秋が来る

 8月が終わった。夏が過ぎ去ったのだった。7月と8月って、やっぱり大野と杉山みたいな感じがあり、あちらの気が向いて、にわかに仲間に入れられたりすると、そこから見える風景は華やかで、気持ちが昂揚したりもするのだけど、それでも結局は柄じゃないので、またあちらの気が向いて見放されると、なんともいえない寂しさと同時に、一方で結構ほっとしたりもする。7月と8月っていつもそんな感じだ。
 7月、夏本番なのに体力的な問題から意外とプールに行けない、という悩みがあったが(能天気な悩みだ)、7月末あたりに、行ったときに800メートルとか1000メートルとか泳ごうとするからいけないんだと喝破して、300メートルから400メートルくらい泳いで終わりにするスタイルにしたら、途端に行きやすく、そして生きやすくなった。やっぱり泳ぐと精神的に救われる部分があるので、こまめに行ったほうが心が健康なのだ。
 年間会員になったことで、元が取れるかどうかを意識するようになり、その検証のために、実はプールに行った日は記録を取るようにしている。5月からやっている。それによると7月は7回にとどまったが、8月は12回も行った。今後もこの調子を継続したい。
 記録はカレンダー書式のノートに書き込んでいるのだが、プールに行った日に印をするだけでは何だなと思い、長く記録を継続したら価値が出てきそうな事柄として、射精した日にもその符号を記入している。それによると、と7月と8月のそれぞれの射精回数を発表しそうになったが、これは秘匿しておく。
 しかしこれを付け始めて思うのは、14歳の頃からやっておけばよかった、ということだ。初めては14歳だった。そこから今までの射精が全て記録として残っていたら、とても愉しかったろうと思う。なにぶん約四半世紀ともなれば立派なデータである。例えば9月20日から翌年9月19日まで、すなわち年齢ごとの射精回数が最も多かったのは何歳なのか(意外と30代ではないか)。あるいは四半世紀で最も平均射精回数が多いのは何月なのか(5月ではないか、という気がする)。そしてなにより総数を算出し、感慨深くなりたい。さらにはその総数に、一度に放出される精子が2億個だとして、それを掛け算して、その天文学的な数字にくらくらしたい。したかった。後悔だ。もしもタイムマシンがあれば、14歳の、のび太の射精前夜に行って、射精の記録を取ることと、それとついでに、女の子も実はエッチなんだよ、ということを伝えてやりたい。ただしそれを伝えた場合、射精の回数は大きく変動することとなり、歴史は大きく変わって、家族写真から兄さんの足が消えてしまうことになるだろう。
 話が横道に逸れた。夏が終わった話をしている。9月はなんてったって誕生月である。我ながらいい季節に生まれたものだと思う。品がある。ちょうどいいポジションにいる月だ。東京にいた頃は、9月19日までが夏で、俺の誕生日からが秋だな、ということを体感から思っていたが、島根はやっぱりそれより夏は短く、8月限りできっぱり終わったというか、実は8月の終わり頃は既にちょっと怪しかったように思う。じきに普通に肌寒くなる。肌寒くなってきたら、冬用タイヤみたいな話になって、そして気付けば年末年始になるような気がする。しかし年末年始は、わりと最近のことではなかったか。
 話に取り留めがなくなってしまった。1週間もブログを書かないでいると、なんとなく地に足がつかない文章になる。身体が鈍るとか、筋肉が衰えるとか、大げさに言うと、そういうことだ。年齢によるものか、そういうことをしみじみと思う。昨日、自分はあまりにも表情筋を動かしていないのではないかという思いに囚われ、顔の筋肉が弱って、肉が支えられなくって老けるという仕組みの哀しさに打ちひしがれ、なんとかそれから長く逃げ回りたいものだと思い、頬を思いきり持ち上げてみたりした。そういうことを、心がけてやることに、39歳になる秋の哀愁がある。14歳から、四半世紀になるのか。

家族松江

 土曜日、松江に行った。なんだかんだで松江には行くものだな。
 今回の目的は、レジャーと言えばレジャーで、この夏、県立美術館ではチームラボによる体験展示みたいなことをやっていて、普通なら松江ということもあってわざわざ行こうとはしなかっただろうが、ポルガが地元新聞の懸賞に応募して入場券を当てたことにより、じゃあせっかくだから行くかということになった。入場券が当たったと言っても小学生1枚分のことであり、小学生がひとりで行くはずもないので、小学生に1枚タダでくれてやったら、もれなく付き添いの大人が自腹で入場券を購入してついてくるわけで、この当選は幸運でもなんでもなく、ただの商法なのではないか、という気も大いにするのだった。
 コロナ対策なのか、もともとそういう方式なのかは知らないが、時間指定の予約制で、われわれはこの日の午前にその申し込みをした。お盆はわが家的にも松江的にもバタバタしそうだと判断し、避けた次第である。
 出発時の天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうだった。それくらいでちょうどよかった。それが夏におけるお出掛け日和の天気だ。南側を走った宍道湖は、曇天の下くすんでいた。それが山陰の湖のあるべき姿だろうと思った。
 美術館には、予約の時間の30分前くらいに到着した。チームラボの企画展以外にも、常設の部分も鑑賞すればいいわけで、このくらいの時間でちょうどいいのだろうと思った。そうしてファルマンと子どもたちをエントランスで降ろした。
 そうなのだ。僕は行かなかったのだ。僕が行ってもしょうがないだろうことは明らかで、付き添いの大人はファルマンがいればそれでいいだろうと思った。それよりも僕はイオン松江に行って生地を見たりしてるほうがよほどよかった。というわけでひとりイオン松江へと向かった。前回の松江行きの際にも来て、少し買って帰ったが、パンドラハウスのはぎれのワゴン販売は、けっこう侮れないのだ。ネットでは見かけないようなニット生地が多々あり、ホクホクした気持ちで購入した。僕の今の、ニット生地を買い集めるこの感じって、ブックオフ巡りが本当に愉しかった時期のそれと、だいぶ似ているような気がする。今回の夏休みのセールも、ブックオフにはいちども足を運ばなかった。どうやら趣味が完全に移行したらしい。目的の買い物を終えたあとはフードコートで過した。そこでは新語・流行語大賞のために自分の日記を読み返していた。ちょうど1年前くらいの日記で、ファルマンの免許試験のために僕は松江に来ていて、「ゆーゆ」に行ったりしていた。
 昼時になったあたりでうどんを注文して食べ、やがてファルマンからそろそろ退館するという連絡が来たので、計画していた通り、家族のためのマクドナルドを注文して受け取り、ふたたび美術館へと向かった。我ながら実にいい段取りなのだった。
 無事に回収したファルマンと子どもたちによると、チームラボの展示はなかなか愉しめたらしい。それならよかった。岡山で味わった、体の不思議展のときのような哀しい思いをせずに済んだのだな。あれは本当にひどかった。
 家族とマクドナルドを乗せた車は、そのまま次の目的地へと向かう。松江城である。せっかくの家族での松江なので、こちらにも立ち寄ることにしたのだった。マクドナルドはその足元の広場のような所で食べることにした。しかしちょうどいいベンチがあって、いざ食べ始めたところで、これまでぎりぎりのところで耐えていた雨が、いよいよ降り始める。仕方がなかった。今にも雨が降るような厚い雲がかかっていなければ、そもそも外でごはんを食べることなど叶わない時節である。それでも小雨だったのでなんとか食べ切ることができたのだから、運がよかったと言うべきだろう。
 そうして腹ごしらえを済ませ、松江城に登る。ポルガが赤ん坊の頃にいちどだけ来て、しかしベビーカーを携えながら登ることはとてもできず、広場を少し歩いただけで帰って以来なので、実質初めてである。子どもが御朱印・御城印を集め始めたことで、にわかに城や神社に行くようになったことだ。にわかに行くようになったが、知識も興味もわりと乏しいため、感想を訊ねられても困る。「階段が急だった」「雨混じりの曇天の日であんなに暑かったのだから、晴れた日だったら死んでたんじゃないかと思う」くらいしかない。御城印を無事に購入し、記念撮影をして、城を後にした。
 そのあとは松江行きのいつもの立ち寄りポイントとして、スーパーのディオに行き、買い物をして帰った。結局のところ、美術館と城に目的があった家族と、生地とスーパーに目的があった僕の、双方の欲求が合致しての松江行きだったと言える。しかし1週間あった夏休みには、本当にレジャーらしいことをなにもしなかったので、少しはそれっぽいことができてよかった。この日は陽射しこそなかったが、それでも気温は高く、湿度の高さもじんわりとした疲労をもたらしたようで、帰宅後は家族全員、なかなかグロッキーだった。やはりレジャーというものは、10月あたりから始めるべきなのだなと思った。

夏休み序盤

 夏休みを過している。休みが7日間もあると、余裕をぶっこいて間延びしてしまうのが必定だが、今回は決してそんなことにならぬよう、自覚を持って、土曜日も出勤で1日しか休みがない週の日曜日みたいな気持ちで、それを7回繰り返すのだ、そういう密度の濃い1週間を過すのだ、と意気込んでいるのだが、2日目が終わろうとしている今、それがままなっているかというと、うーん、という感じだ。休みの日というのは、どうしたって間延びする。これがこの話の救いになるのかどうかは微妙だが、思えば日曜日しか休みがない週の日曜日だって、間延びしていたじゃないか。7日間あるから、というのは実は関係ない。ただ焦燥感があって、それが緊張感と誤認され、密度が濃かったような気がしていただけだ。そういう意味では、目標そのものは、達成できているといえる。達成できるもなにも、要するに休日の自然体だったのだ。平日にできないことをやらなきゃやらなきゃ、と齷齪しつつも、そう一心不乱にはできず、WEB漫画を読んだり、時間のかかる料理に手を出してしまったりする、僕の。
 前の記事でも書いたが、なにぶん熱中症警戒アラートなんかが発令されている情勢なので、外遊びは完全に選択肢から除外され、そうなってくると子連れで愉しめるスポットというのはかなり限られてくる。初日はまあ、プールだった。実際プールっきゃないのだ。子ども二人を連れ、3人で行った。2日目はどうしたかといえば、これもまたプールだった。ただしこれは僕ひとり。昨日のプールがピイガの世話で自由でなかった分、思う存分に泳いだ。つまり2日連続で、今のところパーフェクトなので、こうなったら7日間毎日行ってやろうかな、とも思うが、別にそれはやろうと思えば普通にできるし、したところでどうってことないので、目標にするほどのことではない。普段、2日おきだったり3日おきだったりで僕がプールに行くと、必ず来ている人というのはいて、たぶんあの人たちは本当に毎日泳いでいるのだと思う。
 そういえば夏休みにしたいこととして、ジョニファー・ロビン活動があった。これまで作り溜めたショーツをジョニファーに穿かせ、写真を撮って投稿するということを、1日じっくり腰を据えてやれたらいいな、と思っていて、そこに照準を合わせ、実はいろいろ仕入れていたのだ。具体的に言うと、紙粘土と、リングライト付きの三脚と、さらにはカメラ機能が優秀なスマホを買った。紙粘土を何に使ったのかは、別記事で述べることにするとして、そうなのだ、スマホを買ったのだ。大きさだけを求めた10インチ超えのタブレットは、やはりカメラをはじめとした諸々の機能の低さ、及び、なによりも「大きすぎる」という理由により、耐えられなくなってしまった。これにより環境が整ったので、明日から本格的に撮影をして、投稿していけたらいいと思っている。これができたら、分かりやすい夏休みの成果だな、と思う。

夏と家族

 8月に入ったところで、兵庫住まいのファルマンの上の妹たちが実家に帰省してきた。妹たち、というのは、妹と、その長女(7歳)と、その次女(0歳)の3人である。同じくこちらの出身である夫とともに一家でやってきて、夫はその週末だけをこちらで過し、今はまたひとり兵庫にいる。またお盆あたりに、本人の帰省と家族の回収を兼ねてやってくるという算段だ。
 実家に行けばいとこがいるということで、わが家の妻と娘たちもまた、このところは実家によく行っているようだ。なにぶん時間を持て余しがちな夏休みなので、子ども同士、いとこ同士で時間を潰してくれるのなら万々歳だろう。実際どの程度うまくいっているのかはあずかり知らないけれど。
 3年ぶりの行動制限のない夏といいつつ、スカッとした気持ちで出掛けるには、新型コロナの話題はいまだ生々しいし、なによりも暑さで十分に行動は制限されていると思う。熱中症警戒アラートなどといって、不要な外出は避けるよう呼びかけられている。我々は3年前から、なるべく出掛けないよう呼びかけられ続けている気がする。
 そもそも乳児がいては、レジャー施設になどなかなか繰り出せるものではないし、なにより乳幼児用のチャイルドシートを車から降ろし忘れるというミスをしたのだそうで、道交法的に出掛けることができないという状況らしい。ちなみに少し前まで実家の物置に投げられていた、わが家でお役御免となったチャイルドシートは、昨今たびたび発起され実行される断捨離活動によって、あえなく処分されたそうだ。そのくらい、次女のところはひとりっ子で打ち止めだと、誰もが思っていた。
 先週末、4月末に生まれたばかりのその姪に、僕も初対面を果たした。生後3ヶ月の赤ん坊は、ああこんなんだったか、ピイガなんていまだに乳幼児みたいな感覚があったけれど、やはりリアル乳児の小ささというのは半端ないな、ということを思った。まだ人見知りも出ないような月齢ではあるが、わりと愛想のいい子なんじゃないかという評があり、僕が抱っこしたときも平然としていて、あやすように揺らしてやると微笑みさえしたので、感動した。「俺の抱っこによって、生まれて初めて笑った?」と妹に訊ねたら、「ううん、そんなことない」と即答された。
 まだ分かったものではないが、人当たりがよさそうな次女に対し、長女の人見知りは相変わらずで、僕はもちろん、ファルマンも、さらには祖母である義母にさえ、7歳の長女はあまり心を開かないらしい。次女を抱っこし、用が済んだので帰ろうというとき、(赤ん坊である妹にばかりかまけて上の子を無視する形になってはいけないな)と考え、あえて「〇〇ちゃん、じゃあね、またね」と声を掛けたら、一瞬びくりと反応したあと、義理の伯父に声を掛けられたことなどなかったこととしてやり過ごそうと判断したのか、完全に無視された。こうでなければ、子どもら3人でどこかへ連れ出してやるなんて案も出てくるのだが、長女は母親と離れようとしないし、母親には乳児がいて、そしてチャイルドシートがないので、やはり外出は詰んでいる。まあ重ねて言うが、暑さ的にも詰んでいるのだけど。
 こんな暑い盛りにしたっけか、と毎年けっこう驚くのだが、8月8日は結婚記念日だった。080808の並びを意識したため、この日付になったのだ。そういう、便乗というか、そういうの、ダサいよ、などと感じていた時期もあったような気がするが、こうして年月を重ねてみると、記憶のしやすさというただ一点において、とても素晴らしい日付であるとしみじみと思う。今年で14年。ファルマンのスマホのgoogleの機能で、データ内にあるその日付の歴代の写真がアーカイブとして表示される、というのがあり、5年前だとか、2年前だとか、子どもたちが幼児だったころの写真などが出てきて、よく愉しく眺めるのだが、この日のいちばん古い画像は、14年前、2008年8月8日の、婚姻届を提出したあと練馬区役所の前で撮影したツーショット写真であった。練馬区役所前で、ポルガ前で、震災前で、ピイガ前で、新型コロナ前だ。遠い。なんという遠さだろう。クラクラする。当日はケーキを買って帰り、みんなで食べた。直接関係ない子どもたちが、切り分けたケーキの大きいカットを求めてせめぎあいする様が、愛しいと思ったので、なにはともあれいい14年だったのだろうと思った。
 明日から僕も夏休みに入る。けっこう長い。丸1週間ある。さすがにどこかへ出掛けたい、高速道路とか使うような、そういうお出掛けをしたい、と思うが、公園が選択肢に入れられないので、いまだなにも当てが見つかっていない。さてどうしよう。

フルーツさん一家

 キウイの8個パックが安かったので買った。キウイはたまに買う。家族全員、誰もそこまで好物なわけではないが、たまに気が向く。冷蔵庫にあっても、子どもたちもせがむということはないが、剥いて出してやると食べる。とは言えヨーグルトやプリンのほうが反応がいい。そんな意欲なので、8個パックを買うと、最後のほうは持て余し、ダメにしてしまうこともある。
 そんなタイミングで、実家からマンゴーがやってきた。実家というのはどちらの実家かといえば、複合的であり、僕の実家からファルマンの実家にお中元として贈られたものが、お裾分けとしてわが家にやってきたという次第である。なぜか数年前からこの物品はマンゴーで定着している。おそらく母は思考を停止させているのだろうと思う。マンゴーはキウイよりも足が早そうなので、優先して食べた。下品な味がした。本当に、マンゴーの甘さというのは、下品としか言いようのない甘さだと思う。「気持ち悪い」に片足突っ込んでる美味しさの甘さだ。ファルマンとふたり、義務のように死んだ目で食べた。子どもたちは食べない。
 マンゴーを処理してやれやれと思っていたら、今度は祖母から桃が届いた。これははじめからわが家宛てに、シーズンに毎年来るものだ。とても立派な山梨の桃である。買うとそれなりに高いだろうと思う。段ボールに12個あったか。ファルマンの実家に少し託そうと思ったが、シーズンのさがとして、向こうも桃は充実しているらしい。ならば職場の人とかにお裾分けしようか、と一瞬思うが、これは岡山時代からいつも同じ現象が起きているのだが、お裾分けをすると、向こうがお返しをしなければならなくなるということに思いを馳せるにつけ、渡せなくなるのだった。これは、気を遣わせるのが申し訳ないという気持ちと、あととても神経質っぽい発言になるのだが、自分が桃をあげようとしておきながら、身内ならばまだしも、僕は他人の家に置いてあった食べ物をもらっても食べたくないので、そういう意味でやはりこの、お裾分けをしたりお返しをしたりというのは、止そうと思うのだった。しかし、だとすれば桃の12個というのは、あまりにも多すぎる。桃は美味しいが、1年に夫婦で2個か3個くらいでいい。マンゴーのように、できれば食べずに済ませたいというほどではないが、なければないでいいし、自分から買うことは絶対にない。結局その程度の好きさしかない。夫婦で、といったのは、子どもたちは食べないからだ。なんでだよ! 食べろよ! と思う。子どもたちはやはりヨーグルトやプリンを食べるのだ。子どもたちが整然とした、工業製品のようなヨーグルトやプリンを食べる横で、両親ばかりがせっせと熟れた桃を食むはめになる。また桃というのが、色味がエグく、生々しくて、だいぶ野性味がある食べ物なので、それが子どもたちにはまだなく、われわれには溜まってしまっている、生命体としてのグジョグジョしたものの象徴のように思われ、処理のように食べながら、なんとなく気が滅入るのだった。本当に、あの大箱での地方発送という文化は、ちょっと時代遅れなんじゃないだろうか。直接そうやって送らなくても、今やスーパーで全国の旬のものが売られているではないか。少量パックで。食べたければそれを買えばいい話で、このように大ぶりの桃を12個も送られても困惑のほうが大きい。夏なので外に出してもおけず、冷蔵庫のスペースは大きく圧迫された。
 そんな折に、義父が鳥取に行ったということで、大栄スイカを買って帰り、わが家にもその一部がやってきた。直径から察するにとても巨大な玉の、4分の1。野菜室は桃で支配されていたため、スイカは冷蔵庫の1段を占領することとなった。普段ほとんどフルーツを食べないわが家だのに、軽い気持ちで買ってしまったキウイが呼び水になったのか、にわかにフルーツ王国のようになってしまった。スイカは、切って食べたら、スイカらしい甘みがあり、スイカらしい甘みだなあと思った。2センチくらいの厚みに切ったものを、夫婦で2、3切れずつ食べたか。そのくらいでよかった。1年間でそれくらいでよかった。しかしそれはもらった分の3分の1にもならない消費だった。夫婦で、といったのは、やはり子どもたちは食べないからだ。もはや憤る気持ちさえ起きない。現代の子どもはスイカを喜ばない、というのは、もう何年か前に自分でスイカを買って帰った経験から知っていた。そのため義父が買って帰った気持ちは痛いほど解る。我々には、「夏の子どもがスイカを喜ばないはずがない」という固定観念がある。夏の子どもと、スイカと、食べ終えたスイカの皮をカブトムシに与えるのは、セットだと思っているだろう。しかしそれはもう現代には通用しないのだ。現代っ子には、スイカもカブトムシもぜんぜん魅力的じゃないのだ。
 12個の桃を送ってきた祖母も、巨大な大栄スイカを買って帰った義父も、それは世代的な行動だった。そしてそれを完膚なきまでに無碍にする子どもたちも、世代的であると思った。我々はその間に挟まれ、やはりMD世代だ。MOMOとDAIEIスイカをせっせと処理しなければならない世代だ。ちょっと無理があるな。
 結局最初に買ったキウイはどうなったかといえば、実はまだ、野菜室の二階に居るのです。

大暑仕様の俺2022

 ただ暑かったり蒸し暑かったりした、過酷な1週間だった。今年もそうだったが、よく6月あたりに、やけに気温の上がる日があって、そういうとき、「いまはまだ体が暑さに慣れていないので十分にお気を付けください」などとアナウンスされるが、その理論でいうなら、今週で僕の体は夏仕様、暑さ仕様に移行したと思う。今週はそういう週だったと思う。その移行というのは、スイッチのようにパッと切り替わるのではなく、数日かけてじわじわと進むらしい。だからその間は、平穏仕様でもない、夏仕様でもない、不確定なシュレディンガー仕様の僕であり、そのため今週はなんとなくふわふわしていた。そんななので日記も書けようはずがなかった。
 先週の日曜日に行なった模様替えもまた、今週のふわふわの一因となったとも思う。引越しをしたわけではなく、寝る部屋が変わっただけとはいえ、どうしたって定着した安心感というのはなかった。あと、元々が子どもたちの部屋で、いまも日中はピイガが準自室のような感じで使っているということを思うと、どうしても夫婦で間借りしているような、そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。5日ほどそうやって寝てみたのち、土曜日からはとうとう、僕だけ元の夫婦の部屋に布団を持ち帰り、ひとりで寝させてもらうことにした。なにぶんほら、僕は寝るとき全裸だという事情もあり、あまり子どもと同じ空間で寝るのはよくないのではないかという懸念もあったので、これで無事に解決である。ファルマンもそのうち、ピイガがひとりで寝ることさえ受容すれば、晴れてあの部屋はピイガのひとり部屋となり、今はこちらに来ているピイガの学習机が向こうに舞い戻り、そして僕とファルマンはふたたび夫婦の部屋で布団を並べて寝ることになるだろうと思う。つまりこの状態もまた、子どもの成長途上における過渡期、移行期だということだ。要するに今週は、それが重なっていた。
 日記に書きたいことはいろいろある。ジョニファー・ロビンについて、買ったということの報告のようなことだけ書き、そのあとはなんの発信もしていない。しかし買っただけで満足してぜんぜん活用できていないのかといえばそんなこともなく、いまも部屋に一角に堂々と鎮座(正確には腿の途中からの状態で立っている)するジョニファーの姿は、何度見てもほれぼれし、癒される。はじめ「気持ち悪い」といっていたファルマンも、2日ほどですっかり慣れていた。
 ジョニファーはショーツをはじめとするハンドメイド作品のモデル目的で購入し、実際に日々作っているショーツを穿かせて写真に撮ったりもしているのだが、それらもなかなか記事にするに至らない。手持ちのタブレットのカメラ機能では、いまどきネットに上げるような画質の写真は到底撮れず、一眼レフを持ち出すことになるのだが、そうなるとパソコンに取り込むのが億劫だったりして、ちょっと悩みがあまりにも時代遅れなのだが、そういう事情によりなかなかアップがままならない。
 10インチのタブレットはいよいよ無理が高まっている気もしてきていて、もう素直にスマホにしようかなという思いが頭をよぎったりもする。そこそこ高画質の写真が撮れるスマホで、ショーツを穿かせたジョニファーを気軽に撮影し、そのショーツについての寸評を添えてインスタグラムにアップしていけば、とても簡潔なんじゃないのか。みんなはとっくにそうなっているんじゃないのか。僕だけがどうしてまだここにいるんだ、と思う。その一方で、ポルガが来年中学生になったら、スマホを持つようになるのだから、そのときキャリアも含めて一新したらいいのではないかという目論見もあり、目下動けずにいる。
 ちなみにポルガは、「スマホではなくタブレットがいい」といっていて、さらには「文章がちゃんと書けるような、なんならキーボード付きのようなものがいい」とさえいう。今日も買い物に行ったダイソーで原稿用紙を500枚も買っていた。あいつは俺なのだろうか。
 そんなこんなで7月は終わる。ファルマンは日々、夏休みの子どもたちに翻弄され、大変そうだ。僕は夏の疲労でプールにしばらく行けずにいたが、今週の半ばに発起して久しぶりに行き、行ったときにがんばって1000メートルとか泳ぐんじゃなく、300メートルくらい、ほどよくリフレッシュできる程度に泳いだら素早く切り上げ、ほとんど家に帰ってお風呂に入らなくてもよくするためのシャワー目的みたいな感じで利用すればいいのだと喝破して、それからは連日のように行っている。これが非常にいい。これが会員の利用法だ、と思う。
 書きたいこと、書くべきことは他にもある。しかしいかんせん夏である。へたばらないよう、そのことだけに注意して、日々を過していこうと思う。

夏の模様替え

 子どもらの夏休みが始まって、ファルマンは大変そうだ。それはそうだと思う。週末だけでも大変なものが、毎日いるのだ。それが40日余り続くのだ。考えるとぞっとする。
 放置しようと思えばできる。もう小6と小3なのだ。ずっと構ってやる必要などない。しかし子どもというものは、放っとくと本当に時間を無為にするので(まるで時間が無限にあるかのように)、少しは律してやらねばならない。学期中よりも高めることは望まないにしても、新学期にへべれけの頭で臨むわけにはいかないので、日々、勉学の時間は取る必要がある。ところがこの勉学というものが、近ごろあまりにもスムーズにいかないのだった。ポルガは「小学校の問題なんて勉強しなくてもちょろいぜ」というスタンスで不真面目、ピイガは勉強が大嫌いなので机に向かわされている間は終始不機嫌、という次第で、そんなふたりが隣り合って勉強をするとどういうことになるかと言えば、悪い比重はだいぶピイガに偏っているのだが、ピイガは自分が勉強をしたくないがゆえに、姉にもちょっかいを出しまくり、そして神経質な姉はまんまと勉強が手につかなくなり、そんなふがいない娘たちをファルマンが怒鳴るので、子どもたちが勉強中のわが家のリビングは、阿鼻叫喚の様相を呈すのだった。
 これから40日続く夏休み、早いうちに手を打たねばならないということで、少し前からポルガにせがまれていた、子どもたちの部屋を離す、という模様替えを、実行することにした。子どもたちにはこれまでもふたつの部屋を与えていて、でもそれはふたつの学習机や学用品のある勉強部屋(といいつつ机の上はいつも散らかっているのでリビングでやる)と、ふたつのベッドが並ぶ寝室、という分け方で使っていた。それをこのたび、ポルガの部屋とピイガの部屋というふうに分けることにしたのだ。はじめはそのつもりだった。しかしながら、甘え気質のピイガは、ひとり部屋なんかいらないということになり、じゃあピイガとファルマンというふたりの部屋を作って、僕もまたひとりで独立した部屋を使うというのはどうか、という話も出たのだが、紆余曲折の話し合いの末に、ピイガの机をわれわれ夫婦の部屋に持ってくる代わりに、われわれの部屋から寝室の機能は取っ払い、3人の机(とミシンとトレーニングベンチ)部屋と、3人の寝るための部屋、という分け方をすることになった。こうして書くとなんかおかしいな。結局ポルガだけが、きちんとひとり部屋を手に入れている。まあ年頃だから仕方ないのか。僕としては、トレーニングベンチが、これまで布団の上げ下げのたびにいちいち場所を移動させねばならなかったのが、スペースができたことによって固定できるようになったので、まあ微妙によくなったかな、という感じだ。
 昼ごはんのあとの勉強時間を経て、「もう模様替えするっきゃねえな」という決意をしたのが、日曜日の午後4時になんなんとするタイミングで、取り掛かりとしてはあまりにも遅かった。しかし1週延びたら被害もさらに大きくなると考え、全員でがんばった。作業はふたつの子ども部屋の家具を入れ替えるだけでは済まず、子ども部屋にあった巨大本棚をリビングに移したり、それに付随してテレビ台を撤去したりと、かなり大がかりなものになった。子どもと一緒に暮らしていると、本当によく模様替えをすることになる。子どもというのは脈動しているのだな、としみじみと思う。
 そんなわけで日曜日の後半にヘロヘロになってしまったが、なんとか作業は完了した。ちなみに本日月曜日、それぞれの机でやらせた勉強は、とてもスムーズに行なわれたとのことだ。机の上が散らからず、いつまでもその状態が続けばいいと思う。目下の問題は、「ひとり部屋」という概念をいまいち理解しないピイガが、とても頻繁にポルガの部屋に押し入ろうとすることだ。勝手に入ってポルガに怒られるので、ノックをするのだと教えたらノックをするようになったが、その結果「いま来ないで」という返事が返ってくると、キレてやっぱり押し入るのであまり意味がない。

父とお釜の3連休

 せっかくの3連休だったが、天候不順と、島根県の異様な感染拡大によって、遠方に繰り出す気概はまるで湧かず、3日とも近場の買い物だけで、あとはひたすら家族で家で過した。そういえばプールにぐらい行けばよかった気もするが、それさえしなかった。
 休日を家族でのんべんだらりと過すのは、幸福なことに違いないのだけど、それはある程度客観的に、ものの道理として、これはなにより幸せなことだよ、いつか娘たちが巣立ったあとに思い出したら、この日々はとても輝いて見えることだろうよ、と自分に言い聞かせるように思っている感も実はあって、その日その日の刹那的な、主観的な直情としては、「ああ、子ども、朝から晩までうるさいし手が掛かる……」が、心の大半を占める。ポルガとピイガ、年齢も違えば性格も違い、片方が引く場面では必ずもう片方が我を張り、その逆も然りで、ふたりの織り成すわがまま二重奏には息継ぎのための休符がまるでない。結果として、朝から晩まで絶え間なく厄介だ。
 もちろん愛しいのだ。娘たちは愛しい。それはしみじみと思う。しかし愛しく思うことと、一緒にいて愉しいということは同義ではない。これはやはり異性というのもあるだろう。ファルマンは、「子どもたちの世話、疲れる……。夏休みが怖い……」ということを口にするが、それでも見ているとわりと一緒に話したり遊んだりして、笑っている。その輪に入れない僕は、ひとりで部屋にこもり、筋トレや裁縫に没頭することとなる。家庭内での口数は、4人の中で圧倒的に少ないと思う。これはまるで、妻や娘たちとうまく喋れず家庭内で所在なさげな父親のそれだが、いざその立場になってみたら、僕は決してそういうことではないし、これまでそういうふうに、世間も僕も捉えてきたその父親の姿というのも、実はそういうことではなかったのだと気づく。うまく喋れず所在なさげというより、父親は、家族の女たちのトークに、なんの面白味も感じないのだ。だからそこに入れなくても、なにも寂しくない。いい意味で、勝手にやっていればいいと思う。女どもで勝手にやり、愉しいのであれば、父親としてはそれで万々歳だ。重ねて言うが、愛しくはあるのだ。なるべく愉しく生きてほしいともちろん思っている。ただ自分は別にそこに参加しなくてもいい。
 3連休中は、すべての食事を担当した。冷凍庫の中が、半端なもので飽和状態になっていたので、それの消化が今回のテーマだった。その目標はまあまあ達成できたんじゃないかと思う。それと、ごはんを炊かないというのも、週末はいつもなんとなく心がけていて(特別な理念があるわけではないが)、1日や2日であれば容易いものの、3日ともなるとさすがにどうだろうと思っていたが、なんとか炊かずに完走した。もちろん外食や、テイクアウトなどもしていない。うまくやった。わが家の炊飯器も3連休であった。
 縫製は、GWに母に頼まれたシャツワンピのことをやった。本番用の生地はすでに買ってあるのだが、試作として別の布でいちど作ってみようということで、作った。そのうちnwにアップするだろうが、なかなかいい具合に出来上がった(これはファルマン用)ので、本番用のそれも今日の夕方に裁った。裁って、芯を貼って、ロックを掛けるところは掛けたので、ここから先は平日の夜にもコツコツ進めやすい。もう7割くらい終わったようなもんだ。
 とまあ、3日間にしては内容が薄いが、出歩けないのだからしょうがない。なかなか贅沢に時間を使った、なによりの3連休だった。

松江と俺

 労働の用件で松江へと繰り出した。松江行きはいつだって若干身構えるというのに、今回は平日の、普通の出勤的な時間に行かねばならなかったので、さらにハラハラした。特に県庁あたりの、車線の多い、それなのに混雑しがちなあの辺りだ。それでもなんとか目的地に着き、パーキングに車を停め、行先の建物に向かって少し歩いたところ、本当にしみじみと、俺はもうこういう、ビルとかが建ち並ぶ、飲み屋がたくさんある、活動的な街で生きるのは、すごく無理だな、ということを思った。あのお前が松江ごときでそんなことを思うのかよ、という話だが、そういう話なのだ。もう人間が変わったのだ。ああいう、情報量の多い、バリバリやっている人がたくさんいる、激しい街には、すっかり気圧されてしまう側の人間になった。普段の職場があるのは本当に田舎で、そしてそれはすごく喜ばしいことなんだな、ということを思った。用件そのものは、一日仕事ではあるものの、淡々と済まされる事務的なもので、どちらかといえば気楽なものだったが、なんとなく悔いを改められたというか、戒められたような気持ちになった。恵まれた日常を漫然と受け流すのではなく、日々きちんと感謝の思いを嚙み締めなければいけない、などと殊勝なことを思ったりした。それくらい繁華街(何度も言うが松江である)に対して拒否感があった。我ながらその感想に驚いた。
 用件は16時頃に終わり、そこでもう解放という流れだったので、滅多に来ない松江を堪能しようじゃないかと、事前にあれこれとプランを考えていた。考えていたのだが、いざ行ってみたら街に気圧されて心が弱ったため、意欲が失せていた。それでイオン松江にだけ行って、パンドラハウスでワゴンセールになっていたニット生地のはぎれを何点か買い、それでもう松江をあとにすることにした。街に怯え、はぎれを買って癒されようとするって、やっていることがもう、小鳥のようではないか。なんと僕はか弱い生き物になったのか。
 宍道湖のほとりを走り、松江から離れるにつれ、徐々に心は平穏になっていった。たぶん免許センターのあたりが境界線になっている。免許センターからあっちは、心がざわつく。広島ではこんなことにはならなかった。旅行者は気楽だ。松江は、なんなら生活圏だから、こういう思いを抱くのだろうと思う。
 帰り道の途中の平田で、久しぶりに「ゆらり」に立ち寄った。これはあらかじめ計画していた。松江で抱いた心細さから、もういっそ早く家に帰りたいという気持ちもあったが、近ごろはプールばかりでサウナにぜんぜん行っておらず、たまにはのんびりとサウナ温泉をしたいなあという思いは、日常の中にあった。それで今回の計画に入れていた。その気持ちを掻き立て、たぶん行かずに帰ったら後悔するぞと自らを叱咤し、ようやく寄ることができた。ゆらりにはスタンプカードがあり、それによると前回の来訪は去年の8月。ほぼほぼ1年も前である。結果として行ってよかったかどうかで言えば、まあよかった。入館したのは18時前で、まだかなり陽があり気温も高かったため、外気浴がままならないかなあと危ぶんだが、わりとなんとかなった。去年の6月の、これも松江に行った日の「ゆ~ゆ」の二の舞にはならずに済んだ。サウナ内のテレビでは、1回目のときだけギリギリで大相撲をやっていた。思えば夕方ってあまり来ないので、サウナで相撲を見たのは初めてかもしれない。野球もいいが、相撲も実にサウナ向きのものだなあと思った。3セットし、いい具合にすっきりし、温泉にもじっくり浸かって、堪能した。そこまで頻繁に行くものでもないと思うが、サウナもたまに行くとやっぱりいいもんだな、と思った。松江で受けたダメージが回復し、纏わりついていたものが取り払われた気がした。
 そんな今回の松江行きだった。松江に行ったときのことはきちんと書く。前から意識してそうしてきたが、松江はどうも、なにか僕の心をざわつかせるところがあるようだ。なんでだろう。倉敷市民時代、岡山に対してこんな思いはなかった。不思議。

週末

 7月に入る。夏だし、1年の後半スタートという思いもある。そうか、正月から、もう半年が過ぎたのか。正月は遠い昔のような気もするし、ついこないだのような気もする。人生はこれの百五十回くらいの積み重ねか。
 相も変わらず、ひたすら家族で週末を過す。そういう宗派のご家庭なのかしら、というくらい、家族以外の人間と交流を持たない。正解はただ友達がいないだけだ。
 土曜日の午前中は、買い物に出た。買うものリストには、洗顔せっけん、ボディーソープ、歯磨き粉、ハンドソープ、洗濯洗剤、食器洗剤とあって、ここまで家のシャボン系物品が同時に買い替えのタイミングを迎えるのって、ちょっとした奇蹟ではないかと思った。
 午後は、しばらく家の用事を済ませたあと、子どもたちを連れてプールに繰り出す。時期になったので海水浴もありなのではないかという思いが少しだけ浮かんだが、行っているプールがまあまあのレジャー要素のあるプールということもあり、果たして海ってプールよりも愉しいのか? という疑念が頭をもたげてしまい、いざとなるとなかなか足が向かない。シャワーとか、脱衣所とか、砂とか、陽射しとか、そういったいろいろな面倒ポイントのことを思うと、海水浴とはだいぶハードルの高いレジャーであると思う。せっかくだから7月中にいちどは行きたい気もするが、プールにさえ行かないファルマンが賛同するとも思えない。まあ実際、プールでいいかもしれない。この日のプールも愉しんだ。ピイガの世話があるので個人的なスイミングはできないが、年会員なので心にゆとりがある。半月ほど前の週末に来たときにも人が増えたな、と思ったが、今回はますます増えていた。男女混合のグループで来ているらしい中学生集団がいて、男子のテンションの高さが異様だった。迷惑といえば迷惑だったが、でも解るよ、と思った。テンション上がらいでか。
 帰宅して、晩ごはん。鶏肉の天ぷらを揚げて、天ざるにして食べる。おいしい。
 プールに行かなかったファルマンは、マイナポイントのことをせっせとやっていたらしかった。手続きをすると、ひとりあたり15000ポイントゲットらしい。なんだそれ、と思う。とりあえず嬉しい。僕はポイントの振込先をペイペイにしてもらった。そして次の日の朝、起きたらペイペイの残高が15000増えていた。速い。こういう機敏さはペイペイのいいところだな。ちょうど欲しいと思っていたものがあったので、買わせてもらうことにした。
 昨日が買い物やプールでバタバタしたので、日曜日は外出せずに家でしたいことをして過ごそうと考えていた。考えていたのだが、10時あたりになんの前触れもなく停電が起ったため、出掛けざるを得なくなる。停電なんていつぶりだろう。原因は今もってよく分からない。スマホで電力会社のページを確認すると、なるほど居住地のエリアが停電情報の欄に載っていた。なにぶんエアコンがなければ熱中症になってしまうような気候である。たまらず車に乗り込んだ。冷蔵庫のことは心配だったが、そこまで長引かない限り大丈夫だろう、とにかくドアを開けて今ある冷気を逃さないことだ、と思った。
 イオンに行った。停電による暑さを逃れてイオン。実に一般庶民的な行動パターンだな。それでしばらく書店やおもちゃ売り場を冷やかしていたら、やがて停電情報の範囲はどんどん狭まっていき、最終的にはすっかり消失した。すなわち復旧したらしかった。なのでついでに食料品の買い物を済ませ、帰宅した。電気は無事に正常になっていた。
 昼ごはんを済ませ、午後は縫い物と筋トレをして過した。最近またバトン熱が高まっているのだけど、バトンを回すのにふさわしくない季節だ。うまくいかない。
 晩ごはんはアクアパッツァ。イオンで「アクアパッツァ用」として魚介類の盛り合わせが売っていたので、いいなあと思って購ったのだった。作ってみたら、実によかった。サーモン、いか、えび、ムール貝に、ブロッコリー、ナス、プチトマト、しめじを加え、仕立てる。そんなんおいしいに決まってるじゃん。これも停電のおかげだね、なんて言いながら喜んで食べた。この最中、ファルマンがアクアパッツァのことをどうしても覚えられない、ということが判明し、僕とポルガでいじりまくった。ファルマンのこういうところが大好物なところを、ポルガはしっかり受け継いだ。どうもファルマンは、今日初めて知ったこの料理を、前半部と後半部に分かれた言葉で、水産物っぽいニュアンスが含まれていた、とぼんやり認識したようで、「おいしいねえ、マリントッツォ」と言ったのだった。食卓に衝撃が走った。これもまたしっかり記憶できていない横文字としての「マリトッツォ」(わが家は結局いちども食べなかった)の影響を色濃く受け、そこに無理やり海の要素を入れてきたらしく、間違え方に技巧が光る。意図的にこんなボケはできない。さすがだ。そのあと「アクアパッツァだよ!」とみんなから突っ込まれ、「ああ、ああ。アクアパッツァね。もう分かった」と言うので、3分くらいした後に「この料理ってなんて名前だっけ?」と訊ねたら、「マリン……トッツォ?」という答えだったので、これはちょっと引いた。だいぶ笑えるレベルを超えてきた。
 まあそんな、家族でのんびりと過した週末だった。夜はいつものように鎌倉殿をファルマンと晩酌しながら眺めた。その際に「晩ごはんおいしかったね。なんだっけ?」と訊ねたところ、「……アクアテッシュ?」という答えだった。どうやらファルマンの言語中枢に「パッツァ」は存在し得ないようだ。不憫。