24年~25年の年末年始記録 後期編

 7日目。1月3日。昨晩あたりからうっすらとその気配を感じていたが、喉に違和感があり、ゆるやかに体調が下り坂にあるようだった。加えて、しゃがむときなどに下半身に強張りを感じる。前日のランニングによる筋肉痛なのだった。全長3kmくらいの、途中で息が続かなくてだいぶ歩いた、あのランニングで筋肉痛になるのかよ、と驚いた。
 午前中は朝ごはんのあと、そのまま家族全員でのゲーム大会となった。おとといのブックオフで子どもたちが「スーパーマリオパーティー ジャンボリー」を買っていて、「パパもやるか」という誘いをこれまでは断っていたのだけど、この日は気が向いたので応じ、ファルマンも含めて4人でやることになった。前作「スーパーマリオパーティー」も子どもたちは持っており、こういうゲームが好きなんだなあ、と少し意外に思う。僕は美少年の頃、この手の、ミニゲームたくさん系のゲームは、ぜんぜん視界に入らなかった。もしかするとそれは家族の仲の良さとかが影響するのかな、などと思った。正月らしい愉しいひと時だった。
 11時くらいになって実家から連絡が来る。昼にマクドナルドを買うことにしたのでそちらも一緒にどうかという誘いだったので、喜んで受ける。次女夫妻が取りに行ってくれるというので、わが家のオーダーを伝えた。というわけで昼ごはんは実家でマクドナルド。助かった。
 食べ終わったあとファルマンと娘たちはそのまま実家で遊ぶというので、僕だけ帰る。帰って、しばし裁縫したのち、プールへと繰り出す。この日が今年の初開館日なのである。12月29日に行って、1月3日なので、4日あいただけのことか。よくあることだな。29日もわりとそうだったが、この日も家族連れが多かった。案外、真冬でも家族でプールに行くのだな。この時期、僕はプールに行くと言うたびに、妻から奇異な目で見られるのだけど。
 初プールをたっぷりと堪能し、その足で実家に寄り、家族を回収する。もう空は暗かった。遅く起きて、ゲームして、マック喰って、裁縫して、泳いで、そして終わった日だった。薄いと言えば薄い、ハッピーと言えばハッピー、なんかそんな日だった。
 8日目の1月4日は、わりと盛りだくさんだった。まず次女一家が午前中に出発するというので、その見送りに行く。いつものことながら、濃密に絡んだ日々だった。次に会うのは、順当にいけば春休みだろう。
 次女一家の車を見届けたあとで、われわれ一家もすぐに車に乗り込む。今日はこれから出雲大社にお参りに行くのだ。せっかくだからということで実家の3人もこのタイミングで行くことになり、現地で落ち合おうという話になった。三が日はそもそも近付かないのでよく知らないが、4日の出雲大社は、大いに賑わいつつも、近隣の駐車場に車がとても停められないということもなく、なかなかいい具合であった。元日の初詣とは別で、やはり新年、地元民として、出雲大社に行っておかないと、ずっと頭の片隅で気になったりするので、連休中に行くのが得策なのだった。また5日までは、ふだん開放されていないエリアが開放されている、という特典もあるわけだが、今回ももちろん入りはしたのだけれど、毎年のことながら、入ったところで別に感動するような場所ではないのだった。子どもや三女はここでもおみくじを引いていた。僕はもう引かなかった。三女の縁談の項が気になったが、あまり覗き込んだりするのもな、と思って自重した。噂によると、婚活に本腰を入れる決意をしたとのことである。いいご縁がありますように。
 大社のあと図書館へも行って、ずいぶん遅くなった。途中、ご縁横丁の店で焼き菓子を買い食いしたものの、昼を大幅に回ってしまった。帰りにスーパーに寄り、弁当を買って帰った。帰宅してそれを食べたあとは、いよいよピイガの誕生日祝いの準備である。ポルガがポスターを描き、ファルマンが部屋のセッティング、僕は食べ物担当。まずケーキに取り掛かる。イチゴはまったくもって法外な値段であったが、ここでケチったらクリスマスの二の舞だな、と思って十分な量を買い揃えた。そしてクリスマスのケーキが小ぶりだった雪辱を果たすため、高さにこだわり、生クリームのパックを2つ用いる、4段構成の立派なものを作り上げた。これでようやく溜飲が下がった。晩ごはんのメニューは、ピイガのリクエストである、たらこマヨネーズを塗った餃子の皮のピザと、それとメインをどうしようかと悩んでいたが、ピイガの好物であるうどんの入った寄せ鍋にした。出雲大社で、空腹で寒い思いをしたので、もうこれは鍋にするしかない、と思ったのだった。
 というわけでピイガ11歳の誕生日祝いの宴を執り行なう。鍋はもちろんおいしかったし、ケーキは8等分してもひとりひとりのケーキ皿にデデンとすさまじい存在感の塊として鎮座し、その表面や断面にはふんだんにイチゴがあしらわれていると来て、心がとても満ち足りた。なにより味がおいしかった。今年はクリスマスケーキも手製にしようかな、と思った。ちなみに、子どもが誕生日を今年も無事に迎えられたことはもちろんめでたいが、10歳から11歳という数字の変化は、特になんの感想ももたらさないな、と思う。11歳もすくすくと成長してほしいものですね。
 そして最終日、1月5日。この日はもう、体調もじわじわ悪くなっている感があったし、なにより気持ちがダウナーだった。サザエさん症候群の、特大版。だって9連休だったんだもの。自分がフルタイムで勤めに出ている人間であることを、ちょうど体がすっかり忘れかけたくらいのタイミングで、翌日からそれが再開するのである。ひどい! 人の営みっていったいなんだろう。勤めがあるから、尊い尊い9連休があるわけで、書店員時代の自分が9連休なんて得たら半狂乱だったろう、みたいなことを初日に書いたけれど、それで言えば、つい5年前くらいに、9連休どころではない、長い長い休みがあった。じゃああれは夢のようにしあわせな日々であったかと言えば、もちろんそんなことはなかったわけで、休み明けの憂鬱さに苛まれつつ、休みが終わるということに感謝をしなければならない、とも思う。とも思うが、やはり気持ちはダウナーなのだった。この日はもうどこにも出掛けない、と決意をしていたのだが、おやつの時間のあとで、いろいろ憂わずにおれないのだから、せめて冷蔵庫の中が充実していない憂いくらい解決させて明日を迎えようと思い、スーパーに繰り出した。そしてそれなりにいろいろ、明日からの食材を買い込んだ。明日からはファルマンが調理担当に戻る。ファルマンのなんとも言えない料理が恋しい(気がしないでもない)。そんな感傷的な、連休最終日であった。
 最後はどうしたって切なくなるけど、今年で言えば9分の8、つまり正月休み全体の約89%はひたすらに愉しいわけで、早くも1年後のそれを待ち遠しく思っている。それまでせっせと生きてゆこうと思う。

24年~25年の年末年始記録 中期編

 4日目、31日の大みそかは、日中は相変わらず裁縫をしたり、スーパーに買い出しに出たりして、地味に過した。おろち湯ったり館への思いが、この日々の端々で何度も募るのだけど、もちろん実際に行くことはない。行ったところで、在りし日の姿を期待している僕が満足するはずがないことは判っている。切ない。昼ごはんはカレーうどん。
 午後はファルマンと子どもたちが実家へ行ったので、自由に過す。もちろん裁縫や筋トレもしたが、この3時間あまりの中で行なったある行為が、最終日にして、結果として1年間の印象をガラリと変える、劇的な効果をもたらすこととなった。内容は「BUNS SEIN!」に詳しいのでそちらをご覧ください。
 夕方になって家族が帰ってきたので、大みそかの宴の準備をする。紅白歌合戦を眺めながら、5時間あまり過すための、お酒と食べ物。メニューについては数日前からいろいろ思案していたが、午前中のスーパーで、オードブルセットとして、円形の容器に盛られた、スモークサーモンであるとか、鴨肉のソテーであるとか、海老とアボカドのサラダであるとか、もうこれさえあればほぼ他になにもいらないじゃん、みたいなものを見つけ、それを買って帰ったので、とても楽だった。あとポテトを揚げたり、鶏肉を焼いたり。それともちろんポルガ以外の3人は蕎麦を食べ、ポルガは横浜の実家から送られてきた中華ちまきを食べた。
 今年の紅白歌合戦の印象は、言うまでもなく、B'zに尽きた。ファルマンは当然ながら大興奮だったが、ファルマンでなくたってあれは興奮するというものだ。圧倒的なパワーを見せつけられた。紅白はなんだかんだで、数年前のユーミンと桑田佳祐であったり、去年のYOASOBIの「アイドル」であったり、そして今年のB'zであったり、わりときちんと多幸感のあるエンターテインメントを見せてくれるな、と思う。1年の最後に感動があると、それは年間全体にいい作用をもたらすような気がする。すばらしいことだ。
 年が明けて、「2355-0655」恒例の、新春たなくじを行なう。画面でパッパッと高速で切り替わるおみくじの文面を、スマホのカメラで撮影し、捉えた1枚が今年の運勢という、現代的なスタイルのおみくじ。こちらが今年、「大大大大大吉」であったため、とても気分のいいスタートとなった。田中裕二の顔もこれ以上ないほどのドヤ顔であった。
 明けて5日目の元日。ポルガ以外の3人はお雑煮を食べ、ポルガはトーストにジャムを塗って食べた。もはや14年近くも育てていると、食べようとしないものを無理に食べさせようとするような、無駄な労力は使わないのだった。あと横浜から送られてきた黒豆と、スーパーでなんとなくそれだけ買った、紅白かまぼこと伊達巻の3本セットのものを切って並べた。伊達巻が、口に入れた瞬間に時空が歪むくらい甘くてびっくりした。
 そのあと昼前くらいに、毎年なんだかんだで元日に行っている神社へと向かう。地元民なので少なくとも三が日は出雲大社に近付かないのだ。参拝ののち、ここでもおみくじ。これがなんと、大吉なのであった。今年はやけに運勢を褒めそやされることだ。「願望(ねがいごと)」の項目では、「思うまゝです」とまで持ち上げられた。マジかよ。ただしそのあとで「しかし油断すれば叶わず」とあったり、他の項目でも「色に溺れ酒に狂えば凶なり」という注意喚起がなされていたり、多少の懸念はある。色に溺れ、酒に狂えば凶なのか。そうか。しかしそれらの、溺れたり、狂ったりというのは、いったいどのような度合を指すのだろう。ある程度は溺れ、狂うわけで、そのあたりを詳細に教えてほしいと思った。
 初詣のあとは、新春セールのブックオフへと元日から繰り出す。子どもたちは、このあと受け取るだろうお年玉のことを見越して、かなり買い込んでいた。やばい生き様だな。僕は僕で、どういう風の吹き回しか、110円のコーナーに並んでいた、社会契約論であったり純粋理性批判であったりの二次元エロ小説を、とても久しぶりに何冊か(子どもに隠れて)買った。買いはしたが、決して色目的ではないので、これはセーフだろうと思う。
 帰宅して昼ごはんのあとは、この日は夕餉を実家で、カラオケのときと同じメンバーで行なうので、ファルマンと子どもたちは先行してもう移動した。僕は家に残り、やはり裁縫であったり、筋トレであったり、そして「BUNS SEIN!」を書いたりして過した。元日も浮ついたところが一切ない。これはもう願望は思うまゝだな、と我ながら思う。
 夕方になってファルマンが迎えに来てくれ、ふたりで車に乗り込み、そのまま鮨屋に鮨を取りに行く。これももはや毎年定番のパターンだな。そして鮨を持って実家へ。鮨を食べ、酒を飲み、愉しく過す。プールで知らないじいさんに「腹、割れとったな」と言われたエピソードなどを開陳し、それなりに場を盛り上げたと思う。
 そこまでたくさん飲んだ気もしなかったが、帰宅後はなんとなく気怠くなり、運転役だったファルマンの晩酌には付き合えず、飲まずに寝た。なんだかこうして書くと本当に、おみくじを引いた初日から、わりと果敢にギリギリのラインを攻めていることだな。
 6日目、1月2日。のんびり起きてテレビを点けたら、箱根駅伝をやっている。年齢を重ねて、若いときには興味が湧かなかった事柄について、だんだん面白味を感じてきたりする部分もあるが、箱根駅伝はどうも、今年もまだらしい。ピイガと餅を食べている間だけ漫然と眺めたが、食べ終わったところで消した。
 午前中にひとり買い出しに出る。この3日間ほど、ごはんを炊きさえしない食生活だったので、さすがに地に足のついたものが食べたくなって、そういうものを買う。あとピイガの誕生日祝いのケーキ材料として、スポンジと生クリームを仕入れた。あとはイチゴだけだが、これがもう、今年の大河ドラマかよ、と言いたくなるくらい、べらぼうに高いのだった。三が日が終わった4日、少しでも値段が下がればいいのだけども。
 というわけで昼ごはんは、炊き立てのごはんでおにぎりと、キャベツの千切り、ベーコンエッグ、そして味噌汁という、本当に実直なメニューにする。白菜の浅漬けなんかも添えちゃって、しみじみとおいしかった。
 午後は今日もファルマンと子どもたちは実家行き。もはやオートメーションのような次元で行くことだ。帰省してきている従姉妹らは、実家で特にすることがないので、まあうちの子たちが行けば、それは喜ばれるわけである。娘たちも、家にいると「どっか連れてけ」だの「宿題したくない」だのとうるさいので、まあ行ってくれるのに越したことはない。
 ただし今日は、次女一家は今晩は夫側の実家で会食ということで、16時くらいにはそっちへ移動するという話だったので、だったら俺、15時過ぎくらいに実家にランニングで行って、おやつをみんなと一緒に食べて、そんでファルマンたちが乗っていった車に一緒に乗って帰るという、前にもいちどやったパターンのやつをやろうと思い、ひそかにファルマンたちが出発する前に、車に着替えや入浴グッズなどを載せておく。そして14時45分くらいまではいつも通り、裁縫や筋トレをして過したあと、ランニングウェアに着替え、家を出た。こうして走るのはずいぶん久しぶり、たぶん前の冬以来のため、自分の走れなさにびっくりした。水泳とは使う能力がぜんぜん違うらしい。3kmほどの道のりを、たびたび息が持たず歩きながら、なんとか辿り着いた。
 到着は15時15分頃だったので、さあちょうどおやつの時間だろうな、と思ったら、実家には義父とファルマンと子どもたちしかいない。義母と義妹らは、初売りセールへと繰り出したのだそうだ。16時に移動するんじゃなかったのかとファルマンに問い質したら、「その予定で、私もそのつもりで子守りを買って出たけど、なかなか帰ってこないのだ」とのことだった。仕方なくシャワーを浴びたりして過すが、それ以降もなかなか帰ってこない。結局3人が帰ってきたのは16時半を過ぎてからだった。そのあとせわしなくおやつを食べ、われわれ一家は帰った。予定時刻を聞きつけ、呼ばれてもないのに勝手に現れたわけで、文句が言える筋合いではないが、2歳児の相手などしながら、これならもっと遅くなってから来ればよかったなあ、と思った。
 晩ごはんは、こちらも日常を求め、豚肉と舞茸とネギの卵とじに、鯖、そして納豆という、どこまでも優しい献立。白米がひたすらにおいしいのだった。
 そんな中期3日間であった。休みはこれで残りあと3日。まだ3日もあるとも思うし、もうあと3日なのか、とも思う。普通ならダレそうなラスト3日間だが、わが家の場合、4日に誕生日の人がいる関係で、その心配はない。せいぜい愉しく過そうと思う。