カラオケに行く。前回からそこまで間が空いていないが、前回は部屋が超絶に狭かったため、カラオケに行って得られたはずのなにかが得られていないと言うか、とにかくなんとなくフラストレーションが溜まっていたのだった。それで今回はいつものお店に行って、のびのびと唄った。もうきっと東京ではカラオケに行けない身体になってしまった。
唄ったものは順番に、以下の通りである。
1曲目、「センチメンタル」(岩崎宏美)。有線で流れるこの歌を、前々からいいと思っていたが、誰のなんという歌なのか、なかなか特定できずにいた。それがつい先日になってやっと判り、そしてその作詞者と言えばやっぱり阿久悠なのだった。もう僕はどんなにジタバタしても、結局は阿久悠の掌の上にいるのだな、としみじみと思う。
2曲目、「潮騒のメロディー」(高田みづえ)。先日の「硝子坂」に続いて、マイブーム中の高田みづえである。本当は「火の鳥」を唄いたかったのだが、カラオケに入っていなかった。すごく残念だ。いつか入ればいい。これから新たに入るなんてことは絶対にない。
3曲目、「プラネタリウム」(大塚愛)。これは時事選曲。RIP SLYMEで僕に唄える曲はないだろうと最初から諦めて、大塚愛で考えた結果、「さくらんぼ」ではなく歌詞の内容的もこちらだろうな、と思って唄った。要するに悪ふざけである。
4曲目、「瞳」(aiko)。前回「ボーイフレンド」を唄ったように、aikoにいま少し興味が出ていて、CDなんかも聴いている。aikoの歌が頻繁に世間で流れていた当時、まるでなんにも感じずにいたけれど、ちゃんと聴いてみると意外とおもしろいと思った。
5曲目、「Let it go」(松たか子)。いつもポルガが唄うので遠慮していたが、今回久々に熱唱してみた。気持ちがよかった。
6曲目、「365日の紙飛行機」(AKB48)。近ごろ有線で、AKBじゃない誰かが唄っているのが流れて、いい歌だと思って唄った。ちなみにそのカバーを唄っていたのはToshlなのだった。「チキンライス」のカバーも同時に気になっていたが、それも同じくToshlだった。へええ、と思った。
7曲目、「ぴったりしたいX'mas!」(プッチモニ)。これは吉澤ひとみの有罪が確定したからではなくて、この1曲前にファルマンが「いつかのメリークリスマス」を唄ったので、ああそうか12月のクリスマスソングか、と考えて、考えて考えて考えた末に思い浮かんだのがこれだった。「クリスマスソングで考えてそれなんだ?」とファルマンに驚愕された。自分でもびっくりだ。
8曲目、「誰が為に」(成田賢)。これは追悼歌唱。そして今回唯一の男性の歌。唄うのは2度目だが、音程が低くて声が出なかった。
9曲目、「さよならの向う側」(山口百恵)。マイクに着けるためのリボン飾りを作る、という趣味を数か月前に立ち上げて、ときどき実際に作ったりしているのだが、2回連続でカラオケに持っていくのを忘れている。この歌を唄うときなんかは本当にあったほうがいいな、と悔しく思った。歌唱そのものはとても気持ちがよかった。途中に1分間にも及ぶ間奏があり、この1分間をうまく使えれば場を相当に盛り上げることができる気がする。研究しようと思う。
以上。前回の雪辱という意欲もあり、今回はとても成功したカラオケだった。よかった。
帰宅後は近所のスーパーに行ったり、オーブンで焼き芋を作っておやつに食べたり、のんびりと過す。Mー1の敗者復活戦を少しだけ観て、普段はそんなことしないのだが、dボタンで投票なんかしたりする。金属バットが決勝に行ってくれたらいいなー。6時半からの本放送は、子どもと一緒に観られるはずもないので(子どもはネタ中も普通にでかい声でしゃべる)録画して、このあとファルマンと早送り交じりに観る予定。それまでヤフーとかは一切見ない予定。
晩ごはんはお好み焼き。先週の3連休が終わった翌日の月曜日に、あろうことか、俺はお好み焼きがとても食べたかったじゃないかよ、と思い至り、それから悶々とウィークデイを過ごしたのだった。そしてようやく食べることができた。おいしくて満足した。いい休日だった。
3連休
連休はがっつりと休んだ。
初日は少し気張って、片道1時間以上かかる先にある大型公園に繰り出そうと目論むが、準備中にポルガの精神が爆発して、靴下を穿くだの穿かないだのという、死ぬほどどうでもいいことで出発が遅れ、車内でもずっとブスッとしていて、そんなんならじゃあもう今日は中止にするよ、いま謝ったら許してあげるよ、というやりとりを10回以上繰り返すも、とうとう最後まで謝らなかったので、家から20分くらいのところで本当に引き返すことになった。午前中はそんなことで潰れてしまい、心底うんざりした。
家に帰ってから、とばっちりで公園を逃したピイガを連れて、近所の公園にふたりで行く。先週の公園には、雲梯はあったが鉄棒はなく、こちらには雲梯はないけれど鉄棒があるので、この日は思う存分に鉄棒をするところを見た。それにしても鉄棒に嵌まっているという話を聞いて、鉄棒に嵌まるってどういうことやねん、と感じていたけれど、それは僕が鉄棒でできることがあまりにも少なく、鉄棒という器具になんの発展性も見出せなかったからなのだと、ピイガの遊ぶさまを見ていて分かった。鉄棒って、遊べる子はこんなに愉しそうに遊べるものなのか、と感心した。鉄棒は低・中・高と並んでいて、中の時点でピイガの身長よりもだいぶ高いのだが、ピイガは片手を高く持ち上げてジャンプをし、指先でなんとか棒を掴むと、そこからグイと自分の体全体を持ち上げ、足を引っ掛け、背よりも高い鉄棒でグルグルと回転するのだった。マジですごいと思った。なるほどあれならば鉄棒は愉しい遊具になるだろうな。
帰宅してから午後は、パピロウヌーボのことをやったり、夕飯の下拵えをしたり、まだ消化しきれていない「西郷どん」を観たり、だらだらと過した。夕飯は、煮豚を作ったのでラーメンと、チルドの餃子。「まんぷく」を観ている影響で、ラーメン欲求が高まって困る。なんだかNHKのドラマばかり観ているな。
夜はたっぷり夜更かしし、零時過ぎにパピロウヌーボを無事にアップする。やー、今年も無事に終わった。これはハロウィンとか秋祭りとかと同じ、パピロウというブログ農家の収穫祭みたいなものだな、と思う。だから無事に執り行なえることがとてもめでたい。
2時台に寝て、9時台に起きる。ファルマンは「私はこれが理想の生活のリズムだ」と言う。たしかになあ、という気もするが、しかしそれは普段、零時前に寝て6時台に起きる暮しをしているから、そこからの逸脱としての価値が出て充足感があるんであって、普段からずっと2時ー9時で暮していたら、それはそれで規則になって、喜びは伴わなくなり、予定のない日は4時ー11時を有難がるようになるのではないかとも思う。
なんてことを言いつつ、実はこの日の午前、僕には予定があるのだった。とは言え「午前」というざっくりした予定なので、目覚ましはセットしなかった。予定とはインフルエンザの予防接種である。去年の悪夢を経て、今年のわが家は全員がきちんと予防接種を受けることにしていて、まだなのは僕だけなのだった。というわけで予約していた近所のクリニックへ。予約と言っても、この日に受けに行くのでワクチンを確保しといてくれ、という感じの予約なので、けっこう順番を待たされた。土曜日に予防接種を受ける必要のある勤め人以外にも、普通に風邪が流行っているようだった。タブレットは持ってきていたが、本は持っておらず、タブレットでの時間潰しというものに慣れていないので、見たいインターネットのページも思い浮かばず、退屈した。そうしてずいぶん待って、いざ呼ばれたら一瞬の出来事だった。典型的な病院あるある話である。
その帰りにスーパーで天ぷらを買い、昼ごはんは天ざる。休日は普段の鬱憤を晴らすために、献立が偏執的なまでに麺類中心になる。おいしかった。
午後から車でちょっと出掛け、図書館に行ったり、瀬戸内海をバックに年賀状用の写真を撮ったりする。まあまあいいものが撮れたので、この日の写真で決まりそうだ。晩ごはんは、子どもたちには肉野菜炒め、大人には豚キムチを作る。ずっと切望し続けているキムチ鍋には、いつまでも到達できないのだけど、豚キムチは、こうして自分で料理をするときに、手間だけど子どもたちと分けて作ることでなんとか実現することができた。おいしい。豚バラとキムチはひたすらおいしい。ビールがぐいぐい進んだ。
翌日の今日は、子どもたちが縫いものをしたいというので、エプロンを作ることにする。子どもたちの体に合わせて型紙を作り、裁断をして、袖もなければ前身頃と背身頃の縫い合わせもないエプロンというのは、それでほとんど行程がおしまい、という感じはあるのだけど、ポケットを縫い付ける工程を子どもたちにも手伝わせた。ポルガはもうひとりでそれなりにやるのだけど、ピイガはもちろんできるはずもなく、しかし私もやりたいという意欲だけはあるので、仕方なく一緒に椅子に座り、フットスイッチを踏むことだけをやらせた。なので僕は、4歳児の踏むフットスイッチに合わせて布を動かし縫うという、とても緊張感のあるシチュエーションで作業をすることとなった。それでもなんとか無事に完成する。これも近日中、「nw」にアップしようと思う。
貴景勝の優勝を見たあと、炒飯と中華スープの夕食。煮豚たっぷりの炒飯がとてもおいしかった。炒飯は溜まっていた冷凍ごはんで作ったため、この3日間を僕は、いちど3合の米を炊いたきりで乗り切った。そのくらい麺ばかりを食べた。
晩ごはんのあとはトランプをしたりして、平和に過ごした。初日の午前にあんなことがあって、どうなることかと危ぶんだが、尻上がりにいい具合になった3連休だった。いい具合に癒された。
初日は少し気張って、片道1時間以上かかる先にある大型公園に繰り出そうと目論むが、準備中にポルガの精神が爆発して、靴下を穿くだの穿かないだのという、死ぬほどどうでもいいことで出発が遅れ、車内でもずっとブスッとしていて、そんなんならじゃあもう今日は中止にするよ、いま謝ったら許してあげるよ、というやりとりを10回以上繰り返すも、とうとう最後まで謝らなかったので、家から20分くらいのところで本当に引き返すことになった。午前中はそんなことで潰れてしまい、心底うんざりした。
家に帰ってから、とばっちりで公園を逃したピイガを連れて、近所の公園にふたりで行く。先週の公園には、雲梯はあったが鉄棒はなく、こちらには雲梯はないけれど鉄棒があるので、この日は思う存分に鉄棒をするところを見た。それにしても鉄棒に嵌まっているという話を聞いて、鉄棒に嵌まるってどういうことやねん、と感じていたけれど、それは僕が鉄棒でできることがあまりにも少なく、鉄棒という器具になんの発展性も見出せなかったからなのだと、ピイガの遊ぶさまを見ていて分かった。鉄棒って、遊べる子はこんなに愉しそうに遊べるものなのか、と感心した。鉄棒は低・中・高と並んでいて、中の時点でピイガの身長よりもだいぶ高いのだが、ピイガは片手を高く持ち上げてジャンプをし、指先でなんとか棒を掴むと、そこからグイと自分の体全体を持ち上げ、足を引っ掛け、背よりも高い鉄棒でグルグルと回転するのだった。マジですごいと思った。なるほどあれならば鉄棒は愉しい遊具になるだろうな。
帰宅してから午後は、パピロウヌーボのことをやったり、夕飯の下拵えをしたり、まだ消化しきれていない「西郷どん」を観たり、だらだらと過した。夕飯は、煮豚を作ったのでラーメンと、チルドの餃子。「まんぷく」を観ている影響で、ラーメン欲求が高まって困る。なんだかNHKのドラマばかり観ているな。
夜はたっぷり夜更かしし、零時過ぎにパピロウヌーボを無事にアップする。やー、今年も無事に終わった。これはハロウィンとか秋祭りとかと同じ、パピロウというブログ農家の収穫祭みたいなものだな、と思う。だから無事に執り行なえることがとてもめでたい。
2時台に寝て、9時台に起きる。ファルマンは「私はこれが理想の生活のリズムだ」と言う。たしかになあ、という気もするが、しかしそれは普段、零時前に寝て6時台に起きる暮しをしているから、そこからの逸脱としての価値が出て充足感があるんであって、普段からずっと2時ー9時で暮していたら、それはそれで規則になって、喜びは伴わなくなり、予定のない日は4時ー11時を有難がるようになるのではないかとも思う。
なんてことを言いつつ、実はこの日の午前、僕には予定があるのだった。とは言え「午前」というざっくりした予定なので、目覚ましはセットしなかった。予定とはインフルエンザの予防接種である。去年の悪夢を経て、今年のわが家は全員がきちんと予防接種を受けることにしていて、まだなのは僕だけなのだった。というわけで予約していた近所のクリニックへ。予約と言っても、この日に受けに行くのでワクチンを確保しといてくれ、という感じの予約なので、けっこう順番を待たされた。土曜日に予防接種を受ける必要のある勤め人以外にも、普通に風邪が流行っているようだった。タブレットは持ってきていたが、本は持っておらず、タブレットでの時間潰しというものに慣れていないので、見たいインターネットのページも思い浮かばず、退屈した。そうしてずいぶん待って、いざ呼ばれたら一瞬の出来事だった。典型的な病院あるある話である。
その帰りにスーパーで天ぷらを買い、昼ごはんは天ざる。休日は普段の鬱憤を晴らすために、献立が偏執的なまでに麺類中心になる。おいしかった。
午後から車でちょっと出掛け、図書館に行ったり、瀬戸内海をバックに年賀状用の写真を撮ったりする。まあまあいいものが撮れたので、この日の写真で決まりそうだ。晩ごはんは、子どもたちには肉野菜炒め、大人には豚キムチを作る。ずっと切望し続けているキムチ鍋には、いつまでも到達できないのだけど、豚キムチは、こうして自分で料理をするときに、手間だけど子どもたちと分けて作ることでなんとか実現することができた。おいしい。豚バラとキムチはひたすらおいしい。ビールがぐいぐい進んだ。
翌日の今日は、子どもたちが縫いものをしたいというので、エプロンを作ることにする。子どもたちの体に合わせて型紙を作り、裁断をして、袖もなければ前身頃と背身頃の縫い合わせもないエプロンというのは、それでほとんど行程がおしまい、という感じはあるのだけど、ポケットを縫い付ける工程を子どもたちにも手伝わせた。ポルガはもうひとりでそれなりにやるのだけど、ピイガはもちろんできるはずもなく、しかし私もやりたいという意欲だけはあるので、仕方なく一緒に椅子に座り、フットスイッチを踏むことだけをやらせた。なので僕は、4歳児の踏むフットスイッチに合わせて布を動かし縫うという、とても緊張感のあるシチュエーションで作業をすることとなった。それでもなんとか無事に完成する。これも近日中、「nw」にアップしようと思う。
貴景勝の優勝を見たあと、炒飯と中華スープの夕食。煮豚たっぷりの炒飯がとてもおいしかった。炒飯は溜まっていた冷凍ごはんで作ったため、この3日間を僕は、いちど3合の米を炊いたきりで乗り切った。そのくらい麺ばかりを食べた。
晩ごはんのあとはトランプをしたりして、平和に過ごした。初日の午前にあんなことがあって、どうなることかと危ぶんだが、尻上がりにいい具合になった3連休だった。いい具合に癒された。
晩秋公園
のんびりと図書館と公園に繰り出す。11月の過ごしやすい気候だった。
図書館では小説を何冊か借りる。この半月ほど、自分の1年間の日記を読み返す必要があったこともあり、本を本当にまるで読まずにいたら、さすがに暮しが味気なく物足りない気がしてきたので、読書欲が高まった。それで吟味して借りた。心が充足するような読書ができればいいと思う。
公園では遊具でひとしきり遊ばせる。ポルガは相変わらずアスレチック系の遊具に目がないのだが、ピイガは近ごろになって、鉄棒と雲梯に嵌まっている。セレクトが質実剛健でかっこいい。今日の公園で初めてピイガが雲梯をするところを見たが、それはもうスイスイと、端から端までを腕の力だけで伝って進んでいたので、びっくりした。子どもは体が軽い、とは言うものの、僕なんかは子どもの頃だってあんなものはいちどもできたことがない。両手でぶら下がるだけで精一杯で、一瞬片手になって次の棒へ進んでいくなどという行為は、自分とは完全に別世界の話だと思っていた。それなのに娘はできる。ポルガはこれまで雲梯なんて見向きもしなかったが、ピイガがあまりにも愉しそうにやるので触発されたか挑戦してみた結果、こちらもわりとできていた。信じられない。ここは完全にファルマンの遺伝子だ。研究所のゴリラと生殖した果以があった。
そのあとはがらんどうのような広場にレジャーシートを広げ、昼ごはんを食べた。持ってきたのは炊飯器に残っていたごはんで作ったおにぎり4つきりで、これだけだともちろん足りなくて、家に帰ったあとに半端な軽食を取る必要が出てくるなあと思っていたところへ、園の端の木立の向こう側にコンビニの看板を見つけ、色めき立つ。そしてサンドイッチやフライドチキンを買い足し、ちゃんと昼ごはんにすることできた。たまに食べるコンビニのジャンキーなフライドチキンはおいしい。外で食べるからなおさらおいしい。
腹ごしらえを済ませたあとは、写真撮影タイム。僕はやっぱりLINEの画像を自分がバトンを華麗に回している姿にしたいという欲望があり、ファルマンに撮影してもらう。そして子どもたちに関しては、もうそろそろ来年の年賀状のそれを撮らなければならない時期になってきたため(11月中盤あたりから、運営ブログの企画、クリスマス、正月、そして子どもらの誕生日と、こなさなければならない事項がいろいろ出てくる)、それを目論んで写真をたくさん撮った。結果として、前者はなかなかいい写真が撮れて、それはもう背景画像に設定した。後者は、まあこれでも悪くはないかなー、というものはあったのだが、もう少し粘ってみようということで、その画像で早速年賀状のデザイン作成を始める、ということにはならなかった。ちなみに夏の終わりあたりに作ったポンチョを着せていたので、今日撮影した後ろ姿の写真で、そのうち「nw」に記事を書こうとは思う。
帰宅後は撮った写真をパソコンに取り込んでみんなで眺めて笑ったりして、ゆるゆると過す。そう言えば今日は午後に酒を飲んだり昼寝をしたりしなかったな。
晩ごはんは鍋ラーメン。どうもここ2回くらいの鍋ラーメンはあっさりしていてコクがないという不満があったので、コクを出すにはどうすればいいかと考え、ちくわをたくさん入れてみる。その結果かどうかは分からないが、満足いく出来になり、感動しながら食べた。家族であたたかいものを囲んで食べるのは嬉しい。
図書館では小説を何冊か借りる。この半月ほど、自分の1年間の日記を読み返す必要があったこともあり、本を本当にまるで読まずにいたら、さすがに暮しが味気なく物足りない気がしてきたので、読書欲が高まった。それで吟味して借りた。心が充足するような読書ができればいいと思う。
公園では遊具でひとしきり遊ばせる。ポルガは相変わらずアスレチック系の遊具に目がないのだが、ピイガは近ごろになって、鉄棒と雲梯に嵌まっている。セレクトが質実剛健でかっこいい。今日の公園で初めてピイガが雲梯をするところを見たが、それはもうスイスイと、端から端までを腕の力だけで伝って進んでいたので、びっくりした。子どもは体が軽い、とは言うものの、僕なんかは子どもの頃だってあんなものはいちどもできたことがない。両手でぶら下がるだけで精一杯で、一瞬片手になって次の棒へ進んでいくなどという行為は、自分とは完全に別世界の話だと思っていた。それなのに娘はできる。ポルガはこれまで雲梯なんて見向きもしなかったが、ピイガがあまりにも愉しそうにやるので触発されたか挑戦してみた結果、こちらもわりとできていた。信じられない。ここは完全にファルマンの遺伝子だ。研究所のゴリラと生殖した果以があった。
そのあとはがらんどうのような広場にレジャーシートを広げ、昼ごはんを食べた。持ってきたのは炊飯器に残っていたごはんで作ったおにぎり4つきりで、これだけだともちろん足りなくて、家に帰ったあとに半端な軽食を取る必要が出てくるなあと思っていたところへ、園の端の木立の向こう側にコンビニの看板を見つけ、色めき立つ。そしてサンドイッチやフライドチキンを買い足し、ちゃんと昼ごはんにすることできた。たまに食べるコンビニのジャンキーなフライドチキンはおいしい。外で食べるからなおさらおいしい。
腹ごしらえを済ませたあとは、写真撮影タイム。僕はやっぱりLINEの画像を自分がバトンを華麗に回している姿にしたいという欲望があり、ファルマンに撮影してもらう。そして子どもたちに関しては、もうそろそろ来年の年賀状のそれを撮らなければならない時期になってきたため(11月中盤あたりから、運営ブログの企画、クリスマス、正月、そして子どもらの誕生日と、こなさなければならない事項がいろいろ出てくる)、それを目論んで写真をたくさん撮った。結果として、前者はなかなかいい写真が撮れて、それはもう背景画像に設定した。後者は、まあこれでも悪くはないかなー、というものはあったのだが、もう少し粘ってみようということで、その画像で早速年賀状のデザイン作成を始める、ということにはならなかった。ちなみに夏の終わりあたりに作ったポンチョを着せていたので、今日撮影した後ろ姿の写真で、そのうち「nw」に記事を書こうとは思う。
帰宅後は撮った写真をパソコンに取り込んでみんなで眺めて笑ったりして、ゆるゆると過す。そう言えば今日は午後に酒を飲んだり昼寝をしたりしなかったな。
晩ごはんは鍋ラーメン。どうもここ2回くらいの鍋ラーメンはあっさりしていてコクがないという不満があったので、コクを出すにはどうすればいいかと考え、ちくわをたくさん入れてみる。その結果かどうかは分からないが、満足いく出来になり、感動しながら食べた。家族であたたかいものを囲んで食べるのは嬉しい。
大改造
疲労困憊である。断行したのである。わが家の大々的な模様替え、もとい改造をである。もはや模様替えなどというゆるやかな表現ではふさわしくないほどの大事業、聖域なき改革だった。これによりこの住まいでのわが家の暮らしは、第2部へと転換したと言っていい。
なんてったって2段ベッドである。これを導入するにあたり、これまでひとつの部屋に3つ並べていたベッドが、ひとつでよくなった。そうしてベッドがふたつなくなった部屋に、僕とファルマンの机を持ってきた。ここはこれから僕とファルマンの部屋になるのだ。かくして僕とファルマンの机(すなわちパソコン)は、普通に横に並ぶことになった。向かい合わせ、背中合わせ、角突き合わせ、これまでいろいろなフォーメーションを取ってきたが、横並びはというのは実は初めてである。互いの画面が簡単に視界に入るのが、なんとなくまだ慣れない。これじゃあ自由奔放に本能の赴くままのページは開けないじゃないか、と思う。いっそパーテーションで仕切ろうかとさえちょっと思う。しかし部屋の状態そのものはとても快適だ。なにしろこの部屋には子どものものが一切ない。折り紙作品がセロテープであちこちに貼られたり、レゴが落ちていたり、そんなことがまるでないのだ。それだけのことで部屋というのはとても快適になる。もちろんまだ完全に整ったとは言い難く、これからさらにどんどん心地よくしていこうと思う。そうだ、自分の家というのは、そして部屋というのは、居心地がよくて心が安らぐものだったのだな。この数年、そのことをちょっと忘れていた。
僕とファルマンの机が立ち去り、これまで家族4人の机が結集していた、通称「机部屋」が、今後は子どもたちの部屋ということになる。それで親の机があった場所に2段ベッドを配置、ということなら話は簡単だったのだけど、エアコンの位置の事情などからそうはいかず(上段で寝るポルガに風があまりにも至近距離で当たってしまう)、そのため一念発起して、その反対側の壁をほぼ塞ぐようにして聳える2台の本棚を、動かすことにする。これが本当にもう、重労働だった。もちろんそのままでは動くはずもなく、ぎちぎちに詰まった本を、いちど全て取り出す。空っぽになってようやくなんとか動かせる重さになり、想定の位置に移したあとは、また取り出した本を入れ直さなければならない。この作業でくたくたになった。
ここまでが終わって、土曜日の、夕方だった。もちろん翌日の日曜日もあるのだが、もうベッドを解体してしまっているので、子どもたちの寝床は作らなければならず、「こ、このヘロヘロの体で、これから2段ベッドを組み立てるだと……?」となった。最奥にいるボスと戦うためにダンジョンを突き進んだら、ボスのもとにたどり着いたときにはもはやボロボロ、みたいな状態。それでもやるっきゃないのでがんばった。とは言え、物が大きいし箱の数も多いので怖気づいたが、それでも説明書通りに作ればいいのだから、話せばわかる相手だった。それより本棚の移動のほうがよほど大変だった。
かくして2段ベッドが完成する。おおー、となった。ファルマン家にはあったらしいが、僕の家にはなかったので、2段ベッドというものに馴染みがない。家に2段ベッドがあるというのはこういう感じか、と思った。2段でなくしたあとも長く使えるようにと、奮発してけっこういいものを選んだので、見栄えがいい。子どもたちももちろん大喜びだった(組立作業中も、何度注意しても乱入してきた)。
当夜は、子どもたちは無事に寝られるだろうか、初日に躓くと尾を引きそうだな、と危ぶんだが、子どもたちにも模様替えの手伝いでそれなりに疲労があったのか、無事に寝た。朝方に目を覚ましたピイガが少し泣いただけで済んだ。
日曜日は、本棚を移動したりベッドを作ったりという大々的な作業ではない、しかし諸々の必要な作業をひたすらやった。これは達成感がないし、地味にすごく疲れる。ファルマンは引っ越し狂なのでこういう作業は得意であり、バリバリとやってくれたが、僕はだいぶ引け腰で、子どもを連れてスーパーに行ったり、料理をしたり、ブックオフに本を売りに行ったりして、それなりにサボった。適材適所ですね。
そんなこんなで、とても疲れた週末だったが、無事に大事業が成った。よかったよかった。
なんてったって2段ベッドである。これを導入するにあたり、これまでひとつの部屋に3つ並べていたベッドが、ひとつでよくなった。そうしてベッドがふたつなくなった部屋に、僕とファルマンの机を持ってきた。ここはこれから僕とファルマンの部屋になるのだ。かくして僕とファルマンの机(すなわちパソコン)は、普通に横に並ぶことになった。向かい合わせ、背中合わせ、角突き合わせ、これまでいろいろなフォーメーションを取ってきたが、横並びはというのは実は初めてである。互いの画面が簡単に視界に入るのが、なんとなくまだ慣れない。これじゃあ自由奔放に本能の赴くままのページは開けないじゃないか、と思う。いっそパーテーションで仕切ろうかとさえちょっと思う。しかし部屋の状態そのものはとても快適だ。なにしろこの部屋には子どものものが一切ない。折り紙作品がセロテープであちこちに貼られたり、レゴが落ちていたり、そんなことがまるでないのだ。それだけのことで部屋というのはとても快適になる。もちろんまだ完全に整ったとは言い難く、これからさらにどんどん心地よくしていこうと思う。そうだ、自分の家というのは、そして部屋というのは、居心地がよくて心が安らぐものだったのだな。この数年、そのことをちょっと忘れていた。
僕とファルマンの机が立ち去り、これまで家族4人の机が結集していた、通称「机部屋」が、今後は子どもたちの部屋ということになる。それで親の机があった場所に2段ベッドを配置、ということなら話は簡単だったのだけど、エアコンの位置の事情などからそうはいかず(上段で寝るポルガに風があまりにも至近距離で当たってしまう)、そのため一念発起して、その反対側の壁をほぼ塞ぐようにして聳える2台の本棚を、動かすことにする。これが本当にもう、重労働だった。もちろんそのままでは動くはずもなく、ぎちぎちに詰まった本を、いちど全て取り出す。空っぽになってようやくなんとか動かせる重さになり、想定の位置に移したあとは、また取り出した本を入れ直さなければならない。この作業でくたくたになった。
ここまでが終わって、土曜日の、夕方だった。もちろん翌日の日曜日もあるのだが、もうベッドを解体してしまっているので、子どもたちの寝床は作らなければならず、「こ、このヘロヘロの体で、これから2段ベッドを組み立てるだと……?」となった。最奥にいるボスと戦うためにダンジョンを突き進んだら、ボスのもとにたどり着いたときにはもはやボロボロ、みたいな状態。それでもやるっきゃないのでがんばった。とは言え、物が大きいし箱の数も多いので怖気づいたが、それでも説明書通りに作ればいいのだから、話せばわかる相手だった。それより本棚の移動のほうがよほど大変だった。
かくして2段ベッドが完成する。おおー、となった。ファルマン家にはあったらしいが、僕の家にはなかったので、2段ベッドというものに馴染みがない。家に2段ベッドがあるというのはこういう感じか、と思った。2段でなくしたあとも長く使えるようにと、奮発してけっこういいものを選んだので、見栄えがいい。子どもたちももちろん大喜びだった(組立作業中も、何度注意しても乱入してきた)。
当夜は、子どもたちは無事に寝られるだろうか、初日に躓くと尾を引きそうだな、と危ぶんだが、子どもたちにも模様替えの手伝いでそれなりに疲労があったのか、無事に寝た。朝方に目を覚ましたピイガが少し泣いただけで済んだ。
日曜日は、本棚を移動したりベッドを作ったりという大々的な作業ではない、しかし諸々の必要な作業をひたすらやった。これは達成感がないし、地味にすごく疲れる。ファルマンは引っ越し狂なのでこういう作業は得意であり、バリバリとやってくれたが、僕はだいぶ引け腰で、子どもを連れてスーパーに行ったり、料理をしたり、ブックオフに本を売りに行ったりして、それなりにサボった。適材適所ですね。
そんなこんなで、とても疲れた週末だったが、無事に大事業が成った。よかったよかった。
週末
ようやく新しいパソコンが整う。ああパソコンいい。Windowsの世代が変わったので、それでどうしたって違和感というのはあるけれど、それでもやっぱりパソコンはいい。タブレットでもインターネットはできるし、文章作成もできるのだけど、どうにも没入できない感じがあった。パソコンが扉だとすれば、タブレットは窓のようなイメージ。窓からでも中は覗き見ることができるし、言葉をかけることもできるし、ちょっとした物なら受け渡しすることもできる。でもそれって正式じゃない。ちゃんと玄関から入ってないから、お互いに雑な感じの応対になる。急いでいるときなど、むしろそっちのほうがいい場合も当然ある。ただ情報を得るためなら、それでいいのだ。でもきちんとなにかをしたいのなら、タブレットやスマホではなかなかできない。どうにか発信しようとあがいたところで、それは140文字程度に収束されるだろうと思う。
先週の土曜日は午後から公園に遊びに行った。気候がすばらしい。いま貪欲に公園に繰り出さなくてどうする、という気候である。思う存分に子どもを遊ばせた。この「思う存分」は、あくまでこちら側の思う存分であり、子ども(特にポルガ)は常に「そろそろ帰るよ」と声をかけると渋るのだった。あちら側の思う存分とは、力尽きて倒れるまでなのだろうと思う。
夕飯は天ぷらとうどん。ザルではなくツユのうどんで、海老やら舞茸やら人参と玉ねぎのかき揚げやらは、そこに突っ込んでもいいし、塩をかけて食べてもいい、という感じで食べた。おいしかった。ツユと言えば、母が先日、焼いたクッキーやパンを送ると予告してきたので、「それならば一緒ににんべんのつゆの素を送ってくれ」と頼み、西日本ではなかなか手に入らないそれを送ってもらったのだった。それで1リットルボトルのそれを、晩酌でザルそばをするときなど、チビチビと使っている。懐かしい味でおいしい、ような気がする(いざ味わってみたら、そこまで敏感な舌の持ち主でもなかった)。でもこれは貴重なので、家族でこうしてうどんを食べるときなんかには使わない。こっちのスーパーで売っている普通のめんつゆを使う。めんつゆは開封してから長くもつものでもないので、たぶん僕はこれを、ケチるあまり最後ダメにするのだろうな、という予感がしている。
そのあと21時頃になって、三女がやってくる。三女は翌日に岡山で行なわれる友達の結婚式に参加するため、姉一家の家に前泊しにきたのだった。姉一家すげえ便利だな、とも思うが、三女ならば姉一家が岡山にいなくても、いくらでも他の友達クーポンを持っているのだろうという気もする。それにしたって、まるでサークル活動かのように、結婚式に頻繁に参加することだと思う。あの一団のそれというのは、俳句結社の句会のような感覚なのかもしれない。
三女にもうどんと天ぷらを出して、日本シリーズの最終戦を眺める。結局ソフトバンクが勝利。第1戦と第2戦で、これは去年までの「パ・リーグに勝てる気がまるでしない感じ」がないぞ、いけるかもしれないぞ、と思ったのだが、やっぱり勝てなかった。セ・リーグで圧倒的に強かった広島が歯が立たないのだから、来年以降もセ・リーグが勝てるイメージが湧かない。
翌日は三女を式場近くの美容院に送ったあと、わが家はカラオケへと繰り出した。今回はいつもと違う店に行ったら、部屋の狭さにびっくりした。もっともいつも行く店の部屋が異様に広いのである。子どもは踊り、僕もバトンを回せる。それくらい広いのだ。あれが普通のように思ってしまっていたため、今回久しぶりに「通常のカラオケの部屋」を体験して、ちょっとショックを受けてしまった。そこはかとない関係性の男女グループで行けば、あの閉塞感がプラスに作用するのかもしれないが、ファミリーにとっては手狭なだけだった。やっぱり今後はいつもの店に行こう。
唄ったのは、以下の通り。
「テルーの唄」(手嶌葵)は、1曲目としてはよろしくなかったし、それに前回の歌唱でもう旨味はぜんぶ味わい尽くしたのだな、と思った。メンツが違えばまた成立するのだろうが、「カラオケで「テルーの唄」を歌うおもしろさ」はもう発生せず、場をぼんやりとさせてしまっただけだった。
2曲目は「ALIVE」(SPEED)。我ながら、俺はSPEEDを唄うのかよ、と思う。もちろん世代的にはドンピシャなのだが、唄おうとするかよ、三十代半ばになって逆に、ということを思う。途中のセリフ部分「愛は生きてる ずっとこの思いは胸に息づいてる ALIVE」を、「愛は生きてる 女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある ALIVE」とする、というのを、カーオーディオで曲を聴きながらずっと目論んでいて、実際に妻と娘とのカラオケにおいて実行した。
3曲目は「硝子坂」(高田みづえ)。4曲目は「COLORS」(宇多田ヒカル)。5曲目は「ボーイフレンド」(aiko)。
我ながら選曲がよく分からない。どうなりたいのか。そのあとは唄ったことのある歌や、会ったことのない三女の友達に捧げる「てんとう虫のサンバ」なんかを唄った。まさか三女の友達(新婦)も、こんな風に知らない年長者に結婚を祝われているとは夢にも思うまい。
午後は家でのんびり。ミネストローネを作るべく野菜を刻みながら、溜まった「西郷どん」を少し観たりした。そのあと昼寝もして、起きてからミネストローネや炊き込みご飯んの夕飯。
まあそんな感じの週末だった。なんとも散漫な日記になった。ブランクが空いて、まだブログにチューニングがちゃんと合ってない感じがある。ちょっとずつ調整したい。なにしろもう11月に入っている。11月に入ったということは、恒例行事の準備をし始めなければならない。
先週の土曜日は午後から公園に遊びに行った。気候がすばらしい。いま貪欲に公園に繰り出さなくてどうする、という気候である。思う存分に子どもを遊ばせた。この「思う存分」は、あくまでこちら側の思う存分であり、子ども(特にポルガ)は常に「そろそろ帰るよ」と声をかけると渋るのだった。あちら側の思う存分とは、力尽きて倒れるまでなのだろうと思う。
夕飯は天ぷらとうどん。ザルではなくツユのうどんで、海老やら舞茸やら人参と玉ねぎのかき揚げやらは、そこに突っ込んでもいいし、塩をかけて食べてもいい、という感じで食べた。おいしかった。ツユと言えば、母が先日、焼いたクッキーやパンを送ると予告してきたので、「それならば一緒ににんべんのつゆの素を送ってくれ」と頼み、西日本ではなかなか手に入らないそれを送ってもらったのだった。それで1リットルボトルのそれを、晩酌でザルそばをするときなど、チビチビと使っている。懐かしい味でおいしい、ような気がする(いざ味わってみたら、そこまで敏感な舌の持ち主でもなかった)。でもこれは貴重なので、家族でこうしてうどんを食べるときなんかには使わない。こっちのスーパーで売っている普通のめんつゆを使う。めんつゆは開封してから長くもつものでもないので、たぶん僕はこれを、ケチるあまり最後ダメにするのだろうな、という予感がしている。
そのあと21時頃になって、三女がやってくる。三女は翌日に岡山で行なわれる友達の結婚式に参加するため、姉一家の家に前泊しにきたのだった。姉一家すげえ便利だな、とも思うが、三女ならば姉一家が岡山にいなくても、いくらでも他の友達クーポンを持っているのだろうという気もする。それにしたって、まるでサークル活動かのように、結婚式に頻繁に参加することだと思う。あの一団のそれというのは、俳句結社の句会のような感覚なのかもしれない。
三女にもうどんと天ぷらを出して、日本シリーズの最終戦を眺める。結局ソフトバンクが勝利。第1戦と第2戦で、これは去年までの「パ・リーグに勝てる気がまるでしない感じ」がないぞ、いけるかもしれないぞ、と思ったのだが、やっぱり勝てなかった。セ・リーグで圧倒的に強かった広島が歯が立たないのだから、来年以降もセ・リーグが勝てるイメージが湧かない。
翌日は三女を式場近くの美容院に送ったあと、わが家はカラオケへと繰り出した。今回はいつもと違う店に行ったら、部屋の狭さにびっくりした。もっともいつも行く店の部屋が異様に広いのである。子どもは踊り、僕もバトンを回せる。それくらい広いのだ。あれが普通のように思ってしまっていたため、今回久しぶりに「通常のカラオケの部屋」を体験して、ちょっとショックを受けてしまった。そこはかとない関係性の男女グループで行けば、あの閉塞感がプラスに作用するのかもしれないが、ファミリーにとっては手狭なだけだった。やっぱり今後はいつもの店に行こう。
唄ったのは、以下の通り。
「テルーの唄」(手嶌葵)は、1曲目としてはよろしくなかったし、それに前回の歌唱でもう旨味はぜんぶ味わい尽くしたのだな、と思った。メンツが違えばまた成立するのだろうが、「カラオケで「テルーの唄」を歌うおもしろさ」はもう発生せず、場をぼんやりとさせてしまっただけだった。
2曲目は「ALIVE」(SPEED)。我ながら、俺はSPEEDを唄うのかよ、と思う。もちろん世代的にはドンピシャなのだが、唄おうとするかよ、三十代半ばになって逆に、ということを思う。途中のセリフ部分「愛は生きてる ずっとこの思いは胸に息づいてる ALIVE」を、「愛は生きてる 女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある ALIVE」とする、というのを、カーオーディオで曲を聴きながらずっと目論んでいて、実際に妻と娘とのカラオケにおいて実行した。
3曲目は「硝子坂」(高田みづえ)。4曲目は「COLORS」(宇多田ヒカル)。5曲目は「ボーイフレンド」(aiko)。
我ながら選曲がよく分からない。どうなりたいのか。そのあとは唄ったことのある歌や、会ったことのない三女の友達に捧げる「てんとう虫のサンバ」なんかを唄った。まさか三女の友達(新婦)も、こんな風に知らない年長者に結婚を祝われているとは夢にも思うまい。
午後は家でのんびり。ミネストローネを作るべく野菜を刻みながら、溜まった「西郷どん」を少し観たりした。そのあと昼寝もして、起きてからミネストローネや炊き込みご飯んの夕飯。
まあそんな感じの週末だった。なんとも散漫な日記になった。ブランクが空いて、まだブログにチューニングがちゃんと合ってない感じがある。ちょっとずつ調整したい。なにしろもう11月に入っている。11月に入ったということは、恒例行事の準備をし始めなければならない。
暮しの動き
我が家でまた大規模な模様替えが断行されようとしている。子どもがいると、その息もつかせぬ成長に合わせて、ずいぶんこまめに模様替えの必要が出るものだとしみじみ思う。
台所と居間という共有スペース以外のふたつの部屋を、これまで「ベッド部屋」「机部屋」と分けて暮していたのだけど、これをこのたび「親部屋」「子ども部屋」とすることになった。それにあたり子ども部屋に2段ベッドを設置することとなり、そうなるとこれまでベッド部屋にあった3台のベッドは、これまでファルマンとピイガで使っていて、今後は当初の状態に立ち戻り、ファルマンと僕で使うこととなるダブルベッドひとつしか必要なくなる。というより、他のふたつのベッドを処分しなければ、いま机部屋にある僕とファルマンの机が持ってこられない。というわけでまず、僕のベッドが撤去されることになった。しかしベッドともなると粗大ゴミで出すのも大変だし、なによりまだ使えるしなあ、と逡巡していたところへ、次女一家から「じゃあもらうよ」という申し出があり、配送料をあちらが持つ形で譲ることができた。よかった。
かくして現在、もうベッド部屋に僕の寝床はない。プロペ家の一家川の字寝の時期は、ここで終了したのだった。そのことに少しだけ感慨がある。
それで、では僕はいまどういう形で寝ているのかと言えば、居間に布団を敷いて寝ている。居間は畳なので、寝心地にはなんの問題もない。それどころか、子どもが横に寝ていないせいか、これまでよりも眠りの質がよかったりする。僕はファルマンほど、スペースを子どもらに侵攻される睡眠妨害を受けているわけではないが、それでもやっぱり子どもというのは、寝ながら動き回るせいか、空間を静めない作用があるのだと思う。模様替えが成ったら、夫婦ふたりで、じっと動かず、石のように深く眠りたい。
ちなみに「hophophop」に書いたが、実はいま、僕はパソコンもノックダウンし、そしてまだ次のものが手に入っていないため、この記事も、居間の座卓でタブレットで作成しているのである。つまりベッド部屋のベッド、机部屋のパソコンが、まったくの偶然なのだが同時に手元からなくなってしまい、なんだかまるで身辺整理をしているかのように、ふたつの部屋から僕という存在そのものが消え失せている。そしてひたすら居間にいる。居間で、ごはんを食べ、テレビを観て、インターネットして、そして寝ている。居間だけで暮しのすべてが完結しているのだった。やってみるとこれが悪くない。1Rの快適さみたいなものを、プチ体験している。
模様替えの実行は2段ベッドの到着を待ってなので11月の中旬くらいになりそうで、それまではこの状態が続く。パソコンのほうはもうちょっと早めにケリをつけようと思っている。タブレットでまあまあのことができてしまい、「パソコンって要るかな?」みたいなことを書いたが、でもまあやっぱりぜんぜん不便だ。なるべく早急に改善しようと思う。
台所と居間という共有スペース以外のふたつの部屋を、これまで「ベッド部屋」「机部屋」と分けて暮していたのだけど、これをこのたび「親部屋」「子ども部屋」とすることになった。それにあたり子ども部屋に2段ベッドを設置することとなり、そうなるとこれまでベッド部屋にあった3台のベッドは、これまでファルマンとピイガで使っていて、今後は当初の状態に立ち戻り、ファルマンと僕で使うこととなるダブルベッドひとつしか必要なくなる。というより、他のふたつのベッドを処分しなければ、いま机部屋にある僕とファルマンの机が持ってこられない。というわけでまず、僕のベッドが撤去されることになった。しかしベッドともなると粗大ゴミで出すのも大変だし、なによりまだ使えるしなあ、と逡巡していたところへ、次女一家から「じゃあもらうよ」という申し出があり、配送料をあちらが持つ形で譲ることができた。よかった。
かくして現在、もうベッド部屋に僕の寝床はない。プロペ家の一家川の字寝の時期は、ここで終了したのだった。そのことに少しだけ感慨がある。
それで、では僕はいまどういう形で寝ているのかと言えば、居間に布団を敷いて寝ている。居間は畳なので、寝心地にはなんの問題もない。それどころか、子どもが横に寝ていないせいか、これまでよりも眠りの質がよかったりする。僕はファルマンほど、スペースを子どもらに侵攻される睡眠妨害を受けているわけではないが、それでもやっぱり子どもというのは、寝ながら動き回るせいか、空間を静めない作用があるのだと思う。模様替えが成ったら、夫婦ふたりで、じっと動かず、石のように深く眠りたい。
ちなみに「hophophop」に書いたが、実はいま、僕はパソコンもノックダウンし、そしてまだ次のものが手に入っていないため、この記事も、居間の座卓でタブレットで作成しているのである。つまりベッド部屋のベッド、机部屋のパソコンが、まったくの偶然なのだが同時に手元からなくなってしまい、なんだかまるで身辺整理をしているかのように、ふたつの部屋から僕という存在そのものが消え失せている。そしてひたすら居間にいる。居間で、ごはんを食べ、テレビを観て、インターネットして、そして寝ている。居間だけで暮しのすべてが完結しているのだった。やってみるとこれが悪くない。1Rの快適さみたいなものを、プチ体験している。
模様替えの実行は2段ベッドの到着を待ってなので11月の中旬くらいになりそうで、それまではこの状態が続く。パソコンのほうはもうちょっと早めにケリをつけようと思っている。タブレットでまあまあのことができてしまい、「パソコンって要るかな?」みたいなことを書いたが、でもまあやっぱりぜんぜん不便だ。なるべく早急に改善しようと思う。
あきふゆへ
買い物に出る。出がけは肌寒いような気がして薄手のコートを羽織ったが、車内で陽射しを浴びていたら途端に暑く、コートを脱ぎ、さらには弱く冷房まで入れた。10月って結局こう。それで油断してたら、11月からマジの寒さがやってくるのだ。
ショッピングモールで、雑多にいろいろと見て回る。
書店では、近ごろポルガが英語に興味を持ちはじめているらしいので、それならポルガに指導をしつつ、僕自身も英語を学べたらいいなあと夢物語のようなことを願って、いい教本はないかとじっくりと吟味した。そもそも新刊書店で本を眺めたのが久しぶりだったが、しかもコーナーは語学。高校生以来だと思う。買いはしなかったが、まあこういうことだよな、というジャンルは見出せた。
それから手芸屋では、papapokkeのネームを作るための生地を買う。これまで白いシーチングに消しゴムはんこを捺していたのだけど、インクの乗りや、洗濯したあとの感じが微妙だったので、しっかり目が詰まってパリッとした生地を求めていた。それでいろいろな生地を触って、これなんかいいのではないかと、キャラコを50センチほど買ってみた。300円ほど。安い。これで具合がよかったら万々歳だな。
眼鏡屋も覗く。数ヶ月前に僕が見立てて買ったファルマンの丸眼鏡が、やっぱりどうにも羨ましくて、さらには録画して観ている「まんぷく」の長谷川博己がかっこいいので、欲求が高まっているのだった。丸眼鏡って、少しの逸脱ですぐに「狙いすぎ」「さすがに寒い」みたいな空気を放ちはじめるので、冷静な頭でしっかりと精査しなければならないと思う。店頭でいくつか掛けてみて、それなりにしっくり来るものもあった。なにぶん眼鏡は消耗品なので、そのうち買うことになるだろうと思う。
それから子ども服売り場で、子どもたちの秋冬用のキャスケットを買う。これまで春夏用の揃いのキャスケットはあったのだが、秋冬用はなくて、求めていた。ネットで買おうかと思っていたが、あまり期待していなかった店頭をチェックしたら、ネットでは出会えなかった「これぞ」というデザインのものがちょうど見つかり、喜び勇んで買った。しかもカープ優勝記念でとても安くなっていた。嬉しい。ちなみに赤い帽子ではない。
そんな買い物を終えたあとは、とんかつ屋に寄って、昼ごはんにかつ丼を食べる。お店のかつ丼が食べたい気持ちが溜まっていて、とうとう満を持して実行できた次第である。おいしかった。かつ丼はおいしい。かつ丼はいま、僕の中で餃子と双璧を成す好物になっている。
午後は家でのんびりと過した。トースターで時間をかけて焼き芋を作ったり、その間に夕飯のおでんの下茹でをしたり、それからもちろん昼寝をしたり。陽射しを浴びてかつ丼を食べたので、ちょっと体力が持たなかった。僕の体力のなさ、そしてそこからの昼寝は、一種の芸のようになってきている感がある。ファンがついていてもおかしくない。
そんなわけで夕飯は今シーズン初のおでん。言うまでもなくおいしい。汁がとことんうまい。汁と、酒と、あと種3つくらいあれば、もうひと晩それでいける感じがある。おでんは相変わらずすぐにお腹いっぱいになるのだった。それは分かっているくせに、どうしてもあれもこれもと買い求めて、鍋いっぱいに作ってしまう。さらにはうどんなんか入れてしまうので、いよいよ種が減らない。もちろん大幅に残る。明日の夕飯もおでんだ。
ショッピングモールで、雑多にいろいろと見て回る。
書店では、近ごろポルガが英語に興味を持ちはじめているらしいので、それならポルガに指導をしつつ、僕自身も英語を学べたらいいなあと夢物語のようなことを願って、いい教本はないかとじっくりと吟味した。そもそも新刊書店で本を眺めたのが久しぶりだったが、しかもコーナーは語学。高校生以来だと思う。買いはしなかったが、まあこういうことだよな、というジャンルは見出せた。
それから手芸屋では、papapokkeのネームを作るための生地を買う。これまで白いシーチングに消しゴムはんこを捺していたのだけど、インクの乗りや、洗濯したあとの感じが微妙だったので、しっかり目が詰まってパリッとした生地を求めていた。それでいろいろな生地を触って、これなんかいいのではないかと、キャラコを50センチほど買ってみた。300円ほど。安い。これで具合がよかったら万々歳だな。
眼鏡屋も覗く。数ヶ月前に僕が見立てて買ったファルマンの丸眼鏡が、やっぱりどうにも羨ましくて、さらには録画して観ている「まんぷく」の長谷川博己がかっこいいので、欲求が高まっているのだった。丸眼鏡って、少しの逸脱ですぐに「狙いすぎ」「さすがに寒い」みたいな空気を放ちはじめるので、冷静な頭でしっかりと精査しなければならないと思う。店頭でいくつか掛けてみて、それなりにしっくり来るものもあった。なにぶん眼鏡は消耗品なので、そのうち買うことになるだろうと思う。
それから子ども服売り場で、子どもたちの秋冬用のキャスケットを買う。これまで春夏用の揃いのキャスケットはあったのだが、秋冬用はなくて、求めていた。ネットで買おうかと思っていたが、あまり期待していなかった店頭をチェックしたら、ネットでは出会えなかった「これぞ」というデザインのものがちょうど見つかり、喜び勇んで買った。しかもカープ優勝記念でとても安くなっていた。嬉しい。ちなみに赤い帽子ではない。
そんな買い物を終えたあとは、とんかつ屋に寄って、昼ごはんにかつ丼を食べる。お店のかつ丼が食べたい気持ちが溜まっていて、とうとう満を持して実行できた次第である。おいしかった。かつ丼はおいしい。かつ丼はいま、僕の中で餃子と双璧を成す好物になっている。
午後は家でのんびりと過した。トースターで時間をかけて焼き芋を作ったり、その間に夕飯のおでんの下茹でをしたり、それからもちろん昼寝をしたり。陽射しを浴びてかつ丼を食べたので、ちょっと体力が持たなかった。僕の体力のなさ、そしてそこからの昼寝は、一種の芸のようになってきている感がある。ファンがついていてもおかしくない。
そんなわけで夕飯は今シーズン初のおでん。言うまでもなくおいしい。汁がとことんうまい。汁と、酒と、あと種3つくらいあれば、もうひと晩それでいける感じがある。おでんは相変わらずすぐにお腹いっぱいになるのだった。それは分かっているくせに、どうしてもあれもこれもと買い求めて、鍋いっぱいに作ってしまう。さらにはうどんなんか入れてしまうので、いよいよ種が減らない。もちろん大幅に残る。明日の夕飯もおでんだ。
マスカット白昼夢
公園に繰り出す。今日はマスカットスタジアムの公園へと出向いた。前にもいちどだけ行ったことがあって、過去の日記をあたったら、去年の9月のことだった。だからなんだろう。過去の日記をあたったら、過去の俺ちゃんと書いてたんだぜ、ということをただ言いたかったのかもしれない。
駐車場に行ったら、通常の所ではなく、大きいイベントが開催されるときにだけ開放されるのだろうグラウンドみたいな所に誘導された。その誘導をしているのが、見るからに十代の、見るからに野球部員たちで、行なわれているイベント内容がひと目で判った。誘導員役の生徒たちは、旗を持たされていて、そしてそのことにご満悦らしく、ブンッと風を切る音を立てて、すごく愉しそうに誘導してくれた。眩しかった。ああ、運動部の若者は健全そう……、と思った。文化部とか、部活に所属してない若者って、ほら、コンピュータを使って悪質な犯罪とかするんでしょ? 怖いわよねー。
公園は相変わらず池の具合がすごかった。公園と言うかアスレチックか。垂れ下がる縄の下部に木製のブロックがついていて、それを飛び移りながら進むやつとか、踏み外せば途端に池に落ちる。保護ネットとかも本当にないのである。いまどきすごい。風雲たけし城のような時代性を感じる。ポルガはがっつり、ピイガもそれなりに堪能していた。可動部分の中間が池になっているターザンロープも健在で、ポルガはひとりでやってくれるからいいのだが、ピイガもやりたいと言い出し、しかしさすがにひとりでやらせるわけにもいかないので、僕が抱きかかえて跳ぶことになった。前回の訪問時はやらなかったので、初体験である。やってみると、間が地面じゃなくて池でも、跳んでいる限りそれほど関係ないはずなのに、やっぱり迫力がぜんぜん違った。なんていうんだろう、サバイバル感? しかも子どもを腹に抱き込んでいるため、余計に「命をかけてこの子を……!」みたいな気持ちが盛り上がった。ちなみに池の水深はたぶん10センチほどである。
公園でひとしきり遊んだあとは、持ってきたお弁当を食べる場所を探す。探すと言うか、それは当然スタジアムの中でしょう! と思って入場口を目指して歩いたが、ゲートの所に「入場料 大人500円」とあって断念した。ちゃんと試合を観る気持ちで来ていたらそれはむしろ安いのだが、なにしろ弁当を食べるついでに試合の雰囲気を味わえたらいいねくらいの感じだったので、それならよそうとなった。来年はちゃんと「観戦」をしに来よう。夏の予選は暑くて観られないが、春とか秋ならいいな。弁当は結局スタジアム周りのベンチで食べた。
野球の試合が行なわれている球場の中からは、ずっと応援団の応援の音が聴こえていた。野球部ってどうして他の部活の生徒に応援されるんだろう、という疑問はあったが、先ほどの駐車場の健全野球部員たちを思えば、当然じゃないか、という感じもした。スタジアムの外には、次の試合の学校の生徒たちなのか、学生たちが集っていて、そしてその子たちもまたとても健全であるらしく、なんでもないファミリーである我々にまで、すれ違いざまに「こんにちは」と口々に挨拶をしてきて、じょ、女子高生が挨拶してくれてるぞ……? と恍惚とした気持ちになった。おじさん、お礼として、君たちのプリーツスカートの丈を詰めてあげようかな、おじさん前にそういう所で働いてたからできるんだよ、本当にやったことあるんだよ、と言いたくなった。「見過ぎ」とファルマンに窘められた。
さらに歩いていたら、そのあとはなんとチアリーディング部の集団も現れ、その子たちはチアリーダーの服を着ていたし、手にポンポンを持っていたし、その子たちも挨拶をしてきたしで、いよいようっとりした。「回春」の二文字が心に浮かび、自分の中の何かが甦ってくるような気がした。もっとも甦るもなにも、男子校の帰宅部だった僕の高校時代に、あんな存在との邂逅は一切なかった。だから耐性がなかった。イチコロだった。HPが8くらいしかないところへ、870くらいのダメージを受けたような感じがあった。高い声で叫び出したい秋の午後だった。ちょうど肩にはトワリングバトンを担いでいたので、それを颯爽と廻して見せたら、この子たちはどんな反応をしてくれるだろうと思った。きっとすぐに事案になって、ファルマンの携帯電話に警報メールが届くに違いなかった。
それで、そこからさらに駐車場に向かって歩いていたら、挙句の果てには、スタジアムの軒先の屋根のあるスペースで、模造刀を持ってゆっくりとポーズを取り、それを先生らしき人に指導されている人たちというのを発見し、「あ、あれは太極剣ではないか!」と仰天した。
女子高生と、チアリーディング部と、太極剣の集団……? あれ? これって、もしかしてもしかすると、俺の見た夢じゃないか? と思った。俺の見たかったもの、触れたかったものが、こんなにいっぺんにギュッと連なって現れることって普通ある? なんなの? 今日のこの空間、なんなの? と思った。最後にはトランプ大統領と、クチバシ・ヒットくんの着ぐるみでも現れるんじゃないかと思ったが、さすがにそこまではなかった。でも十分すごかった。マスカットスタジアム、侮りがたし。また行こうと思う。
駐車場に行ったら、通常の所ではなく、大きいイベントが開催されるときにだけ開放されるのだろうグラウンドみたいな所に誘導された。その誘導をしているのが、見るからに十代の、見るからに野球部員たちで、行なわれているイベント内容がひと目で判った。誘導員役の生徒たちは、旗を持たされていて、そしてそのことにご満悦らしく、ブンッと風を切る音を立てて、すごく愉しそうに誘導してくれた。眩しかった。ああ、運動部の若者は健全そう……、と思った。文化部とか、部活に所属してない若者って、ほら、コンピュータを使って悪質な犯罪とかするんでしょ? 怖いわよねー。
公園は相変わらず池の具合がすごかった。公園と言うかアスレチックか。垂れ下がる縄の下部に木製のブロックがついていて、それを飛び移りながら進むやつとか、踏み外せば途端に池に落ちる。保護ネットとかも本当にないのである。いまどきすごい。風雲たけし城のような時代性を感じる。ポルガはがっつり、ピイガもそれなりに堪能していた。可動部分の中間が池になっているターザンロープも健在で、ポルガはひとりでやってくれるからいいのだが、ピイガもやりたいと言い出し、しかしさすがにひとりでやらせるわけにもいかないので、僕が抱きかかえて跳ぶことになった。前回の訪問時はやらなかったので、初体験である。やってみると、間が地面じゃなくて池でも、跳んでいる限りそれほど関係ないはずなのに、やっぱり迫力がぜんぜん違った。なんていうんだろう、サバイバル感? しかも子どもを腹に抱き込んでいるため、余計に「命をかけてこの子を……!」みたいな気持ちが盛り上がった。ちなみに池の水深はたぶん10センチほどである。
公園でひとしきり遊んだあとは、持ってきたお弁当を食べる場所を探す。探すと言うか、それは当然スタジアムの中でしょう! と思って入場口を目指して歩いたが、ゲートの所に「入場料 大人500円」とあって断念した。ちゃんと試合を観る気持ちで来ていたらそれはむしろ安いのだが、なにしろ弁当を食べるついでに試合の雰囲気を味わえたらいいねくらいの感じだったので、それならよそうとなった。来年はちゃんと「観戦」をしに来よう。夏の予選は暑くて観られないが、春とか秋ならいいな。弁当は結局スタジアム周りのベンチで食べた。
野球の試合が行なわれている球場の中からは、ずっと応援団の応援の音が聴こえていた。野球部ってどうして他の部活の生徒に応援されるんだろう、という疑問はあったが、先ほどの駐車場の健全野球部員たちを思えば、当然じゃないか、という感じもした。スタジアムの外には、次の試合の学校の生徒たちなのか、学生たちが集っていて、そしてその子たちもまたとても健全であるらしく、なんでもないファミリーである我々にまで、すれ違いざまに「こんにちは」と口々に挨拶をしてきて、じょ、女子高生が挨拶してくれてるぞ……? と恍惚とした気持ちになった。おじさん、お礼として、君たちのプリーツスカートの丈を詰めてあげようかな、おじさん前にそういう所で働いてたからできるんだよ、本当にやったことあるんだよ、と言いたくなった。「見過ぎ」とファルマンに窘められた。
さらに歩いていたら、そのあとはなんとチアリーディング部の集団も現れ、その子たちはチアリーダーの服を着ていたし、手にポンポンを持っていたし、その子たちも挨拶をしてきたしで、いよいようっとりした。「回春」の二文字が心に浮かび、自分の中の何かが甦ってくるような気がした。もっとも甦るもなにも、男子校の帰宅部だった僕の高校時代に、あんな存在との邂逅は一切なかった。だから耐性がなかった。イチコロだった。HPが8くらいしかないところへ、870くらいのダメージを受けたような感じがあった。高い声で叫び出したい秋の午後だった。ちょうど肩にはトワリングバトンを担いでいたので、それを颯爽と廻して見せたら、この子たちはどんな反応をしてくれるだろうと思った。きっとすぐに事案になって、ファルマンの携帯電話に警報メールが届くに違いなかった。
それで、そこからさらに駐車場に向かって歩いていたら、挙句の果てには、スタジアムの軒先の屋根のあるスペースで、模造刀を持ってゆっくりとポーズを取り、それを先生らしき人に指導されている人たちというのを発見し、「あ、あれは太極剣ではないか!」と仰天した。
女子高生と、チアリーディング部と、太極剣の集団……? あれ? これって、もしかしてもしかすると、俺の見た夢じゃないか? と思った。俺の見たかったもの、触れたかったものが、こんなにいっぺんにギュッと連なって現れることって普通ある? なんなの? 今日のこの空間、なんなの? と思った。最後にはトランプ大統領と、クチバシ・ヒットくんの着ぐるみでも現れるんじゃないかと思ったが、さすがにそこまではなかった。でも十分すごかった。マスカットスタジアム、侮りがたし。また行こうと思う。
秋カラ誕
久しぶりにカラオケに行く。9月はまたなんだかんだとバタバタしていて、これが初めてのカラオケで、実際いつぶりだろうかと過去の記事を探ったら、なんと7月の終わり以来だった。に、2ヶ月……? 久しぶりのカラオケだという認識はあったが、そこまで間が空いているとは思っていなかったので、いま本当にびっくりしている。俺の8月は一体どこへ行ったんだ。表面がぬめぬめしたもので覆われた流線型の8月は、僕の手の中に一切とどまることなく、一瞬ですり抜けていったんじゃないか。そもそも夏なんてあったのか。7月初頭の豪雨から、台風や地震、そしてなにより連日の猛暑など、異様に災害の多かったこの夏は、世界全体に規定以上の圧が掛けられていたのかもしれない。だとすれば、それをなんとか生き抜き、いま秋を迎えたここに存在しているだけで、褒められるべきなのかもしれない。それ以上のなにかを求められても困る。
唄ったものは以下の通り。
1曲目、「喝采」(ちあきなおみ)。カラオケの導入として、あまり激しい歌はまだ気持ちや喉が出来上がっていないし、かと言ってしっとりし過ぎた歌だと場があたたまらないので、それなりに悩む。悩んだ結果がこれだった。悪くない選曲だったと思う。ちあきなおみも、作詞者の吉田旺もよく知らないのだが、唄っているとちあきなおみの気持ちになり、吉田先生に感謝して唄いたくなる歌だと思う。
2曲目、「テルーの唄」(手嶌葵)。こんなん朗々と唄ってみたらおもしろいんじゃないかな、と思って唄った。唄を選ぶとき、自分が唄いたいと同時に、常に場の反応のことを考えている。こんな僕がどうして「友だち0人、9月20日」なのかと思う。実際に唄ってみて、なかなかよかった。友達とカラオケに行って、友達たちが「U.S.A」とか「さよならエレジー」とか唄う中、こんなんを唄いたい。そんなことを夢見る。果てしない夢だ。実際は家族としか来ない。その家族、その妻は、僕のこれのあとでなにか呼応するものがあったのか、「もののけ姫」を唄っていた。僕が「テルーの唄」を唄うのはギャグだけど、ファルマンのそれはギャグなのかどうなのか分かりづらく、やっぱり本物は違うな、と思った。ちなみに「ゲド戦記」はいまだに観たことがなく、間奏中に主人公のモノマネをしようと思うのだが、「ゲド!」とか「ゲドがテルーを!」とかと叫ぶだけしかできない。バカにしてる。
3曲目、「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」(モーニング娘。)。まあこれは完全な悪ふざけだ。いわゆる時事ネタ。「恋は時に急発進で 恋は時に急ブレーキ!」という歌詞が心に刺さった。不謹慎だと思います。
4曲目、「月光」(鬼塚ちひろ)。この曲は、これまでのカラオケでファルマンがたまに唄い、そのたびに「うわあ……」という気持ちにさせられてきたので、僕も会得して、友達とのカラオケの席でみんなを「うわあ……」とさせようと夢見、数日前から車中で練習していた。そして唄った。でもやってみたらファルマンの唄ったときのようなあの空気はぜんぜん出せなかった。「あなたって結局、基本的に明るいんだよ」とファルマンに評された。たしかに僕には不愉快に冷たい壁に弱さを許すという発想はない。ちょっとなに言っているのかわかんない。
というわけで5曲目に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、さらには6曲目は「気まぐれロマンティック」(いきものがかり)と、明るい曲を続ける。こっちか。俺が輝けるのはこっちか。果たしてそうだろうか。明るい暗いは相対的なものだろう。そりゃあファルマンのような人とカラオケをするとなったら、僕のようにその相手は自然と明るい歌担当にならざるを得ないが、その人が本当に華やかな面々とカラオケに行ったら、本当に明るい人たちの明るい歌に気圧され、みるみる化けの皮が剥がれて意気消沈するはめになるのではないだろうか。じゃあ一体どうすればいいのか。ノイローゼになりそうだ。0人の友達のことを考え過ぎて、頭がおかしくなりそうだ。
7曲目、「愛をこめて花束を」(Superfly)。これはもはや持ち歌のようになった。キャンプで唄えなかった雪辱も込めて、気持ちよく唄う。
ラスト8曲目、「トリセツ」(西野カナ)。そう言えばカラオケで唄ったことない、と思ってなんとなく唄った。いまいちだった。熱唱して気持ちいいというタイプの曲ではないし、ギャグとしても思った以上に中途半端だった。これは家族カラオケで試しておいてよかった。友達とのカラオケのときは、たとえその中に結婚直前みたいな奴がいたとしても避けようと思う。もちろん結婚の先輩として相談には乗るけどさ!
以上である。こうして振り返ってみると、すべて女性の歌だ。一方でファルマンはGLAYやイエモンやT.M.Revolution、そしてB'z なんかを唄っていた。案外そういうものなのか。普通そういうものではないのか。分からない。0×0の夫婦にはなにも分からない。
カラオケのあとは図書館やスーパーなどに寄って帰る。午後はのんびりと過した。カラオケでは、ワンオーダー制のルームメニューで、食べたような、あんまり食べてないような、微妙なお腹の具合だったので、おやつのような時間にカップラーメンを食べた。それとビール。休日の午後、変な時間に食べるカップ麺とビール。愉悦のひとときだった。
晩には僕の誕生日の祝いが開催される。今年もまた子どもたちが大いに張り切って祝ってくれた。ポルガは今年も「ぱぴろうずかん」をくれて、ピイガは最近ハマっているというスズランテープで作った三つ編みの飾りをくれる。ちなみに家族からの誕生日プレゼントとしては、ブルートゥースのイヤフォンをリクエストしていて、これはもう数日前に、自分で製品を指定して、自分で発注して、届いて、今日まで我慢することなんてできずに、既に使用している。ありがとう! 誕生日ケーキは、僕の希望した、バナナが中央にまるごと入ったチョコレートのロールケーキを、ファルマンが子どもたちと作ってくれた。とてもおいしかった。そんな誕生日。夏の終わりの実感もあり、毎年自分の誕生日はしみじみと嬉しい。これで僕も28歳か。そろそろ30代の足音が聞こえてきたな……。
久々出張
ちょっと久しぶりに出張に出ていた。
夏の2ヶ月間にそれがなかったのは、クラクラするような暑さの中、倒れずに日々を生きるだけで精一杯だったので、とても好都合だったと思う。出張先はいつもと同じで、当地はもうわりと秋の気配があった。もしも夏に行った場合、そりゃあこちらよりいくらか涼しかったのだろうが、滞在中いくらか涼しくても、移動でヘトヘトになっていただろうからやっぱりないに越したことはなかった。そしてこのたび、Tシャツ以外の上衣というものを本当に久しぶりに着た(もっとも台風21号の影響により、滞在中の気候の触れ幅は大きかった)。
移動時間は相変わらず長く、毎回対策を練て、毎回少しずつレベルが上がっている感はあるのだが、それでもまだ十全ではない。そもそも長時間移動の時間の過し方に十全なんてないのかもしれない。キーボードとか、本とか、いろいろジタバタするけれど、結局あまり集中ができないので、あっという間に時間が過ぎるということにはならない。今回、帰りの便でとなりの席に座った女性は、スマホで洋画を観ていて、ああなるほどなあと思ったりした。映画って普段の生活でまったく観ないので、いい機会かもしれない。次回以降はそれも考えてみよう。
行きの車中では、初めて売店でゆで玉子を買ってみた。車内でビールを飲むにあたり、そのあてとして、乾き物だと侘しいし、かと言って弁当やおにぎりは重いなあ、という中年男性の気持ちに、味付きゆで玉子(2個入り)はぴたりと寄り添うのだった。そうか、板東英二はこういうことだったのか、と大人(おっさん)の階段をひとつ昇ったような気がした。ゆで玉子とビールという潔い簡易テーブルの風景が、新幹線巧者っぽくていいと思った。板東氏に敬意を表して、これからは僕もゆで卵のことを「うでたまご」と言おうと思う。
帰りの車中ではもちろん東京駅で崎陽軒のシウマイ弁当を買った。おいしかったが、6月からの3ヶ月で、憧憬を抱きすぎたような気もする。これは、崎陽軒はなにも悪くない。ちょうどこの3ヶ月の間に値上げもあったらしいが、それでもなにも悪くない。僕が高めすぎた。十二分においしかった。
ところで僕は缶ビールを缶のまま飲むことに対し、平均以上の拒否感をもって生きてきて、以前職場で執り行われたBBQの際も、ひとりだけ家からグラスを持参するほどだったのだけど、長距離移動スキルのアップにより、その弱点は完全に克服された。缶から直接、1時間ほどかけて飲むビールも、意外といいものだ。コップから金色を眺めつつゴクゴク飲むそれと、缶からこまめにグビ、グビ、と飲むそれは、まったく別の飲み物で、新幹線の車内で飲むのには後者が適しているのだった。見聞が広がったなあと思う。
出張先での話としては、いつも利用するビジネスホテルは、その最寄り駅や、当地での仕事先よりも北にあり、当地の人との晩ごはん兼飲みを済ませたあと、甘いものが食べたくなってよく買いに出るローソンは、ホテルよりもさらに250メートルほど北にある。だから僕のこれまでの人生の、最北限地点は、あのローソンだ。大福やプリンを買いながら、いつもそんなことを思う。あのローソンより先へは、僕は一歩も北へ出たことがない。いつも行くのが夜で、ローソンばかりが明るいような地帯なので、暗闇の向こうの「ローソンよりも北」は僕にとってかなり印象的なものになっている。
当地の空気をまとったまま、さらに新幹線の車内が涼しいこともあり、帰りはパーカーを着たまま最後まで過した。おそらく岡山駅において、僕は五指に入る厚着だったろうと思う。家では子どもたちがまだギリギリで起きていたので、3日ぶりの再会を喜んで抱きしめようとした。そうしたら「暑っ!」と言われ振りほどかれた。相変わらずこちらは真夏日とか言っている。もう9月だっぺよ。
夏の2ヶ月間にそれがなかったのは、クラクラするような暑さの中、倒れずに日々を生きるだけで精一杯だったので、とても好都合だったと思う。出張先はいつもと同じで、当地はもうわりと秋の気配があった。もしも夏に行った場合、そりゃあこちらよりいくらか涼しかったのだろうが、滞在中いくらか涼しくても、移動でヘトヘトになっていただろうからやっぱりないに越したことはなかった。そしてこのたび、Tシャツ以外の上衣というものを本当に久しぶりに着た(もっとも台風21号の影響により、滞在中の気候の触れ幅は大きかった)。
移動時間は相変わらず長く、毎回対策を練て、毎回少しずつレベルが上がっている感はあるのだが、それでもまだ十全ではない。そもそも長時間移動の時間の過し方に十全なんてないのかもしれない。キーボードとか、本とか、いろいろジタバタするけれど、結局あまり集中ができないので、あっという間に時間が過ぎるということにはならない。今回、帰りの便でとなりの席に座った女性は、スマホで洋画を観ていて、ああなるほどなあと思ったりした。映画って普段の生活でまったく観ないので、いい機会かもしれない。次回以降はそれも考えてみよう。
行きの車中では、初めて売店でゆで玉子を買ってみた。車内でビールを飲むにあたり、そのあてとして、乾き物だと侘しいし、かと言って弁当やおにぎりは重いなあ、という中年男性の気持ちに、味付きゆで玉子(2個入り)はぴたりと寄り添うのだった。そうか、板東英二はこういうことだったのか、と大人(おっさん)の階段をひとつ昇ったような気がした。ゆで玉子とビールという潔い簡易テーブルの風景が、新幹線巧者っぽくていいと思った。板東氏に敬意を表して、これからは僕もゆで卵のことを「うでたまご」と言おうと思う。
帰りの車中ではもちろん東京駅で崎陽軒のシウマイ弁当を買った。おいしかったが、6月からの3ヶ月で、憧憬を抱きすぎたような気もする。これは、崎陽軒はなにも悪くない。ちょうどこの3ヶ月の間に値上げもあったらしいが、それでもなにも悪くない。僕が高めすぎた。十二分においしかった。
ところで僕は缶ビールを缶のまま飲むことに対し、平均以上の拒否感をもって生きてきて、以前職場で執り行われたBBQの際も、ひとりだけ家からグラスを持参するほどだったのだけど、長距離移動スキルのアップにより、その弱点は完全に克服された。缶から直接、1時間ほどかけて飲むビールも、意外といいものだ。コップから金色を眺めつつゴクゴク飲むそれと、缶からこまめにグビ、グビ、と飲むそれは、まったく別の飲み物で、新幹線の車内で飲むのには後者が適しているのだった。見聞が広がったなあと思う。
出張先での話としては、いつも利用するビジネスホテルは、その最寄り駅や、当地での仕事先よりも北にあり、当地の人との晩ごはん兼飲みを済ませたあと、甘いものが食べたくなってよく買いに出るローソンは、ホテルよりもさらに250メートルほど北にある。だから僕のこれまでの人生の、最北限地点は、あのローソンだ。大福やプリンを買いながら、いつもそんなことを思う。あのローソンより先へは、僕は一歩も北へ出たことがない。いつも行くのが夜で、ローソンばかりが明るいような地帯なので、暗闇の向こうの「ローソンよりも北」は僕にとってかなり印象的なものになっている。
当地の空気をまとったまま、さらに新幹線の車内が涼しいこともあり、帰りはパーカーを着たまま最後まで過した。おそらく岡山駅において、僕は五指に入る厚着だったろうと思う。家では子どもたちがまだギリギリで起きていたので、3日ぶりの再会を喜んで抱きしめようとした。そうしたら「暑っ!」と言われ振りほどかれた。相変わらずこちらは真夏日とか言っている。もう9月だっぺよ。
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