春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。

寒く、発散もできず

 話題に困ったら気候の話というわけではないが、近ごろのおこめとおふろはその話題ばかりだ。なにしろ日常生活の中で、とにかくそのことが頭の大部を占めている。早く春が来て暖かくなってほしいということを、もう2ヶ月近く願い続け、そしてはねのけられ続けている。2週間前の降雪3連休のあと、一気にだいぶ暖かくなり、これはいったな、これはとうとういったな、灯油缶に半分くらい残っている灯油はまた持て余す危険性だな、と確信したのに、一瞬の夢であったその数日間ののち、再び気温は下がり、なんか普通にしみじみと寒い日々なのだった。束の間の救済が余計に哀しみを増幅させて、心底うんざりし、落ち込んでいる。
 泳げていないというのもまた、気持ちを晴れさせない要因のひとつであるに違いない。それまで当たり前に権利を与えらえていたことが、あるときから急に奪われるというこの感じ、なるほどこれが「ロス」というものかと、これまで自分にまつわること以外、なにも「推し」というものを持たずに生きてきたので、初めて実感している(泳ぐことは自分にまつわる個人的な事柄だが、なにぶんプールという外的要素が関係してくるので、自分自身の力ではどうしようもない)。世界を形作っていたものの一部が、あっけなく抜け落ち、それでももちろん生きていかねばならないのだが、どんなに前向きでいようと励んでも、それはかつての日々に対して大事なものが欠落した状態であり、決して十全ではない。ファルマンの短歌に、『楽しくて全部そろっているけれど どれもこれもが前ほどじゃない』というものがあり、言っていることは微妙に違うような気もするけれど、感じている寂しさは似通っているような気がする。
 泳ぐこととスイムウェア作りは趣味の両輪であり、そのふたつが連動することによって俺はどこまでも進めるぜ、みたいなことを前にどこかのブログに書いたが、泳ぐほうの車輪がまるで回らない日々の中で、スイムウェア作りのほうはどうなっているのかと言えば、これが気色悪いほどに激しく回転しているのだった。1ヶ月に及んだパターンの刷新プロジェクトが完了したこのタイミングを見計らったかのように、いつも生地を買っている店の、いつも買っている生地が、これまでの2年間ほどで最安値の、ふだんの値段で買うのがバカらしくなるような価格でのセール販売を開始したので、小遣いをだいぶ注ぎ込んで、新しい柄のものを大量に仕入れたのだった。なので、泳がないくせに水着を作ってばっかりいる。作られた水着は、まだいちどもプールに浸かっていないし、泳がれてもいない(「水着が泳がれる」という特殊な表現)。タイヤが片方しか回っていないので、最小限の半径で同じ場所でずっと激しく回転している感じ。傍から見ればそれは完全に故障であろう。
 まったく泳がなかったこの1ヶ月、しかし車にはプールグッズ一式が載り続けていて、それはいざというときのため(例えば急に気が向いておろち湯ったり館に行くことにしたとか)などという前向きな理由ではなく、単に自宅にそれを置く場所がなかったからで、地球上の飛行機はすべての機体が同時に地上にいることはできないという話と一緒で、日々生産され続ける、売り物でない僕の水着および下着は、もはやタンスには収まりきらないため、プールグッズと称して車に載せておくよりほかないところまで来ていたのだった。しかしそれはさすがに不健全であると思ったし、なによりこれから製作は新しいパターンになっていくので、このあたりで整理するべきだろうと考え、タンスの中の、これはもうこの先たぶんも穿かないだろうと判断した水着や下着は押し入れへとやってしまい、なんとか1段を丸ごと空けて、そこへスイムウェアを詰め込むことにした。


 それがこの状態で、ブリトーみたいにまとめたものを縦に並べていって、満員電車のような、互いが互いを支えて自立しているような、そんな感じで収納してある。壮観である。普通に考えて、もう水泳が趣味の人が一生で使う分の水着が十分にある。ともすれば来世、あるいは来来世くらいまでいけると思う(さらに言えばこれがすべてというわけでもない)。お前には股間がいくつあるんだ、もうこのくらいで打ち止めでいいだろうという話だが、これが穿くことだけを目的に作っているわけではないことは言うまでもなく、これからも数は増え続ける(そもそもが新しく大量に買った生地でこれから作っていくもののための態勢作りの一環で、この作業を始めたのだ)。なるほどイメルダ夫人もこんな気持ちだったのだな、とかつてのフィリピン大統領夫人に共鳴する思いだ。
 とにかく、とにかく早く暖かくなり、そしてプールが再開してほしい。生きていて、その不満にばかり意識がいっていて、不健康だなと思う。

やけに律義な冬、感動を伴って春へと

 今年の雪は、やけに律義に、休日めがけて降った。先々週もそうだったし、この3連休もそうだった。今日が出勤だったらめっちゃ嫌だったな、と思うと、少し得した気持ちになった。3連休ということもあり、こんな天候でなければ、泳ぎたい気持ちも手伝って、もしかしたらおろち湯ったり館に出向いたかもしれないが、とても雲南に繰り出そうと思える状況ではなかった。それでも平日に降られるよりよっぽどよかった。
 この3連休は、初日にだけ予定があった。それは、今年度末に開通する高速道路区間があるのだけど、その完成を記念して、この日だけは高速道路上を歩けるよ、という貴重なイベントで、僕はだいぶ前から愉しみにしていたのだった。ちなみにウォーキングのほか、サイクリングやランニングの部門もあって、こちらは競技というほどでもないが、有料制の事前申し込み企画となっており、実はランニングに関して少しだけ、参加するかどうか迷った。結局はよしたのだが、これは賢明だったと思う。なぜか自分はそこそこ走れるような気がしているが、冷静に考えればなんの根拠もなく、2kmあまりの距離の実家に走っていったときも、たびたび歩いたし、翌日はひどい筋肉痛になった。実際に参加したら、たぶん走り切れなかったろうと思う。それに加えて、本当に開催するのかどうか、とてもやきもきするはめになったはずだ。前夜の段階で、雪の情勢的に今回のイベントはすべて中止になるのではないかと思った。ウォーキングは当日受付なので、残念だけどそれならそれで仕方ないな、などと思いながら寝た。なので起きてホームページを確認し、「本日のイベントはすべて予定通り開催します」と堂々と宣言しているのを目にし、マジか、と思った。とても愉しみにしてたわけだけど、だけど、中止じゃないんだ、と。しかしやるからには行かないわけにはいかない。高速道路、歩きたいじゃないか。特別な思い出になりそうじゃないか。なので開始時刻めがけて、会場へと向かった。しかしみんな考えることは同じのようで、イベント会場である公園の駐車場は満杯で、臨時駐車場として近くの学校のグラウンドに車を停め、そこから送迎バスで移動するよう指示される。垣間見た会場の様子を眺め、ポルガが呟いた。「島根県民がみんなここに来ているんじゃないか」。もちろんそんなはずはないのだが、そもそも高速道路を歩けるというレアな機会であるのに加え、山陰の長くて淋しい寒い冬を過し、春の到来を前のめりで求めている島根県民たちが、イベントというものに飢えていたというのもまた真実であろう。かくいうわが家だってそうだ。仕方なく案内された学校へと車を走らせる。ところがこの移動中に、それまでもちらほらと降っていた雪が、一気に激しくなる。学校は思った以上に離れていたが、道中には歩いて会場へと向かおうとしている人々がいて、もはや吹雪といってもいい中を歩く姿は、八甲田山のようであった。到着した学校のグラウンドに車を停めたが、ずいぶんな距離なのに歩いている人がいるという事実が示すように、バスの本数は十分なものではないようで、待っている人の列は長く、だいぶ待たなければならない様子だった。そして激しく降る雪の中、バスを待ち、バスで向かった先でなにをするのかと言えば、高速道路を歩くのである。しかし高速道路を歩くもなにも、視界が閉ざされるような天候である。これは駄目なやつだ、とその場で判断した。ちょうど雪が強まって、下手に耐えてバスに乗ってしまう前にその判断ができてよかった。愉しみにしていたイベントに参加できなかったことは残念だが、僕が思い描いていた愉しさは、たぶんこの日の会場には存在しなかったろうと思う。工事が年度に合わせて計画されるがゆえに、完成して実際に稼働する前に行なうイベントが真冬になってしまうのは仕方ないのかもしれないが、今年はちょっとあまりにもひどい巡り合わせだったのではないか。
 というわけで、3連休の唯一の用件は立ち枯れ、あとはこまごまとした買い物以外、かなり粛々と家で過した。なにしろ寒波である。土曜日の午前中に激しく降った雪は、しかし夕方にはだいぶ溶け、これでもう山陰の寒波は終わりかね、と思っていたら、日曜日の朝はまた雪景色となっていて、1日ズレていたらイベントもなんの滞りもなく開催できただろうに、という忸怩たる思いを抱くこともなく、しかしその雪もまた午後にはだいぶ溶け、ふうやれやれ、いい加減これでおしまいだろ、と思っていたら、最終日である今朝がいちばん分厚く雪が積もっていた。窓の外を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。でもそれも午後の陽射しでやっぱり概ね溶け、そして明日以降、雪の予報というのはいよいよ見当たらなくなり、最高気温が15度などという予報も出てきたので、今度こそ冬は底をついたのではないかと思う。本当に、気色悪いほど休みの日に雪を降らせる冬だった。
 ちなみに雪で行動がままならず、家にこもって作業をしていた果以もあり、この1ヶ月ほど取り組んでいたスイムウェアのパターンの刷新が、無事に完了した。説明しても伝わらないと思うし、もしも書くとすれば当然「nw」ということになるが、3日間じっくり取り組んだからこそたどり着けたような、自身としてはだいぶ劇的で感動的な到達があったので、とてもいい3連休だった。スプリングハズカム。

長くて淋しい寒い冬だったけど

 なんとなく日頃よりアンニュイであるような気がしながら暮している。なにか特別な懸案とかがあるわけではないのだけど、どうも少し、生活に身が入っていない感じだ。山陰の冬にやられているのかもしれない。2月も中旬になれば、あえて探そうとせずとも、春の気配が向こうからやってくるような、そんなイメージがあったけれど、今年はどうもまだその感触が希薄である。冬至から2ヶ月近く経って、日は確実に長くなっているはずなのに、それさえあまり実感しないのだった。
 2月にプールが閉鎖するのは毎年のことなので、それを理由にすることはできない。泳げないことはもちろん僕の精神に暗い影を落としているけれど、そのぶん筋トレに本腰を入れており、われながらせっせと健やかに生きようと励んでいるな、といじましく思う。
 部屋ではもっぱら、筋トレとスイムウェアの製作ばかりやっている。スイムウェアは、「nw」で書いたように、型紙の修正に取り組んでいるのだが、これがなかなか難しい。いじればいじるほど、最初の形がいちばんよかったような気がしてくるのだった。
 これは「hophophop」に書いたことだが、今年はTシャツを新しく仕入れようと思っていて、そのためにとうとうメルカリに足を踏み入れた。これまではスイムウェアの販売をYahoo!フリマでしていることもあり、ものを買ったりするのもそちらでしかしたことがなかった。しかしTシャツの市場はメルカリのほうがだいぶ活況の様子だったので、いよいよ観念してアカウント登録をし、正式に入会した。
 Tシャツは、高校のクラTなどが手に入ったらいいなあと思っているのだが、検索方法が悪いのかもしれないが、なかなかそういうものは出てこない。この世で35人くらいしか持ってないものだから、さすがに売りにくいのかもしれない。非売品という括りで言うと、マラソン大会の記念Tシャツはわんさか出てくる。この世にはこんなにもマラソン大会があり、そこでは参加者にTシャツが配られ、そして売る人はすぐに売るのかと、これまで知らなかった方面の事実に、驚いている。ちなみにそれらマラソン大会のTシャツは、デザイン的にいいものもあるし、本当になんの縁もない、これまでそんな地名なんて聞いたことなかったみたいなマイナーな大会のTシャツを日常で着るというのも悪くないと思ったのだけど、いかんせん素材がコットンではなく、ポリエステルのメッシュみたいになっているものばかりなので、さすがにちょっとなあと思い、購入には至っていない。
 それにしてもメルカリという界隈は、風の噂で聞き知ってはいたけれど、どうやらかつてよほどの混乱があったようで、入会もマイナカードの写真を送信しなければならず厳重だったし、出品者のコメント欄には「ノークレームノーリターンでお願いします」や「神経質な方はご購入をご遠慮ください」などという文面が並び、写真では「このようなほつれがあります」などと言って、とんでもなく小さい糸つれみたいなものが提示してあったりと、治安の悪さと言うか、たぶん荒れに荒れていた時代を是正した結果、いま表面上は平和なのだけど、それは各人の警戒心の強さによってギリギリで保たれているに過ぎず、少しでも気を抜けばすかさず足をすくわれるのだという、修羅の世界の恐怖を感じさせるのだった。これに較べるとYahoo!フリマは牧歌的だなと思う。喩えるなら東京と地方みたいな感じだ。せっかく入会したからにはスイムウェアをメルカリでも販売しようかな、という思いはもちろんあるのだが、そんなわけで二の足を踏んでいる。
 近況はだいたいこんな感じで、なにしろどこかへ遊びに行ったりということがないので、あまりこのブログに書くことがないのである。早く春を感じたい。でも来週はまた寒波だという。嫌だなあ。もういよいよ嫌。ヒアカムザサン。

14年

 ポルガの誕生日を祝う。
 ピイガの1月4日というのは、なにも、ただでさえわちゃわちゃしている正月の、こんなタイミングじゃなくてもいいだろ、という気持ちにさせられるのだけど、ポルガのこの1月22日というのもまた、大寒だし、日が短いし、このあたりの時期は土曜日の休みが少ないしということで、どうもスカッと祝いづらいのだった。そんなの出産の、ひいてはお前の行為に拠るものなのだからしょうがないだろ、と言われればそれまでではあるのだけど。
 お祝いの日の晩ごはんのメニューや、ケーキの趣向について、事前にポルガに希望を訊ねたところ、「回転ずしがいい。持ち帰りじゃなく、お店で食べたい」という答えが返ってきたので、作らなくていいし案外いい手かもしれないと思い、受諾した。さらには「じゃあケーキも回転ずしのデザートのやつでいいんじゃないか。食べたいだけ食べていいから」と提案したところ、ポルガもそれを魅力に感じたようだったので、とても簡潔に丸く収まったのだった。
 というわけで土曜日の夜、くら寿司に行った。ポルガがリクエストするだけあって、お店で食べるのはとても久しぶりで、鮨がレーンを回っているさまを、本当に久々に目にした気がした。店内は混んでいたが、予約をしていたのでわりとスムーズに席につけた。鮨は安定のおいしさだった。ビッくらポンはいちども当たらなかったが、やっぱり外食は外食で愉しいものだな、と思った。鮨のあと、子どもたちはケーキを食べていた。ポルガはふたつ頼み、嬉しそうだった。ちなみにくら寿司は、まさに誕生日のお祝いを対象にした、ホールケーキが装飾とともにレーンを流れてくるサービスを少し前から始めているようだが、残念ながら島根県の店舗にはまだ未上陸なのだった。ポルガは「来年もこれでいい」と言っていたので、来年には利用できればいいと思う(けっこう恥ずかしそうだけど)。
 お祝いはこれで無事に完了のはずだったのだが、個人的になんとなく物足りなさを覚えたので、翌日、日曜日の昼食を、しれっとホットケーキにした。チョコペンも用意し、ポルガのものにだけメッセージも書いた。「ポルガ おめでとう 14」と書くつもりだったが、「『ポルガ 天才』にして」というリクエストを受けたので、そう書いた。ホイップクリーム、はちみつ、アイス、さらにはさつまいもを甘く煮たものや、あんこにきなこなども乗せて、背徳的な味を愉しんだ。
 さらには晩ごはんは、なんだかんだでたこ焼きにした。ポルガの誕生日祝いの日の夕餉はたこ焼きというルーティンに、実は本人なんかよりも僕のほうがよほど拘泥しているのかもしれない。わりと久しぶりだったたこ焼きは、やはりおいしかった。焼きながら、食べながら、マリオパーティーをした。とても愉しかった。
 回転ずしだの、マリオパーティーだの、実につましく、まっとうな、一般家庭の生活の営みだなあとわれながら思う。最近、2008年の、まだ子どもがいない新婚時代の日記を読んでいるのだが、当時はふたりで1日にジブリ映画を3本観たりとかしていて、びっくりする。ベタなことを言うが、第一子が14歳ということは、われわれが親というものになって14年が経ったということである。14年。ずいぶんなもんだ。なるほど年を取るわけだ。あのパピロウが、めちゃくちゃベタなことを言うもんだ。これも加齢によるものか。

24年~25年の年末年始記録 後期編

 7日目。1月3日。昨晩あたりからうっすらとその気配を感じていたが、喉に違和感があり、ゆるやかに体調が下り坂にあるようだった。加えて、しゃがむときなどに下半身に強張りを感じる。前日のランニングによる筋肉痛なのだった。全長3kmくらいの、途中で息が続かなくてだいぶ歩いた、あのランニングで筋肉痛になるのかよ、と驚いた。
 午前中は朝ごはんのあと、そのまま家族全員でのゲーム大会となった。おとといのブックオフで子どもたちが「スーパーマリオパーティー ジャンボリー」を買っていて、「パパもやるか」という誘いをこれまでは断っていたのだけど、この日は気が向いたので応じ、ファルマンも含めて4人でやることになった。前作「スーパーマリオパーティー」も子どもたちは持っており、こういうゲームが好きなんだなあ、と少し意外に思う。僕は美少年の頃、この手の、ミニゲームたくさん系のゲームは、ぜんぜん視界に入らなかった。もしかするとそれは家族の仲の良さとかが影響するのかな、などと思った。正月らしい愉しいひと時だった。
 11時くらいになって実家から連絡が来る。昼にマクドナルドを買うことにしたのでそちらも一緒にどうかという誘いだったので、喜んで受ける。次女夫妻が取りに行ってくれるというので、わが家のオーダーを伝えた。というわけで昼ごはんは実家でマクドナルド。助かった。
 食べ終わったあとファルマンと娘たちはそのまま実家で遊ぶというので、僕だけ帰る。帰って、しばし裁縫したのち、プールへと繰り出す。この日が今年の初開館日なのである。12月29日に行って、1月3日なので、4日あいただけのことか。よくあることだな。29日もわりとそうだったが、この日も家族連れが多かった。案外、真冬でも家族でプールに行くのだな。この時期、僕はプールに行くと言うたびに、妻から奇異な目で見られるのだけど。
 初プールをたっぷりと堪能し、その足で実家に寄り、家族を回収する。もう空は暗かった。遅く起きて、ゲームして、マック喰って、裁縫して、泳いで、そして終わった日だった。薄いと言えば薄い、ハッピーと言えばハッピー、なんかそんな日だった。
 8日目の1月4日は、わりと盛りだくさんだった。まず次女一家が午前中に出発するというので、その見送りに行く。いつものことながら、濃密に絡んだ日々だった。次に会うのは、順当にいけば春休みだろう。
 次女一家の車を見届けたあとで、われわれ一家もすぐに車に乗り込む。今日はこれから出雲大社にお参りに行くのだ。せっかくだからということで実家の3人もこのタイミングで行くことになり、現地で落ち合おうという話になった。三が日はそもそも近付かないのでよく知らないが、4日の出雲大社は、大いに賑わいつつも、近隣の駐車場に車がとても停められないということもなく、なかなかいい具合であった。元日の初詣とは別で、やはり新年、地元民として、出雲大社に行っておかないと、ずっと頭の片隅で気になったりするので、連休中に行くのが得策なのだった。また5日までは、ふだん開放されていないエリアが開放されている、という特典もあるわけだが、今回ももちろん入りはしたのだけれど、毎年のことながら、入ったところで別に感動するような場所ではないのだった。子どもや三女はここでもおみくじを引いていた。僕はもう引かなかった。三女の縁談の項が気になったが、あまり覗き込んだりするのもな、と思って自重した。噂によると、婚活に本腰を入れる決意をしたとのことである。いいご縁がありますように。
 大社のあと図書館へも行って、ずいぶん遅くなった。途中、ご縁横丁の店で焼き菓子を買い食いしたものの、昼を大幅に回ってしまった。帰りにスーパーに寄り、弁当を買って帰った。帰宅してそれを食べたあとは、いよいよピイガの誕生日祝いの準備である。ポルガがポスターを描き、ファルマンが部屋のセッティング、僕は食べ物担当。まずケーキに取り掛かる。イチゴはまったくもって法外な値段であったが、ここでケチったらクリスマスの二の舞だな、と思って十分な量を買い揃えた。そしてクリスマスのケーキが小ぶりだった雪辱を果たすため、高さにこだわり、生クリームのパックを2つ用いる、4段構成の立派なものを作り上げた。これでようやく溜飲が下がった。晩ごはんのメニューは、ピイガのリクエストである、たらこマヨネーズを塗った餃子の皮のピザと、それとメインをどうしようかと悩んでいたが、ピイガの好物であるうどんの入った寄せ鍋にした。出雲大社で、空腹で寒い思いをしたので、もうこれは鍋にするしかない、と思ったのだった。
 というわけでピイガ11歳の誕生日祝いの宴を執り行なう。鍋はもちろんおいしかったし、ケーキは8等分してもひとりひとりのケーキ皿にデデンとすさまじい存在感の塊として鎮座し、その表面や断面にはふんだんにイチゴがあしらわれていると来て、心がとても満ち足りた。なにより味がおいしかった。今年はクリスマスケーキも手製にしようかな、と思った。ちなみに、子どもが誕生日を今年も無事に迎えられたことはもちろんめでたいが、10歳から11歳という数字の変化は、特になんの感想ももたらさないな、と思う。11歳もすくすくと成長してほしいものですね。
 そして最終日、1月5日。この日はもう、体調もじわじわ悪くなっている感があったし、なにより気持ちがダウナーだった。サザエさん症候群の、特大版。だって9連休だったんだもの。自分がフルタイムで勤めに出ている人間であることを、ちょうど体がすっかり忘れかけたくらいのタイミングで、翌日からそれが再開するのである。ひどい! 人の営みっていったいなんだろう。勤めがあるから、尊い尊い9連休があるわけで、書店員時代の自分が9連休なんて得たら半狂乱だったろう、みたいなことを初日に書いたけれど、それで言えば、つい5年前くらいに、9連休どころではない、長い長い休みがあった。じゃああれは夢のようにしあわせな日々であったかと言えば、もちろんそんなことはなかったわけで、休み明けの憂鬱さに苛まれつつ、休みが終わるということに感謝をしなければならない、とも思う。とも思うが、やはり気持ちはダウナーなのだった。この日はもうどこにも出掛けない、と決意をしていたのだが、おやつの時間のあとで、いろいろ憂わずにおれないのだから、せめて冷蔵庫の中が充実していない憂いくらい解決させて明日を迎えようと思い、スーパーに繰り出した。そしてそれなりにいろいろ、明日からの食材を買い込んだ。明日からはファルマンが調理担当に戻る。ファルマンのなんとも言えない料理が恋しい(気がしないでもない)。そんな感傷的な、連休最終日であった。
 最後はどうしたって切なくなるけど、今年で言えば9分の8、つまり正月休み全体の約89%はひたすらに愉しいわけで、早くも1年後のそれを待ち遠しく思っている。それまでせっせと生きてゆこうと思う。

24年~25年の年末年始記録 中期編

 4日目、31日の大みそかは、日中は相変わらず裁縫をしたり、スーパーに買い出しに出たりして、地味に過した。おろち湯ったり館への思いが、この日々の端々で何度も募るのだけど、もちろん実際に行くことはない。行ったところで、在りし日の姿を期待している僕が満足するはずがないことは判っている。切ない。昼ごはんはカレーうどん。
 午後はファルマンと子どもたちが実家へ行ったので、自由に過す。もちろん裁縫や筋トレもしたが、この3時間あまりの中で行なったある行為が、最終日にして、結果として1年間の印象をガラリと変える、劇的な効果をもたらすこととなった。内容は「BUNS SEIN!」に詳しいのでそちらをご覧ください。
 夕方になって家族が帰ってきたので、大みそかの宴の準備をする。紅白歌合戦を眺めながら、5時間あまり過すための、お酒と食べ物。メニューについては数日前からいろいろ思案していたが、午前中のスーパーで、オードブルセットとして、円形の容器に盛られた、スモークサーモンであるとか、鴨肉のソテーであるとか、海老とアボカドのサラダであるとか、もうこれさえあればほぼ他になにもいらないじゃん、みたいなものを見つけ、それを買って帰ったので、とても楽だった。あとポテトを揚げたり、鶏肉を焼いたり。それともちろんポルガ以外の3人は蕎麦を食べ、ポルガは横浜の実家から送られてきた中華ちまきを食べた。
 今年の紅白歌合戦の印象は、言うまでもなく、B'zに尽きた。ファルマンは当然ながら大興奮だったが、ファルマンでなくたってあれは興奮するというものだ。圧倒的なパワーを見せつけられた。紅白はなんだかんだで、数年前のユーミンと桑田佳祐であったり、去年のYOASOBIの「アイドル」であったり、そして今年のB'zであったり、わりときちんと多幸感のあるエンターテインメントを見せてくれるな、と思う。1年の最後に感動があると、それは年間全体にいい作用をもたらすような気がする。すばらしいことだ。
 年が明けて、「2355-0655」恒例の、新春たなくじを行なう。画面でパッパッと高速で切り替わるおみくじの文面を、スマホのカメラで撮影し、捉えた1枚が今年の運勢という、現代的なスタイルのおみくじ。こちらが今年、「大大大大大吉」であったため、とても気分のいいスタートとなった。田中裕二の顔もこれ以上ないほどのドヤ顔であった。
 明けて5日目の元日。ポルガ以外の3人はお雑煮を食べ、ポルガはトーストにジャムを塗って食べた。もはや14年近くも育てていると、食べようとしないものを無理に食べさせようとするような、無駄な労力は使わないのだった。あと横浜から送られてきた黒豆と、スーパーでなんとなくそれだけ買った、紅白かまぼこと伊達巻の3本セットのものを切って並べた。伊達巻が、口に入れた瞬間に時空が歪むくらい甘くてびっくりした。
 そのあと昼前くらいに、毎年なんだかんだで元日に行っている神社へと向かう。地元民なので少なくとも三が日は出雲大社に近付かないのだ。参拝ののち、ここでもおみくじ。これがなんと、大吉なのであった。今年はやけに運勢を褒めそやされることだ。「願望(ねがいごと)」の項目では、「思うまゝです」とまで持ち上げられた。マジかよ。ただしそのあとで「しかし油断すれば叶わず」とあったり、他の項目でも「色に溺れ酒に狂えば凶なり」という注意喚起がなされていたり、多少の懸念はある。色に溺れ、酒に狂えば凶なのか。そうか。しかしそれらの、溺れたり、狂ったりというのは、いったいどのような度合を指すのだろう。ある程度は溺れ、狂うわけで、そのあたりを詳細に教えてほしいと思った。
 初詣のあとは、新春セールのブックオフへと元日から繰り出す。子どもたちは、このあと受け取るだろうお年玉のことを見越して、かなり買い込んでいた。やばい生き様だな。僕は僕で、どういう風の吹き回しか、110円のコーナーに並んでいた、社会契約論であったり純粋理性批判であったりの二次元エロ小説を、とても久しぶりに何冊か(子どもに隠れて)買った。買いはしたが、決して色目的ではないので、これはセーフだろうと思う。
 帰宅して昼ごはんのあとは、この日は夕餉を実家で、カラオケのときと同じメンバーで行なうので、ファルマンと子どもたちは先行してもう移動した。僕は家に残り、やはり裁縫であったり、筋トレであったり、そして「BUNS SEIN!」を書いたりして過した。元日も浮ついたところが一切ない。これはもう願望は思うまゝだな、と我ながら思う。
 夕方になってファルマンが迎えに来てくれ、ふたりで車に乗り込み、そのまま鮨屋に鮨を取りに行く。これももはや毎年定番のパターンだな。そして鮨を持って実家へ。鮨を食べ、酒を飲み、愉しく過す。プールで知らないじいさんに「腹、割れとったな」と言われたエピソードなどを開陳し、それなりに場を盛り上げたと思う。
 そこまでたくさん飲んだ気もしなかったが、帰宅後はなんとなく気怠くなり、運転役だったファルマンの晩酌には付き合えず、飲まずに寝た。なんだかこうして書くと本当に、おみくじを引いた初日から、わりと果敢にギリギリのラインを攻めていることだな。
 6日目、1月2日。のんびり起きてテレビを点けたら、箱根駅伝をやっている。年齢を重ねて、若いときには興味が湧かなかった事柄について、だんだん面白味を感じてきたりする部分もあるが、箱根駅伝はどうも、今年もまだらしい。ピイガと餅を食べている間だけ漫然と眺めたが、食べ終わったところで消した。
 午前中にひとり買い出しに出る。この3日間ほど、ごはんを炊きさえしない食生活だったので、さすがに地に足のついたものが食べたくなって、そういうものを買う。あとピイガの誕生日祝いのケーキ材料として、スポンジと生クリームを仕入れた。あとはイチゴだけだが、これがもう、今年の大河ドラマかよ、と言いたくなるくらい、べらぼうに高いのだった。三が日が終わった4日、少しでも値段が下がればいいのだけども。
 というわけで昼ごはんは、炊き立てのごはんでおにぎりと、キャベツの千切り、ベーコンエッグ、そして味噌汁という、本当に実直なメニューにする。白菜の浅漬けなんかも添えちゃって、しみじみとおいしかった。
 午後は今日もファルマンと子どもたちは実家行き。もはやオートメーションのような次元で行くことだ。帰省してきている従姉妹らは、実家で特にすることがないので、まあうちの子たちが行けば、それは喜ばれるわけである。娘たちも、家にいると「どっか連れてけ」だの「宿題したくない」だのとうるさいので、まあ行ってくれるのに越したことはない。
 ただし今日は、次女一家は今晩は夫側の実家で会食ということで、16時くらいにはそっちへ移動するという話だったので、だったら俺、15時過ぎくらいに実家にランニングで行って、おやつをみんなと一緒に食べて、そんでファルマンたちが乗っていった車に一緒に乗って帰るという、前にもいちどやったパターンのやつをやろうと思い、ひそかにファルマンたちが出発する前に、車に着替えや入浴グッズなどを載せておく。そして14時45分くらいまではいつも通り、裁縫や筋トレをして過したあと、ランニングウェアに着替え、家を出た。こうして走るのはずいぶん久しぶり、たぶん前の冬以来のため、自分の走れなさにびっくりした。水泳とは使う能力がぜんぜん違うらしい。3kmほどの道のりを、たびたび息が持たず歩きながら、なんとか辿り着いた。
 到着は15時15分頃だったので、さあちょうどおやつの時間だろうな、と思ったら、実家には義父とファルマンと子どもたちしかいない。義母と義妹らは、初売りセールへと繰り出したのだそうだ。16時に移動するんじゃなかったのかとファルマンに問い質したら、「その予定で、私もそのつもりで子守りを買って出たけど、なかなか帰ってこないのだ」とのことだった。仕方なくシャワーを浴びたりして過すが、それ以降もなかなか帰ってこない。結局3人が帰ってきたのは16時半を過ぎてからだった。そのあとせわしなくおやつを食べ、われわれ一家は帰った。予定時刻を聞きつけ、呼ばれてもないのに勝手に現れたわけで、文句が言える筋合いではないが、2歳児の相手などしながら、これならもっと遅くなってから来ればよかったなあ、と思った。
 晩ごはんは、こちらも日常を求め、豚肉と舞茸とネギの卵とじに、鯖、そして納豆という、どこまでも優しい献立。白米がひたすらにおいしいのだった。
 そんな中期3日間であった。休みはこれで残りあと3日。まだ3日もあるとも思うし、もうあと3日なのか、とも思う。普通ならダレそうなラスト3日間だが、わが家の場合、4日に誕生日の人がいる関係で、その心配はない。せいぜい愉しく過そうと思う。