そしてパピロウは11月へ

 パピロウあるある。10月や11月はcozy ripple新語・流行語大賞のために過去の日記を読み返しているので、回顧したり、当時の状況と今の状況を較べたりしがち。
 今年は近所のスーパーで、カマスが阿呆みたいな安値で叩き売りにならなかったな、去年ほど豊漁じゃなかったんだな、と半月前くらいに残念がったのだが、そのあと去年の日記を読み返していたら、去年その買い物をしたのは10月下旬のことで、なんだこれからか、と安心した矢先、図ったかのようにスーパーの店頭には、去年に匹敵する阿呆みたいな値段のカマスが並ぶようになり、大喜びで購った。本当に安いのだ。最近やけに高いシシャモと、1尾あたりの値段が同じくらい。信じられないコスパである。
 去年と同じ事柄として、今日は多伎町の図書館のリサイクル市と、町民文化祭へと赴いた。そして去年と同じく、僕は「Tarzan」のバックナンバーを、ポルガは「るるぶ」を無事にゲットする。狙っていた号が手に入ったので本当に嬉しい。文化祭を冷やかしたあとは、屋外の駐車場で行なわれていた、特殊車両の展示イベントにも顔を出す。去年、高所作業車に乗って、恐怖体験をしたイベントである。今年も高所作業車は来ていて、もちろん僕は(ちんこが大きいこともあり)乗るつもりはなく、ファルマンに「今年は君が子どもたちと乗ったらどうだ」と提案したのだが、「やだよ」と無碍に断られた。その代わりに今年は、除雪作業車であったり、河川パトロールカーといった車に、子どもたちとともに乗り込んだ。なかなか愉しかった。多伎のこのイベントはいいなあ。来年も行こう。
 今日はそれで終わりではない。そこから一路、出雲ドームへ。これも去年と同じイベント、産業博が執り行われているのだ。去年は、産業博は今年と同じ10月最終週、多伎町のほうが11月の第1週と、ばらけていたのだが、今年は同日開催で、僕が今週は土曜日まで労働だったこともあり、なかなか忙しい立ち回りをするはめになった。
 産業博は、多伎町の文化祭よりもだいぶイベントの規模が大きく、人出があった。人出があると言ってもたかが知れてるのだが、しかしこういうのって、行列慣れした都会ならば整然と並ぶところを、ふだん行列などほとんどしない地方民は、並ぶとも並ばないともなく、ほんのり窓口のあたりに群がりがちで、そのぐじゃっとした感じがどうも僕は苦手なのだった。しかし子どもたちはそれなりに愉しんだようなのでよしとした。
 それから買い出しもして帰ったので、帰宅はだいぶ遅くなった。慌ただしく焼きそばを作り、昼ごはんとした。午後はようやく筋トレや裁縫ののんびり時間。来週は休みが多いので、たっぷりこういう時間が取れたらいいと思う。ところで筋トレはトレーニングベンチを使って行ない、裁縫はショーツ作りだったのだが、1年前は、トレーニングベンチはまだ持っていなかったし、ショーツも1枚も作ったことがなかった。ジョニファー・ロビンももちろんいない。今の暮しから考えると、にわかに信じられない。お正月がちょっと前の出来事のように感じられたりして、1年はとんでもなく早いと思う一方で、1年でけっこう変化したことは多いな、と驚いたりもする。「トレーニングベンチもなく、ショーツも作らず、1年前の俺はなにをしてたんだろう」とファルマンに訊ねたら、「なんやかんやしてたよ」という答えが返ってきた。そうだろうな。なんやかんや、してたな。
 晩ごはんはピザ。前に作ったときからだいぶ間が空いたな、と思ったが、前回は9月中旬なので、実はそうでもない。今回もおいしくできた。年末年始、義妹一家なども実家に来たとき、ふるまえたららいいな。賞賛されたいな。
 日本シリーズが終わる。3戦目までの段階で、間違いなく今年もヤクルトだと思っていたので、まさかの展開だった。去年、今年と同じくヤクルト対オリックスだった日本シリーズの開幕戦を、鳥取旅行の宿泊先のオーシャン(の部屋とサウナ)で観たことは、とても思い出に残っている。1週間ほど前の、今年のシリーズ初戦の際、あれから1年かー、などと思ったのだが、実は去年というのはコロナやオリンピックの関係でペナントレースが延び、今年よりも1ヶ月ほど遅れて進行していたのだった。だから実は、11ヶ月前である。そして冒頭でも述べたように、大賞の関係で僕は11月に1年間を区切りがちなので、だとすれば去年の11月から今日までという1年間で、僕は2回、日本シリーズを観たということになる。対戦チームが一緒なので、いっそう不思議な感じだ。去年と今年は、淡く同じで、淡く異なる。なにもかもが、だいたいそんな具合で、移り変わってゆくのだな。

秋ガニ

 秋の心地よい季節である。今日は爽やかというには少し暑いほどだったが、でもよく晴れた。小さな地方都市でも、ここぞとばかりにいろいろな催し物が開かれていた。そのひとつに、実家から誘いが来て、ファルマンと娘たちは出掛けて行った。僕は今週が土曜日も仕事だったこともあり、誘うとも誘わないともない自由参加の感じだったので、行かないという選択をした。というわけで午前中は家でひとりでのんびりと過した。家でひとりで過すという時間が、僕には本当になくて、もしかすると今日の午前のこれは、正月以来ではないかと思った。というわけで前夜からワクワクしていたのだけど、いざその時を迎えてみれば、やったことと言えば筋トレと、生地の裁断と、まあ多少いつもより堂々と勃起したりすることくらいで、そこまで堪能できた実感はなかった。もっとも、どうすれば十全なのかは自分でもよく分からない。
 昼過ぎになり、ファルマンから帰宅がどのくらいになるか、昼ごはんをどうする感じか、メッセージが届く。その中に、「ピイガがくじ引きで1等のズワイカニを当てた」という文言があり、目を見開いた。なかなかのパワーワードである。カニにもいろいろなカニがあり、山陰ということもあるのか、そこらへんのスーパーで、それなりの大きさのカニが意外な安価で売られていることもあるが、しかし逆に言えば、そんなカニに驕っている地域のくじ引きで1等賞品とされるカニである。いったいどんなものがやってくるのか、ドキドキしながら帰宅を待った。
 しばらくして帰ってきたピイガは、カニの箱を抱えていた。箱である。なんかギフト用の、きちんとした箱だった。見ると巨大で生々しいカニの脚が、ごそっと入っていた。それでも今日の買い物のスポンサーである実家と山分けした結果だという。たいへんいやらしい話であるが、箱の画像をアプリケーションを用いて検索したところ、なかなかの販売価格で取引される品物だった。ピイガは前々から、くじ運がいいとされてきたが、いよいよ今回のことで確信へと変わった。ハロウィンジャンボ買わなきゃ!
 冷凍庫にはとても入らないので、今晩食べることにした。というわけで夕飯のメニューはカニ鍋となった。まさか今晩、わが家の献立がカニ鍋になると、誰が予想しただろう。人生っておもしろいな。ちゃんとした値段のするカニは、なるほど水っぽくなくておいしかった。子どもたちはきちんとカニを食べるのは初めてだったろう。おいしくて大興奮、というほどのリアクションでもなかったが、それなりに食べていた。親はほぐすのに必死だった。カニの殻、めっちゃ固い。おいしい代わりにめっちゃ固くて、苦労と美味しさがきちんと比例する食べ物だな、と思った。カニ鍋ののち、雑炊。日本酒と合わせ、至福の時間だった。至福の時間だったが、個人で買った場合の値段と照らし合わせて、値段ほどの幸福は得られないなあ、とも思った。金額が、一食で得られる最大の幸福量に見合う数字を、どうしたって超えてしまっているのだ。こういうのを、舌が安いというのだろう。でも自分で支払ったんじゃなくラッキーで手に入れたものなので、なんの憂いもない。幸せでした。

山陽福山

 ようやく台風が来なかった3連休、しかし後半は天気がぐずつくとのことなので、初日の土曜日に、かねてより行こうと思っていた福山市立動物園へと繰り出した。これまでに、2014年9月と、2019年2月の2回行ったことがある。しかしその2回は、どちらも倉敷からだった。倉敷から福山は、1時間かからない。そして倉敷と島根がだいたい3時間なので、つまり今の住まいから福山市立動物園に行こうとすると、2時間ちょいかかる。2時間ちょいと言えばずいぶんなお出掛けだが、3連休だし、なにより遠出したい欲があった。実は山陽に移動することそのものが目的だったのかもしれない。実際、道が懐かしかった。広島市に行った際、三次までは同じ道を使ったが、そこから先は本当に久しぶりに走った。島根に再移住をしてぼちぼち2年になろうとするが、ここまで岡山にまるで行かないようになるとは思っていなかった。
 尾道北のインターで降りて、あとは地道。動物園は山の中にあり、倉敷から来たときとは、なるほど反対の道(以前までは東から西の道、今は西から東の道)から自分たちがたどり着いたので、なんとなくおもしろいものだと思った。
 福山市立動物園には大型遊具のある公園が併設されていて、子連れにとってこの公園をどう扱うか、動物園の前に遊ばせるか、あとに遊ばせるか、毎回わりと悩ましいところで、わが家は1回目は先に遊ばせ、しかしその結果、公園でお腹がいっぱいになってしまった反省を生かし、2回目はあとということにしたが、動物を観ながらも公園のことばかり気にするのでこれも失敗で、結局のところ正解はない(動物園の横に公園なんてないのが正解)ようなので、今回は子どもの希望に合わせ、先に遊びたいと言うので遊ばせることにした。それはいいのだが、この公園に関して今回、この公園ってこんなに小さかったっけ、ということを強く感じた。こじんまり、というほどではないにせよ、そこまで大規模な公園でもない。なんだか意外だった。もっと大きいような気がしていた。ポルガもそう感じたようで、子どもならば、それだけ自分たちが小さかったってことだよ、となるのだが、僕は2014年の初来訪の頃から大人だったではないか。強いて言うなら、当時よりちょっとだけ筋肉がついた。そのせいだろうか。筋肉がついたことによって、僕は世界のすべてが以前よりも些細なものに見えるようになったのだろうか。
 公園でひとしきり遊んだあと、動物園に入る。3度目なので、配置はだいたい記憶している。相変わらず、必要最低限の要素がぎゅっと凝縮された動物園だ。ものすごく見応えがあるわけではないが、ズーラシアのことなどを思えば、これでいいんだよな、という気もするのだった。
 動物園を出たあとは、福山市街へと向かう。今回は動物園に加え、福山城もコースに組み込んでいた。組み込んでいたのだが、天候のことなどもあって、前日の夜に行くことを最終決定し、福山城のホームページを見たら、城内の見学はコロナ対策として予約制で、前日の午後3時までに申し込まなければいけないとのことで、時間切れだった。それでも当日枠もあるということなので行ってみたのだが、一切の慈悲もなく「本日の受け付けは終了しました」というお知らせが掲示されており、城の外観を眺めながら恨めしい気持ちになった。広島城がぜんぜんそんなことしてないのに福山城がこんな制限をするのかよ、と若干の憎々しい気持ちが禁じ得なかった。下の広場には、「中入れないんだって」「ダメなんだって」などと語り合う人々が多くいて、こんなに無碍に客を拒むだなんて、殿様商売だなー、などとうまいことを思ったりした。
 これで帰宅ではまだない。最後にサファ福山というショッピングセンターへと立ち寄る。前日の検索によって、ここにはファルマンが倉敷時代にこよなく愛していた(家のものすごく近所にあった)セイムスというドラッグストアがあり、さらには僕が倉敷時代にわりと愛していたエブリイというスーパーがあることを知り、どちらも山陰にはないので、せっかく山陽に出てきたのだから行くしかないとなったのだった。それぞれで微妙にテンションを上げながら買い物をし、さらには同じ敷地内にあった西海岸という古着屋(これは倉敷時代にも馴染みがなかった)にも行ってみて、先日ユニクロで買えなかった子どもたちの服を何枚か買った。わりとよさそうなものが手に入り、行ってよかったと思った。
 そんな福山行きだった。城はまったく残念で、なんかもう今後またわざわざ福山という街に赴く機会はあまりないんじゃないかという気もするので、縁がなかったのだな、と思う。次の山陽行きは、いよいよ倉敷だろう。ポルガと未だに手紙などでのやりとりを続けてくれているダイアナと、久々の再会をさせてやりたい。僕も当時の近所のスーパーなどを巡ったりしたい。そのうちできればなあ。

終盤に入りました

 10月に入る。9月は早かった。8月が終わり、前のめりで区切ろうとした夏が、しかし日中を中心に意外と何度も顔を出し、二度の3連休と台風が訪れ、そして誕生日を迎え、夏と秋、平日と休日、平穏と怒涛、38歳と39歳が、入り交じり、なにも確定しないあわいの中を、漂うように、過すともなく過していた。なんだかそんな9月だった。プールは7回。射精は非公開。
 衣替えはまだなのだが、しかし子どもの秋冬服を調達しようじゃないかと、日曜日はユニクロに赴いた。ポルガはなんならもう子ども服ではなく大人用のSサイズでも十分いけるね、なんて話しながら、ユニクロに行けば服はなんとかなるだろうという期待を持って行ったのだが、店に並んでいるもののあまりのつまらなさに衝撃を受けた。ユニクロって、前からあんなにも、機能性だけの、ほとんど人民服のような、つまらない衣類ばっかりだったっけ。それでいて値段もそう安くないし、なんで当世これほどの存在になっているのか、今の姿からは説明がつかないと思った。
 帰宅後、午後はハンドメイド。9月さんざん作ったショーツではさすがにない。ピイガに頼まれたペンケースの、試作をした。この夏、みどごTシャツをさんざん着倒したピイガは、生来の性格と、加えて時期的なものもあるのか、他人と被らないものに重きを置いているようで、そこへちょうど、ハンドメイドが趣味の、工業用ミシンを保持している父親がいるため(いるからこそかもしれない)、新しいペンケースも当然の帰結として、手作りを所望するのだった。というか、そもそもこれまでも、minneに出品したボックスポーチを使っていた。ちなみに試作と言ったのは、ボックスポーチのような、簡単なものではなく、ちょっとややこしい機構のものだからで、首尾はどうだったかと言えば、まあまあうまくできた。なので次は本番用の生地で作る。作ったら「nw」で紹介しようと思う。「試作はうまくできたから、まあ年内には完成させるよ」と言ったらキーキー怒っていた。
 10月に入ったら始めると宣言していたインスタグラムを、約束通りとうとう始めた。ブログとは勝手が大きく違い、戸惑うことばかりである。今日まで3日、連続投稿している。年内は連続を継続させたいと思っている。
 今年が残り3ヶ月になったのだな。

後半3連休

 変な3連休だった。
 まずネットが使えなかった。住んでいる集合住宅のネット回線が、連休前から突然ダウンし、想像していたよりもだいぶ長い期間に渡り、復旧しなかった。これは全国規模で展開する管理会社全体の話だったようで、ネット依存症のファルマンが、禁断症状を発症させながら、スマホのモバイルデータ通信で必死に情報を収集したところによると、界隈ではかなりてんやわんやだったらしい。わが家もファルマンを中心に、もといファルマンばかりがブラックホール並みの比重となり時空が歪みそうなほどに、てんやわんやだった。僕はそこまででもなかったが、今回のダウンの原因がスプラトゥーンのフェスのせいらしい(真実かどうかは定かではない)という話を耳にしたときは、はらわたが煮えくり返った。結局通信は3連休最終日、日曜日の午後に復旧した。もう少しでファルマンは、家賃に含まれているそれではなく、個別の回線を契約するところだった。実際その午前中、店まで行ったのだ。行って、「ネットで手続きしてください」と断られ、すごすごと退散していた。危ないところだった。
 ネットが使えないという状況は、とてつもなく不便というわけではないが(本当にやりたいならスマホである程度はできる)、なんとなく落ち着かないというか、居心地の悪い感じがあった。キャンプの何が嫌って冷蔵庫がないのが僕は嫌なのだ、ということを前に言ったが、電気ガス水道ほどではないけれど、ネットが使えないという状況は、そのくらいの、ちょっと積極的に拒みたい感じの嫌さがあった。
 ネットが十分に使えない状況で、台風が来ていた。これについてはテレビでも情報を収集することはできたわけだが、しかしそれもまた、ネットほど手に取るようには把握できない感じがあり、そうかネットというのは本当に情報を得やすい、万能感を得やすいツールなのだな、と思った。日本列島を、どのくらいの雲を伴った台風が、どのようなスピードで、どのようなコースで進むのか、いつでも知れるって、すごいことだな。今回はそれがなかったため、なんとなく台風との関係が他人行儀だった。コースもまた、先週のそれに較べだいぶ東寄りで、実際ほとんど影響はなかった。
 結果的に影響はなかったのだが、それにしたってFNS歌謡祭のように、2週連続で展開された3連休に、やはり2週連続で律儀に台風をけしかけることはないだろう。ご多分に漏れずわが家も、夏場を越え、ぼちぼちレジャーでも、という気概になっていたというのに、結局どちらの連休においてもままならなかった。まさかこんなことになるとは思っていなかった。目論んでいたレジャーというのが、山陽方面に出るものだったので、大気が不安定な状況で中国山地を越える気にはならなかった。
 そのため連休は、ほぼいつもの週末のように、近場で過した。唯一土曜日に、出雲大社周辺でイベントが開催されていたので、そこには少し顔を出した。13年前に結婚式のあとの披露宴というかそれぞれの親戚を集めての食事会みたいなものを開催した旅館が、イベントに合わせて一般公開、とチラシに書いてあったため、主にそれを目的として赴いたのだが、いざ旅館に行ってみたら、ほとんどの範囲は公開されておらず、そしてあまり歓迎されている感じもなく、わりと来てもしょうがなかったなあと思った。自分たちはかつでここで結婚披露宴をしたのだということを打ち明けたら少しは扱いが変わるだろうかとも思ったが、夫婦ともどもそういうキャラではない。早々に外に出た。
 というわけで連休のうち大体は家にいた。家でなにをしていたかと言えば、やはりショーツを作っていた。ちょっと自分でもびっくりするのだが、先週の3連休と併せて、今回のシルバーウィークにおいて、最終的に数えたら、35枚作っていた。裁断していた35枚を無事に作り終えたところで、さすがに今は少し冷静になっている。そろそろショーツ以外のものを作ってもいい頃合いだと思う。
 そんな感じの3連休だった。どんな感じだ、と思う。連休中、ネットが繋がっていれば、たぶん途中でいちどくらいはブログを書いたろう。そうすればこれほど散漫なふわっとした日記にならなかったかもしれない。しかしそれがなかったから、ショーツが35枚できたのだ、とも思う。禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬。シルバーウィークが終わってしまい、平日が始まった。9月下旬というのは、なにぶんpurope★papiroの誕生日があるものだから、連休が多く、世間的にも浮ついた感じがあるが、今はそれが過ぎ去って、寂寥感が胸いっぱいに溢れている。秋ですね。

39歳

 誕生日を迎える。39歳になった。サンキュー!
 本日は平日なので、昨日、敬老の日の19日にお祝いをしてもらった。毎年のように書いているが、誕生日が敬老の日と極めて近いというのは、生涯をかけて仕掛けるギャグのようだな、と思う。クリスマスと誕生日が近い子どものように、長生きできた場合の将来は、お祝いがひとまとめにされるに違いない。などと思いきや、われわれが年寄りになる頃には、年寄りを敬う習慣は完全に駆逐されていて、敬老の日なんてなくなっているかもしれない。なにぶんMD世代なので、そんな可能性もある。
 敬老の日なので、この日に届くように注文した品物が、横浜の祖母のもとに無事に届いたようで、日中にお礼の電話があった。贈ったのは入浴剤。毎年あげるものが浮かばず、困った末に敬老の日ギフトの特設ページから佃煮のセットや和菓子のセットみたいなものを、仕方なく選んだりしていたが、今年は頭にパッと入浴剤のことが浮かんだので楽だった。これはすごくいい閃きだったな、と我ながら思っていたが、電話口の祖母の口ぶりも本当に喜んでくれている様子だったので安堵した。ただし「下手な食べ物なんかよりすごくいい!」という一言は余計だった。どうした、ここ数年、下手な食べ物を贈ってこられでもしたのかよ。
 誕生日のお祝いだが、折しも猛烈な台風が九州から中国地方に直撃というタイミングで、気候も気圧も優れず、「世界も祝福してくれてる!」みたいな感動は一切ない日だった。出掛けることさえままならず、午前中に僕だけササっと買い出しに行った以外は、ずっと家で過した。家でなにをしていたかと言えば、ひたすらにショーツ作りに勤しんでいた。ショーツ作りって、今年に入ってから始めた趣味なのに、ショーツ作りをしていなかった時代の自分が休日をどう過していたのか、もう思い出せなくなりつつある。それくらい、この日に限らず、3連休を通して暇さえあればやっていた。hophophopに書いたが、初日にはピザを焼くということをしてみたのだけど、材料を機械に入れて作動スタートし、機械が生地をこねてくれている間も、ショーツ作りの作業をしていた。ああ俺は今、パンを作りながら、同時にパンツも作るという、稀有なことをしているな、と思った。「パン作ってる」と「パンツ喰ってる」のジョークがあるけれど、その世界観にだいぶ肉薄したのだった。
 晩ごはんのメニューは手巻きずし。これまでいちおう盛り合わせみたいなものを買っていたのだが、今回からネギトロとサーモンのそれぞれパックだけを買うことにした。それでなんの問題もなかった。ハマチとか貝とか、結局みんなあんまり食べないんだよな。

 
 子どもが恒例の誕生日ポスターを描いてくれた。こちらがピイガ。かわいい。左上から時計回りに、ファルマン・僕・ピイガ・ポルガ・ヒット君・ヒット君・ヒット君・クチバシ・モジャジャ・オオクチアホキリン・ひっとこちゃん・メロヘロ・バネリン・カンガルー(夏休みにピイガが僕に世話をされながらフェルトで作った)・みどご(ピイガの大好きな緑色のゴリラ)である。盛りだくさんで素晴らしい。
 
 
 こちらはポルガ。「これ……なに? 誰たち?」と訊ねたら、「ポルガがいま書いているお話の登場人物だよ」という答えが返ってきて、え、あ、そうなんだ、と思った。「うまいでしょ」と賞賛の言葉を乞うてきたので、「え、その、誕生日おめでとう的なメッセージは?」と思わず問いかけてしまった。すると「ないよ」と平然と答える。相変わらずすごいな。思春期で素直に父親におめでとうって言えない、とかじゃない。本当にただ自分が描きたいものを描いたのだ。やー、さすがだ。
 ごはんのあとはデザート。イチゴがまるでない時期につき、毎年微妙に困る僕の誕生日ケーキ。冷蔵庫にぶどう(シャインマスカット)はお裾分けされたものがけっこうあるのだが、ぶどうのケーキは素人には難しいだろう。かと言って今年はチョコレートケーキも気が乗らなかった。それでどうしたかと言えば、だいぶ思い切った。白玉クリームぜんざいにした。斬新な切り口だろう。誕生日ケーキって、甘いものであれば代替できるのかと言えば、そういうことでもない気もするのだが、でも今年はそうした。しかし悪くなかった。生まれて初めて白玉を作ったファルマンが、茹で上がった白玉を湯から取り上げて直接皿に盛ろうとしていたので衝撃を受けたが、ちゃんと冷やさせ、あんことアイスクリームをたっぷり添えて、食べた。おいしかった。
 誕生日プレゼントは、いろいろ考えた末に、今後必要になる予定の棚をもらおうと思ったのだが、少々お値段が張るのと、現状はまだ必要ないのとで、年末あたりに、去年トレーニングベンチを買った、「今年一年がんばった自分へのご褒美」と合算して手に入れられればいいかな、ということで保留とした。虎視眈々としていることだな。
 そんな39歳の誕生日の祝いだった。当日の今日は台風一過で、今日こそ世界は祝福してくれるかと思ったが、朝から風雨を浴びた車は汚く、下手に気温が下がったせいか職場の空調はうまく回らず空気は淀んでいて、さらには3連休で生活のリズムを崩した体は重く、なんだかあまり具合の良くない日だった。でもたぶん今日が底で、これから364日、調子は上がっていく一方だと思う。母から「三十代最後の一年を愉しんで」とメッセージが届いたが、三十代を惜しむもなにも、自分の中でまだ自分が三十代であることを処理できていないと言うか、受け入れられていない。なので今年は、自分が三十代であるという事実を受け入れるための1年間としよう。1年かけて、とろ火でじっくりと、自分にそのことを理解させられたらいいと思う。無理に決まってっけどな! へへん!

秋が来る

 8月が終わった。夏が過ぎ去ったのだった。7月と8月って、やっぱり大野と杉山みたいな感じがあり、あちらの気が向いて、にわかに仲間に入れられたりすると、そこから見える風景は華やかで、気持ちが昂揚したりもするのだけど、それでも結局は柄じゃないので、またあちらの気が向いて見放されると、なんともいえない寂しさと同時に、一方で結構ほっとしたりもする。7月と8月っていつもそんな感じだ。
 7月、夏本番なのに体力的な問題から意外とプールに行けない、という悩みがあったが(能天気な悩みだ)、7月末あたりに、行ったときに800メートルとか1000メートルとか泳ごうとするからいけないんだと喝破して、300メートルから400メートルくらい泳いで終わりにするスタイルにしたら、途端に行きやすく、そして生きやすくなった。やっぱり泳ぐと精神的に救われる部分があるので、こまめに行ったほうが心が健康なのだ。
 年間会員になったことで、元が取れるかどうかを意識するようになり、その検証のために、実はプールに行った日は記録を取るようにしている。5月からやっている。それによると7月は7回にとどまったが、8月は12回も行った。今後もこの調子を継続したい。
 記録はカレンダー書式のノートに書き込んでいるのだが、プールに行った日に印をするだけでは何だなと思い、長く記録を継続したら価値が出てきそうな事柄として、射精した日にもその符号を記入している。それによると、と7月と8月のそれぞれの射精回数を発表しそうになったが、これは秘匿しておく。
 しかしこれを付け始めて思うのは、14歳の頃からやっておけばよかった、ということだ。初めては14歳だった。そこから今までの射精が全て記録として残っていたら、とても愉しかったろうと思う。なにぶん約四半世紀ともなれば立派なデータである。例えば9月20日から翌年9月19日まで、すなわち年齢ごとの射精回数が最も多かったのは何歳なのか(意外と30代ではないか)。あるいは四半世紀で最も平均射精回数が多いのは何月なのか(5月ではないか、という気がする)。そしてなにより総数を算出し、感慨深くなりたい。さらにはその総数に、一度に放出される精子が2億個だとして、それを掛け算して、その天文学的な数字にくらくらしたい。したかった。後悔だ。もしもタイムマシンがあれば、14歳の、のび太の射精前夜に行って、射精の記録を取ることと、それとついでに、女の子も実はエッチなんだよ、ということを伝えてやりたい。ただしそれを伝えた場合、射精の回数は大きく変動することとなり、歴史は大きく変わって、家族写真から兄さんの足が消えてしまうことになるだろう。
 話が横道に逸れた。夏が終わった話をしている。9月はなんてったって誕生月である。我ながらいい季節に生まれたものだと思う。品がある。ちょうどいいポジションにいる月だ。東京にいた頃は、9月19日までが夏で、俺の誕生日からが秋だな、ということを体感から思っていたが、島根はやっぱりそれより夏は短く、8月限りできっぱり終わったというか、実は8月の終わり頃は既にちょっと怪しかったように思う。じきに普通に肌寒くなる。肌寒くなってきたら、冬用タイヤみたいな話になって、そして気付けば年末年始になるような気がする。しかし年末年始は、わりと最近のことではなかったか。
 話に取り留めがなくなってしまった。1週間もブログを書かないでいると、なんとなく地に足がつかない文章になる。身体が鈍るとか、筋肉が衰えるとか、大げさに言うと、そういうことだ。年齢によるものか、そういうことをしみじみと思う。昨日、自分はあまりにも表情筋を動かしていないのではないかという思いに囚われ、顔の筋肉が弱って、肉が支えられなくって老けるという仕組みの哀しさに打ちひしがれ、なんとかそれから長く逃げ回りたいものだと思い、頬を思いきり持ち上げてみたりした。そういうことを、心がけてやることに、39歳になる秋の哀愁がある。14歳から、四半世紀になるのか。

家族松江

 土曜日、松江に行った。なんだかんだで松江には行くものだな。
 今回の目的は、レジャーと言えばレジャーで、この夏、県立美術館ではチームラボによる体験展示みたいなことをやっていて、普通なら松江ということもあってわざわざ行こうとはしなかっただろうが、ポルガが地元新聞の懸賞に応募して入場券を当てたことにより、じゃあせっかくだから行くかということになった。入場券が当たったと言っても小学生1枚分のことであり、小学生がひとりで行くはずもないので、小学生に1枚タダでくれてやったら、もれなく付き添いの大人が自腹で入場券を購入してついてくるわけで、この当選は幸運でもなんでもなく、ただの商法なのではないか、という気も大いにするのだった。
 コロナ対策なのか、もともとそういう方式なのかは知らないが、時間指定の予約制で、われわれはこの日の午前にその申し込みをした。お盆はわが家的にも松江的にもバタバタしそうだと判断し、避けた次第である。
 出発時の天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうだった。それくらいでちょうどよかった。それが夏におけるお出掛け日和の天気だ。南側を走った宍道湖は、曇天の下くすんでいた。それが山陰の湖のあるべき姿だろうと思った。
 美術館には、予約の時間の30分前くらいに到着した。チームラボの企画展以外にも、常設の部分も鑑賞すればいいわけで、このくらいの時間でちょうどいいのだろうと思った。そうしてファルマンと子どもたちをエントランスで降ろした。
 そうなのだ。僕は行かなかったのだ。僕が行ってもしょうがないだろうことは明らかで、付き添いの大人はファルマンがいればそれでいいだろうと思った。それよりも僕はイオン松江に行って生地を見たりしてるほうがよほどよかった。というわけでひとりイオン松江へと向かった。前回の松江行きの際にも来て、少し買って帰ったが、パンドラハウスのはぎれのワゴン販売は、けっこう侮れないのだ。ネットでは見かけないようなニット生地が多々あり、ホクホクした気持ちで購入した。僕の今の、ニット生地を買い集めるこの感じって、ブックオフ巡りが本当に愉しかった時期のそれと、だいぶ似ているような気がする。今回の夏休みのセールも、ブックオフにはいちども足を運ばなかった。どうやら趣味が完全に移行したらしい。目的の買い物を終えたあとはフードコートで過した。そこでは新語・流行語大賞のために自分の日記を読み返していた。ちょうど1年前くらいの日記で、ファルマンの免許試験のために僕は松江に来ていて、「ゆーゆ」に行ったりしていた。
 昼時になったあたりでうどんを注文して食べ、やがてファルマンからそろそろ退館するという連絡が来たので、計画していた通り、家族のためのマクドナルドを注文して受け取り、ふたたび美術館へと向かった。我ながら実にいい段取りなのだった。
 無事に回収したファルマンと子どもたちによると、チームラボの展示はなかなか愉しめたらしい。それならよかった。岡山で味わった、体の不思議展のときのような哀しい思いをせずに済んだのだな。あれは本当にひどかった。
 家族とマクドナルドを乗せた車は、そのまま次の目的地へと向かう。松江城である。せっかくの家族での松江なので、こちらにも立ち寄ることにしたのだった。マクドナルドはその足元の広場のような所で食べることにした。しかしちょうどいいベンチがあって、いざ食べ始めたところで、これまでぎりぎりのところで耐えていた雨が、いよいよ降り始める。仕方がなかった。今にも雨が降るような厚い雲がかかっていなければ、そもそも外でごはんを食べることなど叶わない時節である。それでも小雨だったのでなんとか食べ切ることができたのだから、運がよかったと言うべきだろう。
 そうして腹ごしらえを済ませ、松江城に登る。ポルガが赤ん坊の頃にいちどだけ来て、しかしベビーカーを携えながら登ることはとてもできず、広場を少し歩いただけで帰って以来なので、実質初めてである。子どもが御朱印・御城印を集め始めたことで、にわかに城や神社に行くようになったことだ。にわかに行くようになったが、知識も興味もわりと乏しいため、感想を訊ねられても困る。「階段が急だった」「雨混じりの曇天の日であんなに暑かったのだから、晴れた日だったら死んでたんじゃないかと思う」くらいしかない。御城印を無事に購入し、記念撮影をして、城を後にした。
 そのあとは松江行きのいつもの立ち寄りポイントとして、スーパーのディオに行き、買い物をして帰った。結局のところ、美術館と城に目的があった家族と、生地とスーパーに目的があった僕の、双方の欲求が合致しての松江行きだったと言える。しかし1週間あった夏休みには、本当にレジャーらしいことをなにもしなかったので、少しはそれっぽいことができてよかった。この日は陽射しこそなかったが、それでも気温は高く、湿度の高さもじんわりとした疲労をもたらしたようで、帰宅後は家族全員、なかなかグロッキーだった。やはりレジャーというものは、10月あたりから始めるべきなのだなと思った。

夏休み序盤

 夏休みを過している。休みが7日間もあると、余裕をぶっこいて間延びしてしまうのが必定だが、今回は決してそんなことにならぬよう、自覚を持って、土曜日も出勤で1日しか休みがない週の日曜日みたいな気持ちで、それを7回繰り返すのだ、そういう密度の濃い1週間を過すのだ、と意気込んでいるのだが、2日目が終わろうとしている今、それがままなっているかというと、うーん、という感じだ。休みの日というのは、どうしたって間延びする。これがこの話の救いになるのかどうかは微妙だが、思えば日曜日しか休みがない週の日曜日だって、間延びしていたじゃないか。7日間あるから、というのは実は関係ない。ただ焦燥感があって、それが緊張感と誤認され、密度が濃かったような気がしていただけだ。そういう意味では、目標そのものは、達成できているといえる。達成できるもなにも、要するに休日の自然体だったのだ。平日にできないことをやらなきゃやらなきゃ、と齷齪しつつも、そう一心不乱にはできず、WEB漫画を読んだり、時間のかかる料理に手を出してしまったりする、僕の。
 前の記事でも書いたが、なにぶん熱中症警戒アラートなんかが発令されている情勢なので、外遊びは完全に選択肢から除外され、そうなってくると子連れで愉しめるスポットというのはかなり限られてくる。初日はまあ、プールだった。実際プールっきゃないのだ。子ども二人を連れ、3人で行った。2日目はどうしたかといえば、これもまたプールだった。ただしこれは僕ひとり。昨日のプールがピイガの世話で自由でなかった分、思う存分に泳いだ。つまり2日連続で、今のところパーフェクトなので、こうなったら7日間毎日行ってやろうかな、とも思うが、別にそれはやろうと思えば普通にできるし、したところでどうってことないので、目標にするほどのことではない。普段、2日おきだったり3日おきだったりで僕がプールに行くと、必ず来ている人というのはいて、たぶんあの人たちは本当に毎日泳いでいるのだと思う。
 そういえば夏休みにしたいこととして、ジョニファー・ロビン活動があった。これまで作り溜めたショーツをジョニファーに穿かせ、写真を撮って投稿するということを、1日じっくり腰を据えてやれたらいいな、と思っていて、そこに照準を合わせ、実はいろいろ仕入れていたのだ。具体的に言うと、紙粘土と、リングライト付きの三脚と、さらにはカメラ機能が優秀なスマホを買った。紙粘土を何に使ったのかは、別記事で述べることにするとして、そうなのだ、スマホを買ったのだ。大きさだけを求めた10インチ超えのタブレットは、やはりカメラをはじめとした諸々の機能の低さ、及び、なによりも「大きすぎる」という理由により、耐えられなくなってしまった。これにより環境が整ったので、明日から本格的に撮影をして、投稿していけたらいいと思っている。これができたら、分かりやすい夏休みの成果だな、と思う。

夏と家族

 8月に入ったところで、兵庫住まいのファルマンの上の妹たちが実家に帰省してきた。妹たち、というのは、妹と、その長女(7歳)と、その次女(0歳)の3人である。同じくこちらの出身である夫とともに一家でやってきて、夫はその週末だけをこちらで過し、今はまたひとり兵庫にいる。またお盆あたりに、本人の帰省と家族の回収を兼ねてやってくるという算段だ。
 実家に行けばいとこがいるということで、わが家の妻と娘たちもまた、このところは実家によく行っているようだ。なにぶん時間を持て余しがちな夏休みなので、子ども同士、いとこ同士で時間を潰してくれるのなら万々歳だろう。実際どの程度うまくいっているのかはあずかり知らないけれど。
 3年ぶりの行動制限のない夏といいつつ、スカッとした気持ちで出掛けるには、新型コロナの話題はいまだ生々しいし、なによりも暑さで十分に行動は制限されていると思う。熱中症警戒アラートなどといって、不要な外出は避けるよう呼びかけられている。我々は3年前から、なるべく出掛けないよう呼びかけられ続けている気がする。
 そもそも乳児がいては、レジャー施設になどなかなか繰り出せるものではないし、なにより乳幼児用のチャイルドシートを車から降ろし忘れるというミスをしたのだそうで、道交法的に出掛けることができないという状況らしい。ちなみに少し前まで実家の物置に投げられていた、わが家でお役御免となったチャイルドシートは、昨今たびたび発起され実行される断捨離活動によって、あえなく処分されたそうだ。そのくらい、次女のところはひとりっ子で打ち止めだと、誰もが思っていた。
 先週末、4月末に生まれたばかりのその姪に、僕も初対面を果たした。生後3ヶ月の赤ん坊は、ああこんなんだったか、ピイガなんていまだに乳幼児みたいな感覚があったけれど、やはりリアル乳児の小ささというのは半端ないな、ということを思った。まだ人見知りも出ないような月齢ではあるが、わりと愛想のいい子なんじゃないかという評があり、僕が抱っこしたときも平然としていて、あやすように揺らしてやると微笑みさえしたので、感動した。「俺の抱っこによって、生まれて初めて笑った?」と妹に訊ねたら、「ううん、そんなことない」と即答された。
 まだ分かったものではないが、人当たりがよさそうな次女に対し、長女の人見知りは相変わらずで、僕はもちろん、ファルマンも、さらには祖母である義母にさえ、7歳の長女はあまり心を開かないらしい。次女を抱っこし、用が済んだので帰ろうというとき、(赤ん坊である妹にばかりかまけて上の子を無視する形になってはいけないな)と考え、あえて「〇〇ちゃん、じゃあね、またね」と声を掛けたら、一瞬びくりと反応したあと、義理の伯父に声を掛けられたことなどなかったこととしてやり過ごそうと判断したのか、完全に無視された。こうでなければ、子どもら3人でどこかへ連れ出してやるなんて案も出てくるのだが、長女は母親と離れようとしないし、母親には乳児がいて、そしてチャイルドシートがないので、やはり外出は詰んでいる。まあ重ねて言うが、暑さ的にも詰んでいるのだけど。
 こんな暑い盛りにしたっけか、と毎年けっこう驚くのだが、8月8日は結婚記念日だった。080808の並びを意識したため、この日付になったのだ。そういう、便乗というか、そういうの、ダサいよ、などと感じていた時期もあったような気がするが、こうして年月を重ねてみると、記憶のしやすさというただ一点において、とても素晴らしい日付であるとしみじみと思う。今年で14年。ファルマンのスマホのgoogleの機能で、データ内にあるその日付の歴代の写真がアーカイブとして表示される、というのがあり、5年前だとか、2年前だとか、子どもたちが幼児だったころの写真などが出てきて、よく愉しく眺めるのだが、この日のいちばん古い画像は、14年前、2008年8月8日の、婚姻届を提出したあと練馬区役所の前で撮影したツーショット写真であった。練馬区役所前で、ポルガ前で、震災前で、ピイガ前で、新型コロナ前だ。遠い。なんという遠さだろう。クラクラする。当日はケーキを買って帰り、みんなで食べた。直接関係ない子どもたちが、切り分けたケーキの大きいカットを求めてせめぎあいする様が、愛しいと思ったので、なにはともあれいい14年だったのだろうと思った。
 明日から僕も夏休みに入る。けっこう長い。丸1週間ある。さすがにどこかへ出掛けたい、高速道路とか使うような、そういうお出掛けをしたい、と思うが、公園が選択肢に入れられないので、いまだなにも当てが見つかっていない。さてどうしよう。