冬の暮し

 寒さのピークを越えたのではないか、ということをここ数日で思うのだが、2月はもっと寒い、というのも真実で、でも2月って、数字上は気温が低くても、日が長くなったり、梅が咲いたり、なによりこちら側が、ものすごく前のめりに、寒さのピークはもう越えた、春がやってくるのだ、と自分自身に向かって言い聞かせるので、日数が少ないこともあり、あまり真冬の悲壮感がないと思う。暖かくなるのは嬉しい。夏、この世はもうずっと暑いままなのではないか、冬はやってこないのではないかと本気で危ぶんだものだが、12月になればしっかりやってきたように、今は猛暑日だの熱帯夜だのという言葉がファンタジックに感じられるような気候だが、それもまたうんざりするほどにやってくるのだろうと思う。あんなに着たかったネルシャツとセーターカーディガンに今はもう飽き飽きし、Tシャツの暮しに焦がれている。去年はぜんぜん作らなかったが、今年はまたオリTを作りたいと考えている。
 岸田のおじさんと横浜の祖母が、年末年始にかけてまとまったお金をくれたので、ミシンを買った。娘たちが裁縫に親しんでくれるよう、ほどよい家庭用コンピュータミシンを選んだ。僕はオーバーロックミシンも持っているので、家庭用ミシンに求めるとするなら、ボタンホールがきれいに縫えることくらいなのだが、そういう部分を満たそうとすると、途端に価格が跳ね上がるので、2万円ほどのもので手を打った。それでも多様な飾り縫いや、もちろん一応のボタンホールも縫える。メーカーはジャガーで、ボビンが水平ではなく、ボビンケースにセットしての垂直式なのがいいと思った。プラスチックの、水平のあれって、壊れた前のミシンがそうだったのだが、どうもおもちゃ感があって好きじゃなかった。糸掛けも、もちろん糸カセットなどではなく、きちんと糸道にしたがって通す必要があるもの。やっぱりミシンはこうでなくっちゃいけない。意外だったのは、前のミシンに搭載されていた自動糸切り機能が、あれから10年以上経って、ミシンの標準装備になっているのだろうと思っていたら、2万円台くらいまでのミシンにはついていなかったことだ。その機能を求めると、やはり価格が跳ね上がる。どうもこれは、ミシン業界が共謀して、差別化としてそういうことにしているようだな、と思ったのだが実際はどうなのだろう。まあなければないで、そういうものかと思うようで、娘たちも縫い終わったあとは少し引っ張って手で糸を切っている。リビングの一角にテーブルとミシンを常設しているので、こちらの願った通り、かなりフットワーク軽くミシンを踏んでいるようで、嬉しい。いろいろ作り、思ったものが作れるようになればいいと思う。
 姉の夫、義兄がコロナ陽性だそうだ。とうとう身近な人間に出た。オミクロンの感染状況からすれば不思議じゃないし、なにより義兄ならばもっと早く罹っていてもおかしくなかった。実際にどういう仕事で、どういう働き方をしているのかは知らないが、たぶんいろんな人と会うのが仕事みたいな仕事だと思うし、なによりかにより、日々横浜市営地下鉄に乗ったり、田園都市線に乗ったりしているのだ。遅かれ早かれ感染するに決まっている。田舎の人のほうが感染に過敏で、県内に十数人ほどの感染者が出ると、あそこの店だとか、あの会社の人だとか、どこからともなく情報が伝わってくるという、リアル村八分的な、そういう感じなのだが、車通勤のこの人たちが、朝の田園都市線を見たら、発狂するのではないかと思う。かくいう僕やファルマンも、だいぶこちらの暮しに毒され、公共の乗り物に乗りたくないという理由から、帰省の踏ん切りがつかないでいるのだけど。幸い義兄は軽症で、姉と姪と甥は自宅待機らしいが、母や祖母との接触は該当する期間になかったそうで、老婆たちは免れたらしい。よかった。

三が日記

 年が明け、お正月を過す。まとまった連休で、帰省もせず、さらには無職というわけでもなかったので、心平穏に、家族とべったりのんびり過すことができた。
 元旦は雑煮を食べた。家のお決まりのダシ、具、みたいなものは一切ない(いちおう食べてはいたと思うが、特にこだわりがあるような代物ではなかったと思う)、ふわっとしたイメージの雑煮を仕上げた。昨晩の年越しそばの天ぷら用のえびが残っていたため(うちの家族は天ぷらもそばもあまり食べない)、鶏肉とともにそれもぶっ込む。天ぷら用に下ごしらえをしていたため、えびは椀の中で丸まることなく、まっすぐに伸びていたのがおもしろかった。ちなみにポルガは、餅に対して「喉に詰まるもの」という強迫観念を持っているため、食べない。そのためポルガには汁だけを与え、わざわざごはんを炊くはめになる。いかにもポルガらしい神経質さだな、と正月から思うが、新型コロナ騒動を経て、こういう、受け入れられるもの、受け入れられないもの、の人それぞれの考え方って、確固たるものだし、いい加減なものだし、もう他人がとやかくいうもんじゃないよな、なんてことを思うようになった。もしも餅が、毎年死者が出るという理由でもっと危険視されるようになり、マスコミが煽り、医師が危惧を表明したりしたら、世間はコロッと、今度は伝統に則って餅を食べる人のことを、コロナ禍に飲み会に行く人のような扱いをし出すのだろうと思う。だからまあ、人に迷惑をかけない限りは、なるべく多くのことは、勝手にしたまえよ、と思う。もっともポルガは餅に関し、ピイガが食べることも良しとせず、食べるさまを眉間にしわを寄せて監視したりするので、わりと迷惑だ。雑煮のほかは、横浜から送られてきた煮豆と、2日前くらいに作った煮豚をなんとなく並べる。おせちに対して本当になんの思い入れもないのだが、ここに紅白かまぼこくらいあってもよかったような、別になくてもよかったような、そんな元旦だった。午後から実家に行く予定があるが、それまでは特になにもなかったため、子どもはいつも通りに遊び、ファルマンはいつも通りに洗濯物を干し、僕はいつも通りにミシンをして過した。正月ってどんな身の振り方をするのが正解なんだろう。昼ごはんはレトルトカレー。「おせちに飽きたらカレーもね」を、おせちを経ずに元日の昼から決行するストロングスタイル。
 食べて少しして、実家に向かう。実家には次女一家も帰省してきていて、みんなで晩ごはんを食べるのだった。しかし晩まではだいぶ時間があるため、家族を置いて、ひとり元日からやっているショッピングモールに赴いた。ここで眼鏡を買うつもりで、事前にネットでフレームの見当をつけ、在庫も確認し、店ではすぐに「これください」とする算段だったのが、実際に試着してみたところ、思ったよりもしっくりこなくて、結局よすことにした。本当に、いま掛けているもの以上の眼鏡に出会えず、ここから抜け出せない。どうしたものか。そんなわけで買い物は不発に終わり、そのまま実家に戻り、しかしまだ晩までには時間があり、家に戻ってミシンをしていようかな、とか、この家の風呂に入らせてもらおうかな、とか、いろいろ思いを巡らせるも(とにかく時間を無為にしたくない)、どうも放っておくと19時開始とかになりそうな、実家の面々がなかなか手を付けようとしない、晩ごはんの調理をすることにした。ファルマンも平日、ロールキャベツなどの煮込み料理を、僕が労働を終えて掛ける帰るコールで、「これから作るね」などと言い放ち、嫌な予感がしながら数十分後に帰ったら、果してキャベツがシャキシャキのロールキャベツが出てきたりするのだが、なるほどこれは家風なのだな、としみじみと思った。ギリギリまで作らずにいたら、災害などが起って食事どころではなくなり、そうしたら調理の労力が1回浮く、とでも考えているのだろうか。もっとも調理といっても、晩ごはんのメニューはすき焼きと、刺身と、えびの鬼殻焼きで、そこまでの工程もない。口だけやいのやいの挟んでくる義両親や、匂いに反応してガツガツ飛びついてくる犬に辟易しながら、準備をした。そして18時過ぎに食事を始めることができた。食卓は、まあ実家の正月の、いわゆるそういう感じで、別に僕自身がそこまで愉しいはずもないが、義父なんかは気分がよさそうだったので、まあそれでいいんだと思う。ファルマンが免許を取ったおかげで、こういう状況で酒が飲めるのは、もちろんよかった。そんな元日だった。
 その晩に見た初夢は、わが家の部屋の内壁を、古代文明の人々を召喚して修繕させていたら、その古代文明の祀っている神が怒り、家を破壊されてしまう、というストーリーだった。意味が分からない。
 2日は一家で午前中に買い物に出て、日用品を買い、その帰りに家の近所の神社で初詣をした。ファルマンが昔から行っている、実家のほうの神社でもよかったのだが、せっかくだから住まいの近くの神社のほうに行ってみようと、ネットで検索して見つけた所で、なかなかのディープスポットだった。驚くべきことに本当に家の近所なのだが、まるで熊野古道のような景色で、もはや笑えた。普段はどうだか知らないけれど、正月くらい、おみくじや物販なんかもしているだろうとあたりをつけていたのだが、境内には運営者も参拝客もひとりもいなく、ソーシャルディスタンスなどという言葉をはるかに超越した、ゴッドディスタンスとでもいうべき静謐な時空が広がっていた。というわけでストイックにお詣りだけした。まあ住まいの地の神様だ。挨拶しておいて損はないだろう。
 午後は、次女とその娘、そして三女がわが家にやってきた。昨日の食事の際、「年末に、折りたためない、本気なトレーニングベンチを買ったのだ」という話をしたこともあり、「それを見せてくれ」という名目だったが、要するに暇だったんだろうと思う。ベンチは、見て「おー」といっていた。まあ「見せてくれ」といって見せてもらったら、それは「おー」というだろう。普段僕が使っているダンベルを持ち上げ、「重ーい」ともいい、なんとなく気分がよくなったが、これってまんまジムのおっさんと女子の構図だな、と思ってその気分には身を浸すまいと思った。そのあと夕方に迎えに現れた次女の夫もベンチを見ていって、次女が「ほら、このダンベル、すごく重いんだよ」と指し示したそれを持ち上げると、「本当だ」といいながら、僕よりもはるかに軽々とした動作で上げ下げしてみせたので、ああやっぱりさっき、運動不足の女どもが「重ーい」「こんなの持てなーい」というのに対し、得意な気持ちになったりしなくてよかった、としみじみと思った。
 義妹たちが帰ったあと、晩ごはんの前に、母と映像通話をした。祖母、叔父、姉一家と、向こうも揃っていた。このたびの年末年始によって、家族としては丸2年、横浜に帰れていないことになる。祖母も相変わらず元気そうで、大人たちにそう変化はないだろうが、なんてったって子どもたちだ。写真や、こうして映像通話をして、姪や甥について、大きくなったなあと思うが、たぶん実際に見てみたら、それは想像を超えた成長なのだろうと思う。生身を見ないと、どうしたって2年前の状態から、そこまで情報は刷新されない。サイズ感そのものが、たぶん違っていて、どうしたって驚くんだろうと思う。GWか、夏だな。
 晩ごはんは、今日はあっさり、塩系のスープを使っての寄せ鍋。おいしかった。
 3日も午前中に買い物。おもちゃ屋で、ピイガの誕生日プレゼントを買う。ポケモンのぬいぐるみ。もしも誕生日が5月とか6月とかであれば、プレゼントはもっと吟味された、凝ったものになる気がするが、クリスマスと年末年始の怒濤によって、毎年のことながら、ピイガの誕生日祝いは、本人にしろ周囲にしろ、どうしたって扱いが軽くなる感がある。三が日も終わり、胃も疲れ、精神的にも肉体的にも食傷気味で、七草がゆなどといっているときに、ケーキなのである。因果な誕生日だな、と思う。その帰り、昨日の初詣があのような高次すぎるレベルだったため、下賤な民としては、吉だの中吉だのという、分かりやすい指標のおみくじがやはりしたくて、結局実家のほうの定番の神社へも行くことにした。思えば8年前、ファルマンはこの神社の階段を昇降したことによって、陣痛が誘発され、予定日よりも早い出産になったのだよな(ということに我々の中でなっている)、ということを思い出した。こちらは昨日のそれに較べて、ちゃんとひと気があり、巫女さんが甘酒の振る舞いや物販も行なっていた。そして満を持しておみくじを引いた。結果は、唯一ピイガが末吉で、それ以外の3人は大吉だった(ピイガ激怒)。僕の文面がよかった。「思う事 思うがまゝに なしとげて 思う事なき 家の内哉」というもので、引く直前の祈祷において、やりたいことをたくさんやって、そして家族仲良く暮らせますように、みたいなことを願っていたので、それに対して満額回答されたような内容に、とてもいい気分になった。ただしそのあと「色を慎み身を正しく見上の人を敬って目下の人を慈しめばいよいよ運開きます」ともあって、「色を慎む」と「目上の人を敬う」は、僕にとって「2大痛い所」なので、ここの神様マジやべえな、と思った。
 午後は家でのんびりだなあと思っていたら、義父母から出雲大社に行こうという誘いが来て、たぶんこれも昨日の義妹たちと一緒で、三が日の出雲大社なんて混雑するので地元民は行かんわね、みたいなことを事前にはいっていたが、しかしいざ三が日に身を置いてみると、あまりにもやることがなくて暇なので、渋滞もまた暇つぶしだな、みたいに考えが転化して、いっそ行ってしまうか、ということになったんだろうと思う。僕は断り、僕がいなければ義父母の車に3人乗れるので、ファルマンと子どもたちだけ連れて行ってもらった。その間、だいぶ久しぶり、本当に前が思い出せないくらい久しぶりに、家で数時間にわたってひとりきり、という状態になり、なにをしたかといえば、裁縫と筋トレをした。やりたいことがいろいろあり、多趣味のような気でいるが、時間を無駄にしたくないので脇目を振らずにそればかりするので、行動に遊びがなく、逆に無趣味のような状態になってきたな、と自分のことを客観的に眺めて思う。
 帰宅した家族と晩ごはん。正月でうどんや鍋など、和風のメニューが続いたので、思い切ってスパゲティーにする。シーフードとブロッコリーのパスタ。それとミネストローネと、ソーセージ。ビールがおいしかった。秋以降、ほとんどビールを飲まずに暮していたが、年末年始はきちんとビールを飲んだ。「ビール飲まないマイレージ」が溜っていたようで、だいぶおいしく感じた。翌日のピイガの誕生日祝いをしたら、5日からは出勤なので(なので4日までの休みがことさらに嬉しいのだった)、翌日を気にせず夜更かしができるのは、今晩までとなる。心置きなくお酒を飲もう、と思って飲んだ。
 連休の最終日は、精神的にはもう連休からは逸脱しているので、完全な連休はこの日までとなる。短い、と思うことはさすがにない。たっぷりと堪能した。まとまった連休は大事だな、ということを、(わけあって)身につまされて思った。せっせとミシンとアイロンに向かったおかげで、作りたいものも作ることができ、充実した、いい正月だったと思う。今年がよい年になり、そして来年もまた、いい正月を迎えたいと切に思う。色を慎もう。

さよなら2021

 仕事はなんとか28日に納まり、おとといから休みに入っている。12月はずいぶん働いた。なのでまとまった休みがとても嬉しいのだった。
 休み初日は午前中に、年末年始の食糧品の買い出しを行なった。12月の食費は、クリスマスというイベントを経ながらも(苺が高いのなんのって)、日々の弛まぬ努力によって、なんとかかんとか余裕を持って終われそうな情勢となり、それで気が大きくなって、今年最後の買い物は、これからの数日間、食べ物関係で困ることが一切ないよう、「迷ったら買う」をコンセプトとし、がしがしとカゴに物を入れていったら、結果的にあったはずの「余裕」はすべて吐き出され、非常にスリリングな数字となった。まあ本当に、これで今年の買い物は終了の予定だから、それでいいのだけど(ただし1月には2度の誕生日祝いが待ち受けている)。
 午後は、子どもたちを実家に預かってもらい、ファルマンはまだ納まらぬ仕事(在宅ワーカーというのは、出勤せずに仕事ができる分、いつまででも仕事ができてしまうのだった)に邁進し、僕は筋トレとハンドメイドをして過した。ゆとりのある時間の中で、思うままに筋トレとハンドメイドをするという過し方は、バタバタだった12月において、強く希っていたことだったので、精神がぐいんぐいんと癒されていくのを感じた。
 晩ごはんは、鮭ときのこのホイル焼きと、お買い得の甘えびの刺身。甘えびって、たまに殻付きで、舟にどっさり乗ってやけに安い、みたいなものが店頭に並ぶが、普段は工場加工品という感じの、殻が剥かれて均一な大きさのそれが平たく整然と並んでいる、しかもやけに高いのしかなくて、どういう流通経緯によってそうなっているのか、よく分からない。自分で殻を剥いて(もちろん食卓で各自が剥くのではなく、事前に僕が全て剥くのである)食べる甘えびは、ねっとりと甘く、とてもおいしかった。頭部などは、なんかうまくやるとおいしいダシとかが出るんだよな、と思いつつ、ノウハウがないので捨てた。捨てたというか、今年のごみの収集はもう終了していて、次はだいぶ先になってしまうため、えびの殻はヤバいということで、袋に入れて冷凍庫に入れた。「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の句があるが、棒の如きものとは、甘えびの頭だったのかもしれない。
 夜には、ファルマンに髪のブリーチをお願いして、やってもらった。1ヶ月半くらい前にも実はやっていて、しかしそのときはとても穏当なブリーチ剤を使ったため、光に当てると茶色いね、というくらいにしか茶色くならず、ファルマンは「そのくらいがいいよ」と諭してきたのだが、やっぱり充足がいかず、今度は激しいほうの商品を買って、(しぶしぶと)やってもらった。その結果、金とはいかなかったが、だいぶ明るい茶色になった。やっぱりなんだかんだで、髪が明るいほうが気持ちが上向くのだった。これからまた数日で色味が変わってくるので、それから判断するが、もしかするとここへ、今度は脱色ではなく色を入れるかもしれない。
 昨日は、ファルマンは引き続き仕事だったため、基本的に家で過した。こんなときにしかできないということで、かねてより「試してみたいね」と口にしていた、リビングのテーブルを座卓と入れ替える、という事業を、ひとりで行なった。これまで使っていなかった座卓は外の物置にあり、それを持って上がり、これまで使っていたダイニングテーブルを解体して、今度は外の物置に持って降りるという工程であり、けっこう大変だった。その結果、想像していたよりもいい具合になった。これまでメインテーブルと、ソファーに対するローテーブルという、ふたつがリビングにあったのが、座卓がそのふたつを兼用するようになったため、部屋が広くすっきりとした印象になった。また戻すのは大変だし、よほどの問題がない限り、しばらくはこれでいこうと思う。
 それ以外の時間は、料理をしたり、やはりハンドメイドをしたりした。のんびり、余裕である。休みが1日しかないと思って、もっと詰め込んで作業をすれば、もちろん作業はもっと進むのだが、休みがけっこうあるとなると、どうしても間延びする。でもそれでいいのだ、その余裕がいいのだ、と思う。それと、2021年、丑年が終わるということで、12月に入ったあたりから、今年でいよいよひと回りとなる干支4コマの牛編のことに、生活の端々で思いを馳せ、やらなければなあ、やらなければなあと懊悩し、オムライスにも、ピイガがクリスマスにもらったホワイトボードにも牛の絵を描くほど、12月下旬にここまで、来年ではなく今年の干支に縛られてる人間が他にいるだろうか、というくらいの状態だったが、しかし(言い訳に過ぎないが)12月は予想以上に忙しく、とうとう1話も投稿しないままここまで来てしまって、それでも29日から休みなのだから、3日あればできるな、などと考えていたのだが、まるでやる気配を見せない自分に、30日の昼過ぎあたりに、「あ、こいつもう、今年の投稿はすっぱりあきらめたな」ということを察し、そう察したら、パーッと視界が開けて、すっきりと解放された気持ちになった。やりきったら、それはもちろんすっきりしたことだろうが、やらないことにしても、それはそれですっきりするのだな、と思った。まあ牛だけに、牛歩作戦ということで、旧正月までにゆっくり投稿しようと思う。
 大みそかの今日は、子どもたちがまた実家に行くというので、それを送りついでに、僕はおろち湯ったり館に行った。送りついでといっても、実家へは車で5分ほどだが、湯ったり館へはそこから30分弱かかるので、ただやっぱりどうしても行きたかっただけの話だ。サウナに行ったらプールのことを想うし、プールに行ったらサウナのことを想ってしまうので、そうなるとどうしたって湯ったり館しかない、ということになる。起きたら雪が舞っていたので、雲南のほうはどうかな、と思ったが、まあ大丈夫だった。2021年の心残りを残さないための湯ったり館は、プールは空いていてとてもよく、たっぷり30分間、20メートル弱くらいのコースを50往復くらいして、しっかり堪能した。大みそかに泳いだのって、人生で初めてかもしれない。一方サウナはけっこう混んでいたため、外気の寒さもあって温度が低く、ちょっと微妙だった。もちろん時期的に2階も閉鎖されているし、そういう意味では残念だったが、でもまあ、行って後悔はない。やっぱり湯ったり館はいい。
 このあとは子どもが帰ってきて、紅白などを観ながら、晩ごはんや年越しそばを食べるだけだ。今年の行動も、日記も、これでおしまい。1月4日に引っ越してきた2021年の島根生活も、いやまったく自分でも信じられないくらいの紆余曲折を経ながらも、なんとかこうして、わりとゆったり、平穏な年末を家族で迎えることができていて、料理を一手に引き受け、さらにはリビングで裁断などしているので、子どもたちと一緒にいる時間も長く、しみじみと幸福を感じている。来年もいい年になりますように。

クリスマス2021

 今年のクリスマスを経る。
 24日の晩ごはんのメニューは、近所のスーパーで予約していたローストチキン以外、ファルマンが「作れる気がしない」「ひどいクリスマスになる」などとしきりに訴えるので、面倒になって、23日の仕事帰りにフランスパンや生ハムやテリーヌなどを買ったほか、夜にミネストローネとマカロニのサラダを作った。かくして迎えたクリスマスイブのディナーは、ローストチキンもおいしかったし、なかなか豪勢でよかった。1年前のクリスマスは、岡山と島根、別々の暮しの中で、非常にゴタゴタ、バタバタしていたので、隔世の感がある。俺も小さくまとまったもんだ、とも思うが、別にそうでなかった時期など若い頃を含めてなかったような気もすることとして、安定は尊いな、ということをしみじみと思った。12月ずっとリビングにあったクリスマスツリーに、今宵ばかりはコンセントを繋いで電飾を点灯させ、食事中も、無音は味気ないからということで、ネットのサービスでクリスマスソングをかけた。それでいろんな曲を聴いたが、その中で「ママがサンタにキッスした」が流れ、これまで不思議と気にしていなかったが、これってぜんぜんネタバレなんじゃないか、と衝撃を受けた。なぜあんな歌が、子どもが聴きそうな他のクリスマスソング群に紛れているのだろう。幸い、今年もピイガはもちろん、ポルガもサンタクロースの存在は信じてくれている。信じるもなにも、イメージする第三者としてのサンタクロースはたしかにいないが、12月24日の夜にサンタクロースになる親がいるのだから、「サンタクロースなんて本当はいない」なんて、逆に間違いだろうとも、毎年身銭を切ってプレゼントを購入しながら、フィンランドの老人の手柄になる不条理を味わっている親として、思う。サンタクロースはたしかにパパだ。でもパパがサンタクロースなのだから、じゃあサンタクロースはサンタクロースではないか。とはいえ今年に関しては、クリスマスだってのに仕事がぜんぜん納まる様子がない僕は、翌25日土曜日も出勤だったため、宵っ張りのポルガが深い睡眠に入るまでなどとても起きていられず、ファルマンに役目を託して早々に寝たため、厳密にはサンタクロースをしていない。ちなみにファルマンは午前1時くらいまで、仕方なく寒い中リビングで待機したらしいが、いよいよ我慢の限界を迎え、さすがに寝たもののまだ眠りが浅そうなポルガの待つ(ピイガはとっくに就寝)子ども部屋に突入し、プレゼントを置くくだりをしようとしたらしいが、そこでやはりポルガは寝ぼけながら起きる様子を見せたため、ファルマンは咄嗟に、自分はあくまで子どもたちの布団を直してやりに来ただけだが、なんかプレゼントが置いてあったよ、サンタさんもう来たんだね的なストーリーを即興で仕立て上げ、なんとかごまかすことに成功したらしい。さすがわが家の北島マヤ。かくして今年のプレゼント配送も、つつがなくはなかったものの、なんとか済んだのだった。
 朝のプレゼントの開封も、僕は見ることができなかったわけだが、見たい気がすると同時に、喜ぶだろうなとこちらが想像するリアクションと、実際の相手のリアクションの相違とか、なんかそのあたりのことを思うと、自分のいない場でやってくれたほうがいいかな、なんてことも思うのだった。もっとも子どもたちの反応はとてもよかったようで、ならばよかったと思う。内容は、ピイガがポケモンのZリングなるものと、お気に入りのポケモンのぬいぐるみと、大きなホワイトボード。ポルガが、「らんま1/2」のCDと、電子辞書。1年にいちど、起きたら枕元に、かねてから欲しいと思っていたものが置いてある朝があるって、どれだけしあわせなことだろう。うらやましいな。まあ僕も、クリスマスプレゼント&1年の慰労という名目で買ったトレーニングベンチの、毎晩すぐ脇で寝ているので、大雑把にいえば同じようなものかもしれないけれど。
 かくしてクリスマスは無事に終わったのだが、去年に引き続いてクリスマス寒波がやってきて、今朝26日の朝、窓の外を見たら雪景色になっていた。雪が心配でやっぱり帰省できない、という決断をした手前、意外とぽかぽか陽気になどなられたら若干困るので(そしたら行くまでだが)、こう完膚なきまでに、年末年始に中国山地や日本アルプスを越えようだなんてよせ、といわれているような気候になると、きっぱりあきらめがつく。年末年始は近隣でおとなしくしていよう。今日は子どもを実家に預け、ファルマンと少しだけ買い出しをして(猛吹雪という局面もあった)、その間に子どもたちは雪で大いに遊ばせてもらったようで、僕もファルマンも雪遊びになんか本当に付き合いたくないので、うまく動けた休日だったと思う。ちなみに週末から冬休みに入った子どもらは、年明け、土日と成人の日がうまい具合に組み合わさり、これから実に半月くらい冬休みなのだった。うらやま! 晩ごはんは鍋ラーメン。身に染みた。汁物を啜って冬をやり過ごそうと思う。

冬山陰

 寒波がやってきて、日本海側を中心に積雪となった週の後半。土曜日の朝、車には数センチの雪が乗っかっていた。あのぽかぽか陽気だった鳥取旅行から約1ヶ月。実に冬である。
 去年まで山陽で暮していたわが家には、子どもたちが雪の日に履く、本格的な防水のブーツがないということで、今週はそれを買いに行く。本当に給付だ。現金でもクーポンでもいい。どっちにしろ子どもにばかりお金を使うじゃないか。
 ショッピングセンターは、なにぶん子ども用品フロアだったため、クリスマス商戦で大いに賑わっていた。各人がおもちゃを抱えて並ぶレジの行列は、穿った見方をしようと思えばいくらでもできるけど、まあ幸せな風景ということで、短絡的に眺めればいいと思った。目的のブーツは、僕自身が雪国の経験がないため、あまりイメージが浮かばずに買いに行ったのだが、想像していたよりだいぶ長靴寄りの、なるほどそういうものか、というようなものだった。岡山の靴売り場ではついぞ目にしなかったな。そこでポルガは選んで買ったが、ピイガはどれを見せても拒んで、結局買わなかった。どうやらブーツという言葉に、これまで岡山で冬場に履いていたような、ムートン的なものをイメージしていたようで、質実剛健すぎるビジュアルに、納得がいかなかったらしい。次女は女子だ。ファルマンが小さい頃、父親が「城に連れてってやる」というので、ディズニーアニメを観て育った少女ファルマンは、当然シンデレラ城のようなものを想像し愉しみにしていたら、見せられたのは松江城だったのでとてもショックを受けた、という出来事があったそうだが、そのエピソードに通ずるものがあるかもしれない。現実は質実剛健なんだよ。
 買い物のあと、昼ごはんは実家が牛丼のテイクアウトをするけど一緒にどうだと誘ってくれたので、立ち寄ってご馳走になる。ありがたくはあったが、実家は犬がいたり、両親がワーワーしていたりで、少しの滞在でけっこう頭がぐわんぐわんになる。横浜に帰らないことにした年末年始について、どうするんだと問われたので、まあ年始にでも顔を出しますわ、と答えておいた。大みそかにお店の蕎麦を取るからそっちの分も取ってやる、あの店のだ、食べたいだろ、といわれ、やんわりはぐらかしたが、僕はその店の蕎麦があまり好きではないので、お断りしようと思う。おいしいといわれるお店から取ってくる蕎麦より、家で茹でた乾麺の蕎麦のほうがおいしいと思うんだよな。
 帰宅後は、ピイガの学校のジャージのズボンに、ゴムテープを縫い付ける作業をする。学校指定のジャージというのがあるのだが、これが「嘘だろ!?」というくらい高くて、ポルガのものはそれでも、ふたり着るからという理由で(忸怩たる思いで)買ったのだが、1年ないし2年の、それも冬場しか穿かないピイガのそれはどうしても、どうしても買えず、よほど特殊で手が掛かっていそうなものならともかく、紺色に両サイドに明るい色のラインが入っているだけの、なんの変哲もないジャージなので、ちょうどそれ!というものは見つけられなかったが、紺色だけのジャージを買い、それにテープを縫い付ければいいだろ、ということになったのだった。既に出来上がっているジャージの、腰から裾までに、まっすぐに細いテープを縫い付けるなんて芸当が、果してできるだろうかと若干の不安はあったが、まあさすがですよね、ちょっとの模索の末、とても上手にできましたよね。ポルガの正規のそれと較べても、ぜんぜん遜色ない出来映え。はじめにやった左側よりも、あとにやった右側のほうがさらに上手になっていて、別に儲けたいわけではなく、スキルがもったいないので、この地域の、一部の土着の業者を既得利権で儲けさすだけのあんなジャージに大金を支払わねばならない家庭の方に、500円くらいでこの作業をしてやりたいと思った。
 夕方から夜にかけては、今日はもちろんM-1グランプリですよ、と、今日の朝まで本当にそう思っていたのだが、テレビ番組表で、予約録画のためにM-1を選ぼうとしたところで、今晩のラインナップのどこにもM-1の文字がなく、あれ、今日じゃなかったっけ? と本気で5秒くらい思案したのち、気づいた。
 うち、テレ朝とテレ東、映らないんだった。
 山陰って、そうなんです。実家は、衛星だかなんだかで特別な契約をしているから観られるのだけど、そういうことをしていないと、普通に映らない、「一部の地域を除いて」の一部の地域なのだった。なんかもう民放が3局しかないのがすっかり当たり前になっていて、また一方で、「かりそめ天国」などの観たい番組はTVerで観たりするするので、テレ朝とテレ東が映らないという現実のことを、完全に忘れていた。そんなわけで、普通に観られない。M-1観られないんだ!? とちょっと衝撃を受ける。残念。

給付待ち一般家庭

 日曜日をのんびりと過す。どこにも出掛けないくらいのつもりだったが、子どもの服が小さくなっていたり、ドリルやノートなどの学用品が必要だったりという、まさにとっとと10万円くれよ的な案件があったため、ショッピングセンターに出向く。歳末ということで、まあまあ賑わっていた。思えば本当に子どものものにしか今日はお金を使わなかった。そのあと、眼鏡屋を覗いたりもした。現在着けている丸眼鏡が、記録を見たら3年前のちょうど12月に買っているのだけど、どうしたってレンズに細かい傷がついてきて、限界を迎えようとしていて、買い替えを考え始めたのだった。このあまりにもまん丸な丸眼鏡は、とても気に入り、それだから3年も着け続けたわけで、レンズだけ交換する、という手も考えなくもないのだが、どういう理屈か、レンズのみの交換も、フレーム込みの新品も、そこまで値段が変わらなかったりするため、そうなってくると、どうもレンズの交換は馬鹿らしいような気もするのだった。新しく買うとしたら、丸眼鏡は金色の細いフレームなので、せっかくならば真反対の、黒系の太くて四角いようなフレームがいいかもなあ、なんて思う。今日は見ただけ。というか全体的に高い。ああいう店は、既存の眼鏡店に対して、ファスト系というか、簡素で安いという切り口で出てきたのだろうに、地盤が固まるにつれてじわじわと値段を高めてきた感がある。嫌だな。いつか岡山へ行ったとき、またアウトレットで買おうかな。
 帰宅後はすぐにラーメンを作って昼ごはん。おいしい。冬の休日の昼に、冷蔵庫の余り物で作った肉野菜炒めを乗せたインスタントラーメンなんかを家族で食べるの、しみじみと満ち足りる。
 午後は子どもたちが手芸をしたいというので、世話をするともなくしながら、ひたすらキッチンでの作業に勤しんだ。煮卵を作ったり、カステラを焼いたり、夕飯の下ごしらえをしたり。いろいろ自分の部屋でしたいことはあるのに、休日の午後はなんだかんだで、気づけば4時間くらいキッチンにいる気がする。
 夕飯は手巻きずし。手巻きずしセットと銘打ったものではなく、ちょっとした刺身の盛り合わせが安く、さらにはアボカドが安かったので、そこから起案した。手巻きずしは、これまではそれなりに奮発して催すものとして捉えていたが、家族全員、そこまで手巻きずしに豪華な海鮮を求めていないことに気がつき、少々の刺身と、あとは納豆とか、ツナとか、卵焼きとか、たらこマヨとか、そういうものがいろいろあればそれでいいんだと喝破して、そんなわけで肩の力を抜いた感じで行なった。結果として、本当にぜんぜん物足りないことなく、十分に愉しめた。そうか、これでよかったのか。スーパーのウニとかイクラって、高いだけで結局あんまりおいしくないしな。日本酒がぐいぐい進み、多幸感があった。
 夜はようやく自分の裁縫を、あまり遅くない時刻まで、集中してやった。今日はバッグの持ち手にステッチを入れる工程だったので、なにも考えずにガーガー全速力でミシンを踏めて、気持ちがよかった。

あたらいす

 子どもたちは年の瀬、クリスマスにプレゼントをもらうのに、その子どもを養うために1年間あくせく勤労した大人にプレゼントがないなんておかしいのではないか、という大義名分のもと、要するにファルマンにも僕にも欲しいものがあったからなのだが、それぞれ欲しいものを買った。欲しいものといっても、ファルマンが買ったのは高級キーボードなので、仕事道具だし、純然たる経費案件である。ちなみに使い心地はやはりとてもいいらしい。ならばよかった。
 僕は、僕は欲しいものが常にたくさんあるので、その中で今回はどれを選ぼうかという話なのだが、自分会議の結果、トレーニングベンチを選択した。いつかは欲しいと思っていたが、これまではスペース的な問題から我慢していた。それが秋の模様替えで部屋が広くなったことで置ける算段がついたため、とうとう買うことができたのだった。置ける算段といっても、トレーニングベンチがトレーニングベンチとして常に部屋の一部に鎮座するわけではない。そこまでのスペースはない。じゃあ折り畳み式か、といえばそういうわけでもない。僕はこれを、これまで使っていた椅子の代わりとして買った。だから筋トレをするときは部屋の中央までえいこら引きずって移動して使用し、それ以外のときはミシンおよびパソコンデスクの前に、文字通りベンチのように置く、というわけである。
 イメージしていただけただろうか。写真を撮って載せようかとも思ったが、自室なのでさすがによすことにしたため、想像をしてほしい。工業用ミシンの台部分まで含めた横幅が120センチあり、かなり長く、そのため左のスペースにパソコンを置けて、こうして使っているわけだが、その僕がいま何に座っているかといえば、横幅150センチあるトレーニングベンチなのである。背もたれはインクラインからデクラインまでできるように角度が変えられ、バックエクステンション(背筋)をするための突出したシートまで装備する、吟味に吟味を重ねて選んだ本格トレーニングベンチ。全体的に黒光りして、なかなかの迫力である。世の中に、家に工業用ミシンがあって、そのテーブルのスペースにパソコンを置いて、その椅子がトレーニングベンチの人って、どれくらいいるだろう。フルーツバスケットでその条件を出したら、僕とあと何人が立ち上がってくれるだろう。
 デスクに向かう際は、ベンチを横に使っているため、背もたれがないということになる。これは果たしてどうなのかな、とも思ったが、ファルマンと違ってそこまでパソコンで長時間の作業をするわけでもないので問題ない。これまでは座り心地の良い、6980円くらいで買った、2980円くらいの最低限のああいうのより、いわゆるちょっといいデスクチェアを使っていたのだが、僕もファルマンもそんなような椅子で(ファルマンは僕のものよりひと回り大きい重役クラスのものだが)、そして部屋の角を挟んで僕は北に、ファルマンは西に、それぞれ壁に向かって座っていたため、するとどういうことが起るかといえば、互いの背もたれが干渉し合うという、プチストレス事態に陥っていたのだけど、今回のトレーニングベンチの導入によってこの問題が解消した。これ以外の解決方法もいくらでもある問題だったが、意外な解決方法が待っていたものだと思う。
 さあ、夏に向けて、冬はせっせと、筋トレして、裁縫しよう。

鳥取旅行2021晩秋 ~山陰らしく生きてゆく~

 よく寝る。ホテル特有の空気の乾燥は、濡らしたバスタオルを干していたので免れた。
 朝ごはんをもしゃもしゃと食べ、出発の準備をする。チェックアウトの前に、昨日はもう暗かったのでできなかった、ホテル周りの散歩などをした。温泉施設はバリをイメージしていて、中庭なんかもかなり凝っていたので、そこで写真も撮りたかったのだが、残念ながら門が閉まっていて、立ち入ることができなかった。10時オープンというのが、返す返すも恨めしかった。ホテルの宿泊客限定で朝風呂とかやってくれたらいいのになあ。海のほうの道にも出て、昨晩外気浴をしたテラスを眺めたりする。思い切り海に面しているので、海岸にいる人からは見放題なのではないかと思っていたが、そこは一応立ち入り禁止のようになっているらしかった。とはいえやっぱりかなり開けっぴろげなような感じもあり、つまりなんというかこれは、やっぱり僕のような、裸でオープンな場にいる快感を得たい輩の欲求を満たす狙いがあるのではないかな、という気もした。
 2日目の今日は、鳥取において鳥取砂丘という大目的を済ませたあと、そのあとなにをするか正直だいぶ悩んだ結果、ガイドブックに小さく紹介されていた、「むきばんだ史跡公園」なる施設へと向かった。これは弥生時代にこの地にあったという集落を再現した(ゴルフ場を作ろうと思ったら出てきてしまったらしい)公園で、当時の住居も原寸大で建てられていて、しかもだいぶ山の中にあるため、もう風景的にはマジで当時と変わらないんじゃないか、みたいなタイムスリップ感を得ることができた。


 ここの散策中、どこからやってきたのか、ファルマンの顔に尺取虫が1匹取りつき、どうもマスクの上にいたらしいそれが、マスクから眼鏡へと身を伸ばして移ろうとした際、ようやくファルマンの視界に、蠢くそれの姿が入ったようで、ファルマンは飛び上がっておののき、眼鏡とマスクを取って振り払い、そのあと泣いていた。虫で泣かされる女子の泣き方で泣いていた。この公園で、この場面がいちばんおもしろかった。
 それから帰路に入るが、昨日みたいに最短ルートではなく、北西方面に進み、鳥取県の尻尾みたいになっている部分、境港のほうを攻める。道中では冠雪したばかりの大山の姿を拝むこともでき、たっぷり鳥取を堪能した鳥取旅行なのだった。
 境港では、まず夢みなとタワーに立ち寄る。「境港のランドマークタワー」を謳う夢みなとタワーは、それと同時に「日本一低いタワー」(高さ43メートル)でもあって、しかし鳥取には他にあまり高い建物がないので、展望室からはとてもいい見晴らしが愉しめるという、なんかもう自虐なのかなんなのかもはやよく分からない、山陰テイスト溢れるスポットだった。建物の中までは行ったが、やっぱり普通に低すぎて、お金を払って展望室に上がる気にはなれず、地上の施設を冷やかして終わった。お膝元には境港さかなセンターという、魚介類が中心のみやげ物屋街があり、この時期の鳥取といえばやっぱり松葉がにで、生け簀の中には生きたそれがうじゃうじゃしていた。先ほど尺取虫を超至近距離から見て泣いた、虫が大嫌いな女は、「私はちょっと見れない」といって目を背けていた。まあ生きているカニって、普通にわりと気持ち悪いよな。
 それから境港といえば、やっぱりどうしたって水木しげるということになり、いわゆる水木しげるロードにも赴いた。車を置いて、ゲゲゲの鬼太郎を中心とした水木しげる関連のグッズを売る店々が軒を連ねる通りを歩く。まあまあ人通りもあり、賑わっていた。客層は、ほとんど我が家と同じようなファミリー層で、そしてどの家族もだいたい、親世代はまあまあゲゲゲの鬼太郎になじみがないわけでもなく、ああ鬼太郎だなあ、有名だなあ、くらいの感じだが、その子ども世代となると、やっぱりどうしたって、ポケモンやすみっこぐらしに勝てるはずもなく、親に連れてこられたが、なんか絵怖くてかわいくないし、なにをどう愉しめばいいのかぜんぜん分からない、みたいな顔をしていて、もちろんうちの娘たちもそんな感じで、これで親に熱情があれば、それでも子どもにその熱が伝播して盛り上がったりもするのだろうが、なにぶん親もまた、まあせっかく境港に来たんだから水木しげるロードに行ってみようかねえ、他に行く場所もなさげだしねえ、くらいのテンションなので、結局かなりどっちらけな感じだった。水木しげるか。水木しげるねえ。好きな人はすごく好きなんだろうなあとは思うのだけど、うーん。
 後半ちょっとぼんやりしてしまったが、鳥取県はこれでおしまい。島根県へと舞い戻る。鳥取県から島根県へは、江島大橋を使う。かの有名な「ベタ踏み坂」であり、これを渡るというのも、今回の旅行計画の中で、ちょっと愉しみにしていたイベントだった。ところが実際に渡ってみると、「へ?」というもので、どうもこれもまた夢みなとタワーと一緒で、周りに建物がないからやけにそれだけが聳え立っているように見える現象によって、とてつもない急勾配に見えるだけで、実際はそうでもないというのが真相らしい。なんか山陰、すごいな。思えば錦織圭も、あの独特のプレイスタイルは、島根県においては幼少期、それでも敵なしだったから矯正されることなく貫き通すことができた、という話があるし、なんというか分母の小ささ、較べる対象の少なさが、いい方向に作用すると、独自の路線でいいものが確立できるという、なんか教育にも通ずるような、この旅行で山陰両県をたっぷりと味わって、そんなことに思いを馳せた。
 松江からの道は、途中で入れ替わり、ファルマンの運転で帰った。せっかくの遠距離移動なのだから、いざというときのためのフリードの運転練習をしたい、という話があって、しかし往路でなんかあるとあまりにも哀しいので、復路まで待ってもらったのだった。復路ならばまあ、最悪死んでもいいしな、と思いながらハンドルを委ねた。幸いなことに、夕方に西に向かう道のりのため、西日が眩しくて目が開けられないと恐ろしい文句をいいながらも、無事に家に帰り着き、こうして日記もきちんと書き切ることができた。
 とまあ、こんなような1泊2日の鳥取旅行だった。初めての家族旅行だったわけだが、とてもよかった。旅行って愉しいもんだな、家族の思い出ができて嬉しいもんだな、なんてことを思った。途中でも記したが、週が明けてから、山陰には一気に冬がやってきた。10月から駆け抜けたレジャーの日々も、今回の旅行を集大成として、ひとまずおしまいだ。これからは基本、閉じこもって暮す。そういう季節になる。それはそれでいい。

鳥取旅行2021晩秋 ~おすしとおふろ~

 鳥取砂丘こどもの国で遊び終えたあとは、本日の宿泊先に向かう。米子である。無理すれば日帰りできないこともない鳥取砂丘を、あえて1泊2日の旅行にして、宿泊先をどこにするかといえば、もうだいぶ自宅に近い、米子なのだった。グーグルマップで検索すると、自宅から米子までは1時間ちょいである。思っていたより近い。帰ろうと思えばぜんぜん帰れる。でもそういうことじゃない。なぜなら旅行なのだから。
 そもそも白状するならば、僕にとって今回の旅行は、鳥取砂丘はサブ目的であって、メインは宿泊、それも温泉およびサウナなのだった。泊まったのはオーシャンというビジネスホテルで、ビジネスホテルといっても今どきの、家族や仲間で泊まれる部屋もある、そういうホテルである。そしてこの同じ敷地内に日帰り温泉オーシャンという、スパ施設として普通に一般向けに営業している、もちろん同系列の施設があり、宿泊客はそこの入浴チケットがもらえる。すなわち風呂に入って、サウナに入って、ビール飲んで、飯を食べて、寝る。そういうことができる。それがしたいというのが起点となり、今回の旅行計画が始まったのだ。
 ホテルには16時半ごろに到着した。案内された部屋は、ホテルにふたつある特別室のひとつで、ビジネスホテルという感じはまるでなかった。しかも旅行日記の冒頭で後述すると書いたキャンペーン、その名もWeLove山陰キャンペーンにより、宿泊料金は通常の半額となり、ふたりは子ども料金とはいえ、4人で11000円というのは、あまりにも破格なのだった。
 このあとすぐに温泉に行ければよかったのだが、晩ごはんとして用意周到に数日前からweb予約しておいたスシローを受け取りに行ったり、スーパーでビールや朝ごはんを買い込んだり、僕だけそんな用事を済ます。知らない街の、知らないチェーンのスーパーが、旅情を掻き立て、おもしろかった。見たことのないプリンを見つけ、思わず買ったりした。
 部屋に戻ったあと、ようやく温泉へ。日が短いので、17時半くらいでもうすっかり暗くなってしまった。外気浴的に、これはかなり残念だった。さいきんサウナについてこのブログで告白したとおり、僕はサウナに、外で裸になる快感を求めている部分が大いにあるので、あたりが暗くなってしまったらあんまり意味がない。温泉は翌日にも入る権利があるのだが、温泉がオープンするのは10時なので、それを待つつもりはなかった。つまり明るいオーシャンには入り損ねた。せっかく男湯が2階の海風呂で、テラスから目の前の海に向かって裸でデッキチェアに座って休憩できるという、貴重な経験ができる機会だったのに。
 そこだけは残念だったが、まあ温泉もサウナも愉しめた。土曜日の夜なので、まあまあ混んでいた。とはいえ数年前の横浜のスーパー銭湯ほどのことはない。あれはいま思えば、「ギャグマンガ日和」のあの話くらいの人口密度だった気がする。月明りしかなかった(温泉に入る前、家族で赤い月を見た)ものの、目的のデッキチェアは堪能できたし。ちなみにサウナ内のテレビでは、今日開幕の日本シリーズ、ヤクルト対オリックスが放映されていて、それもまた特別な夜の印象を強くさせた。
 約束していた時間に部屋に戻ると、はしゃぐ子どもたちの世話が大変だったことと空腹で、ファルマンの機嫌が悪くなっていたため、すぐに鮨にする。砂丘で遊んで、温泉に入って、家族で鮨を囲み、ビールを飲みながら日本シリーズを眺める。なんだこれ、しあわせかよ、と思う。これ以上があまり浮かばない。
 だらだらと鮨を喰い、子どもたちが寝る時間となり、しかし興奮してあまり寝そうになく、「部屋を暗くして寝かしつけるからお風呂行きなよ」とファルマンがいってくれ、2度目の温泉に入りにいく。駐車場を突っ切り、徒歩1分半。いいなあ。22時前だが、まだまだ人は多い。むしろ夕方よりも多かったかもしれない。日本シリーズはまだ続いていた。9回裏、ここを抑えたらヤクルトの勝ち、というところで、サウナ室の座った位置が、あまりにも熱の高い場所だったため、どうせこのまま決まりだろうと、見届けずにたまらず出る。そして水風呂と外気浴をして、十数分後にふたたびサウナ室に戻ったら、オリックスが逆転サヨナラ勝利していた。そのときサウナ室は盛り上がったろうかな。
 2回目の入浴を堪能し、部屋に戻る。子どもたちは寝ていた。大人だってクタクタだ。鮨の残りを食べきり、眠りに就いた。
 つづく。

鳥取旅行2021晩秋 ~ラクダとリフトとカートに乗って~

 いまこの鳥取旅行の日記を、帰宅翌々日、勤労感謝の日に書いているわけだが、部屋の窓からはサッシを動かすほどの風の音が絶え間なく聞こえ続け、午前中には買い物に出たのだが、雪が混じるのではないかと思うほど冷たく細かい雨が降っていた。明確に山陰の冬が到来した。「週間予報がずれて日曜日の雨が免れた」と前の記事で書いたが、それどころの話じゃない。本当にぎりっぎりの秋だったのだ。この気候があと5日早く襲来していたら、鳥取砂丘も相当にどうしようもないことになっていたと思う。幸運だった。
 

 砂まみれになって思う存分に遊んだあとは、入口のほうに戻り、ラクダに乗ることにした。書くとさらっとしたことのようだが、馬の背を登って海のほうまで来ているので、そう楽なことではない。馬の背を降りて、また馬の背ほどではないが坂を登らなければならないのだ。つら……、と思わず口に出た。砂しかない見晴らしのいい世界で、ずっと向こうの上り坂を人々が這いつくばるように進んでいるのが見える。思わず「道化師のソネット」が頭に浮かび、われわれはそれぞれの高さの山を登る山びとのようだ、とやはり精神世界的なことを思った。鳥取砂丘はとにかくそういう場所だった。
 それでもなんとかラクダのもとに辿り着き、子ども二人を乗せて、あたりをぐるっとひと回り(3分ほど)、2600円也、というのが適性なのかどうなのか、ラクダを飼育したことがないのでよく分からないが、なんてったって観光なので、払う。ファルマンも子どもの頃にこの地で乗っているので(もう7代くらい前のラクダに)、わが家でラクダに乗ったことがないのは僕だけになった。もしも神の気まぐれで、そういう括りで人類が選定されることがあったら、一家で僕だけが排除され、妻と子どもたちは、確実にイスラムの比率が高い、残された人類と生きていくことだろう。


 乗る前に「ラクダのこぶの感触を教えてくれ」と頼んでおいたのだが、ピイガいわく「かたかった」そうだ。そうなんだ。
 ラクダのあとはリフトに乗る。リフトは、半月前の三瓶山において、ちょうどリフトが休止中で乗りっぱぐれた(翌週から稼働再開)という経緯があり、それが鳥取砂丘にはある、ということを事前の下調べで知ったため、その雪辱として乗るために乗るような心意気で乗ったのだが、いま思えば別にぜんぜん乗る必要なかった。砂丘に対し、もっといい位置関係で伸びるリフトを想像していたのだが、実際はあまり意義が感じられないような代物で、どっちらけな気持ちになった。
 最後にみやげ物屋で、実家やポルガの岡山時代の友達へのおみやげを買う。繰り返しになるが、鳥取は、島根にとっても岡山にとっても隣県なのだけども。ちなみに買ったのは砂丘の砂の入ったボールペンで、実に無意味でみやげ物らしいみやげ物だと思う。
 砂丘を堪能したあとは、車で数分の場所にある「チュウブ鳥取砂丘こどもの国」という施設に移動する。広場あり、アスレチックあり、変形自転車ありという、横浜のこどもの国と同じような施設。でも横浜のそれに較べると規模はだいぶ小さく、面積でどれくらいの差があるだろうかと検索をした結果、面積は分からなかったが、「こどもの国」は横浜のあそこを示すのであって、それ以外のこどもの国は、この「鳥取砂丘こどもの国」のように、各地の地名を冠するようになっている、ということを知った。ためになったし、ああ俺は正統なこどもの国が御用達だったのだな、と誇らしい気持ちになった。
 ここの広場で、まずは弁当を食べる。家からちゃんと作って持ってきていたのだ。そしてあわよくば鳥取砂丘で食べられないものかと、馬の背を登るときだってレジャーシートとともに提げていたのだが、しかしそういう感じではなかった(当世流行りのテントなんかも一切なかった。あの雰囲気を守るためにはそのほうがいいと思う)ため、ようやくここで食べることができた。おいしかった。食べたあとは子どもたちはアスレチックで遊び、ゴーカートでデッドヒートを繰り広げた。


 両親は下半身に明らかな、根深い、数日続くことが確実視される疲労を感じ、要所要所でひたすらベンチを見つけ、座った。こどもの国で、大人はひたすら座るのだ。
 つづく。