ、冬にはミカンを送り合う習性を持っている。そのおこぼれが、実家の近くに住んでいるとやってくる。ありがたい。タケノコは、タケノコご飯がいちばん好き。この世のすべてのタケノコ料理を食べたわけではないけど、タケノコご飯がいちばんいい食べ方だと思う。ニンジンも油揚げもいらない。純然たるタケノコご飯。お腹いっぱい食べてしあわせだった。
 本日の記事は、ブログタイトル通りのおこめとおふろの話となった。

やけに花だった春

 桜、花の郷に続いて、今度はチューリップを見に行く。春だからといって、躍起になって花を見ている感がある。よほど鬱屈な冬でも過したのだろうか。
 子どもたちの春休みと、僕の休みが重なったので、どこへ行こうかと思案した結果、そういえば斐川のほうにチューリップ畑があったよな、ということを思い出した。かつての第一次島根移住の際、まだ乳児くらいのポルガと3人で行ったことがあった。ということは2013年の4月か、と推察して「USP」を確認したら、4月22日のことだった。乳児のポルガを連れていたのなんて、ちょっと前のことのような気もするのに、それがもう8年も前のことなのか。しみじみとした気持ちになりながら、8年ぶりに来訪した。
 相変わらずネット上に情報は皆無だったが、行ったらちゃんと咲いていた。しかし8年も経っているので記憶が曖昧なのだが、かつては畑がもっと大規模だったような気もした。あるいは8年で僕が成長したということだろうか。身長も30センチくらい伸びたもんな。
 チューリップは、先日の花の郷で喝破した僕の好みの花のタイプとは違うが、それでもやっぱりメジャーなだけあって、見応えのある花だなと思った。形も色も、本当に子どもがクレヨンで描いたような姿をしている。それでいて、花びらが隠すようにしている内部を覗くと、一転アダルトな雰囲気が漂う。アダルトな雰囲気というか、性器そのものだ。あまりにもおしべとめしべ。たまに動物園で、発情期なのかなんなのか、男性器が勃起している動物がいて、少し気まずい思いをしたりすることがあるが、チューリップって常時その状態というくらい、性器が目立っている。しかし子どもの手前、あまりそのことには触れないほうがいいんだろうなあと思っていたら、ファルマンが「おしべとめしべがすごい」と普通に口にしたので、ああそれはいいのか、と思った。エロの箍が基本的に外れていて、頭の中では常にエロいことを考えている(春ということもあり)のに、第三者とぜんぜん打ち解けた会話をしないでいると、一般的な場面でしゃべってもいいエロと、しゃべってはいけないエロの区別がつかなくなる。もう何年もその症例に悩まされ続けている。そのあと、さまざまな色のチューリップを眺めていて、白いチューリップの中には、本当に真っ白なものと、少し黄みがかったものもがある、ということをポルガがつぶやいたので、(それってまるで精液のようだな)と思ったが、さすがにそれはアウトのほうだろうと察して、声には出さなかった。会話ってけっこう頭を使う。
 チューリップをしばし堪能し、さて買い物でもして帰ろうかと車を少し走らせたら、今度は望外の菜の花畑に遭遇し、そこでも車から降りて少し写真を撮った。菜の花はもう終わったと思っていたので、一面に咲くそれが見られてよかった。菜の花は香りがいいな。
 帰宅後、夕方になったところで、子どもたちを連れて散歩に出る。近所の土手や野原を歩くのは久しぶりで、冬の寂しい感じからどんな変化があったろうかと興味があった。行ってみたら、土手には相変わらずの薄茶色のススキみたいなものが群生していて、あの薄茶色のやつって、枯れてるとかじゃなくて、ああいうもので、1年中ああして枯れてるような姿であの場にのさばるのかよ、と思った。春なのだから、劇的な変化が欲しかった。それでも地面からは、青々とした葉っぱが伸びてきていて、やはり冬とは違った。その中で、「これがすごくたくさん生えてる」と僕が指したものを、ポルガが「それはスギナ。つくしがそれになるんだよ」と教えてくれて、なんだこいつ植物博士かよ、と驚いた。8年前、チューリップを見て、小さな手でチューリップの形を作り、体を揺らしてチューリップの歌を唄っていた2歳児は、年頃になってあまり素直に写真を撮らせてくれなくなったが、その代わりにそんな知識を身につけ、親に教えてくれるようになったか、と感慨深い気持ちになった。
 子どもたちの春休みもとうとう終わろうとしていて、ようやく来た春は、早くも終わりの雰囲気をまとい始めた。桜が散って、GWの気配が近づいてくると、季節はすぐに春というより初夏のようになる。そうなれば、次に見頃になる花は、いよいよオオキンケイギクということになるか。忌み嫌われる特定外来生物のオオキンケイギク、島根県でも咲き乱れるさまを見ることができるだろうか。愉しみ。

プールと感傷

 一家でプールに行った。1月にこちらへ越してきて、初めてのことである。もっとも泳ぐことがまあまあ好きな性分の人間が家族内にいない限り、一般的には1月から4月の間に人はなかなかプールには行かないものだと思う。わが家ではファルマンが唯一、一般的なその観念を持っていて、そのためこのプール行きもさんざん阻まれた。生活が落ち着いたからやっとプールに行けた、ということではなく、本当はもっと早い段階で行こうと思えば行けたのだが、ファルマンの繰り出すさまざまな「行けない要因」によってたどり着けずにいたのだった。「風邪気味だから」「生理だから」というのはもちろん仕方ないが、今日こそはなんの問題もなく行けるだろうと提案したあるときなど、とうとう「今日は風が強いから」という理由で拒まれた。車で行く屋内プールに、風がいったいなんの関係があるというのか。そんな長きに渡る格闘の末に、ようやく大ボスも陥落し、到達したプールなのであった。
 日記にも書いたが、先日おろち湯ったり館にて、僕はいちおうの久しぶり水泳を済ませていた。とはいえあれは温泉施設に併設された15メートルプールである。きちんとしたプールらしいプールは秋以来のことで、やっぱり15メートルと25メートルではぜんぜん違うな、と思った。やっぱりプールはいいな。いちど壁が壊れたら、あとはもう気軽に行ける。僕ひとりなら、これまでもいつでも行けたのだが、結局のところ僕も、初見の所(正確には過去にも行ったことがあるので初見ではないのだが、とてもご無沙汰だった)へひとりで行くのは心細くて、最初は家族と一緒に来たかったのだ。それでこんなに時間がかかった。これからはドバドバ行きたい。
 プールといえば、出雲には50メートルのプールはないようで、それは少し残念だ。思えば倉敷にはやけに50メートルプールがあった。けっこう盛んな土地柄なのだろうか。松江には夏季限定で屋外のものがあるようだが、こちらもそこまでして50メートルプールで泳ぎたいわけではないのだ。実際そこまでの泳力があるわけでもない。50メートルプールってでかくてテンション上がるよね、というくらいの話なのだ。児島の夜の屋外プールは愉しかったな。今後、倉敷になんかしらの用件で行くことはあっても、かの地の市民プールに行くなんてことはまずないだろう。三井アウトレットとか、美観地区とか、県外の人間も行くような場所には、当地にいた頃とぜんぜん変わらない感覚が今もあるけれど、市民プールであるとか、図書館であるとか、火曜日は安売りをするのでよく行っていたスーパーであるとか、そういう生活に根差した施設は、かつてあった繋がりがもう途切れてしまった場所として、思い返すと若干の寂寥感が湧く。もっとも現在のわれわれは、現在のわれわれに見合った、生活に根差した施設を獲得しているのだから、無理にその寂寥感に浸る意味はないのだけど。ただ、引っ越しをするとは、移住をするとは、つまりそういうことなのだ、ということを、こういう寂寥感のような感情が伴うときに、しばしば感じてしまう。人生も、体も、ひとつしかないのだから、これをいい出したらきりがないくせに。

ファルマン38

 ファルマンの誕生日祝いをする。
 プレゼントはもう事前にあげていた。アマゾンで売ってる、アマゾンプライムなどのウェブ上の映像ソフトを、テレビで観られるようにするやつ。それとminneに出品していた、グラニーバッグ風トートバッグも、欲しいというのであげた。うちの妻は誕生日に、ブランド物のバッグではなく、僕のハンドメイドのバッグを欲しがるのか。
 晩ごはんに希望のメニューはあるかと訊ね、いつもなら「カレー」ということになるのだが、カレーはほんの数日前に食べてしまったのと、あと明確に口に出していうわけではないが、ファルマンはきっと、前ほどはカレーが好きではなくなっていて、それはカレーというより、油物全般ということになるが、そのためまったく答えが浮かばなかったようで、絞り出した末に、「次の日にお弁当のおかずになるもの」という、俺はいま誕生日祝いの晩ごはんのメニューを訊いたのだけども? という答えが返ってきたので、仕方なく僕の独断で、その前日に豚のひき肉が安く手に入っていたこともあり、シュウマイにした。「だってほら、誕生日ってなるとシュウマイ食べたくなる人だもんね?」と確認したら、「うん、そうそう」と、食べたいものを考えるという難事業から解放された喜びで、ファルマンは激しくうなずいた。もともと食べものに執着のない人だったが、加齢によって食べたいと思うものの範囲が狭まってきて、いよいよファルマンは食の愉しみから解脱しかかっていると思う。
 ケーキは、いつもの感じで作るつもりだったが、なぜかここにきっぱりと希望を表明してきて、「アイスケーキが食べたい」ということだったので、今回は初めてそういうものを作った。いま思えばこれもまた、ホイップクリームが重たいからという理由だったのかもしれない。ファルマンの家ではたまに供されたらしいが、僕はアイスケーキというものにまるで縁を持たずに生きてきたため、ぼんやりとしたイメージしかなかったが、まあ溶かし気味にしたアイスを型に流して、間にイチゴを挟んだり、皿に出したとき底になる部分にスポンジを敷いたりして凍らせればそれっぽくなるだろう、と思って作り、見事にそれっぽい感じになった。アイスとスポンジの組み合わせは、普通においしかった。ただし間に入れたイチゴは、凍ったら味がせず、ただ氷のようになったので、無駄だった。次回もしも作ることがあれば、イチゴ抜きで作ろう。しかしだとすれば、アイスケーキなんて毎年フルーツで困る僕の誕生日にやればよかった。イチゴのシーズン真っ盛りのこの時期に、イチゴのかいのない食べ方をした。
 子どもたちからのプレゼントは、ポルガは夏用のスリッパを、ピイガはファルマンが仕事中につまむためのおやつを入れるポッドだった。これらは3人で買いに行ったのだが、ポッドを選ぶ際、「お母さんはお仕事になると食べ物を食べないから……」とか、「お母さんは蓋があると外すのが面倒でおやつを食べないから……」とか、娘たちもさんざん、ファルマンの食べ物への関心の低さ、そして面倒臭がりさについて糾弾していた。もちろん僕による扇動があった面も否めない。
 誕生日祝いの際などにはいつもいうが、今年もこうやって家族4人、無事にお祝いができてよかった。なによりである。それでもってファルマンは、これで何歳になったのかといえば、いわゆるひとつの、38歳である。38歳! すごい! 7と8では大違いだ。37歳の僕からすると、38歳という数字ははるか高みにあり、もはや霞がかっている。これから約半年間は、配偶者のことを仰ぎ見て暮そうと思う。

37歳

  誕生日である。シルバーウィークの真っ只中である。去年がそうであったように、シルバーウィークといえども、肝心の20日が狭間の平日だったり土曜だったりして休みじゃない、なんてことはよくある。その点、今年はきっぱり日曜日なので、ちゃんと当日にお祝いをしてもらうことができた。もっともそんな年に限って、毎日が日曜日の身分である。
 今日でめでたく37歳になったわけだが、予想していた通り36歳と37歳の境にはなにも心を動かすものが存在しなかった。20代と30代の間には国境があり、34歳と35歳の間には県境くらいのものがあったように思うが、36歳と37歳の間は市境よりももっと弱く、町区の境くらいの感覚だ。徒歩というわけにはいかないが、自転車でもあれば簡単に行き来できる気がする。もっとも行き来する意味はない。なぜならこっちの町もあっちの町も、ほぼ同じ一帯だからだ。36歳から37歳になる感慨とは、だいたいそんなものだった。
 零時になった瞬間にお祝いメッセージが殺到したせいで誕生日当日は寝不足気味、といういつものギャグは、もう唱える気にもならなかった。この3ヶ月弱、だいぶ混じりっけなしに家族以外と絡んでいない人間が、1年前の時点でそういうやりとりをする存在がひとりもいなかったのに、なぜ今年そんなことになるというのか。なるはずがない。理屈がない。あまりにも理屈が合わないギャグはつまらない。つまらないというか、もはや悲壮感がある。
 そんなわけでちゃんと7時間ほど快眠し、37歳の誕生日の朝を迎える。気候がよくなったので公園に遊びに行きたいとか、文房具屋に子どもの必要なものを買いに行かなければ、といった用件はあったのだけど、さすがは4連休の余裕で、そういったものは明日以降にすればいいということになり、今日は純粋に僕の誕生日を祝う日として、近所のスーパーへの買出し以外はひたすら家にいて、子どもたちは飾り付けの作製、ファルマンはケーキ作りに勤しんだ。誕生日のお祝いをする日に、誕生日のお祝いの準備だけして過ごすなんて、優雅きわまりないな。僕もまた、ヒットくんのフェルト人形を作ったり、ごはんを作ったりして、37歳の誕生日をゆったりと過ごした。平穏なことだ。
 晩ごはんはエビフライ。いちばん好きな食べものは相変わらず餃子だが、今日はエビフライの気分だった。エビフライは好きな食べものランキングの、4位くらいか。食べてちょっと恍惚とするくらいには好き。たっぷりの時間で下拵えも丁寧にしたので仕上がりは上々で、ちゃんと恍惚とすることができた。
 食事のあとはケーキ。僕の誕生日ケーキは、毎年恒例のチョコケーキ。これがしみじみとおいしい。誕生日ケーキに関して、いちごコンプレックスが数年前まであったが、夏が終わってチョコレートに感激できるタイミングなのだと喝破してから、心が安らかになった。これからは板チョコを持ち歩くのもやぶさかじゃない季節だ。
 ケーキのあとはプレゼントをもらう。ファルマンからは既にひと月ほど前に、財布をもらっていた。子どもたちは、ポルガが縄跳び、ピイガがエコバッグをくれた。どちらもなかなか実用的で、成長したものだと思う。あと恒例の手紙や冊子いろいろ。この3ヶ月弱は特に絡む時間が長く(僕が家にいるからだが)、悩まされる機会も多かったが、しかしまあ素直に誕生日をお祝いしてくれる姿を見ると、問答無用で愛しい。やっぱり家族の誕生日のお祝いは、末永く、なるべく力を注いでやるべきだな、と思いを新たにした。
 そんな37歳の誕生日だった。
 


人生いろいろ

 8月31日という日。
 とはいえ子どもたちの夏休みは、今年は1週間ほど前に終わっていて、すでに日常が戻っているのだった。しかし何度もいうけど、新型コロナで焦点がずれてしまっているが、今年の暑さは異常で、実はちょうど今日をもって、高梁市は今月9日からずっと続いていた連続猛暑日が23日となり、これは1990年と94年に大分県日田市が記録した22日を超えて、歴代最長記録の樹立であるらしい。めでたい! のかめでたくないのかいまいち判らない。こんなに暑くてつらい思いをしているのだから客観的な記録として後世に残るくらいの称揚がなければやってられない、という気もするし、記録なんてどうでもいいから涼しくなれよ、という気もする。あるいは、時おり雨など降って地面が冷えたりして、そこまで連続猛暑日が続いていない地域が見て、「高梁イキってんね笑」と揶揄の対象になっているのだとすれば、一抹の気恥ずかしさもある。とにかくどう捉えていいのかさっぱり判らない。ちなみに、どうしてこの記録に関してこんなに思いを馳せているのかというと、なにぶん今回の高梁市の記録に関しては、同県民というだけで便乗して盛り上がっているわけではないからだ。ひとつ前の記事、「井倉洞へ」で書いたが、まさに連続猛暑日真っ最中の、正確な日付としては8月21日のことになるが、そこでわれわれ一家は猛暑の高梁市の市街を目の当たりにしたのだ。なるほどこの暑さか、というものを体験、体感したのだ。そう考えるともはや、われわれ一家もこの記録には一枚噛んでいるといって差し支えない。日本の気象史に刻まれたこの記録に、パピロウ一家は深い関わり合いを持つ。
 そしてちょうどそれとおんなじくらいのゆるーいつながりの、「としまえん」が、今日をもって営業を終了するのだった。なにしろかつては練馬区民だったので、としまえんには数えきれないほどの思い出がある、……ということはない。そもそも遊園地に行くようなタイプではないのに加えて、としまえんというのはファミリー向けに特化したタイプの遊園地であるわけで、22歳から練馬区民となり、27歳に子どもが生まれて東日本大震災が起こり(ほぼほぼ同時)、28歳で島根県へと移住した僕は、としまえんに行く機会が実際ほとんどなかった。それでも1回、いや2回だったかな、入園したことはあったと思う。なにをしたという思い出もないけど。今回の閉園のニュースを見ながらファルマンと、「あのまま練馬で暮してたらやっぱり子どもと遊びに行ったりしてたのかねえ」なんて話したりした。島根移住を決断した際、ポルガはもちろん既にこの世に存在していたが、ピイガは島根で生まれたので、練馬暮しを続けていた場合ピイガはこの世にいなかったかもしれない。パラレルワールド。
 パラレルワールドといえば、やっぱり今年の夏は「新型コロナのせいで東京オリンピックが行なわれなかったほうの2020年」という感じがあって、そんな夏の終わりに安倍晋三が辞任表明をしたので、いよいよ「ひっちゃかめっちゃかなほうの未来」という感じが強まった。一方の未来の安倍晋三は、無事に開催された東京オリンピックにおいて安倍マリオとして再登場し大喝采を受けていたかもしれないのに、こちらでは心労がたたって持病再発である。未来も、人生も、確定的なことなんてひとつもないんだな、ということをしみじみと思う。安倍晋三は7年8ヶ月も総理大臣だったそうで、就任は2012年の12月26日。僕はこのときの、自民党が民主党から政権を奪還した選挙結果のニュースを、病院のロビーのテレビで見た記憶があったので、あああれはピイガの誕生間近(1月4日)の産婦人科での出来事か、としまえんも安倍晋三もピイガもつながってるんだな、と思ったのだが、よく考えてみたらピイガはいま6歳であり、その誕生は2014年のことなので、別に関係なかった。あの病院は酒蔵で足を挫いたときに行ったやつだ。安倍晋三は僕が酒蔵で働いていたときからずっと総理大臣だったのか。長かったな。